あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第36回

2016-06-30 10:07:33 | Weblog



西暦2016年水無月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 233



無理矢理文語体で短歌を作ろうとすると、ラテン語で卒論を書いた西脇順三郎になったような気分になる。おらっち寂しいアリストクラートやねん。6/1

「猿蓑」で去来が「鳶の羽も刷ぬはつしぐれ」とやったら芭蕉が「一吹き風の木の葉しづまる」とつけた。これはちょっと凄いものです。すると蕪村さんが「一日に一度「一吹き風の」を口の中に転がすようにしないと私の口に茨が生える」と言った。吉増剛造「我が詩的自伝」6/1

「不明の息遣い」っていうのが芭蕉さんには必ずあるのね。「鴨の声ほのかに白し」。何か聞こえてくるじゃないの。万物の不思議な所から美の声がするんだよ。吉増剛造「我が詩的自伝」

蕪村さんにも西行さんにも芭蕉さんのような獣性、正類性はない。蝉、猿、馬、鴨、蛙………生動してるな。芭蕉さんの「軽み」というのは獣の言葉だった。吉増剛造「我が詩的自伝」

ジェラール・ド・ネルヴァルの「黄金詩篇」の詩句の「愛の神秘は全層の中に息う」は、「愛の神秘は金属の中に息う」の誤植だが、吉増剛造氏は後者もなかなかよいではないかという。6/3

モハメド・アリが死んだ夜、心臓がかなり傷んだ。父も母も心臓で死んだからきっと私も心臓で死ぬだろう。ニトロは呑まずにじっと耐えてその予行練習をした。6/4

昭和天皇が、米軍駐留の日米安保体制と武装放棄の平和憲法を抱き合わせで望んだのは、共産主義を懼れ、天皇制の護持を願ったからであった。6/6

外添都知事に対する若い記者たちの質問、追及の弱さ、甘さに驚く。安倍の会見の時もそうだが、みな未熟な青二才ばかりで、歯がゆい限り。都民や国民になり変って疑惑を徹底的に追及しようとする姿勢も気迫も勉強の成果も感じられない。少しは欧米の記者の質問の仕方を学んだらどうだ。会見中に回答をPCに入力するのは止め、取材対象に肉薄せよ。6/7

日米安全保障条約の案文からして、もし中国との間で尖閣諸島で何か事が生じたとき、自動参戦する義務は米軍にはありません。だから参戦しなくても別に条約違反ではないのです。白井聡「戦後政治を終わらせる」

生産力の向上に寄与しないと判定された人は、社会によって包摂されなくなり、そのプレッシャーによって追い込まれます。白井聡「戦後政治を終わらせる」

2016年の今日、「希望は戦争」はレトリックではなくリアルな話になりました。もちろんそれは資本にとっての「希望」です。経済成長ゼロの状況を打開するために大破壊をやって焼け野原が出現すれば成長が再開できます。白井聡「戦後政治を終わらせる」

来るべきポスト55年体制の政治は、明治時代から現在まで綿々と続いてきた「国家は国民に優越する」という原理を、その原理を奉じる政治家、政治勢力もろともに一掃するものでなけれなりません。白井聡「戦後政治を終わらせる」

外山雄三が作曲した「管弦楽のためのラプソディ」の中にある日本は、偽の日本、あるいは表層のニッポンである。6/12

クラシック評論家の宇野功芳氏が10日に86歳で亡くなったという。この人は政治的にはとんでもない復古主義者だったが独自の臭覚的聴覚と鋭い直観を持っていてとりわけシューリヒトや朝比奈隆、クナパーツブッシュなどの音楽の正しい聞き方を無知な我われに噛んで含めるように教えてくれた。合掌。6/13

談志の落語は、指揮者に例えるとクライバーの音楽のような即時的感興にみち溢れていた。一語一音に込められた生命の切ない輝きが懐かしい。6/14

たとえそれが悪人だろうが善人だろうが、「10万人といえども我行かん」とするとき、雲霞のごとく日本全国から湧き起こって来るバッシングの嵐。これが平成ニッポンの村八分の威力だ。6/15

マスゾエ辞任に続く都知事選の話題によって、人々はマスゾエよりも重要な問題があることをすっかり忘れ去ってしまうことだろう。6/16

先日はベートーヴェン全集を、昨日はワーグナー全集を衝動買いしてしまったが、改めて在庫の山と谷間を調べてみると、まったく同じものを既に何年も前に購入していたことが判明した。安物買いの銭失いであると同時に進行するアルツハイマーの証左であろう。6/17

音楽よ、俺を助けてくれ。6/18

経済書は一瞬にして腐る。値がつけられない。神田「八木書店」主

ハープシコードや弦楽器の再生は難しい。いいスピーカーが欲しいのだが、哀しいことにお金がない。6/19

心に優しさの持ち合わせがない人は、看護や介護の仕事に携わってほしくない。6/20

小田和正や南こうせつの歌曲を支えている低次の抒情の陋劣さに耳を覆いたくなる。6/22

本邦を訪れる海外からの観光客は年間2000万人を超えたそうだが、英国のリバプールを訪れる人は年間5000万人だという。6/23

思えば「1リットルは10デシリットル」くらいの豆知識でこの世を泳ぎ渡ってきたなあ。6/23

アマゾンやauなどにちょっと問い合わせをすると、すかさず「いまの社員の対応はいかがでしたか?5段階で評価してください」などとメールが舞い込む。嫌な時代になったものだ。6/20

