あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

なにゆえに第9回~西暦2014年長月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-09-30 10:23:25 | Weblog


ある晴れた日に 第259回




なにゆえに蝶よ花よと褒めそやす生殖のほか生き甲斐なきを

なにゆえに結社などと粋がるのたかが詩歌の同好会なのに

なにゆえにかくも涼しきものなるか隣の扇子からやってくる風

なにゆえに己のパニック障碍を明かしてる母親の同じ病を励まそうとして

なにゆえに道端に荷風全集を捨てるしかも誰一人拾う者なし

なにゆえにまだ電話番号を覚えているわれをリストラせしその会社の

なにゆえに今夜も一睡もできないのかセレトニン少なくなりし妻よ

なにゆえに跡形もなく消え失せた鎌倉雪ノ下吉田秀和邸

なにゆえに人類は永遠に続かないのか一番偉いとうぬぼれているから

なにゆえにこれほどの奇跡が起こったのか馬も人間もけして投げたらあかんぜよ

なにゆえに「グッドワイフ」は面白いグッドなワイフはどこにもいないから

なにゆえに歳をとるほど劣化する名のみ高くてつまらぬ指揮者

なにゆえに謝罪しないのか朝日新聞長きにわたる虚偽の報道

なにゆえに錦織選手で大騒ぎするのかいいニュースがひとつもないので

なにゆえにこのまま逝ってしまいたいと思うのかそれが生きとし生けるもののさが

なにゆえにカワイカワイと持て囃す河内桃子が可愛かったから

なにゆえに私の記憶は失われてゆくキャベツの皮が一枚一枚はがれるように

なにゆえに重き荷物を持たぬのかそれで父上は亡くなったから

なにゆえに酸欠金魚が喘いでる絢香が歌う主題歌「にじいろ」

なにゆえに佐々木小次郎は武蔵に敗れたか祖父佐々木小太郎は悔しがってた

なにゆえに今日はペンキ塗りをしないのかもうすぐ台風がやって来るのに

なにゆえにアメリカは自衛権を主張するイスラム国から侵略されたの?

なにゆえにアサガオのくせになのに秋に咲く天青は寒さに強い花だから

なにゆえに「ごきげんよう、さようなら」と挨拶するの恐らく二度と会うことはない

なにゆえに普通の人が超絶美人に生まれ変わるげにヘアメイクこそ奇跡の魔法

なにゆえに六十九になってしまったのか1969年にまたもどるため

なにゆえに夏目金之助は死ななかった漱石が「こころ」を書いてくれたから

なにゆえにアープとホリディはあんなに仲がいい2人はきっと同性愛者なんだよ

なにゆえに狼は暗闇に吠える二度と再び戦をするなと

なにゆえに普通の人が超絶美人に生まれ変わるげにヘアメイクこそ奇跡の魔法 




なにゆえに写真を撮る時チョキを出すチョツキンチョツキン床屋になりたい 蝶人

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ジョン・スタージェス監督の「墓石と決闘」をみて

2014-09-29 11:39:13 | Weblog


bowyow cine-archives vol.702

 1957年の「OK牧場の決斗」が気に入らないと同じジョン・スタージェスが10年後に撮り直した作品がこれだが、いきなりOK牧場の決闘から始まるので驚く。

 これが史実にもとづくワイアット・アープ(ジェームズ・ガーナー)とクラントン(ロバート・ライアン)一派の対決だというのだが、アープ兄弟3人と助っ人ドク・ホリディ(ジェイソン・ロバーズ)はクラントン・ファミリーとではなく、彼が雇った殺し屋たちと撃ち合い、彼らの幾人かを斃すのだが、悪役クランクトンたちはそれを高見の見物しているのだからまたビックリ。 

 その時アープの弟は片輪になり、その後もう一人の弟も暗殺されてしまい、頭にきた兄は、保安官バッジも糞食らえで復讐の一念はメラメラと燃え上がるのだが、その無理やり隠した真意を、あろうことかならず者歯医者のドク・ホリディにいさめられるのだから面白い。

 で、メキシコへ逃げたクランクトンを追うアープは、盟友が見守る中2人だけで運命の対決が行われ、アープが悪役をほふるという意外な結末になるのだが、全編にわたってジョン・スタージェスの名人芸が冴えまくり、これはもしかしたら彼の旧作やジョン・フォードの「荒野の決闘」を凌ぐ名作かもしれない。

 女性が誰一人出てこないのもユニーク。そう、この型破りの西部劇はアープとドクの愛の物語なのである。



なにゆえにアープとホリディはあんなに仲がいい2人はきっと同性愛者なんだよ 蝶人

 
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金子兜太著の「語る兜太」を読んで

2014-09-28 10:18:21 | Weblog


照る日曇る日第731回



兜太といえばまず思いだすのが普く人口に膾炙しているこの1句であろう。

銀行員ら朝より螢光す烏賊のごとく

そこにはトラック島で戦争の飢餓地獄を体験し、命からがら帰国して働いた日銀で干され、窓奥族として金庫の番人を務めて退職した俳人が、己の職場をある距離を置いて振り返った心境が、逆光の中で回されたショートムービーのように照らし出されている。

