あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2010年葉月茫洋花鳥風月人情紙風船

2010-08-30 10:50:11 | Weblog


♪ある晴れた日に 第79回


ニイニイ油カナカナ鳴き揃うたり文月尽

その茗荷も少し大きくしてから食らうべし

飛蝗共が喰うたる紫蘇を食らうかな

空高く青に溶け入る二羽のシロチョウ

二五歳 子規も明治も若かった

栗の木の木下闇抜けて大ウナギ見にゆく

名月やウナギは踊る滑川

三日月や雌雄を決する大ウナギ

まいにち三浦スイカむさぼり食らう快楽

逗子ゞと音だけ聞こえる花火かな

揚羽孵化し天青咲きぬ葉月辛丑 


夏の夜グルベローヴァのベルヴェットヴォイスに酔いしれて

新橋で袖刷り合いし今野雄二ひとり縊れし夏の夜かな

本当のことをいえば我は砕けこの世も裂けるべし

たとえ世界が滅ぶとも我のみは生きるぞと一億の民

待ち待ちて今年咲きける天青の空の蒼よりなお青き藍

瓦葺の平屋を見れば心安らぐわれは昭和のおのこなりけり

超高層の億ションペントハウスに住むという男の自慢を白々と聞く

マーメードの刺青したる右腕を窓から出しつつ運転する男

二度までも太平洋に投げ出され根岸氏は鱶に喰われざりき

なにゆえによきひとさきにゆくならむむらさきいろのあじさいさくひに

いつなにがおこるかわからぬよのなかやなにとぞぶじにいきおおせたし

一生に一度は誰もが叫ぶ言葉アプレヌ・ル・デルージュ!

ママ、ママア!自分の妻を母と呼んでいる隣のご主人

戦争だけが平和をもたらすと哲人カント喝破せり 

鶴ならで「鳩の恩返し」たあ驚いた臭せえ仲だぜ小鳩兄弟

ツイッタアにうつつをぬかす馬鹿ものの脳味噌の底で腐りゆく蛆

食を断ち甲冑を纏い木乃伊となりし武蔵かな

とくすでに永遠界に属すべし午前に撮りし朝顔の写真

君とゆく海水浴は一六回今年の夏もやがて逝くめり

ハスの葉を光にかざし見つめをる息子の最後の夏休みかな

健ちゃんが逃がしてやりし大ウナギ今宵も躍るよ滑川の淵

陰険な漁師どもの罠逃れ滑川に帰還せしウナギの王よ




家守棲む家に住みおる楽しさよ 茫洋

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夏は逝く

2010-08-29 09:57:07 | Weblog


ある晴れた日に 第78回


沖合からやって来た土用波が百千のヨットを次々に倒すと、海面すれすれに浮上してきたゴンズイが歓声を上げた。

伊豆大島の上空でゼフィルスが裳裾をからげたので、大仏を見下ろしていた雷神が小太鼓を連打した。

コートジボアールからやって来た青年の双眼がビキニからはみだした巨乳にくぎ付けになったので、由比ヶ浜監視所のてっぺんの烏が阿呆阿呆と叫んだ。


今年16回目の海水浴を終えた少年は、お父さん、浮輪をつぶしてくださいな、とつぶやいて萎れたハスの葉に顔をうずめた。


ちょうどその頃、
66年前に撃沈されたはずの駆逐艦は、相模湾の海底からゆっくり身を起こそうとしていた。



君とゆく海水浴は16回今年の夏もやがて逝くめり 茫洋

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柄谷行人著「世界史の構造」を読んで

2010-08-28 11:45:22 | Weblog


照る日曇る日 第366回


世界史の構造を、後期マルクスが資本論で規定した生産様式ではなく、初期マルクスが規定した交換(交通)様式で定義しなおすことによって危殆に瀕した世界を救済しようとする哲学者の絶望的でもあり最後の希望でもあるような知的営為です。

