あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2017年水無月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2017-06-30 09:30:03 | Weblog


ある晴れた日に 第456回


300万の血であがないし戦後日本を台無しにする安倍蚤糞

NHKは裕次郎が「国民最愛の男」というけれど全然そうは思わないな

どちらかといえば嫌いだったな裕次郎慎太郎よりはましだけど

裕次郎が日本人が最も愛した男という根拠がどこにあるのだNHK

監督もその他大勢のスタッフもみな世を去りし映画好まし

駆逐艦がコンテナ船に負けるとはあまりにもイージスな造りではないかいな

天安門めざす戦車にま向かいて両手を広げし青年いずこ

たまさかに夢に出てくる少年よ両手を広げて戦車を止める

人類が死滅するとも生き残るトランププーチン安倍蚤糞

1狂を軸に世界が廻るとき1強を軸に日本は廻る

1強を求めた民が生み出せし1狂いつしか1凶となる

凶暴な奴らが決めた共謀罪これが彼らの首を絞める

魚屋は死んだ魚を肉屋は死んだ動物を八百屋は死んだ植物を売る

「たとへ神に見放されても私は私自身を信じる」と潤一郎言いき

「お父さんお母さんが死んだらどうする」と聞けば「僕ホームで暮らします」と答える息子

不都合な真実には眼を瞑り手前味噌ばかり並べるトランプ

撫子の花をむしゃむしゃ食べる天道虫ぶちぶち潰せば手が臭くなる

迷いしが朝日歌壇に投稿す1枚残りし52円葉書

たかはしのけいすけさんがおすすめの「へろへろおじさん」はけいすけさんににている

その昔はがらがらだった江ノ電が観光客でいつも満員

その昔がらがらだった小町通り観光客でいつも満員

「ちょっと来い」呼ばれて初めて分かるだろう共謀罪の空恐ろしさ

歯が痛い歯が歯が痛いなお痛いこれは虫歯かそれとも心臓?

コンチェルトの演奏が終われば聴衆はアンコールを執拗にせがむ

寄付すればもっともっとせがみくる慈善団体の哀しき定め

蟻一匹見逃すなかれと命じられ監視カメラは瞬きもできない

アゲハチョウがトベラの蜜を吸っているなんの不思議もないけれど

チョコ喰えば歯がとろけるといわれたが全部とろける頃には死んでるだろう

忘れない忘れちゃいけない忘れない忘れてしまう忘れちゃいけない


 救急車まで運ばれてゆく担架あり息をひそめて物陰より見る 蝶人



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ゲオルク・ショルティの「ワーグナーオペラ集全36枚組CD」を聴いて

2017-06-29 11:36:56 | Weblog


音楽千夜一夜第393回



ゲオルク・ショルティ(1912-1997)はハンガリー生まれの指揮者です。後年は英国に住んでロイヤルオペラの総監督を務めたので、女王陛下から称号を賜り、かの国ではサー・ジョージ・ショルティと呼びならわされていました。
彼はリスト音楽院でピアノ、作曲、指揮を学びましたが、1942年にはジュネーブ国際コンクールのピアノ部門で優勝し、名ピアニスト兼指揮者として国際的に活躍するようになりました。
私は80年代の初めにNYのカーネギーホールで彼が手兵のシカゴ交響楽団を振ったショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴きましたが、文字通り血沸き肉踊る、唐竹を真っ向真っ二つに割ったような豪快な演奏でした。
おそらくマジャールの血を引いているのでしょう、その精力的な顔つきと、その特異な風貌にふさわしいエネルギッシュな指揮ぶりは、どんな凡庸なオーケストラをも激しく鼓舞して、その最善最高の演奏を引き出していくのです。
シカゴ響を世界最高のオケのひとつに育てたショルティは、そのように指揮も見るからに精力的でしたが、あちらのほうもお盛んで、ある日曜日に自宅にインタビューに来た30歳以上年下の美しいBBCの女子アナ、ヴァレリー・ピッツ嬢と一目ぼれで再婚し、たちまち可愛い子をなしたのでした。
そんなショルティの代表的な録音といえば、有名なマーラーの交響曲全集もさることながら、やはりステレオ初期の1958年に、有名な名プロデューサー、ジョン・カルショー率いるデッカのチームによって録音されたワーグナーの「ニーベルングの指輪」全曲にとどめをさすでしょう。
世界的にはトランプ、日本的には安倍蚤糞という史上最悪の暗愚指導者が、世界と日本を滅茶苦茶にしている今月今夜の音楽の慰めとして、最もふさわしいのは、その「指輪」の終曲「神々の黄昏」でありましょう。
「ジークフリートの葬送曲」が流れる中、ブリュンフィルデの放った火は、神々の居城に燃え移り、主神ヴォータンも、えせ指導者のトランプも、その愚かな忠犬安倍蚤糞も焼け死んでしまいます。
天下一品のウィーンフィルのオケの咆哮をものともしないジークフリートのヴォルフガング・ヴィントガッセン、ブリュンフィルデのビルギット・ニルソンの絶唱は、文字通り歴史的名演奏と申せましょう。
なおこの36枚組CDには、「指輪」のほかにウィーンフィルによる「トリスタンとイゾルデ」、「ローエングリーン」、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」、「タンホイザー」、シカゴ響による「さまよえるオランダ人」も収められ、鉄人ショルティによる鉄壁28号な演奏を楽しむことができます。
  https://www.youtube.com/watch?v=qFfILe7GGyE