しかしなんといっても秩父生まれの野人の極めつきは、これだろう。

おおかみに蛍が一つ付いていた

狼とは野にあって自由、権力に与しない荒凡夫金子兜太、そのひとであろう。兜太は秩父特産狼の生まれ変わりなのである。

日本銀行という労働監獄で瀕死の烏賊のごとく点滅していた蛍の光は、ここでは野生と生命力の象徴である狼の守護天使として、真っ暗闇の三千世界を青白く照らしている。

2つの句と35年の時間を挟んで、彼方には死にいたる静かな蛍光、そして此方には、生の高揚に向かう輝かしい蛍光とが、鮮やかな対比をなしているのである。

そして絶対に忘れてはいけないのが、2009年の第14句集「日常」に収められたこの1句である。

左義長や武器という武器焼いてしまえ

ここには先の大戦で軍隊と戦争の野蛮を身をもって体験した俳人の、老いてなお激しく燃え盛る反戦の叫びが、狼の雄たけびのように聞こえてくるのである。

不世出の前衛俳人金子兜太のこれまでの生涯、そして95歳の現在の心境のすべてに得心がいく重宝な1冊である。



   なにゆえに狼は暗闇に吠える二度と再び戦をするなと 蝶人
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夏目漱石の「こころ」を読んで

2014-09-27 10:19:39 | Weblog


照る日曇る日第730回


 朝日新聞に連載されていたので林真理子の「マイ・ストーリー」(文芸社をモデルにした自費出版の世界を描いて大変面白い)と合わせて読んでいたのですが、漱石の方が去る9月25日に終わりました。

 漱石は好きな作家ですが、個人的には「猫」「坊っちゃん」「夢十夜」など最初期の一部の作品が文句なしに面白く、「三四郎」までは結構ですが、だんだん深刻真面目の観念世界が薄墨色に繰り広がられていき、中期の軽快な傑作「彼岸過迄」を除くと、もういちど読んでみたいと思う作品はありません。

「こころ」は最初の由比ヶ浜の海水浴で先生がまっすぐに沖合まで泳いでいって、またまっすぐに浜まで戻って引き上げるところは超カッコイイ。

 されどその「先生」を慕う「私」との関係や、先生がなぜか長い遺書をのこして死んでしまう話もさっぱりわけがわからず、いくら親友の「K」に不義理したからといって、いくら明治天皇が崩御したからといって、乃木将軍が殉死したからというて、いくら小説の中の話だからというて、「先生」までもが自殺するこたあないじゃないかと、いつも思うのであります。
 しかし明敏な丸谷才一泰斗がつとに指摘しているように、いくら荒唐無稽と謗られようが、この小説は、漱石ならぬ夏目金之介によって書かれなければならない自己告白と自己処罰、贖罪の書だった。

 なぜなら漱石は、学生時代に北海道に「送籍」することによって、日清戦争と日露戦争への徴兵の可能性を免れているからで、彼が尊敬する明治天皇の国家と国民に対する精神的な負い目は、ただちに帝大から松山、熊本への自虐的な「都落ち」につながり、幸か不幸か英国への国費留学から帰国した後も、彼の死病となった胃の腑に重苦しくのし掛かっていたに違いありません。

「こころ」は、三角関係の恋愛小説という仮の姿形をとってはいるものの、しかしてその実態は、人一倍誠実で真面目な明治のインテリ漱石が、全国民の前に臓腑を晒して「わが鮮血を見よ!」とばかりに蛮勇を奮って書きあげた自己弾劾、自己処罰の告白書なので、この小説の変態性と奇妙奇天烈は全てここからきています。

「先生の遺書」というのは、じつは「夏目金之介の遺書」なのです。親友「K」とは明治「国家」の象徴であり、その国家を裏切った「先生」は自栽します。陛下から賜った軍旗を賊軍に奪われた汚名を雪ぐために自害した乃木将軍のように。

 漱石は夏目金之介を殺す代わりに、この小説のなかで「先生」を自殺させ、そのことによって陛下の赤子として、作家としての責務を万分の一でも果たそうとしたのです。

「記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです」という異様な声音は、「先生」の言葉ではありません。それは夏目金之介=漱石の「こころ」の奥底から発せられた「必死」の言葉だったのです。
 

  なにゆえに夏目金之助は死ななかった漱石が「こころ」を書いてくれたから 蝶人
 
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夢は第2の人生である 第19回 

2014-09-26 10:20:16 | Weblog


西暦2014年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

「あまりにも多忙だったので、パンフレットの文字校正をする余裕がなかったのです」、と若者たちは、懸命に弁明するのだった。6/30

私たちが運営しているNPO法人は、今年は赤字のはずだのに、なぜか50万の黒字になっているので、調べてみたら安倍蚤糞という会社から350万円の寄付があった、ということが分かった。彼らは水面下で税金をばらまいているようだ。6/29

