あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ミヒャエル・ギーレン指揮「マーラー交響曲全集」を聴いて

2020-06-30 10:34:08 | Weblog


音楽千夜一夜第451回

独ヘンスラー盤による13枚組のCDですが、またしても3枚の欠陥商品がありまして、ドタマにきています。しばらくマーラーは止めよ、いやもうCDなんか買うのはやめろ、ということなのかしら。

ギーレン選手は去年の3月に91歳で亡くなったドイツの作曲家ですが、指揮もしていて昔むかし私が今も昔も官僚的なソナチネ一本槍のN響の定期の会員だった頃に客演して、なんか得体の知れない退屈な音楽を鳴らしていました。

得体が知れないというのは悪い言い方ですが、正確には対象(音楽、音符)との距離を感じさせる或る種の客観性と知的な冷たさを併せ持った演奏ということで、聴くたびに奇妙な違和感を受けたのは、2人とも専門が現代音楽であったからかも知れません。

思うにマーラーに取り組む指揮者には1)演奏対象との熱い一体化をめざす、2)一定の距離を取ることによる客観的な対象化をめざす、3)その両者の折衷型、の3つのタイプがあり、バースターンやテンシュテットは1)、わがギーレン選手やブーレーズは2)、アバドやペトレンコなどは3)の仲間に入るのではないでしょうか。

ギーレンが長くシェフを務めた南西ドイツ放送交響楽団とのマーラーは、そんな特徴を生かしたちょっと個性的な現代音楽風のノリの全集として、これからも数少ないマニアに聞き続けられていくのではないでしょうか。

   コロナ禍で死者50万水無月尽 蝶人

東京は第2波モロにキてるじゃんどういうわけでなんにもしないの? 蝶人
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蝶人水無月映画劇場その4

2020-06-29 13:07:01 | Weblog
闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2177~86


1)アニエス・ヴァルダ監督の「ジャック・ドゥミの少年期」
映画大好き少年、ジャック・ドゥミの半生を回想と実写を交えながら愛情豊かに描く妻ヴァルダの1991年の傑作。

2)アスガー・ファルハディ監督の「別離」
2011年のイラン映画の秀作。国外脱出を願う妻と夫の対立に始まって夫婦や家族の周辺で次々に事件や事故が発生して、最後は娘がどちらと住むかを決断せざるを得なくなる。

3)アスガー・ファルハディ監督の「ある過去の行方」
2011年の「別離」に続くサルファデイ監督の2013年の秀作。夫婦と子供たちの絶望的な骨肉の愛憎をどこどこまでも執拗に描き尽くすが、希望はいつか訪れるのだろうか。

4)フェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニのアマルコルド」
1973年の製作。お話はあるようでもあるが、じつは出たとこ勝負であんまり関係ないのではないか。夜の海に漂う謎の客船も素敵だが、いきなり木の天辺に登って「女が欲しい!」と絶叫っするオジサンがもっと素敵だ。フェリーニって自分の夢を映画に出来た人だと思う。

5)フェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニのカサノバ」
ヴァネチアの稀代の色事師の実録をもとに繰り広げられるフェリーニの映像美の世界。むかしみたときはサザーランドに違和感を覚えたが、今回は適役と思った。

6)フェデリコ・フェリーニ監督の「8½」
思うように映画を撮れない映画監督の苦悩なんて犬にでも喰われろという気分になるところへ、「人世はお祭りだ」というとってつけたようなラストシーン。名監督かどうか知らないがかなりの駄作ずら。

7)ボー・ヴィーデルベリ監督の「みじかくも美しく燃え」
確かこの題名と全篇にわたってモザールのピアノ協奏曲21番の緩徐楽章だけでヒットしたのではなかったか? 最後は喰うにも困って追い詰められて心中してしまう実話だが、なんとかあらんかったんかいな。1967年のスエーデン映画。

8)グリームル・ハゥコーナルソン監督の「ひつじ村の兄弟」
40年間忌み嫌っていた兄弟だが最後は羊の兄弟のように抱き合って談を取る。しかしいくら貴重種とはいえ法定伝染病で駆除しなければならない羊を死の危険を冒してまで守らなければららんもんかね。2015年のアイスランド映画。

9)ヘンリー・ハサウェイ監督の「砂漠の鬼将軍」
ロンメル(ジェームズ・メイソン)のお陰で一命をとりとめた英国の将校が描きだしたドイツの英雄の惨たらしい最期。それにしてもロンメルを含めたヒトラー暗殺計画が全部失敗したのはなんという悪運の強さだろう。その無数の関係者はことごとく虐殺されたというのに!

