あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2015年卯月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2015-04-30 08:50:05 | Weblog


ある晴れた日に第304回


斉藤斎藤の「NHK短歌」終りぬこれだけは受信料払う値打あったな

小説を一冊書くのは大変なことまして面白い小説となればなおさらのこと
 
金曜の午前中に訪れたがとっくに閉店していたよ「カフェ金曜の朝」

杜若菫連翹藪椿花咲き乱る恋の細道

官邸の闇をうかがう密偵ドロンたった一機に夜も寝られず

もし私が作詞家なら絶対に自分で作りたかった歌「とんびがくるりと輪を書いたホーイノホイ」

もし私がライターだったら絶対に書きたくない文章「そこには自分探しの旅に出たまま行方不明の自分がいた」

おじいちゃんがアジア大陸を侵略したなんて見ざる聞かざる言わざる僕ちゃん

展覧会に雑巾の絵を出すといういったい誰が買うというのか

弥生三月雲南桜草咲く頃そんなに大切な人だったと気づいてももう遅い

日一日日本嫌いになる日本人多し日本晴

父親の仕出かした罪業の落とし前をつけに旅立つ二人なりけり

蛇長く長長き夜をひとりCOME ON寝む

過ぐる十年湘南の四月二十六日は七割が晴れ

空は晴れ桜は咲いても心は闇だ四月はいちばん残酷な月

隙あらば高級ブランドのスリッパを叩き売るそれがニッポン人ぞなもし

人はみな発達障害にしてアインシュタインもエジソンも自閉症だといい加減なレッテルを貼りはやめてけれ 

わが軍は吾輩のもの米帝が行けと言うなら地の果てまでも

月の沙漠で喉が乾けば君が鎖骨の甘露を汲まん

ある作家の奥さんは銭洗弁天で夫の原稿用紙を洗ったと永井龍男いうさてその後いかがなりしや 

「ここで飛べここがロドス島だ」と思いつづけいつのまにやら七十年過ぎたり

幻想の共同体の暗がりで国家国家と喚く者ども

世界中「目には目を」となり行きて井筒『コーラン』を読み返す日々

寒くなれば冷たい暖かくなれば熱い風が出るそんなエアコンと暮らしています

「滅びるね」と広田先生はまた言うだろう平成日本の混沌を見て

花冷えや文楽のネット購入に失敗す

桜咲く妻と撮り合う遺影哉


       生きることそして死ぬこと桜散る 蝶人

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蛇~「これでも詩かよ」第135番

2015-04-29 11:40:50 | Weblog


ある晴れた日に第303回





             へ
            び
           な
             が
              す
            ぎ
             る
               な
                が
              す
            ぎ
         る




       蛇長く長長き夜をひとりCOME ON寝む  蝶人

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てふてふが海峡を飛んで行った~「これでも詩かよ」第134番

2015-04-28 10:42:18 | Weblog


ある晴れた日に第302回


てふてふが海峡を飛んで行った




           
            ふ
    
                 
                  ふ


                       て
                         ふ





波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波波





     日一日日本嫌いになる日本人多し日本晴  蝶人
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新連載「十年の後」 第1回

2015-04-27 13:45:23 | Weblog


バガテル-そんな私のここだけの話op.197


四月二六日の巻

2006年4月26日水曜日 曇
B社の原稿リライトあと15P。締め切りを5月8日に延ばしてもらう。久しぶりに前田氏よりメールありて資生堂ワードの記録を送付せよと。

2007年4月26日木曜 晴
久しぶりに晴れたり。工芸大学生何人か来る。耕君スリーエフにて松島奈々子のPOPを無断で持ち帰ろうとして注意される。

2008年4月26日土曜 小雨
耕君と泉水橋までバス券を買いに行く。金井不動産の奥さんはこないだ亡くなられたらし。原稿締め切り迫る。

2009年4月26日日曜 晴朗なれど風強し
鎌倉市議会選挙。某党のT氏に清き1票を投ず。メキシコ、アメリカで豚インフルエンザで死者81名。

2010年4月26日月曜 晴
文化で講義。その後散髪。その後岸本歯科。ついに治療終了。万歳!