その謎の電話会社は、先住民に誘拐された一家の悲劇を、隠喩だか、暗喩だか、モチーフにしているという噂があったので、私以外は加入していなかった。6/26

「これは陰茎ではなく、イチジクの形をした肥料なのです。原料は花のエキスなので舐めると花のキャンディにような甘い味がしますよ」と、そのセールスマンはイチジク浣腸をぶらぶらさせた。6/26

地下のスタジオでカモラマンと一緒に撮影をしていると、役員室から尾上理事長が降りてきて、「このパンフレットには違う判子が押してある」などと、じつにくだらないイチャモンをつけたために、撮影は中断のやむなきに至った。6/25

夜の海の奥底には、無数の深海魚がひめやかに泳ぎ回り、その隠微な世界は、波の上からのぞきこんでいるだけでは、到底伺い知ることができない。6/24

停車中の電車に乗り込むと、大学の演劇部の仲間たちが、座席にすわっている乗客たちを次々に殺しているので、恐ろしくなった私は、電車から飛び降りて線路伝いに逃げだした。6/23

独り暮らしをしているマンションで家政婦を頼んだのだが、火はつけっぱなし、水は出しっぱなしで、部屋中が水浸しになってしまったので、すぐに追いだした。6/22

もののはずみで誰かが「こんな会社辞めてやる」と言い出し、まわりの連中も「我も我も」と続いたので、ブラックプレジデントの私は、「本当に辞めたいなら、人事課長の中沢君か係長の内田君に届け出なさい」と言うた。6/21

夢の中なので、いくらお金を借りようが使おうが関係がないということにようやく気づいた私は、それこそ夢中になって欲しかった高価なあれやこれやを、どんどん手中に収めていたのだが、ふと「夢から覚めたらどうなるのか?」と心配になった。6/20

私はAに金を貸した。その金をAはBに貸した。しばらくしてAは、「Bが行方不明になった」と私に告げたが、おそらくそれは嘘だろうと思いながらバイトを続けた。6/19

私は、息子が私のお金を無断で持ち出したことを知っていたが、なにも言わなかった。しばらくして金庫を覗くと、そのお金は元に戻っていたので、息子が返したことが分かった。6/19

地震警報が発令されたので、私らは間もなくやってくる津波にそなえて、各戸に1個ずつ配布されている大きな浮輪を膨らませようとしたのだが、慣れない作業ゆえに捗らず、焦りまくっているうちに、それは襲ってきた。6/17

客がギネスばかりのんでいるロンドンのパブで、私はノンアルコールのビールを頼んだはずなのだが、それはいつまで経っても運ばれて来なかった。6/16

彼らは男ばかり数名で共同生活をしているようだった、ノノヘイが病気の時はセキノが、セキノの具合が悪い時はスギザキが代わりに仕事に出て、お互いに助け合っている姿が好ましかった。6/15

東京を逃れて京都にたどりつき、熊野神社あたりで学生相手の一膳飯屋を物色していたのだが、唯一の女性である前田嬢が「これは嫌、これもダメ、ちゅうちゅう蛸かいな」と文句ばかりつけるので、いつまで経っても昼飯にありつけない。6/14

世の中が戦争一色に染まって来たので、もう黙っているしかないといったんは思ったのだが、あまりに酷い事態を迎えつつあるので、最後の科白を言おうとした途端、突撃兵たちの集団に飲み込まれてしまった。6/13

私が率いる1個小隊は、東に向かっていたのだが、西からやってきたわが軍団の大波にのみ込まれてしまったので、みな三八銃を抱えたまま、ちりじりばらばらになってしまった。6/13

「これからはワンショットごとに消費税を掛けることになった」というので、念のために撮影済みのフィルムを調べてみると、確かに映像毎のすぐ後の黒いフレームには「消費税8%」と書きこんであった。6/12

私は息子を海につれていって泳ぎを教えようとしたのだが、彼は親の言うことは全然聞かず、しばらく放置していたら独りで沖合まで行って勝手に泳いでいるのだった。6/11

塹壕戦に従軍していた私らは、指揮官が全軍突撃を命じたので、三々五々前面の狭い砲撃口から外へ出ようとしたのだが、そもそもそこが狭すぎるうえに、銃や背中の飯盒が邪魔になって、押し合いへしあいするうちに全てが終わった。6/11

プロレスの八百長試合で、私が「ハイ」と声を掛けると、甲が乙に業を掛ける段取りになっていたのだが、んなこたあすっかり忘れて試合を見物していたために、試合はそのまま終了してしまった。6/10

最新のメンズ市場の販売動向を中島選手が延々とレポートしている間、僕たちはねんねぐーしたりあらぬ空想にふけったり、どうやって借金を返済するか算段したりしていた。そして僕たちはこういう時間こそはリーマンにとって至高の時であることを知っていた。6/9

大勢の兵隊を乗せた巨大な軍用列車は、なぜか線路から浮かんでしばらく空中で静止していたのだが、突然呪縛が解けたように汽笛を鳴らして疾走し始めたので、兵士も群衆も鳥も喜んで叫んだり鳴いたりした。6/8

