照る日曇る日第1769回
73歳と7か月で亡くなった詩人が、死の少し前まで、タイプライターではなくパソコンで描き続けた、エッセイのような、短編小説のような、とても興味深い日記である。
そのさわりをアトランダムに引いてみましょうか。
「ものを書く時は、すらすらと書かなければならない。稚拙でとりとめのない文章になってしまうかもしれないが、言葉がすらすらと流れ出ているのであれば、書く喜びから生まれる勢いがすべてを輝かせてくれる。慎重に書かれえた文章は、死んだ文章だ。」
私はこの考えに完全に同意する。そしてこの考えは、それがエッセイでも、小説でも当てはまるが、一番ふさわしいのは、詩の文章だろう。
その一例。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
つまり私が言いたいのは、母国語で書かれた日本国の憲法の第9条は、名実ともに優れた1編の詩、あるいは夢見られた詩、のようなものである、ということだ。
東西の阿呆莫迦知事が決めたのでコロナなんかもう存在しない 蝶人