2011年4月26日日曜 晴
昼に親戚一族来鎌。義母は昨年夏に死に瀕したが、家内の献身的な看護で奇跡的に一命を取り留めたり。

2012年4月26日木曜 曇
家内は友人と会食。相変わらず出版社の連絡なし。小沢無罪の判決。

2013年4月26日金曜 晴
家内は鎌倉中央公園へ。自転車でやってきた太田先生から花瓶を頂戴す。

2014年4月26日土曜 晴
数日前から春型のクロアゲハがあちことで飛んでいる。オタマジャクシは元気なり。

2014年4月26日日曜 晴
本日も快晴、初夏の陽気なり。ネパールで大地震。邦人含め2千人以上の死者がでる。

追記 本日より不定期連載の新シリーズ「10年その日その日日記」を掲載します。
10年間を通じて、この日は比較的晴天が多いことが分かる。


   過ぐる十年湘南の四月二十六日は七割が晴れ 蝶人
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北野武監督のヤクザ映画2本立

2015-04-26 11:11:42 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.796&797


○北野武監督の「OUTRAGEアウトレージ」をみて

 昭和の任侠映画の典型的な姿形を平成の御代の現代的な感覚で洗練させたもの。  極道に生きる者たちの悲哀と愚かさをクールに描いてあますところがない。

 洗練といっても敵を殺すときの酷薄さは映画の中とはいえ背筋が寒くなるようなていのもので、ここには徳川家康の旗印であった「厭離穢土欣求浄土」を何処となく想起させる暗い人世観が表現されているようだ。


○北野武監督の「アウトレージビヨンド」をみて

 前作で被っていた仮面を脱ぎ棄てる三浦友和など総じて男性の主要登場人物の人間像はかなり明確に伝わってくるが、女性の肉体の輪郭以外の中身はまるで描写されていないことも、彼の内面のなにかの反映ではないだろうか。

 警察官でありながら、ヤクザとヤクザ以上にやくざに渡り合う小日向文世の虚無の深さと達者な演技が面白い。

 それにしても前作でビートたけしは死んだと思っていたので、後編でお富さんのように返り咲いたのにはすこし驚いた。鈴木慶一の音楽、山本耀司の衣裳がよい。

      杜若菫連翹藪椿花咲き乱るる恋の細道 蝶人
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深作欣二監督のヤクザ映画3本立

2015-04-25 10:41:58 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.793&794&795


○深作欣二監督の「新仁義なき戦い」をみて

 広島県呉のヤクザの抗争物語だが、これを見ているとヤクザも軍隊も会社も組織というものはみな上意下達の垂直構造によって貫徹されている点で共通していることがよく分かる。

 その親分子分の縦型命令系統の非人間性に耐えられず、反逆を試みたり、横へ逃亡しようとする者も出てくるのだが、最後は同質の社会構造に敷かれてしまうのだ。仁義なき戦いは、ついに仁義によって屈服されるのである。


○深作欣二監督の「新仁義なき戦い組長の首」をみて

 ここでの菅原文太は凄い。まずは敵の親分の首をとって、7年の懲役を務め上げてから今度は別の親分の首を舎弟に命じて取らせる。

 珍しく山崎努や三上寛が出演し梶芽衣子が綺麗です。


○深作欣二監督の「新仁義なき戦い組長最後の日」をみて

「新仁義なき戦い」シリーズの最終作だが、もはや手慣れたもので、例によって例のごとく進行するが敵の親分連中にトラックや乗用車で追走し激突させるシーンなど迫力がある。

 親分同志の安保条約を断固として退け、あくまでもヤクザの仁義を貫く一匹オオカミのど根性は晩年の菅原文太の生き方を先取りしているようでもある。

 懐かしの横山リエも出演しています。


   官邸の闇をうかがう怪鳥ドローンたった一羽に夜も寝られず 蝶人
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鈴木清順監督の3つの作品をみる

2015-04-24 08:59:13 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.790&791&792