憲法改悪の悪だくみを隠ぺいする安倍蚤糞の子供だましの姑息な目くらましに、またしても引っかかる愚かな愚かな「大衆の実像」。6/23

山田耕筰は、その人となりとその思想においてかなり胡散臭い人物だが、本邦のクラシック音楽、とりわけ交響曲、管弦楽、オペラの基礎を営々と築き上げた偉大な音楽家であった。6/24

英国がEUから離脱できるんだから、沖縄が日本から、日本が米国から離脱できないことはないだろう。やってみなはれ。6/25

お互いに東西の落陽の老大国同士、この際腐れ縁の米国と手を切って、EUから離脱した昔馴染みの英国と、新たな日英同盟を結ぶという手もある。6/26

今朝ニイニイイゼミの初鳴きを聞く。今年もまた夏が来た。6/27

私の作品に「麒麟」というのがありますが、あれは「麒麟」という文字から作品が生まれました。昔の人が「言霊」と名付けたのも寔に無理はありません。言葉は1つひとつが生き物であり、人間が言葉を使ふと同時に、言葉も人間を使ふことがあるのです。谷崎潤一郎「文章読本」

自公政権を支えているのは、自公の熱烈な支持者ではなく、政治にご興味をお失いあそばされ、「ろくな政党も候補者も皆無ずら」とのたまわって、投票にすらお出かけにならないご立派な有権者諸君であるが、こういう連中こそ万死に値するのではないだろうか。6/29


 「東洋のスイス」が突如生まれいで「中東のスイス」と手を握る夢 蝶人

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ラオール・ウォルシュ監督の「白熱」をみて

2016-06-29 14:58:04 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1032



マザコンで突如凶暴になってしまうジェームズ・ギャグニーの悪漢が圧巻。

「WHITEHEAT」というタイトルはどういうことかと思いつつ眺めていたが、石油タンクに銃をぶっ放して「やったぜ母ちゃん、おらっち世界一!」と絶叫しながら自爆するラストシーンをみて納得。

これは名作「ヴァニシングポイント」と並び称せられる傑作爆発映画なり。

ヴァージニア・メイヨがエロい。



   EUを離脱したる英国と同盟結んで米から離脱 蝶人

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夢は第2の人生である 第34回

2016-06-28 10:07:57 | Weblog
 

西暦2015年長月蝶人酔生夢死幾百夜


久しぶりに3大テノールのCDを聴いたら、なぜだかパバロッティを除くドミンゴとカレーラスの声が妙にしわがれている。そうかと2人ともあれから歳をとって老化したんだなと納得。9/1

国境警備員の私は、常に極度の緊張を強いられていたが、時折「侵入禁止」の立て札を捨てたり、両軍の衝突で負傷した兵士の人命救助に従事したりして、極力その緊迫感を緩和するべく努めていた。9/3

私は「戦にしてあればなんちゃらかんちゃら」という文字をコピペしてから、新しい原稿を書こうとするのだが、何回やり直してもその「戦にしてあればなんちゃらかんちゃら」がしゃしゃり出てきて、どうしても他の文字は打てないのだった。9/4

ところがしばらくするとPCの画面に「山猫さんこんばんは、いかがお暮らしでござんすか」というどどいつ野郎が勝手に出てきてのさばっているので、私はこれは駄目だ、と今日の仕事をあきらめてしまった。9/4

川沿いの小道を歩いていると、子供たちがさわいでいる。川の真ん中にある大きな石の上で大猫と鳶がにらみ合っていて、天然ウナギのウナジロウを狙っているのかと思ったが、そうではなくて大猫が捕まえて両手で抱え込んでいる台湾栗鼠を、鳶が奪い取ろうとしているのだった。9/5

豪雨が降り注ぎ、凄まじい雷鳴が轟きわたるその瞬間、峠の頂から今来た路を振り返ると、生まれてこの方私が歩んできた道筋が、ありありと見渡せた。9/6

北欧のどこかの国に出張に来ていた私は、取引先と夕食を共にすることになり、赤ちゃんを連れた女性とレストランに先発したのだが、途中ではぐれて途方に暮れてしまった。9/6

ある人が「いつも3冊の本を読め。ただしそのうちの1冊はちんぷんかんぷんの本にせよ」と助言してくれたので、後生大事にそのようにしていたら、ちんぷんかんぷんの人間になってしまった。9/7

全国知事会が、向後は第1次産業と第2次産業製品の生産を取りやめ、もっぱら第3次産業の製品のみを生産すると決定したので、政府はもとより全国民が一驚した。9/8

テレビドラマと/映画の2本の仕事が、いよいよ大詰めを迎えた。後はそれぞれのラストショットの撮影と編集をすればいいのだが、最大の問題は社長の小林だ。彼奴は自分の強烈な口臭が、スポンサーからもスタッフからも嫌われていることを知らない。9/10

家族を殺された恨みを晴らすために、私は最前線の敵軍めがけて、単身で突撃していった。9/11

おやおやこれは一体どういうことなんだと、私が驚いている間にも、私の体はみるみる剛直して、巨大な玩具の兵隊になっていった。9/12

地球最後の日がやってくるというので、人々は狂乱したり、集団自決したり、久しぶりに一族郎党が団欒したり、思い思いに残された日々を過ごしていたのだが、滅亡の予定日を過ぎても何事も起こらないので、しばし途方に暮れていた。9/13

私は独立機械時計の弟子として長年修業を続けてきたのだが、目がどんどん悪くなってきたので、師匠に「迷惑を掛けるから首にしてください」と頼んだら、「俺なんか全然見えないけど、なんとかやってるから、お前も頑張れ」と励まされた。9/14

何十年も英語を勉強してきたにもかかわらず、てんで身につかない私は、アメリカ大使館でも衛兵と、アトランタ空港でも税関の悪名高いいちゃもんおばはんと大騒動を巻き起こし、ようやっと帰国した成田空港の税関でも、ここでは日本語で、ひと悶着起こしたのだった。9/14

東京暮らしが長い割にその地理がよく分かっていない私は、時折迷子になった。今日もそうなったのだが、幸い渋谷行きのバスに乗れたので安心していたら、折からの台風で通行禁止になり、バスから降ろされた私は、泥だらけになって大水の出た道無き道を歩き続けた。9/15

今次の戦にボランテイアで応じた富裕層には7%、中間層には9%、下層民には11%の一時金追加支給が国から出されるという法案に対して、私は支給額ゼロを主張したが、却下されてしまった。9/15

彼奴をやるかやるまいかと悩んでいたが、手元にあった葛根湯を呑んだ途端、急に元気が出てきて、その悪辣な権力者の胸元を、柄も通れと突き刺すと、彼奴はどうと倒れ伏した。9/16

夜、誰かがベンチに腰かけていた。近付くと腰の曲がった老人が、上半身裸で目を閉じていたが、よく見るとその背中は無残にただれて、大きな傷が出来ていた。もしかすると原爆の犠牲者かもしれない。

やがて夜空に満月が昇った。見たこともない巨大なフルムーンだ。やがて月から流れ出た乳白色のまばゆい光は、ベンチに座っている老人の背中に降り注いたが、ふと気がつけばあの醜い傷跡は跡かたもなく消え去っていた。9/19

私は恋人を盗られたと思って、後を追ってきたタコと格闘して、ナイフで刺し殺し、彼女の故郷まで辿りついたのだが、この噺をショートムービーにしたら、カンヌの短編映画祭でグランプリを呉れたので驚いた。9/20

その会社は途方もない広さを誇っていた。その敷地の中には事務所や工場や社員寮のほかに、海も山も草原も町も村も、寺や神社や教会も、数多くの住宅や路地や植物園、動物園もあり、動物園にはパンダ、水族館にはリュウグウノツカイまで揃えていたので、誰も仕事をしないで遊んでいるのだった。9/21

どういうわけか厚生省の偉い役人になったので、施設で働き、ホームで生活している息子を苛める陰険な職員を解雇しようとしたのだが、まてよ彼奴も妻子と生活があるだろうと思って、特権を振りかざすことをやめた。9/23

総務課の川口さんから電話があってちょっと話があると云うので部下の酒井君と待機していると、来期の経費をすぐに出せと云う。「おラッチはよう、安倍蚤糞は失敗すると読んでいるけどよお、株式の投資が莫迦当たりしたんでよう、売り上げも利益も全然駄目だけど、経費だけは削らなくてもいけそうだと、社長が言っておられるんだそうだ」9/24

「だからあんたの課も大至急予算計画を出してほしいんだ」という不景気な中にも景気の良い話なので、私が「そんなら念願の新規ブランドの立ち上げが織り込めそうだ。酒井君と相談して一発どでかい計画をぶち上げてみますかな」」といいながら、目の前の川口さんの顔を見ると、顔と目鼻の輪郭がどんどん霞んでいる。

「おうそうよ、どうせ会社の金なんだからバンバン使いまくってくれよ」という声だけが聞こえてきたので、私はハタと気づいて、「でも川口さん、あなたはもう10年、いや20年近く前に亡くなっていますよね。そんな人がどうして来年の予算を担当しているんですか?」と尋ねると、

「いやあそういう小難しい話はよお、おらっちもよく分かんないんだけどさ、まああんまり堅く考えないで柔軟に対応してよ、柔軟に」と相変わらず声ばかりが元気に聞こえてくるので、「そんなこと言われてもなあ、酒井君」と後輩の顔を見ると、彼もまたなぜだか目鼻立ちが急激にぼうっとしてきているので驚いたが、じっと見つめているうちに彼は去年の今頃入浴中に急死していたことを思い出した。9/24

またしても単位が足らなくなってきたので、毎日のように大学へ行って見境なしに授業に出ているのだが、このままでは卒業できそうにないので、やむを得ず単位屋に頼んだ。彼奴は学校や教員のPCに侵入してデータを書き換えてくれるのだ。9/25

妻と子の姿が見えなくなったので、2階の窓からのぞくと、夕暮れの遥かな野道を歩いている。あわててバスに乗って、次のバス停で追い付いて、「早く乗れ」と声をかけると、2人の子供は乗り込んできたのだが、妻をおいてけぼりにしたまま発車してしまった。9/26

「みんないるかあ?」と誰かが声をかけたので、「妻だけがいません」と答えたら、「大丈夫だ、私の目には3つの物体の映像がちゃんと映っている」とその人物は請け合った。見ると、彼の腕には3つの腕時計が巻かれており、それぞれ別の時を刻んでいるのだった。9/26

「わたしには1ダース以上の子供がいるので、北朝鮮のスパイに1人や2人誘拐されたって全然構いませんよ」と豪語する男が、岸壁にいた。9/27

なんだか知らないけれど、こんな田舎で突然世界博覧会が開催されることになり、私は俄かプロデューサーとして現地に乗り込んだが、各国のブースはとっくに出来あがっているのに、中央会場と日本館の設営は誰も手掛けていないのだった。9/27

その有名タレントと契約を更改しようとしたのだが、彼は「君はこのトラックを全速力で飛ばせ。俺はそのトラックを全速力で追い越して運転席に乗り込み、そこで契約書にサインしよう」というので、私はスタートさせた。9/28

全国大会の時間の都合で報告が出来なかった連中が、怒り狂って司会者の私のところへ押し寄せてくる、という話を聞いたので、戦々恐々としているところだ。9/29

私が夢を見ている最中に横尾忠則画伯が出てきて「この夢を絵に描いてやろうか」と言うので、「どうぞ、どうぞ」と頼んだら、実際の夢とはかけ離れた物凄く派手な極彩色の絵になってしまった。9/30

しばらく政府の専横に不平と不満を抱く旧士族たちと生活を共にしたのだが、その政治的主張はともかく、彼らの清廉潔白な生き方には、目が洗われるような思いだった。9/30


  韓国のTVドラマを好きな人は嫌韓派ではないのだろうが 蝶人

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小国寡民 

2016-06-27 11:48:03 | Weblog


狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 232


萩原延壽著「精神の共和国」によれば、1946年に敗戦による栄養失調で死んだ河上肇の絶筆は、

「冬暖かにして夏涼しく、食甘くして服美しく、人各々その俗を楽しみその居に安んずる小国寡民のこの地に、無名の一良民として、晩年書斎の傍らに一の東籬を営むことが出来たならば、地上における人生の清福これに越すものはなからうと思ふ。私は日本国民が之を機会に、老子の所謂小国寡民の意義の極めて深きを悟るに至れば、今後の「日本人は従前に比べ却って遥かに仕合せになるものと信じている」

というものであった。

小国寡民は、老子の「小国寡民、その食を甘しとし、その服を美しとし、その居に安んじ、その俗を楽しむ。隣国相望みて、鶏犬の声聞ゆるも、民、老死に至るまで相往来せず」に由来するそうだが、萩原氏とともに私は、敗戦後のわが国から、この老子と河上の後世への遺言がいつの間にか虹の彼方にはかなく消えうせたことを悲しむ。

全世界を敵に回して絶望的な戦いを戦い、すべての資源と武器を失って敗れた大日本帝国の臣民がたどるべき道は、極東のこの小さな島国にひっそり閑と閉塞し、グリムの童話の誇大妄想にとりつかれたかの蛙のごとく破裂した夜郎自大な愚かさを何世紀にもまたがって反省し、世界人民に迷惑を掛けず、いついつまでもおのれを殺して逼塞隠遁し、かの美空ひばりの歌のやうに穏やかに、謙虚に生きていくことであったろう。

かつて7つの海を制覇した栄光の大英帝国が、誇りを失うことなく胸に手を当てながら悠々と黄昏ていったように。

さうして、吾等が理想の小国寡民にとって最強の武器とは、皮肉なことに戦勝国が吾等に呉れたパンドラの箱たる憲法第9条であったのだが……。




     「アジアには絶対旅行したいです」とほざく日本人お前はアジア人ではないのか 蝶人


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中公中公源氏物語欠落版「谷崎潤一郎全集第18巻」を読んで 

2016-06-26 11:08:57 | Weblog
  

照る日曇る日第874回

本巻では「文章読本」「聞書抄」「猫と庄造と二人のをんな」「初昔 きのふけふ」とその他を収めている。「文章読本」は「我われ日本人が日本語の文章を書く心得」を具体的に記したものであるが、言語と文章の定義からはじまって、現代文と古典文、西洋の文と日本の文章の違いなどを諄々と説いていくのだが、文章には用語、調子、文体、体裁、品格、含蓄の六つの要素があって、文章上達には文章に囚われないこと、感覚を研くことが必要と断じ、要所要所で具体的に文例を挙げながら熱情をもって説き去っていくユニークな作文作法術は今読んでも新鮮である。

「第二盲目物語」という副題が添えられている「聞書抄」は、暴君秀吉の犠牲になった太閤秀次とその女たちの悲劇的な最期を史料と想像力を駆使しながら見事に活写した歴史小説であるが、発表当時も現在も冷遇されているのがじつに不可解な傑作である。

著者がライフワークの源氏物語をほんやくしている最中に息抜きのように書かれた「猫と庄造と二人のをんな」は現在の異様なまでのネコブームを先取りした動物愛の物語で、女よりも猫に夢中になる男の生態をここまで描きつくす谷崎の軽妙な筆致に幾たびも唸らされる傑作喜劇である。

   英国がEUを離脱するというので大騒ぎ私は朝からフルニエを聴く 蝶人
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「イタリア弦楽四重奏団全集」全37枚組CDを聴いて

2016-06-25 10:09:59 | Weblog


音楽千夜一夜 第368回



イタリア弦楽四重奏団のモーツァルトの「ハイドン・カルテット」を70年代の旅先で耳にしたときは、最初の一音で陶然となって、なぜだか涙が出て仕方がなかった。

ああ、これがモザールだ。これが四重奏曲だ。これが弦のほんたうの響きだ。
と確信できて、それは同じ頃に聞いたクーベリックのマーラーと同様にかけがえのない音楽体験となった。

その後同じ曲をいろんな機会にいろんな団体で聴いたが、みな駄目だった。
大好きな東京カルテットも駄目だった。鉄人アルバンベルクも、てんでお呼びでなかった。

それから幾星霜、いまではとっくの昔に解散したこの四重奏団がかつてフィリップス、デッカ、DGに入れた録音を順番に、それこそ粛々と聴いていくなかに、K387のその曲があった。

「春」という副題がつけられたそのト長調4分の4拍子のその曲の、冒頭のAllegro vivace assaiを久しぶりに耳にした私だったが、どこか違うような気がして、小首を傾げた。

それはまぎれもないイタリア弦楽四重奏団の演奏ではあったが、あの日あの時、あの場所に朗々と鳴り響いたあの奥深い音ではなかった。

それから私は急いでCDを停めて、そのほかのモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトなどがぎっしり詰め込まれている灰色の蓋をした黄色いボックスにそっと仕舞いこんだ。

半世紀近い大昔の、あのかけがえのない音楽と懐かしい思い出が、もうそれ以上傷つけられないように。


   改憲の主張を封じとくとくと安倍蚤糞の成果を誇る日本のイトレル 蝶人


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ほとんど忘れてしまった映画4本ずら

2016-06-24 11:53:38 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1028、1029、1030、1031


○リチャード・ラグラヴェネーズ監督の「P.S アイラブユー」をみて

若くして亡くなったヒーローが、痛でに苦悩するヒロインをあらかじめ用意された手紙で草葉の陰から善導し、目出度く第2の人生に旅立たせてあげるという「奇跡的な愛の物語」ずら。しかしこういうことって映画以外に実際に出来るのか甚だ心もとなし。


○ピッター・ハウイット監督の「ジョニー・イングリッシュ」をみて

Mrビーンのローワン・アトキンソンがドジで間抜けな情報員になって大活躍する007のパロディ映画。本編が終ってクレジットも終り近くに出る料理シーンが抜群に面白い。


○スティーブン・ソダーバーグ監督の「オーシャンズ12」をみて

ギャラの高そうな役者がずらずら出てきてどうしよもなく下らないドタバタを延々とやる続けるのはやめてもらいた。こっちも忙しいんだ。



○ペイトン・リード監督の「イエスマン “YES”は人生のパスワード」をみて

どんな問いかけでもイエスと答えていれば幸運に恵まれるなどというシナリオにやすやすと乗るわけにはいかんずら。いくら幸福の絶頂に自死するのが最高に幸福だと思っていても、そういうのを自己中の身勝手というのです。


  「争点」議論はどうでもよろし参院選は護憲改憲の決戦関ヶ原なり 蝶人
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グラモフォン盤の「クライバー全録音集」全12枚組CDを聴いて

2016-06-23 13:51:18 | Weblog


音楽千夜一夜 第367回

ドイツ・グラモフォンに録音したCDがたった12枚とはあまりにも少なすぎるが、異常なまでの完璧主義者の悲しい性癖を恨んでも仕方がない。遺された歴史的録音を独りの夜にじっくり聴いてみよう。

12枚というても交響曲はベートーヴェンの5番と7番、ブラームスの4番、シューベルトの3番と8番のみ。あとはオペラと喜歌劇で「こうもり」、「椿姫」「トリスタンとイゾルデ」「魔弾の射手」であるが皆さんなにからお聞きになりますか?

これらのうちで最も録音が古いのは1973年の「魔弾の射手」であるが、これをいち早く聴いてぜ絶讃した青柳君は偉かった。というか良い耳をしていた。当時本邦のレコード界ではまだ駆けだしのクライバーを最高級に評価する人はそんなに多くはなかったのである。

それではまずウエバーから行ってみよう。オケ版はシュターツカペレ・ドレスデンだ。神田に事務所がある青柳君、どうしているか。


「よく生きた」などと思うは傲慢で「十二分に生かされてきた」のである 蝶人

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榎原雅治著「室町幕府と地方の社会」を読んで

2016-06-22 13:48:58 | Weblog
  

照る日曇る日第873回


岩波新書のシリーズ「日本中世史」の第3巻であるが、2巻目の「鎌倉幕府と朝廷」よりはるかに読みやすく、したがって分かりやすい内容であった。それでもまだまだ良質の日本語とはいえない個所も散見されたが、素人相手の啓蒙書はこうでなくてはいけない。 

建武の新政から南北朝の争乱、足利幕府の支配体制、そして応仁の大乱へと続く時代の流れがこれほど骨太かつ明快に説かれた新書はこれまであまりなかったのではないだろうか。

基本的には鎌倉幕府の荘園制護持と「徳政」尊重の政策を継続しながらも、権力者のきまぐれやら権力闘争やら天変地異やらによって、時代の政治的経済的社会的基盤が急激に変化し、民草が翻弄されてゆく哀れな姿は、なにやら平成の当代とさほど変わらないのではなかろうか、という不可思議な感慨にとりつかれてくる奇特な1冊であった。

なお81ページの図版2-8の「笹丸」は「篠作」の間違いではないだろうか。また斯波氏や畠山氏の系図があるのに、どうして細川家のそれがないのだろうか。再考していただきたいものである。

         楢の葉をゼフィルス越ゆる桜桃忌

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長谷の川端康成邸を訪ねて

2016-06-21 11:27:45 | Weblog


蝶人物見遊山記第209回& 鎌倉ちょっと不思議な物語第367回


鎌倉文学館の抽選に当たったので初めて長谷の川端康成氏の庭園と邸宅を拝見することができました。

甘縄神社のすぐ傍にあるその住まいは、入口は狭いのですが、入ると右に作家の旧邸、左にかなり広い庭があって、広大な敷地の奥の方には家族の方がいまも住んでおられるそうです。

屋敷は宮大工が建てた純然たる平屋の日本家屋で広い和室が手前から3つほど横一列に並んでいて、いちばん奥に玄関口、その隣に書斎や仏間、その奥にはまたいくつかの和室があるようでした。

関東大震災では当地は壊滅的な打撃をうけ、近隣の家屋はみな倒壊したそうですが、この立派で頑丈な建物だけはびくともしなかったそうです。
屋敷を見下ろしているのは「山の音」で不気味なうなりをあげた裏山ですが、かつてこの山に聳えていた高い松の木の枝に鷹を見た、と川端選手はその「竹の聲桃の花」という随筆に書いていますが、残念ながら私はまだ鎌倉で鷹を見たことはありません。


         幻は鷹か川端康成か 蝶人

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スリルとサスペンス映画2本立て

2016-06-20 11:37:40 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1026、1027



○マーティン・リット監督の「寒い国から帰ったスパイ」をみて

一難去ってまた一難。命からがらようやっと脱出できたというのに撃たれて死んだ好いた女の元に引き返した男は、ようやっとスパイ稼業の阿呆らしさを思い知らされて一緒に死にに行ったんだろうね。きっと今もこういう地獄に生きている奴はいっぱいいるんだろうね。

○ロナルド・ニーム監督の「オデッサ・ファイル」をみて

元ナチ秘密組織「オデッサ」の陰謀を追及する西ドイツ記者の命懸けの戦いを描く。しかし余りにもナチの旧悪を対象にした映画が数多くつくられたために、事の重大さは別にして、観る前からああまたナチものかといううんざり感がしないかというとやっぱりするのである。

しかし裁判にかけないでいきなり犯人を撃ち殺してもいいのかいなという結末ではあった。


   もはや眼でしか意思を示せないその友の眼をじっと見つめる 蝶人
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鎌倉国宝館で「常盤山文庫名品展2016 国宝の墨蹟」をみて

2016-06-19 11:35:35 | Weblog


蝶人物見遊山記第209回& 鎌倉ちょっと不思議な物語第367回


面倒くさいから国宝館の資料をそのまま引用いたします。
常盤山文庫は、鎌倉山の開発に尽力した故・菅原通濟氏によって、一九四三(昭和一八)年に創始されました。その母体となるのは通濟氏が蒐集した墨 蹟 (禅僧の書)や水墨画など書画のコレクションで、国宝二点、重要文化財二三点を含みます。鎌倉国宝館では年に一度、常盤山文庫名品展を開催してまいりました。
本年の展示では、国宝・重要文化財を含む墨蹟や絵画、青磁に加えて、鎌倉地方に所在する寺院ゆかりの青磁をあわせて展示します。中国南宋~元時代の禅僧が書いた墨蹟や中国絵画と、それらの影響を受けてわが国で制作された書画との関係を見ていただくとともに、中世鎌倉に多くもたらされた青磁の美しさをお楽しみください。
ということであるが、小津監督の映画でもよく知られている菅原通濟選手は、じつに渋い趣味の持ち主であったことがこの展覧会を見物するとよくわかる。

青磁はあまり感心しなかったが、中国の名僧の墨蹟はなかなか結構なものが多かった。亡くなるその日に書かれた遺蹟があってそれはもう列も筆跡も乱れているのだが、なんともいえずいい味を出してるのである。白鳥の書とはこういうものかと思ってしばらく見惚れていた。

なお当展は7月18日まで当館にて開催中。


   マスゾエよりも反省すべきは投票したる211万都民 蝶人
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映画あれやこれや

2016-06-18 11:33:51 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1023、1024,1025


○ケヴィン・マクドナルド監督の「消されたヘッドライン」

 主人公ラッセル・クローはワシントン・ポストの記者で、その友人の上院議員ベン・アフレックと協力して民間軍事会社の陰謀に挑んでいくと思っていたら、最後の最後に思いがけないどんでん返しが待っていたために、国家と戦争会社の癒着は暴かれずじまいになってしまった。この映画におけるラッセル・クローははまり役。


○アルフォンソ・キュアロン監督の「トゥモロー・ワールド」をみて

西暦2027年いたるところで戦争とテロルが起こり、すでに18年間にわたって子供が生まれなくなった末世の地球を描くSF映画。全編にわたってみなぎる悲愴感と閉塞感を特殊撮影技術がもたらしている。コダックではなく今は亡き冨士フィルムを使用すればもっと良かったろうに。原題は「人類の子供たち」なのでそのようにしてほしい。


○ダンカン・ジョーンズ監督の「ミッション:8ミニッツ」をみて

8分間だけ過去にさかのぼっていろんな工作をすれば、テロや大惨事を起こらなかったようにできる一大革命的スステムが完成。確かにこれがあればドラエもんのタケコプターや7どこでもドア以上に重宝だな。
珍しく2人の男女に恋がめばえる一連のプロセスを真に迫って描き出していた。


「おい孝壽!俺だ!佐々木だ!」と叫べば寝たきりの友はぎょろりと両眼を開きけり 蝶人

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天からの贈り物~カルロス・クライバーの音楽

2016-06-17 11:30:09 | Weblog


音楽千夜一夜 第366回

20世紀を代表する天才(天才的にあらず真の天才なりき)指揮者、カルロス・クライバー(1930年-2004年)が亡くなって、この7月で12年になります。

先日彼の数少ない独グラモフォン録音をあつめた12枚組のCDを改めて聞いてみたのですが、さしたる感興を覚えなかったのはどうしてでしょうか。ライヴにおけるあの光彩陸離たる生命の輝きをもういちどこの手に取り戻すためには、CDより映像作品のほうがいいのかもしれません。

ということで、思い立って3本のビデオを鑑賞してみました。うち2本はドキュメンタリー、1本はライヴ収録の演奏です。

まずは「ロスト・トゥー・ザ・ワールド」。これは惜しまれつつ瞑目した史上最高の指揮者の一人の生涯の軌跡を、関係者の証言で辿った音楽ドキュメンタリーです。
証言者のなかには、バイエルンのオペラ劇場での凡庸な同僚、ウォルフガング・サバリッシュなども登場して、ちょっと辛口のコメントを吐いたりしていますが、それでも彼は余りにも神経質なクライバーを終始擁護し、激励した人でした。