  どちらかといえば嫌いだったな裕次郎慎太郎よりはましだけど 蝶人
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ジョニー・デップはどうもあんまり

2017-06-28 10:50:48 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1204、1205



○ジョン・バダム監督の「ニック・オブ・タイム」をみて

娘を人質に取られ州知事候補を暗殺せよと脅迫された主人公の苦悩と大活躍を描いたサスペンスもの。親切な靴屋のマルチンが助けてくれなかったらどうなっていたことか。主役のジョニー・デップに存在感はなし。


○フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の「ツーリスト」をみて

ジョニー・デップの存在感はゼロで、ただただアンジェリーナ・ジョリーの顔で持っている映画。そしてそのど派手な顔がわが浅丘ルリ子と瓜二つであることに驚かされる。
映画の主題である大取りものはどうでもいいが、珍しくヴェネチアの街が魅力的に撮られている。しかしなんと長ったらしい監督の名前だろう。


「お父さんお母さんが死んだらどうする」と聞けば「僕ホームで暮らします」と答える息子 蝶人


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島田雅彦著「カタストロフ・マニア」を読んで

2017-06-27 11:46:23 | Weblog


照る日曇る日 第974回

「新潮」におよそ1年間連載されたものを推敲して完成されたああ堂々の近未来SF小説です。

才智にたけた悪者たちが、いまや大流行の最新型量子コンピューターやら超絶的人工知能を駆使して、爆発する地球人口を抑制するために、致死性のウイルスを全世界にばらまいてバンデミック・カタストロフを引き起こす。

無駄に?増殖した弱者貧民を一挙に絶滅させ、一握りの富者、知的優性階級を地下シェルター内に冬眠させ、「ボーン・アゲイン」、新たな人類再生を図ろうとする、いわゆるひとつの箱舟物語である。

その内容は昨今の社会的、政治的情勢や、「黎明期の母」あるいはゴッドマザー、人工知能をはじめとする最新の生命科学や工学技術、生物学、環境問題への考察、さらには現代人の宗教・哲学観、地球と人類の未来への洞察までを九重部屋のちゃんこ鍋の中に放り込んでぐつぐつ煮込んだ百花繚乱、百家争鳴の趣を呈し、さてそのおとしまえはどうつけけるのか、とちょいと心配になります。

しかしさすがは断トツインテリゲンチャン島田選手、やかましく泣き喚くマーラーの交響曲第11番!?のディオニソス的状況を鮮やかに止揚して、あわてずさわがずベートーヴェンの第9交響曲的晴朗アポロン世界へと読者を導くのでしたあ。

みんなさまなんおことやらさっぱりわからんでしょうが、案ずるより読むが速し。島田選手1流の知的で洗練された全体小説をお試しあれ。


  寄付すればもっともっとせがみくる慈善団体の哀しき定め 蝶人


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夢は第2の人生である 第43回 

2017-06-26 10:30:52 | Weblog
夢は第2の人生である 第43回 
 
西暦2016年水無月蝶人酔生夢死幾百夜


幻の歌舞伎の蘇演で、私は主役を演じていた。公演が進むにつれて、毎晩異なる死者がどんどん甦ってくるという副産物があって楽しみだったが、今夜は舞台に超珍しい黒い蛾が飛んで来たので、新種発見を確信した私は、舞台はそっちのけでそれを追いかけた。6/1

以前から私は、どうも前世で一人殺しているような気がしていたのだが、前々世でもすでに一人を殺しているようなので、戦慄した。6/2

僕は、その狭い空間に彼女が入ってきたとき、僕にどうされてもいいと彼女が思っていたことを分かっていたが、なぜかその権利を行使する気にはなれなかった。6/3

10人の乙女の真ん中の雄蕊のところにいると、五月蠅くて煩くて敵わなかったが、私は「なるほどこれが百花斉放百家争鳴というやつか」と腑に落ちた。6/4

エンドウ君が九州支店でトランプ販売を命じられて途方に暮れているというので、とっておきのアイデアをメモしておいたら、なんと社長のヤギがこっそり盗みだしてしまったようだ。6/4

まだきわめて少数のファンしかいない、超マイナーなパンクバンドなのに、とち狂ったマネージャーが、ぬあんと武道館を押さえてしまったので、私らは、ほとんど無人のだだっぴろい会場で、やけくその演奏を続けていた。6/5

苦節半世紀、ついに反重力無軌道玉乗りマシーンが完成した。これにまたがると、重力に逆らって自由自在に玉乗りが出来るので、世界中のサーカス団から引き合いが殺到し、開発者の私は、嬉しい悲鳴を上げていた。6/6

よく見ると田のクロの部分に、巨大なお萩が並んでいた。我われは、知らんぷりをして田のクロを何回もぐるぐる回っていたのだが、たまりかねた誰かが喰らいつくと、みなそれに倣ったが、私は泥だらけのお萩を口にする勇気がなかったので、黙ってその光景を眺めていた。6/7

若くして新社長になったアベに会見を申し込んだ私は、大阪の居酒屋に招かれた。そこで私は、さてどうやって彼奴を料理してやろうかと思案しながら、公衆便所の入り口に似た地下に降りてゆく入口を潜った。6/8