著者は経済的下部構造としての4つの交換様式=1)互酬、2)略取と再配分、3)商品交換4)互酬の高次元の回復、のそれぞれに対応する歴史的派生態を、1)ネーション2)国家3)資本4)新規構成体と位置付け、しかし実際の社会構成体は、こうした様々な交換様式の複合体として存在していると説きます。
現在の資本性社会では商品交換が支配的な交換様式ですが、他の交換様式も消滅することなく「資本=ネーション=国家」という複雑な結合体として存続しているというわけです。(←ここらへんは難解そのものなので、直接本書にあたってくださいな)

ではこの複雑怪奇な複合体をどうやって揚棄するか。どうやって現代のリヴァイアサンをやっつけるか。

そういういわば最新版の階級闘争のためのアイデアも、上記の交換様式という視点から導き出されます。

すなわち旧来の革命論は労働者の生産現場で世界同時革命を起こして資本家階級を打倒しようという夢想的なものでしたが、資本主義が高度に確立されればされるほどそんな無謀な企ては不可能になってしまいました。

しかし考えてみれば労働者の別名は消費者に他なりません。理論武装した消費者が、生産点以外の流通過程で異議申し立てやボイコット等を行えば、資本主義の牙城は多少は揺らぐ、のではなかろうか。のみならず資本が利潤追求のために犯す様々な行き過ぎを是正し、地域通貨や信用システム、協同組合運動の展開によって非資本性的な経済をみずから創造することができるのではなかろうか、という緩い見通しが披歴されたりします。


このように「資本=ネーション=国家」が三位一体となった現代国家を最終戦争の危機から救うために、著者はカントが唱えた世界共和国=諸国家連邦構想を高く評価し、その現実的組織としての国連の活動に人類史のはつかな希望をゆだねようとします。

著者によれば、カントはたんに戦争の不在としての永久平和を夢想したのではなく、諸国民のいっさいの敵意を終わらせ、国家の廃棄を目的とした「段階としての諸国家連邦」を唱えたのです。ほんとうはホッブス以上の人間性悪説に立つカントは、過渡的な諸国家連邦では国家間の対立や戦争を抑止することはできないことを熟知していました。

平和を希求しつつも国家間の利害が対立する。その結果として生じた戦争だけが諸国民に永久平和の決意を再確認させ、そのプロセスの繰り返しによる「血の学習=自然の狡知」だけが諸国家連邦の絆を強固し、国家廃絶の理想に接近させることができる、というカントのシニカルな予測が正しいとすれば、私たちはまだまだ多くの戦争を潜り抜けることなしには世界共和国の夢を実現できないということになりそうです。

絶対平和を射程に据えた思想家の冷酷なリアリズムに肝を冷やされた真夏の読書でした。



戦争のさらなる惨禍だけが最終平和をもたらすと哲人カント喝破せり 茫洋
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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第23回

2010-08-27 09:55:05 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


食べ終わったあと、みんなでたき火の周りで踊りました。

もうすでに陽は落ち、とっぷりと暮れ、まわりの山々は黒い影絵のように沈み込み、一番星が南西の空にぴかぴか光っています。勢いよく燃えるたき火の日がパチパチとはぜるのを眺めていると、それだけで心が満たされてくるようでした。

公平君は文枝の手を取ってワルツを踊りました。のぶいっちゃんとひとはるちゃんは、火のまわりを交互に飛びあがり、かいくぐり、飛び、はね、狂ったように逆立ちし、叫び、また踊りました。

いつの間にか洋子が座り込んでいた僕の両手を引っ張って立ちあがらせ、ぴったりと身体を寄せてきました。やわらかい髪が僕の頬をそっとかすめたとき、僕の頭の中はぼおっとなって何が何だか分からなくなりました。洋子ちゃんはとてもいい匂いがしました。

