あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルの演奏をビデオで視聴して

2024-10-31 09:43:35 | Weblog

 

 

音楽千夜一夜 第496回

 

7日間のパスを貰ったので、7日間あれこれ見聞きしたが、なかなかに面白かった。

 

このコンビ、こないだの来日公演では、モザールの29番、ベルクの3つの小品、ブラームスの4番を演奏して、非常に高い評価を受けたが、ここ数年のその他の定期の演奏も、それにおさおさ劣るものではない。

 

独欧系の管弦楽曲や近現代作品もさることながら、今回小生が堪能したのはオペラで、例えばチャイコフスキーの「マゼッパ」「イオランタ」「スペードの女王」などだった。

 

後者はいろんな指揮者がよく取り上げているが、ステージ演奏とはいえ「マゼッパ」や「イオランタ」の全曲をライヴで楽しめるベルリン市民が羨ましい。

 

叩き上げのオペラ職人、ペトレンコは、どんな長大なオペラも一瞬も退屈させない緊張感と大局観を保ちながら、随所で抒情的で感傷的なアリアを知的に歌わせて、チャイコ独特の露西亜的憂愁の世界に引き摺り込んでしまう。

 

オペラではR.シュトラウスの「影のない女」も素晴らしかった。

 

これには2023年4月1日バーデン=バーデンでのイースター音楽祭におけるリデイア・シュタイアーのジェンダー平等を先鋭的に突出させた演出付の舞台映像と、その2週間後の「普通の」演奏会形式によるものとの2種類があるが、私は断然後者に軍配を上げる。

 

同じ指揮者と出演者、オーケストラによる傑出した演奏とはいえ、台本にない子供を強引に主役にでっちあげた奇妙奇天烈な演出が、いかにR.シュトラウスの本来の音楽鑑賞の妨げになっているかは、両者を見比べてみれば一目瞭然だろう。

 

最近わが国でも二期会「影のない女」のコンヴィチュニー演出が話題になっているようだが、手前勝手な解釈で古典音楽をずたずたに切り裂く演出家は、どこかの政党と同様、心ある視聴者から忌避され、遠からず消えてなくなるだろう。

 

ともあれ当代一の指揮者とオーケストラがその音楽的力量と再現芸術への熱情を注ぎ込んだ名演奏の数々を、書斎で居ながらにして満喫できるとは、すでに両足を棺桶に突き入れた老人にとってこの世に残された至上の快楽のひとつだろう。

 

                                 福島をすべて忘れて十月尽 蝶人

 

         一億が右翼となるや神無月 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉本隆明全集35「藤井東先生のことその他」を読んで

2024-10-30 11:52:58 | Weblog

吉本隆明全集35「藤井東先生のことその他」を読んで

 

照る日曇る日 第2122回

全集の最後は毎度おなじみの雑文アラカルトだが、この落ち穂拾いがなかなか楽しい。吉本選手の人格と自立的思想形成の基になったのは学校教育ではなく、地元の塾だったことはよく知られているが、それが当世風の学習塾ではなく藤井東のような魅力的な先生であったことはふかく頷ける。いまどきそんな教師が日本のどこかに一人でもいればよいのだが。

 

学生時代の作者が、太宰の「春の枯葉」というレーゼドラマを学生芝居で上演する許可をもらうと称して、ただ一度だけ太宰治と出会った時の会話を採録しておこう。

 

太宰「学校は面白いか」

吉本「面白くありません」

太宰「おれも小説を読んでも面白くねえ。おれがお前なら、今、闇のかつぎ屋をやるな」

吉本「太宰さんは今重くないですか」

太宰「重いさ。だけどお前、男の本質は何だか知っているか」

吉本「判りません」

太宰「マザーシップだよ。お前無精ひげなど剃れ」

 

太宰治は、国電三鷹駅通りの屋台のうなぎ屋のおやじの椅子に腰かけ、吉本は客側の椅子に腰かけながらの会話である。

 