指揮者のリッカルド・ムーティやミヒャエル・ギーレン、演出家のオットー・シェンクなどの証言者の大半が、彼を「神が地上に遣わした音楽の天使」などと大仰に褒め称えていますが、それがあながち誇大な表現であるとも言い切れない奇跡的な演奏を、実際に彼は1986年の人見講堂におけるベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章などで繰り広げたのでした。

そしてその真価は、このドキュメンタリーの通奏低音のようにして流れている、80年代のバイロイト音楽祭におけるワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」のリハーサル映像において、鮮烈に刻印されています。

とりわけ終曲の「愛の死」のクライマックスを、視聴してみてください。
誰もが頭が空っぽになり、肌に粟が生じてくるようなエクスタシーの現前は、いかにもこの不世出の指揮者の独壇場で、このような芸術の高みに登った音楽家は古来そう多くはなかっただろう、と思わせるような素晴らしさです。

このような演奏を可能にしたのは、彼の頭の中で鳴る音楽の独創性と、それを現実の音に置き換えていく彼の練習の際の「言葉の力」であることは明白で、リハーサルで彼が繰りだす卓抜な比喩の誘導によってオーケストラの音楽がどんどん変わっていくありさまを、私たちはこのドキュメンタリーにおいても再確認することができます。

しかしそれは、いつもうまくいくとは限らない。
ウィーン・フィルとベートーヴェンの四番のリハーサルを行っているとき、「この箇所はテレーズ、テレーズと歌ってください」という彼の指示を、第二バイオリンの心ない奏者たちは、「いやマリー、マリーでいいのでは」などとあざ笑い、あえて無視しようとします。

すると激高したクライバーは、懸命に引き留めるコンサートマスターのゲルハルト・ヘッツェル(1992年の夏にザルツブルクで登山中に墜落死した私の大好きなヴァイオリニスト)の手を振り払って、そのまま空港に直行してミュンヘンに帰ってしまいます。(彼は、毎日帰りの飛行機の予約を入れていたそうです。)

といった按配で、これはクライバーのファンならずとも見どころ満載のドキュメンタリーといえましょう。

原題は「I am lost to the world」で、これはマーラーのリュッケルト歌曲集の中の「私はこの世に忘れられ」からの引用と思われますが、音楽にあまりにも高い完成度を求めたために、もはや普通の演奏に甘んじることができず、急速に指揮台から遠ざかっていった晩年の天才指揮者の孤独を象徴するようなタイトルではあります。

次はもうひとつの原題「Traces to Nowhere」、「目的地なきシュプール」という邦題のドキュメンタリーで、2010年にクライバー生誕80周年を記念してオーストリアで製作されました。エリック・シュルツという人が演出して、やはり不世出の天才指揮者の軌跡を辿っています。

出演はブリギッテ・ファスベンダー、ミヒャエル・ギーレン、オットー・シェンク、マンフレート・ホーニク、プラシド・ドミンゴ、アレクサンダー・ヴェルナーなどの指揮者や歌手や演出家、評伝作家のほかに、南ドイツ放響のフルートやピッコロ奏者、メイクの女性までがクラーバーを懐かしく偲んでいます。

そうして、これまでいっさいマスコミに顔を出さなかった彼の実姉ヴェロニカ・クライバーが特別出演して「死ぬまで彼は寂しい男の子でした」と語るとき、天界と人界をサーカスの綱渡りのように渡って去った男の後ろ姿に、一筋の微光が差すようでした。

ここでも素晴らしいのは、南ドイツ放響との喜歌劇「こうもり」のリハーサル風景で、楽員に対して音楽のために全身全霊を捧げることを求め、バトンを天に向け、「まだ見ぬ音を勝ち取るために戦ってください」、「8分音符にニコチンを浸してください」などと訴える若き日のクライバーの姿が胸を打ちます。

やがて守旧派の奏者を心服させたマエストロは、歌いに歌い、いまや音楽と音楽家は完全にひとつに溶けあって、この世ならぬ至上の時、法悦の時へと参入していくのですが、さてこれまでいったい他のどの指揮者が、このような音楽の奇跡を成し遂げたというのでしょうか。

無数のオペラと交響曲、管弦楽曲とオペレッタを自家薬籠中に収めていたにもかかわらず、父を尊敬するあまり、エーリッヒが録音したか、あるいは楽譜を残していた曲以外は演奏しようとしなかった息子クライバー。その父エーリッヒを超える技術と感性を持っていたにもかかわらず、常に父に引け目を感じていたクライバー。

父と並ぶ完璧さを求めようとするあまり、とうとう演奏が無限の苦行と化してしまったこの悲劇の天才は、愛する妻スタンカが眠るスロベニアへと、死の逃避を敢行したのでした。

最後は1991年のウイーン・フィル演奏会のライヴ映像です。

これはモーツァルトのハ長調K.425(リンツ)とブラームスのニ長調Op.73の2つの交響曲が楽友協会ホールで演奏されたもので、1993年にレーザーディスクで発売されましたが、現在はDⅤDになっています。

リンツの第1楽章ではクライバーの動きが緩慢であまりやる気がなく、見ているほうが心配になりますが、第2、第3楽章になると徐々にエンジンがかかります。

この曲は弦と管が同じ旋律を交互に繰り返す箇所が多いのですが、マエストロはその都度当事者にこのメロディをよく聴くように指示しているのが印象的で、両翼にヴァイオリンを配置した楽器編成が、その楽想と演奏の効果を高め、第三楽章ハ長調四分の三拍子のメヌエットを聴いていると、さながら天国にあるような心地です。

クライバーのモーツァルト録音は、この曲のほかに変ロ長調K.319の録音がありますが、おそらく生前に完璧にレパートリーに入れていたはずの主要交響曲とオペラを聴けなかったことは、残念無念の一語に尽きます。

