不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

吉川一義著「『失われた時を求めて』への招待」を読んで

2021-07-31 13:19:24 | Weblog

照る日曇る日第1612回


東の『源氏物語』と並ぶ西の大著『失われた時を求めて』の本質に肉薄するプルースト研究の第一人者に拠る剛速球の論考である。
作中の一人称の主語である「私」が、表層の「終始情けない私」と、それに寄り添う「知的な語り手の私」、さらにその背後に見え隠れする「プルースト自身」の3重構造、或いは三位一体で活動しているという指摘はとても説得力がある。
母親がユダヤ人であったプルーストが、なぜ主人公をユダヤ人とせず、執筆当時には夢中になって支援擁護したユダヤ人ドレフェス大尉、或いはユダヤ人全体に対して中立、時には反ユダヤ的人物や韜晦的言辞をあえて導入したのか?
著者はいう。作家は、おのが血脈の内部のユダヤ人にたいする愛憎相半ばするアンビヴァレンツを、作者の胎内のサドマゾヒズムに対するそれと同列に置き、それが自分にとって大事なものであるがゆえに冷酷に罰したり、あえて酷薄に取り扱った、と。
確かに少年時代からプルーストは作曲家レーナルド・アーンやリュシアン・ドーデ(作家ドーデの息子)などと肉体関係があり、そのことをジッドに告白してもいる。
彼は愛する者の怒張した陰茎が、おのが直腸を貫いて精液に満ち溢れる被虐の快感に我を忘れながらも、その時、同時に、おのれを加虐する他者の快感と同一化するサドマゾヒズムの極意を熟知していたからこそ、シャルリュス男爵の性向をあれほど見事に描写できたのだろう。
さうして作者は、このサドマゾヒズムこそが作家プルーストの創作の原動力であり、ユダヤ問題に対するキーワードであり、さらには芸術の本質も、「苦痛をあえて甘露と錯覚するサドマゾヒズムである」と喝破するのだが、私にはその仮説の大胆不敵さは高く評価できるものの、そのような概念の拡大解釈と、他の領域への一般化が許されるのか否か、軽々に結論を出せないでいるのである。


天敵のジョコビッチ相手じゃ仕方ない慌てず騒がず負けゆく錦織 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安西水丸著・嵐山光三郎選「左上の海」を読んで

2021-07-30 15:09:47 | Weblog

照る日曇る日第1611回


「NY帰りの安西水丸はひょろりとして伏し目がちで髪の毛を真ん中で分け、その背後に青い炎がちろりちろりと燃え上っていた。このジンブツは物語をしょっていると直感した。剣豪になったマチスが、崩れゆく時代に、絵筆一本持って屹立しているようだった。「ヨーシ、こいつと組もう」」
と思ったのが名編集者の嵐山選手。
その嵐山選手が選んだ12の恋愛秘恋哀恋短編小説が、この文庫本。ガロの漫画「青の時代」と好一対のナイスなセレクションです。
「レモンを描く」、「ひと冬」、「義仲という自転車」「とうもろこし畑」「アマリリス」もいいが、もっとも心に残ったのは赤坂見附の清政橋辺りを舞台にした「ボートハウスの夏」だった。


 夏来ればジャカランタの花咲き誇る内藤医院取り壊されたり 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨシタケシンスケ作「ふまんがあります」を読んで

2021-07-29 11:44:07 | Weblog

照る日曇る日第1610回


今回は子供に「大人に対する不平や不満を大特集。
例えば娘が「どうして大人は夜遅くまで起きているのになんで子供だけは早く寝ないといけないの?」と尋ねると、父親は「次のクリスマスのためにサンタから頼まれた調査員が、夜早く寝る子かどうかを何回も調べに来るんだよ」と答える。
すると娘は、ホントカナと半信半疑ながら、なんとなく説得されてしまう。
というような調子で、どんどん進んでいくのですが、最後にどんでん返しがあったりして楽しい。
それは逆にパパが娘に「どうして学校がある日には何回起こしても起きないの?」と尋ねた時の答えなのですが、みなさんもまあ読んでみてくらサイな。

  彼奴等には激しく怒り彼らには涙を零し忙しき夏 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西村富美男著「錯乱、雨の日曜日…… ―ある歌人の死」を読んで

