あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

なにゆえに第7回~西暦2014年文月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-07-31 10:18:05 | Weblog


ある晴れた日に第250回


なにゆえに海でも駅でも喧しい日本人は耳なし芳一 

なにゆえに山水電気は倒産したのかとても優れたアンプを造っていたのに

なにゆえに被災地からの犬は発作を起こすのかこの世の地獄をその目で見しゆえ

なにゆえに「真逆」「目線」「立ち位置」という「正反対」「視線」「立場」でいいじゃないか

なにゆえに隣の犬は泣き叫ぶ躾がしてない散歩させない

何ゆえに除草剤を庭に撒く草花も土地も二重に死ぬるを

なにゆえにひとりだけ泣いているのみんな楽しく笑っている遠足なのに

なにゆえにコラボコラボと気安く呼んでるコラボとは仏語で対独協力者なるを

なにゆえに「チャップリン」を「チャーリー」に変える映画のタイトルは原題通りに

なにゆえにムクは微かに尻尾を振ったそれが僕らへの別れの挨拶

なにゆえに日本のサッカーは負けたのか弱い弱いひとえに弱いから

なにゆえに若者は真夜中に駆けずり回るそこに太陽が輝いているから

なにゆえに曇りの空から晴れ間がのぞく笛吹童子は能天気だから

なにゆえにこの本はわれらの胸をうつ隠岐に果てし帝への哀傷深し

なにゆえにまだなにゆえ音頭を踊っているの橘曙覧の「たのしみは」が応援してくれるので 

なにゆえにあの頃のアンパンは美味しかったのか アンコの中の夢を食べてた

なにゆえに朝日は夏目漱石を連載する現代作家がつまらないから

なにゆえにそんなに強い国にしたいのかそれだけ個人は弱くなるのに

なにゆえに普通の国にして喜んでいるこの国だけは戦知らずの国なるを

なにゆえにメキシコ見物の首相を映し出すもっと大事なニュースが他にあるだろ

なにゆえに戦争できる国を目指すのか戦争すれば悲惨な地獄が待ち構えているのに 

なにゆえに大嫌いな顔ばかり垂れ流すNHKは朝から晩まで安倍放送局

なにゆえに解釈だけで改憲できるのか絶対矛盾は統一できない

なにゆえに憲法反逆者どもを放置する普通の国なら即逮捕監禁

なんでまたくりからもんもん入れ墨しとるんやおんどれヤクザになりたいんか


なにゆえに富岡鉄斎が聖人君子なるや九十歳で死ぬまでエピキュリアンなるを 蝶人
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文化学園服飾博物館で「世界のビーズ展」をみる

2014-07-30 08:00:29 | Weblog

ふぁっちょん幻論& 茫洋物見遊山記第154回


この展覧会を一覧すると、ビーズが身近な装飾材料として昔から世界各地のおよそ40カ国で愛用されてきたことがよくわかる。

 交易品として珍重されたガラスビーズ「とんぼ玉」、欧州の華やかなビーズ刺繍のドレスなども興味深いが、狼の歯の首輪や本邦の勾玉、アジア、アフリカの伝統的な衣服や装身具などをじっと眺めていると、これらの珠玉のひとつひとつに大衆のさまざまな祈りや呪力が籠められてきたことは間違いないだろう。

 その祈りや呪力は現在もなおミサンガ、腕輪、首飾り、鉢巻き、イアリング、テープ、護身具等々の姿形で、私たちの身体と命と暮らしをつなぎとめているのである。

 なお当展は来る9月13日まで同館にて開催中。日曜祭日はお休みです。


なにゆえにメキシコ見物の首相を映し出すもっと大事なニュースが他にあるだろ 蝶人
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出光美美術館で「富岡鉄斎展」をみる

2014-07-27 11:14:44 | Weblog


茫洋物見遊山記第153回

 昔から死んだ祖父が惚れ込んでいた鉄斎をみる機会に恵まれた。

 没後90年を記念して開催中の同展をみての感想は、ずいぶん色っぽい日本画を描くもんだということで、それはもちろん普通なら無彩の山水画に遠慮なく色彩をまぶしているせいでもあるが、この人物の歳はとってもけっして枯れない現世への欲望のあぶらぎりのせいに違いない。