ミレーヌ・ドモンジョは、死んだ蝶のような目で、私を見つめた。6/9

さとうさんに連れられて東中野に行くと、メリーゴーランドがぐるぐる回っていた。輪っかの上下2段の上には、ビールやワインや酒類が、下にはコップなどの容器が収納されていた。下戸の私が湯呑を取り出そうとしていると、さとうさんは「これからは毎晩東中野ですが、宜しいですか」とのたもうた。6/10

サッカーの大事な試合に出場している。1点取って先行していたが、たちまち同点に追いつかれてしまい、チームには動揺が広がった。そこで、往年の名選手たちの精霊を競技場の上空に呼び出して勝利を祈願したら、終了間際に待望の勝ち越し点が入った。6/12

国法を犯したとかいう重大な罪で、すでに課長は割腹自殺を遂げ、部下の桐野もそのあとを追ったので、私も自分を亡き者にしたほうがよいのではないかと一応は思うのだが、いったい全体、どうしてそんなことをしなければならないのか、てんで呑みこめないのだ。6/13

恐ろしく透明な海の中には、いままで見たこともない美しい海藻の間を、見たこともない美しい魚の大群がすいすい泳いでいた。そのおばあさんは、「どうやすごいやろ。こんな立派な海藻や魚は、世界中でここにしかないんやで」と、私に向かって自慢した。6/14

田中君は「ここは最高だよ!」と自慢しながら、私を青山の裏通りの隠れレストランに案内してくれたのだが、そのコンソメスープの不味さには閉口した。6/15

久しぶりに自分の足を使って歩いてみると、たのしくてうれしくて、涙がこぼれるような思いで山を下った。6/16

その作家の唯一の貴重な作品集全一巻をむかし読んだことをすっかり忘れていた私だったが、いままたそれを読みだしても、ちんぷんかんぷんなので、たまたまそこに寝そべっていたその作家に問いただしたのだが、それでもさっぱり意味が分からない。6/17

私はいつの間にか孝壽君になってベッドに横たわっていると、看護婦がいきなり鼻の奥にプラスティックの細い棒を突っ込んで掻きまわしたので、驚きと激痛でのた打ち回ったのだが、彼女は平然としていた。6/18

山に遊びに行って樹と樹をつなぐブランコに乗り、「せいの!」で漕ぎだして真ん中でドッキングしたら、お互いに猿のように興奮してやみつきとなり、いつ果てることなく何度も何度も交合したのだった。6/19

私が何十何も前から記録していた夢日記を朗読してくれ、と頼まれたので、ゆるやかに回転する回り灯篭の前に立って、そこに投影される草書体の文字を、おぼつかなげに読みあげた。6/20

私は、その物をずっと追っかけていたのだが、そのうちに、だんだんその物に、背後から追われているような気持ちになってきた。6/21

僕らはやっとの思いでその理想的な会場を借りることが出来て、「さあいよいよ明日から展覧会だ」と張り切っているのだが、スタッフが全員素人のボランティアばかりなので、まるで準備がはかどらず、焦りに焦っていた。6/23

敵に刺されて瀕死の重傷を負いながら、ようやっと御城下にスンダ餅を運び入れることに成功した忍者は、難儀な任務を終えた安堵感からウトウトしていた。6/24

青年がハーレイ・ダビッドソンに乗って登場すると、そのまわりを無数の赤毛の狗たちが取り囲み、ブンブンという排気音に合わせてワンワンと啼き叫んだ。6/24

それにしても、もうすぐ蒲田のはずなのに、道が真っ暗で、何も見えない。6/25

中野町のおばさんから借りた本を返そうと思って、遮二無二に自転車を飛ばすのだが、なかなか着かない。地下道を出て階段を登り、広場に出ると、大勢の人々でいっぱいだった。6/25

私が本番に備えてベートーヴェンの「第9」を練習していると、見知らぬ若者が燕尾服に着替えている。「君はここに何をしに来たんだ」と尋ねると、「今日の演奏会の後半がベートーヴェンの8番なので、私は前半に2番を振れといわれました」と答えたので、私は驚いた。6/26

プレス費は商品貸出関連だけの支出のはずなのに、マスゾエ嬢は、お菓子や化粧品や本代や旅行費や、要するに、なんでもかんでも自分が欲しいと思う物をジャカスカ購入しはじめたので、みな唖然とした。6/27

軍の本体は1キロ先だというので、午後11時になってから闇の中を懸命に後を追ったのだが、いつまでたっても追い付かない。その差はどんどん開いていくようなので、私は焦った。6/27

地中海のリゾート地を歩いていたら、見知らぬ誰かが「別荘にいらっしゃい」と招待してくれたので、そこを訪れたのだが、生憎主人が不在で、黒人の大男が、「ここにあるものは何でも持ってけ」と押しつけるので困ってしまった。6/28

野盗の襲撃をかろうじて逃げのびたものの、家も財産も丸焼けになって無一物の哀れな私たちだったが、親切な村人たちに励まされ、「もういちどゼロから再出発しよう」と決意した。6/29

この南の島では、とにかく鳥が人をまったく懼れない。私が左右の手で、雀に似た金色の小鳥を捕まえると、小さいのが、大きい奴の口の中の小さな虫を上手にくちばしでつまみだして、美味しそうに食べるのだった。6/29


    迷いしが朝日歌壇に投稿す1枚残りし52円葉書 蝶人




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たまにはむかしの邦画を

2017-06-25 10:26:43 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1200、1201、1202、1203



