あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2024年霜月蝶人映画劇場その8

2024-11-30 09:00:05 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3846~50

 

1)アキ・カウリスマキ監督の「カラマリ・ユニオン」

まだ見ぬ理想郷エイラを目指して思い思いに旅立つ15人の若者たちの運命を描いた1985年の長編第2作。

 

2)アキ・カウリスマキ監督の「ハムレット・ゴーズ・ビジネス」

原作を換骨奪胎した1987年のサスペンスもの。

 

3)アキ・カウリスマキ監督の「ラヴィ・ド・ボエーム」

巴里を舞台にした1992年の白黒映画。画家ロドルフォノの恋人ミミは原作通りに哀しく死んでいくが、音楽は日本語の「雪の降る街を」である。ジャンピエール・レオ、ルイ・マルも出てる。

 

4)カルロ・リッツアーニ監督の「ホテル」

裕福な人妻コリンヌ・クレリーが、たまたまホテルで隣り合わせた左翼崩れの男によろめいてしまう阿呆らしい1977年の独伊映画。

 

5)ステファノ・ソッリマ監督の「暗黒街」

大物政治家、娼婦、ヤクザの大親分、法王庁など腐敗堕落したイタリアの暗黒を抉る2015年の政治スキャンダル皆殺し映画。

 

食べ過ぎると「柿胃石症」になると言われたが我は子規のごと一度に5、6個食いはせぬ 蝶人

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倉本一宏全現代語訳藤原道長「御堂関白記中」を読んで

2024-11-29 09:31:20 | Weblog

 

照る日曇る日 第2135回

 

中巻は寛弘6(1009)年から長和2(1013)年、道長44歳から48歳までの5年間の自筆の日録である。

 

寛弘8年の6月に甥の一条天皇が32歳の若さで逝去するが、その辞世の「露の身の草の宿りに君を置きて塵を出でぬる事をこそ思えへ」の悲痛さに、46歳の道長は「啼泣すること雨の如し」と記しているが、「置かれた君」の彰子の芳紀24歳の若さを思えば無理からぬところだろう。

 

その後継には血縁から遠い三条天皇が即位するのだが、前任者よりも年長でことあるごとに権勢者風を吹かせる三条には、さしもの道長もてこずったようで、長和2年6月23日条に記された藤原懐平の権中納言昇任の際、道長が仕方なくそれを認める代わりに我が子の頼通を大納言に、教通を権中納言にしてしまうくだりは、スリリングな臨場感に溢れている。

 

道長を筆頭とする殿上人の関心はもっぱら立身出世と宮廷行事の有職故実、漢詩を読む「作文」など歌舞音曲の風雅の楽しみ、賀茂祭や祇園祭、相撲の見物、極楽往生を願っての寺社仏閣の建立や参詣、寄進にしかなかった。

 

荘園で働く百姓などの悲惨な境遇や愁訴などには全く無関心で、地方政治の運営は宮廷にすり寄ってくる富裕な受領に丸投げして、涼しい顔をしていた。

 

道長は政権初期の頃には百姓のための慈雨を願って祈祷させたりしていたが、権勢の頂上に立つと、雷雨や豪雨を疎ましく思い、代わって頻繁に漢詩の出来を競う優雅な「作文」の宴の回数が増えてくる。

 

それが「この世をばわが世とぞおもふ」という破廉恥な歌を詠んだ道長の全盛時代だけの特権であることを、道長自身も知らなかったのである。

 

鎌倉やこの家もまた死人あり 蝶人

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ゲルツェン著・金子幸彦&長縄光男訳「過去と思索4」を読んで

2024-11-28 08:48:47 | Weblog

 

照る日曇る日 第2134回

 

全7冊のうち4冊目に当たる本書は第5部「パリ、イタリア、パリ」(1847-1852)を中心に「西欧小論集」や「家庭の悲劇の物語」などのおまけを含んだコンピレーションである。

 

1848年の6月に蜂起したパリの戦闘的労働者の暴動はカヴェニヤック将軍指揮下の軍隊によりわずか3日で1500名の死者を出して徹底的に弾圧され、イタリアにあって能天気な革命の幻想に酔っていたゲルツェンなどの亡命者や共和的民主主義の支持者たちを絶望の淵に叩き込んだ。

 

ツァーアリを遥かに凌ぐフランスの支配階級の暴虐の前に、それまでの西欧文化と社会に対する浪漫的な幻想を吹き飛ばされたゲルツェンは、自分の仲間や亡命者たちの見苦しい周章狼狽ぶりに動揺したが、ドイツの詩人ゲオルク・ヘルヴァークと最愛の妻ナターリアの急接近に傷ついた心をさらに痛めた。ナターリアの死は近い。

 

「黄昏のビギン」の歌声に送られて旅立ちゆきし憲法原理主義者 蝶人

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北山茂夫著「藤原道長」を読んで

2024-11-27 11:26:55 | Weblog

 

照る日曇る日 第2133回

 

1970年に出た岩波新書だが、今読んでもとびきり新鮮である。

それは著者の歴史と人物を見据える視線(「目線」という最近安易に頻用される陳腐で汚れた言葉は使わない!)の明敏さと、そこから生まれる有無を言わさぬ説得力によるものだろう。

 

久し振りに物故した哲学者の梅原猛、中世史家の網野善彦の語り口に再会したような気がして懐かしかった。

 

さて藤原道長を当時としては大胆に総括した本書の結語は、

「彼の輝ける充実の寛弘時代には「源氏物語」を恵まれ、摂政についた後には彰子、姸子、市威子の「三后出現」の栄華があり、出家後の晩年の治安時代には、己の思い通り「無量寿院」から「法成寺」への宗教的殿堂を建立して大権勢家としての生涯を飾った。世にいう御堂関白道長は王朝貴族のなかでは最も恵まれた人物であったといわねばなるまい」というものだった。

 

世界文学史に燦然と光り輝く「源氏物語」が、紫式部を後援した道長の政治的所産と見做しているのは卓見だが、晩年の疾風怒涛の宗教的殿堂の建立を、平安建築の精華と断じているのは、こんにちそれらの全てが灰燼に帰しているだけに凄味がある。

 

著者はその証拠として「紫式部日記」の一節を引用しているが、我々は彼女が実在した東三条殿や土御門殿を観察しながらに描破した「源氏物語」の六条院の壮麗を幻視するべきなのだろう。

 

本書によれば道長の終生のライバル藤原実資の「小右記」には「世間の珍宝悉く蓮府(道長)に到る」と書かれているそうだが、この時期だけの特権的な幸いに恵まれた権門政治家道長は、宮廷人事に靡く受領や源頼光などの武将を巧みに活用して莫大な私財を貯え、己の腹を痛めることなく寺社仏閣や内裏再建を果たし、地方に在って極貧に苦しむ民草の蜂起反乱を鎮圧することが出来たのである。

 

大相撲も世界野球もとく果てて雨降りやまず霜月の夜 蝶人

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西暦2024年霜月蝶人映画劇場その7

2024-11-26 08:51:12 | Weblog

西暦2024年霜月蝶人映画劇場その7

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3841~45

 

1)ヤスミン・アフマド監督の「タレンタイム」

音楽コンクール「タレンタイム」を競うマレーシアの若者たちの恋と争いと友情を描く2017年の秀作。

 

2)カーク・ダグラス主演・製作・監督の「明日なき追撃」

代議士を目指す野心的な保安官が足をすくわれて失脚する1975年の一風変わった実につまらない西部劇。

 

3)ゴードン・ダグラス監督の「砦のガンベルト」

ロッド・テイラー、美女ルチアナ・パルッツィ、アーネスト・ボーグナイン等が出る砦の騎兵隊全滅の奇妙な1967年の西部劇。

 

4)ロバート・アルドリッチ監督の「特攻大作戦」

死刑囚など12人のヤクザな連中をリー・マービン小佐が率いてドイツ軍をやつける1967年のヤクザな映画。

 

5)キム・ギドク監督の「THE NET 網に囚われた男」

北朝鮮の漁師がエンジンの故障で韓国に入ったがさんざんな目に遇い、ようやく北朝鮮に戻ってもさんざんな目に遇う2016年の政治残酷物語。

 

「ガザに住むパレスチナ人は皆殺せ、男も女もみなみな殺せ」 蝶人

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西暦2024年霜月蝶人映画劇場その6

2024-11-25 10:18:26 | Weblog

西暦2024年霜月蝶人映画劇場その6

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3836~40

 

1)ティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」

ほらふき父親と最後に和解する息子の物語。

 

2)ジョセフ・コシンスキー監督の「オブリビオン」

敵と思ったのが味方だったというどんでん返しを殆ど楽しめないトム・クルーズとそのクローン主演の2013年のSF映画。ともかく戦闘ドローンほど怖いものはないちうことがよく分かる。

 

3)クリストファー・ノーラン監督の「メメント」

10分間しか記憶できない男が妻を殺した男を探し求める2001年の苦労話。

 

4)ロイ・ウォード・ベイカー監督の「ノックは無用」

ホテルの1室を舞台に精神病院を出てNYにやって来たばかりのモンローがウイドマークなどを巻き込んで大騒ぎになる1952年の嫌な映画。

 

5)ジョー・ジョンストン監督の「遠い空の向こうに」

貧しい炭鉱町で因習と戦いながらロケット打上げで高校生科学コンテストに優勝した仲間たちの実話を1999年に映画化。

 

顔色一つ変えず「只今第3次世界大戦が始まりました」と報ずるホラン千秋 蝶人

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白鳥信也編集発行「もーあしび第47号」を読んで

2024-11-24 08:00:57 | Weblog

白鳥信也編集発行「もーあしび第47号」を読んで

 

照る日曇る日 第2132回

 

「もーあしび」は詩人の白鳥信也氏が主宰する個人誌である。題名の「もーあしび」とは「毛遊び」で、古代からあった「歌垣」の現代版というところか。

 

今号も北爪漫喜、島野律子、小川三郎、森ミキエ、サトミセキ、楼ミュウ、恵矢、白鳥信也氏の詩、内山昭一氏の翻訳などで充実しているが、今号では平井金司氏の「読書と映画」、清水耕次氏の「実家よサヨウナラ」のエセイがどこかこの世離れしていて面白かったが、最後の「編集後記」を読んで居住まいを正した。

 

なんと白鳥氏の奥様が、この夏の暑い日に大動脈剥離で倒れ、「緊急手術をしたけれど次の日の朝に亡くなった。予想もしておらず突然のことだった。家族葬にして、職場には訃報も出さず香典も辞退した」と書かれているではないか。

 

このような一大事が出来したにも関わらず、このように立派にご本を出され、つらい責務を果たされた白鳥氏に深甚なる弔意と敬意を捧げます。

 

   プラ袋に一片の紙を見付け出し厳しくダメ出すゴミ収集員 蝶人

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西川裕子著「古都の占領」を読んで

2024-11-23 13:07:12 | Weblog

照る日曇る日 第2131回

 

京都にはケネデイ大統領が暗殺された年に1年間、御所の傍にある予備校に籍をおいて、無為に過ごしたことがあるが、私の郷里が山陰線の綾部だったので、幼い時から何度か訪れていた。

 

亡くなった祖父に連れられて、この千年の古都を初めて見聞したのは確か小学3年生の時で、木造で横長の京都駅前にあった法華倶楽部というビジネスホテルの草分けの超低廉の全く窓がないホテルの小部屋に泊まったが、祖父がいつまで経っても財布の中の金勘定をしているのを、私も弟妹も不安そうに見つめていたことしか覚えていない。

 

駅前の法華倶楽部を出発して反対方向の鴨川を渡り、三十三間堂、国立博物館に通じる七条通りを進んでいくと、左側の小さな建物の前に、銃剣を携えた進駐軍の兵士が直立不動の姿勢で佇立し、この都市の真の主人公は誰なのかを誇示していた。

 

さてこの本は、10年を超えるフイールドワークとインタビューを行い、「虫の目」と「鳥の目」の双眼をもって、その当時(1945-1952)、米軍の支配下にあった京都の生活史を、じつに様々な角度から立体的に浮き彫りにした労作である。

 

まず驚くのは、戦後は1945年の「敗戦」で始まったのではなく、1952年の片面講和条約発効までは「休戦」期であり、1956年の共同宣言や国交回復後も、講和が果たされない唯一の国であるロシアとは現在もなお戦争状態が続いていると言えることである。

 

また戦争中、京都にはその計画はあっても実際には原爆が落とされなかったので、空襲もなかったと考える人が多いが、京都府の北部、わが郷里の綾部に近い舞鶴港周辺と京都市の西陣や東山の馬町、南部の大久保国際飛行場や奈良電鉄の沿線では何度か米軍機の空襲を受け、大きな被害も出ている。

 

当時の私の下宿は、左京区にあって市電の6番の百万遍からちょっと上がった田中西大久保町にあった。

 

2階の隣の部屋には映画好きの京大生が住んでいて、夕方になるとよく一緒に銭湯に行ったり、近所の食堂で定食を食べたりしたが、しがない予備校生である私も、彼と一緒の時に限っては、どこへ行っても「学生さん」とさん付けで呼ばれ、なぜかある種の畏敬の念をもって遇されたことを、後年になっても夢のような気持で覚えていた。

 

その「京都ではなぜ学生が尊敬されるのか?」という長年の謎を解いてくれたのが本書だった。著者は1951年に朝鮮戦争反対のビラを撒いてポツダム勅令・政令違反で逮捕され、山科の京都刑務所に収容され、軍事法廷で重労働3年、罰金千ドルの刑に処せられた京大生、小野信爾について彼が書き残した「小野日記」を軸に詳説している。

 

そして著者は、この小野事件を、1949年から50年代における京都の一連の学生運動(1949年5月の京大看護学校事件、50年10月のレッドパージ反対運動、51年5月の丸物百貨店原爆資料展、同11月の京大天皇事件、52年4月の破壊活動防止法案反対ストライキ決議)の輝かしい流れの中に位置づけているようだが、余所者の私も、知らずその余慶に与ったことになる。

 

姉上よりABに分けて賜りし段ボールの柿をAから食べる 蝶人

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田中慎弥著「死神」を読んで

2024-11-22 17:05:15 | Weblog

 

照る日曇る日 第2130回

 

あろうことか実際に死神が出てきて、死にたければ死ねとか、こうこうこうすれば助けてやる、とか頭の中で問答するという、まっこと阿呆らしい小説以前のトイレの落書きである。

 

この人物にちょっと興味があったので手に取ってみたのだが、もうコリゴリ。おらっち、もう二度と読みません。

 

出てくれば間髪容れずテレビ消す斎藤、玉木、橋本、トランプ 蝶人

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村岡由梨第2詩集「一本足の少女」を読んで

2024-11-21 10:06:01 | Weblog

 

照る日曇る日 第2129回

 

血を流しながら書き綴られた村岡由梨の第2詩集は、読めば血が出る22篇だ。

私は、この真率で、真情溢れる、痛切な詩行を読みながら、改めて詩とは何かと考えていた。

 

最初に浮かんだ考えは、詩とは「見守りボッド」のようなものではないか、というまことに幼稚なものである。

 

病ゆえに絶えざる自殺願望に取り付かれ、陸橋を渡りながら、何もかもを、愛する家族さえも見捨てて、硬い車道に身を投げようと思う作者を、詩は、「跳べ」とも言わず、「止めよ」とも言いわず、黙ってじっと見つめている。

 

その時、詩はまるで天体をぐるぐる経めぐりながら、地上に蠢く微細な存在、生きとし生ける森羅万象を、ことごとく把握しながら、じっと見つめている。

見守っている。

 

詩はもとより、人間と同じく無力で、そもそも無用の存在であるが、人間がそこにあって、心身に刻み付けられる体験する喜怒哀楽をしかと見届け、激しく流動する事態を、一時的に棚上げして、半永久的に保存することもできるのである。

 

なぜ詩を書くのか?と問われた谷川俊太郎は、「書いてくれという注文があるからです」とユーモラスに答えたが、村岡由梨は、「私が詩を書くのは、まっとうな人間になりたいからです」(「No.46」より)と、まっすぐに答えている。

 

詩を書くことによって、まっとうな人間になることはできないかもしれないが、 まっとうな人間になりたいという願いを、詩は、そして天は、嘉して受け止めてくれるだろう。

 

まっとうな人間になりたいと祈り続ける人を、詩は、そして天は、ずうっと優しく見守り続けてくれるだろう。

 

俊太郎、火野正平、北の富士、毎日旅立つ懐かしき人 蝶人

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西暦2024年霜月蝶人映画劇場その5「キング・ヴィダー特集2」

2024-11-20 09:49:33 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3828~35

 

キング・ヴィダーは才能豊かな監督だったが、その出来栄えに斑があるのは、彼の資質以上に製作条件の影響だろう。

 

1)キング・ヴィダー監督の「ビリー・ザ・キッド」

実際のビリーではないが、かくありたいキッド像を描いた1930年の快作。

 

2)キング・ヴィダー監督の「南風」

都会生まれの孫娘と頑固爺さんとの家族の絆を描いた1933年の傑作。隣の牧場主との別れがつらい。

 

3)キング・ヴィダー監督の「薔薇はなぜ紅い」

1935年の南北戦争秘話。南部の豪邸を舞台に従軍死を遂げる父親と息子、奴隷解放を夢みる黒人たち、遂に従軍する従兄弟を愛したヒロイン。そして次々に侵入する北軍と南軍の兵士たち。映画の体をなさぬ映像ショー「風と共に去りぬ」を嘲笑うヴィダーの秀作ずら。

 

4)キング・ヴィダー監督の「テキサス決死隊」

1936年テキサス州100年祭の記念映画で、元強盗が大活躍して決死隊の鞘に収まるのは結構だが、先住民への差別意識と集団戦闘シーンの緩すぎる演出は酷すぎる。

 

5)「キング・ヴィダー監督の「摩天楼」

妥協なき建築家ゲーリー・クーパーと新聞記者パトリシア・ニールの運命の恋を描く1949年の恋愛映画。法廷で自己弁護するクーパーの長い長い哲学的セリフを聴け!

 

6)キング・ヴィダー監督の「東は東」

山口淑子の看護婦と国際結婚したドン・テイラーが、故国アメリカで引き起こす一大騒動をじっくり描いた1951年の人種問題提起映画。

 

7)キング・ヴィダー監督の「南海の勃火」

漂流したヨットが漂着したヴァージン諸島の孤島を舞台に、船員と村長の娘が繰り広げる1951年の古典的な海洋浪漫。

 

8)キング・ヴィダー監督の「星のない男」

カーク・ダグラスが主演する1955年の西部劇。弟を殺されたカーク・ダグラスが鉄条網を嫌うのはよく分かる。

 

いつまでも生きてほしいと願えどもあっという間に消えていくなり 蝶人

 

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前田和男著「炭鉱の唄たち」を読んで

2024-11-19 10:04:27 | Weblog

前田和男著「炭鉱の唄たち」を読んで

 

照る日曇る日 第2129回

 

畏友前田選手が労働科学研究所から発行されている「労働の科学」という雑誌に2013年10月号から2019年7月号まで連載された原稿を、10余年の歳月をかけて再構成された、ああ堂々!1042頁の大著を読了しました。

 

序章「どっこい炭鉱唄は生きている」に続く第1部は「三大炭鉱節をめぐる生誕と流転の謎」、第2部は「富国強兵と戦争と炭鉱唄」、第3部は「炭鉱と唄たちの戦後その再生と死と」という3部構成です。

 

半世紀も前に消滅した炭鉱なのに、そこから生まれた「炭鉱唄はなぜ人々の琴線を震わせ続けるのか?」という“炭坑節に淫してやまない”著者のライトモチーフが、滔々と寄せては返す太平洋の荒波のように、これでもか、これでもか、と執拗に無限の変奏をかなでて圧巻であります。

 

その有無を言わせぬ説得と論証と明察の真価は、ちょくせつ本書にあたって砕けてひも解いていただくことにして、私の印象に残ったのは、第1部第1章における「炭坑節を戦後復興の応援歌にしたのはGHQだ」という鋭い指摘でした。

 

放送プロデューサーの大山勝美氏がつとに指摘しているように、NHKの「紅白歌合戦」も「素人のど自慢」、「街頭録音」、「英語会話」「話の泉」「二十の扉」も、すべてGHQの指導の下に始まったように、著者は、「そのGHQが、人気のある炭坑節で敗戦後の国民を元気づけ、あわせて石炭増産を図るという一挙両得、一石二鳥の秀逸かつ周到なるプロパガンダ」を展開したと喝破しているのです。

 

本書の白眉は、第2部「富国強兵と戦争と炭鉱唄」です。

 

著者は三井三菱住友をはじめとする戦前戦後の「社歌」や産炭地の「市歌」、小中高校の「校歌」を、外地の満州の満鉄社歌、炭坑施設歌まで2番、3番と細大漏らさず引用、解釈し、戦前・戦中と戦後の脈々とした連続性を跡付けています。

 

戦後の「うたごえ運動」を主導した名作曲家、佐藤公志の知られざる晩年の軌跡をあきらかにしたのも本書の功績のひとつ。

 

戦後炭坑節歌謡の分水嶺は1957年にあり、それまでGHQと日本政府によって演出されてきた「明るい炭鉱」が、実は苦役に満ちた重労働であると気づかせる「炭鉱苦役歌謡」の先駆的存在で、炭鉱夫の父親を落盤事故で失った三橋美智也であると指摘し、「流行歌は世につれるだけでなく、世の中を現実を追い越した地平へと連れていくことがある」と締め括るいう掉尾まで、筆1本で厳しい世の中をわたってきた著者の執念と文筆者根性をしみじみと体感出来る珠玉の1冊です。

 

20億光年の彼方に帰る詩人かな 蝶人

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西暦2024年霜月蝶人映画劇場 その4

2024-11-18 09:51:34 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3823~27

 

1)ロバート・シオドマク監督の「殺人者」

エドモンド・オブライエン、バート・ランカスター(映画初出演)、エヴァ・ガードナーの1953年のデビュー作。

 

2)ジェームズ・フォーリー監督の「アフター・ダーク」

1992年の誘拐事件がからんだ恋愛映画。犯罪を絡めないままの純愛映画にしたら良かったのに。

 

3)ジャン=ピエール・メルヴィル監督の「この手紙を読むときは」

やたらと持て捲る色男が美貌の修道女ジュリエット・グレコやその妹、周りの連中を次々に腐食していく1953年のメロドラマ。

 

4)アンソニー・マン監督の「ララミーから来た男」

ジェームズ・スチュアート主演のマンの1955年のお楽しみ西部劇場なり。

 

5)ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」

クランクトンの父親は生かされるがドクもその情婦も死に、その後つくられたOK牧場ものとは相当違っているが、ラストの詩情、教会のダンスシーン、ドクのオペ、ハムレットの朗読はやはりジョン・フオードならではのものなり。さりながらラストのキスはザナッツクの追加撮影によるものであるし、フォードの演出に不満で自分が撮影編集したザナックの作品でもある。

 

善悪の区別ができぬ人々の脳味噌に住む魑魅魍魎 蝶人

 

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尻子玉

2024-11-17 10:11:03 | Weblog

 

 

これでも詩かよ 第326回

 

極楽の昼下がり、お釈迦様は長い、長いお昼寝から覚めて、遥か下方の地上を眺めていると、おりしもハロウィンで賑わう、渋谷のスクランブル交差点が見えました。

 

と、ふとあることを思いついたお釈迦様は、女郎蜘蛛の犍陀多を呼びました。

 

「これ犍陀多や、あのスクランブル交差点全体を覆うような、大きな、大きな巣をかけなさい」

 

「はい」

 

と答えた犍陀多が、お釈迦様の仰せの通りに、天上から大きな、大きな蜘蛛の巣をふんわりと投げかけましたが、せわしなく交差点を行き来する人々の目には、もちろん見えません。

 

さうして、この見えない蜘蛛の巣のベールの下を通る人は、男も、女も、男でも女でもない人たちも、大人も、子供も、みんな揃って尻子玉を引っこ抜かれてしまいました、とさ。

 

渋谷のスクランブル交差点だけではありません。

 

お釈迦様は犍陀多に命じて、外人観光客で賑わう鎌倉の小町通りでも、アメリカNYのブロードウエイでも、北京の天安門広場でも、ロンドンのピカデリー・サーカスでも、パリのシャンゼリゼ通りでも、こっそり蜘蛛の巣のベールをかけて、何千、何万、何億個の尻子玉を引っこ抜かれてしまいました。

 

五色の蓮の花が咲き乱れるここ極楽では、大きな蜘蛛の巣のあちこちにぶら下がった無数の尻子玉が、ぶらぶらと風に揺られています。

 

    軽々に死にたいなどと言う勿れ生きたい生きたいと願いて逝きしを 蝶人

 

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中川李枝子作・大村百合子絵「いやいやえん」を読んで

2024-11-16 08:50:57 | Weblog

 

照る日曇る日 第2128回

 

泉下の人となってしまった中川&大村姉妹の代表作の童話である。

 

主人公のしげるは、すごく頑固で、乱暴者で、片意地張っているが、あるところまでくるとちょん切れてオイオイ泣いたりする。

 

しげるのような子は、いつでもどこでいるけど、おらっちは、あんまり好きじゃない。友達にはなりたくないタイプだが、中川&大村姉妹は優しく受け止め、軽く抱きしめてやっているので偉いと思う。

 

ともかくあんまり乱暴者なので、なんでもかんでもイヤだ、イヤだとごねるしげるが入れられる「いやいやえん」は面白く、そこで園長をやっているおばあさんのキャラは傑作だ。こういうようちえんがあってもいいだろう。

 

蜘蛛の糸一番上の赤鬼がお前ら戻れと鋏取り出す 蝶人

 

 

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