あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2016年蝶人花鳥風月狂歌三昧

2016-04-30 10:12:47 | Weblog


ある晴れた日に 第375回


今朝もまた黙ってテレビを見つめている俳句も短歌も出る幕はない

菜の花に紋白蝶が止まっている熊本では大地震が続いている

熊本では水下着紙おむつ生理用品が不足している一刻も早くなんとかせよ

5分ごとに震度5地獄のような苦しみが朝から晩まで続く熊本弁ぐあんばれ

新幹線飛行機水道ガス電気全部止まれど原発は止めない

大地震はいつどこで起こるか分からない東北九州の後はこの地か

4月から料理教室へ通います「いい加減自立してください」と言われたので

里芋をおすましにしたが固すぎるこは煮物にすべきでありしを

小松菜をゆがいて洗ってギュギュと絞る言われたとおりにできない悔しさ

春の野に一滴残らず垂れ流す立ち小便の心地のよさよ

ホカホカの大便入れたマッチ箱振り回しつつ学校へ行く

政権のプロパガンダを垂れ流し世界中の猫を紹介する放送局

豊年だあ満作だあたわわなおっぱいをぶらぶらぶらーん 

さてマーラー いけいけ2度目の処女 燃えよドラゴン くたばれ安倍蚤糞

日本語をブツ切りにする安倍晋三国家国民もブツ切りしている

イタドリのぶっとい茎の空洞でうつらうつらと昼寝する蛇

鎌倉の霊園の山のてっぺんで堤康次郎を護る二匹のライオン

困っちゃうな地獄の釜にてホーホケキョ 

家中がLEDの蛍光灯になりてただ一つ残りし白熱灯を愛す

全痩身身をクリスマスローズの花に覆われて愛犬ムクは永遠に眠る

春蘭を掘りオオルリの雛を盗む者に禍あれ

コジュケイがチョットコイと呼ぶ春の朝

午前2時非通知の電話がまたありて5秒で切れる冥界からの挨拶



 物食うて「うまいうまい」という番組はもういい加減やめたらどうなの 蝶人

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岡本喜八監督の「ダイナマイトどんどん」をみて

2016-04-29 11:46:03 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1008



タイトルからして勇ましいこの映画は、敗戦直後の北九州のヤクザが、進駐軍の「民主主義的横やり?」で、ダイナマイトをどんどん投げ込む殺し合いの代わりに、野球による対決をする、という珍奇なお噺だけど、全編にみなぎるアナーキーさが心地よくも懐かしい。

応援団の娼婦たちがおっぱいをもろ振りするシーンもばっちり映っていて、見ごたえがあります。


    豊年だあ満作だあたわわなおっぱいをぶらぶらぶらーん 蝶人
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佐藤純彌監督の「新幹線大爆破」をみて

2016-04-28 11:16:20 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.1007


1975年に東映が製作した活劇映画だが、高倉健扮する町工場のオヤジが金欲しさに新幹線を爆破するなどという企画をよくも当時の国鉄が許可したもんだ。

さすが東映の岡田茂。いまならこういうおはなし自体をみんな「自主規制」するのではないかいな。

佐藤純彌の演出は甘く、高倉健を悪役に使いきれていない。勿体ない。


  家中がLEDの蛍光灯になりてただ一つ残りし白熱灯を愛す 蝶人
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辻邦夫著「安土往還往還記」を読んで

2016-04-27 11:39:38 | Weblog


照る日曇る日第860回



 辻邦夫の歴史小説の特徴は、その真実らしさと叙述の晴れやかなリリシズムにある。

 どんなに優れた内容を物語っていようとも、その語り口が陰鬱であったり妙な歪みや毒が含まれていたりすると、もうそれだけで放り出したくなってしまう短気な読者のわたくしですが、彼のちょっとモザールの調べに似ていなくもない透明でのびやかな散文に接すると、いつまでもその身をゆだねたくなってしまうのである。

 そんな著者がここで取りあげたのは、戦国時代の武将、織田信長であるが、この謎多き英雄の真実を、当時本邦を訪れていた外国人キリシタンの視線を通じてにはるかそうとする大胆な試みは、完璧とはいえないまでも、鮮やかに成功したと評すべきでしょう。