○松田定次監督の「赤穂浪士」
大仏次郎の原作を早撮り名人の松田がはじめは処女の如く終わりは脱兎の如く映画化。あんまり大勢のスタアがとっかえひっかえ出入りするので、結局どういうことだったのか何も覚えていないずら。

○高畑勲監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」
多摩ニュータウンの建設に反対するタヌキたちの懸命の反対運動の顛末を描く1994年製作のスタジオジブリ作品。急成長する都市と追いつめられる自然の対立という古典的な図式がこの時点では喫緊のテーマとして共有されていたことがわかる。

○山田洋次監督の「武士の一分」
藤沢周平の原作を山田洋次が二〇〇六年に映画化したが、敵役で出演している坂東三津五郎の雄姿をみていると、その早すぎた死が惜しまれる。ヒロインの壇れい、ヴェテランの笹野好史が好演しているが主役はキムタクではない役者で見たかった。

○黒澤明監督の「八月の狂詩曲」
長崎原爆を巡る日米摩擦、老人問題、認知症など大きな問題を内包した黒澤の異色作。けれでもその重すぎるテーマにはあまり踏み込むことなく、全編のハイライトたるシューベルトの(「童は見たり野中の薔薇」と唄い出される)「野ばら」で覆われているのはミソである。
しかし黒澤の演出は不自然で、子供たちの演技もわざとらしい。


  300万の血であがないし戦後日本を台無しにする安倍蚤糞 蝶人


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超高層ビルが出てくる映画2本

2017-06-24 14:54:24 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1198、1199



○スティーヴ・カーヴァー監督の「超高層プロフェッショナル」をみて

超高層ビルのパニックもの映画は多いが、これはめずらしや鉄骨構造の高層ビルの建設をめぐる業者の対立を描く。限定された期間に何階かを積み上げなければ仕事を取られてしまうという絶体絶命の危機をヘリが解決するのだが、あんなにうまく取り付けられるんだろうか?

ジェニファー・オニールがかわいいが、彼女ってあまり多くの映画に出ていないんだな。



○ブラッド・バード監督の「ミッション・インポッシブル・ゴースト・プロトコル」をみて

例によって例の如くトム・クルーズが天下無敵の大活躍。しかし実際に発射されている核搭載のミサイルを秋秒前に不発に終わらせることなんてできるもんかいな。映画とはいえ甚だ疑問ずら。

それともひとつ、ドバイの世界一の超高層ビルに砂嵐が襲ってくるってほんまかいな。


   天安門めざす戦車にま向かいて両手を広げし青年いずこ 蝶人
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嵐山光三郎著「芭蕉という修羅」を読んで

2017-06-23 11:25:35 | Weblog


照る日曇る日 第973回


芭蕉を、俳諧の永久革命者、幕府の隠密、凄腕の水道工事専門家という角度から考察する嵐山芭蕉論の総決算で、随所に卓論卓説がちりばめられている。

たとえば「古池や蛙飛び込む水の音」であるが、普段カエルは飛び込まない。猫や蛇に襲われるような緊急時に限って飛び込む、と著者は観察結果を披露し、この句にはあの「八百屋お七大火」で類焼した芭蕉庵から、目の前の小名木川に命からがら飛び込んだ芭蕉自身の死に損った災害体験が反映されている、というのである。

名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の主役はセミであるが、その鳴き声の中に若き日に近習役として仕えた主君であり、俳諧の恩師でもある蝉吟(25歳で病没した藤堂良忠)の声を聞いている、と著者は言う。「情景描写の句が、主君への絶唱となった」のである。

芭蕉は、幕府から日光東照宮大修理を命じられた幕府最大の主要敵、仙台藩に対する偵察を命じられ、念願の東北旅行を果たす。そんなナマ臭い渡世の生業の痕跡をことごとく抹消しつつ改稿を加え、帰還5年後に完成された「おくのほそ道」は、近世文芸史上燦然と輝く句文融合の優品となった。

神祇・釈教・恋・羇旅・無常・述壊という流れで構成する歌仙形式は、斬新な文学的挑戦であり、「不易流行」の俳諧的実践でもあった、と著者は説く。

それはいいが、「芭蕉という修羅」なるタイトルは、いかがなものだろう。
古来修羅を搔い潜ってきたのは、ひとり芭蕉だけではない。明日をも知れぬ平成の世紀末を生きる我々すべてが、彼と同じような、あるいはもっと過酷な修羅を生きつつあるのではないだろうか。


   たまさかに夢に出てくる少年よ両手を広げて戦車を止める 蝶人
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由良川狂詩曲~連載第13回

2017-06-22 11:12:19 | Weblog


第5章 魚たちの饗宴~綾部大橋
                    

―――そして、あれから3年。
いまふたたびケンちゃんは、寺山の山頂に立って、由良川を眺めています。
寺山に向かって、南をめざして真っすぐ流れてきた由良川は、寺山の麓で90度向きを変え、西に向かってゆるやかに曲がっていきます。

右折して1キロほど下流へ行ったところに綾部大橋がかかり、その橋げたのたもとには、いつも大きなコイやフナがゆったりと泳いでいます。
ケンちゃんがウナギを生け捕りにした井堰はその大橋から50メートル下流で、幅70メートルの大河がせき止められて苦悶する地響きのような唸り声は、もちろんここ寺山の頂上までは伝わってきません。
井堰からそう遠くない場所にあるてらこの屋根も、小さく左手に小さく見えています。
ほら、露台の上に登ったおばあちゃんが、鉢植えのサボテンに水をやっているのが見えるでしょう。

このいつも変らぬ懐かしい風景を眺めているうちに、、ウナギのQちゃんの訴えが錐のように鋭く突き刺さりました。

――そうだ、一刻も早く悪い奴らを退治しなくちゃ。

ケンちゃんはせっかく登ったばかりの寺山をいっきに駆け下り、てらこまでフルスピードで戻ってくると、お店の入り口のところに置いてある自転車に飛び乗って綾部大橋まで全速力でペダルを踏み続けたのでした。

由良川を眼下に一望する大橋に立ったケンちゃんは広い水面いっぱいに太陽を受け、ギラギラと輝く大河をじっとにらみつけました。

――この川のどこかに奴らがいるんだ。でもどうやって奴らを発見したらいいんだろう。
それより、いったい奴らって何者なんだ?ま、いいや。とりあえず水に入って敵情視察といこう。

ケンちゃんは、あっという間にパンツいっちょうになると、スニーカーをはいたまま、綾部大橋の欄干のてっぺんまでするすると猿のように登りつめ、エイヤっと気合もろとも10メートル下の清流めがけて飛び込みました。

ドッボーーン!

体のまわりに次々にラムネのようにおいしそうな泡が、一斉に舞い上がります。
冷たい水の底からゆっくりと浮上してきたケンちゃんは、抜き手を切ってすいすい泳いでゆきます。
川の中ほどまで進むと、ケンちゃんは大きく胸いっぱいに空気をすいこみ、ついでに由良川の水もがぶりと飲み込んでから、潜水に移りました。

緑色のキンゴモが茂っているところを、おお気色悪いなあ、とゴボゴボ言いながら通り過ぎ、さらに深く深く5メートルほど潜っていくと急に水温が下がり、どんどん光量が減っていきます。
深みから水面の方向を見上げれば、お日様が何かに腹を立てているのか、それとも何者かに怯えているのか、ぶるぶる震えながら大きくなり、小さくなったりしながら、点滅しているのが見えました。
ケンちゃんは、さらに深く潜ります。潜りながら上流へ上流へと泳いでゆきます。
川ははじめのうちは冷たかったけれど、だんだん暖かくなってきました。まわりの様子がくっきりと見えます。

川底の岩や小さな石の傍らにへばりついてエサをあさっている小心者のヨシノボリが、上眼づかいに未知の侵入者を心配そうに見守っています。
下くちびるをとがらせたムギックが、不機嫌そうにチエッと舌うちをしています。
赤紫色のギギが、その近所では20センチくらいの黒紫色のナマズがひげをピクピク動かしながら、お互いに寄り添うようにして泳いでいます。
ギギの背びれや胸びれに触るとひどいめにあいますから、注意しましょうね。

気がつくと、いつの間にかケンちゃんの右隣りをすました顔して泳いでいるのは、35センチくらいのコイでした。
ケンちゃんを感情のまるでない左目でちらと眺め、スイと先に行ってから、ちょっと後ろを振り返り、尾ひれをひらひら動かしたのは「ついて来い」という合図でしょうか。

ケンちゃんは、コイのあとをつけて、ゆっくり平泳ぎでおよいでいきました。
すると不意に、いままでついそこを泳いでいたコイの姿が、見えなくなってしまいました。
ケンちゃんは、息をとめてデングリガエリをしたりながら、キョロキョロとコイの行方を探し求めました。

あ、いたいた。

コイは、本流をかなりはずれて川岸の方へ向っています。
いつの間にか川底にゴロゴロ横たわっていた巨岩が少なくなり、いろんな形をした小石に変わっているようです。
砂の色も濃茶から次第にうすい黄土色に近づいてきました。
もうちょっとで由良川の左岸にすれすれのところ、水深2メートルくらいのところまでやってきたときでした。
突然ケンちゃんは、コイが高飛び込みをやるような姿勢で深いほら穴の中へ消えてゆくのを目撃しました。

ためらわずケンちゃんも、あとに続いてその穴に潜り込みました。
およそ千畳間くらいの広さだったでしょうか。その大きなほら穴は……
不思議なことに天井のどこからまばゆいカクテル光線が縞模様になってふりそそぐその穴の底には、見渡す限り由良川の魚という魚たちが、熱海のハトヤの大宴会場のように長方形に整然と座りこみ、プランクトン醸造酒でグビグビと1杯やったり、「ポスト・ポスト構造主義以降の哲学上の諸問題」を青筋立てて論じ合ったり、飲みかつ食い、食いかつ論ずる思い思いの円卓の大饗宴をやっている最中でした。

フナ、コイ、ウナギ、ハヤ、アユ、ナマズ、ギギ、ドジョウ、ヨシノボリ、ドンコ、カワヤツメ……その数は何千か何万かめのこ算で勘定することすらできそうにありません。
だってみんな三々五々忙しく動き回っているんですもの。
こんなにたくさんの淡水魚を一堂に集めた水族館なんて世界中探してもどこにもないでしょう。
よく見るとQちゃんくらいの大きさのウナギもいましたが、Qちゃんの姿は見当たりません。いまごろは津軽海峡のあたりを通過しているのでしょうか?

千畳敷のアクロポリスのような大広間を、大声をあげて叫びながら、さしつさされつ、立ち座りつ、思い思いに遊泳していた魚たちの間から、黒い大きな影が浮かび上がりました。見るとサチュロスのように立派でちょっとユーモラスな風采をした一匹の巨大なタウナギが、ゆらゆら立ち泳ぎしながら全員に静粛を求めています。

「レディーズ アンド ジェントルメン。ビー・クワイエット、プリーズ!」

それでも知らん顔して大騒ぎしているみんなの方を振り向いて、

「シー、シー、静かにするんだあ、静かにせんかあ」

と、ナマズおやじが怒鳴りました。


 NHKは裕次郎が「国民最愛の男」というけれど少なくとも俺なんか愛していないね 蝶人

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国立劇場で歌舞伎18番の内の「毛抜」をみて

2017-06-21 17:46:38 | Weblog

蝶人物見遊山記第249回



朝のNHKの天気予報では「災害を引き起こすかも知れない風雨が予測される」などと脅かしていましたが、それほどでもなさそうなので半蔵門で「毛抜」の小野春道館の場1幕を見物してきました。
これは悪者が磁石を犯罪の小道具に使うという世にも不思議な物語で、その難事件をまるでポワロやホームズ、いやそれ以上の推理と行動力でずびずば解決していく名探偵粂寺弾正(中村錦之助)の明朗闊達なキャラクターと黄色い脳細胞の冴えかえりが素晴らしい。
安倍蚤糞に菅官房長官を足して2で割ったような悪家老、八剣玄蕃が巨大磁石を持った萩生田某のような部下を天井に潜ませ、嫁入り前の姫君の頭髪を逆立てて縁談を壊そうとするのですが、なんと名探偵は、たまたま持ち合わせた鉄製の毛抜は宙に浮くけれど、銀の煙管は静止していることから見抜いてしまうのです。
まるで平賀源内みたい。江戸時代にもこんな科学的な知見を持つ凄い人材がいたのですね。
中村錦之助は声も演技も自信に充ち溢れ、襲名前とは見違えるようです。
こういう中堅どころながら健康で正統的な芝居をきちんと見せる役者に比べると松本幸四郎とか中村吉衛門のような妙なエリート意識にとらわれ、自分に酔っているようなキザな役者が病的な畸形に見えてくるから妙なものです。
なお本日は前座に中村隼人選手による「歌舞伎のみかた」の手際のよい解説がありました。彼は「毛抜」の本舞台の秦秀太郎役では、さしたる印象をとどめなかったのですが、若い女性にものすごく人気があるので驚きました。


 歯が痛い歯が歯が痛いなお痛いこれは虫歯かそれとも心臓? 蝶人
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よしなしこと

2017-06-20 14:17:39 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 253


強暴なる共謀罪を違法通過させたり、森友、加計学園で見ざる聞かざる言わざるのご意向忖度政治を強行したために、さすがの産経読売ファシスト新聞の世論調査でさえも内閣支持率が低落したらしい。

慶賀すべきか、はたまた遅すぎる、鈍すぎると面罵すべきか、いささか迷うところだが、どうせ煮ても焼いても食えないこの国の「大衆の原像」は、75日も経てば元の木阿弥の自堕落権力奴隷状態に戻ることだろう。

安倍蚤糞や官房長官のカンのけたくその悪い悪人顔が出てくるたびに、テレビのチャンネルを変えると、宮根やとか時事通信のオオダヌキとかフジテレビの子タヌキとかが顔を出すので吐き気がする。

そこで生方ななえ嬢の麗しきかんばせとか、火野正平のチャリンコ番組、朝ドラ再放送の「こころ」をみるのだが、するてえといっぺんに心が安らぐのはなぜだろう。

「こころ」は耕君の好きなさっちゃん(黒川智花)が出る浅草の鰻屋を舞台にした人情ドラマだが、吉俣良の音楽とスチールつなぎのタイトルがよろしい。同じ朝ドラの「ひよっこ」の桑田選手やテレ朝&国際放映の「やすらぎの郷」の中島みゆきはどもケタタマシクテかなわん。でも「ひよっこ」は増田明美のナレーションが素晴らしい。

「やすらぎの郷」は、倉本聡が最初はあのフジテレビに売り込んだそうだが断られたらしい。いかにも時流に乗り損ねた腐れ局らしい対応であるなあ。
わたくしと同様すでに棺桶に片足を踏み入れた後期高齢者が陸続と登場して、若き日の思い出にふけったり後悔したり、滑稽ないがみ合いを演じたりするという、おそらくはヴェルディの「音楽家のための憩いの家」を参考にした企画はそれなりに面白いが、いかんせん演出の切れ味が鈍い。

それと頑迷な愛煙家の倉本は、主役の石坂浩二をはじめ出演者の多くにやたら煙草を強要しているようだが、これはいかがなものか。煙草を呑まない石坂は、仕方なく喉まで吸引しないで吐き出して抵抗しているようだが、いまどき自他を破壊してやまない毒物を演出の小道具に使わなくてもよろしいのでは。

残念ながら野際陽子さんは亡くなられたが、これからもテレビや銀幕から遠ざかっている老俳優をじゃかすか登場させて、国民的死土産を作りまくってほしいものです。


  監督もその他大勢のスタッフもみな世を去りし映画好まし 蝶人

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なんの共通点もない映画3本立て

2017-06-19 10:11:46 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1195、1196、1197


○サーシャ・ガヴァシ監督の「ヒッチコック」をみて

「サイコ」撮影前後のヒッチコック夫妻の公私生活を描いたドキュメンタリー風映画だが、肝心の主役のアンソニー・ホプキンスがヒッチにてんで似ていないので映画になっていない。しかし妻のアルマの複雑な動向をはじめ、当時のヒッチの舞台裏が窺い知れるという点ではじつに興味深い。


○ジョン・フォード監督の「ドノバン珊瑚礁」をみて

フォードとウェインが最後に共演した1963年製作の海洋冒険ラブコメディだが、女性や中国人や日本人に対する軽侮が時折顔を覗かせているので、恋愛喜劇というても軽々に楽しめない奇妙な映画である。しかしリー・マーヴィンはいいなあ。


○ブレット・ラトナー監督の「ペントハウス」をみて

ペントハウスに住む大富豪にちょろまかされた年金を取り返そうと大騒ぎする映画だが、あまり面白くない。いま日本でも国が年金を元手に相場をやって大損したりしているが、とんでもない話だ。
11月の第4木曜日行われるメーシーズ・サンクスギビング・デイ・パレードが出てきて懐かしかった。NYで偶々遭遇したときこれはいったいどういう行進かてんで分からなかったものだ。

  駆逐艦がコンテナ船に負けるとはあまりにもイージスな造りではないかいな 蝶人


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潜水艦映画3本立て!

2017-06-18 10:19:57 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1192、1193、1194



○ディック・パウエル監督の「眼下の敵」をみて

米駆逐艦のロバート・ミッチャムと独Uボートのクルト・ユルゲンスの息詰まる対決は見ごたえ十分。特に初めて相まみえた2人が敬礼するところは感動的である。

冷酷無残な国家間戦争を人間対人間の友情ある闘争に書き換えた点では、ちょっと甘すぎるのでは、と鼻白むが、まあそおゆうゆとりのある時代の産物だったともいえよう。

これ以降の潜水艦物は、「きっと次もロープを投げるさ」という甘い台詞で映画を終わらせることの出来ないもっと非人間的な次元に突入していく。


○「レッド・オクトーバーを追え!」
これは原作の方がリアルに書いてあったが、やはり潜水艦もの映画に駄作なしのことわざどおりの結果を生んでいる。迫りくる魚雷にあえて激突するとまだ点火されていなかったので無事に済むなんて実際にありうる話なのだろうか。
しかしプーチン独裁のロシアに絶望してトランプ爆裁下のアメリカに亡命する原潜艦長はいるのだろうか?


○トニー・スコット監督の「クリムゾン・タイド」をみて

米原潜「アリゾナ」における頑迷な艦長ジーン・ハックマンと理知的な副長デンゼル・ワシントンの対決を描く波乱万丈の潜水艦物ずら。

昔は核ミサイル発射の権限を艦長が握っていたからこういうドラマが成立したが、今は大統領が決断する。ハックマンも問題あるが、トランプの方がもっとヤバイのではなかろうか。

兄のリドリー・スコットは健在だというに、本作の監督で実弟のトニー・スコットは2012年に飛び降り自殺してしまったそうだ。


 チョコ喰えば歯がとろけるといわれたが全部とろける頃には死んでるだろう 蝶人

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河出版・池澤編「日本文学全集27近現代作家集Ⅱ」を読んで

2017-06-17 10:35:56 | Weblog


照る日曇る日 第972回

今全集の編者は、昭和10年代から40年代にかけて書かれた20の短い作品をその時系列でならべて、この国の近現代文学の成果を照らし出そうとしているが、時系列などはまあどうでもよい話で、冒頭の武田泰淳の「汝の母を!」などやはり凄いものは凄いなあと頭を垂れるほかはない。

これは作家が中国で従軍したおりの実体験で、スパイと疑われた母と息子を兵の監視のもとで性交すれば命を助けてやると偽り、彼らがそれを果たしたにもかかわらず焼き殺してしまうという、神仏をも恐れぬ非道で残酷な話なのだが、作者が母子に成り変ってモノローグを記すとき、それが単なる日本軍の蛮行の記録を超えた神話的な光芒を放っている。

長谷川四郎の「駐留軍演芸大会」に続く里見弴の「いとおとこ」はブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜された山本五十六の死のある日の挿話であるが、花柳界の女主人公の魅力が生き生きと描かれ、里見弴ってこんな見事な小説を書く人だったのかと驚嘆のほかはない。

その他、太宰治の「ヴィヨンの妻」は言うまでもないが、安岡章太郎の「質屋の女房」、中野重治の「五勺の酒」、、井上ひさし「父と暮らせば」、井伏鱒二「白毛」、吉行淳之介「鳥獣虫魚」、久保田万太郎「三の酉」、川端康成「片腕」など、死ぬまでにどうしても読んでおきたい名品が続々登場する見逃せない一冊である。


  魚屋は死んだ魚を肉屋は死んだ動物を八百屋は死んだ植物を売る 蝶人

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西暦2017年2月17日の午前中に、神奈川県の大和市で言うべくして、とうとう言えへんかったことども

2017-06-16 11:49:46 | Weblog


ある晴れた日に第455回&これでも詩かよ 第212番


まだ春には遠いある朝、神奈川県大和市保健福祉センターで開催された県央福祉会の第6回人権委員会に出席したら、理事長はんが、開口一番、『津久井やまゆり事件は「施設から地域」運動の千載一遇の大チャンスです』なぞと、のたまうやんか。

おいおい、ちょと待ってくれ。それは問題のすり替えとちゃうか。
あれは19人も人を殺したっちゅう、戦後最大の大量殺人事件やで。
そのうえ、その19人ちゅうのんは、みんな最重度の障がい者ばっかりや。
かてて加えて、その大犯罪を犯したんは、つい最近まであんたたちの同僚として働いていた福祉介護士やないか。

いちばん障がい者を理解し、障がい者の味方であるべきはずの介護者が、無抵抗の障がい者を次々に血祭りにあげる。いわば自分の身内から、とんでもない裏切り者が出たようなもんやないか。だからこそ、みんなあ大きな衝撃を受けてるんとちゃいますか。

それやのに『津久井屋やまゆり事件は「施設から地域」運動の千載一遇の大チャンスです』とはなに? 
もちろん最重度の障がい者ちゅうても、施設に幽閉して世間の風に当てへんのは、本人のためにもならへんし、出来るだけ門の外に出したほうがええに決まっとる。

障がい者を施設内に固定せず、地域で暮らせるようにすんのは、大変結構なこっちゃ。
しゃあけんど、それにも限度がある。
一人では身動きできない重度の障がい者のための介護施設は、今までも必要やったし、これからも必要やろう。

事件後の親たちが、現在と同じ機能を持った施設の再建を求めてんのは当然。そのうえで神奈川県や国に対しては、障がい者福祉へのさらなる注力と施設やホームの増設を要求するべきとちゃいまっか。

それよりも理事長はんが、いますぐにやらんといかんこと。
おこがましいけど、それは身内の職員の動揺を速やかに押さえ、再び障がい者に対するサービスを自信を持って行う元気を回復し、返す刀で今回殺人犯が唱えて実行した「障がい者抹殺論」に対する反撃を行うこととちがいまっか。

昔から強者もおれば、弱者もいるのが、世の中というもんや。
弱者の中には、努力して強者の列に伍せる人もおるけど、様々な事情でそれが不可能な人も大勢おる。
しかし経済力や生産性が、人間的価値のすべてではないやんか。
今は地上最強を自負するひとも、様々な事情で、一夜にして最弱の存在に転じてしまうことも、よーあるわなあ。

要するに強者といい弱者というのんも、この世の仮の姿であって、「人間みな人類」、一皮めくれば同じ穴のムジナであるってことを知らんといかんのちゃいますやろか。
そやからこそ障がいを持つ人も、持たへん人も、共に仲良く幸せに暮らせる社会を作らんといかんのやないかなあ。

誰もが知っとるように、この世では、障がいを持つ人も、持たん人も、おんなじように大切な存在や。
人間は、経済的な有用性や生産性とは無関係に、1個の生物として平等やし、1人の人間として、平等の社会的文化的価値を有しとる。

そやさかい、この世では、強者が弱者を差別したり、抑圧したり、まして殺傷したらあかん。ぜったいにあかんねん。
前者の多くは肉体的・精神的・経済的・社会的な弱者やさかい、後者を庇護し、心身両面にわたって協力・支援する義務があるねんねん。

そうや。思い出した。かつて「この子らを世の光に」と喝破した人がおったなあ。
ふつうの社会運動家やったら、「この子らに世の光を!」というところやろうが、近江学園の創立者、糸賀一男はんにとっては、知的障がい児こそが、この世の宝石やったんや。

しゃあけんど、この子らには知的障がいがあり、わいらあ健常者の目から見たら、世のため、人のために、たいした貢献をしているとは思えへん。
いったいどこが世の光なんやろか?

彼らは、社会的にはまるで“でくのぼう”のように無知で無能や。
彼らは、経済的には生産力が皆無に等しいねん。
彼らは、例えば現在のわが国の某首相やアメリカの暴大統領のように、金力と人材と公権力を駆使して油断なく狡知を働かしたり、世のため人のためにならへん悪事や謀略を行うすべを、生まれながらにして持っとらへんのや。

万人が万人の敵となるホッブスの夜。
ひたすら他者の善意を信じ、弱さを丸出しにして無邪気に生きる最弱者の彼らの瞳の中に、聖なる愚者の光を認めるひとも、さだめしおるに違いない。

そんな障がい児者の介護にあたる人々の中にも、劣悪で恵まれない労働環境の中で疲弊して、あの植松聖選手と同様の思考回路をたどって、障がい者無用論やヒトラーの優生思想にひかれ、またしても障がい者抹殺の愚行に走ろうとする人がおるかもしれんなあ。
いや、おるに決まっとる。

しゃあけんど、そんな人たちにもう一度思い出してほしいこと。
それはなあ、あんたが亡きものにしたいと思うとる大多数の障がい児者の人たちとは、
「人を殺そうと夢見ることはおろか、それを実行することも出来へん。まことに人類の宝物のような人々や」
いうこっちゃ。

そんなあれやこれやの、せめて100分の1でも、あの日あのとき、あの会場で、理事長はんに食らいつきたかったんやけど、わいらあ、なあんも言えへんかったなあ。
手をあげて立ち上がることさえ、せえへんかった。できへんかったなあ。

あれから何日も何カ月も経ってしもうて、こんなとこでグチャグチャ言うとるなんて、あかんなあ。あかん、あかん、ほんま、わいらあ、あかんやっちゃなあ。


    その昔がらがらだった小町通り観光客でいつも満員 蝶人

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