わたし、岳君が大好きよ。

と、洋子は囁きました。暗闇の中、僕の耳元で小さな空気が甘く動きました。

大好きよ。

もう一度囁きながら、洋子はやわらかな太腿を僕の腰にぴったりくっつけてきたので僕はあえぎました。洋子の頬も胸も腹も僕の頬と胸と腹に強く押し付けられてきたので、僕は息ができなくなって、いつの間にか銀のような星があちこちでまたたいている夜空を見上げていました。

どこかでオオカミがウオー、ウオーと三日月に向かって吠えていました。

僕は幸福でした。



逗子ゞと音だけ聞こえる花火かな 茫洋

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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第22回

2010-08-26 10:02:15 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1

それからみんなで、食料を調達する計画を立てました。

今はまだ秋だから木の実も拾えるけれど、すぐに冬がやって来ます。計画的に食べ物を集めて飢え死にしないで年を越せるようにしよう。こういうのを、いえにあればけにもるいいをくさまくらたびにしあればしいのはにもる、というんだよ、とリーダーの公平君が言いました。

ふだん家や星の子で食べているカレーやハンバーグほど立派なメニューではないけれど、こうやって自分たちで野山で採ってきた食料を自分たちで料理して食べると、そっちのほうがむしろおいしいのでした。

周りにはすぐにぶん殴る長島のような先生やうるさい親も嫌いな奴もいないので、格別おいしいのでした。

のぶいっちゃんがものすごく太いイタドリの皮をむきながら頭から食べていると真ん中辺から小さなヤマカガシが出てきたのでびっくりしてみんなに見せるとヤマカガシも驚いて逃げ出そうとしましたのでのぶいっちゃんはしばらくヤマカガシを首に巻いて遊んでいましたがそれにも飽きたのでヤマカガシをガマの茶色の穂先が高くそびえているきれいな水たまりに投げ捨てるとヤマカガシはよろこんでガマの根っこに逃げて行きました。


とくすでに永遠界に属すべし午前に撮りし朝顔の写真 茫洋

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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第21回

2010-08-25 20:09:26 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1



「当分の間、この不思議なお家で生活しよう」

とリーダー役の吉本公平君が言いだしたので、みんなも
「そうだ、そうだ、そうしよう、それがいい」
と口々に言い、そうすることに決まりました。

ごはんを食べないと死んでしまうので、栗と柿を食べた後全員でふたてに別れて食料を探しに出発しました。

森の奥から冷たい風が吹いて来て深い森の匂いが鼻を刺し、はらわたまで沁みました。

僕はのぶいっちゃんとひとはるちゃんの兄弟と3人組になって、不思議なお家の裏山に登りました。シイ、ドングリ、クリの実やイタドリ、ミョウガ、柿を両手で抱えきれないくらいいっぱい取りました。

クワの実を食べながら帰ってきました。青い鼻汁をずるずる流すのぶいっちゃんの口の中は真っ赤でした。

公平君と洋子と文枝もドングリやシイの実をたくさん持って帰りました。シイタケやヤマイモやマツタケや色々なキノコもありました。

「大戦果だあ!」

とのぶいっちゃんとひとはるちゃんは、青白い鼻汁を合計4本垂れながしながら叫びました。



陰険な漁師どもの罠逃れ滑川に帰還せしウナギの王よ 茫洋
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井上ひさし著「組曲虐殺」を読んで

2010-08-24 15:14:54 | Weblog


照る日曇る日 第365回


今度は同じ作者による戯曲の遺作です。

築地警察の特高刑事たちによって虐殺された小林多喜二が主人公です。築地には電通と歌舞伎座と都立中央図書館とマガジンハウスがあったので、その前をよく行き来していましたが、「成程ここが多喜二をなぶり殺しにした警察署か。それで入口がどこか不気味で暗いのか」と思いつつしばし立ち止まり、門番のおまわりさんを得意の三白眼でにらみつけたりしたものです。

