あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2015年文月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2015-07-31 11:08:01 | Weblog


ある晴れた日に 第325回


泉水橋医院で呉れた薬をみな飲めば下痢吐気で二日間眠れず

お月さまと土星金星木星を夜の地球から眺める贅沢

筆跡を見ればだいたい分かるはずあんたがなんぼのものであるかは

漱石君即天はたして去私なるや挙止虚私清私にして巨私巨資鋸歯

そういえば魂なんてすっかり忘れ果てどこかに置き去りにしてきたようだ

霧の海マッチを擦ろうが擦るまいが身捨つるほどの祖国などない

失われた青春を牢屋で作りだしていると坂口弘歌えり

宝塚清く正しく美しく地獄の季節も生き延びたのか

古の人に我あれや国会の強行採決を見れば悲しき

あれからどないしとったと聞かれたが答えられない夢の中では

「決められる政治」を託した男がやりまくる最悪だけを決める政治

夏になれば農夫は西瓜を獲り入れるこれ以上正しい仕事があるだろうか

昆虫を気持ち悪いという子供昆虫は動物でねそのなかでいちばん気持ち悪いのが人間なんだよ

デフォルトになってもよござんすか希臘首相ケツを捲くるや水無月尽 

シンクロナイズドスイミングに一番いいのはカラヤン指揮の音楽と井村コーチ語れり

「インクを買うなら最新プリンターを買おう」というがインク代の儲けにあきたらずまたプリンターを買えというのかエプソン

安倍さん橋下さんは大嫌いやっぱりまれちゃんは可愛いで終わる井戸端会議

安倍蚤糞戦争法案新国立嫌な感じの熱い夏だぜ

民草の多くは正しく判断したり競技場にノン戦争法案にノン

早朝は軽トラ多しこの国の土台を支える人たちが行く

青空にぽっかり浮かんだ白い鳩いつまで続くわれらの平和

競技場五輪原発戦争法案みな撤廃せよニッポンのヒトラー 

カザルスの「鳥の歌」など聴きおればピースピースと泣くように歌う

鶴見俊輔死す九十三歳残念残念残念だった

三人で朝昼晩と食べてます見たこともない大きな西瓜

本郷台の駅前に立つ楠並木アオスジアゲハが泣いて喜ぶ

「この梅はお持ちくださいいくらでも」春日さんって太っ腹だね

三百万の死者のすべてを国会に招きて改憲発義するべし

沖縄の民草の服に身を包み隠れ蓑にした三十二軍兵士

ガマに逃げし沖縄の民を戦場に追いやりしは皇軍第三十二軍



半死にでくたばっているのにみなさまのNHKがお届けするワーグナー 蝶人


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真夏の夜のラプソディー「これでも詩かよ」第155番 その3

2015-07-30 11:21:04 | Weblog



ある晴れた日に 第324回


すると別の学生の一隊が、「これからは国産ドッグファイトからグローバル・キャット・ファイトの時代じゃ!」と叫んで、ドラえもんやのび太と一緒に真っ白な衣裳に身を包んで「猫じゃ猫じゃ」と歌いながら、講堂の舞台の上で踊りはじめた。

ミャオ ミャオ ミャオ
Myaw Myaw Myaw
ニャ、ニャ、ニャン ニャン

おめえはなにを舐めてんだ
あんたのお尻を舐めてんだ
くすぐったいからやめてけれ

なんだ坂、こんな坂
ニャー ニャー ニャニャン、ミャー ミャー、ミャー
おいらは猫だ あたいは猫だ

ぶち猫、三毛猫、どらの猫
白猫、黒猫、ヒマラヤン
なんだ猫、こんな猫

さび猫、とらねこ、バーミーズ
赤とら、サバとら、純白猫
お前は、単なる猫に過ぎない

赤猫、灰色猫、斑猫
アビシニアン、オリエンタル、バナナブラウン、
そうさ、おいらはただの猫

ペルシャ、ベンガル、ターキシュ
メインクーン、ロシアンブルー、チェシャ猫
猫は猫でも国際品

キジトラ、トビ三毛、縞三毛
マンクス、ボンベイ、コンラート
そうさ、あたいはMade in the World

なんだ坂、こんな坂
ニャー ニャー ニャニャン、ミャー ミャー、ミャー
おいらは猫だ あたいは猫だ


  安倍蚤糞戦争法案新国立嫌な感じの熱い夏だぜ 蝶人

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真夏の夜のラプソディー「これでも詩かよ」第155番その2