さてプログラム後半のブラームスになると、我らが主人公の顔つきも一変し、彼の全盛時代を彷彿とさせるそのダイナミックな指揮振りに圧倒されます。

しかし第一楽章アレグロ・ノン・トロッポ、第二楽章アダージョ・ノン・トロッポ、第三楽章アレグレット・グラチオーソまでは、金管楽器の咆哮などはいっさい聴かれず、例えば第三楽章でチェロのピッチカートに乗ってオーボエが独奏する箇所など、さきほどのハ長調K.425(リンツ)と同様の管と弦の協奏、掛け合いがオケの腕の見せ所となりますが、クライバーの指揮は、この両者に対する強弱のコントラストのつけかたがとてもデリケイトなのです。

他の凡庸な指揮者、例えば小澤征爾が同じウィーン・フィルを指揮した同じ2番シンフォニーの同じ箇所では、楽譜の四分の四拍子を四分の二拍子くらいの前のめりで慌ただしく振っているために、ブラームスの音楽の緊密な内部構造、その極度に内省的なハーモニーの美しさなどは、急行列車に黙殺された礫岩のように置いてけぼりにされてしまいます。

「そんなに急いでどこ行くの?」という外面的な勢いだけの内容空疎なブラームスに堕すのですが、緩徐楽章のピアニッシモの超絶的な美しさをここまで深掘りしてみせたマエストロは、クライバー以外にはチェリビダッケあるのみ。フルトベングラーも、クレンペラーも、カラヤンも、バーンスタインも、これほど恐るべきニ長調は演奏できませんでした。

しかしさしものウィーン・フィルも、最終楽章のアレグロ・コン・スピリートに突入すると、すでに疲労困憊の極に達しており、獅子奮迅のクライバーが鬼神も啼けとばかりにコーダの絶叫を命じても、笛吹けど踊らずのポンポコリンの狸たち!

ああついに世界一、二を争うトップオーケストラも、天才指揮者の脳裏で鳴り響いている前人未踏のブラームスの大歓喜を音化できず、無情にも終局を迎えるのでした。

ですからこのブラームスの演奏は、彼らが「実際に音にできた音楽」によってではなく、むしろ「演奏しようとして果たせなかった未聞の音、不可能の音楽の暗示」によって偉大とされるべき演奏と評すべきなのでしょう。


   地上では行き場失いしクライバー眠れよわれらの記憶の底に 蝶人
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ドキュメンタリー「もうひとつのショパンコンクール」その他

2016-06-16 14:42:36 | Weblog


狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 231


先日毎週火曜夜の連ドラ「重版出来」が終ったが、ヒロインの黒木華がとても可愛らしく好演していて漫画の世界にはあまり興味がない私も思わず引き込まれて面白く見物できた。私は「出来」という漢字を「でき」と呼んでいたのだが「しゅったい」と発音するのが正しいらしい。しかし新人の第1作を5万部刷ってそれに重版がかかるなんてことは初刷3千部で即絶版の純文学本と比べると天国と地獄の違いであるなあ。ほかの連ドラはNHKの「真田丸」しか見ていないがこちらのほうが遥かによく出来ていた。

不振のドラマに代わってテレビ局は阿呆莫迦バラエテイに力を入れているらしいが、いつのまにかニュースや報道番組にもお笑い関係の人物が進出し、エンタメ感覚で面白おかしく論じたり笑ったりしているので興が醒める。それで衛星放送の映画を見るのだがこれも駄作のオンパレードなのでせっかく録画しておいても3分間再生してそのまま消去することが増えてきた。

そんな次第でNHKのドキュメンタリーを時々見ているのだが、これが非常によく出来ていて、凡作はまずないといっても過言ではない。

フランスのなんとかいう製作会社がシリーズでつくっていた「ゲバラ対カストロ」などのVS物やヒトラーの興亡の記録、「パナマ文書」のレポートなども良かった。

つい先ごろ見たのは、昨年放送された「もうひとつのショパンコンクール」の再放送だった。5年に1度およそ1カ月の長丁場で開催されるこの世界一有名なピアノコンクールの舞台裏を、出場するピアニストよりも、そこで弾かれる4つのピアノメーカー(スタインウエイ、ヤマハ、カワイ、ファツィオリ)とその調律師に焦点を当てて浮き彫りにするという異色のドキュメンタリーだった。

このコンクールでは、結果的にはスタインウエイを弾いた韓国のピアニストが優勝したのだが、そこに至るまでに奏者とメーカーのいろんな駆け引き、友愛と激励と裏切り、調律師の苦悩などいくつもの人間ドラマがあって、コンクールとは演奏者だけの戦いではないことが雄弁に描かれていた。

それにしても近年国産メーカーの進出は華々しく、80名近い出場者の大多数がヤマハとカワイを選んでいたので驚いた。現在ヤマハの打ち上げは世界一らしい。

それから最近テレビのコンサート録画でFazioliという名のピアノが気になっていたのだが、これは元ピアニストのパオロ・ファツィオリ氏が1978年に創始したイタリアの工房ですべて手作りで製造される高級ピアノで、最近のチャイコフスキーコンクールで3位までを独占して話題になったという。

このファツィオリの調律師がスタインウエイから飛び出した「100万人に1人の耳と腕前」を持つ日本人であったが、読みが外れてたった1名の奏者しか獲得できず、彼女も本選に出場できず苦杯をなめるというエピソードも紹介されていた。

このファツィオリも含め、5年後に開かれるコンクールでは恐らくスタインウエイの牙城は崩れるのではないだろうか。


   ともかくも辞めてくれれば満足で闇に消え去る疑惑の数々 蝶人

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