2021-07-28 11:42:06 | Weblog

照る日曇る日 第1609回

長く統合失調症を患っていた愛妻の突然の自殺に大いなる衝撃を受けた作者が、その生と死を改めて直視しながら、頭ではなく、はらわたで書き綴った鎮魂の書である。

この小説は、ある冬の朝、縊れて間もない妻の無惨な姿をベランダの下に発見した夫の動転から始まるが、その臨場感触れるドキュメントは、異様な迫力とリアリティを備えていて、私事ながら最近救急車でIRに担ぎ込まれた個人的な体験が鮮やかに蘇えった。

医師や病院、そして警察、葬儀屋まで、両の目と耳に刻まれた未聞の事件と体験を正確無比、非情なまでに再現していく作者の筆の冴えは、尋常のものではない。恐らく作者が半世紀もの昔に慣れ親しんだ、「客観的な事実の徹底」を唱えたアラン・ロブ=グリエのヌーヴォー・ロマンの手法などが、無意識に反映されているのではないだろうか?

妻の突然の死で始まったこの小説の第1部は、通夜と葬儀で終わるが、やがて作者の眼と心は、有名な歌人でもあった妻との出会いを語りながら、彼女と共に生きた懐かしい過去へとおもむろに遡っていく。

妻の自殺の原因は、極端から極端へと揺れ動く宿痾の結果、と言ってしまえばそうなのだろうが、それでは納得できない作者は、歌人が生涯にわたって詠み続けた詠草の数々に肉薄しながら、彼女の突然の自死の謎に必死に挑もうとする。

その懸命の努力が、本書の後半の第2部、第3部で完全に果たされたとは思われないが、妻と愛憎を共にした長い長い時間を、さながらプルーストのように、書きながら発見し、創造する中で、作者は「妻という他者」、そして「家族という他者」、さらには「知られざる自分という他者」とはしなくも巡り合い、再認識し、もうひとつの人世、ダンテの「新生」のような新境地に辿り着いたのではないだろうか。

余事ながら、井口葉子氏によるカバー油絵「persona」が、お会いしたことのない故人を偲ばせるように、傷ましくも美しい。


   デルタ型の新型コロナがイプシロンに変異する頃人類滅ぶ 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.73」

2021-07-27 14:22:39 | Weblog

蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第402回

○初節句を祝う席での父親のあいさつ
本日は皆さまご多忙中にも係わりませず、わが子浩太の初節句の会へのご臨席を賜りまして恐縮の至りです。家内の涼子ともども厚くお礼申し上げます。*1
さて、昨今「すぐに切れる17才」ですとか、ホームレスに暴行する中学生、あるいは家庭内暴力とか、現代社会における子供のありようについていろいろな重大事件が続発しているようです。じつは私も家内も父親の代から学校の教師をしておりまして、このように頻発する諸事件はとても他人事とは思えません。*2
つい先日も、私が教頭をしている小学校の美術の時間にこんな事件がございました。未来の家を描きなさい、こんな家に私は住みたいという絵を自由に描きなさい、という課題をその美術の先生が出した。生徒たちはコンクリートの家ですとか、木の上の家ですとか、船の家ですとか、思い思いのイメージで水彩画を描いて先生に提出した。
ところがそのなかに、非常に汚れた部屋をリアルに描いた1枚があった。掃除も整理整頓もされていない乱雑な空間を切り裂くようにしてぼろぼろの壁穴から風がビュービュー吹き込んでくる。まあホームレスがつくった竪穴住居のようなものでしょうか。
その作品を見た先生がどういう訳だか激怒して、こんなのは未来の理想の家じゃない。すぐに描きなおしなさいと突っ返した。生徒は家に帰って泣いた。ふだん泣いたことなんかない子供なので、母親がしつこく問い糺した結果、ようやくその顛末が判明した。そういう事件です。
私は教師としても、一個の人間としてもこの先生がやったことは許しがたい暴力であり、犯罪的な行為だと思う。自由に絵を描けと言っておきながら、その自由を自分勝手に取り消して、子供たちとの約束を一方的に破った。
教師の頭のなかには、最初から「清潔で美しく、健康的で明るく楽しい未来の家」という固定したイメージしか宿っていなかった。だから提出された真に自由で個性的な表現に驚愕し、それを土足で踏みにじったのでしょう。*3
私は子供の荒廃と教育の荒廃は、実は教師の荒廃から起こるのではないかと思います。私は可愛いわが子の初節句に際し、改めて児童教育の責任の重大さを噛みしめている次第です。