○鈴木清順監督の「けんかえれじい」をみて

 岡山から会津若松へと、高橋演じるバンカラ旧制中学生がやたら喧嘩を繰り返すのだが、最後は2.26事件を知って会津若松のカフェで目撃した北一輝に会いに行こうと上京するところで終わるという妙な映画なり。

 そんな主人公がカトッリックというのがちょっとおかしいが、全体を通じて非常につまらない映画で、そういう面白くもおかしくもない映画を監督は作りたかったのだろう。

 主人公のマドンナ浅野順子が可愛らしい。


○鈴木清順監督の「殺しの烙印」をみて

 殺し屋ナンバー3の宍戸錠が殺し屋ナンバーワンになろうと切磋琢磨して自滅する話。

 錠と小川万里子のからみがいまみても結構エロっぽいこと、山本直純の音楽が新鮮であることをのぞくとどうということはない。

 この人の習俗に与しないモダニズム手法には大いに共感するが、だからというて映画自体がいいか、面白いかという話とは別。これを見て怒り狂って鈴木を日活からパージした堀久作の気持ちはよく分かる。


○鈴木清順監督の「東京流れ者」をみて

同時代のださいルーチンプログラムに反抗するポップでシュールなモダニズム映画であるが、そういう風に演出、美術、照明にこだわる行き方じたいがダサイと思えてくるような奇妙な映画である。


  金曜の午前中に訪れたがとっくに閉店していたよ「カフェ金曜の朝」 蝶人
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園子温監督の3つの作品をみる

2015-04-23 10:25:45 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.787&788&789



○園子温監督の「冷たい熱帯魚」をみて

 私はこの映画を見ながらむかし当時の私の憧れの人が「しかし俺たちはまだ人殺しはしていないからな」と笑いながら語ったことを思い出していた。

 完璧に自己を実現しようとする志を持ちそれを達成しつつある強い人間は、私(たち)のような弱い人間にとって魅力的な存在である。

 しかし自分以外のすべてをことごとくなぎ倒し、全世界に向かって自己の意志と欲望を獲得していく人間の人世行路は他者の自己実現の否定と裏腹であり、彼の行く先には、他者の抹殺が射程距離に入ってくるだろう。

 この映画は、自分にも妻子にも他人にも世界に対しても不如意を感じている普通の男が、完璧に自己実現を貫徹していると確信する男と出会ってそれを果たしたが、その結果すべてを失ってしまうという逆説を驚異的な演出と圧倒的な演技の集積で描き尽くした。


○園子温監督の「ヒミズ」をみて

「ヒミズ」というのはミミズの仲間のことかと思ったが、「日見ず」すなわちモグラのことであった。映画では3.11の震災地を舞台に、モグラのごとく地下でもがいている若ものの気違いじみた孤独と煩悶が主人公の2人の身に寄り添って執拗に描かれている。

震災の痛手から立ち直れないまま、地獄のような世の中をふつうに真面目に生きようとすれば、どのような壁にぶつかるか、その壁を乗り越えようとすればどのような困難が待ち構えているかが噛んで含めるように描かれているとも言えるだろう。

映画では、花の歌や頑張れの応援歌や自己励起の掛け声が震災からの復興支援に結び付くという月並みをその冒頭で激しく否定するが、主人公が直面する困難をつぶさに描く中で、最後にはもういちど心からの再生、自立への叫びが画面を揺るがせるのである。

2匹のモグラが日の眼を見ずに消え去ることなく、かろうじてこの世界にぶら下がることができたのは、なんとしても良かったとラストでは思わずにはいられない。

全編を通じてモーツアルトのレクイエムの冒頭部が鳴らされるが、鳴らしつかれたのかバーバーの「弦楽のためのアダージョ」を混入させるのは愚かなことである。


○園子温監督の「恋の罪」をみて

 肉体化されない言葉には生命がない。と同様に人間の動物的本質としての性愛に目ざめない人間も一人前とはいえない。という地点から出発した詩的・哲学的映画は、制服の処女をいわゆるひとつの大人の女に開花させるが、その開き過ぎた隠花植物は速やかに糜爛して燃え尽き、己も他者も滅ぼしていく。