 世になき文人と称され、深山幽谷における隠遁生活を理想として、そのような状況に仮託したような絵ばかり描いてはいても、それらは所詮外面をとりつくろう仮の姿、しかしてその実態は旺盛なる欲の塊で、その現世的な原始生命力の間歇的な噴火爆発は死ぬまでとぎれることはなかったのだろう。

 そんな古代的な巨人にしても、その作品は年をとるほど深みと底光りが出てくるということで、当然最晩年である大正12(1923)年の「蓬莱仙境図」などは、山も岩石も極度にデフォルメされ、無造作かつ宇宙的に単純化されている。

 その構図の大胆さと筆致の自在さは完璧にロックンロールしており、ちょっとフルトヴェングラーのベートーヴェンの第7交響曲や、現代抽象画のブラックを思わせるようなアヴァンギャルドな世界を表現しているようで痛快だった。


 なにゆえに大嫌いな顔ばかり垂れ流すNHKは朝から晩まで安倍放送局 蝶人

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鎌倉国宝館で「平常展」をみる

2014-07-26 12:06:10 | Weblog


茫洋物見遊山記第152回 &鎌倉ちょっと不思議な物語第319回


長らく震災対策工事を行っていた鎌倉国宝館がやっと再開しました。近所の源氏池も平家池もはすが満開です。

「平常展」と称しているがこんな呼び方があるのだろうか。「所蔵展」とか、せめて「通常展」にし給えな。

入館して右手にはおなじみの薬師三尊および十二神将立像の十五体が佇立して圧巻ですし、左手の展示室には報国寺や光明寺などの境内絵図、今少路西遺跡の出土品などが整然と並んでいます。

 建長寺が所有にかかる北条時頼の座像は、私の大嫌いな北条家の第五代の執権ですが、さすが三浦一族を滅ばしただけのしたかかな面構えで無人の館内を睥睨しているのでした。

 なお当展は来る7月27日まで同館にて寂しく開催中。


  なにゆえに「平常展」と称している鎌倉国宝館には異常が無いから? 蝶人

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クロード・ソーテ監督の「愛を弾く女」をみて

2014-07-25 10:11:17 | Weblog


bowyow cine-archives vol.658


 才能ある若きヴァイオリニスト(エマニュエル・ベアール)が楽器修理の職人(ダニエル・オートゥイユ)を愛するようになるが、地味で実直に生きる男が、その熱烈な求愛を退け、深く傷つく悲しい話である。

 すでに彼女には恋人(アンドレ・デユソリエ)がおり、しかもその恋人は男と同じ修理工房の長年にわたるパートナーだったから、傷ついた者は2人だけではなかったのである。

 相寄る孤独な魂の間に何が起こったのだろう? 男は派手な演奏家と地味な裏方では生きる世界が違いすぎると考え、「あなたを愛してはいない」とまで言って女から遠ざかる。

 女の方からホテルで抱いてとまで言うておるのだから、抱いてあげればよかったのではないか、ほんとにダメかどうか一度試してみればよかったのではないか、と思うのだが、結局2人はそのまま別れてしまうラストの黒い瞳が悲しいが、男と女とは、人世とはそんなものではないでしょうかねとこの職人監督はいうのである。

 ジャック・カントロフが弾くラベルのバイオリンソナタが、いつまでも心に残る。
 もしかするとクロード・ソーテこそフランス映画の本流中の本流だったのかも知れない。
 ところで原題は「冬の魂」なのに、どうして邦題は「愛を弾く女」になってしまうのだろう。
 

   なにゆえに日本のサッカーは負けたのか弱い弱いひとえに弱いから 蝶人

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ジャン=ジャック・アノー監督の「スターリングラード」をみて

2014-07-24 13:27:44 | Weblog


bowyow cine-archives vol.658


 第2次世界大戦の一大メルクマールになったドイツ軍のソ連侵攻とその無残な末路を描くドイツ映画である。

 イタリアのリゾートでの能天気な休暇が明けて一転して地獄の三丁目に突撃してゆくある小隊の兵士たちに焦点を当てつつ、この狂気の大作戦の愚かしさを描き出そう、という試みは分かるが、脚本の段階で作戦の全体像と彼らの戦闘の位置づけが曖昧模糊としている。

 加えて演出の切れが悪いので地下水道での戦闘や戦車部隊との肉弾戦、敵軍の少年兵や女性兵士との挿話など印象に残るシーンもあるが「ともかく戦争は悲惨だ。もうこりごりだ」という次元でなんとなく話が終わってしまう。

 まあそのお、その教訓じたいは実際その通りだし、それでいいといえばいいのだが、映画としての出来栄えはいまいち、いまに、いまさんなり。

 されど「戦争できる国」を目指して大車輪の活動を展開している現政権のあほばか連中にはぜひみてほしい映画である。


 なにゆえに戦争できる国を目指すのか戦争すれば悲惨な地獄が待ち構えているのに 蝶人

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私詩的履歴書~「これでも詩かよ」第93番

2014-07-23 20:05:52 | Weblog


ある晴れた日に第249回



40年代、私はひとりの頑是ない赤ん坊。
50年代、私は特性の無いひ弱なひとりの少年。
60年代、私は怒れる学生だった。
70年代、私は従順なひとりのリーマンだった。
80年代、私は会社のために24時間戦う労働者。
90年代、私はリストラ取らされた哀れな労働者
00年代、私はふりー、ふりーのフリーター。
10年代、私はひとりの詩人になった。


なにゆえに海でも駅でも喧しい日本人は耳なし芳一 蝶人
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東直子編著「鼓動のうた 愛と命の名歌集」を読んで

2014-07-20 09:34:57 | Weblog


照る日曇る日第719回



編著者が毎日新聞に6年間連載した愛と命の歌を紹介するエッセイ集です。

セレクトされた短歌のなかで感銘を受けた歌を、いくつか挙げておきましょうか。

鋭い声にすこし驚く きみが上になるとき風にもまれゆく楡 加藤治郎

 いきなり出てきたこれぞ愛の歌。充分過ぎるほど過激。こんなことをこういうふうに詠んでもいいんだと思わせてくれたのはいいが、もう歳じゃ、歳じゃ。

なにしてもあなたを置いて死ぬわけにはいかないと言う塵取りを持ちて 永田和宏

 妻がガンと分かった時に夫が詠んだ歌。さもありなん。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子

 その妻の臨終の絶唱。なんど読んでも涙が出てくる。

父母を好きでなくとも生きていける生きていけるよ階段おりよ  東直子

 最後の「階段おりよ」が凄い。

うちで一番いいお茶飲んでおしっこして暖かくして面接ゆきな  雪舟えま

夫を面接に送りだす妻のエール。「おしっこして」が泣かせます。

うなだれてないふりをする矢野さんはおそれいりますが性の対象  斉藤斎藤

 いま私がいちばん好きな歌人の見事な慇懃無礼。

うつし世の闇にむかっておおけなく山崎方代と呼んでみにけり

 いま彼のエッセイを読んでいますが、方代さんは人間も歌も素晴らしい。

さうぢゃない 心に叫び中年の体重をかけて子の頬打てり 小島ゆかり

 テレビで見るあのおとなしそうな女性が、と思わず息を飲む。

犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの 奥村昂作

 そうだそうだ、2002年に死んだ愛犬ムクもさうだった。

同じように髪を束ねた母と子のサランサランとゆく春の風  東直子

 撰者に敬意を表してもう1首。「サランサラン」がいいですね。


なにゆえにムクは微かに尻尾を振ったそれが僕らへの別れの挨拶  蝶人
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アンパン、ジャムパン、クリームパン~「これでも詩かよ」第92番

2014-07-19 12:50:47 | Weblog


ある晴れた日に第248回


これは去る6月24日に友達の「とうこさん」がおつくりになった歌

  ウエストが太りますよといはれつつ夫の楽しきあんぱん買ひ止まず

 にインスパイアーされて出来上がった拙い詩です。

「とうこさん」ありがとう。



アンパン、ジャムパン、クリームパン
子供の頃、空はもっともっと広かった。
アンパン、ジャムパン、クリームパン

カレーパン、ブドウパン、メロンパン
山はもっと高く、もっと多くの蝶々が飛んでいた。
カレーパン、ブドウパン、メロンパン

チョコパン、シナモン、アンパンマン
川はもっと広く、もっと多くの魚が泳いでいた。
チョコパン、シナモン、アンパンマン

蒸しパン、コッペパン、ピーナッツパン
雪はもっと白く、もっと輝いていた。
蒸しパン、コッペパン、ピーナッツパン

アンパン、ジャムパン、クリームパン
子供の頃、空はもっともっと青かった。
アンパン、ジャムパン、クリームパン


なにゆえにあの頃のアンパンは美味しかったのか アンコの中の夢を食べていたから 蝶人
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「モーツァルトその音楽と生涯第1巻 名曲のたのしみ、吉田秀和」を読んで

2014-07-18 11:23:17 | Weblog


照る日曇る日第718回


とこうタイトルを書いただけで、あの懐かしい温厚な声音が耳元に響いてくる吉田秀和翁の番組をそのまま書物に編んだもの。

あの番組のいわば脊梁部をなしていたウォルフガング・アマデウス・モーツアルトの音楽と生涯について、翁が1980年4月からおよそ7年間にわたって訥々と語り続けた内容が、ライヴCD付きでこれから5巻にまたがって聴けるとはまるで夢のような話である。

本巻では最初期の旧ケッヘル1のクラヴィーア作品から1772年に作曲された劇的セレナータ「スキピオの夢」までが収録されており上流の滑川から下流の由比ヶ浜まで小舟でくだるような気持ちであっというまに読了したのだが、その間たえず彼の美しい音楽が鳴り響いていたことは言うまでもないだろう。

それにしても翁が指摘されているように、1764年に書かれたモーツァルトの最初のシンフォニーk16の第2楽章の後半部の第2部のホルンのパートに、彼の最後の41番の交響曲ジュピターの最終楽章の最後のメロディがすでに登場しているのは、何度聞いても単なる偶然とは思えない。

吉田翁は、「もし僕がモーツァルトについての通俗的な伝記小説を書いたとしたら、この節をライトモティーフに使ったでしょうね」と語られているのだが、鳴呼、ついにこの通俗的な伝記小説が書かれなかったことの無念さよ!


なにゆえに虎は死して皮を遺し、翁は死してモザール夜話を遺したのか 蝶人

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今年はじめての海水浴

2014-07-17 10:04:33 | Weblog

鎌倉ちょっと不思議な物語第318回&バガテル―そんな私のここだけの話op.183


去る7月12日の土曜日に息子のリクエストで由比ヶ浜へ行きました。

台風8号が通り過ぎたばかりですし、まだ夏休みに入っていないのにかなり大勢の人たちが浜辺でゴロゴロ転がっていたのにはちょっと驚きましたが、浪は少し高かったものの海水は奇麗で、例によって30分間ほどの水浴びを楽しむことができました。

毎年諸般の事情でこの海水浴場に来るのですが、いつも頭にくるのは大音量でアホ莫迦空虚音楽を盛大に鳴らし続ける「海の家」、人の迷惑を顧みずに煙草を吹かす連中、ヤクザに憧れて入れ墨を誇示するイカレポンチの三悪人です。

今年は文化後進市の鎌倉でも、これらをお隣の逗子(去年はヤクザの殺人事件が起こった)や藤沢にならって少しは規制しようということになったので喜んでいたのですが、相変わらず喫煙する若者がいて不愉快でした。

ニコチンが体に悪いことを知りながら喫煙を続ける彼らが、全員ガンなどで早死にするのは大歓迎ですし、いわば自業自得というものですが、その毒の煙をいっぱんピープルに無差別にばらまく間接的な殺人テロ行為を実行するのは止めてほしいものです。

またせかっかく海にやってきたのに泳ぎもしないで、海辺に建つ城塞のような密室に入り浸って、さながら騒音のような白痴音楽に合わせて踊り狂っている連中も年々湘南海岸にはびこっているようですが、私のように寄せては返す波の音だけをめでる人間にとっては地獄からやって来た暴力団のような連中で、こいつらを全部法令で締めだした逗子市の英断を鎌倉市も見習ってほしいものです。

こういう措置を権力による芸術表現の自由の束縛だとか抜かす訳知り顔の評論家や音楽業界人がおりますが、それは海水浴場の音楽のありようについて実際に体験したことがないからで、私のように一夏に二〇回も海水浴に来るいっぱんピープルのほうがその恐るべき実態に通暁し実害を蒙っているに決まっています。

私だって音楽を愛することでは人後に落ちませんが、それはこういう開放的な海水浴場ではなく、私の大嫌いな渋谷とかロッポンギとか都会の町中の密閉された空間でおおいに楽しんでいただきたいものです。


なんでまたくりからもんもん入れ墨しとるんやおんどれヤクザになりたいんか  蝶人
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文は音楽~「これでも詩かよ」第91番

2014-07-16 11:58:08 | Weblog



ある晴れた日に第246回


「文は人なり」などというけれど、それをいうならむしろ音楽。
どの作家であれ、私たちが耳を傾けているのは
文章の底を流れているさまざまな声音なのだ。

スタンダールは、モザールのオペラ。
「パルムの僧院」はコシ・ファン・トゥッテの六重唱。
バルザックはロッシーニ。旅籠屋から勇ましく出発する「ランスへの旅」。

プルーストはコルンゴルドの「死の都」。
貴婦人の白い肌の下で蠢く淫蕩な血。
コルクの部屋に跳梁する奇怪な幻影。

ボードレールはドビュッシーの「ぺれあすとめりざんど」
ランボオはワーグナーの「彷徨えるオランダ人」。
原色に彩られた大河を下る酔いどれ船の絶叫。

ポール・ヴァレリーは、フォレの弦楽四重奏。
学哲の額に幾筋も刻まれた深い皺。
いかなる叡智も機関銃には敵わない。

森鴎外。重々しいバッハのオルガン曲。
時折は通奏低音を蔑しつつ、
中低音が喨々と、はたまた嫋々と鳴る。

夏目漱石はベートーヴェン。
傑作第八番交響曲を謡曲に乗せ、
花も嵐も越えてゆくよ。

樋口一葉は新内節。
「明烏夢吹雪」の世にも哀しい調べが
吉原大門辺りに流れている。

永井荷風は大川端をゆく猪牙から聴こえる長唄「吾妻八景」。
華やかなのに虚ろに響き、
長調なのに哀しいのは何故。

谷崎潤一郎は清元節。
延寿太夫の高らかなテノールを、
梅吉の三味線が柔らかに包む。

芥川龍之介は江戸前の新内節。
声も三味線も歯切れ良く歌うのだが、  
突如三味線の弦がぶつり。

泉鏡花は虚無僧の尺八。
狂女が棲む山奥から流れてくるのは、
「鹿の遠音」の玄妙な調べ。

三島由紀夫はラモーのクラブサン合奏曲。
昼下がりに鳴っていたロココ宮殿で雅の調べが、
夜にはレオノーレ序曲第3番「獣の戯れ」に変わる。

太宰治は、管楽器のためのラプソディ。
フルート、オーボエにからんだピッコロが
時ならぬ悲鳴を上げる。

大江健三郎は声明。
意味不明の梵語を正体不明の坊さんが唸っている。
江藤淳。小刻みなピッチでスカルラッティを奏でるハープシコード。

小林秀雄は浪曲子守歌。
おのれの声音に酩酊し切って
今宵も村田秀雄とハモっている。

吉田健一は時々撥さばきが狂う太棹。
大岡昇平はハイドンのハ長調驚愕シンフォニー。
時折人を驚かせる。

吉本隆明は神楽歌。
あるいは神主の祝詞。
ほとんど意味不明だが、時々神懸って御託宣が下る。

村上春樹はフォーク。
おらは死んぢまっただあ、とギター片手に歌ってるのは
ビートルズの「ノルウェーの森」。

中上健次はヒップホップの乱れ撃ち。
「死のれ死のれ」「死のれ死のれ」
と死んでもなお煽りまくってる。


なにゆえに隣の犬は泣き叫ぶ躾がしてない散歩させない 蝶人
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シリーズ牧水賞の歌人たち「小高賢」を読んで

2014-07-15 09:32:25 | Weblog


照る日曇る日第717回

本年2月に急逝した小高賢を特集したオールアバウト本を読む。

詩歌の道に暗かった私は、この歌人がどのような人物であり、どんな歌を詠んでいるかも、ましてや講談社の優秀な編集者であったこともなにひとつ知らなかった。この出版社にはなんにんかの知り合いがあったのにと、いまさらながら残念に思うのである。

伊藤一彦編集によるこの本、というより1冊の雑誌の中には、故人の作品やエッセイを柱に、旧知の加藤典洋氏による思い出話やわがSNS友の大辻隆弘氏の小論文などがバラエティ豊かに掲載されており、おのずと歌人の人となりが鮮やかに浮かび上がってくるのであった。

代表作300首のなかで私の目に留まったのは、やはりリーマン時代の苦闘を赤裸々に詠んだ歌で、「コード17730とわれの身は刻印さるる勤めるかぎり」「わが書架の右上奥の資本論位牌のごとく座り動かぬ」「わが怒りこらえきれざり身のうちを奔る八万四千匹の虫」「たったひとりの反乱と噂されたる会議の果てのわれの屈託」「敗れたる社内戦争のみなそこに裏切りふかく沈みかくるる」「大臼歯衰えはてて抜かれたり噛みしめ噛みしめたりしくやしさ」「ひとに倦みひとを避けつつおやがいの痼疾ふれざる淡きあいさつ」「ボロボロの白骨これが夜を徹し社の行く末を論じたる君」「職棄つるすなわち職に棄てらるる切刃のごとき風はせめ来ぬ」などは、やはり勤め人であった私にも思い当る節のある佳汁ならぬ苦汁ばかりである。

家庭にあって「暴力は家庭の骨子――子を打ちて妻を怒鳴りて日日を統べる」と詠んだ家長は、「横抱きにしてベッドまで運ぶ母野菜に近き軽さなりけり」と詠む子であり、「「山姥の素質ゆたけき妻寝ねて正体不明の声発したる」と詠む夫であり、「みんみんが希望のごとくなきはじむ太郎ひとりに万の祈りを」、「平凡で普通がいいとくりかえしいうわが子なりそれもかなしい」と詠む父親でもあった。

けれども故人と同じ年に生まれながらまだこの世を漂流している私は、この歌人の「地下鉄の色わけ路線図のどれも皇居をつねに回避し曲がる」「いきるとは生きのびること 大石をさけ小石蹴り生きのびること」「社会主義をスルーしている争論は足腰弱し 思えどいわぬ」などに言い表されている、自他をともに射ぬくようなその透徹した、寂しい人間観にほたほたと胸を打たれるのである。


なにゆえに良き人は早く死ぬ別に悪き人が長生きするわけではないけれど 蝶人

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福田純監督の「野獣都市」をみて

2014-07-14 08:36:56 | Weblog


bowyow cine-archives vol.657


大藪和彦の原作で黒沢年男が鉄砲&殺人大好き青年に扮して父親代わりの社長三国連太郎にいれあげるが孤軍奮闘死んでしまうという荒唐無稽なお話の映画です。社長の娘役の高橋紀子の魅力のなさにはあきれる。監督も昔から才能がないし、見るだけ時間の無駄なり。


なにゆえに「真逆」「目線」「立ち位置」という「正反対」「視線」「立場」でいいじゃないか 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第11回

2014-07-13 09:46:11 | Weblog


西暦2014年皐月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.182


そんなに国益戦争ごっこがお好きなら、中東でも尖閣でもボランティアで突撃してきなさいよ。あんたと幹事長の2人だけで。5/31

大戦の死者を悼むためにあの戦争を肯定するのは論理の筋が通らない。同時代への解釈は宗教儀式とは別の範疇に属します。丸谷才一「楠正成と古代史」

平安貴族は天台宗をいちおう信奉しながらも、現世の利益を求めるためには真言宗に頼って祈祷し、死に臨んでは浄土宗によって往生したいと願ったのである。丸谷才一「女の救はれ」

匂宮や薫大将の時代が中世だとすれば、光源氏や紫の上の生きていた時代が古代、あるいはそれ以前である。丸谷才一「むらさきの色こき時」

平家物語は源平の戦乱の怨霊を慰撫するためにつくられた。丸谷才一「女の救はれ」

アジアでは数少ない民主主義を崩壊させるタイの軍のクーデターには、反対せざるをえない。たとえ国民がまっぷたつになって対立抗争を繰り返していても、軍は手出し無用。わが国の自衛隊にも要注意である。

下手な2丁拳銃よりも丸腰の方が安全である。誰からも畏敬されていた保安官ワイアットアープは、腰のピストルなしで乱暴者だらけのドッジシティを治めていた。

やたら2丁拳銃を持ちたがる安部保安官よ、別にお前さんのピストルであたしの命と安全を守ってもらわなくても構わないんだがね。お前さんの狙いはもっと別のところにあるんだろう。

世の中悪い奴ばかりだというのが本当だとしても、あたしは丸腰のほうがかえって安全だと思っているんだ。

安倍蚤糞を商売繁盛の大恩人と心から感謝しているその男は、彼が他ならぬその男をいつでもどこでも戦争に駆りだせる準備をせっせとしていても、ひたすらスマホで金の計算を続けているのだった。

特定秘密法案、公共放送の国家管理化、集団自衛権の行使容認等々、平成の独裁狼は次々に大坂城の外堀を埋め尽くし、真田丸に拠る幸村の孤塁を粉砕しながら寄る辺なきアンシャンレジーム聖羊母子にとどめの砲弾を撃ち込もうとしているのだった。

集団自衛権の行使を容認して憲法第9条の絶対平和主義を毀損しようとする者は、憲法違反で起訴されるべきである。

有名なサスペンス作家のスティーヴン・キングという人の日本語の表記は、ステファン・キングではなかろうか。

夢日記をつけるようになってから、私は毎晩欠かさずいろいろな夢を見ていることが分かった。つまり私は、文字通り夢のような日々を送っているというわけだ。

ウエストミンスター寺院の僧が、ハンバーグの代金をラトビアからの店員に小銭で払いながら「あと2ペンスだね」というところを「2p or not 2p」とハムレットにかけたジョークを言ったので、さすがは英国と感嘆した。NHK「世界街歩きロンドンの巻」

「なんといっても今がいちばん若いんだからね」と言って、妻が私を励ましてくれた。

誰一人頼みもしないのに、おじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさんを守るのはオイラの義務だと嘯く平成のスパイダーマンは、そのじつ戦争の危険がいっぱいの地雷原にこどもたちを導くのであった。

あらゆる芸術は音楽に憧れる。

国語は民族の記憶ををさめる仄暗い倉庫である」とマラルメは言った。丸谷才一

何を言はれても天皇は、「ア、ソウ」としか答えなかった。なかでも有名なのは、九州にいらしたときに、「あれが阿蘇山でございます」と県知事が言ったとき、「ア、ソウ」と言ったといふ話がある。丸谷才一「ゴシップ的日本語論」

「やつめうなぎはどんなことを考えるんだろう?」
「やつめうなぎは、とてもやつめうなぎ的なことを考えるのよ。やつめうなぎ的な主題を、やつめうなぎ的な文脈で」村上春樹「シェラザード」

言葉は浅く、意は深く。堀口大學「わが詩法」

深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり 堀口大學

いくら憲法を改定しても、日本人の本性が変わらなければなにも変わらないだろう

憲法記念日に国旗を出している家があった。余人はいざ知らず、私は憲法前文と9条の精神をさらに発展させて、この国を世界でもっと弱い、赤子のように無力な無防備国家にしたいものだと夢見ている。


なにゆえに被災地からの犬は発作を起こすのかこの世の地獄をその目で見しゆえ 蝶人

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