洗濯物を家の外に干しておいたのだが、いつの間にやらそれが道路に落ちてしまって、その上をたくさんの車が轢き過ぎていくのだった。6/8

苦心惨憺の末に1枚1面当たり3時間の長時間超高音質安価LPレコードの開発に成功した私は、CDの音の暴力に悩まされ続けていた全世界のクラシックファンから感謝されただけではなく、一躍大金持ちになってしまった。6/7

死刑囚の私の首の上から、シューっと唸り声を上げてギロチンの刃が落ちてくるのを聞きながら、私はそれが初めてではなく、いままでに幾たびか経験していたことを思い出していた。6/6

戯れにガイガーカウンターを買った私が、自分の体や周囲の家具や植物などにそれを向けると、物凄い音響を発してガアガア、ガアガアと唸り続けるので、私は思わずそいつを取り落としてしまった。6/5

プロデューサーは、私が演出する番組の視聴率が悪いのを気にして、あれやこれやの提案を口にするのだが、私は昆虫の名前はすぐに覚えられるのに、どうして野の花や草花の名前を覚えられないのかと考え込んでいた。6/3

私は寝る前に黒い靴下を履き、これなら水虫も痒くならないはずだ、と考えていたのだが、夜中に蚊に刺されてしまったことは想定外であった。6/3

私が彼の女を奪ったために、彼はたいそう私のことを怨んでいたが、これまで彼は大勢の男たちの女を無理矢理奪っていたので、これもいい薬だと私はひそかに考えていた。6/2

グリーン州のグリンランドがこんなに素晴らしい緑の楽園とは知らなかった。観光客は誰ひとりいないし、風と鳥の鳴き声以外は朝から晩まで物音一つしない。私はなにもかも捨ててこの地に永住したいと願った。6/1


 なにゆえにアメリカは自衛権を主張するイスラム国から侵略されたの? 蝶人
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豊島ゆきこ歌集「冬の葡萄」を読んで

2014-09-25 08:08:31 | Weblog


照る日曇る日第729回


 豊島ゆきこさんの最新歌集を拝読しました。

江戸の代より十三代目の鐘が鳴る二千年紀の人びとの上に
歌詠むはふしぎな遊びたましひの原野に紅き花摘むごとき
かなしみも喧嘩も笑ひもひと括り 三人の衣類がぐるぐる廻る
わたくしはゐるだけでいいこの家にひつそり灯つてゐるだけでいい
喪の日には黒く晴れの日に白く親族といふ一ふさのぶだう

 どの歌も平易で素直な言葉遣いの中に、平成の暮れ方をとつとつと生きる歓びと哀しさがさりげなく醸し出されていて、とてもいいですね。

夫とわれのしづかな生活朝ごとに卵ふたつを寄り添はせ焼く
結婚はしないが遊びじやないんだとその娘のことをぽつぽつ話す
芽生といふ名にするんだと子は告げぬ風のかすかに秋めける朝
分娩室よりの電話に「エッ、エッ」と泣くやうな笑ふやうな息子のこゑが
家具といふほどのものなき息子らの新居に銀のフラフープあり

 思うに短歌は、手で作るものと、頭で作るもの、体で作るもの、そして心で作るもの、最後に肝で作るものの5つがあり、わたくしが嫌いなのは前の2つ、好きなのはあとの3つなのですが、この方のはことごとく「心から」詠まれているようです。それも素直で美しいこころで。

切る分くるりんごに輝く蜜ありてわが経し恋のとりどりおもふ
傘を差しあるいは傘を畳みつつ見上ぐる花よ木犀の花
人肌の温度といへる言葉ありかかる温みをもちしその歌
与へられし桝目いつぱい文字を書き良子さんに話すやうに弔電を打つ

 ちなみに最近の短歌の多くは、脳味噌の内部で「ああでもない、こうでもない」とこねくりまわした技巧的な言葉遊びに夢中になっていために、楽しいのはご本人だけで、私のように偏差値の低い老学生にはちっとも面白くないのです。 

 地に両足を踏みしめ、生活の現場を犀のように歩み、そこで深く感受されたことどもをその体験の深さの奥底でそのまま歌の言葉に置き換えてゆく。そういう生き方、そういう歌い方を、著者はいつのまにか体得してしまったように思われます。

病とは健康のためになるものと知りていくばくか明るむこころ
完全に鬱を治さぬはうがいい。そのはうがあなたの良さが出ると言ふ
放射能かすかに混じるこの大気吸ひ込む春も春は春なり
わが裡に新しき町区画して樹を植ゑたしよ家建てたしよ
鬱ふかき日にをさなごと遊びたりそのひとときのみ笑みごゑたてて
 
かの楽聖ベートーヴェンではありませんが、「心より出てて、心へ」、これこそが豊島ゆきこ流短歌術の極意かと思われます。

予約をし、また予約をしわたくしの生をこの世に繋ぎとめおく
天秤はふかく傾きわれは生のよろこびの側にゐるなり
わが歌集はわれが死にたるときに読む、泣きながら読むと息子は言へり
モンブランの万年筆にインク満たしもう一度丁寧に生きてみようか
白色のこのみどりごに色をつけるわれらと世界、あつ、あくびした

 ああ、私もこんなことをこんな風に歌に詠めたらいいのになあ!


なにゆえに佐々木小次郎は武蔵に敗れたか祖父小太郎は悔しがってた 蝶人
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ベートーヴェン

2014-09-24 11:02:31 | Weblog


家族の肖像 その1~「これでも詩かよ」第100番

ある晴れた日に 第258回



私「さて問題です。今からお父さんが演奏する音楽の作曲者は次の3人のうちの誰でしょう? 

1番バッハ、2番モーツアルト、3番ベートーヴェン。
音楽スタート!

♪ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン、ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン!

耕君「3番、ベートーヴェン!」

私「ピンポン! あったぁりいー」



 なにゆえに六十九になってしまったのか1969年にまたもどるため 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第14回

2014-09-23 10:46:10 | Weblog


西暦2014年葉月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.185


延長45回でも決着しない軟式高校野球の準決勝戦。こういう試合こそ見たいのに、今日もどこを探してもやっていない。いかにメディアが駄目であるかのいい証拠だ。8/31

朝日新聞が長く吉田証言の虚偽を見抜けなかったことと、帝国陸海軍による慰安婦強制労働という歴史的事実とはなんの関係もない。自分が朝日の虚報に騙されていたので、あわよくば慰安婦労働強制と強制連行も無かったことにしよう、というのも太い料簡である。8/30

雨が降りしき中、ひとすじの光が差してくると、夏の終わりのセミたちは、ここを先途と命の限り鳴き叫んでいる。8/29

1897年2月、プルーストはドーデの次男(画家)との関係を誹謗されて作家ジャン・ロランとムードンの森で決闘した。8/21

今年1月に80歳で亡くなったアバドのベルリン・フィルによる追悼演奏を、ネットで聴く。ラトルのは黙祷もなく聴衆が拍手するという非常識なものだったが、2つ年下で同じスワロフスキー門下のズビン・メータによるマーラーの5番のアダージェットの演奏は真心が籠っていた。8/18

私たちが欲するのは、恣意的な自由、「してもしなくてもどちらでもよい」自由、「することもできるし、しないこともできる」自由である。加藤典洋「人類が永遠に続くのではないとしたら」8/19

関係の修復、信頼の創造、その根源に負債の支払いと贈与の用意がある。加藤典洋「人類が永遠に続くのではないとしたら」8/19

一度自転車に乗れるようになってしまうと、「乗れない」ことをできなくなる。西洋画のデッサンを学んだ江戸時代の絵師が日本画本来の描き方ができなくなるように。山口晃8/19

今朝逗子の海に泳ぎに行ったら、昔の静謐な浜辺が戻っていた。ヤクザの殺人事件が起こった去年とは大違い。巨大騒音音楽にうつつを抜かし、刺青を入れ、煙草を吸いまくって間接的に殺人毒素をまきちらすアホ馬鹿連中はみな鎌倉へ移動したようだ。8/24

遠藤健司の「夜汽車のブルース」こそは、ライヴの中のライヴというべきだろう。なにか面白いことはないかと思っている人には絶対のお勧め。8/16

世界とわれわれが再創造されるには、天気が変わるだけで充分なのだ。プルースト「失われた時を求めて」ゲルマントのほうⅢより(吉川一義訳)

大岡昇平によれば、ノーベル文学賞が三島と川端を殺した。ドナルド・キーン「自叙伝」

つひに無能無芸にして只此一筋に繋る。芭蕉の「笈の小文」

ロビン・ウイリアムズとローレン・バコール死す。2人とも良き俳優である前に良きアメリカ人であった。8/13

クラシック音楽の好みがどんどん変化してきて、いまやいちばん耳になじむのはスカルラッティとラモーの鍵盤音楽、次いでハイドンとモザール、バッハという順序になってしまった。

84歳で突如逝ってしまったマゼール。マーラー第3番の終楽章は凄かったが、どうも彼の音楽のつくりは人工的で好きになれない。人工的という点ではアーノンクールも小澤もバレンボイムも同じだ。

人工的でえぐい音楽をあまりしないヴェテラン指揮者といえば、ハイティンク、ムーティ、メータ、ヤンソンスくらいか。こういうほぼ同世代の人たちが死んだら私はもうCDなんか買わないだろうな。もっともその前にこっちが死ぬかも。

自己の外部を自己にとりこんで空想と仮託と修辞ででっちあげた塚本邦雄や寺山修司などの前衛的な短歌は、確かに短歌の領域を拡大することに成功したが、所詮は己との距離が遠すぎる「嘘」の歌だ。8/11

嘘の歌とほんとの歌。頭の中でひねくりまわして得られた秀歌よりも、実体験に基づく凡歌のほうに愛着がある。作品の文芸的価値はさておくとしても。8/10

第3次産業よりも第1次産業の従事者のほうが圧倒的に好きだ。8/9

中上健次も、作家より土方をやっていた頃のほうが幸福だったろう。8/8

問題は、いかにして方法的に制覇するかということだ。8/8

亡き母を詠んだ歌が東京歌壇の7月の月間賞に選ばれたので、文化部長さんが賞状と図書カードを送って下さった。賞状をもらうなんて初めてなので気恥ずかしいが嬉しい。やるね東京新聞。8/9

最後の試験に立ち会う。キャンパスではたくさんの蝉が鳴いていた。さらば文化、さらば新宿。8/8

国家といふのは無目的に存在してるものなんでせう。自然現象のように。丸谷才一「裏声で歌へ君が代」8/3

中国の政治が阿片戦争以後はともかく、それまではほかのどの国にも優っていたのは、官吏として社会的生活を営むうえでの「儒教」と隠者の生活を夢見る「老荘」の2つの原理の使い分けという方法のおかげであった。丸谷才一「裏声で歌へ君が代」8/3

危険だか脱法ドラックなんかなくとも、この猛暑の夏なら十二分にトリップすることができる。8/2

へたくそなヘアメイクが、いかに女優やタレントのイメージを損なってしまうか。その好例が悪名高きフジテレビの昼ドラ「碧の海」の奥菜恵である。番組自体も最悪だけど、奥菜恵ファンとしては残念。8/1

 
なにゆえに普通の人が超絶美人に生まれ変わるげにヘアメイクこそ奇跡の魔法 蝶人
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ごきげんよう、さようなら~「これでも詩かよ」第99番

2014-09-22 09:13:01 | Weblog


ある晴れた日に 第257回


今日わたくしが滑川をのぞきこみましたら、
だいぶ大きくなったハヤたちが、
楽しげにすいすいと泳いでいます。

大きな亀のドン太が、
大きな甲羅から首だけ出して、
あたりをきょろきょろ眺めていましたので、

「ドン太、ドン多どうしたんだね」と尋ねますと、ドン太は
「大うなぎのウナジロウが見つからないんだよう。いったいどうしたんだろう?」
と、うろたえています。

住まいも近くだし、いつもこのあたりで遊んでいる友達が突然いなくなったのが、
心配でたまらないのです。

するとそのとき、土管を飛び出したカワセミの瑠璃子が、

「ドン太はねえ、こないだ青木とかいう悪い人間の罠で捕まえられて、カバ焼きにされちゃったのよ」
と笑いながら早口でしゃべったので、ドン太はびっくり。

「瑠璃子、それって本当? いったいどこのどいつが天然記念物の絶滅寸前のドン太にそんなひどいことをしたんだね?」
と尋ねましたが、

わたくしに似てちょっと意地悪なところのある瑠璃子は、
それ以上教えることなく、青と緑と黄色と金色に輝く短い翼を、太陽の光にきらめかせながら、滑川の上流に飛び去ってゆきました。

がっくり落ちこんで首を垂らしているドン太を、わたくしは、
「大丈夫、きっとこないだの台風11号で流されただけだ。すぐに元の住処まで戻ってくるさ」と慰めてやりました。

しかし真実は瑠璃子のいうとおりかもしれません。
下流の十二所の橋の下では、悪賢い青木一味の仕掛けにかかって、ウナジロウの家族や友達の何匹もの天然うなぎが命を落としているのです。

ドン太と別れて、大木さんの家の手前にさしかかると、
珍しく青鷺のザミュエルが 
大股でゆっくり浅瀬を歩いていました。

去年の11月中旬に、彼女の子供のベンジャミンが不慮の事故で亡くなったときの姿は、さながら梅若丸を喪った「隅田川」の狂女のようで、見ていられませでしたが、あれからおよそ9カ月が経ち、少しは元気を取りもどしたようです。

「やあザミュエル、去年は息子の娘さんのでベンジィンが気の毒なことをしたねえ。あんときゃあげっそり痩せてたけれど、あんた胸のあたりに肉がついて、元気そうじゃないか。今日はどうしてここへやってきたの?」

と尋ねると、
「なんだか急に小泉先生のアトリエを見たくなってね、網代からここまでひとっ飛びに飛んできたの」と答えます。

「そうだったのか、先生ンチはまだあるけど、もう人手に渡って誰も住んではいないよ。さっき自転車で雪ノ下まで行ってきたんだけど、吉田秀和さンチのお宅も、草も木も跡形なく消え失せて更地になっていた」

と伝えると、ザミュエルは美しい青の眉を顰めて、
「ほんと、嘆かわしいことだねえ、亡くなられてからまだ2年ちょっとしか経たないのに。諸行無常とはこのことだねえ」

と深く嘆くのでした。
「ところで例の東大生はどうしたの?」
とザミュエルが聞くので、

この滑川の水質検査をしていた水産科の学生さんのことかい? 
それならこないだ2,3人連れ立って定点観測の現場にやって来て、「1年間お世話になりました」と礼儀正しく挨拶したよ。

「滑川は年々きれいな川になっているようです。だから天然うなぎも鮎を追って相模湾から遡上してくるのでしょう」
と言ってたよ。

と教えてやると、「そうかい、もう来ないのかい。それなら、あたしも、あの子たちに、ちょっと挨拶をしたかったなあ」
と残念そうな顔つきをしました。

彼女の息子のベンジャミンが、定点観測のあの現場近くで、ごろつきのカラスどもに襲撃されて命を落としたことは、現場近くの土管の奥に住んでいるヤマカガシの三太郎が、細大漏らさずレポートしてくれたので、村中のみんなが知っているのです。

「んで、あんたとこはどうなんだい。なんか変わったことはあるの?」
とザミュエルが聞くので、わたくしは思わず家族のあれやこれやを彼女に伝えようとしたのですが、

ここでそんな話をザミュエルにすれば、あっという間にドン太や瑠璃子を通じて震災地からやって来た柴犬の飼い主である太郎のおかあさんに伝わり、そこから村の全員に知られてしまうと思ったので、

「人世苦あれど少しは楽もあり。まあまあというところかな」
というと、ザミュエルは、
灰色と青が混じった翼を、さっと大きく広げました。

さうして「それじゃあまた。ごきげんよう、さようなら」
と、まるで歌うように言いながら、
初秋の空に向かって、バサバサと飛び立っていったのでした。


なにゆえに「ごきげんよう、さようなら」と挨拶するの恐らく二度と会うことはない 蝶人
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キャメロン・クロウ監督の「エリザベスタウン」をみて

2014-09-21 13:21:42 | Weblog


bowyow cine-archives vol.701


 冒頭、亡くなった父親の葬儀に出席するためにデルタ航空に乗った主人公が、可愛らしいスッチー(キルスティン・ダンスト)にもうれつアタックを受けて、1時間半ほどやっさもっさするうちにめでたく一緒になる仕合せ映画なり。

 乗った飛行機にはなんせお客が彼一人しかいないので、エコノミーからファーストクラスに招待されたりするのだが、ちょうど私が湾岸戦争直前の1990年12月に、NYから香港まで乗ったデルタ航空機も、乗客は私一人、そしてこの映画のヒロインほど可愛らしくはないが、より美しいスッチーが、物思いに耽りながら時折稲光が走る窓の外を見つめていた。

 私はもちろんこの映画の主人公のようなうれしい目には遭わなかったが、ずいぶん長い間雲の上で2人きりだったのだから、ああ、あんときゃあこっちから誘えばよかったんだ、と気付いたのは、この映画を見てからのことで、思えば2014引く1990=24年遅かった!

 映画の中身はどうでもよくなったが、主人公が父親の骨壷を車で運びながらあちこちでばら撒くのはなかなか素敵だと思った。



  なにゆえにアサガオのくせに秋に咲く天青は寒さに強い花だから 蝶人
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リチャード・リンクレイター監督の「ビフォアー・サンセット」をみて

2014-09-20 12:37:00 | Weblog

bowyow cine-archives vol.700

 ひと昔前に一夜だけ契った男女が、巴里で再会して旧闊を叙す、というただそれだけの話といったらそうなんじゃが、どこか昔のヌーヴェルヴァーグの記憶もよみがえり、見ていて懐かしく、切なくなってくる。つまり私のとても好きなタイプの映画なんである。

その一夜の思い出を書いて作家になった男が、書店のサイン会で運命の女に会い、そこから巴里の街を歩き、セーヌの観光船に乗り、最後は女のアパルトマンにたどり着くまでの、ある日の夕暮までの全篇を、2人の会話(思い出噺)だけでノンストップでつないでゆくドキュメンタリー的な手法が、妙に新鮮に映る。

 アパルトマンの外では、作家を空港まで運ぶハイヤーが待っているというのに、男は女の自作自演のワルツを寝そべって聴いている。さあこれから二人はどうするのか? それとも何もしないで別れてしまうのか?

といういいところで、1時間20分のいまどき珍しいショートフィルムは終わってしまい、深い余韻が漂う。私が監督なら男女とも別の役者を使うのだが、それだけがちょっと残念。

さあ、みなさん、ここいらで、

「ほんに別れたあの女、いまごろどうしているのやら」

 という、中原中也の一節をくちずさんでみませう。



なにゆえに今日はペンキ塗りをしないのかもうすぐ台風がやって来るのに 蝶人
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ジェームズ・マンゴールド監督の「17歳のカルテ」をみて

2014-09-19 02:47:22 | Weblog


bowyow cine-archives vol.699


実話の映画化で、原題は「壊された少女」。主人公の少女が体験した、悲惨で壮絶な世界を描いている。

すべての人が発達障がいの要素を備えているのなら、すべての若者も精神障がい要素の一部を備えていることになる。

だからこの映画が描いているように、「境界性人格障がい」なる名目で精神病院に入った少女が、たとえ実際はそうでなくとも、わけの分からぬ「治療」を受けている間に、本物の障がい者になってしまう危険は充分にある。

本作のヒロイン(ウィノナ・ライダー)は、なんとか自力でかかる生き地獄を脱出したのだが、よく考えてみればまるで不必要な回り道だった。しかしいまなお同じような悲惨な目に遭っている人たちも大勢いるに違いない。

彼女の病院仲間のアンジェリーナ・ジョリーの部厚い唇が禍々しい。


なにゆえに己のパニック障碍を明かしてる母親の同じ病を励まそうとして 蝶人


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「THE ALL- BAROQUE BOX」全50枚CDを聴いて

2014-09-18 13:52:52 | Weblog


音楽千夜一夜第335回


 歳をとると、クラシックも昔の音楽を昔の演奏で聴くに限りますなあ。

 んなわけで、ここんとこ、アルフィーフ・レーベルが特集したモンテヴェルディからバッハまでのバロック作品集をちびちびと聴いておりました。

 ベトちゃん、シュバちゃんもいいけれど、ベルリちゃんとかプロコちゃんとかマラちゃんとかやたら喧しいのは迷惑だし、ちょっと小耳に挟んだだけでもえらく疲れる。

 んなわけで、モンテヴェルデイ、シュッツ、リュリ、シャルパンティエ、クープランなぞを垂れ流しておると、心が慰安婦、じゃなかった、癒される、じゃなくて、ゴロニャンとなりますなあ。

 特によろしいのはスカルラッテイとラモーでして、ヴィヴァルディやテレマンよりもこっちのほうがよい音楽ではなかろうか、と愚考しておりやした。

 ラモーのオペラは映像でたっぷり仕入れてあるから、そのうちまとめて視聴しやう。さうだ、さうだ、さうしやう。

 もちろんバッハ、ヘンデルもどっさり入っておりますが、疲れた心は、どんどん音楽の源流へと遡りたがること、シャケの遡上のごとし。

 演奏はピノック&イングリシュ・コンソート、ガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、ミンコフスキー&ルーブルと続々。


  なにゆえに酸欠金魚が喘いでる絢香が歌う主題歌「にじいろ」 蝶人
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豊島ゆきこ著「りんご療法」を読んで

2014-09-17 11:15:12 | Weblog


照る日曇る日第728回

 川越在住の歌人の第1歌集ですが、その表題がとても個性的です。それは

 つやつやのりんごたくさんスライスし煮詰むればたのし りんご療法

 という、ちょっと意表をつく1首から採られていて、日々台所に立つ主婦の労苦とそこからのしばしの慰藉と、その双方に向き合いながら深々と感受する、成熟した大人の女性の姿を垣間見ることができます。

 労苦とは何か? それはたとえば、次のようなことどもでしょう。

連休は旅にも出でず仄暗き店蔵にゐて商ひをせり
誰に褒めらるることなく子供会役員終へぬ 梅が満開
夏に逝きし胎の児あればいきいきと電車で遊ぶこの子を眺む
何をどう思ってゐてもわたくしはしあはせ なのに抗鬱剤のむ
長女であり「よい子」であった少女期のわたしはすでにゐないのだ母よ

 慰安とは何か? それはたとえば、次のようなことどもでしょう。

時の鐘ごおおーんと鳴る午後三時夫に声かけコーヒー淹れぬ
ひつそりと青き椿の実の成るを家人の誰も知らぬ秋の日
あさがほをひらかせてこし朝の風ラジオ体操の子らを撫でゆく
けふ一日鳥になりたし金の粉をまぶせるごとき木犀日和

 どの歌もこの歌も、生活の底から湧き出る実感に即していて、まことに味わい深いものがあります。
 歌人と同じ商家に生まれ育った私などは、いつも店先に座して客を待っていた亡き父母の姿も思い出され、懐かしい限りですが、この歌集で特に胸を打つのは、子を思うたくさんの母の歌です。

枕もち子は隣室へ移りゆき親子みたりの川の字崩る
「なんだよ」とたち上がる子はすでにわが鼻先に迫る もつと反抗せよ
鳥肌が立つほど冷房効かせゐる部屋に説かれぬ「偏差値67」
偏差値の話ききつつたうとつに生れし日の子のぬくもりおもふ

最後に私が勝手に選んだベスト5をご紹介しつつ、歌人のご活躍とご健勝を祈念いたします。

庭は緑、犬はくつろぎ、生活ととのふほどの虚しさ
京の地に桜守なる職ありて一年さくらを思ひ暮らすと
疲れたる夕べの人を癒すため豆腐屋はラッパ吹いてゐたのか
子がひとりゐるといふこと私の興したちひさな会社のやうだ
丸ごとのキャベツざくっと切るときにしぶき立つ霧明快に生きむ


 なにゆえに重き荷物を持たぬのかそれで父は亡くなったから 蝶人
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ロバート・アルドリッチ監督の「北国の帝王」をみて

2014-09-16 11:15:02 | Weblog


bowyow cine-archives vol.698


アメリカ30年代の大恐慌の折りに、職を失った労働者たちが方々でホーボーという名の浮浪者となって各地を放浪し、鉄道を無賃乗車したそうな。

んでそいつをなんとしてでも断固阻止しようとする鉄血車掌がアーネストーボーグナイン、地を這い空から降りても彼の列車に乗り込もうとする無産階級の帝王がリー・マーヴィンときたからにゃ、なんでこの血湧き肉躍る世紀の対決を見逃せよう。

あとは名匠ロバート・アルドリッチの名采配にクイクイと引っ張り回され、この上ない男と男の名勝負をとっくりとご覧うじろ。

こんなハチャメチャに面白い映画は滅多にあるものではないぞよ。


   なにゆえに道端に荷風全集を捨てるしかも誰一人拾う者なし 蝶人

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