燃え上がり、爆発する女の欲情を描く監督の演出は、前人未踏のエランヴィタールに光り輝き、嵐のように疾走してゆくのである。

 登場する役者、とくに女性はみな素晴らしいが、劇伴音楽には一考の余地がある。


 おじいちゃんがアジア大陸を侵略したなんて見ざる聞かざる言わざる僕ちゃん 蝶人

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西暦二〇一五年四月の歌~「これでも詩かよ」第138番

2015-04-22 12:44:17 | Weblog


田村隆一著「田村隆一全集6」を読んで

ある晴れた日に第301回&照る日曇る日第777回


四月はいちばん残酷な月さ
いままで無料だった町内のゴミ出しが
袋1枚80円の有料になってしまった

四月はいちばん残酷な月さ
ミルクもヨーグルトもケチャップも値上げになって
年金の手取りがみるみる減ってゆく

四月はいちばん残酷な月さ
政権に楯突くキャスターたちが
突如解雇されて路頭にさ迷う

四月はいちばん残酷な月さ
花見酒に浮かれてカッポレを踊っている間に
不戦の誓いがウジ虫に喰われていく

四月はいちばん残酷な月さ
終戦を敗戦、大学紛争を闘争と言い換えていた友が
2015年を平成27年という。

四月はいちばん残酷な月さ
かつて国立競技場を埋め尽くした人々が
スタジアムもろとも滅びていく

四月はいちばん残酷な月さ
桜の樹の下で眠る愛犬ムクが
早く来てねとワンワン吠える


  空は晴れ桜は咲いても心は闇だ四月はいちばん残酷な月  蝶人
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21世紀のファッション・トレンド その13

2015-04-21 11:06:44 | Weblog
21世紀のファッション・トレンド その13


ふぁっちょん幻論第93回&広告戯評第21回&バガテル-そんな私のここだけの話op.196

2014年6月下旬にミラノ、パリで開催された2015年春夏メンズコレクションは軽さと快適さの追求。ボッテガ・ヴェネタ、トッズ、カルヴェン、ルイ・ヴィトンなどシンプルな色柄と薄く機能性のある素材やゆとりのあるシルエットが特徴。コムデ・ギャルソンは「反戦」をテーマに、アヴァンギャルドなコレクションを静かに展開。

15年春夏ミラノ・コレ=伝統の技と素材受け継ぐ。新味より着やすさ。日常着をエレガントに。プラダ、グッチ、アルマーニなど。

15年春夏パリ・オートクチュール=ディオール、シャネル、ヴァレンティノなどテロ・厳戒態勢の中であふれる花と愛。

15年春夏パリコレ=平和への願い優美に。時代の不安色濃く暗示。主流は70年代のフラワーチルドレン調をモダンに仕立てたスタイル。女性の権利拡大のネッセージも。コムデのメンズは「反戦」がテーマ。英ジョナサン・アンダーソンがロエベのデザイナーに、ソノア・リキエルは仏の新人ジュリー・ドウ・リブラン、3年前ディオールを解雇されたジョン・ガリアーノがマルタン・マルジェラに。

15年春夏東コレ=見せる服より着られる服を。原点に光、普段着が主流。メッセイジ性なくリアル・クロージング。

15年秋冬NYコレ¬=脱癒し、まとう力強さ。変革を求め、自らを奮い立たせるような力強さ。オスカー・デ?ラ・レンタ死去して元ニナ・リッチのピーター・コッピング初のショー。マーク・ジェイコブスの反リラックス変化。

15年秋冬パリコレ=ルイ・ヴィトン、セリーヌ、ディオールなど「花と愛と自由」の1970年代調を引き継ぎながらも未来へ導く強さと官能。暗さに向き合うコムデギャルソン。

15年秋冬東コレ=タケオ・キクチ、ユキ・トリイ、ケイタ・マルヤマなどヴェテラン、中堅が個性豊かに盛り上げる。

(以上は朝日新聞文化欄からの抜粋です)

