あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

垣根涼介著「極楽征夷代将軍」を読んで

2024-04-30 08:35:04 | Weblog

垣根涼介著「極楽征夷代将軍」を読んで

 

照る日曇る日 第2043回

 

後醍醐天皇の建武の新政を打倒して室町幕府を創生した足利尊氏、直義兄弟と執事、高師直の歩みをモノガタル長編小説なり。

 

尊氏は弟の直義と正反対の侍で、ある種の直観はあても、まるっきり確固とした定見なく、その時その時の空気に便乗してふわふわ盲動する「極楽殿」、そして彼らの忠実な下僕ながら結果的に直義と対立してしまう高師直の三者三様のキャラクターの設定は面白く、それなりに成功しているようだ。

 

しかし物語が後半に進むにつれて、緊密な構成が緩み始め、殊に義詮、直冬の跡目争い、南朝との交渉や降伏沙汰による幕府内の争闘が始まると、次々に生起する政治的暗闘の推移を辿るだけで精一杯となり、もはや当初の小説的感興などどこかにすっ飛んでしまう。

 

竜頭蛇尾とは、このことだろう。こんな杜撰な出来損ないに直木賞を授与するなんて、選考委員の目はどこについているのだろう。

 

書く喜びが読む喜びに伝染す世に有難き高橋源一郎 蝶人

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西暦2024年卯月蝶人映画劇場 その8

2024-04-29 10:41:38 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3610~14

 

1)アンドリュー・ドミニク監督の「ジェシー・ジェームズの暗殺」

民衆の敵と恐れられつつその暗殺犯よりも民衆から愛された凶悪犯の半生を粛々とと描く2007年の快作ずら。

 

2)アネット・K・オルセン監督の「孤高のスナイパー」

過激派環境問題専門家による権力者への武装反撃を描く異色のデンマーク映画。1977年の作品を2013年にリメイク。いついかなる状況にあってもテロルは悪であり絶対許せぬという考え方には賛成できない。

 

3)小津安二郎監督の「父ありき」

笠智衆の父親と佐野周二の親子の情愛映画。戦前の脚本を基に1942年に映画化した。あの晩お酒を飲みすぎなければ父も死ぬことはなかっただろうに。

 

4)小津安二郎監督の「風の中の牝鶏」

佐野周二の留守中に子供の入院費を払うために売春した田中絹代を、葛藤の末に許すまで。田中絹代の階段落ちは迫力がある。1948年の問題作だが、てんでヒットしなかったので小津は黒澤張りの社会派路線を紀子もののような悟達路線に変更する。

 

5)ジョン・ミリアス監督の「風とライオン」

モロッコのタンジールで同国人キャンディス・バーゲンをを誘拐された「風」のアメリカのルーズベルト大統領が「ライオン」の盗賊ショーン・コネリーと張り合う訳の分からん大騒動。

 

立憲は政権交代を目指すべし低投票率でも勝てるんだから 蝶人

 

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柳田國男自筆「原本 遠野物語」を読んで

2024-04-28 09:05:05 | Weblog

柳田國男自筆「原本 遠野物語」を読んで

 

照る日曇る日 第2042回

 

柳田國男が、佐々木喜善から聞き取った遠野の昔話を、柳田自身の毛筆で書きおろした草稿、それをペン字で原稿用紙に書き直したもの、そして1910年に限定350部で自費出版された初版本の朱字入り初稿を、初版本の版面と共に再現した「遠野物語」の原本が岩波書店から刊行されました。

 

これら3種の原稿を突き合わせながら読んでみると、なかなかに興味深い。一番初めの毛筆原稿などは収録作品も多少少ないが、インタビュー時点の原素材をかなり忠実に反映していて、後の2本に比べるとかなり違う。つまり柳田が少しく文学的にリライトした形跡がうかがえて興味深いのです。

 

巻末の三浦祐之氏の解説を読むと、三島由紀夫は、「遠野物語第22話」の短い怪異譚を高く評価していたそうです。

 

それは、佐々木喜善の曽祖母が亡くなった通夜の晩に、彼の祖母と母が囲炉裏の傍に座っている目の前を通り過ぎる噺なのですが、その個所を、初版本では「裾にて炭取にさはり丸き炭取なればくる〱る(原文は「くの字点」)とまはりたり」と表記しています。

 

これを読んだ三島由紀夫は「あ、ここに小説があった」と感嘆したわけですが、その前のペン字段階では「裾にて炭取にさはり炭取なればくる〱るとまはりたり」、最初の毛筆原稿では、「裾にて炭取にさはりくる〱るとまはりたり」であったことが確認できます。

 

つまり柳田國男は、佐々木の当初の「音声」を、本来の意味は同一でも、少しずつ微妙に修辞していき、それが3段階目に達したときに、初めて文学者三島の琴線に触れたということが出来るのでしょう。

 

柳田自身は、自分は佐々木の談話を「一字一句も加減せず」と断りながら「感じたるままに書きたり」というておりますが、このあたりに当初柳田の「遠野物語」が日本民俗学発祥の記念碑的な作品でありながら一風変わった文学作品とみなされ、多くの学者、専門家から無視、冷遇された真因が潜んでいるのではないでしょうか。

 

樟の葉っぱが落ちて芽が伸びる4月14日は「よい死の日」とや 蝶人

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柳田國男原作・京極夏彦文・伊野孝行絵「でんでらの」を読んで

2024-04-27 09:00:33 | Weblog

 

照る日曇る日 第2041回

 

「でんでらの」という言葉は本来は「蓮臺野」で、「れんだいの」と呼び、京の鳥辺山のように「墓のある土地」を指す。

 

遠野の人々は60を過ぎて老人になると、みなこの「蓮臺野」に集められ、生涯この地で過ごすことになっていたらしい。というとあの姥捨て伝説を思い浮かべるが、遠野の老人たちは朝は村で働き(ハカダチという)、夕べは「蓮臺野」に「ハカアガリ」したそうだから、「姥捨て伝説」のような悲劇性はかけらもない。

 

さりながら、この絵本では「蓮臺野」をそこと隣接する古代の囚人の処刑地の「ダンオハナ」と強引に一体化し、「蓮臺野」=墓地=死の曠野という暗いイメージに色づけようとしているので、いささか抵抗を覚える。

 

MIDORI嬢はどこがいいのか分からんがHIMARIの良さならわしにも分かる 蝶人

 

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西暦2024年卯月蝶人映画劇場 その7

2024-04-26 12:56:34 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3605~09

 

 

1)モーリス・ピアラ監督の「愛の記念に」

1983年のサンドリーヌ・ボネールの華麗な?男性遍歴ずら。こんな女性と結婚した男性はたまらないだろうな。

 

2)ジョセ・ダヤン監督の「スパイ」

元レジスタンスのグループが集まり、指導者を殺したスパイを探り当てるナタリー・バイ主演の集団劇映画。

 

3)溝口健二監督の「武蔵野夫人」

大岡昇平の原作を1951年に映画にしたが、どうも登場人物のすべてがミスキャストのように思われる。武蔵野の自然描写だけは流麗である。

 

4)ジャック・コンウェイ&ハワード・ホークス監督の「奇傑パンチョ」

メキシコの農奴に土地を齎した英雄サンチョ・パンサの生涯を豪快に描いた1934年の傑作。

 

5)フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー最終章」

第3作の冒頭にコッポラ本人が登場して挨拶するのとエンデイングの一部をいじっただけで、それほど大きな変動はない。カバレリア・ルスチカーナの舞台が進行するのに合わせて敵も味方もじゃんじゃん死んでいき、最後主人公がボロボロになって死んでいくところは平家物語の諸行無常を思わせる。

 

 出席を「プレザン」と言わせて悦に入るお仏蘭西語講師ヒラオカトクヨシ 蝶人

 

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4月のカルテット その4

2024-04-25 10:11:43 | Weblog

 

これでも詩かよ 第313回~西暦2024年卯月の歌

 

どんどん 

 

歩いて行こうよ、どんどん。

どこかで知らない蝶が、飛んでいるかも知れないじゃないか。

 

語り合おうよ、どんどん。

へえー、こんな人だったんだと、びっくりするかも知れないじゃないか。

 

愛し合おうよ、どんどん。

殺し合うより、よっぽど仕合わせでいいじゃないか。

 

子どもをつくろうよ、どんどん。

今度はどんな子ができるか、この目で見たいじゃないか。

 

歌おうよ、どんどん。

気分が変わって、楽しいじゃないか。

 

踊ろうよ、どんどん。

ひょっとして、素敵なひとに会えるかも知れないじゃないか。

 

作品をつくろうよ、どんどん。

次に出来上がるのが、最高傑作かも知れないじゃないか。

 

生きていこうよ、どんどん。

これから世の中、何が起こるか分からないからね。

 

死んでいこうよ、どんどん。

あとから、若くてイキのいいのが、どんどんやって来るからね。

 

今日もまたキシダフミオがしゃベってるもっともらしいカオとセリフで 蝶人

 

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4月のカルテット その3

2024-04-24 09:22:33 | Weblog

4月のカルテット その3

 

これでも詩かよ 第312回~西暦2024年卯月の歌

 

のでのでゾンビ

 

桜が満開の庭に、布団を干そうとしていたら、

突然マイケル・ジャクソンの動画に出てくるゾンビ踊りをしながら、

初老の男女数名が、光る庭に入ってきた。

 

その中の2名は、

縁側を跨いで、青畳の8畳間に侵入しようとしているので、

「なんだお前らは! 勝手に我が家に入るな!!」

 

と叫んだら、慌てて黄色いチューリップが鈴なりの、光る庭に逃げ出し、

いそいそと、ゾンビ踊りの仲間に加わったので、

 

希死念慮、

2階に通じる階段を調べてみたら、

そこにも、男か女かは分からぬ風体のゾンビが、

瞳孔を開いたまま、呆然と座っているので、

 

パシリを一撃お見舞いすると、ようやく目に光が蘇ったので、

「お前たちは、なんでこんなことをするのだ?」

と、訳を聞くと、驚くべきことを口走った。

 

なんでも彼ら、すなわち「のでのでゾンビ」らは、

かつて700年前の鎌倉時代に、この家が建っている所に住んでいた

オオエ・ヒロモトの従者たち、だというのである。

 

ここ鎌倉十二所に、鎌倉幕府の官房長官みたいな権力者である、オオエ・ヒロモトの屋敷があったことは、知る人ぞ知る史実なので、

 

希死念慮、

そのことは、近所に立っている鎌倉大正青年団が建立した石碑にも、

しかと刻まれている。

 

ので。

 

いい加減ジミン支持はおよしなさいでないと揃ってドツボにはまる 蝶人

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「4月のカルテット」

2024-04-23 11:39:52 | Weblog

私の最新の詩が、さとう三千魚さん主宰のweb詩誌「浜風文庫」に掲載されましたので、

御用とお急ぎの無い方はご笑読くださいな。

 

https://beachwind-lib.net/?cat=20

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これでも詩かよ 第311回~西暦2024年卯月の歌

2024-04-23 09:48:15 | Weblog

同志少女よ、誰を撃つ

 

春だった。

ある晴れた日の、朝だった。

 

チボー家の人々は、誰も徴兵されなかったのに、オレっち、ジャックだけが徴発された。

どうだ、カッコいいだろう?

 

で、まさか戦争が始まるとは、夢にも思ってもいなかったのに、それが突然始まったときには、驚いた。

 

オレは、動員されて戦場に赴いた。

稠密に張り巡らされた塹壕の中で、

まるで芋虫のように、ゴロゴロ蠢いていた。

 

テキは、豊富な物量に物を言わせて機関銃でガンガン撃って来るが、

こっちは弾丸不足なので、

三八銃で、パチパチ撃ち返すのみだ。

 

仕方がないから、オレは一計を案じて、

オリベッティのタイプライターを、機関銃のように塹壕の上に持ち上げ、

広辞苑のように部厚くてまっ白な本の上に、

ダダダダダと、戦いの文句を撃ち込んだ。

 

テキが、機関銃でガンガン撃って来ると、

こっちは、オリベッテイでダダダダダと撃ち返す。

 

ガンガンガンガンガンガン ダダダダダダダダダダダダダダダ

ガンガン ダダダ ガンガン ダダダ カンダタ ガンガン

 

どうだ、これが戦争だ。

これが凄絶な撃ち合いじゃ。

 

すると、

塹壕の上に据えた書きかけの白い詩集を、

食草のカンアオイと間違えたギフチョウがとまろうとしているのを見つけたので、

オレは、つと身を乗り出して、その黒と黄色の羽に触ろうと、腕を伸ばした。

 

途端に、ダンと一発。

続いてダンと、もう一発の銃声が、

鳴り響いた。

 

噂の女スナイパーが、オレの両眼を、見事に撃ち抜いたのだった。

 

真夜中に「対潜水艦戦訓練」をやってくれとだあれも頼まん 蝶人

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4月のカルテット その1

2024-04-22 09:54:30 | Weblog

これでも詩かよ 第310回~西暦2024年卯月の歌

 

相寄る魂

 

天秤座から蠍座に入ろうとする青白い月を見ながら、

しろうさぎのおばさんが、いいました。

 

「コウ君、私の誕生日を知ってる?

2月29日は、4年に一度の私の誕生日なのよ」

 

すると、すかさず、暗算の得意なコウ君が、コウ答えました。

 

「しろうさぎのおばさん、今年でやっと21歳だから、超若いね。」

 

んで、今年84歳になるおばさんは、仕方なく苦笑いしていますと、

いつの間にか近寄ってきた、柔らかい肌をしたロクロ首が、こう呟いたのでした。

 

「アタシの妹は、最近シモーヌ・シニョレに似てきたけど、アタシなんか、いつまで経っても、花も恥じらうスリムな25歳なのよ」*

 

 

*「ロシュフォールの恋人たち」で共演した仏蘭西の大女優カトリーヌ・ドヌーヴ(1943.10.22)の姉フランソワーズ・ドルレアック(1942.3.21―1967)は、1967年6月26日、ニース空港に向かう車を、自分で運転している際の交通事故で、首を切断し命終。

 

「わああウマイ!」と狂ったように叫んでるホントはたいしてウマクないのに 蝶人

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平山周吉著「小津安二郎」を読んで

2024-04-21 10:33:17 | Weblog

平山周吉著「小津安二郎」を読んで

 

照る日曇る日 第2040回

 

これまでの小津関連資料を隈なく渉猟したうえでかなり自由なスタンスで書かれた小津安二郎論ですが、類書にない意外な指摘があって、なかなか面白かった。

 

例えば、「晩春」のラスト近くの京都の宿で突然登場する「壺」。あれをファザコンのヒロインの原節子と父親の笠智衆の間に「実事」があった証拠とするもっともらしい暴論も出されてきたわけですが、著者によれば飛んでもないということになる。

 

なぜならあの壺は、小津の親友で原節子にぞっこん惚れていた山中貞雄監督の遺作「丹下左膳余話」に出てきた百萬兩の壺で、生きていれば原節子を起用した現代劇を撮ったはずの山中=壺に、代理監督の小津が「晩春」を撮って、故人=壺に供養として見せているのだから、エレクトラ・コンプレック的な性交なんかする訳がない、という話になるわけです。

 

映画の最後では、嫁にやった原節子を偲んで、笠智衆が大泣きする代わりに、季節でもないのに突如リンゴの皮を剥くという唐突なカットが登場しますが、著者によればこのリンゴは、中国で従軍していた若き日の小津が心の支えにした志賀直哉と里見弴へのエールだということになる。

 

実際戦中に検閲を恐れた志賀直哉は、ペンを絶って画家を目指して描いた「大きな印度林檎の絵」が里見弴の傑作「本音」の装丁に使われ、それを読んだ戦地の小津は、痛く感銘を受けたというのですが、さあこれはどんなもんでしょうか?

 

噺はこれで終わりません。「晩春」のリンゴ剥きの失敗を苦にしていた小津は、里見弴から「酔っぱらって帰宅した笠智衆が、廊下の途中にある梯子段を見上げて、ああもう娘は居ないんだな、と落胆するラストにすればよかったね」と言われ、なんとその通りの結末を、遺作の「秋刀魚の味」でやってのけた、というオチまでついたのでした。

 

さはさりながら、日本史の中で小津の生涯と映画作品を振り返ろうとして書かれた本書であるならば、小津の戦争体験がもっぱら軍隊に取られた不運や、戦友山中の思い出話、映画製作が出来なかった苦労話などに交えて、彼が帝国陸軍・上海派遣軍司令部直轄・野戦瓦斯第2中隊に配属され、上官の命に従って敵兵に毒ガス兵器を使用した戦争犯罪についても、詳しく述べるべきではなかったでしょうか。

 

笠智衆、東山千栄子をなんとまあ昭和天皇、皇后に擬う 蝶人

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西暦2024年卯月蝶人映画劇場 その6

2024-04-20 11:53:14 | Weblog

西暦2024年卯月蝶人映画劇場 その6

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3600~3604

 

1)ロバート・モンゴメリー主演・監督の「湖の女」

1947年のチャンドラー原作の私立探偵マーロウ物。他の作品と同様筋が入り組んでいてちっとも面白くないが、マーロウとカメラの視線が同一なのでチョっと目新しい。「罠」のオードリー・トッターがヒロインだが、冒頭に出る受付嬢の方がずっと気になる存在ずら。

 

2)ジョナサン・モストー監督の「ターミネーター3」

旧型ロボットのシュワルツェネッガーが知恵を絞って最新型を倒し、未来に生きる2人を助けるという2003年の感動物語い。

 

3)ロバート・ワイズ監督の「罠」

あのドキュメンタリー映画の名匠による物語と映画の進行を一致させた1948年の傑作拳闘映画。中年ボクサー、ロバートライアンが八百長試合に勝ったためにヤクザに恨まれて右手を煉瓦で叩き潰されるが、妻のオードリー・トッターとの新生活へ旅立つ。

 

4)パトリック・ジュデイ監督の「ジェラール・フィリップ 最後の冬」

1959年11月に36歳の若さで命終した名優の2022ネン製作のドキュメンタリー映画である。巴里占領中はレジスタンス運動に従事し、生涯共産党支持者だった彼だが、筋金入りのファシストだった父親が処刑されようとしたときには裏で手をまわして命を救ったこと、映画での活躍はさることながらルシッドなどの舞台俳優として世界的な名声を確立していたこと、自らは肝臓がんに侵されながら肺がん防止運動の先頭に立つなど、今まで知らなかった名優の姿を捉えた。

 

5)エリック・ラルテイゴ監督の「エール」

父母と弟が難聴者の中で育ったヒロインが、巴里に出て音楽家へと羽ばたいていく2014年の人情劇。

 

「なんとなく良さそう」とした内閣があんたの首をギリギリ締めてる 蝶人

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G.ガルシア=マルケス著・旦敬介訳「出会いはいつも八月」を読んで

2024-04-19 10:23:59 | Weblog

照る日曇る日 第2039回

 

2014年に87歳で命終したコロンビア生まれの偉大な小説家の遺作です。

 

熟年のヒロインが年に一度だけ8月に母親の墓参りをする。その時に自らが求めて見知らぬ異性に身を任せたり、任せられなかったりする、という、まるで三文小説のような安易なプロットを逆手にとって、老衰?で薄れゆく理知を駆使しながら、なかなか見事な人世再創造物語に仕立て上げています。

 

訳者は、「これは他の名作と同列に読まれるベき著作というよりも、作者の手法を読み取る文学的ドキュメントではないか」とお考えのようですが、そんなに卑下する代物でもない。私は一個の作物として立派に吃立している佳作であると思います。

 

桜咲けばみな花見して酒を飲むこんな国なぞどこにもないぞ 蝶人

 

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柳田國男原作・京極夏彦文・伊野孝行絵「おしらさま」を読んで 

2024-04-18 11:14:32 | Weblog

 

照る日曇る日 第2038回

 

柳田國男の佐々木喜善からの聞き書きである「遠野物語」を絵本にした「えほん遠野物語」シリーズの1冊である。

 

原本の「69」の項には、確かに馬と結ばれた娘の悲劇を主題としたオシラサマの伝承が書かれており、父親が桑の木の下で切り落とした馬の首に乗って、娘が天に昇ったと記されている。

 

さりながら、オシラサマが地上に残した父親のために遣わした虫が蚕であり、だから蚕は馬の首の形をしているとか、父親が蚕を桑の葉で育てたところ、蚕の繭から糸が取れたのが養蚕のはじまりだ、などというのは京極夏彦の空想の産物に過ぎない。

 

馬を吊るした桑の木から造られたのがオシラサマであるとするのは間違いないが、原本では絵本では娘の像なのに、この絵本では勝手に男女のお雛様のような一対に仕立て上げている。

 

原本ではオシラサマのある家では、必ずオクナエサマも常備されているとあるので、これを勝手に一対のオシラサマに仕立て上げたのかもしれない。

 

絵本に限らず、映画や芝居でも素材を原作に採りながら、それを自由自在に脚色することはよくあることだが、本作では伊野孝行の絵が素晴らしいので、そのぶん現代作家の奔放なる空想にいささかシラケてしまった。

 

「神の声に非ず」といいながら天使の声で唄いしナット・キング・コール 蝶人

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小津安二郎監督の「晩春」をまたまたみて~西暦2024年卯月蝶人映画劇場 その5

2024-04-17 11:42:18 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3599

 

 

見るたびに、いろいろな発見とさまざまな感慨が浮かんでくる映画です。

 


私はこれまで笠智衆の父親と原節子の娘が住んでいるのは北鎌倉だと思っていたのですが、そうではなく鎌倉でした。海まで14,5分という会話が出てきましたから、長谷辺りではないかと想像しました。

冒頭いきなり出てくるのが北鎌倉の駅のプラットホームと円覚寺なので、ついそうだと思い込んでいたのですが、原節子は円覚寺のどこかで開催されるお茶の会に出席していただけなのでした。昭和24年1949年現在の古都と、古刹の古雅な光景は鎌倉だけでなく、京都の清水寺や龍安寺も登場してきて、懐かしさを誘われますが、よくもこんな観光名所でのライブ撮影ができたものだ。今では到底考えられませぬ。

でももっと懐かしいのは、原節子が自転車に乗って稲村ケ崎を越えて七里ガ浜まで遠乗りする国道134号線の砂浜の今とは打って変わった静けさです。


コカコーラの広告塔がぽつんと立っている道路を、春風に向かって走る原節子の、なんと若々しく美しい笑顔でしょう。ここでは小津と彼のミューズである原節子と映画が、完璧に三位一体化して、永遠の生命に輝いています。

この映画の冒頭は、父と娘が鎌倉から横須賀線に乗って東京まで通勤するシーンです。

キャメラは大船から横浜、川崎、新橋へと走る電車の全景、多摩川にかかる鉄橋をとらえ、はじめは車内で立っていた二人が、まず父親が大船辺りで座り、娘は横浜辺りで座るところをとらえています。

 

私も長い間この電車に乗って通勤していたので、こういう感じはよくわかるのです。

娘は岩波文庫を読んでいるので、かなり知的な女性だということが分かります。

それから東京の大学で教授をしている笠智衆の父親と彼の教え子との会話もおもしろい。ドイツの経済学者のリストの綴りは作曲家のリストとは違うという話をしています。

物語はご存じのように片親の27歳になった娘と彼女の将来を案じ、どこかへ嫁がせようとする父親との、フロイトの所謂エレクトラ・コンプレック的な葛藤です。

 

この映画の原作は広津和郎の「父と娘」ですが、映画では最後まで娘の結婚相手が登場せず、そのことが逆に、この映画の主題の深刻さを浮き彫りしているような気がします。

 

二人が見物する観世流の能「杜若」のシーン。幻の名人の名人芸をBGMにして、愛する父を他の女に奪われるという娘の黒い疑心暗鬼が広がり、そのクライマックスが、京都の宿での父娘相姦?ということになるのですが、小津はいくらなんでもそこまで描こうとしたのではないでしょう。

 

ぐわあぐわあと鼾をかいて寝込んでいる笠智衆を悶々と見据えている原節子を、黙ってみている壺こそは、かつて原節子を熱愛して北支に散った山中貞雄の遺作「丹下左膳余話」の百萬兩の壺とする、平山周吉さんの空想のほうが百万倍もリアルですが、ただし娘というより一人の女の、その激情のどす黒い傾きは陰に陽に感じられ、怪しく揺れ動く処女の激情を、原節子が見事に演じています。

ラストの嫁入りの挨拶は泣かせますが、嫁がせた父親の悲嘆をリンゴの皮むきで代置するのは、笠が大泣きの演技を断ったからという事情を勘案してもやはり無理があり、その感銘を「東京物語」の終幕に譲ります。

劇伴音楽は、お馴染みの斉藤高順ではなく伊藤宣二ですが、その主題に無関心なまでに能天気な「晴れた音楽」の付き合わせ方が、斎藤とまったく同質であり、それが小津の狙いであったことを、はしなくも物語っているようです。

   黄砂ある雷雨のはずが朝から晴れ気象庁も時々狂う 蝶人



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