○アドバイス
*1 教育の現場は普通の人が想像する以上に荒廃している。このスピーチは、かなり即興性が高いスピーチであるが、真情があふれているので人に訴える力が強い。
*2 愛するわが子の可愛い姿を見つめているうちに、話者は最近の実体験を連想する。下手な教師のために、幼い子供が豊かな未来を摘み取られる悲劇は数多い。
*3 その過ちを、自分を含めて、教師は決して犯してはならないと力説する。個性的なひとの、個性的なスピーチからは、多くのものを学ぶことができよう。

  狭庭には隅田の花火が咲き初めて君だけが私のことを分かってくれる 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2021年蝶人文月映画劇場その4

2021-07-26 12:11:57 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2622~31


1)サミュエル・フラー監督の「チャイナ・ゲイト」
1954年のインドシナ戦争でフランスの外人部隊に入ってベトナム軍と戦う米国軍人ジンバリーと中国先住民の混血妻のアンジー・ディキンソンの悲恋物語。戦争と民族と政治と差別がジャングルの中で入り乱れ、最後に悲劇と和解が訪れる1957年の問題作ずら。なんとナット・キング・コールが演技と歌唱も披露する。
2)サミュエル・フラー監督の「裸のキッス」
冒頭で男を殴る女のアップで驚かされるが、フラーの演出が随所でビシバシと決まこ、れぞ映画の中の映画であるというても過言ではない。ヒロインコンスタンス・タワーズが遂に幸せを掴んだと信じた男が幼児姦であるというプロットは不自然だが、障害児たちとヒロインの天国的なコーラスは映画的特権よって未来永劫に花冠されている。1964年の製作。
3)サミュエル・フラー監督の「ショック集団」
1965年の精神崩壊物語。ピューリツアー賞を狙う作家が精神病院に潜入するが、周囲の環境に影響され、ミイラ取りがミイラになって自滅してしまう暗黒映画ずら。
サミュエル・フラー監督の「最前線物語」をみて
4)サミュエル・フラー監督の「最前線物語」
第1次大戦にも出兵した鬼軍曹リー・マーヴィンに率いられて第2次大戦の欧州各地を転戦する6名の若き兵士らの痛苦に満ちた赤裸々な体験を、サミュエル・フラーが悠揚せまらずじっくり描いて見ごたえあり。第1次大戦の終結を知らずに敵兵を殺した軍曹は、第2次大戦でもその過ちを犯すが、幸い兵は一命を取り留めるという終わり方がいかにもフラーらしい198年の作品。
5)ディミアン・チャゼル監督の「セッション」
2014年製作のハリウッド映画。ジャズドラマーの師マイルズ・テラーとその弟子J.K.シモンズの死闘を描くが、おらっちはこんなパワハラ教師は嫌だなあ。
6)ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「終着駅」
第2次大戦直後のローマ駅を舞台に、フィラデルフィアの金持ち夫人(ジェニファー・ジョーンズ)とローマの青年教師(モンゴメリー・クリフト)の激愛の諸相と共に、駅を行きかう民草の群像を完膚なきまでに描き尽くす。人世と世界の真相をあざやかに照らし出すデ・シーカの1952年の神業を見よ。
7)ルネ・ラルー監督の「ファンタステイック・プラネット」
1973年の仏チエコ合作SFアニメーション映画。人間が他の(人間的・非人間的生物と激しい生存競争を繰り広げてきたことを長大なスパンでシュールで幻想的に物語る。
8)リリアナ・カヴァーニ監督の「愛の嵐」
シャーロット・ランプリングとダーク・ボガードの運命的な愛の行方。愛の中でも倒錯の愛ほど激烈で絶望的なものはない。昔むかしいしだあゆみの撮影現場で、彼女が「誰か「愛の嵐」見た人いない?」と1975年11月1日の公開日に私は間に合わなかったので、楽しくおしゃべりできなくて残念でした。
9)クリント・イーストウッド主演監督の「運び屋」
今年90歳になった東森監督が90歳の爺さんになって大活躍する2018年の最新作。大金に目が眩んでギャングの麻薬を運ぶのだが、超ボインの美女2人と朝までヤリまくるのだから恐れ入るずら。
10)ウォルター・ヒル監督の「ストリート・オブ・ファイヤー」
1984年のロクンロール西部劇映画。ヒロイン役のダイアン・レインが印象に残るずら。

   躊躇なくあれやこれやの薬出す医師よ薬は毒と知らずや 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いわむらかずお作「りんごがひとつ」を読んで

2021-07-25 10:59:48 | Weblog

照る日曇る日第1608回


丘の上にやってきたさっちゃんが、おやつのりんごをおっことしたところから絵本がスタートします。
りんごをおっかけるさっちゃんをうさぎさんとりすさんが手伝って、りんごと一緒にくるりん、ころりん。
そこに座っていたくまさんの背中にみんなそろってドスン、ドスン、どすん。
丘の上に戻った全員が仲良くりんごを食べた後、のこった種をまいてお別れするのです。
すぐれた絵本には一点突破全面展開の動態力学が内在しているようです。


  青空に真っ赤なカンナが咲いている 都はるみはどうしているか 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.72」

2021-07-24 14:51:41 | Weblog

蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第401回


○初節句を祝う親戚のスピーチ
お父さんの幹夫君、お母さんの靖子さん、寅雄君のはじめての節句ほんとうにおめでとう。*1

唐突かも知れないけど、僕は寅雄君がこうやってにこにことあどけなく笑うのを見ていると、つくづく日本も平和になったものだと思います。僕は自慢じゃないけれど2度も兵隊に取られまして、一度は南方、二度目は満州でした。敗戦後はソ連軍に捕まってシベリアで抑留され、昭和22年にやっと興安丸で舞鶴港にたどり着きました。

いやあ、命あってのものだねえ。九死に一生を得た、なんて今だから簡単にいえるけど、ほんとうに筆舌に尽くし難い目にあいました。*2もうどんな大義名分があろうがなかろうが、戦争はこりごりです。若い方の前に出るとついつい昔話になってしまいますな。

しかし僕は今日出席されている諸君のなかでは最長老組だと思うので、いつ天に召されるやも知れない。*3

でも、幹夫君と靖子さんが、いつかある日、寅雄君に、今日の昔話をしてくれたらとてもうれしいな。そう思った次第です。ご清聴ありがとう。

○アドバイス
*1 旧世代の親戚が、ひ孫世代に向けて初節句の日に贈ったこころのメッセージである。
*2 あいさつやスピーチを生かすも殺すも、言葉やテクニックではなく、話者が生きてきた人生と体験そのものではないだろうか。
*3 これだけは伝えておきたいと思うことをしっかり話せば、確実に相手に伝わるものである。


         眼の死んだ魚が踊る夏祭り 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・カルショー著・山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに」を読んで

2021-07-23 13:42:19 | Weblog
照る日曇る日第1607回

クラッシックの名門レーベル、デッカ・の歴史に名を留めた名プロデューサー、ジョン・カルショー(1924~80)による遺著にして、じつに興味津津で生々しい回想録である。

英国の銀行マンの息子に生まれたカルショーは、第2次大戦中はおんぼろ戦闘機を駆って独逸の高速駆逐艦Eボートを何隻も撃沈していたが、やがて音楽好きの趣味が嵩じて190年代から60年代のデッカのレコード作りに携わるようになる。

彼の最初のセッションは、1948年のトーマス指揮LSOによるグレース・ウィリアムズの「幻想曲」であったが、以来1967年に瀕死状態にあったデッカを去るまでのおよそ20年間に、かの有名なショルティ・ウィーンフィルの「指輪」全曲の録音をはじめ、ブリテンの「戦争レクイエム」、カラヤンの「オテロ」、「カルメン」などの大曲を次々に世に送ったのである。

