あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

作・くろだかおる 絵・せなけいこ「おまつりおばけ」を読んで

2025-02-11 09:02:13 | Weblog

 

照る日曇る日 第2168回

 

今日はお祭り。お化けの子供たちが連れだって出かけようとすると、怪しい男が一網打尽にして、「おばけふうせん」に塗り分けて縁日でひとつ100円で売ろうとしています。

 

そこへやって来たのは、おとうさんお化けとおかあさんおばけ。

 

あっというまに悪者をやっつけて、おばけの一家は悠々と引き上げていきました。

 

とさ。

 

せなけいこの絵が人気のフレーベル館の絵本です。

 

質問に答えられずに周縁を延々喋る中林美恵子 蝶人

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西暦2025年如月蝶人映画劇場 その2

2025-02-10 10:31:24 | Weblog

西暦2025年如月蝶人映画劇場 その2

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3924~28

 

1)エマニュエル・フィンケル監督の「あなたはまだ帰ってこない」

夫をゲシュタポに捕らえられたヒロインが耐え忍ぶ苦渋の日々を描く2017年のマルグリット・デュラスの自伝映画。せっかく夫が奇跡的に生還したというのに、別の男の子供を産みたいというヒロインは醜い。

 

2)イヴァーノ・マッテオ監督の「すれ違い」

富裕な初老の夫婦が義侠心からたちんぼうの売笑婦を救おうと自宅で囲っていたが、それが家族崩壊寸前にまで至る2015年のイタリア映画。

 

3)コリー・フィンリー監督の「見えざる手のある風景」

異星人に占領された地球で抵抗画を描く主人公と家族たちの不可思議な交流を描いた2023年の秀作。

 

4)ジョン・ウエルズ監督の「8月の家族たち」

メリル・ストリープ、ジュリア・ロバーツなどが芸達者なところをみせる2013年作品で、父サム・シェパードの葬儀に集った家族たちの本音と建て前を抉り出している。

 

5)ダニー・ボイル監督の「イエスタデイ」

2019年の訳の分からん音楽映画。そもそも大停電で万人からビートルズの記憶が失われたという前提が阿呆すぎる。

 

来月の今日の予約を入れたけど無事行けるかは神のみぞ知る 蝶人

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伊東雅江 絵・文「かまくらのすてきなたてもの 長谷エリア編」

2025-02-09 09:22:08 | Weblog

伊東雅江 絵・文「かまくらのすてきなたてもの 長谷エリア編」

 

照る日曇る日 第2167回

 

これも素敵な伊東雅江さんの絵と文で鎌倉の素敵な建物を紹介するシリーズで、今回は長谷近辺です。

 

毎度おなじみの旧前田侯爵邸の「鎌倉文学館」や、かつて山口瞳が住んでいたこともある「加賀谷邸」、私が偏愛する明治41年築の「長谷子供会館」、鎌倉彫工房の「白日堂」、長谷寺の参道にある古式豊かな旅館の「対僊閣」などの歴史と由緒ある建築物が紹介されています。

 

それから私は、今回特に1936年に完成し長く鎌倉図書館として使われていたがそのオリジナルそのままに最新木造建築として最近完成し、国登録有形文化財の指定を受けた御成こどもの家と築55年のモダニズム建築の傑作、鎌倉市役所を是非「御成エリア」のラインアップに加えたいのです。

 

ユジャ・ワンが全裸でピアノを弾いている! 夢か真か幻か? 蝶人

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岩波文庫版・宮英子・高野公彦編「宮柊二歌集」を読んで

2025-02-08 09:12:13 | Weblog

 

照る日曇る日 第2166回

 

2022年に創元社から出た「定本宮柊二全歌集」を読んだのだが、それは1956年(昭和31年)作者44歳までの全作品で、第5歌集「日本挽歌」までは収録されていたが、それ以降の「多く夜の歌」「藤棚の下の小室」「濁石馬」「忘瓦亭の歌」、死後に妻宮英子の編集で世に出た最終歌集「緑金の森」「純黄」「白秋陶像」はいっさい含まれていなかったので、作者の全貌を知ることはできなかった。

 

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983271067&owner_id=5501094

 

会社勤めから解放され、精力的に作歌した「藤棚の下の小室」「濁石馬」「忘瓦亭の歌」では浪漫的な抒情歌よりも冷静に生を見つめた写生歌の秀作が多い。

 

走りゆく炎の後にあらはれて黒く潤ふごとき焼け跡 

萌えいでし若葉や棗は緑の金、百日紅はくれなゐの金

岩盤が水に入りゆくその岸に羊歯繁りつつ飛沫に揺るる

合歓のはな紅生ぐさく咲きつぎて家族七人顔古び生く  「藤棚の下の小室」

 