     イタドリのぶっとい茎の空洞でうつらうつらと昼寝する蛇 蝶人

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かりそめ~これでも詩かよ第173番

2016-04-26 10:18:06 | Weblog


ある晴れた日に 第374回



道路の真ん中を、かりそめの車が走ってきた。
車の格好をしたはりぼての車が、
風に揺られてぶるぶる震えながら走っている。

道路のはじっこには、かりそめの人が歩いていた。
外側には肉がついて、人間の姿形をしているのだが
その中には、なにも入っていない。

道端には、造花のようなかりそめの花々が咲き乱れ、
ウスバシロチョウに似たかりそめの蝶が、
そこらを、うろうろ飛んでいる。

裏駅の明治不動産の店先では、
両足を縛られた風船パンダが、
冷たい春風に吹かれて、ぷるぷる震えている。

よく見ると左右の道路は、かりそめの人々でいっぱいだ。
「やあ、こんにちは、ご機嫌よろしゅう」
「嘘じゃあないよ、ほんとだよ」などと言い交わしている。

そして、彼らのあとからふらふら歩いている私も、
極楽トンボの、かりそめの人だった。
どうしようもない、かりそめの人だった。


 政権のプロパガンダを垂れ流し世界中の猫を紹介する放送局 蝶人

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東京国立近代美術館にて「安田 靫彦展」をみる

2016-04-25 11:18:38 | Weblog


蝶人物見遊山記第202回



近現代の日本画はどちらかというと苦手なので、普段からあまり見物しないのだが、大宣伝とネームバリューにつられて覗いてみて、やっぱり後悔してしまったずら。

確かにその描線は明晰で、清方には遠く及ばずとも色だって悪くはないんだが、それがどうした。絵描きとしての腕はすでに15歳にして完成していて、それがさしたる成長もなく90過ぎても延々と続いていったんだなあ。

有名な黄瀬川陣とか「源氏挙兵」「飛鳥の春の額田王」なんかを見ても、余白を上手に使った緊張感のある構成は巧みで、タッチは精確にして清潔とは思うものの、画面に対峙して動的な感興が湧かず、心はただただ冷え込むのみ。

珍しくも会場にある百余の作品のうち、ただの1点も欲しいとは思わなかった。こんなことなら同じ時間を国芳に振りむけたかったなあ。くそったれ、金返せ。ええ腹が立つ。


   日本語をブツ切りにする安倍晋三国家国民もブツ切りしている 蝶人
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東京都美術館にて「若冲展」をみる

2016-04-24 11:00:58 | Weblog


蝶人物見遊山記第201回



 若冲をはじめてみたのはもう半世紀近く前に皇居内の宮内庁三の丸尚蔵館で「動植綵絵」の幾幅かの前に立ったときで、こんな華麗な雄鶏や雌鶏がいるものかと文字通り目がくらくらするほど驚愕した。

 その構図の大胆にして色彩の光彩陸離たること、この連作に匹敵するものはいまもってないだろう。あれで私の江戸絵画にたいする認識は一変した。

 三の丸尚蔵館は素敵な場所にあるが、なんせ狭いので展示される作品は限られている。その若冲の「動植綵絵」の全三〇幅が一同の元に会するこの展示会に足を運んで痛感したのは、(そのいささかの褪色の悲傷を除けば)、全編にみなぎる自由奔放の悦びであった。

 若冲は鶏や犬猫や昆虫や花や木や魚が大好きであり、その大好きな草木虫魚を描くことが楽しくて楽しくて仕方がないのだ。

 そういう若冲の楽しい絵を眺めていると、その晴れやかな幸福感がこちらの閉塞して陰鬱な五感にまで乗り移って、山川草木悉皆成仏の祈り、というより、現世に生きてあることの悦びが、胸の奥からふつふつと湧き起こってくるのである。

 じつに有難く得難い絵描きである。相国寺の「釈迦三尊像」なんて、まるでウォーホルよりもポップでカジュアルではあーりませんか。

 この絵筆の喜悦は、その技法の試行錯誤と冒険(「石灯籠図屏風」「鳥獣花木図屏風」における点描は、仏印象派のスーラに先駆けることおよそ1世紀!)と共に作家の生涯にわたって持続し、百獣が百歌と歓喜に満ちて争鳴する「鳥獣花木図屏風」では、その極点に達しているようだ。

 余談ながら、「葉蟲譜」が重要文化財なら、「動植綵絵」や「象と鯨図屏風」「鳥獣花木図屏風」は少なくとも国宝に相当すると思うのだが、どうも文化庁の役人どもの目は節穴ばかりのようである。

 なお「動植綵絵」を精密な動植物図鑑に見立てて鑑賞するひともいるが、それは間違っている。例えば「動植綵絵」の「芍薬群蝶図」ではクロアゲハ、モンキアゲハ、モンシロチョウなど数種類の初夏の蝶が群舞しているが、一部のシジミチョウはその品種が判別できないくらい曖昧に描かれているし、アオスジアゲハには実際にはない尾状突起がついている。

 若冲の「動植綵絵」に牧野植物図鑑の精確を求めてはならない。若冲は素材の採集にもとずく科学的な観察と写生より、「夢見るように美しいチョウ」の描出に異様なまでの情熱を注いだのである。

 最後に本展では初めて彼の淡彩画の傑作「月に叭々鳥図」に出会い衝撃を受けたり、見知らぬ版画作品や素朴な伏見人形に俄かに愛着を覚えたりしたのであった。

 なお本展は、来る5月24日まで連日満員御礼公開ちう。


 なにゆえにアオスジアゲハに尻尾がない若冲は昆虫採集をしなかった 蝶人

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野坂昭如著「絶筆」を読んで

2016-04-23 10:43:41 | Weblog


照る日曇る日第859回



 2004年から2015年12月9日までの著者の日記を主軸にいくつかのエッセイを加えた文字通りの「絶筆」である。

 日記は自分が自分の為だけに書く非公開のものと、本書のように公開が前提になったものとに大きくは分かれるが、これはもちろん後者であるから読者を楽しませようとして書かれているのだが、読んでもあまり面白くないのはなぜだろう。

 ひとつには2003年5月、72歳のみぎりに脳梗塞で倒れた後遺症の影響がある。気力体力生命力が次第に減退しているし、もはや自分で鉛筆を握れず口述筆記にせざるを得なくなれば、表現の振幅も微妙なニュアンスにも事欠くようになるだろう。荷風だってそうだった。

 内容的にはやはり自身の健康問題や昔話が大きなウエイトを占めているが、敗戦前後の悲惨な実体験に基づく昨今の混迷する政治経済社会状況への批判、特に食や農業の危機への警鐘は胸を正して傾聴するに値する。

 著者ほどTPPが亡国への一本道であることを熱烈に説き続けた論客は誰もいないだろう。原発や安倍蚤糞についてははじめは処女の如く、終わりは脱兎のごとく脱原発、反国家主義に左担してゆく変容が興味深く、死の数時間前の文字通りの絶筆とは次のようなものであった。

「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」。

 さうして、「僕はつまるところ、反戦芸人なのだ。心休まる平和な時代にあってこそ価値がある。しかし、いざ戦争になれば、たちまち旗を振って戦争芸人になるかもしれない」という醒めた自己認識こそ、野坂昭如の真骨頂というべきだろう。


  熊本では水下着紙おむつ生理用品が不足している一刻も早くなんとかせよ 蝶人

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ベン・アフレック監督の「アルゴ」をみて

2016-04-21 13:13:11 | Weblog




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.1006



イランのアメリカ大使館占拠事件を描いた映画ずら。カナダ大使館に逃げ込んでいた6人の大使館員を偽映画「アルゴ」の撮影スタッフと偽って無事に帰郷させる一大スペクタクルであるが、まあよく成功したものであるな。

 当時は骨肉の争いを演じていた両国がとりあえず和解を遂げるに至ったことはまずは目出度いが、こんな映画にアカデミー賞とは驚く。

 もっと驚くのはこの事件から36年後の世界がもっと過酷で救いのない閉塞状況にまで煮詰まってしまったこと。この映画の緊迫した事件自体が、なんだか牧歌的に見えてしまうくらいに。


  今回も黙ってテレビを見つめている俳句も短歌も出る幕はない 蝶人
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アラン・パーカー監督の「フェーム」をみて

2016-04-20 15:24:31 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.1005


 音楽やバレエや演劇などの芸術芸能方面に進むことを選んだNYの若者たちの青春苦労物語ずら。

 まあこのうちの何人がスタアにはなれずとも少なくともその道で食えるようになるかてんで予断を許さないが、それでも若さの勢いにまかせて即興的に高校の食堂や街頭で踊り狂うシーンは今は亡き60年代の光と影のようにまぶしい。




      5分ごとに震度5地獄のような苦しみが朝から晩まで続く熊本ぐあんばれ 蝶人


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四月の歌~これでも詩かよ第172番

2016-04-19 11:13:49 | Weblog


ある晴れた日に 第373回


さよなら三角 またきて四角
さよなら三月 またきて四月

さよなら三角 またきて四角
資格はテレビ テレビは電波   
電波は消えた 消すのは女

女は塗り壁 塗り壁白い 
白いはウサギ ウサギは跳ねる 
跳ねるは阿呆蚤 ノミクソ死んだ

「死ね死ね死ね」と言われたので、とうとう死んだ日本だった
死んだニッポン チャッチャッチャ
CHA-CHA-CHAなら 明美ちゃん

石井明美はB型だ B型人間恋多し
恋多き人北川景子 景子はDAIGOの嫁になる
DAIGOの祖父は竹下登 竹下登は元総理

元の総理は山本権兵衛 権兵衛といえばお百姓
百姓が種播きゃ 鴉がほじくる 
三度に一度は 追わずばなるまい

追われて逃げるは高倉健 健さん待ってて頂戴な
健さんの最愛の妻は江利チエミ
江利チエミは「三人娘」 三人娘は「ジャンケン娘」

ジャンケンポンはグーチョキパー グーチョキパーでなにつくろ?
ドラえもんとアンパンマン 二人揃って人気者
もっと人気のトリンプさん トリンプさんは大統領!?

大統領は権力者 権力者はでぶでぶだあ
でぶでぶ百貫でぶ 電車に轢かれてペッチャンコ
ペチャンコなのは あの子のオッパイ

オッパイからはおいしいミルク ミルクを出すのは牧場の雌牛
牧場の雌牛はなんて鳴く 寂しい時はモウと鳴く
モウと鳴いたら一匹で モウモウモウで三匹だ

三匹なのは「三匹の侍」 監督したのは五社英雄
五社英雄なら鬼龍院花子 「おんどらナメたらいかんぜよ!」
なめてもいいのは親父の頭 ぴかぴか光る禿げ頭

ぴかぴか光るはトンボの目玉 蛇の目は夜も光ってる
おっかないのはニシキヘビ ニシキヘビは無闇に長い 
無闇に長いは森泉嬢の両の脚 森と泉に憩いたい

さよなら三角、またきて四角
さよなら三月、またきて四月


  菜の花に紋白蝶が止まってる熊本では大地震が続いてる 蝶人
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ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」をみて

2016-04-18 14:08:21 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.1004



なぜドクがアープに加勢するのか、どういう経緯や証拠をもってクランクトン一家の略奪や殺人がアープに知れたのか、なぜアープはあれほど急速にドクの元恋人に惹かれていったのか、肝心の決闘シーンで誰が誰をどのように殺したのか、などがよく分からないまま、各シーケンスがどんどんブツ切りされ、唐突にヒーローとヒロインが別れてゆく奇妙な西部劇である。

つとに知られているように、これはジョン・フォードの作品ではなく実際は製作者ダリル・F・ザナックの作品といえよう。

20世紀フォックスの帝王として長く君臨したこの偉大なプロデューサーは、ジョン・フォードが撮影し編集したフィルムを自分勝手に切り刻み、場合によっては、この作品のように、別の監督に新たなシーンを撮影させていたのである。

しかしそれが作品を台無しにしているかというと必ずしもそうではない。ジョン・フォードの映画は、ともすると長くなり編集が冗長に陥る欠点があったが、どんな映画も1時間半以内に収めることを好むこのワンマンは、情緒纏綿たる女性的なモードを嫌ってエッジの効いた男性的なカットを施し、それが独特の抒情とカッコよさを生みだした。

ジョン・フォードにとっては恐らく不本意で屈辱的な本作が、彼の最高傑作と称される皮肉と矛盾の真因がそこにある。

なお、原題は「荒野の決闘」ではなく「いとしのクレメンタイン」なのでそうすべきだろう。


  新幹線飛行機水道ガス電気全部止まれど原発止めず  蝶人
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家族の肖像 その9~これでも詩かよ第174番