本書には数多くの音楽家のエピソードが満載されているが、中でも僅か7年のキャリアで全世界から惜しまれつつ若くして癌で死んだカスリーン・フェリアが、著者に「ねえ2シリング6ペンス貸してくれない。地下鉄で帰りたいんだけど、お金を持たずに出ちゃったのよ」というところなど、まるで映画の中のワンシーンのように印象的である。

もっと印象的なのは、1957年にショルテイ指揮ウィーンフィルによるR.シュトラウスの「アラベラ」の録音の際の、リーザ・デラ・カーザとヒルデ・ギューデンの対立で、その派手な喧嘩騒ぎの渦中にあった、普段は沈着冷静なバリトン歌手のジョージ・ロンドンが、彼女たちを「BBC」と呼ぶようになったという逸話であろう。

因みにそれを遠慮して「淫乱女」としか訳せなかった訳者に拠れば、「BBC」とは(Ball-Breaking Cunts)の頭文字らしいが、誰か思い切って直訳してみてくらさい。

そんな著者によって常に高く評価されているクリフォード・カーゾンやショルテイに対して、自分のピアノの音が常にフォルテッシモで録音されることを求めてやまないルービンシュタインやいつも無能扱いにされているヨーゼフ・クリップスやクーベリックに対する当時の彼の評価については、一言なかざるべからず、ではあるが、それでも彼が自分の耳と感性を信じて、音楽家の演奏の是非を「まっすぐに」述べている点は、きわめて卒直であり好意をもって受け止めることができる。

    浮草の下を行き交うメダカたちコロナも五輪も知らぬ存ぜぬ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.71」

2021-07-22 11:46:17 | Weblog

蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第400回


○両親の銀婚式を祝う末娘のスピーチ
お父さん、お母さん、銀婚式おめでとうございます。*1
真理絵は、最近1週間ほど今日のお祝いを何にしようかな、とすごく悩んで夜も眠れなかったのですが、たまたま二人のメールアドレスを見たら、お父さんはアマデウス、お母さんはタンポポという英語を使っていたので、よし、これだと思い、お父さんにはモーツァルトのCD、お母さんには近所の原っぱに咲いていた日本タンポポのお花で首飾りを作ったのをプレゼントします。*2
さて、うちのお父さんはとっても優しくて真理絵はいままでに一度も怒られたことはありません。でもわたしの顔を見ると、「おい真理絵、今晩いっしょにお風呂入ろう」と口癖みたいにいうのは止めて欲しいと思っています。
お母さんもとても優しくて可愛がってくれるのですが、わたしの顔を見ると、「真理恵ちゃん、宿題やった?」とたずねるのは止めて欲しいと思います。
その二つを除くととってもいいお父さんとお母さんです。真理絵はこれからもずっと3人で暮らしたいと思っています。どうかおふたりとも体には気をつけて長生きしてください。

○アドバイス
*1銀婚式の祝いの品は、通常はペアで使えるものや花などである。ここでは幼い末娘の個人的なチョイスを優先したが、花の場合は花言葉に留意する必要がある。
*2このような非公式の場面では多少家族のプライバシーが垣間見えてもほほえましいものとして見逃されるだろう。

        白蓮覆いつくされ平家池 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2021年蝶人文月映画劇場その3

2021-07-21 11:31:18 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2619~21


1)内田吐夢監督の「宮本武蔵 二刀流開眼」
中村錦之介主演の1963年のシリーズ第3作。武蔵は吉岡清十郎をやっつけるが、高倉健演じる佐々木小次郎が気になって仕方がない。二刀流開眼などと謳っているが、その割に出番がないのは羊頭狗肉なり。

2)内田吐夢監督の「宮本武蔵 一乗寺の決斗」
1964年のシリーズ第3作で吉岡清十郎を斃した武蔵は、本第4作で清十郎の弟伝七郎も退治して、壬生源次郎を主将とする吉岡一門と決闘する。武蔵がまず斃したのは、その主将の源次郎少年だったが、いたいけな子供を殺すとは、なんぼなんでも酷すぎますわなあ。