10)トニー・ケイ監督の「デタッチメント」
NYの学級崩壊に苦悩する主人公。こんな酷い状況でもなんとか頑張る人がいるんだ。おらっちにはとても出来ないけど。

   夏草の虚しく茂る城跡で熱弁揮う千田嘉博 蝶人
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松村正直歌集「午前3時を過ぎて」を読んで

2020-06-28 11:17:51 | Weblog

照る日曇る日第1420回

2006年から10年までの作品を収録した歌集である。

グラバーの息子の倉場富三郎 敗戦直後、自死を遂げたり
極刑を求める声の清しさに揺れつつ昼のうどんを啜る
この人にもそう思われていたのかと貝の煮付けをつまみつつ聞く
墓地に咲く花は何ゆえこんなにもきれいでしょうか人もおらぬに
生前に続く時間を死後と呼ぶ咲ききわまりて動けぬ桜
焼きそばの匂いが不意に流れくる 花の咲く頃また会いましょう

静謐な川底から流れの上の空を透視しながらある種の諦観と悟達のリリシズムに至るような独特な歌いぶりだが、私が好きなのは彼が子供を詠った歌である。

去年より行方不明の少年のからだが春の溜池に浮く
子があれほど大事にしていた銀紙の捨てられており叱られしのちに
涅槃図のごとくあまたの動物にかこまれて子はベッドにねむる
川で泳ぎしことなきわれは山梨の川に息子を泳がせており
ピオーネの皮を十指に剥きながらむらさき色に染まりゆく子よ
捨てる前に写真に撮っておくというさびしきことを子はしていたり

父と子が遊べる時間は短い。これらの子供の歌を読んでいると、「梁塵秘抄」のあの「遊ぶをせんとや生まれけん」の悲傷のトレモロが聞こえてくるような気がする。

何をどう怒られたのか理解せずぬ子と食べておりふたりの夕餉
ある雪の降る夜のこと少年の絵本の中のランプ輝く
おとうとと兄が向き合い遊びいる夢より覚めて子はひとりなり
バラ園の香りにふかく濡れながらもう帰ろうと少年がいう
自らを叱るがごとく内気なる子をしかりたり夕食のあと
扇風機に向かって大きな口を開く小学生は進化するなく

子共だけでなく家族を詠んだ秀歌も多く、これらを読んでいるとなんとなく小津の映画や庄野潤三の小説が思い出されてくるのである。

「川崎市麻生区虹ヶ丘」父の住む団地のありて行きしことなし
生活は大丈夫かと問う父の静かに深く老いてゆくこえ
ひっそりと長く湯浴みをしていたり同窓会より戻りて妻は
綿雲のごとき会話をテーブルに浮かべて今日は楽しかりけり
わが腕と妻の脚とは絡まって取り出されたり洗濯機より
妻と子はどこへ行きしか桃色のキリンの首に上着をかけて


枇杷の木の実が生る頃のわが谷戸に蛍は飛ぶと古老語れり 蝶人
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2018年版聖書協会共同訳で「イザヤ書」を読んで

2020-06-27 11:30:04 | Weblog


照る日曇る日第1419回



アモツの子と称される預言者イザヤによる紀元前8世紀ごろのユダとイスラエルにかんする証言記録である。

「ウジヤ、ヨタム、ヒゼキアがユダの王であった時代」と冒頭に付記されているが、アッシリアなどの外国から徹底的に蹂躙され、ユダヤの神への信仰も内部から崩壊していた神にとっても人民にとっても最悪の受難の時代の記録といえるだろう。

なんせユダとイスラエルを見放した神様が、凶悪なアッシリアの王と軍事力の力を借りて、おのれを裏切った背信民族をやっつけるという、天人ともにやけくその時代であったのだ。

後半から終盤にかけてはそれでも頑張りマンのイザヤ選手が、「やっぱおらっちには、唯一無二のこの神さんしか頼るすべはないよなあ」なぞと呼びかけたりするのだが、その声音にはあんまし力はない。



 二代目の中村鴈治郎にそっくりの男に会うた水無月廿日 蝶人
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伊藤比呂美著「河原荒草」を読んで

2020-06-26 09:53:11 | Weblog


照る日曇る日第1418回


詩集というよりは小説というたほうがいいような、それでも立派な連作詩集ずら。

「ファッジ、ファッジ、ピリ辛、ファッジ
ママがうんだ、うみたてあかんぼ
ティッシュにくるんで、エレベーターにのせて、
一階、二階、
三階、四階、
五階、六階、
七階、八階」

だってサ。よく言うよ。歌うよ。

なるへそ、こおゆう風に旅から旅のロードポエム、帰り着く河原。
死者累々のサイの河原
動物より生命力が漲りわたるイノチの河原の原風景!

いやああまったく才能あふるるヒトだよ。てんでかなわんよ。


 またしても「新しき生活様式」繰り返すテレビを消して志ん生を聴く 蝶人
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2018年版聖書協会共同訳で「雅歌」を読んで

2020-06-25 12:25:32 | Weblog


照る日曇る日第1417回


有名なソロモンの雅歌を楽しく読み終わる。

ソロモン王はイスラエル王国の3代目の王様。あのダビデ王の次男で古来インテリゲンチャンとして知られ、エチオピアのシバの女王が絶賛するほど大いに栄華を極めた。

されど油断大敵、好事魔多し、彼の長い治世下で綱紀が緩み、信仰が左前になるとともに国内各派の分裂が進んで、彼の死後はもう無茶苦茶でござりまするがな、の時代に突入してしまう。

そんな面白うてやがて哀しきソロモン時代ではあったが、恋する男女の牧歌的な歌垣を残せたことは何よりの後世への贈り物であった。


あれは何霞か雲かはた雪かわが黄昏を荘厳するもの 蝶人
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Junaida作「の」を読んで

2020-06-24 10:35:11 | Weblog


照る日曇る日第1416回


「わたしの」で始まり、「お気に入りのコートの」、「ポケットの中のお城の」と以下「の」つなぎでどんどん言葉と絵が続いていき、「野の花の帽子の女の子の」「「お気に入りのコートの」「わたしの」で終わる。

そしてまた冒頭に戻れば、いつまでも繰り返すことができる、というとっぴな意匠の絵本です。

きっと作者は、「凄い思い付きだあ」とうぬぼれているのでしょうが、途中であんまり話が脱線するのでついていけなくなり、白けてしまい、最後のオチに辿り着いても面白くもおかしくもないずら。

まあ普通の絵本に飽き足らない意欲作には違い無いけど、全体としてまったく心に残らないね。



日捲りをまた捲り忘れし老人に三密三猿また忍び寄る 蝶人
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新潮日本古典集成新装版「三人吉三廓初買」を読んで

2020-06-23 11:23:20 | Weblog


照る日曇る日第1415回

河竹黙阿弥の傑作を今尾哲也氏が校注、解説されていて隅々まで読み応えがある。
親の因果が子に報いる人世因果論の究極を抉る黙阿弥の超問題作世話物狂言である。

真正面から近親相姦を扱っている点ではソポクレスの「オイディプス」を想起させるが、本作はそこにとどまらず、3世代に跨る複雑怪奇な因果の相関を大展開している。

されど、和尚吉三が義兄弟となった、いずれも悪人であるお坊吉三とお嬢吉三の生命を優先して、実の妹であるおとせとその婚約者の十三に因果を含めて、冷然と殺してしまうのかは、いくら考えても納得いかないずら。


 栄達と富裕を目指し代議士になりたる男女のいきざまを見よ 蝶人
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増村保造監督特集~蝶人水無月映画劇場その3

2020-06-22 12:26:45 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2161~76


1)増村保造監督の「青空娘」
増村&白坂&若尾トリオの第1作であるが、若尾の魅力が全篇をはじけまくっている。武者小路実篤のノリ全開だが、こういう人間像を1957年に作ってしまった増村の力量は驚嘆に値する。1955年の「緑はるかに」でデビューした浅岡ルリ子なんかメじゃないぜ。

2)増村保造監督の「赤い天使」
1966年製作の増村保造の傑作。中国戦線で苦闘する芦田軍医の不能を救う天使のような若尾看護婦!戦争を女と男が生きている「個人」の視点から天才が描破し尽くした奇跡のように美しい作品なり。

3)増村保造監督の「好色一代男」
1961年製作の市川雷蔵主演の西鶴物。侍の男権社会への憎悪が徹底されているが、あまり面白くない。

4)増村保造監督の「最高殊勲夫人」
源氏鶏太の原作を増村保造が1959年に演出したウエルメイドの喜劇映画。若尾文子、川口浩などが出ているが、船越英二の達者な演技に注目せよ。

5)吉村公三郎、市川昆、増村保造監督の「女経」
1960年製作で脚本はすべて八住利男。「耳を噛みたがる女」は若尾文子&吉村公三郎、「物を高く売りつける女」は山本富士子&市川昆、「恋を忘れていた女」は京マチ子&増村保造によるオムニバスだが、やはり最後の増村が優れている。

6)増村保造監督の「からっ風野郎」
1960年の三島由紀夫主演映画。同級生の増村にしごかれながら、三島が旧来のヤクザ映画にはみられない新鮮な人物像をもがき出していて悪くない。

7)増村保造監督の「妻は告白する」
恋人の川口浩の会社をずぶぬれの和服姿で訪れた若尾文子の壮絶な姿に畏怖し、絶句する。こんな映画を撮ってしまうとはなんと凄い監督だろう。1961年の天下の名作。

8)増村保造監督の「卍」
若尾文子、岸田今日子があやしくからむ谷崎原作、1964年の同性愛映画。次第に岸田の夫船越英二が巻き込まれていき、3つどもえの愛憎が燃えたぎっていく。

9)増村保造監督の「清作の妻」
吉田絃二郎の原作を新藤兼人が1965年に脚色。若尾文子と田村高廣が好演している。それにしても出征直前の夫の双眼を錆釘で突き刺す愛とはなんだろう!?

10)増村保造監督の「兵隊やくざ」
1965年の製作。戦争と軍隊を嫌う田村高廣上等兵と新兵勝新太郎のはぐれ者コンビは最高。胸のすくような大活躍を見せてくれる。

11)増村保造監督の「陸軍中野学校」
日露戦争の明石大佐を目指せと説く加東大介中佐の影響で、非情なスパイの世界に入ってしまった市川雷蔵。恋人小川真由美を殺してしまうに至る悲劇であるが、それでもやむを得ないと考え、大矛盾を無視しつつ中国戦線に向かう1966年の映画。

12)増村保造監督の「でんきくらげ」
1970年に渥美マリを起用して撮られたセクスイ映画。この年渥美はなんと8本ものお色気映画を撮って、撮られているが、だから後年裸には出ないとゴネ気持ちはよく分かる。渥美の相手の川津裕介が生き生きと描かれている。

13)増村保造監督の「しびれくらげ」
「でんきくらげ」と同じ70年の同工異色お色気映画であるが、脚本が不出来で渥美や川津の良さを全くいかせていない増村には珍しい超駄作ずら。

14)増村保造監督の「やくざ絶唱」
黒岩重吾原作の1970年の映画。語勝新太郎の兄が大谷直子の妹をどうしようもなく愛してしまった悲劇。

15)増村保造監督の「お遊び」
1971年の関根恵子主演の文字通りの青春映画。惚れたヤクザの少年に真心を捧げる少女の切なさが胸に迫る。穴のあいた船であなづちの2人が乗り出す印象的なラストに注目せよ!

16)増村保造監督の「この子の七つのお祝いに」
1982年の増村の遺作。岩下志麻が不幸な星の下に生まれたヒロインを熱演、杉浦直樹、岸田今日子、根津甚八がアシストする怪奇ミステリー映画だが、面白い。4年後のに62歳で死んだ増村にはもっともっと撮ってほしかったずら。

  増村は小津成瀬超え溝口と並ぶ偉大な監督 蝶人

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霊園の入相の鐘が暮れ六の黄昏微かに鳴り響く頃

2020-06-21 10:11:13 | Weblog


これでも詩かよ第288回



西暦2020年6月18日、
霊園の入相の鐘が暮れ六の黄昏微かに鳴り響く頃、
おらっちはアベノマスクをアベノ事務所に送り返し、
国産種を圧倒して無暗に繁殖する特定外来生物、
すなわち台湾リスと画眉鳥をば、パチンコでばんばん撃ち殺しながら、
モリ・ガソリンスタンドの跡に盤居しているミニストップまでやって来たあ、
と思いねえ。

すると 見よ!
7台の巨大な陸送トラックが、威風堂々と停車しているではないかあ。
そしてそれらのトラックのフロントガラスの上、
バスなら「行き先表示板」にあたる場所に、
よく爆走トラック野郎たちがそーしているよーにィ、
思い思いの書体とデザインで描かれたIDステッカーが貼られていたぜィ。

勝利する人

最初に「勝利する人」と描かれたトラックから降りてきたのは、見知らぬ毛深い異邦人だった。

「勝利する人」は、熊掌のごとき右手の拳を振りながら、
「最初はグー、ジャン、ケン、ポン!」と、おらっちに迫って来たので、
思わずチョキを出すと、その男はグーだった。

「あんたはチョキ、おいらはグーで、おいらの勝ち。別に金を取ろうという訳じゃあないから、もう一回やってみないか」と男が言うので、今度はおらっちが、
「最初はグー、ジャン、ケン、ポン!」と言ってからパーを出すと、相手はチョキだった。これで2連敗だ。

「おいらはこのトラックに乗って、会う人ごとにジャンケンしとる。何千何万という人とジャンケンしたけど、今まで一度も負けたことなし。それは長年の経験から編み出した“ジャンケンポン必勝法”を知っとるからだあよ。

ええか。最初はグー、だから、続けてグーは出さない。出すのはパーとシチョキ。
しゃあけんど、グーからパーよりも、チョキの方が出しやすい。
よっておいらは、いつでもグーを出すんや。

同じ相手と2度やる時は、相手は今度はパーを出すから、おいらはチョキを出す。
あんたにそうしたようにな」

と言うて、「勝利する人」は、首猛夫のようにアッハと笑った。

働く人

「働く人」と描かれた2台目のトラックから降りてきたのは、幼馴染のノブイッチャンやった。

ノブイッチャンは、おらっちと同じ西本町に住んどった小学生時代の友達で、信夫山の彼は、栃錦のおらっちを、よくサバ折りで負かしたもんやった。

半世紀以上も前の旧友との再会に、2人ともギャッと驚いたが、その驚きと喜びは明後日の方角にさて措いて、ノブイッチャンは、なんで自分のトラックを「働く人」と名付けたのか、その理由を語ってくれたんよ。

「わいらあ、長いこと倉敷の石油コンビナートで働いとったんやけど、おんなじ土方やったら、郷里で働いちゃろ思うて、帰省したんや。

ほんでなあ、東本町の道路工事でアスファルトで簡易舗装したとき、町長はんに約束したんや。

ほんまはこんなちょろいアスファルトやのおて、頑丈なコンクリにせにゃならん。
今回はしょうがないけど、次回は最新型の戦車が通っても大丈夫な、アメ公と、も一回戦争しても勝てる頑丈な道路をつくってみせまっせ、と。

ほんでもって、それ以来、とりあえず、おらっちは、生コン運送専門の運転手になったんや……」云々

遊ぶ人

「遊ぶ人」と描かれた3台目のトラックから降りてきたのは、大学の先輩のタダさんだった。

若き日のおらっちが、千歳烏山に住んでいたタダさんを訪ねると、いつもシェークスピアを原書で読んでいたが、すぐに彼の兄貴や“怒りのチビ太”を誘って“徹マン”に突入し、それに飽きるとボロボロの“ケンとメリーのスカイライン”の助手席におらっちを乗せて、深夜の246号線を時速150キロで突っ走った。怖かったゼィ。

「やあ、ササキィ、元気かい。ここらへんの里山では、ゼフィルスが採れそうだな」
「先輩、去年の夏突然にィ、あそこらへんで、ミドリシジミを目撃しましたぜ」

挨拶もそこそこに、タダさんはトラックの後部から、蝶採集専用の大きな絹素材のネットを取り出し、ミニストップの駐車場で、ビュッ、ビュッと2度3度、軽やかに振り廻した。

タダさんときたら、真冬の深山幽谷に出かけて、越冬ちうのルリタテハやアカタテハを叩き起こして捉まえる“怒涛のおめざ蝶フリーク”として、コレクター仲間では鳴り響いているのよ。

しかし、まさか陸送トラックの後部を、世界中の蝶たちが自由自在ににはばたく空中楽園に改造し、全国を移動しながら、子供たちに解放していたとは、おらっち不覚にも知らんかったぜィ。

戦う人

「戦う人」と描かれた4台目のトラックから降りてきたのは、高校の同級生でただ一人オックスフォード大学に入った秀才のオオツキ君だった。

「どうして“戦う人”なの?」と尋ねると、オオツキ君はドアから身を乗り出して、
「あんなあマコッチャン、長いこと生きてきて、ボクようやっと分かったわ。人世はどこまで行っても、戦いなんやね」と、阿呆くさい総括をしながら、次のように語った。

「ある朝、外で奇妙な大騒ぎがする。
窓の外を見ると、道路の上に数多くの翼が波立っていた。

こんなに大勢の鳥たちが睨みあい、お互いを威嚇するように喚き散らす姿を見たのは
生まれて初めてのことだった。

漆黒の濡れ羽色で武装したハシブトカラスの大軍が、四囲をぐるりと取り囲んで俘虜にしているのは、一頭の大きな鳶やった。

孤高の王者鳶は、黒衣の集団との長時間に亘る熾烈な空中戦を熾烈に戦うたが、多勢に無勢、薄茶色に包まれた柔らかな肢体のどこかを負傷した模様……。

しばらくは猛禽を思わせるその鋭い嘴と爪を、アスファルトの上に休めていたが、やがて凶悪なカラスどもに最後の戦いを挑もうと、ゆっくりと黄金の双翼を広げたあ……」云々

愛する人

「愛する人」と描かれた5台目のトラックから降りてきたのは、郷里の西本町のヨイヤマカメラ店の跡取り息子の、ユウヘイ君やった。

「マコちゃん、増村保造監督の映画「赤い天使」をみてみなよ。

弾丸雨あられの戦場で、芦田伸介外科医を愛した看護婦の若尾文子はんは、一晩かかって中尉のモルヒネ中毒とインポテンツを、文字通り“身を呈してケンシンテキに”治してやる。

ほんでもって、男として人世に復活した芦田中尉は、最後まで最前線で敵と戦って、見事に死んでいくんや。ホンマ、泣けるでえ。

ボクは、若尾文子はんのような赤い天使に愛されたい。愛したい。
あんたかて、そう思うやろ?」

と言いながら、ユウヘイ君はまた運転席に戻っていったんや。

さすらう人

「さすらう人」と描かれた6台目のトラックから降りてきたのは、高校時代の友人のナンバラ君やった。

ナンバラ君は学業も優秀だったが、独学で始めたピアノの達人で、音楽教室の片隅に置いてあったヤマハのアップライトピアノで、モザールやバッハの鍵盤音音楽をたくさん聴かせてくれた。

ので、当時「谷間に3つの鐘が鳴る」命、だった我々全員が、熱烈なクラシックファンになりました。

東京教育大学の英文科に進学したナンバラ君やったが、当時上映されていた「5つのたやすい曲」という映画をみて、ミンセイに飽き足らんかったか、賀来丸に嫌気がさしたか、よお知らんけど、せっかくの英文科をいきなり中退し、その後、アルバイトで貯めたお金と親の遺産でこの立派なトラックを買うたそうや。

ほいでもってその後部に、ハンブルグ製のスタインウェイの最新型のピアノを乗せて、放浪と演奏の世界漫遊の旅に出たそうです。

「ナンバラ君、久しぶりにバッハを聴かせてくれよ」と頼むと、
ナンバラ君は素早くトラックに攀じ登って、バッハの“フランス組曲の第5番”を、グレン・グールドよりも早く、ギーゼキングより少し遅いテンポで、おらっちのために演奏してくれました。

沈黙する人

最後の7台目の車には「沈黙する人」と書いてあった。
どうして「沈黙する、なの?」と尋ねたが、ドアの中の運転手は、なにも言わずにトラックの後部に消えた。

それで仕方なく、うんと背伸びをしてシートの中を覗き込むと、彼は10円玉と100円玉をいっぱい集めて、それを一枚一枚ポリプロピレン・ボックスの細かな枠に丁寧に並べている。
どうやら大量のコインを、鋳造年度別に整理整頓しているようだ。

年度別に積み重ねられたコインは、みるみる、どんどん、どんどん積み上げられ、天井すれすれの高さに聳え立っている。

すると彼は、突如せっかく積み上げた鋭く尖ったお城を、全部バアーンと叩き壊してしまったが、辺り一面に散らばった10円玉と100円玉をかき集め、またしても鋳造年度別に、高く高く積み上げていくのだった。一声も発することなく……

          ――――――――――――

やがてミニストップの駐車場を出た7台の陸送トラックは、
ハイランドの急坂を喘ぎ、喘ぎ、登りつめ
音色の異なる7種類の警笛を
「なんだ坂、こんな坂、赤尾薬局、遠坂薬局」
と思い思いに吹き鳴らして、おらっちに別れを告げ、
ホトトギス泣く葉桜並木の彼方へと消えていったのよ。

 わーいわいついにとどいたアベノマスクこれさえあればコロナもにげだす 蝶人
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小川糸著「ライオンのおやつ」を読んで

2020-06-20 11:11:49 | Weblog


照る日曇る日第1414回

「食堂かたつむり」とか「ツバキ文具店」とか「つるかめ助産院」とかこの人はタイトルをつけるのがうまい。もしかするとご本人ではなく編集者のネーミング化もしれないが。
今回の「ライオンのおやつ」も傑作で、私は百獣の王のおやつだから、きっとイグアナとかアライグマなどの小動物がいっぱい出てくるのではないかと期待していたら、案に相違して瀬戸内海の島にある「ライオンの家」というホスピスで最後の時を過ごす33歳の女性の物語なのだった。
「ライオンの家」の名物は3時のおやつで、そこでは百獣の王のようにもはや何ものにも顧慮することもない死に瀕した人々がリクエストするさまざまな思い出がこもったお菓子が供されるのだった。
と種明かしたところで筆をおいて、あとは語り部のいつもながらの巧みさを巧みに伏せたナイーヴな語りにお任せしたいと存じます。


 百獣の王に喰わせてしまいたしこの国の王とその手下ども 蝶人
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ガリ・ベルティーニの「マーラー交響曲全集」を聴いて

2020-06-19 20:23:11 | Weblog


音楽千夜一夜第450回

だいぶ前に買っておいたガリ選手のマーラーの全交響曲に「大地の歌」のおまけがついたCDセットを聴く。

演奏はケルン放送交響楽団で現在はケルンWDR交響楽団と改名したそうだが、私はそんな名前は嫌だね。ケルン放響でいいじゃないか。勝手に変えるな。

ケルン放響はベルリン・フィルなんかに比べたら精妙なアンサンブルなんかは劣るだろうけど、ガリちゃんのような優秀な、しかもマーラーのスペシャリストのようなユダヤ人指揮者に振られたら、チエリビダッケ選手に振られたミュンヘン・フィルのようにいい演奏をするし、その成果がこの11枚には込められている。

ただ惜しむらくはおらっちが購入した旧EMI盤の11枚のうち2枚が欠陥商品でCDプレーヤーが壊れそうなバタバタ音を出して途中で停止してしまった。もう時間が経っているから交換してくれるはずもなく、ドタマにきた頭でこの駄文を書いているんだよ。


 横須賀の大滝町の「朝廷」の淡白緬のスープもみな飲む 蝶人
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塚本晋也監督特集~蝶人水無月映画劇場その2

2020-06-18 13:31:44 | Weblog


闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2153~60



1)塚本晋也監督の「電柱小僧の冒険」
のちの「鉄男」に通底していく超初期の異色監督の1988年の作品。同じ題名で浅草木馬座で公開された演劇作品とはずいぶん内容が異なる。

2)塚本晋也監督「鉄男」
1989年の塚本晋也監督作品。肉に浸潤して一体化される鉄。殆ど変質狂的な映画だが、おのれの美学を貫徹するのが映像作家の使命ではなかろうか。藤原京、エロイのお。

3)塚本晋也監督の「鉄男Ⅱ」
「鉄男」の1993年の続編であるが、前作を超えるような要素は無かった。

4)塚本晋也監督の「東京フィスト」
人間の憎悪と拳の関係について考えさせる1995年の問題作。なんというても藤井かほるがエロイ。兄弟で彼女を取り合う話であるが、塚本兄弟の顔は似ていない。

5)塚本晋也監督の「バレット・バレエ」
冷静に脚本を検討してみるとムチャクチャな話であるから、登場人物に共感することは難しいずら。

6)塚本晋也監督の「六月の蛇」
ツカモトシンヤが黒沢あすかをひんめくる2002年の作品。鬼面人を驚かせる映像を徹底的に追求することが出来る映像作家はある意味ではじつに貴重な存在であるともいえるがあ。

7)塚本晋也監督の「ヴィタール」
死体解剖に肉薄する2003年の作品だが、興味も共感もてんで覚えなかった。

8)塚本晋也監督の「HAZE」
狭いコンクリ空間に閉塞してのたうつ肉体の苦悶を描くが、それがどうした。


 こりゃアヴァンギャルドやなあと喜んだがみなおんなじで飽きたぜツカモト 蝶人
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荒川洋治詩集「北山一八間戸」を読んで

2020-06-17 13:08:51 | Weblog
照る日曇る日第1413回


本書の「赤江川原」の冒頭は、

 川原からは髪は見えない。

ではじまり、一行あけて

 京都の北、船岡山では為義の
 七歳・天王殿
 九歳・鶴若殿
 一一歳・亀若殿
 一三歳・乙若殿
 の四人の子どもが
 切られようとしていたし、

と続く。保元の乱で崇徳上皇について敗北した源為家の4名の男児の、波多野次郎による斬首の場面だが、その続きを読まずに我慢できる人は少ないだろう。

このように詩人は、古今東西南北に跨って広く題材を捜索し、それらをあんまり深くは掘らないけれど、読者の耳目を上手に引きつけながら、おのが専売特許の磁場へと巧みに誘導する。げに端倪すべき老獪の技である。

何事がおわしますかは知らねども、事物の核はなけれど詩心の核は、ありそでウッフン、なさそでウフン、ほらほら黄色いサクランボ

とでも、歌いながら評すべきか。


  78で32番をひいておるポリーニはんのベートーヴェンはええなあ 蝶人

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村野美優詩集「むくげの手紙」を読んで

2020-06-16 13:04:06 | Weblog


照る日曇る日第1412回

2017年に刊行された著者の5番目の詩集です。

表題の「むくげ」など身の廻りのありふれた素材に向けられる作者の視線は、優しさと鋭さを兼ね備え、私など凡人が見逃してしまう微細な、しかし重要な気づきがあちこちに転がっています。

恐らく作者は赤ちゃんのような童心と、少女のような初々しさ、そして大人の巧緻を兼ね備えた詩人なのでしょう。


「新しき日常」に萌え「1億」は「八紘一宇」「大政翼賛」 蝶人
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