2015-07-29 10:31:40 | Weblog



ある晴れた日に 第323回


 私の目の前には仏文5年生の怒りのチビ太やイヤミや蝶の好きな多田さん、グラン佐々木、それに六つ子なども勢ぞろいしていて、徒党を組んで階段教室を下りながら全員が黒づくめの犬になってしまって、「なんだ坂、こんな坂」と大声で歌いながら踊り狂うている。

ワン ワン ワン
Wang Wang Wang
ワワン ワワン ワンワンワン

おめえは、なにを舐めてんだ
あんたのお尻を、舐めてんだ
くすぐったいから、やめてけれ

なんだ坂、こんな坂
ワンワン、キャンキャン ワンワンワン
おいらは犬だ あたいは犬だ

秋田犬、津軽犬、岩手犬
阿波犬、越後柴、樺太犬
なんだ犬、こんな犬

紀州犬、高安犬、薩摩犬
四国犬、屋久島犬、縄文犬
お前は、単なる犬に過ぎない

森林狼犬、仙台犬、大東犬
秩父犬、珍島犬、土佐闘犬
そうさ、おいらはただの犬

羽衣之柴、肥後狼犬、豊山犬
前田犬、北海道犬、豆柴犬
犬は犬でも、国産犬

雪甲斐犬、琉球犬、鷹版犬
三河犬、重慶犬、日向犬
そうさ、あたいはMade in Japan

なんだ坂、こんな坂
ワンワン、キャンキャン ワンワンワン
おいらは犬だ あたいは犬だ


  競技場五輪原発戦争法案みな撤廃せよニッポンのヒトラー 蝶人
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真夏の夜のラプソディー~「これでも詩かよ」第155番

2015-07-28 12:42:40 | Weblog


ある晴れた日に 第322回


その1

 私は長い間この街に来たことがなかったが、ふとこの街の大学をまだ卒業していなかったことに気付いた。

 急いで教務へ行くと3つの教科のレポートと卒論を提出すれば証書を授与するというので、しばらく当地に滞在して長年の懸案を果たすことにした。

 いよいよレポートすべき国文学講座が始まる日、キャンパスの入り口で「こっち、こっち」と私に手招きする人がいるので、近寄ってよく見ると今中さんだった。

 どうして彼がこんな所にいるのか分からなかったが、今中さんは、「早く、早く。急がないと授業が始まってしまうぞ」と、私の手を取るようにして坂の隣を上昇しているエスカレーターに乗り移った。

 ところがそのエスカレーターが鈍速なので、焦った2人が3段跳びの駆け足で飛躍してると、到達まぢかなエスカレーターがちょんぎれて、私たちはまるでだらりの帯のようになった階段の先端に両手でぶら下がって、ひとの助けを呼ばなければならなかった。

 ようやくキャンパスの構内に辿りついたが、今中さんは「今日の授業は最後に漢字の書き取りテストがあるから、どうしてもその参考書が必要だ。僕が一っ走り書店に行って買ってくるから、君はここで待ってて呉れた給え」と云う。

 それきり今中さんはいつまで経っても戻ってこないので、しびれを切らし焦りまくった私は、傍を通りかかった学生に教室の場所を聞くなり、全速力で走りだした。教室に着くと大勢の人が立錐の余地なく詰めかけて授業どころの騒ぎではない。


  あれからどないしとったと聞かれたが答えられない夢の中では 蝶人
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猛暑に西部劇!!! その3

2015-07-27 14:04:15 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.874、875、876


○アンソニー・マン監督の「ララミーから来た男」をみて

 弟の敵討ちをするために遥々ララミーからやって来た男は何を隠そうジェームズ・スチュアートである。

 スチュアート選手はその町でカワイ子ちゃんに惚れたり、町の権力者たならず者と対立して何度か殺されそうなめにあいながら、その都度奇跡的に立ち直り、とうとう悪者を退治して好きな女との再会を約しながら颯爽と町を去っていくのでありましたあ。

 はじめは善玉と思えた人物が、最後には悪玉であることが明らかになるのであるが、映画はまったくそういう風には描いてきていないので、真相があばかれても嘘かよという白けた気分になってしまう。


○エオドワード・ズウィック監督の「グローリー」をみて

 モーガン・フリーマンとデンゼル・ワシントンが共演する1989年製作のアメリカ映画なり。

 しかし南北戦争で黒人連隊が活躍していたなんて知らなかったな。

 南北戦争は、どうしても勝者になった北軍からの視点で描かれることが多いが、この映画ではそうでありつつも北軍幹部の腐敗や堕落、犯罪的な行為にも触れているのが新鮮だった。

 ボストンからやって来た主人公の大佐は拙宅でお世話になっているミサワ・ホームイングというリフォーム会社の営業の桑名君にそっくりなので驚いた。


○ラウール・ウオルシュ監督の「限りなき追跡」をみて

 ラウール・ウオルシュ監督による1953年の西部劇だが、他の多くの西部劇と違って主人公のロック・ハドソン、悪役のフィル・ケイリーなどの人物像をきっとりと描きこんでいるから活劇とドラマに厚みが出る。

 主人公の美しい婚約者ドナ・リードに横恋慕した悪役は彼女を誘拐して強姦してしまうのだが、ここまで描いてしまう監督なんてウオルシュくらいのものだろう。

 相思相愛の2人のこれからがちょっと気になるラストずら。



  安倍橋下百田は大嫌いやっぱりまれちゃんは可愛いで終わる井戸端会議 蝶人

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猛暑に西部劇!! その2

2015-07-26 09:54:51 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.872、873


○ジョージ・キューカー監督の「西部に賭ける女」をみて

 なんといってもソフィア・ローレンのやわらかくくねる女体が妖艶。お相手はアンソニー・クインだが、んなもんぶっ飛ばすほどのお色気を拡散しつつ、映画はそのまま終了してしまいます。

 私は80年代のパリのオペラ座でこの人を遠くから見たが、彼女が場内に入場して席につこうとしただけで満座の聴衆の目が彼女に集中するのが分かった。千両役者とはこういう人のことをいうのだろう。


○バート・ケネディ監督の「戦う幌馬車」をみて

 おなじみジョン・ウェインとカーク・ダグラスの競演で、そこにはもちろんインディアンもからんで、いわゆるひとつのステレオタイプな西部劇を楽しみながらやっている。

 この映画の中でカーク・ダグラスは、いつも後方からジャンプしながら馬に飛びついて鞍に収まると言う離れざわをやっているのだが、どういう訳だかラストでは見事に失敗したところで、ジ・エンドになるのである。


    三人で朝昼晩と食べてます見たこともない大きな西瓜 蝶人
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猛暑に西部劇! その1

2015-07-25 11:20:00 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.870、871


○フィリプ・カウフマン監督の「ミネソタ大強盗団」をみて

 西部劇をみているとワイアット・アープとビリーザキッドを扱った映画が多いことに気づかされるが、ジェシー・ジェイムズが登場するを映画もかなり多い。

 しかしその1本であるこの作品の主役はジェシー・ジェイムズではなく、同じ強盗仲間の名前さえ聞いたいたことのないヤンガー兄弟である。

 ロバート・デュヴァルがジェシー役をやっているが、これは完全なミスキャスト。この人には悪人は似合わない。


○マーク・ライデル監督の「11人のカウボーイ」をみて

 ジョン・ウェインが夏の2ヶ月間に1500頭の牛を遠くまで運搬するカウボーイがいないので、やむを得ず少年カウボーイをアルバイトで雇って決死の大旅行に乗り出すが、悪者の悪巧みによって無残に殺されてしまい、少年カウボーイたちが復讐するという無茶クチャな西部劇ずら。

 いくらちゃんとした大人のカウボーイが集められないからというて、小学生中学生の男の子を危険で無謀な旅に連れ出すなんて一人前の男がやることではない。げんにその1人は不慮の事故で死んでしまう。息子の願いを許す親も親である。

 確かにジョン・ウェインは悪者と男らしく戦って孫のような少年カウボーイの鑑になったかもしれないが、死んでしまっては御仕舞づら。

 あまつさえ彼の仇打ちをするんだと少年カウボーイが人殺しをするラストは正気の沙汰とは思えません。


     鶴見俊輔死す九十三歳残念残念残念だった 蝶人
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日本文学全集22「大江健三郎」を読んで

2015-07-24 11:44:07 | Weblog


照る日曇る日第802回


「人生の親戚」「治療塔」「鳥」「狩猟で暮らしたわれらの先祖」のほかに短いエッセイを盛り沢山に収めた、切れ味鋭い池澤夏樹版健三郎セレクションずら。

「人生の親戚」は、どこかマルケスやリョサなどの影響を受けたところもあるようだが、ヒロインの(いずれも障がいを持った!)2人の子供が、(ひとえに作家の小説的レシピの好みで)投身自殺をするというトリヴィアなトピックづくりに違和を覚える。

 こういういかにもな(変態的&ドストエフスキー的?)プロットを導入しなくても、この女性の悲劇的な生涯を「深刻に」描く方途はいくらでもあったに違いないのに。

 「治療塔」はエリート地球人が非エリート地球人を差し置いて他の惑星に脱出したものの、新生活を築くことに失敗したので逆戻りするという奇妙なSFだが、その惑星にあらかじめ据え付けてあったという「治療塔」の存在は興味深いずら。

 もしも宇宙のどこかに、こういう暗黒物質が生んだ生命の樹(聖なる生命賦活システム)のごときものがあったなら、もしかすると(おたくの光君も、うちの耕君も)、生まれながらの脳の障がいを克服することが出来た(出来る)かもしれないね。

 巻末のエッセイ「ナラティヴ、つまりいかに語るかの問題」を読むと、よくもこんな辛気臭い文章を書くなあと文句を言われつけているこの作家が、どのような試行錯誤を経て、かくも豊饒なる日本語表現を獲得するに至ったかが窺い知れる。ずら。


   民草の多くは正しく判断したり競技場にノン戦争法案にノン 蝶人
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国立新美術館で「マグリット展」をみて~「これでも詩かよ」第152番

2015-07-23 13:42:09 | Weblog


ある晴れた日に 第321回


                Ⅰ

 君も知るように、「巨人の時代」には「飢餓」と「呪い」と「禁じられた書物」が欠かせない。

 これこそが「永遠の明証」と「終りなき認識」の「生命線」なのだから。

「哲学者のランプ」が「自由の入り口で」照らすのは「弁証法礼賛」の「前兆」だ。
 
「空気の平原」で「絶対の探求」を目指す「人間嫌いたち」は、「禁じられた世界」へと「炎の帰還」を果たすだろう。

 ごらん、「精神の自由」と「真理の探究」を求める「狂気について夢想する男」によって、自称「スノッブたちの行進」が「再開」された。

 さあ我われもすみやかに旅立って、「精神界」の「赤いモデル」を目指そうではないか。

「ガラスの鍵」を使って密かに「王様の美術館」に忍び込み、「幕の宮殿」に飾られている「イレーヌ・アモワールの肖像」から「礼節の教え」を盗み取ろうではないか。


                Ⅱ

 おや、そうこうする間に、いつのまにか「火の時代」が始まったようだ。

「恋人たちの散歩道」を待ち伏せしている「不穏な天気」と「風の装い」をよくごらん。

「誓言」をもって「白紙委任状」を「テーブルにつく男」に渡した「大家族」は、もはや「上流社会」の「同族意識」など抛り投げてしまい、「神々の怒り」と「自然の脅威」の前に恐れおののいているようだ。

 今では「世紀の伝説」と化した「エルノシア」では、ハムレットの代わりに「不思議の国のアリス」が「観光案内人」となって、「心のまなざし」と「美しい言葉」で「心臓への一撃」をお見舞いしている。  

「アルン・ハイムの地所」を流離う「巡礼者」たちは、「手の力」で「稲妻」を呼び集め、「ある聖人の回想」が物語られる瞬間を心待ちにしているようだ。

 しかし、「彼は語らない」。

「水浴の女」たちが、いつのまにか「困難な航海」に出かけたからだ。


                Ⅲ

 さあ友よ、今日は「ゴルコンダ」の「大潮」の日だ。

 みなが待ち望んだ「ヘーゲルの休日」だ。

「空の島」にはいかなる「概念」もその「影」すらなく、「傑作あるいは地平線の神秘」という「イメージの忠実さ」、あるいは「イメージへの裏切り」という名の「即自的イメージ」だけが、「ハゲタカの公園」で鳩のように大空にはばたいている。

「一夜の博物館」には、「心臓の代わりに薔薇を持つ女」という名の「女盗賊」が、「博学な樹」に攀じ登って、「完全なる調和」を夢見ている。 

 さあ「町の鍵」を深く差し入れて、今こそ「美しい虜」を思うさま「凌辱」しようではないか!

「光の帝国Ⅱ」に滞在中の「シェヘラザード」と懇ろになって、「微笑」と「媚薬」で彩られた、終りなき「会話術」と「ことばの用法」を教わろう!

「青春の泉」から「絶対の声」をくみ上げ、果てしなき「愛のワルツ」を踊ろう!

 けれども「観念」せよ、汝ら老い先短い者たちよ。

 お前たちは、「ヨーゼフ・ファン・デル・エルスト男爵と娘の肖像」からは「応用弁証法」を、

「宝石」と「夜会服」を身に纏った「無知な妖精」からは、「レディ・メイドの真実」の「喜劇の精神」を学ばなければならない。

 昼なお暗い「オルメイヤーの阿房宮」の「座敷席」で、一輪の「深淵の花」を見るまでに。



注 この詩は、2015年3月25日から6月29日まで国立新美術館で開催されたルネ・マグリットの展覧会に出品されたほぼすべての作品の題名を用いてつくられた。括弧の中の言葉がそれである。



  青空にぽっかり浮かんだ白い鳩いつまで続くわれらの平和 蝶人
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新潮日本文学古典集成「萬葉集一」を読んで

2015-07-22 14:28:46 | Weblog


照る日曇る日第801回


 萬葉集という本邦最大最高の詩歌集を編んだのは大伴家持とされるが、その家持がどれくらい女性にもてたのか、この一冊を読めばよく分かります。

 本妻は従妹に当たる大伴坂上大嬢(おおともさかのうえのおおいらつめ)で、この幼馴染の二人は相思相愛の理想的なカップルであったと思われるのですが、天平四年から十一年くらいまでの間に謎の「離絶」の時期があるのです。

 普通なら二人はそれで終ったはずですが、やはりどうしても忘れられなかったとみえて、さながら焼けポックイに火が付いたように再度くっつき、その後は不動の正妻の地位を守るのです。

 では、どうして突如アツアツだった二人が別れてしまったかというと、小生の素人考えでは、あまりにも大伴家持が女性にもてすぎるので、坂上大嬢が頭に来たのではないかと邪推するのです。

 歌人というよりも古代名門豪族の代表的な武人として台頭する藤原氏と毅然と対峙した「男の中の男」、その魅力が光源氏のようにあらゆる階層の女性たちを魅了したのでしょう。

 さてそのお相手ですが、女流歌人とし名を知られる笠女郎をはじめ、山口女王、大神女郎、中臣女郎、河内百枝娘子、粟田女娘子、大宅女、安都扉娘子、丹波大娘子等々その数知れずというくらいですが、本書によれば本命は紀女郎(きのいらつめ)であったそうな。

 家持は紀女郎との間に何通もの相聞歌を交わしていますが、本妻の坂上大嬢とのラブレターと比べると、その数においてもその熱烈の度合いにおいても敵わない。やはり最後は収まるべきところに収まったといえるのではないでしょうか。

 
 世の中し 苦しきものに ありけらし 恋にあへずて 死ぬべき思へば 坂上大嬢

 後瀬山 後も逢はむと 思へこそ 死ぬべきものを 今日までも生けれ 家持



昆虫を気持ち悪いという子供昆虫は動物でねそのなかでいちばん気持ち悪いのが人間なんだよ 蝶人
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四方田犬彦著「わが煉獄」を読んで

2015-07-21 14:17:38 | Weblog



照る日曇る日第800回


 映画や文芸評論の本を読んだことはあるのだが、詩集も数冊出している著者の最新版をちょっと読んでみましたが、なかなか難しい、というかコメントしずらい作品です。

 ダンテを思わせるいかめしい表題につづくのは、なんだか途方もない罪業を犯した卑少なおのれを厳しく罰してほしい、とヨブのように叫び続ける著者の内面の告白でした。

 「わたしの軀を牛糞で覆ってほしい/軀だけではない わたしの魂にも」

 などと訴えられても、読者である私にはどうすることもできません。

 世界中を呑気な観光客のように遊覧するとみえたのは、おそらく表向きの陽気な見世物で、放浪する主人公の魂は、かのヴェルギリウスのように悲痛で、かのシャーミッソーのごとく憂愁に浸され、かの彷徨えるユダヤ人のごとく絶望に閉ざされ、、かのランボーのごとく狂気に満ちているのでしょう。

 もちろんここで繰り広げられているのは「煉獄」のような暗黒世界だけではありません。

 詩篇の中には、カルタゴに捕えられて両瞼の筋を切られたローマの将軍レグルスや、仏蘭西革命の革命家マラーを暗殺したシャルロット・コルデーへの「讃歌」、2004年のコソボ暴動にまつわる悲劇のドキュメントなど、古今東西の史実や多種多様な題材がちりばめられていて、読む者をけっして退屈させることはありません。

 その詩文が、あまりにも知的かつ散文的でありすぎる、などと呟いたりするのは、蜀を得て隴を望む者の不遜な嘆かいでありましょう。

 
    早朝は軽トラ多しわが国の土台を支える人たちが行く 蝶人
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ちょいと前の日本映画ずら

2015-07-20 12:50:10 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.867、868、869


○原田眞人監督の「クライマーズ・ハイ」をみて

 はじめは処女の如く終りは脱兎のごとし。主人公の高嶋や小澤との登山と航空機の遭難事故とが有機的に接合されているとは思えない。

 むしろ遭難現場にスーツ姿で登攀してしまう堺雅人の行為のほうが題名の精神に近い。

 堤真一はあまり好きな顔ではないが、本作では社長役の山崎努、販売局長役の皆川猿時ともども好演ずら。


○北野武監督の「HANA-BI」をみて

 画面を暗くしてなんとなく不穏な空気を醸しだし、まるでおしのように言葉を口にせず、そのくせ怒るといきなり他人を殴ったり、酷い時には拳銃で撃ち殺したりする、そういう不可解で不条理な映画なり。

 主人公は元刑事で、退職してから銀行強盗をやったり、末期ガンでもうすぐ死んでしまう愛妻のために各地を旅していた訳だが、その道中でヤクザを皆殺ししたりして、元の部下から追われるのだが、最後は拳銃で妻を殺して自殺してしまう。

 こういう映画の筋としても、人間の生き方としても腑におちない映画を、どうしてカンヌはほめそやしたりするのだろう。


○瀧本智光監督の「犯人に告ぐ」をみて

 豊川悦司が主人公の刑事になって少年連続殺人事件の悪辣非道な犯人「バッドマン」と対決する波乱万丈のサスペンスドラマなり。

 面白いのは刑事がテレビの報道番組に出演して、犯人を挑発しながら犯罪事件の劇場化を図ること。これは映画だからいちおうの成功を収めるのだが、実際にこのようなやり方を警察が採用したらどのような作用と反作用がもたらされるだろうか。

 確かに捜査への社会的関心が高まって犯人の検挙率が向上するかもしれないが、捜査員のヒロイズムや犯人の逆上などの副産物によって捜査が混乱、複雑化してさらなる犠牲者を誘発する危険もあるのではないだろうか。

 これは単なる映画だから、手に汗握って見物していればいいだけの話だが。トヨエツよりも上司役の石橋凌、妻役の松田美由紀のほうが存在感がある。


   決められる政治を託した男がやりまくる最悪だけを決める政治 蝶人
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「インクを買うより最新プリンターを買おう」という奇妙な広告について

2015-07-19 11:37:54 | Weblog


広告戯評第22回&バガテル-そんな私のここだけの話op.204


 エプソンが「インクを買うより最新プリンターを買おう」というネット広告を盛んに露出している。いったいいかなる意味かとクリックしてみたが、同社のプリンターがぞろぞろで出てくるだけ。

 インクがなければプリンターは使えない。そこでエプソンなどのメーカーは、プリンターを相対的に安くするかわりに、インク代をべらぼうに吊りあげて元をとろうとしている。

 だからこの会社が、「じゃんじゃん純正インクを買いなさい」とか「インクも、最新プリンターも買いなさい」という広告を打つなら分かるが、「インクを買うより最新プリンターを買おう」とはなんじゃらほい。インクは黙っていても買ってくれるから、プリンターをどんどん買い替えさせようという戦略かもしれないが、それにしても奇妙奇天烈なコピーである。

 わが家のエプソンも毎月かなりの量のインキを使うので、最近「非純正」インキに変えたところ、「事故が起こるかもしれない」とか「トラぶっても修理しません」とか執拗に警告してくるのだが、プリンターの性能に自信があるのなら、どのような劣悪なインキにも対応するのがメーカーの義務ではないだろうか。

 自社製インクでボロ儲けしながら、他社製インクを敵視したり、あまつさえ修理を拒否したりしながら消費者を自社の独占的ネットワークに縛り付けようとする威嚇的で傲慢不遜な態度は、どこかの国の政治家に似てるずら。


 なにゆえにインクでぼろ儲けしてなおかつプリンターを押し売りしようとする 蝶人

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ちょいと昔の日本映画ずら

2015-07-18 10:21:03 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.865、866


○木下恵介監督の「お嬢さん乾杯」をみて

 原節子が没落した貴族のお嬢さんに扮してじつに奇妙な味を出している。

 彼女に恋した自動車経営者役の佐野周二は喜劇のノリで演じているのに、節子さんは妙に深刻ががかった重い演技でぐあんばっているので、その落差がアンバランスであり、可笑しいといえば可笑しいのだが、要するに1949年製作のおかしな映画である。

 私は木下の演出も、木下の弟の忠司の音楽もあまり好きではないが、脚本が新藤兼人なので許してやる。


○吉村公三郎監督の「婚期」をみて

 兄嫁の京マチ子と仲の良い長女の高峰三枝子、けむたがって追い出そうとたくらむ嫁入り前の妹の若尾文子と野添ひとみ、京マチ子という妻がありながら見境なしに浮気を繰り返す兄の船越英二、それにこの家の老婢の北林谷栄が織りなすハチャメチャ大騒動なりい。

 水木洋子の起伏とユーモアに富んだ脚本がよく出来ていて、一族をまっぷたつにわかつ一大悲喜劇を、切れ味鋭くさばいた吉村演出が光る。

 たまにはこういう上質のお笑い家族ドラマがみたいな。


   競技場五輪原発戦争法案みな撤廃せよ安倍晋三 蝶人

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三谷幸喜監督・脚本の「ザ・マジックアワー」をみて

2015-07-17 10:55:27 | Weblog



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.864


 才人三谷は映画でもいい作品を作ってきたが、最初期に比べるとだんだん質が低下してきたような気がする。最新版の「清州会議」でもそうだったが、役者の数や物語の材料をバンバン詰め込むので渋滞した道路のように見通しと運行が滞り、てんでスピードがでない。

 いい映画を作るにはできるだけ素材を精選してドラマの焦点をくっきりとあぶりだす技術が必要だと思うが、この作品全体が役者の出入りの説明板のようになってしまい、すべてがちまちました予定調和の小世界に入りこんでしまってどこにもマジックなんかないのである。

 こんな体たらくでは次のNHKの大河ドラマの脚本も期待できそうにないな。


    古の人に我あれや国会の強行採決を見れば悲しき 蝶人
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