 その他英国のバーバリーが三陽商会との契約を終了させ、今年7月以降はバ社の直営店のみで販売されることになったが、これはラグジュアリー路線を貫徹しようとする本国が、三陽独自のボルームゾーン版の普及を切捨て、さらなるイメージアップを図ろうとするもの。

 かつて高島屋がピエール・カルダンで行ったように日本では欧米の高級ブランドを大衆化して拡販する商法が得意中の得意で、このような極東ローカルの俗流大衆路線を粛清して純潔を死守しようとしたのだろう。

 ニッポン人なんか信用しないぞ! 今年3月に出されたバーバリーのイメージ広告はそんな決意を暗に秘めているように感じられる。


  隙あらば高級ブランドのスリッパを叩き売るそれがニッポン人ぞなもし 蝶人
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山本周五郎著「青べか物語」を読んで

2015-04-20 09:51:37 | Weblog


照る日曇る日第776回


 この作家の小説の多くは、時代物のフィクションである。

 それらを暇にまかせて読んでいると、もはや誰が主人公のどんな物語であってもハイドンの初期から中期の交響曲と同じような同一性と倦怠を感じるようになってくる。もちろんよく注意すれば微妙な差異が聞き取れるにしても。

 しかし本作は少し異なる。

 これは私小説ではないにしろ、著者が若き日の一時期、浦安の田舎で雌伏していた頃の実体験に基づいて書かれているために、どこか足に根が生えたようなリアルさがあるし、かてて加えて世界の神話の中の物語に潜んでいるようなある種の普遍性が感じられるのである。

 タイトルとなった「青べか」という青く塗られた和船、その「青べか」を主人公の作家に売りつける得体のしれない老漁師、どんな男にもYARASERU船宿「野口」の17歳の娘、「けけちけけち」と鳴き喚くヨシキリ、どこからみても最低の女お秀のいいなりになる駄目男の水夫、留さん、偽心中する栄子と岸がん、そして30年後にこの地を訪れた主人公と再会した長……。

 それは一時代前のドライフラワーのように、年代物のアルバムのように束ねられ、神話的な骨格を備えた老若男女の群像に他ならず、いずれも一読して終生忘れがたい印象、永遠の懐かしさを読者に与えるであろう。

 いずれにせよ新潮社の「長編小説全集」の悼尾を飾るにふさわしい代表作といえよう。



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井上ひさし著「井上ひさし短編中編小説集成第5巻」を読んで

2015-04-19 10:40:29 | Weblog


照る日曇る日第775回


「青葉繁れる」「モッキンポット師ふたたび」と単行本未収録の「紙芝居平家物語」が収められています。

「青葉繁れる」はタイトルが素晴らしいので期待して読んだが、まあ普通の自伝的学生時代振り返り小説でことさらどうということはありませんでした。

 私はこの題名から「青葉茂れる桜井の」というあの「大楠公」の名歌を思い出し、これを小津安二郎の遺作「彼岸花」で朗々と吟じた笠智衆の面影を、そしてそれに続く七人の唱歌合唱を思い出したのだが、この二段組み135ページの中編小説は、この映画の五分間についに及ばなかったようです。

「モッキンポット師ふたたび」も前シリーズの無理やり継続版でどうということもなし。

 最後の「紙芝居平家物語」はかつて「話の特集」に連載された「平家物語」をネタにした抱腹絶倒のスラップステイック、のはずであったが、連載が進むにつれて話柄に難渋し、寄り道脱線し、とどのつまりは物語を物語ることをやめて1981年の本邦の政治的経済的総括&未来論みたいな与太話で竜頭蛇尾で突如休筆していまうところが一等面白かった。

 道理でどこも単行本にしようとは思わなかった訳ですが、その徹底的試行錯誤と出口なしの七転八倒ぶりがすでにして貴重な芸になっていると申せましょう。


もし私がライターだったら絶対に書きたくない文章「そこには自分探しの旅に出たまま行方不明の自分がいた」 蝶人

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河野多恵子著「みいら採り猟奇譚」を読んで

2015-04-18 08:07:54 | Weblog


照る日曇る日第774回


 戦中の東京で生活する医師の家系の男女を主人公とする古典的な家庭小説であるが、その正統的な物語展開のど真ん中に、初めは処女のごとく忍び込む猟奇的な嗜虐と被虐体験が、2人の夫婦生活と小説世界の強烈なスパイスとなって、最後は炎のごとく燃え上がり、主人公と物語とわれわれを諸共に名状しがたいエクスタシーの宇宙に連れ込んでしまう。