そのおぞましい、身の毛もよだつ拷問シーンが出てきたらどうしよう、と心配していたのですが杞憂でに終わり、そこはなぜかはスマートに避けてあったので、「さすが井上よのう」という気持ちと、肩透かしされて物足らない気持ちの両方が読み終えたあとから押し寄せてきました。

帝国戦時暗黒時代の残酷で血なまぐさい生の現場はすでに歴史的事実であるとしてパスし、あえて括弧に入れてその周縁を喜劇的に劇化することによって、括弧に封じ込められた真実を一人一人の観客に想像させ、現代に呼び出そうとする作者一流の手法は、同じ作者の遺著『一週間』でも採用されていましたが、この洗練された?方法が反対方向に作用して、あたかも「括弧の内部には何もなかった」ような印象に陥る弊害があることも事実です。

例えば、お尋ね者の多喜二に何度も肉薄しながら結局逮捕できず、敵でありながら多喜二のシンパのような奇妙な役割を与えられている2人の刑事のありようは、「不思議」と「意外」の域を通り越して、「現実無視」のそしりをまぬかれないのではないでしょうか?

かつての歌声運動最盛期の共産党ではあるまいし、敵と味方がやたら声を揃えて和風オペレッタを歌いまくり、劇と現実のドラマツルギーを抒情と詠嘆のオブラートにまぶして予定調和的にフェイドアウトさせようとしているのも、少しく安易な演劇作法ではないでしょうか?

いくら官憲による多喜二虐殺事件をソフィスティケートしても、虐殺は虐殺であり、けっして「組曲」などに音楽的に転化されるやわな性格のものではありません。

「二度と『蟹工船』のような小説を書けないようにしてしまえと右の人差し指を折られた多喜二。体の20か所を錐で刺された多喜二」などと登場人物に語らせてよしとするのではなく、その鮮血淋漓の修羅場を舞台にかけて欲しかったと思うのは、私だけなのでしょうか。

もしも今は亡き作者が、真夏の夜に甦ってそのような改訂版をこの世に贈ってくれたなら、私のように極端に暴力と苦痛と出血に弱く、今朝右翼から拷問されれば超右翼天皇制支持のファシストへ、夕べに左翼から拷問されればただちに極左冒険主義テロリストへとまるで時計の振り子のように寝返るであろう、臆病で無思想で「命あってのモノだね主義者」も、もっと根性を入れて観劇できると思うのですが。


ツイッタアにうつつをぬかす馬鹿ものの脳味噌の底で腐りゆく蛆 茫洋


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井上ひさし著「一週間」を読んで

2010-08-23 15:23:00 | Weblog


照る日曇る日 第364回

本書は偉大なる演劇作家井上ひさし氏の最期を飾るにふさわしい長編小説です。

腰巻のコピーをそのまま引用すると、「昭和二十一年早春、満州の黒河で極東赤軍の捕虜となった小松修吉は、ハバロフスクの捕虜収容所に移送される。脱走に失敗した元軍医・入江一郎の手記をまとめるよう命じられた小松は、若き日のレーニンの手紙を入江から密かに手に入れる。それは、レーニンの裏切りと革命の堕落を明らかにする、爆弾のような手紙だった……」というような内容です。

たしかに梗概としてはその通りなのでしょうが、それではこの本の魅力が伝わらない。本書のいちばんの面白さは、作者がそういうちょっと気のきいたプロットを用いて戦争の生み出す残酷なまでの悲劇を見事にえぐり出した点にあるのではなく、たとえば「一週間」という表題を一瞥した一読者が、