3)内田吐夢監督の「宮本武蔵 巌流島の決斗」
1965年のシリーズ最終作。私の家は代々佐々木家なので、佐々木小次郎を応援してきましたが、巌流島の決闘の噺になると小説でも映画でも卑怯未練な手を使う大嫌いな武蔵が勝つので不愉快だ。一度でいいから、実力通り順当に、小次郎が武蔵をやっつける作品を見たいと思う。


 果てしなき出世の道から寝そべる人を私は好きだ 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.70」

2021-07-20 11:28:51 | Weblog

蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第399回


○友人の銀婚式を祝うスピーチ
田中君、そして奥さんの郁子さん、このたびは銀婚式おめでとうございます。私は田中君の高校時代からお付き合いをさせていただいております門と申します。*1
こうやってお二人が並んですわっていらっしゃる姿を拝見しておりますと、いまからちょうど25年前のあの日の姿が昨日のことのようによみがえってきます。*2
今だから申し上げますが、このお二人を結びつけたのは、他ならぬ私と家内なのです。いや、正確には音楽の神様ミューズのなせる業だったのです。
当時音大のバイオリン科を出てから勝手きままな独身生活をエンジョイしていた田中君の行く末を案じた私ども夫婦は、ある日自宅に彼を招待しました。なんにも知らないでやってきた田中君を待ち受けていたのは、才色兼備のひとりの女性でした。
当時、郁子さんは私の家内と同じ音大を卒業されてピアノの教師をされていました。その晩、食事を終えた後私たち夫婦のすすめで田中君と郁子さんは、ベートーベンの「クロイツェル・ソナタ」を合奏してくれましたが、それははじめての顔合わせとは思えぬ見事なものでした。
昔の中国に*3「琴瑟相和す」という言葉がありますが、まさに初対面のふたりはバイオリンとピアノでお見合いをし、たちまち恋に落ち、熱情的に愛し合うようになったのであります。*3
「始めは処女のごとく、終りは脱兎の如し」とは、まさにその折のふたりの演奏を的確に捉えた表現と申せましょう。これを「音楽の奇跡」といわずしてなんというべきでしょうか。
25年前の結婚式は、ご親族に私たち友人を加えた少人数で小さな教会で挙行されましたが、その後のパーティで再び演奏された「クロイツェル・ソナタ」は、愛することのよろこびが爆発的に表現された一世一代の名演でありました。あれがビデオに収録してあれば、といつも家内が惜しんでいたほどの素晴らしさでした。
それからのおふたりの活躍については私よりも皆さんのほうがよくご存知でしょう。田中総司&郁子のデュオは、国内のみならず世界各地で好評を博し、とりわけニューヨークのカーネギーホールで行われたリサイタルは、なんとニューヨークタイムズに取り上げられて絶賛されました。*4
私と家内は、このような世界的な演奏家コンビの生みの親であることを誇りに思っています。田中さん、郁子さん。どうかこれからもお元気で充実した演奏活動を続けてください。そして、今夜私たちの思い出の曲「クロイツェル・ソナタ」を演奏してくださいますようお願いしまして、お祝いの言葉に代えさせて頂きます。

○アドバイス
*1 25年間の長い歴史を振り返って、エポックメーキングな思い出を拾い上げてみよう。
*2 友人との密接な関係をできるだけ客観的に、面白く紹介すると会場の雰囲気も盛りあがってくるだろう。
*3 話し言葉の中で漢語や熟語の決り文句を挿入してみよう。説得力が高まりスピーチが立体的になる。
*4  物語のエピーローグは、ふたたび友人と話者の強い絆の再確認と今後の健康、活躍への期待で結ぶとよい。25年目の現在でこと足れりとせず、それ以降のアクティブな活動を視野に入れてスピーチできればなおよい。


打てずともレッズ秋山は出ているがドジャース筒香マイナー転落 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2021年蝶人文月映画劇場その2

2021-07-19 14:15:41 | Weblog
闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2608~18

1)生田長子監督の「僕らのワンダフルデイズ」
2009年の難病ものの感動もの映画だが、脚本に無理があり過ぎて感動できないのがザンネンずら。

2)小泉堯史監督の「博士の愛した数式」
小川洋子原作を2006年に映画化。珍しくも数学と記憶障害を対象にした感動的な作品。役者はみな好演だが浅岡ルリ子があやしい。