川水に泉の見えて新しき水うごきつつ砂たえず舞ふ 

採血の済みたる耳を抑へ戻る二十年斯く切られの柊二

単純に単純に歌を作さんとしどろどろとせる心を鎮む

きさらぎの風通りつつ梅の花咲き満たんとする多摩の横山

一日に五首づつ詠むと決めてきて老人なればもう駄目だ 「濁石馬」

 

しかしながら、最晩年の「純黄」「緑金の森」「白秋陶像」については、作者が苦しめられた病気と怪我、そこに起因する体力、気力の減退、そして何よりも小生と同様の老衰の意識が災いしてか、はっきりいうて「純黄」における作者の代表作「中国に兵なりし日の五ヵ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」を除くと、蛇の抜け殻のような「軽みと脱力」の歌しかないと思う。だからそこがいいのだと強弁されるかも知れないが。

 

頭を垂れて孤独に部屋にひとりゐるあの年寄りは宮柊二なり「緑金の森」

 

中国に兵なりし日の五ヵ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ「純黄」

 

「コスモス」を創刊して昭和の短歌世界を牽引した宮柊二は、その前途をわが奥村晃作に託して、1986年(昭和61年)74歳で永眠した。

 

キンギョーエー、キンギョーエーと呟けり頻尿で2時間おきに起こされて 蝶人

 

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西暦2025年如月蝶人映画劇場 その1

2025-02-07 10:12:18 | Weblog

西暦2025年如月蝶人映画劇場 その1

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3919~23

 

1)ヴォーン・ステイン監督の「アニー・イン・ザ・ターミナル」

美しく官能的な美女マーゴット・ロビーの2018年の残酷な復讐劇。

 

2)セルジオ・レオーネ監督の「ウエスタン」

ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズ、チャールズ・ブロンソン、クラウディア・カルディナーレが出る1968年の超バカバカしい西部劇ずら。

 

3)ジェームズ・キャメロン監督の「トゥルーライズ」

シュワルツネッガー主演の1994年の阿呆莫迦漫画仕立てスパイ大合戦ずら。

 

4)マーク・マローン監督の「ワイルド・スタリオン」

キーファー・サザランド主演のどうしようもない2001年の馬物語。

 

5)キャメロン・クロウ監督の「幸せへのキセキ」

マット・デイモン主演の奇跡の動物園誕生物語なんだがあ。こうーゆータイトルも、いい加減でやめてほしい。

 

新しい市役所建設案は否決されているのに自儘に推進している阿呆莫迦鎌倉市長 蝶人

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小野瀬慶子著「フィッティングルーム」を読んで

2025-02-06 13:25:41 | Weblog

小野瀬慶子著「フィッティングルーム」を読んで

 

照る日曇る日 第2165回

 

私はかつて著者とはほんの短い間であったが、ふぁんちょんびじねすの仕事を共にしたことがあった。それらの懐かしい思い出の一つは、原宿本社でのMTGの後、千駄ヶ谷小学校交差点の傍らの定食屋で、私がなんとしたことか、彼女のおかずを恥ずかしながらマツガエテ食べてしまったことだった!

 

鰯のフライを食べられてしまった彼女は、その後どうしたんだろう? かてて加えて、その日彼女は私が無くした熊楠全集を持参して呉れたというのに、今頃謝っても遅すぎるが、あの時は誠に申し訳ありませんでした!

 

さはさりながら、その後の著者が、転職を重ねて実績と経験を積み、会社を立ち上げてパリ、ミラノ、ロンドン、NY、そして東京を駆け回り朝から晩まで24時間戦っていた!とは、夢にも知らなかった。

 

そーゆー訳だから、本書をば、著者の波乱万丈の、華麗にして苦楽に満ち満ちた半自叙伝、あるいは多少のフィクションを交えた私小説か斬新な映画シナリオくらいに思って、グングン吸い込まれるように熱読していったのであった。

 

たぶん多摩川を見晴るかす高台の洋館の深窓の令嬢として大事に育てられたであろう(と勝手に想像している)著者のファッションの原点、それは冒頭で述べられている祖父から贈られた「水色のカットワクレース素材で、脇に縫いこまれたリボンを後ろで結び、真っ白い上質なコットンの丸い襟が清楚さと可愛らしさを添えたデザイン」のワンピースだった。

 

「白地にさまざまな赤い模様が配置された三越デパートの包み紙をひらき、箱を開ける。その瞬間に白い薄紙から顔をのぞかせるワンピースから受けた高揚と覚醒の感覚」こそが多情多感な少女の運命をきめた決定的瞬間だったのである。

 

ところが、商品企画から生産、販売、宣伝、人事まで掌中に収めた、デザイナー兼プロデューサー兼万能スタイリスト兼経営者の著者が、本邦発の国際的なブランドビジネスのいわば頂点を極めた時期に、自分の会社を売り出した経緯が描かれていないことを、九仞の功を一簣に虧く憂いと共に読み終えた時、それらはいわば本書の半面であって、残る半分はそれらの事実(著者は<光景>と名付けているが)から帰納される、新しい服飾哲学の構築あるいは(仮説的)真実の発見への模索に在る、ことにようやっと気づいたのだった。

よく見れば本書には「<わたし>とファッションの社会的関係」という副題がついている。だからこの本は、「自分の経験を振り返り「私」がどのように、なぜ、何を感じたかということを探ることを通して、文化的・社会的文脈の理解を深める質的研究方法のひとつ」らしいのだ。

具体的には「<ファッションをつくる>人びとと実践的(いとなみ)に着目することで、消費やデザイナー中心主義、客体化にもとづく議論を超え、ファッションを別の概念へと再創造する試みであり、加えてファッションを理解する上で課題となってきた生産と消費、社会学においても難題とされた意味の生産と物質の生産、これらの関連付けについての一つの答えを提供することを視野に入れている」と一気に綴られる箇所は、生来頭が悪い小生などにはいささか難解に過ぎるが、この本が「<ファッションをつくる>実践の中で息づく人びとの生を描く表現活動なのである」と総括されれば、そうかそうか、と頷けて、今後の著者の精進をしっかり見届けたいという思いでいっぱいになる。

 

最後のくだりで著者は、ファッションの未来について触れ、それが金儲けだけを追求する悪徳資本家のやり方ではなく、「かかわる人びとがリスペクトし合い、幸せを感じられるようなものづくりが可能になる社会」を夢みているが、これを読みながら私は、宮沢賢治の箴言や廃墟を蠢くガザの民衆を思わずにはいられなかった

 

奥付けによると、著者は現在大学の博士課程に在籍してファッションの社会学/人類学を研究されているようだが、どこまでも、どこまでも、ひたすら遠くへ突き進んでいってほしいと切に願ったことだった。

 

「100分de名著」という番組忌まわしくちびちび原典を拾い読みする 蝶人

 

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角川ソフィア文庫版・藤原実資著・倉本一宏編「小右記」を読んで

2025-02-05 11:27:47 | Weblog

角川ソフィア文庫版・藤原実資著・倉本一宏編「小右記」を読んで

 

照る日曇る日 第2164回

 

もう終ってしまった某大河ドラマの縁で、藤原道長の「御堂関白記」、「紫式部日記」に続いて藤原実資の「小右記」にまで手を出してしまった。

 

前の2冊がそれほどでもなかったのに比べると、本書は要所要所を抜粋した文庫本ながら750頁を超える分厚さ。それもそのはず、道長とその息子頼通の2代に跨って頼りにされた、このー、まるで教頭先生のように几帳面な実資は、なにも道長の黄金時代を記述するために「小右記」を書いたのではない。当時の除目や官奏などの宮廷の公事作法や有職故実の由緒正しい厳格な教則を後代に伝えるために、この全61巻の膨大な古文書を遺したのであった。

 

殆ど無味乾燥(と我々には思える)記録の山の中から、現代的な意義のある個所を残らず切り出し、原文、読み下し文、現代語訳と解説記事の3点セットを次々に提示される倉本氏のお陰で、我々はこの摂関期のリアルに推参する愉楽をともにできるんである。

 

例えば寛仁2(1018)年の藤原威子立后の夜の有名な「この世をばあ!」の大合唱のくだりにしても、その事態は道長の「御堂関白記」ではなく、実資の「小右記」の10月16日の記述によって、その詳細を知ることができる。

 

興味深いのは、紫式部とおぼしき女房が再三にわたって登場し、道長の長女で一条帝皇后の藤原彰子と「小右記」の著者藤原実資の間を緊密に取り持っていることで、この賢い女性が単なる小説家ではなかったことを雄弁に物語っていることである。

 

治安元(1021)年5月25日、65歳にして待望の右大臣を拝命された実資の喜びは、なんとみずからを、「僕大饗!」と初めて表記したことに如実に表れているように思う。

 

また同じ年の年末には、道長が実資の官奏の優美な作法を激賞するとともに、バカ息子の教通がそれを見ていなかったことを激しく叱責している。

 

現在のトランプ大統領みたいに「黄金時代」を謳歌した道長だったが、万寿4(1028)年12月4日、62歳であっけなく命終してしまう。その最期はもちろん「御堂関白記」には書いてないが、「背中の腫れものの勢いが乳や腕に及び、その毒が腹に入ったので針で瘡口を開いたところ、膿汁と血が出てあまりの苦しさに道長は叫びうめいた」と「小右記」にはリアルに書いてある。

 

驕れるものは久しからず。僕思うに、狂犬トランプの最期も似たようなものだろう。

 

自らも移民の孫が押し寄せる移民を憎む犍陀多のごと 蝶人

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Les Petits Riens  40年もひと昔

2025-02-04 10:04:37 | Weblog

Les Petits Riens  40年もひと昔

 

蝶人五風十雨録第18回「一月三十日」の巻―そんな私のここだけの話 op.225

 

1981年1月30日 金曜
夕方サンフランシスコ発JAL001便にて成田着。重い荷物をポーターに運ばせタクシーで鎌倉まで。やれやれと一安心。都合半月の海外旅行なりき。

1982年1月30日 土曜
土曜出勤。ルック雑誌広告。アデンダの大きなポスターをどうやってコピーしていいか分からない。

1983年1月30日 日曜 夜に雨
久しぶりに眠る。自閉症児親の会の会合をキャンセル。相模原の会員のみに電話連絡。たまには休まないと身体がもたない。息子たちと遊ぶ。

1984年1月30日 月曜 はれ
キリンビール訪問。だいたいそんなものよね。ベイヒルゴルフ企画で富士ゼロックスの小林陽太郎氏の出演許可をもらう。

1985年1月30日 水曜
朝パリEHPよりゴダールが撮影を完了したと連絡あり。アニエスbでf500買い物。夜駐在所のスタッフと会食。サル・プレイエルにてラベック姉妹のコンサート。

1986年1月30日 木曜 はれ
三陽商会長谷川氏、博報堂、関谷氏、小学館中川氏、島本氏。夜神谷氏と串花へ。

1987年1月30日 金曜 はれ あたたか
8時半日比谷スカラ座にてデ・ニーロの「ミッション」。86年のカンヌでグランプリだというがやや意外。G.I.Tにて日経矢田氏と「大コクトー展」の打ち合わせ。

1988年1月30日 土曜 はれ 
ゆっくり起きてミラノへ発つ高市氏の自宅兼事務所に電話すれど終日繋がらず。「チャネラー」取材後小峰氏と飲む。松竹第2にてベルイマンの「シークレット・オブ・ウーマン」試写。女の生を重厚に描いた傑作。光と影が美しい。

1989年1月30日 月曜 
プレス伊藤君と話す。努力家なり。IN秋冬構想会。

1990年1月30日 火曜 くもり
大阪支店にて11時から午後7時まで店長会議。山口課長と新任営業担当のお披露目。京高フェア打ち合わせ。私は「この日、この空、この私」「体と金と男」という話をしたがあんまり説経臭のする演説は良くない。夜神戸のグリーンホテル泊。

1991年1月30日 水曜 
オレンジページ田坂さん来社。パスタ・パスタで昼食。「ゼロシティ」「アンポンで何が裁かれたか」をみる。

1992年1月30日 木曜 
本日より米国出張。ボストンは古い英国の面影を残す町でJFKの生家や寄宿舎もあった。学生街のカジュアルなショップを見学。夜はウエルカムパーテーがあった。

1993年1月30日 土曜 はれ
会社休みてCD三昧。妻は味噌作りや心身の疲労困憊で臥せっている。

1994年1月30日 日曜 はれ
ボードレールの人生はわずか46年であった。次男東京造形大の1次合格。

1995年1月30日 月曜 晴
第1回の全員宣伝会議。だいぶ人が減った。文春の「マルコポーロ」がアウシュビッツにガス室はなかったという記事で廃刊決定。愚かなり。

1996年1月30日 火曜 はれ
1792年に再建されたべネツィアのラ・フェニーチエ劇場が失火のために全焼。残念なことなり。仏シラク大統領、核実験の終了を声明。

1997年1月30日 木曜 晴
去年より今年の方が仕事は楽になった。次男は自動車免許を取るための合宿に出かける。

1998年1月30日 金曜 曇
会社は出来るだけサボるようにしている。午後新橋TCCにてMIUMIUの出る映画を観た。横浜SSDにてアルゲリッチ、マイスキーのベートーヴェンのチエロソナタ集買う。ムク夜鳴きす。

1999年1月30日 土曜 晴れたり曇ったり 寒
会社休む。妻は余命2、3か月と宣告された鶴見さんに「手当て」しに行く。ムクと神社散歩。米バークシャー社から1万4千円の引き落とし請求書来る。

2000年1月30日 日曜 晴 暖4月のごとし ○
母と4人で宇田さんチ経由図書館。梅はどこかで咲いているに違いない。午後五反野マンションの広告コピーを書いていると、ようやくフリーになった気分が出てきて嬉しい。

2001年1月30日 火曜 晴 ○
不調。元気なし。妻やや回復すれどパソコン具合悪し。

2002年1月30日 水曜 晴 
小泉首相が田中外相と野上次官を更迭。鈴木宗男は議運委員長を辞任。在任9ヶ月、ああいう奴でもいなくなると寂しいなあ。「サライ」を買う。果たしてこれから仕事はあるのだろうか。

2003年1月30日 木曜 はれ
妻と義母、早朝より長野の親戚の葬儀に出かける。余、ようやく床上げ。ベルトリッチの「暗殺の森」みる。ドミニク・サンダは可哀想。トランティニアン良し。

2004年1月30日 金曜 晴 はれ
文化講義3連発。学生の新宿都庁レポートを読むとなかなか面白い。しかしコンテンポラリー講座は今日で最終回となった。困って執行さんに相談すると、織田学園というのを紹介しようといってくれる。まことに有難い恩人である。

2005年1月30日 日曜 はれ 暖
3人で 熊野神社へ行く。長男は岸本歯科で痛がったので、「痛かったら先生に痛いと言いなさい」というと「もう岸本歯科は行きません。チエ先生ちへ行きます」を連発。余波で箱根行きも中止となった。

2006年1月30日 月曜 晴 
文化最後から2番目の授業。浪間先生は週3日で7コマ持っていて、今度アンコールワットへ行くそうだ。羨ましい。新橋キムラヤでグルダのベートーヴェンソナタ全集。大船ユニクロでジャケットとパンツを買う。5千円なり。

2007年1月30日 火曜 晴 
布団干す。果樹園へ行き写真を撮る。文芸社の仕事が来ないので頭にくる。

2008年1月30日 水曜 晴 暖
妻は緑の会で北条時政邸へ行った。ずっとドイツ人が保存していたのに、次に買った日本人が売りに出したという。どこからも仕事の電話なし。

2009年1月30日 金曜 雨
終日雨降る。今日も文芸社は来なかった。やむを得ず山口氏の仕事を下請けでやることにす。孫請けなり。

2010年1月30日 土曜 晴 
妻と太刀洗を散歩。お向かいのお嫁さんと会う。息子を中学校に入れるためにまた戻ってきたそうだ。疲れた顔なりき。

2011年1月30日 日曜 晴 初雪降れり
中央公民館の鎌響室内楽演奏会へ行ったが満員札止めのため帰宅し、CDを聴く。

ハイドンの五度聴き終わり春の雪 蝶人

2012年1月30日 月曜 晴れ
文化最終講義。これでたぶん学校は終りになるはず。

2013年1月30日 水曜 晴
妻と味噌を作る。午後ヤマダ電機、図書館。長男の携帯を解約す。安岡章太郎92歳で死す。

2014年1月30日 木曜 曇りのち小雨
ひさしぶりに栄プールで9往復す。25m×2×9=450mなり。妻は350m。

2015年1月30日 金曜 雨
関東は雪になりしが、鎌倉は降らず。

2016年1月30日 土曜 冷雨
「金目」の取り扱いを誤って辞職した甘利経済再生相の後任が、同じ「金目」発言で防災相を去った石原ジュニアとは、自民党も人材払底なり。日銀の窮余の一策「マイナス金利」導入をみても明らかにアベノミクスは破綻している。中国の景気後退と原油安で頼みの株式市況も動揺恆ならず、民草の誰ひとり景気が良くなったとは思っていないのである。内政の不安を北朝鮮のミサイルや中国の海洋攻勢を安保危機にすり替え、憲法破壊をもくろむ安倍政治に明るい未来への展望はないだろう。
ようやく冷雨が上がったようだ。それにしても、私はいつになったら今井義行さんのような物凄い詩を書けるのだろう? いや、「今井義行さんのような」ではない。今井義行さんのように、自分らしい、自分でなければ書けない詩を、だ。
    ハスキルのピアノに抱かれる冷雨哉 蝶人
 あの病院はお前の肩を「かしわ」のように刻みやがってと祖父言えり 蝶人

 

2017年1月30日 月曜 雨のちはれ

なぜか4月の陽気となる。妻と味噌の仕込みをする。やっているうちに塩の配分を間違えたことに気づくが、後の祭り也。

 

2018年1月30日 火曜 陰

光触寺橋の傍の家、一夜にして立派な日本風の庭を壊したり。リニューアルするとか。

 

2019年1月30日 水曜 くもり

きのう橋本治死す。70歳。肺炎だが難病を患っていたという。妻と味噌5キログラムを仕込む。

 

2020年1月30日 木曜 くもりのちはれ

妻のヘルペスまだ治らず大層苦しむ。可哀想なり。

 

2021年1月30日 土曜 はれ

3人で図書館、東急、その後長男と小林散髪屋へ。混んでいたがうまくやってもらった。

 

2022年1月30日 日曜 くもり

十二所五味庵における次男の個展「合流点」の最終日。1人の来客もない日もあったが、合計すると大勢の客が来場し、東京新聞の取材もあった。夜戸が閉まってあかなくなりホーミングを呼ぶ。

 

2023年1月30日 月曜 はれ

お昼に青池夫妻と食事中、妻が気分が悪くなり、突然アクビしたかと思うと吐く。早朝5時に起きてプールで泳ぎ、疲れているうえにストレスもあったのだろう。しばらく休んで回復したが心配なり。

 

2024年1月30日 火曜 はれ

次男と3人でおみそ作り。お昼は次男がパスタを作ってくれた。その後お墓参り。次男はどこかの美術館へ行くと称して去る。

 

2025年1月30日 木曜 はれ さむい

67歳で命終した反権力の評論家、森永卓郎氏を悼むがごとく昨日から梅が一輪咲いている。妻と西友へ行き、帰る途中で西濃運輸から連絡がありて次男の絵画作品を十二所の五味家で受け取る。彼は腰痛に苦しみつつ引っ越し準備をしている。ぐあんばれ!

 

欧州から3代前に移民した金髪男が移民を嫌う 蝶人

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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第136回

2025-02-03 11:20:03 | Weblog

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第136回

 

西暦2025年睦月蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第435回

 

久し振りに『紅白』をニョロニョロ見物。「緑黄色社会」の長屋晴子の曲と歌唱、星野源の「ばらばら」、氷川きよし、高橋真梨子は良かったが、ラストの3人、とりわけ福山某とミーシャとかいう女の低能歌詞と阿呆莫迦歌唱は、聴くに堪えない最低最悪。あれが『紅白』トリとは酷すぎる。1/1

 

先行する若手親戚組に追いつこうと朝夷奈峠に登ろうとしたが、途中で力尽きひとりで引き返す。歳は取りたくないものなり。1/2

 

ひとたび命終すれば速やかに忘却されるが、誰かが想起した時だけは、ただちに蘇ってつかの間の友となる。1/3

 

なんと安全保障上の理由で、ニッポンの製鉄屋がアメリカの製鉄屋を合併できないんだって。するてえと日帝最愛の同盟国であるはずの米帝は、日帝によるパールハーバーの再来を危惧しているってか。ずいぶん買い被られたもんだぜ。1/4

 

私の遺言である「佐々木眞詩歌全集」が底をつき、市中在庫は、アマゾンの2冊と鎌倉駅西口の「たらば書房」の1冊だけとなった。1/5

 

商品は自分で市場に行くことはできないし、自分で自分たちを交換し合うこともできない。だから我々は商品の番人、商品所持者を探さなければならない。商品は物であり、従って人間に対しては無抵抗である。もし商品が従順で無ければ、人間は暴力を用いることが出来る。言い換えればそれを捕まえることができる。岡崎次郎訳「資本論第2章」より1/6

 

商品は自分を価値として実現しうる前に、自分を使用価値として実証しなければならない。なぜなら商品に支出された人間労働は、ただ他人にとって有用な形態で支出されている限りでしか数に入らないからである。ところがその労働が他人にとって有用であるかどうか、したがってまたその生産物が他人の欲望を満足させるかどうかは、ただ商品の交換だけが証明することが出来るのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/7

 

ただ社会的行為だけがある一定の商品を一般的等価物にすることができる。だから他の全ての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外してこの除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表すのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章

(承前)このことによってこの商品の現物形態は社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によってこの除外された商品の独自な社会的機能になる。こうしてこの商品は、貨幣になるのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/8

 

東京に自宅があるという元プロレスラーの富山県知事が「能登半島マラソン」なるいかにもな計画を発表したが、そんな悠長な噺の前に、現場責任者の知事として、今どのように具体的に復興と取り組んでいるのかを聞きたい。1/9

 

貨幣的結晶は、種類の違う労働生産物が実際に互いに等置され、従って実際に商品に転化される交換過程の必然的な産物である。交換の歴史的な広がりと深まりとは、商品の本性のうちに眠っている使用価値と価値との対立を展開する。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/10

 

この対立を交易のために外的に表そうという欲求は商品価値の独立形態に向かって進み、商品と貨幣とへの商品の二重化によって最終的にこの形態に到達するまでは少しも休もうとしない。それゆえ労働生産物の商品への転化が実現されるのと同程度に商品の貨幣への転化が実現されるのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/11

 

浅尾とか三反園とか広瀬とか河村とか、元は民主党出身であったり、無所属で反ジミン候補と戦ってきた政治家が、いともあっさりとジミンや右派政党に転向するのは、どういうことだろう。志操がないのかジミンも民主も一つ穴の貉なのか。1/12

 

どういう風の吹き回しか朝日俳壇に初めて入選した。「柚子ふたつ我に近づく柚子湯かな」(長谷川櫂選5席)。「ゆずどものつかずはなれえずうかびけり」(高山れおな選7席)1/13

 

商品交換がその局地的な限界を打ち破り、従って商品価値が人間労働一般の物質化に発展してゆくにつれて、貨幣形態は生来一般的等価物の社会的機能に適している諸商品に、貴金属に、移ってゆく。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/14

 

貨幣商品は純粋に量的な区別が可能なもの、つまり任意に分割することができ、その諸部分から再び合成することができるものでなければならない。ところが金銀は生来これらの属性を持っているのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/15

 

「立木で縁取られた広大な庭園の中で、夏の夜霧に濡れた芝の上を思いっきり駆け巡る恋する女をめぐって、あすこで鳴っていたのはBGМではない。匂うような夜の沈黙の中で音楽の精が踊る、その音だった」by吉田秀和(映画「恋人たち」とブラームスの第一弦楽六重奏)1/16

 

貨幣商品の使用価値は、二重になる。それは、商品としてのその特殊な使用価値、例えば金が虫歯の充填や奢侈品の原料に役立つというような使用価値のほかに、その独自な社会的諸機能から生ずる一つの形態的価値を受け取るのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/17

 

他のすべての商品はただ貨幣の特殊的等価物でしかなく、貨幣は他の諸商品の一般的等価物なのだから、他の諸商品は一般的商品としての貨幣に対して、特殊的諸商品として相対するのである。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/18

 

ヨハンネスの求愛に対するクララ・シューマンの反応は曖昧である。少なくとも後世の目にはそう見える。ヨハンネスとクララの40年にわたる往復書簡集にはいくつかの欠落したページがあるが、その大部分はクララが自分の手紙を即刻破棄するよう望んだからである。吉田秀和「ブラームス」1/19

 

ガザ停戦は朗報だが、悪辣非道なイスラエルは、パレスチナ人皆殺し政策を撤回していないので安心できない。人質全員が解放された段階で総攻撃に転じるのではないだろうか。1/20

 

「アメリカ第一主義」を絶叫するトランプの狂気に隷従するより、この際日米安保条約を破棄して、「自分本位」の進路を主体的に選び取るほうが、よほど真っ当な行き方だと思うのだが。1/21

 

たかが一国家の繁栄のために、移民を殺し、環境を破壊し、生と性を壊し、世界を敵に回すなら、全世界がお前を滅ぼすだろう。1/22

 

どの商品もそうであるように貨幣もそれ自身の価値量をただ相対的に他の諸商品で表すことができるだけである。貨幣自身の価値は貨幣の生産に必要な労働時間によって規定されていて、それと同じだけの労働時間が凝固している他の各商品の量で表現される。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/23

 

一商品は、他の商品が全面的に自分の価値をこの一商品で表すので、初めて貨幣になるとは見えないで、逆にこの一商品が貨幣であるから、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表すように見える。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/24

諸商品は何もすることなしに自分自身の完成した価値姿態を自分の外に自分と並んで存在する一つの商品体として眼前に見いだすのである。これらの物、金銀は地の底から出てきたままで同時に一切の人間労働の直接的化身である。ここに貨幣の魔術がある。岡崎次郎訳「資本論」第2章1/25

 

テレビドラマの主役の多くが刑事や検事や警官である。報道機関はみな警察にデスクを持っているし、警察を身内の組織と思っているから、一朝事あらば報道機関も民衆も徹底的に取り締まる暴力装置とは夢にも思っていないのだ。1/26

 

数多い悪徳後見人を罷免できるように改定されない限り、現行の成人後見人制度は、直ちにその運用を停止すべきだ。1/27

 

人間の中で最も善良な要素が残されている最後の空間、それは障害者とその関係者がいる空間なので、健常者たちが主流を占め、清濁を併せ呑む世間は、そのことの特異性と貴重さに刮目しなければならない。1/28

 

本当は隠しておきたかったのだが、某放送局が某人気タレントに忖度して、自社の若い女性を人身御供に捧げたことが明るみに出たため、世間の総スカンを喰らったので、周章狼狽して仕方なく外部に調査を頼んだり、トカゲのシッポ斬りをしたりしているところ。1/29

 

長い間文章を書き続けていても、「これは我ながら良いことをうまく言い当てた!」と思えたことがないのは悲しいことだ。1/30

 

一物体が絶えず他の一物体に落下しながら、また同様に、絶えずそれから飛び去るということは、一つの矛盾である。楕円は、この矛盾が実現されると共に、解決される諸運動形態の一つである。岡崎次郎訳「資本論」第3章1/31

 

Xもソフトバンクもメタメタもおかしなおかしな独裁者に靡く 蝶人

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なにゆえに第1236回~西暦2025年睦月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2025-02-02 09:30:46 | Weblog

 

ある晴れた日に 第743回

 

なにゆえに驚くような事件が起こる私がまったく知らないところで

 

なにゆえに夜中にワンワン吠えているトランプのポチになるのが哀しいと

 

なにゆえに頼朝の墓は人気がないあそこはかれの持仏堂跡

 

なにゆえに「大晦日に怒られた」を繰り返す息子は父を一生恨む

 

なにゆえにのんびりなかいがおわびするのんびりなかいって誰のこと?

 

なにゆえにハンマーハンマーとおお騒ぎあれは普通の金槌じゃないか

 

なにゆえに朝日俳壇に入選する同工異曲のふたつの柚子の句

 

なにゆえにあッという間に超満員イワタコーヒー店は小町の老舗

 

なにゆえにトランプはんは死ななんだ全世界が悔やむ日が来る

 

なにゆえに突然熱が出てくるの体は自分で管理できない

 

なにゆえにタカハシさんはイワタで転んだ骨が折れずにまあ良かったが

 

なにゆえに斎藤某が挨拶をするおまえなんかにその資格はない

 

なにゆえに佐々木までドジャースに入る日本人投手が多すぎる

 

なにゆえに絶滅危惧種を案じてる絶滅危惧種の日本人が

 

なにゆえにスパンサーが次々降りる媒体価値がなくなったから

 

なにゆえに「黄金時代」とほざいてるこの「我よし」の金髪男が

 

なにゆえに全世界を敵に回すアメリカ・ファーストなんだってさ

 

なにゆえにもっとリップサービスできない取ってくれたドジャースに

 

なにゆえに文春砲は炸裂する政権党には当たらないが

 

なにゆえに本もCDも捨てられない己とこの世に対する執着

 

なにゆえにフジテレビばかり見ている見たこともない公共広告が見られる

 

なにゆえに警察ドラマをじゃんじゃん作る警察は君らの味方ではないお

 

なにゆえに議会制民主主義の棄損を放置するトランプを弾劾裁判で罷免せよ

 

なにゆえに10時間半打たれ続けるそれが経営陣の狙いさ

 

なにゆえに気魄一閃豊昇龍横綱昇進まだ早すぎる

 

なにゆえに文藝春秋は記者会見しない「虚砲でした」と社長が謝れ

 

なにゆえに熱もないのに悪寒がする虫歯か歯槽膿漏か

 

なにゆえに関税合戦を仕掛けてる結局ろくなことにはならない

 

嬉々として腕をぶんぶん振り回す世界で一番おいらが偉い 蝶人

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西暦2025年睦月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2025-02-01 12:35:36 | Weblog

 

ある晴れた日に 第742回

 

人類が滅亡するまで89秒「めだかの学校」を唄って死のう

 

死ぬまでにやるべきことをみなやりて命終せりき森永卓郎

 

我が宿にはや一輪の梅が咲く森永卓郎に一目見せばや

 

相撲より面白かったのは土俵下見に来る人の意外な顔ぶれ

 

大変と思えば何でも大変だが思わなければ大したことなし

 

✕やfacebookを辞めたいが代わりがないので困っています

 

万人の胸の裡なる理想郷その入り口の憲法9条

 

「三密」てなんだったっけコロナ忘れてインフルを案ず

 

自由自在に二足歩行を楽しめる車椅子の人には申し訳ないが

 

冬の日を全身に浴び歩くなり傘寿翁の生きるよろこび

 

狂人を大統領に選んだ人よこれからたんと後悔しなはれ

 

悪人を知事に選んだ人たちよこれからたんと後悔しなはれ

 

もしかしておらっちも石になっておる苔をいっぱい生やした石に

 

「真摯沈着」が田辺新之助の標語なり「真摯沈着」戦さはやめよ

 

「耕君は中脳辺りが弱いんでしょう」と正美先生は言うておった

 

「広告を見れば続きを読ませてやる」そんな広告誰も見ないよ

 

「アマプラ」のスタッフリストで見た友と「インスタグラム」で再会果たす

 

まだやっているのか小原なんとか下らないピアノとおしゃべり

 

腹いっぱい食べてくわくわ昼寝するその平安を壊す一言

 

インフルに罹っていないかも知れぬ鶏たちを皆殺しにする

 

ゆとりなきユトリロひとりモヘンジョダロもう一筆も描けんかった

 

山火事もミサイルが降ることもなくぬくぬくと布団で寝られる

 

嘘?ほんと?何でも載せるSNS私の記事は嘘か真か

 

車からササキサーンと呼びかけし石渡君ガンで死にたり

 

一昼夜経てば死海文書と見做されて可哀想だた昨日の新聞

 

緑色の収集網からはみ出たる溢れたるプラスチック袋をカラスがつつく

 

怖いもの見たさで生きるぜあと4年

 

自分さえよければいいという人をいったい誰が相手にするか 蝶人

 

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