照る日曇る日第1472回
昨年の4月にアメリカで刊行され数々の文学賞を受賞した気鋭の閨秀?作家の短編集が、翻訳の小竹氏のアリス・マンローゆかりの目利きと肝いりで今年の8月に邦訳され、わたくしはそれをコロナ第2波終焉間近、第3波爆発寸前のこの国で読んでいるわけだが、そうじてまるで夢のような話ではある。
本書には「シュガー・ベイビーズ」以下「幽霊病」まで、表題作を含めて11の短編を収めているが、その登場人物の大半が、1986年に作者が生まれ、育ったコロラド州都デンバーの歴史と風土と空気感を色濃く反映している。
デンバーという名を聞けば、“驚異の薄型雑誌”「ポパイ」の編集長木滑良久氏がその創刊コンセプトを練った“爽風吹く高原の街”という洒落たイメージしかなかった愚かな私だが、この地の住民の3割は作者と同じヒスパニック系なのだそうだ。
しかもヒスパニックにも様々な階層があり、かれら同士、そして白人(アングロ)との経済的、社会的な格差や歴史的対立も複雑な様相をみせ、それらのぜんたいが、この高原都市に生きる住民の暮らしとカルチャーに深刻な苦悩と緊張をもたらしている。ようだ。
けれども作者の小説にとって、それらはあくまでも外在的な要素のひとつなのであって、彼女の分身としての、孤独な少女や愛に飢える人妻や聡明な老婆は、それらの外部から独立した“生きた内部生命”としてつよい光芒を放っている。
その光芒とは、暗黒の現在をなんとか凌いで、未来に向かってえんやこら押し上げていこうとする激烈なエネルギーであり、そこに私はアリス・マンロオやカーソン・マッカラーズにはない、若さの力を見るのである。
本書の3番目の短編は、不慮の事故で視力を失う娘の物語であるが、その題辞には「マルコ伝」の最も感動的な一節が掲げられており、この一事をもってしても、作者の恐るべき芸術創作力を推し量ることができるだろう。
―すると、盲人は見えるようになって、言った。
「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分ります。」
(マルコによる福音書8章24節 新共同訳)
スミシーとポーラがひしと抱き合えば「心の旅路」のラストでみな泣く 蝶人