「こいつはロシア物の小説だから、きっと♪日曜日に市場に出かけ糸と麻を買って来た。テュリャテュリャテュリャリャーというロシア民謡に関係があるに違いない」

とにらんだとすれば、はたせるかな作者は、弾圧や玉砕やツンドラや収容所内部の抗争や強制労働や皇軍上層部の腐敗と堕落や撲殺や拷問や陰惨なテロルや飢え死にや日ソ中立条約違反やヤルタ会談や冷戦の開始や極東裁判や二重スパイや革命家レーニンの裏切り問題等々を肌理細かに取り上げつつも、つねに裏声で♪テュリャテュリャテュリャリャーとハミングしていることなのです。

レーニン→スターリン独裁制と英雄的かつ漫談的に戦う日本軍兵士の七日間の出来事を♪テュリャテュリャテュリャリャーと鼻歌交じりにでっちあげ、あくまでも史実に寄り添うふりをしつつ、史実全体をこけにするこのドンキホーテ的な超楽天主義&夢想主義、現実が絶望的であればあるほどそこに希望を見出す強靭で頑固でどんくさい魯迅主義こそ、この作家の真骨頂と言わなければなりません。

それにしてもこの素晴らしい才能の持ち主が、かつての細君に対して殴るけるの暴行を加えたにもかかわらず、反省の一言もなく泉下の人になりおおせたとは、実に不可解にして不愉快な話です。


待ち待ちて今年咲きける天青の空の蒼よりなお青き藍 茫洋

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真夏の夜のオオウナギ 後日譚

2010-08-22 13:51:13 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語第226回&バガテルop131




栗の木の木下闇抜けて大ウナギ見にゆく 茫洋


昨夜2個の仕掛けが撤去された滑川を訪れた私は、何回見直してもウナギの姿が見られないのでがっかりして橋のたもとを立ち去ろうとした。

その時、息を切らして駆けつける背の低い中年の男性の姿があった。この人物には見覚えがある。私の家の近所に住んでいる植木屋のKさん推定55歳で前夜のKさんの弟である。

縮のシャツとステテコをはいたKさんは食い入るように川面を見つめている。「いくら探してももういませんよ。昨夜ヤナを仕掛けた人たちが全部捕まえてしまったんだから」
と私が教えると、Kさんは私の顔を見て

「ところがね、ヤナは空っぽだったそうだ」

と言ったので、私はびっくりすると同時に、

「さすがは滑川のオオウナギ、やるもんだね」
とひそかに舌を巻いたのだった

「ウナギも馬鹿じゃない。危険を察知して上流に逃げたんだ。しかし今はウナギの産卵期でね。1匹のオオウナギのオスがいるところには何匹かのメスウナギが必ずいるんです。よーし、こうしちゃいられん。カーバイドの手配をしなくちゃ」

「エッ、爆弾を川に投げ込むんじゃないでしょうね?」

「とんでもない。カーバイドランプで川を照らすと、魚はみんな寄ってくる。そいつを一網打尽にするんですよ」

と言い捨てて、Kさんは脱兎のごとく家にとって返した。

きっとこれから新兵器のアセチレンガスを入手して、巨大ウナギを自分のものししようとするのでしょう。

新居に引っ越したばかりのKさんですが、急な病気で細君を亡くされたばかり。前夜Kさんの兄さんが、

「おいらは身内に不幸があったばっかりだから殺生はしたくない」

と言っていたのはそのことだったのですが、弟のKさんはその弔い合戦を、罪もないウナギに対して仕掛けようとするのでしょうか。

一難去ってまた一難。私はオオウナギたちの身の安全を祈りつつとぼとぼと家路をたどったことでした。



    三日月や雌雄を決する大ウナギ 茫洋


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真夏の夜のオオウナギ 後篇

2010-08-21 17:38:35 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語第225回&バガテルop130


息子が都会に去った翌日からも、私は夜になると例の小川にいそいそと足を運んでいた。

1メートル超の大ウナギは相変わらず健在で、毎晩見事な反転と跳躍を見せてくれるが、昨夜は30センチに満たない小ウナギもその近くで泳いでいた。どうやらこの界隈はかなりの数のウナギが棲息しているらしい。

ふと見ると2,3人の中年男がワイワイ騒いでいる。
やはり私と同じようにウナギ見物に来たのかと思っていたら、そうではない。あれを捕まえようとひそひそ相談しているのである。

聞くともなく耳を傾けていると、最近滑川の水がきれいになったので、アユが遡上するようになり、そのアユを追ってウナギが海から上るようになったらしい。ハヤはよく見かけるがアユまで棲んでいるとはしらなんだ。

なんでも今年はこの近所では5匹のウナギが目撃され、前夜までにそのうちすでに3匹は捕獲された。残っているのはこのオオウナギを含めた2匹である。よって一刻も早くこの伝説の大ウナギをつかまえたい、と焦り逸っているのであった。

よく見ればそのうちの一人はすでにヤナを持っている。こいつにミミズをしかけて流れに伏せておけば間違いなく仕掛けにかかるであろう、と地元はえぬきのおやじさんが、ヤナを持った若い衆に教えを垂れている。

「俺はこないだ親戚で不幸があったから、今夜は殺生したくねええんだ。でもあんたにはやり方を教えてやるよ。ヤナなんかより橋の上から糸を垂らして直接釣ればいいんだよ。すぐにとびついてくるよ」
と自信ありげに語っているのは、町内会の役員のKさん65歳だ。

「でも、餌がないんや。餌はどうしたらええんや」

と大阪弁で喚いているのは、神社の麓に住んでいる新参者のAさん推定40歳だ。こいつはオオウナギをモノにしたいという欲望で目が血走っていた。

「それじやあ、これからオイラが懐中電灯を持ってくるから、一緒に餌のミミズを獲りに行こう。オイラも付き合ってやるよ」
と言った後で、Kさんがつぶやいた。

「でも、あいつ、なんだかうれしそうに泳いでいるじゃないか。このままにしといてもいいんじゃないか……」

そうだよね。君はよくわかってるじゃないか。
それにいくら天然自然の国産大ウナギでも、あれくらい大きくなった奴は食べても全然美味くないからね……。

さてその翌日、まだ大ウナギの饗宴は続いているのかしら、と恐る恐る滑川に足を運んだら、ウナギなんぞ大も、中も、小すら影も形もなかった。

その代わりに立派なヤナが2か所に仕掛けられていたので、きっと半月間にわたって孤高の五風十雨居士の疲れた心を慰藉してくれた本渓流今季最後のウナギたちは、悲しいかな一網打尽にされてしまったのあらう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


健ちゃんが逃がしてやりし大ウナギ今宵も躍るよ滑川の淵 茫洋



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真夏の夜にウナギは踊る 前篇

2010-08-20 11:33:03 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語第224回&バガテルop129

 
毎日毎晩暑いですな。私の家は夏でも涼しい風が吹くので、クーラーなんて35年間無用の利器であったが、さすがに来年は1台くらいあってもいいかな、と思わせるに足る今年の暑さである。

そんなある夜、私は暑気払いに散歩に出たと思いねえ。で、なにげなく滑川を見下ろしたら大きな魚がウネウネ蠢いているので驚いた。蛇かと思ったがそうではなく50センチくらいの大きさのウナギでした。鎌倉名物の大ウナギに再会したのである。

そいつは月の光に身をくねらせながら、上流から下流へ、下流からまた上流へとおよそ10メーターの距離をいかにも楽しげに行ったり来たりしている。まるで手足のないダンサーのやうだ。

そういえば以前ここから200メートルほど上流で、私の息子が石の下で昼寝していた巨大なウナギを両手で捕まえたことがあった。

しかしその時は、彼はそいつを1メートル上の道端に放り投げる余力も道具もなく、そのまま下流に逃がしてやった。もしかしたら、そいつがおよそ10年振りにお礼参りに戻ってきたのではなかろうか、とはじめは思ったのだが、そうではなかった。

10年前のはまるでオオサンショウウオそっくりのずんぐり型であったのに対して、今回の奴はもっと長身で頭部はスマートなので、おそらくは別人、いな別ウナギであろう。

30分くらい見物してから帰宅したが、久しぶりに天然ウナギの雄姿に接してとてもうれしかった。

その翌日の夜、これまた久しぶりに(あの大ウナギを獲った)息子が帰省したので、一緒に滑川の橋の上から見下ろすと前夜のうなぎより大きな1メートル超の大ウナギがゆうゆうと遊弋しているではないか。

と見る間にそいつは岩肌をぬらりと縫って下流のウロ目指して猛烈なスピードで泳いでいく。

と、あろうことか、そこで待ち構えていたのはもう一匹の昨夜の大ウナギであった。

彼奴らの雌雄のほどは不明であるが、これほど巨大な2匹のウナギが、こんな小さく狭い川のど真ん中で遭遇するとは、それこそ真夏の夜の夢ではなかろうか。

上限の月がおぼろにけぶる鄙の里で、私たち親子はいつまでも彼らの交歓を眺めていたのであった。


名月やオオウナギ踊る滑川 茫洋


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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第20回

2010-08-19 17:19:14 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


11月2日 晴

朝起きたらものすごく濃い色をしたムラサキシジミが強い風に翅をあおられながら杉林の片隅からワッとどよめくように飛び出して、例の不思議なお家の左わきをチョロチョロ音を立てて流れている小川の方へと上下さかさまになって舞い落ちていきました。

のぶいっちゃんとひとはるちゃんがいつの間にか山の奥へわけ入って持ち帰ってきた栗のと熟した柿を、洋子と文枝が用意したフキの葉の上にのせて、みんなで朝ごはんを食べました。

レンガを積んで簡単なイロリをつくって枯れた草や木を並べ、その上に栗の実をたくさん並べ、公平が持ってきたマッチで火をつけると、栗の実はパチパチと音を立てて弾けました。

炭のようにまっ黒になった栗の外皮を歯で抉りあけてかみやぶると、中から甘い黄色い果実がホロホロと現れ出ました。

みんなで分け合って食べました。柿はまだ少し渋かったのですけれど、みんなお腹が減っていたので、気にしないでぜんぶ食べちゃいました。
ハスの葉を光にかざし見つめをる息子の最後の夏休みかな 茫洋

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加藤廣著「求天記」を読んで

2010-08-18 16:27:24 | Weblog


照る日曇る日 第363回

剣豪宮本武蔵を新しい視点から対象化した興味深い小説です。

細川家の剣術指南役に雇用された武蔵は、先任者の佐々木小次郎と船島(後の巌流島)で対決しますが、細川家では徳川家の政教分離方針によるキリシタン切り捨て政策がお家騒動と同時に進行しており、ほんらい武道家の練習試合であったはずの両雄の対決は真剣勝負に格上げされ、武蔵に敗れたキリシタンの小次郎は、その直後に家臣たちによって殺害されたというのです。

小次郎は秘剣「ツバメ返し」で有名ですが、武蔵は彼の武器である「物干し竿」の長さを4尺3寸と想定し、これをわずかに上回る4尺6寸の軽快な木刀を自作します。

作者の測定によればその木刀の重量比は小次郎の真剣に対して1対0.45であり、両者が同等の力、同等の回転駆動力(トルク)で振った場合、武器が同じ背格好の相手の脳天に達する時間は、小次郎0.1秒、武蔵0.082秒になることが計算でき、その科学的!な仮説を実践したことが武蔵の勝利に結びついたと作者は説くのです。

ここら辺は、作者の「秀吉による信長本能寺謀略説」と同様、あるいは梅原猛氏の古代史観と同様に、実際にはかなりの程度うさんくさいものですが、既存の俗塵にまみれた旧説を新しい知見を駆使して根本的に見直そうとするその意欲に、多くの読者はいささかの感銘を受けることでしょう。

小次郎を葬ったあとも武蔵は、孤高の剣士として、武人として、下手くそな絵画師!として各地を放浪しながら活躍を続けます。

かの大坂冬の陣では真田信繁の参謀として、夏の陣では徳川方の助っ人として、また天草四郎の島原の乱では小笠原軍の一員として相変わらず血なまぐさい争闘の現場にかけつけようとするのですが元和偃武の戦国の世の終焉と共に、この希代の武闘家にも穏やかな黄昏が訪れ、一代の思想書「五輪書」を書き上げた武蔵は、肥後細川家の庇護の元に正和2(1313)年5月、全身に甲冑を身につけたまま人間臭い一生を全うするのです。

そしてそんな「最後の侍」宮本武蔵の、これまであまり知られていなかった多彩な活動を、大胆な想像を交えながらいきいきと描きだしたところに、本書の価値があると思われます。


食を断ち甲冑を纏い木乃伊となりし武蔵かな 茫洋
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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第19回

2010-08-17 16:37:44 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


丘の上にはとても大きなモミジの木が冬も間近だというのに深紅の葉を広げて、沈みゆく夕陽を全身に浴びながら黄金色の双頭の鷲のように輝いておりました。

この高さ10メートル、直径2メートル、樹齢300年になんなんとする巨木の下に、傾きかかった廃屋がありました。風雨に打たれた茅葺の屋根の下には板張りの六畳間がひとつ。これはいったい何十年、いや何百年前に建てられた小屋なのでしょうか?

今は人の住む気配もなくしんと静まり返っています。そうして何千何万という小さなベニシジミの形をしたモミジの葉っぱが、この不思議な家の上に音もなくハラハラ、ハラハラと紅い小雪のように降りしきっているのでした。

古い家の前には、これまたいつの時代に建てられたか分からない小さな苔むした墓標が2つ立っていました。

文枝と洋子は早速小川の水を園から持ってきた水筒に入れたのに小菊をいっぱい挿してお墓の前に置き、深く一礼しました。
するとその時、遠くの方でどこかのお寺の鐘がゴオーン、ゴオーンと幽かに鳴り響いたのでした。

その晩僕たちはこの人里離れた山奥のこわれかけたあばらやに寝泊まりすることにしました。



いつなにがおこるかわからぬよのなかやなにとぞぶじにいきおおせたし 茫洋
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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第18回

2010-08-16 19:13:28 | Weblog




森の中は静かでした。

時折上空をワシやトンビがゆっくり旋回して、クヌギの木をあちこち忙しく飛び回るリスをぎょろりと鋭い目でにらみましたが、さすがにここまで降りてこようとはしませんでした。

タヌキには森の木陰で何回も出会いましたが、ちょっと目を合わせると、おいら何も見なかったよ、誰にも会わなかったよ、というように視線をすっとはずして常緑のアオキがいっぱい茂った草むらへへろへろと消えていくのでした。

丸まると太ってヨタヨタと歩いて行くそのタヌキの後を追って、脳性麻痺の吉本公平と筋ジスの塩川洋子、知恵遅れの小川文枝、ダウン症の小和田信一と脳微細損傷の武田仁治、それに低級自閉症で知恵遅れの僕は、ふうらりぶうらりまるでふうてんのように山の奥の奥の奥へと踏み込んで行きました。

ふたつの小さな山に挟まれた谷間の真ん中に、小さな川が流れておりました。川の中には、青空とその青空を流れ行く綿雲が映っていました。

いちめんの小菊で囲まれたその小川を左手に見はるかしながら、ススキやヨシが生い茂る湿地をずんずん進んでいくと、道はだんだん急勾配になり、そこからおよそ100メートルほど登ったところに小高い丘がありました。


新橋で袖刷り合いし今野雄二ひとり縊れし夏の夜かな 茫洋



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