 著者はいたぶる女といたぶられる男の嗜虐と被虐が相互を完全に補完し合い、霊肉一致の至上の愛の世界に昇華してゆくさまを描いている。

 のかしらん。

 それは知らんが、かの大文豪谷崎潤一郎に倣って著者が踏み入ったこの異常性愛の天国と地獄は、その後平成の羽田圭介の「トウキョーの調教」「メタモルフォシス」などによってよりリアルな形で精密に追求されている。

 ようであるわいなあ。


   にしてもさっぱり分からんてんで分からん男と女の玄妙なかんけい 蝶人
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鎌倉の廃寺、蓮花寺跡を訪ねて

2015-04-17 10:21:51 | Weblog


茫洋物見遊山記第177回&鎌倉ちょっと不思議な物語第339回



 鎌倉市役所を越えて隧道の先を100メートルほど歩いた右側に昭和九年(1934)三月 に鎌倉町青年団が建てた石碑が立っている。

そこには、「蓮華寺は仁治元年(1240)北条常時の創元にかかり 僧良忠を開山とせしが 寛元元年(1243)之を材木座に遷し 寺号を光明寺と改めし由伝へらる 又一説に蓮華寺は経時の菩提の為 建長三年(1251)北条時頼之を建立し 後弘安二年(1279)の頃  武州へ遷せりともいふ 此谷を佐介ヶ谷(さすけがやつ)と唱ふ」

 とその来歴が刻まれている。

 もともとこの石碑は、蓮華寺跡と思われる松が谷内(登記所西側谷戸)に建てられたのだが、藤沢-鎌倉線の開通に伴っていまの地点に移された。遺跡はこの石碑からかなりへだたった場所にあることになるが、いまその場所を特定することはできない。

 されど私が愛読している貫達人著「鎌倉廃寺事典」を調べても、この蓮華寺に関する記述がないのは不思議である。


 寒くなれば冷たい暖かくなれば熱い風が出るそんなエアコンと暮らしています 蝶人

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佐助稲荷神社と銭洗弁財天を訪ねて

2015-04-16 11:17:44 | Weblog


茫洋物見遊山記第176回&鎌倉ちょっと不思議な物語第338回


 源頼朝が伊豆に配流されていた折に翁の姿を借りた「隠れ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、平氏への挙兵を勧めたという故事があります。

 その託宣に従った頼朝が見事に念願を果たしたあとで、「隠れ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけたので畠山重忠に命じて建立させたのがこの神社だそうです。

 頼朝は佐殿と呼ばれていましたが、「隠れ里の稲荷」はその佐殿を助けたので「佐助稲荷」の名前がつけられたというのは出来過ぎのような気もしますが、この近所に住んでいた井上ひさしが「ムサシ」で私の祖先の佐々木小次郎と宮本武蔵をこの神社の境内で再戦させたのはむべなるかなという気が致します。

 その佐助稲荷神社のすぐ近くにあるのが「銭洗弁財天宇賀福神社」です。文治元年1185年、壇ノ浦の合戦で平氏を滅亡させた頼朝の夢枕に宇賀福神が立ち、「西北の仙境に湧き出している霊水で神仏を祀れば人心は治まる」というお告げがありました。

 そのお告げ通りに泉があったので、頼朝は岩窟を掘らせて宇賀福神を祀ったのがこの神社の起源と伝えられています。

 その後執権北条時頼の時代になって幸運や財力の神とされる弁財天の信者たちがこの聖水で金銭を洗うようになったのがいまの奇妙な風習のはじまりというわけです。

 以上、吉田茂穂「鎌倉の神社」などから引用しました。


ある作家の奥さんは銭洗弁天で夫の原稿用紙を洗ったと永井龍男いうさてその後いかがなりしや 蝶人

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