太宰「お前、おれの『春の枯葉』など自由にやればいい。あのなかで『あなたじゃないのよ。あなたじゃない。あなたを待っていたのじゃない』という「あなた」は占領軍だよ」

酔客「先生ご機嫌ですね」

 

そのあと2人は、小さな酒場へ行ったそうだが、尊敬する作家に、「お前」と呼ばれてさぞやうれしかっただろう吉本は、こう思う。

 

「『右大臣実朝』で実朝が語る「平家は明るい。明るいのは滅びの姿だ。人も家も暗いうちは、まだ亡びない」という意味が蘇った。太宰治が負の十字架を背負っているという意味と共に」

 

賑やかな人々次々旅立ってこの世はめっきり寂しくなった 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中川李枝子作・大村百合子絵「ぐりとぐら」を読んで

2024-10-29 13:34:43 | Weblog

中川李枝子作・大村百合子絵「ぐりとぐら」を読んで

 

照る日曇る日 第2121回

 

料理してそれを食べるのが大好きな野ネズミのぐりとぐらが森に落ちていた団栗や栗を拾っていると、大きな卵に出会ったので大きなカステラを作って、森の仲間たちと一緒に楽しく食べて、残った卵の殻に鍋などを乗せて帰るという人気の絵本であるが、有名なわりに面白くないのは何故だろう?

 

きっとお噺の細部に無理があるからだろうが、それに気づいて躓いたりしなければきっとおおいに楽しめるのだろうが、もういい大人になって棺桶に両足を突っ込んでいるおらっちとしてはそうもいかないのよ。

 

デジタルの譜面が現れて譜めくりの美女用済みとなる 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の肖像~親子の対話 その110

2024-10-28 16:06:06 | Weblog

 

2024年5月

 

モノレール、ジエットコースターみたいですよ。

そうですか。

そうですよ。

 

お父さん、黒柳徹子と石原さとみの番組、録ってくれた?

撮りましたよ。帰ってきたら一緒に観ようね。

 

ボク、クレソン大好きですお。

お母さんもよ。こんど買いましょうね。

 

感謝って、ありがとうのことでしょう?

そうだよ。

 

コウ君、来週図書館お休みだってよ。

なんでお休み?

特別整理期間だって。

なんでお休み?

 

ボク、ペヤングのソースヤキソバ、大好きですよ。

そうなんだ。

 

ハイハイ、お父さんですよ。

お母さん、出してください。

お父さんじゃダメ? お母さんは今忙しいからお父さんが出たの。

お母さんがいいよ。

 

感じるって、思うこと?

そうだね。

 

お父さん、ショードクって、英語でなんていうの?

ショードクねえ。分かりません。今度調べとくわ。

お母さん、ホケンのタカギ先生、「手をショードクしときなさい」ていったお。

いつ?

小学2年生のとき。

 

戦うラーメンマン、おもしろかったですおお。

そうなんだ。

 

一度きりって、なに?

一回だけ、よ。

 

生糸、オカイコのこと?

まあそうだね。

 

お母さん、あした東急行きます。

はい、分かりました。

お母さん、あした図書館とたらば書房、行きます。

はい、分かりました。

 

ジミンコウメイ裏金議員は減ったけど疑似ジミンファシスト党が大繁殖

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2024年神無月蝶人映画劇場 その6

2024-10-27 09:35:13 | Weblog

西暦2024年神無月蝶人映画劇場 その6

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3802~06

 

1)ザック・ブラフ監督の「87分の1の人生」

スマホのわき見運転から暗転した人世を描くフローレンス・ピユー、モーガン・フリーマン主演の2023年製作の映画だがラストは甘すぎる。

 

2)エミリス・ベルビス監督の「マシンガン・ツアー」

ロンドンで強盗した連中がなんの因果かリトアニアに漂着して繰り広げる2014年製作のハチャメチャ逃避行映画。

 

3)ラウール・ウォルシュ監督の「不死身の保安官」

ロンドンから猟銃を販売するために西部へやってきた商人が保安官になり、先住民の養子になり、不倶戴天の両グループのガンマンたち和解させ、豊満な酒場女ジェーン・マンスフィールドと華燭の典を挙げるまで。ありとあらゆるウエスタンがその存在理由を失ってしまった現代にあって、殆ど唯一の後世がみるに値する1958年の貴重な西部劇。

 

4)ロバート・アルトマン監督の「Imeges」

1972年の何が何だかさっぱり分からないホラー映画。よくもこんなくだらない映画を作ったものよと変なところで感心する。

 

5)サラ・ポーリー監督の「ウーマン・トーキング」

男たちの暴行に対して、反抗するか、従うか、それとも逃走するかの3つの選択肢を徹底的に討論して、女たち全員が村を出ていく2022年の物語。

 

朝食後7種の薬を飲みこめば5分もたたず下痢してくだる 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉本隆明全集35「家族のゆくえ」を読んで

2024-10-26 08:52:12 | Weblog

照る日曇る日 第2120回

 

2006年3月に光文社から出された吉本流の「対幻想」家庭論である。

 

太宰の有名な「家庭の幸福は諸悪のもと」への感銘と違和感の表明から始まって、彼の区分による各中間段階に「移行期」を挟んだ「乳児期」、「幼児期」、「少年少女期」、「前思春期」、「思春期」、「成人期」、「老年期」それぞれの特性と解説が施されるが、「「性格形成の大半は幼児期までに決まるが、子育てで一番重要なのは胎児期を含めた乳児期と少年少女期から前思春期」、「少年少女期は遊びがすべてである」とか、それほど予想外の新事実や新思想が書かれているわけではない。

 

むしろ私は、本論からおのずから脱線するようにして書かれた、著者の挿話のほうに惹かれる。

 

それは例えば、「わたしは自分をなだめるようにして詩や散文を書いてきた経験がある。はじめから「自己慰安」なしに読者を乗せようとする企てが見える作品は長持ちしない」とか、

 

「柳田國男は、乳幼児期から少年少女期のあいだに「軒遊び」の時期を設定している」とか。

 

自分は子供をよく遊ばせたと自負していたら、当の子供から「公園で遊ばせてくれたっていうけどさ、遊んでもらった覚えはないよ」と言われてびっくりした。とか、

 

漱石の「こころ」における主人公と親友とは同性愛だったので、裏切られた親友は自殺し、それを苦にしていた主人公も後追い自殺をしたのではないか。とか、

 

江藤淳の「漱石とその時代第5部」の余りにも有名な鏡子夫人による夫殺しの挿話。とか、

 

自分は俗謡をかなり知っていて、「此処は京都か大阪町か/大阪町なら兄妹心中/兄は三十一その名は順三/妹十九でその名はお清/兄の順三は妹に恋し/恋し恋しで病となりぬ……」という「兄妹心中」の歌を死んだ中上健次と一緒にうたったこともある。

とか、とかとんとん。

                                                                徒に馬齢を重ね駄馬駄馬駄 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉本隆明全集35「中学生のための社会科」を読んで

2024-10-25 09:29:55 | Weblog

吉本隆明全集35「中学生のための社会科」を読んで

 

照る日曇る日 第2119回

 

2005年3月に市井文学から刊行された不思議な1冊。

題名につられて中学生がお勉強のために読みだしたら、慌てふためいて投げ出してしまうこと請け合いの吉本選手から全国民への2004年の「贈物」である。

 

でも初めは処女の如くデリケートで、第1章の言葉と情感では、宮澤賢治の「母」、萩原朔太郎の「旅上」、伊東静雄の「わがひとに与ふる哀歌」、そして僕の大好きな中原中也の「はるかぜ」を全文掲載して、「ここに挙げた詩人たちの詩作品は、たった一行、あるいは一篇の言葉だけの表現で、読む人によってはメロデイ、長短調、人生体験の個性のすべてが含まれるように作られている」と総括しているので、かつて中学生であった我々もなるほどなあ、と勉強になる。

 

しかし「作り手である詩人もまたこの社会では詩のほかに関心をもつものは何もないというところまで行ってしまうこともある。ここで挙げた詩人たちもそれに近いところまで行った」と続けられると、三流のへっぽこ詩しか作れないおらっちとしては、何やら背中に冷たいシャンペンを浴びせられたような気にもなるのである。

 

社会科の教典はこれで終わりではなく、「自己表出」と「指示表出」で区分けされた「吉本文法」、「老齢とは意志と行為の背理なり」という発見、社会と国家に関する3つの類型、民族国家についての考察、「シュンペーターとマルクスの違い」などさながら神出鬼没の脱兎の如く続けられるのであるが、御用とお急ぎのない方は是非ちょくせつ手に取って拝読されんことを!

 

両翼を伸ばして秋の陽を受けるアカタテハてふ天与の色柄 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は第2の人世である 第140回

2024-10-24 09:33:37 | Weblog

おらっちしかいない職場に知らない男がやってきて、「お前んとこの課長が帰ってきたらすぐに連絡せよ」と命令するとすぐ立ち去ったが、おらっちそいつが誰だか分からないので課長が戻っても放置しておいたずら。6/1

 

私は花園中学の女子中学生と手に手を取って、朝のラッシュで大混雑している京都駅に到着したが、それからどうしていいのか分からんかった。6/2

 

短文をつくったあとで、この文章にはどんなハッシュタグをつけるべきか大いに迷って、とうとう朝を迎えてしまったよ。6/3

 

友人から挨拶を頼まれたので、おらっちは昔書いた「なんでも挨拶事典」を引っ張り出して、よさそうなクダリをそのまま引用したかったのだが、んなもん皆無だったずら。6/4

 

若い2人のために別荘を建ててやったというのに、さして感謝も感動もしていないのは、なぜだろう? もしかしてワシの建築センスがダサイのではないのだろうか?と思うと、気が気ではなかった。6/5

 

商品を1個づつ手に取って、大勢の写真が販売に出る効率の悪さが、堂々とまかり通っている不思議さよ! これで人並み以上の給料が出ているのだが、ますます不思議だ。6/6

 

はじめは北に向かって歩きだしたのだが、思い直して、今度は南に向かって歩き続け、とうとうナニワエに着いたのよ。6/7

 

結果的には、予がその殺人事件の判事を担当することが分かっていたので、犯行以前の彼の動向を探ってみたのだが、どう考えても、あんな残酷な人殺しを実行するような人物とは思えなかった。6/8

 

容疑者を取り調べながら、「これが重要なんだよ、重要」と偉そうにいいながら黒板に「重要」と書いた重の字が間違っていることに気づいて、おらっち大層恥ずかしかったのよ。6/9

 

A君は秒速18km、B君は15kmの目にもとまらぬ超快速剣で、群がる兵士を切り捨てていたが、最終的に最も多くの敵兵を退治したのは、ほかならぬ秒速3kmの吾輩だった。6/10

 

草笛城の外観は、城壁が抉れて物凄い様相を呈していたが、世界中のアナキストたちが、八方破れのそのアナーキーな状態を讃美してやまなかったので、お隣の若月城も城壁の一部をわざと崩したりしていた。6/11

 

工業団地の土地を一応確保したコウドウカンは、自社の4区画を、それぞれトヨタ、NTT、ソフトバンク、大洋漁業などに提供してやったので、ひどく感謝されたのよ。6/12

 

健康診断を受けていると、市役所の職員が大事にしているという写真をこっそり見せてくれたのだが、その写真が、あっという間に脱走して、一人で遠くの方へ行ってしまったのよ。6/13

 

宮沢賢治記念館の公演の最後に登壇した花巻青年団の若者たちの風貌が、揃いも揃ってミヤザワケンジに生き写しだったので、とても驚いたが、よく考えると、あれもこれも当地によくある顔なのだった。6/14

 

予の豪邸が、時ならぬ大火で焼け落ちたので、町内の貧民どもが、なにか金目のものがないかと大挙してやって来たので、ドタマにくるぜよ。6/15

 

サキちゃんに誘われて京都に出て、そこから左京を歩き始めたら、汚い東屋にコ汚いおばはんがいて、それがサキちゃんの母親だったので驚く。それからさらに歩いて、西部講堂でマルセルメイエのパントマイムを見物したのよ。6/16

 

世界最高級のヴァイオリニストとして内外の尊崇を浴びている彼だったが、いくつかの有名曲を絶対に手掛けないのは、それを弾くと、おのれが死んでしまうと知っているからだった。6/17

 

ここイランでは、ウイルスのワクチンの入手が困難なので、罹患しないよう、毎日アラーの神に祈っている次第だ。6/18

 

長針が12時にやって来た時に、しっかりつかまえたので、時計は無事に元に戻った。6/19

 

あまりにも地味な身なりの男なので、誰一人注目しなかったが、あにはからんや彼こそ真の予言者なのだった。6/20

 

家族全員が出かけて私しかいなかったとき、もう若くないピンクのラバースーツを纏った女がやってきて、「もうすぐ地球に大洪水が起こるから、これを買っといた方がいいですよ」と勧めたが、「わしはまたノのアの箱舟に乗るからいいや」と断った。6/21

 

わが社は、書体づくりをしている社員5名の超小企業だが、このたび明朝の新書体づくりの社内コンペを行ったところ、新入社員のモリサワ君が最高級の成績だった。6/22

 

マイナカードによるAI検索で、リベラルないしは反権力派と見做されると、直ちに警察の特殊部隊が派遣され、有無を言わさず検挙され、徹底的に拷問された挙句に抹殺されるのだった。6/23

 

獣皮のテントで開かれたバッロック音楽の演奏会に退屈したので、おらっちは一人で夜のジャングルの中に入っていったのよ。6/24

 

お母さんとセイユーで買い物している間、コウ君はお昼のお弁当を選んだり、アイスクリームを買ったり、トイレに入ったり、週刊誌を立ち読みしたりするので、けっこう忙しいのだ。6/25

 

泌尿器科の医師であるおらっちは、若い時から年が年中クラシック音楽、わけてもモザールをまるでBGⅯのように流し続けていたので、たまにコンサートで聞いても生々しいBGMとしか思えないのだった。6/26

 

もはや余命半年の旧態以前たる百貨店に勤めているおらっちだったが、そこは腐っても鯛、毎週のように立ち上げられる「なんたらフェア」や「きゃんたらセール」に忙殺される毎日だった。6/29

 

そろそろ実家暮らしをやめて町に戻ろうかと思いつつ、息子の姿を求めて2階を覗いてみたら、なんとなんとどの部屋にも彼の友人たちがグースカ、グースカと高らかに鼾をかきながら眠っているのだった。6/30

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉本隆明全集35「ならずもの国家異論」を読んで

2024-10-23 10:22:33 | Weblog

吉本隆明全集35「ならずもの国家異論」を読んで

 

照る日曇る日 第2118回

 

2004年に光文社から刊行されたアメリカによるイラク戦争、自衛隊の海外派兵、北朝鮮による拉致問題などを巡る「情況論」であるが、時の小泉政権のアメリカへの全面的追随政策に対する批判や核拡散防止条約の問題点などが指摘されています。

 

「憲法第9条の非戦条項は百数十万人の国民大衆の戦争死によって贖われた唯一の戦利品で、どの資本主義国にもどんな社会主義国にもない「超」先進的な世界認識だから、非戦の範囲をさらに拡大して、アメリカやロシアといった軍事大国だけでなく世界中の国家意思を変更させることを我が国の積極的な外交活動の目標とすべきだ」と強調していますが、いまどきの保守派のみならず全国民が傾聴すべき至言だと思います。

 

ひとしきりベルリン・フィルで笛吹いてしばらくしたら消えていくひと 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2024年神無月蝶人映画劇場 その5

2024-10-22 13:46:09 | Weblog

西暦2024年神無月蝶人映画劇場 その5

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3796~801

 

 

1)サッシャ・ギトリ監督の「とらんぷ譚」

ギトリが自らの小説を原作に楽しみながら主演した1936年の詐欺師三昧映画。

 

2)サッシャ・ギトリ監督の「あなたの目になりたい」

盲いた彫刻家とモデルの愛をギトリとその妻が演じた1943年の愛の物語。灯火管制下の巴里の舗道を小さな懐中電灯で照らしながら歩く。

 

3)サッシャ・ギトリ監督の「毒薬」

殺したいほど憎み合っていた夫婦が殺すか殺されるかの戦いを演じる1951年の皮肉な喜劇映画。

 

4)Ⅿ.パリエーロ監督の「欲望」

恋する男性と添い遂げようとした娼婦が、帰省した郷里で遭遇したあれやこれやの難題にとうとう不幸な結末を迎える1946年のイタリア映画。冒頭と結末のシーンの一致に注目。

 

5)アルベルト・ラトゥーダ監督の「ポー河の水車小屋」

水車小屋の娘と富農の息子との楽しい結婚噺のはずが、一転して資本家と労働者のゼネスト、警官隊の介入とストの敗北、そして卑劣漢の陰口に唆された単細胞男の暴力で潰える若い男女の恋……フェリーニの1949年の脚本はさすがだ。

 

6)ジョゼッペ・デ・サントス監督の「にがい米」

イタリア北部でもコメ造りが行われ多くの女性たちが季節労働に従事していたことが分かるから1949年のネオ・レアリズモ映画なのだろうか。それよりシルヴァーナ・マンガーノが惜しげもなく腋毛を晒すほうがそれだと思うのだが。

 

トランプの手下となりしイーロンのXを日々利用している 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九條今日子著「百年たったら帰っておいで」を読んで

2024-10-21 09:24:18 | Weblog

 

照る日曇る日 第2117回

 

不世出の創造者と行を伴にした著者が振り返った、かのめくるめく疾風怒濤の日々の思い出の数々。

 

妻と言い、プロデュサーと言っても、結局この人がいなければ寺山修司は寺山修司たり得なかったことがよく分かるし、彼もそのことはよく分かっていたのだろう。

 

あの頃は、みんな若くて無名で、みんな貧乏だけど、今から思うと到底実現不可能なことが、何故だか次々に可能になった、ある意味では夢のような時代だったのだ。

 

そんな時代の奇跡の記録としての価値も、この本は、持っていると思う。

 

考えるときには息が止まるので体に悪いと吉本は言う 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉長谷の光則寺にて「鎌倉彫天井画」展をみて

2024-10-20 10:07:18 | Weblog

鎌倉長谷の光則寺にて「鎌倉彫天井画」展をみて

 

蝶人物見遊山記第391回&鎌倉ちょっと不思議な物語第471回 

 

何年ぶりだか男百年ぶりだかの本堂公開の告知をテレビで何度もやっていたので、もはや何もやる気がない難儀な老躯をおしてやってきましたが、私らのような年寄りで門前市を成す行列。

 

秋なのに真夏日の直射日光に脳髄を直撃される不運を耐え忍びながら、その天井画を見物しましたが、鎌倉時代の鎌倉彫かと思っていたのに、2005年?出来の最近版とは片腹痛い。これで1人500円の観覧料は高すぎると、ぼやきながら本堂を出ました。

 

さりながらこの私の嫌いな日蓮宗のお寺は、昔から様々な植物があちこちに植えられ、訪れる人の目を楽しませてくれるのですが、おりしもワレモコウが紅い花をつけ、今は亡きジェーンバーキンをこのお寺に案内した日のことを思い出させてくれました。

 

本堂の上の急な坂道を登ったところに、昔日蓮の弟子、日朗上人が法難で閉じこめられた石牢がありましたが、大塔宮の護良親王の岩窟よりマシだと思いました。

 