3)東陽一監督の「サード」
永島敏行主演、寺山修司脚本の1978年の鑑別所映画で森下愛子ガエロイずら。

4)森一生監督の「続次郎長富士」
勝新太郎の森の石松が殺されたので長谷川一夫の次郎長の大復讐戦が始まるが、余り後味の良くない1960年の任侠映画。

5)本多猪四郎監督の「美女と液体人間」
1958年のアホ特撮映画だが、正統派美人の白川由美がシュミーズ姿でずぶ濡れいなって奮闘する。

6)本多猪四郎監督の「ガス人間㐧1号」
1960年のアホ映画だが、八千草薫が能役者になって踊りまくるずら。

7)工藤栄一監督の「忍者秘帖 梟の城」
司馬遼太郎原作、大友柳太郎主演の1963年の忍者映画。せっかく秀吉の寝所に忍び込んだのに暗殺しないのは不可解。女忍者の高千穂ひづるがセクスイずら。

8)中西健二監督の「青い鳥」
いじめで自殺者が出た重松清の原作を2008年に映画化。吃音の教師役を阿部寛が好演。

9)寺山修司監督の「書を捨てよ町へ出よう」
1971年製作の「実験」映画だが、どこか大学生がピアコンテストに出すような趣である。書を捨てて町に出たものの、人力飛行機はついに離陸できない。今となっては夢のような綺羅星のごときスタッフが集結した記念碑的な作品だが、各シーンをつなぐ歌曲が個性的。

10)寺山修司監督の「田園に死す」
1974年の映画だが、前作と違ってプロフェショナルな仕上がり。寺山の短歌と青森の原風景や恐山のイタコやサーカスがブリ・コラージュされている。突如新宿のライブシーンが出現するラストはそれなりに襲撃的。

 猫ビルの黒は黒子の黒にして香月泰男の絵の黒である 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨシタケシンスケ作「ぼくのニセモノをつくるには」を読んで

2021-07-18 11:54:53 | Weblog

照る日曇る日第1606回


いちばんやすいロボットを買ってきて、嫌なことを全部やってもらおうと考え付いた「ぼく」。そのためには依頼人のすべてを教えてくれとロボットに頼まれた「ぼく」が開陳する「ぼくとはこういう人間です像」が本書の中身になるのだが、例によってその執拗な追及振りが凄い。
「自分とは何か?」という真摯な思索を続ける作者を眺めながら、読者もまた同じ探求に従事するようになるという教育的・哲学的絵本である。


 誰一人本当にやるとは思わぬに勝手に進む東京五輪 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.69」

2021-07-17 15:22:33 | Weblog

蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第398回

〇祖父の金婚式を祝う孫のスピーチ
おじいちゃん、おばあちゃん金婚式おめでとうございます。*1
先日おじいちゃんが足の骨を折ってお医者さまの診察を受けて1週間ほど入院しました。今日の金婚式が迫っていたので、みんなとても心配しましたが、お父さんだけは必ず治るから大丈夫、と断言していました。種明かしをすると、お父さんがそのお医者さまだったのです。おじいちゃんとおばあちゃんがそろって元気でとてもうれしいです。
さて、僕のうちでは家族いっしょで朝ご飯を食べます。その時におじいちゃんとおばあちゃんがいつも桜井家の先祖代々の昔話をしてくれます。なんでも桜井家は江戸時代にお大名のお医者さんをしていたらしいので、その当時の話をたくさんしてくれます。お父さんお母さんも時々質問したり、いつも賑やかでたのしいひと時です。*2
それから、お正月や誕生日には、お父さんお母さんのほかにおじいちゃんとおばあちゃんからもお小遣いをいただけるので、それがいちばんうれしいです。どうかおじいちゃん、おばあちゃん、もっともっと長生きしていつまでも僕にお小遣いをください。

〇アドバイス
1子供は子供らしいあいさつがほほえましい。内容的には自由でかまわないが、高齢者に声が届くように発音すること、あまり長くしゃべらないことがポイント。
2子供の特権は、自分の思うがままにスピーチして、それが自然に出席者の笑いと共感を呼ぶことである。

民草をさらなる窮地に突き落とすコロナ五輪よどこかへ飛んでけ 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする