あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2009年茫洋睦月歌日記

2009-01-31 09:44:40 | Weblog


♪ある晴れた日に 第51回


ブルーベリー、苺無花果林檎ジャム数々あれど柚子が大好き

何事のおわしますかは知らねども胸に満ち来る光一筋

われもまたソウル・トレインに乗り込んで、世界の果てまで旅立ちたし

武士は義に女は恋に死すべしと元録の掟ついに定まる 

昼下がり舗道に伏したる黒猫は薄き血吐きて瞑目しており

「新世界」の第4楽章は行進曲ではない讃歌である「歌え歌え」とクーベリックは叫ぶ

やたら雷、津波を連発するなかれ気象庁とマスコミはピーターと狼

豚のごとく太りしもの武道館にこけつまろびつ還暦ジュリーコンサート

6時間ぶっちぎり武道館還暦ジュリーは日本のプレスリー

なにやらんかなしききもちになりにけりじへいしょうきょうかいがつくりしぼうさいはんどぶっく

災害はいつどこで起こるか分からない君のために何ができるか
殺すか殺されるか一つを選ぶ苦しさよ

かくすればかくなるものとは知りながら御身大事に敵殺す君 

遥かなる遺恨のほどはさておきて眼下の敵はみなみな殺せ  

夜叉の如き形相で嬉々としてパレスチナ人を血祭りにあげているイスラエル外相 

眼には眼を歯には歯を旧約の教えにいそいそと従うユダヤの民かな 

自分探しなぞというありあわせの言葉を用いて己の営為を規定しようとするそのお粗末さ肌寒さよ 

美しい人の心が美しいかどうかがはっきりと見えたらいいのに

サンキュロットたちを仇やおろそかにすれば罰が当たるぜよ

南蛮服に身を包み真紅のワイン飲み干したり織田信長

着物を裂き足袋職人が洋服に縫う沼田氏こそはヨウジの大先輩

大人しき雌の駱駝に跨りて砂漠往くなり猛きベドウイン

どうせわたしをだますならさいごのさいごまでだましだましつづけてほしかったあ

望みなきにしもあらずなおも一縷の希望を胸に進みたし絶望も希望も虚妄ならば

堕落腐敗しきった平成俳句界にいまひとりの碧梧桐出でよ
 
管弦の楽高鳴れば春鶯囀大宮人の宴は果て無し
 
こんな小説のどこがおもろいんじゃあと叫びて屑籠めがけて投げつける

どんな革命にも大中小の獅子がいた吼えよライオン

女性の蜂起なくして真の革命なし昔も今も

歌舞伎座やオリンピックに口出しする暇あらば新銀行の算盤弾け石原都知事


若水をこころに浴びて命かな

立ったまま朽ちてゆかなむ0九年

市田柿1箱498円鎌万の安さ畏るべし

武士道は辞世一発死ぬことと見つけたり

遠い日を思い出させて遠い景

おお天よ、われらが運命に形を与え給え



☆青い空には雲がある

青い空には雲がある
雲の上には光がある
光の彼方に夢がある

京都には百万遍がある
鎌倉には十二所神社がある
綾部には「てらこ」がある

百貨店には屋上庭園がある
サーカスにはブランコがある
リーマンにはボーナスがある

カレンダーには旗日がある
機動隊には7つある
小田急線にはロマンスカーがある

機動隊には貸しがある。
吉本隆明には借りがある
愛犬ムクには墓がある

手術台にはメスがある
佐々木小次郎には物干し竿がある
露台には植木鉢がある

食堂の戸棚にはドラヤキがある
隣の親父には抜け毛がある
新国籍法には抜け道がある

金融業には悪がある
障碍児には無垢がある
我が家の玄関には灯りがある

イエスにはマリアがある
大刀洗には井戸がある
畳の上には布団がある

猫にはタマがある
男にも玉がある
竜宮城には玉手箱がある

赤ちゃんには乳歯がある
処女には処女膜がある
老人には萎びた珍宝がある

レノンにはイマジンがある
サントリーには山崎がある
私には2人の子供がある

ジョン・フォードにはジョン・ウエインがある
助さんには格さんがある
私には可愛い奥さんがある

蝶には翅がある。
臍には胡麻がある
眼には涙がある

道には石がある
身体には骨がある
人には理想がある

青い空には雲がある
雲の上には光がある
光の彼方に夢がある




♪オバマとなら和解してもいいとフィデルフィデル和解せよ 茫洋
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ロドリゴ・ガルシア監督の映画「美しい人」を見る

2009-01-30 11:20:12 | Weblog


照る日曇る日第226回

衛星放送で先日やっていた05年公開のアメリカ映画です。

タイトルが妙に気になったので、ほんとに美しい人が出てくるのかと期待していましたら、ホリーハンターとかシシースペイセク、とどめにグレン・クローズまで登場します。これは「美しい人」というよりは「元美しかった人」ではないかなとちょっと思ったりしましたが、それは冗談。心の清い女性が陸続と登場する上出来のオムニバス映画でした。
ちなみに原題は「nine lives」。9人の女性の人生の断面をワンシーン、ワンカットであざやかに描いています。

グレン・クローズは、たしかNHKのBS2であの超面白かった「ホワイトハウス」のあと番組(題名忘却)で、じつに見事な演技を披露していました。マーチン・シーン主演の「ホワイトハウス」も抜群だったけど、これが謎が謎を呼ぶまたしても超々面白い連続ドラマでした。

ああそれなのにたったワンクールで打ち切りにしてしまうとはNHKはけしからん!
こういう超一流のドラマにくらべたら「篤姫」なんかまるで幼稚園のお遊戯みたいなもんでござんすよ。

ところでハリウッドでは(でも?)、もう若くはない演技派女優の出演機会が極端に減ってあほばか美貌肉体誇示女優にとって替わられているようです。そのことを主題にした映画も数年前に制作されていたような気がしますが、これはあほばか男性の一員として分かるだけにちと心が痛む話。老いも若きも、美しい人も、美しくない人も末長くよい映画に出演していただきたいものです。

♪美しい人の心が美しいかどうかがはきりと見えたらいいのに 茫洋



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これが歌舞伎座?

2009-01-29 20:38:52 | Weblog

勝手に建築観光33回


「新しさを求めて意味不明の新しさに迷う」のではなく、「古きをたずねてその新しさをふたたび見出すこと」。これが私たちが心の中でひそかに求めている現代建築のあるべき姿ではないでしょうか。

だからこそ辰野金吾設計の当初案を復元しようとしている東京駅のやり方は多くの人々から支持されていますし、数々の由緒ある建物を破壊した悪評高い三菱地所もかつて壮麗さを誇った三菱1号館をそのまま再建しようとしています。
東京駅の傍にある中央郵便局をなんとかそのままんも形で残したいと願う私たちの思いもこれと同じです。

だとすれば、このたび松竹が、1950年に竣工した吉田八十八設計の第四期の建物を、一九二四年竣工の岡田信一郎設計の壮麗な桃山様式のお手本(第三期)に土台を戻して、通算第五期の新歌舞伎座立ち上げをめざしたことは、歌舞伎座のみならず、銀座と東京の建築のあるべき姿に照らしてもっとも賞賛に値する勇気ある決断でした。

 このようなよき企てが、都知事の個人的かつ一方的な意見で圧殺され、日の目をみなくなることはとても残念ですし、もしそうなれば銀座、東京のみならず日本全体の大きな文化的損失だと思います。

 以上の観点から、松竹本社は昨日マスコミ発表された都知事推薦の現行案を廃棄して、もう一度当初の案に戻り、あの素晴らしい歌舞伎座建て替え案を再検討していただきたいのです。心ある市民は必ずや松竹オリジナル案を支持することでしょう。



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松竹は「石原都知事案による歌舞伎座建て替え」を中止せよ

2009-01-28 22:06:18 | Weblog


勝手に建築観光32回

東京築地の歌舞伎座では、いま異例のさよなら公演を行っています。
1924年に建てられ、米軍機による空襲で被災し、50年に改修され、02年に国の登録有形文化財に指定されたこの由緒ある建物については、私もこれまでこの日記で再三触れてきましたが、その老朽化が進んだためにどうしても建て替えるというのです。

物には寿命があるので建て替え自体は仕方がないのでしょうが、親会社の松竹が都に申請した第1次建て替え案を石原東京都知事が却下したために第2案に変更したというので驚きました。

今回の計画に携わった伊藤滋・早大特命教授らによれば、当初松竹は現在の歌舞伎座の原型となった太平洋戦争前の歌舞伎座を復元する計画だったそうです。ところが知事が事前の調整段階で注文をつけて、私見ではこのきわめてまっとうな復元計画を己の一存で葬ったというのです。

28日附の朝刊にはその改定案の写真が掲載されていましたが、それはこれまでも丸ビルや表参道ヒルズなどで実施されていたオリジナルの一部を形式的に踏襲する中途半端な折衷案でした。しかし施主が当初目指していたのは、価値ある文化財を単に復元するのみならず、光輝ある歌舞伎の殿堂をより歴史に忠実に再現復古しようとする意欲的な方法論でした。

これはたとえて言えば両国の国技館の立て直しにあたって江戸時代の回向院の相撲小屋、連合軍の爆撃によって崩壊したドレスデンの国立オペラをその一時代前の様式で再建しようとする試みにも似た「本格的な復古再現建築」への挑戦でした。

わが国の最高の芸術のひとつである歌舞伎の聖なる殿堂を、「より新しく」ではなく、「より古く由緒ある姿かたちで再現、再創造」しようというこの歴史的な英断を、「銭湯みたいで好きじゃない」「オペラ座のようにしたほうがいい」などという一知半解の近代化論者の一声で取り下げるとはなんと愚かなことでしょうか。

逗子海岸の丘の上の豪邸に住み少年時代から金持ちのぼんぼんとして育ったこの人物は、おそらく生まれてから一度も銭湯などに入ったことがないでしょうし、宮大工が秘術を尽くして建造した全国各地の銭湯建築や、庶民のあこがれが生み出した富士山のタイル絵の実物を見たこともないでしょう。

東京千住「大黒湯」の絢爛豪華な外装と内装の華麗な宮造りスタイル、花鳥の絵が色彩豊かに描かれた格天井、大寺院にもひけをとらないその完成度を一度でも目にした人なら、「銭湯みたいで好きじゃない」などとは口が裂けても言えないはずです。そのような不遜な言い草は我が国が誇る「銭湯文化」に対する無知であり、いわれなき差別でもあります。

また歌舞伎はいわば日本のオペラで、西欧のオペラとほぼ同じころに誕生した芸能ジャンルですが、それぞれに深い歴史と伝統がありますから、それにふさわしい建築様式で敬意を表さなければなりません。とりわけ本邦の歌舞伎建築においては、オペラ座の大理石と鉄とガラスではなく、重厚な木と紙と漆喰の壁で構築しなければ長唄、下座音楽、義太夫、清元の音響がなじまないのです。

ちなみに現在の歌舞伎座の音響の精妙さは国立劇場はもとより、サントリーホールやカーネギーホールなどをはるかにしのぎ、世界の劇場でも有数のものであることをほとんどの人が知りません。知事がいったいどこのオペラ座を想定しているのか知りませんが、新歌舞伎座は断じて「オペラ座のようにしては」なりません。

また知事周辺は「建て替えに反対したわけではない。ただ劇場とビルの調和がとれていなかった」と話しているそうですが、この場合、調和を破っているのは、そんじょそこらのどこにでもあるモダンなビルのほうです。
古今東西にわたって永久不滅の銀座の象徴であるべき劇場が、もしもありきたりのモダンなビルと調和していたならば、そのビルの外装やデザインをこそ劇場(新歌舞伎座)に合わせて根本的に変えなければならないはずです。

銀座のランドマークともいうべき交詢社ビルや和光ビルの形式的な保存改装が、首都の建築遺産にどれほどの文化的損失を与えたかを考えるとき、残る唯一無二の「世界に向かって開かれた銀座の顔」をどのように維持・保存・強化するのかはきわめて重要な問題です。
わたくしはこの際松竹本社に対して、フランスや中国の文化に圧倒的に無知で無理解な知事のアホ馬鹿勧告を勇気をもって退け、今回発表された改造案をただちに白紙撤回して当初原案に基づく新改築計画に復帰されることをせつに望むものです。

時こそ今は 傾け歌舞伎座!



♪今こそは天下分け目の関ヶ原松竹は断固石原案を退けよ 茫洋

♪歌舞伎座やオリンピックごっこする暇あらば新銀行の算盤弾け石原都知事 
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萩耿介著「松林図屏風」を読んで

2009-01-28 08:37:57 | Weblog


照る日曇る日第225回

見るたびに日本絵画の底知れぬ磁力に引き入れられる「松林図屏風」であるが、この六双の名品を描いた長谷川等伯を主人公とする時代小説が本作である。

絵師一族とその生涯を取り巻く時代背景をじっくりと調査し、そこから浮かび上がった創作の秘密に大胆な推理と想像を凝らして偉大な芸術家の真実に迫った手際はあっぱれ。第二回日経小説大賞を受賞したのもむべなるかな、といえがばいえようが、まずはタイトルと主題で得をしている。

思いがけないどんでん返しやら時代考証的な意外性も随所に盛り込まれ、飽かせずになんとか最後まで引っ張っていく構想力と筆力はたいしたものだと思うが、さてそれで読後になにが残ったのか。これが信長、光秀、秀吉、家康の治世を生き抜いた絵師のほんとうの生きざまだったのだろうか、と問い返せば胸の裡にうすら寒い空々しさが垂れこめている。どうせ騙すならもっと徹底的に騙して欲しかった、となにやら歌謡曲のうらめしいリフレーンのような木霊が返ってきた。

根も葉もない嘘っぱちを書いていかにもありそうな話だと得心させたら小説として大成功だが、そこそこ根と葉のある話を徹頭徹尾得心させることも意外に難しそうなのである。


♪どうせわたしをだますならさいごのさいごまでだましだましつづけてほしかったあ
茫洋
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T・Eロレンス著・田隈恒生訳「完全版 知恵の七柱1」を読んで

2009-01-27 13:39:50 | Weblog


照る日曇る日第224回

デビッド・リーンの名作「アラビアのロレンス」の主人公T・Eロレンスは、あの映画の冒頭の印象的なシーンで見られるように、1935年5月19日、不慮のオートバイ事故で46歳で急死した。彼の自伝であるこの本は、すでに全3冊で同じ東洋文庫から出版されているオックスフォード普及版のオリジナル原典版にあたる内容で、これからなんと全5冊で発売されるという。やれやれ。
しかし同じタイトルの短縮版に加えて拡大ヴァージョンの正規版も併せて公刊するとはさすが天下の平凡社。これぞ出版社の鑑といわなければなるまい。

ちなみに「知恵の七柱」という題名は、旧約聖書の箴言第9章の冒頭「知恵はその家を建て、その7つの柱をきり成し、その畜をほふり、その酒をまぜ合わせ、そのふるまいをそなえ、そのはしためをつかわしてまちの高き所に呼ばわりいわしむ。拙き者よここに来たれと云々」に依る。かなり思わせぶりだが本書の内容とはあまり関係がなさそうだ。しかし冒頭の捧詩はロレンスのかつて愛した御稚児さんへの愛の言葉らしい。

第1次世界大戦中の1916年、アラブがトルコに反乱を起こせば英国はドイツと戦いながらトルコを打倒できるだろうと考えた英国は、ロレンスをアラビアに派遣、ベドウインの首長(シャリーフ)フサイン・ブン・アリーとその子息アリー、アブドゥツラー、ファイサル、ザイドに加担したロレンスはいよいよ灼熱の砂漠にその生涯の活躍の舞台を見出すのである。

ところでロレンスは、この砂漠の遊牧民の反乱の物語を、「白鯨」や「カラマーゾフの兄弟」に匹敵する偉大な物語に仕上げたいという野望のもとに執筆にかかったそうだが、出来上がったものは、もちろんそうとうに違った内容になった。

けれども以下に引用する個所(第二部「アラブ軍、攻勢に出る」第二六章「行軍命令」)には、ロレンスが自作をそれらの名作になぞらえようと懸命に努力した形跡があって微笑ましいものがある。


「右翼の従軍詩人が不意に耳障りな歌声を張り上げた。一篇の創作二行連句で、ファイサルと彼がワジェフで与えてくれるはずのよろこびを歌っていた。右翼の隊は詩句に耳を澄ませてから頭に入れ、一度、二度、三度と誇りと自己満足を誇示する前に、左翼側への嘲りをこめ、繰り返すたびに前よりも挑発的に斉唱した。しかし四度目に得意を誇示する前に、左翼の詩人が烈しく独唱に入った。右翼のライバルのカブレットに対する即席の返歌で同歩格で相応する押韻により詩人の情感を完結し、あるいは最後を締めくくるものだった。左翼の部隊は勝ち誇ったようにどよめきつつ、それを復唱する。すると太鼓がふたたび鳴り、旗手が臙脂の大旆を振りかざしつつ、右翼、左翼、中堅の全親衛が士気を鼓舞する節回しの連帯歌を斉唱した。

われはブリテンを失い、ガリアを失いぬ、
われはローマを失いぬ、ましてつらきはララゲーを失いしこと!」


♪大人しき雌の駱駝に跨りて砂漠往くなり猛きベドウイン 茫洋

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メンズ漫録その4 本邦初のパタンナー

2009-01-26 17:27:41 | Weblog


ふあっちょん幻論第27回


1853年にペリーが来日すると、「毛唐柄」(唐桟(細番の綿糸で平織りにした縞織物、紺+浅黄、赤の羽織りや着物に使用)や「唐人仕立て」が流行するが、幕府は百姓・町人の異国風衣装を禁じた。しかし部分的には国防強化のため軍事訓練用に洋装、軍服を取り入れるようになる。

このときに活躍したのが初代裁断士の沼田守一で、彼は古着を解体し、足袋職人12人に羅紗、型紙を与えて洋服を製作した。彼こそは本邦初のパタンナー兼デザイナーというべき人物である。

ちなみに「洋服」という言葉は、1867年に発行された『方庵日記』に初出しており、ご一新以後一般にも使われるようになったそうだ。また福沢諭吉の著書『西洋衣食住』には、袴とズボン、帯とベルトなど着物と洋服の類似点や、彼独自の洋服着こなしノウハウが記述されているそうだが、私はまだ読んだことはない。



♪着物を裂き足袋職人が洋服に縫う沼田氏こそはヨウジの大先輩 茫洋

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メンズ漫録その3 南蛮服から日本の服へ

2009-01-25 10:23:05 | Weblog


ふあっちょん幻論第26回


西欧は洋服の本場であるが、では日本のメンズモードはどのように移植されたのだろうか。

16世紀の中葉に宣教師たちが渡来すると、南蛮服、えびす服、紅毛服による洋服受容がはじまった。「南蛮服」のアイテムとしては、「合羽」(ケープがなまった)軽珍(カルソン。形状はbreechesブリーチズで半ズボンに近い)、無縁帽子、羅紗、ビロード、毛留(むうる)、鹿皮等であるがこれらはそのまま後世に伝えられて現代のファッション・アイテムになる。

1587年に豊臣秀吉がキリシタン排外政策を開始し、1633年の徳川幕府が鎖国令を宣言すると南蛮モードの流入は下火になる。しかしその後も、プロテスタント国のオランダから輸入された羅紗(厚くて粗いウール、陣羽織や火事羽織り・袋物に使用)や緞子(文様を織り出した絹織物)等は権力者によって珍重されたが、その後取り締まりがさらに強化され、1643年に町人の羅紗合羽の着用が、1652年には歌舞伎役者のビロード襟が禁止された。
 
しかし諸外国からの影響が強まる中で、1720年に幕府は洋書の禁を解き、蘭学を解禁した。それ以前から出島のオランダ人は「えびす言葉」を話し「えびす模様」の「えびすの長衣装」(紅毛服)を纏い、蘭学者は「えびす流」または「唐人仕立て」と呼ばれる装束を纏っていた。前野良沢や杉田玄白は和服の襦袢の上に洋服の上着、チョッキを着、のちの大黒さんと称するズボン様のものをはき、吾妻コートに似た袖なし、折襟型のオーバーのようなものを着ていたのである。


♪南蛮服に身を包み真紅のワイン飲み干したり織田信長 茫洋


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メンズ漫録その2 フランス革命とスーツの誕生

2009-01-24 11:49:45 | Weblog


ふあっちょん幻論第25回


1789年のフランス革命では国王・貴族・僧侶以外の第3階級=市民階級が台頭した。彼らはバスティーユ監獄を襲撃し、ルイ16世とマリー・アントワネットを処刑し、国民公会による共和制政府を樹立した。

この蜂起の主役たちをドラクロアの名画「民衆を導く自由の女神」で観察してみよう。画面に登場する庶民派・労働者の戦士たちはすべて長ズボンのサンキュロット(sans culotteあるいはパンタロンpantalon。丈夫で安価な直線裁ちの簡素なズボン)をはいている。

キュロット(culotte半ズボン、ブリーチズ)をはいた貴族・ブルジョワ階級の独裁を、怒れるサンキュロットたちが実力で打倒したのがメンズ・ファッションにおけるフランス革命であり、このためにフランス革命を「サンキュロット革命」ともいう。

しかしフランスの共和制はロベスピエールらによる5年間の恐怖政治、ナポレオン・ボナパルトによる帝政と欧州征服の15年間を経て弱体化し、代わって産業革命をいち早く経験した英国が19世紀初頭に覇権を確立する。

そして19世紀中頃になると、現代のスーツの原型であるサックススーツが登場した。
このスーツの原型についてはハーディー・エーミス卿などが唱える乗馬服説と室内着ラウンジスーツ説の2説があって対立している。どう見ても下にキュロットはいた乗馬ジャケットがスーツの原型とは考え難く、後者の楽なラウンジ説が有力であるが、いずれにしても上下のユニットの下のパンツはサンキュロット・スタイルである。

フランス革命は、近代の政治経済社会の礎石を築いたが、同様に西欧衣服史のあざやかなメルクマールでもあった。市民革命と西洋のメンズスーツを創造したサンキュロットたちは、自由で自立した個人の原型であり、ここに歴史上はじめて市民(シビライズドマン)が誕生したともいえよう。背広=市民服=civil clothingというテーゼが、近現代を貫く衣装哲学であることを、世のリーマンたちはいっときも忘却してはならない。


♪サンキュロットたちを仇やおろそかにすれば罰が当たるぜよ 茫洋



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ふあっちょん幻論第24回

2009-01-23 11:44:54 | Weblog


メンズ漫録その1 日本の武士と西欧貴族の美学

日本の武士の本質は「葉隠」がいみじくも喝破したように死ぬことにあり、潔く戦って潔く死ぬための文武の修業、具体的には剣術と切腹の稽古、そして生涯の経綸を一瞬で総括するための最低限の文化である辞世を遺す練習に励んだ。

この最後の部分の価値を知らず、あるいは知ってはいてもあえて無視して「俳句第二芸術論」を唱えた桑原武夫のような曲学阿世がいまも跡を絶たないようだが、すべからく現代の君子士人は平素より腰折れの2つ3つを即座に詠める「最低の教養」を身につけておかねばなるまい。俳句には芸術よりもっともっと大事な意義があるのだ。

ところでモーツアルトの最晩年時代、すなわちフランス革命前夜の西欧の貴族は日本の武士が切腹の稽古に励んだように、みな乗馬を好んだ。馬に乗る際には長い革長靴をはく。その長い靴と美的に調和し、ヒップの線を美しく強調し、馬上の運動を快適にするために、彼らは短いキュロット(culotte半ズボン、ブリーチズ)をつけた。

キュロットをつけた両足で挟んだ馬体を蹴ると、馬は直進する。これが競馬になる。その直進運動を轡を引いて制御すると、動と反動の相反運動の対峙状態となる。これが曲馬の始原であり、人馬一体の芸術の端緒である。これこそは究極の男の美学であり、第三階級などにはついぞ無縁の貴族の特権的快楽だったのである。


♪武士道は辞世一発死ぬことと見つけたり 茫洋


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希望と絶望

2009-01-22 13:16:45 | Weblog


バガテルop86

オバマ氏が米国の第44代大統領に就任しました。なかなか立派な演説で、とりわけ最後の段落の美辞麗句を駆使した呼びかけなどは感動的ですらありましたが、ああいう原稿は彼自身が書いたのでしょうか、それともゴーストライターが書き下ろしたのでしょうか。リーマン時代からそういう仕事をやらされてきた私の勘ではたぶん後者だと思うのですが、はたして真相はいかに。英国ならともかくそうとう時代がかった大レトリックで、ああいう長大な係り結びの関係を持つプルースト的な文脈に久しぶりにおめにかかりました。さすがオバマさんですね。

閑話休題。さて厳寒の首都で、早朝から200万人を超す市民たちの熱い歓呼の声を浴びた新大統領ですが、前任者のならずものがあれだけ夜郎自大、野放図にやりたい放題をやってのけた後始末はなかなかの難題でしょう。

「世界の保安官」であることを自負してあえて大義なき戦争の泥沼に飛び込んだブッシュさんでしたが、それはベトナム戦争のときと同様に大統領自身と米国民の首を絞める結果に終わりました。いわば自業自得ですね。

オバマさんがイラクからの撤退とイスラム社会との新たな和平を宣言したことは世界の平和にとって歓迎すべきことです。しかしその実情は、アルカイダのテロ撲滅という大義名分をなおも振りかざし中東への武力介入とイスラム原理主義者との対決をこれ以上続けたらこの国は満州事変以降の日本帝国のように経済的にも思想的にも立ちいかなくなるということではないでしょうか。じっさいに中国やロシアや一部の反米主義諸国はその日がやってくるのを心から待ち望んでいるのでしょう。

サブプライムローン問題で世界金融崩壊の口火を切って、革命ならぬ亜世界恐慌を全世界に輸出した米国ですが、じつはブッシュ政権の2期目の頃からこの国の土台は腐り始めていたのではないでしょうか。いや国際金融資本主義の土台そのものが、です。サブプライムローン問題はそのささやかなきっかけに過ぎないのではないでしょうか。

オバマさんは「市場は注意深く見ていないと制御不能になる恐れがある。富者を引き立てるだけでは、国は長く繁栄できない」と演説しましたが、市場の自由と開放がもたらした投資ファンドの国際的な暗躍と富の独占の制限は、それ自身が立国の理念への挑戦であり、まさしく盾と矛の関係なので、統御の理屈作りと実際の運用方法がむずかしそうです。まずはビッグ3への公的資金投入問題でそれが問われることになるのではないでしょうか。

要するにここで求められているのは、資本主義の社会主義化であり、私益に対する公益、国益(この2つは内容が違いますが)の優先です。だからこそオバマさんは「チエンジ」の大安売りをやめて「責任」の大号令を発したのでしょう。新ケインズ主義者と新社会民主主義者による金融資本主義と新自由主義の修正がはたして可能であるのかは、それこそ神のみぞ知るところでしょうが、ここで米国民にプロテスタントの「神がある」ということは非常に大きな意味を持つのではないでしょうか。

新大統領の指導力に期待して極寒の首都を埋めた各人種各階層の老若男女200万人は大いなる夢と希望に胸を焦がしています。それは仕事と平和と家を取り返す夢と希望です。けれどももしも2年以内にそれが実現されなかった場合、新大統領に寄せられた巨大な希望のエネルギーは絶望にとって代わり、その社会的反作用は恐るべきものとなるでしょう。

しかしいずれにせよ米国にはオバマ大統領という名の「希望」があります。これに対してわが国にあるのは麻生太郎という名の「絶望」でしょうか。ここで私は、「絶望の虚妄なる、希望と相似たり」という魯迅の言葉をはしなくも思い出したのですが、絶望も希望もしょせん似たようなものだとすればなおさらのこと、世界の最先端を行く米国の蹉跌をただし、ありうべきもう一つの進路を指し示すべき国民はほかならぬ日本ではないのだろうかという思いにとらわれるのですが。

 ここまで書いて朝刊を見たらやはり27歳!の首席スピーチライターというのがいて、共同で書き下ろしたそうです。終盤の引用はトマス・ペインだというのですが、それにしてもかなり教養のあるゴーストライターですね。


♪望みなきにしもあらずなおも一縷の希望を胸に進みたし絶望も希望も虚妄ならば 茫洋

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京都思文閣とわたし

2009-01-21 09:06:00 | Weblog


バガテルop85

むかしたった1年間だけ京都で下宿していたことがある。左京区の田中西大久保町という叡電前や百万遍や出町柳や高野に近いところだが、そのすぐそばに思文閣という骨董屋があったと知ったのは、四半世紀の時間が経過して偶然この会社のカタログが時折送られてくるようになってからのことだった。
思文閣ははじめは古本屋だったのが次第に美術品を扱うようになり、最近では若社長の田中大氏が12chの「何でも鑑定団」の審査員として出場するまでになっている。

それはともかく、年に数回届けられるようになったカタログはオールグラビア印刷の立派なもので、ほんらいはそのカタログであれやこれやの高価な珍品を発注するための商材なのだが、私はそんな持ち合わせも余裕もないのでもっぱら古今東西の優品を眺めて楽しんでいる。

私のような素人には図版の上から眺める商品の真贋など知る由もなく、よしんば本物の若冲の逸品であっても自分のものにできるはずもないのだが、それでも漱石、鴎外、露伴、紅葉など文人墨客の筆のすさびを眺めているだけでもしばし浮世の憂いを忘れることができるのである。眼福とはけだしこのようなことをいうのだろう。

しかも毎回陸続と登場する屏風、仏像、彫刻、和洋の絵画と書、壺や陶器、写経、古文書、写本、浮世絵、刷り物、硯、版木、色紙、書簡や断簡零墨に至る多種多様な骨董・美術品には、当たり前のことだがすべて値札がつけられていて、同じ画家や文学者、政治家でもずいぶん値段が違うところが興味深い。

例えば、松平不昧候書状42万円也、頼山陽書状31万5000円、華岡青周洲書状47万2500円也。
いったい何を根拠にこの値段がついているのだろうと考えて見ても、おそらくは誰も決定的な根拠を明かせないところがまた面白いのである。

維新のぼんくら政治家田中光顕(こやつのいたずらに巨大で空疎な墓石を見よ)と足尾銅山の田中正造の短歌が並んでいて、前者が65000円、後者が150000円というのはなぜか納得できるような気がするが、子規の同門である高浜虚子の短冊「一つ根に離れ浮く葉や春の水」が200000円であるのに対して、河東碧梧桐の「ざぼんに刃をあてる刃を入るゝ」がたった120000円であるのがどうにも解せない。

作品、筆跡、人物のいずれをとっても虚子ごとき凡庸な俳諧師の風下に立ついわれのない偉大な野人芸術家碧梧桐のために、私は京都思文閣の鑑定に断固異議を唱えたいのである。


♪堕落腐敗しきった平成俳句界にいまひとりの碧梧桐出でよ 茫洋

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アーサー・ウェイリー・佐復秀樹訳「源氏物語」2を読んで

2009-01-20 11:56:29 | Weblog


照る日曇る日第223回

ウェイリーによれば紫式部はこの物語のすべての登場人物の年齢や地位や境遇を一瞬たりとも忘れることなく各帖を整然と記述しているという。物語のディテールではなく、その壮大な時間的・空間的な全体構造をきちんと押さえてからこの翻訳に入ったことは、彼のいかにも几帳面で学究的な性格を物語るとともに、この翻訳と凡百の日本語訳との決定的な違いを生んでいる、と思った。

よく源氏物語はプルーストの失われた時を求めてと比較されるが、この両者に共通する骨太の物語構造と近代的な心理分析を最初に発見したのがこのエキセントリックなキングズ・カレッジアンだった。彼の翻訳を読んでみると、谷崎や与謝野は全体構造の強固さには無自覚にただ細部の美を舐めるように慈しんでいるにすぎないことがよく分かる。

原作は同一でも、それを極東のローカル文学にとどめるか、はたまた世界最高の文学に押し上げるかは、翻訳者の世界文学の理解の深さの差であることが愚かな私にもはじめてわかったような気がする。

流謫の地から権力の中心に復活した源氏は、二条の館を離れて春夏秋冬四つの季節の名前をつけた東西南北四つの対からなる広大な屋敷を新設し、そこに正妻の紫の上、秋好皇后(六条御息所の娘)をはじめ、明石の上、玉鬘、花散里なぞの愛人たちをそれぞれ配し、対から対へ、御殿から御殿へといくつもの渡り廊下を伝って、あるいは鑓水に浮かべた小舟で遊覧する。

乱れ咲く四季折々の花々と天空から降り注ぐ大宮人の妙なる管弦の響きはまさにこの世に顕現した華麗な一幅の極楽絵図そのものである。ウェイリーはこのくだりを「モーツアルトの交響楽のなかの律動と似ている」、と評しているが、巻二四「胡蝶」を目にしている私の耳朶にも、たしかに彼の最後のハ長調交響曲の終楽章のコーダが遠く鳴り響いていたのであった。

巻末のウェイリーの「解説」も興味深いが、翻訳の佐復秀樹が多用している「主要な」
という現代日本語の使用法は、文法の正則に照らして正しいとはいえない。世間でよく使っている「親交を深める」というジャッグルした表現が正則から少し外れているように。


♪管弦の楽高鳴れば春鶯囀大宮人の宴は果て無し 茫洋
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掘田善衛著「掘田善衛上海日記」を読む

2009-01-19 17:11:34 | Weblog


照る日曇る日第222回

敗戦直前の1945年3月24日、当時27歳の「心からやりたいということ、心から何事かをなしたいという欲求がさらにない」一人の若者は、松岡洋右の息子の仲介で日本を飛び出し、「上海客死」の覚悟で欧州をめざした。しかし当時欧州直行便は存在せず、やむなく著者はこの動乱の地で8月15日を迎え、1947年1月に帰国するまで当地の武田泰淳宅に転がり込む。

その間の私的な記録がこの日記である。そこには支配から脱して自らに目覚めつつある等身大の中国と生身の中国人たちの動向、そして敗戦国民に転落して動揺する日本人たちの狂乱ぶり、さらに異国での異常な体験と燃え上がる愛に戸惑う孤独な魂の彷徨がとぎれとぎれの断想のように記されている。
日本人を憎んで密告したり殺したりする中国人もいたが、戦争中とまったく同じようにつきあう中国人もいる。しかし大半の日本人は戦争中とがらりと態度を変えて民主主義人間に変身してしまう。いっぽうこの人物はといえば、敗戦から国共内戦開始という天下の大乱のさなかに木の葉のように右往左往しながらも、「天下国家のために何をなしたいという野望もない。また自分一個のためにすら何をしたいとも思わぬ。つまらないことおびただしい。自分で自分がまったくつまらない。食物をこしらえたり、皿を洗ったりする瞬間がもっとも充実しているように思う」と書いていて、若いのにさすが掘田、と大いなる共感を覚える。敗戦の日にわざと陸軍兵の軍帽をかぶり、戦勝を寿ぐ中国人たちで雑沓する市街に単身身を乗り入れる著者の勇気は感動的ですらある。

1946年5月21日
今日から自分と戦うことについて考えよう。
したいことはしない。
したくないことはしない。

1946年8月10日
アインシュタインが宇宙の構成は単一であると言ったとき、ヴァレリーが「その単一なることを証明するものは何であるか」と問うたところ、アインシュタインは「それは信仰だ」と決答した。これに対して、ヴァレリーは「このときほど自分は感動したことがない」と慨した。信仰のない科学は所詮うすめられた毒薬の注射以外のものでない。信仰がないからその毒に耐えきれないのである。されば科学自体も発展しないし、人格も決して人に卓越せるものとなりえない。

1946年10月18日
岸田劉生の「美の本体」に「運命に形を与えれば実在だ」という言葉がある。これは芸術と人生を深く深く見たまことの芸術家の言葉である。とらえがたきこの世の運命に形を与えたもの、それが文学である。実在である。
「それは美だ。在るといふことの美だ」。

などの日記も、なかなか示唆に富む。

広場の孤独やゴヤの作家の揺籃の地はまさに上海にあったことを雄弁に物語る貴重な青春の記録と評せよう。


♪おお天よ、われらが運命に形を与え給え 茫洋
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エルサ・モランテ著「アルトゥーロの島」を読んで

2009-01-18 09:53:14 | Weblog
照る日曇る日第221回

前者は少年の継母への淡い初恋を軸にした偽ビルダングスロマンであるが、どこがイタリアを代表する女流作家らしいのか理解に苦しむ。こうしたテーマでは中勘助などのわが国の少年文学のほうに1日の長がある。私はそぞろ下村湖人や山本有三なぞをまた読み返してみたくなった。

2作のうち取るとすれば、まだ後者か。これはローマからアメリカのプリンストンに脱出した作家を中心にその係累たちがお互いに取り交わす書簡から構成される家族の物語で、翻訳を亡くなった須賀敦子が担当していてそれなりに読ませるものがある。

池澤夏樹の個人編集による河出書房新社の世界文学全集は、これまでは比較的駄作が少なかったが、本巻はその数少ない例外といえよう。



 ♪こんな小説のどこがおもろいんじゃあと叫びて屑籠めがけて投げつける 茫洋
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