2016-04-17 10:39:36 | Weblog



ある晴れた日に 第372回


「お母さん、イビキってなに?」
「眠っているときにグウグウいう音よ」
「イビキ、イビキ、イビキ」

「お父さん、座ってくださいの英語は?」
「シッダン、プリーズだよ」
「プリーズ、プリーズ、プリーズ」

「お母さん、まつりごとってなに?」
「まつりごとねえ。まつりごと、まつりごと」

「お父さん、お金ください」
「エッ、お金? 何に使うの」

「お母さん、なつかしいってなに?」
「そうねえ、昔は良かったなと思うことよ」
「なつかしい、なつかしい」

「耕君、どうしてそんなに喚くの? 頼むからいいこにしておくれ」
「僕、キンニクマンのアシュラ好きですお」

「♪ラアラアラア」
「耕君、なんの歌?」
「巣立ちの歌だお」

「お母さん、自閉症ってなあに?」
「そうねえ、ちょっと不思議な人。耕君、誰かに自閉症ていわれた?」
「いわれないお」

「お父さん。行方不明の英語は?」
「Disappearanceかな。ディサペアランス」
「行方不明、行方不明」

「しょうがないの英語は?」
「しょうがないかあ。そんな急に言われてもなあ。しょうがないは、仕方がないことだよ」「しょうがない。しょうがない」


  大地震はいつどこで起こるか分からない東北九州の後は我が身か 蝶人
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ミシェル・アザナヴィシウス監督の「アーティスト」をみて

2016-04-16 11:22:04 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.1003


モノクロームのサイレント映画をもういちどやってみようという発想がこの映画の勝因ずら。

トーキーの時代に乗り損ねて没落した往年の大スターが、若い人気女優の愛情に助けられて銀幕にサイデビューするというチャップリンの「ライムライト」に触発されたようなベタなお話も、悪くはなかった。

ただ主演男優のジャン・デュジャルダンが良かっただけに、御相手のヒロインのミスマッチが残念。ほかにいいのがいくらでもいるだろうに。




  鎌倉の霊園の山のてっぺんで堤康次郎を護る二匹のライオン 蝶人
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立花隆著「武満徹・音楽創造への旅」を読んで

2016-04-15 14:04:03 | Weblog


照る日曇る日第858回



 バッハやモーツアルトの音楽が、最初の一小節でそれと分かるように、武満徹の音楽も、彼以外の何物でもない音で鳴っている。それは彼がまぎれもない世界的な作曲者である証左だが、ではその独創性はどのようにして生成されたのか。

 これが本書のライトモチーフである。

 武満徹の音楽は、よく日本的・東洋的な音楽といわれる。確かに彼の出世作「ノヴェンバー・ステップス」などを聴けば、彼が惹かれた尺八や琵琶の調べが高らかに奏されており、そこでは邦楽と西洋音楽との対峙や混淆といういつか見た時空が展開されているといえるだろう。

 しかし武満のその後の歩みは、単純なものではなかった。命をかけた音と音楽の本質への切り込みは、東洋・西洋の2極対立や融合という通俗的な次元を超えて、より複雑で多義的な世界音楽、絶対音音楽、そして普遍的な超宇宙音楽の創造へと向かう。

 そこでは十二音音楽も、ミュージックコンクレートも、かつて否定された調性も相対化され、自然と宇宙に偏在する無数無限の音の大河大海の中から、一滴の音を取り出して“一音成仏の響き”をもたらすことが、この孤高の芸術家の見果てぬ宿願と化して行ったようだ。

 1996年2月、突如65歳でこの世を去った武満徹の生涯を、その藝術活動の軌跡を中心に長時間インタビューと徹底的な取材をもとに18年間の歳月をかけてまとめあげた著者渾身の力作であり、代表作であり、まぎれもない最高傑作である。

 とこう書けば、この2段組780ページの超大作をまとめたことになるだろうか。「Never!いや、ならねえよお」と思われる方こそ、どうか騙されたと思って本書を手に取って頂きたい。

 作曲家タケミツのファンはもとより、著述家タチバナ選手のファン、さらにはこの2人にさして興味もない方々がお読みになっても、絶対に面白くて為になる、どんな不人情な読者も最後に一掬の涙を溢さずにはいられない、2016年度前半の極私的ナンバーワンブックである。



*参考までに
https://www.youtube.com/watch?v=S1HlEwBPn3M


          不揃いの餃子を喰うや爺五人  蝶人
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