原発を開発するてふアマゾンを毎日欠かさず利用している 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県立美術館鎌倉分館にて「ゴヤ版画戦争の惨禍」展をみて

2024-10-19 08:21:00 | Weblog

神奈川県立美術館鎌倉分館にて「ゴヤ版画戦争の惨禍」展をみて

 

蝶人物見遊山記第390回&鎌倉ちょっと不思議な物語第470回 

前半の「気まぐれ」に続く「戦争の惨禍」展は解説によれば3つのテーマに分かれている。2番から47番までは戦場の悲惨なあり様、48番から65番までは戦禍による飢えと貧窮、66番から最後の80番まではフェルナンド7世復位後の悪性への批判が描かれており、今も昔もちっとも変らぬ戦争のむごたらしさが、これでもかこれでもかと描かれる。

 

印象的なのは、その銅板を刻むタッチが鋭く、繊細かつ冷静なことだけではなく、画家の視点がある種の天上性と普遍性を帯びていることで、それは例えばスペインとフランス兵双方の残虐が等置され、兵士に強姦されるか弱い女性の画の隣に、被害者たる女性が侵略者たる兵士を手近な刃物などで殺害している画が並んでいる点によく表れているだろう。

 

敵も味方も他人を殺し、殺される有様は、さながら理性も論理も投げ捨てて蠢く動物の生きた地獄絵であり、それこそいま現在、ガザやウクライナやレバノンで起こっている殺人機械による人殺しの悪循環と同質のものだろう。

 

カナキンでは1985年にゴヤの全版画展を敢行したようだが、次回はその再現をお願いしたい。

 

傘寿過ぎ暗香浮動に聡くなり願いはひとつ朝夕安居 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉小町の鏑木清方記念美術館にて「日本画ができるまで」展をみて

2024-10-18 11:34:48 | Weblog

 

蝶人物見遊山記第389回&鎌倉ちょっと不思議な物語第469回 

 

「桜もみじ」「朝夕安居」などの作品を実例として鏑木清方の制作風景をみせてくれる今回の展覧会だが、スケッチ、小下図、大下図の流れの中で画家の制作意図そのものが微妙に変化していく微妙な道行が観察出来て興味深かった。

 

さりながら、清方の師は水野年方、その師は大蘇芳年であるが、弟子入りしたばかりの清方に芳年の画の模写をさせた年方が、いちいち採点しコメントを与えているのは、もっと興味深かった。

 

なお本展は来る10月22日まで同館にてしずかに開催ちう。

 

鎌倉の小町通りを闊歩する観光客を故なく憎む 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の肖像~親子の対話 その109

2024-10-17 13:04:42 | Weblog

家族の肖像~親子の対話 その109

 

2024年4月

 

ボク、オクラ好きですよ。

お母さんも。あしたオクラ食べようか?

 

「ようこそ」って、なに?

よくきてくれました、よ。

 

コウ君、アイちゃんが来るんだって。

ぼく、ウレシイですお。会いたいですお。

 

お父さん、ぼく平成16年「金八先生」みましたお。

へえー、そうなんだ。

 

お母さん、タイムアップって、なに?

時間だよ、ということよ。

 

お父さん、起きてください。

いま何時?

7時だお。

分かりましたあ。

下に降りてください。

はい、はい。

 

お父さん、大好きですお。

コウ君、ふきのとう舎で、なんかやったね。なにしたの?

分かりませんお。分かりませんお。

 

お母さん、記憶って、なに?

覚えていることよ。コウ君、なんでも覚えているね。

 

海の幸って、なあに?

海でとれるいいもののことよ。お魚とか。

 

モノレール、ジエットコースターみたいですよ。

そうですか。

そうですよ。

 

お父さん、黒柳徹子と石原さとみの番組撮ってくれた?

撮りましたよ。帰ってきたら一緒に観ようね。

 

―「虎に翼」をみながら妻が、

かっこいい!わたしもあんな生き方をしたかったなあ。

 

背に負いし障害者のその重みひと時なりと忘れさせる歌 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする