あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2011年皐月 茫洋狂歌三昧

2011-05-31 08:47:32 | Weblog


♪ある晴れた日に 第92回



連休やB級映画の愉楽かな

子等揃い菖蒲湯に浸かるめでたさよ

蛇苺小さな朱と生まれけり

美女が棲む隣家に紅しチューリップ

万人を悼むがごとし万花咲く

雨の月曜日は歌なんか歌えない

パンクがわからないやつはパンクしろ!

無より生まれ無に還るまでのお戯れ

人間風情に毛虫と呼ばれる筋合いはない

砂を噛み目を瞑りこの風を抱きしめるのだ

なんでもかんでも忘れてしまうそのうち自分さえ忘れてしまう

空中に放り投げた赤ちゃんを銃剣で刺したわいと近所のKさん

母親を救わんとして声掛ける娘の顔は険しく美しく

青空に萌ゆる若葉を越えていくアオスジアゲハの幽かな憂い

ピンチョンときたらたいしたもんだ自分でも分からんホラを吹く

地上では行く場所失いしクライバー眠れわれらの記憶の底に

くたばれポリーニアルゲリッチよみがえれコルトーフランソワ 

遂に殺したヴィンラディンオバマ万歳アメリカ万歳

悪を殺すことそれがアメリカの正義あとは野と成れ山と成れ

正義とは無防備な人間を殺すことオバマ万歳アメリカ万歳

長男はわが吐きし暴言を鸚鵡返しに叫んでいるとう

配線を間違えて産まれてきた君の脳誰かつなぎ直してくれないか

傷ついた脳を持って産まれし少年をペロペロ舐めてムクよ癒せ

大口をあんぐり開けてテレビ見るこれぞ人生至上のよろこび

鶯鳴き麝香揚羽舞う朝に没したり享年六十二

この頃日本全国死ぬ人多しそろそろ自分の番かと思うよ

遠つ国より訪れることを止めし人うべないつつも憎くもあるかな

震災に遭いし老犬ものに怯え隣家の庭で朝晩に吠ゆ

あなた何してんの早く40キロ圏まで退避しなくちゃ



長男の「千の風になって」を聴いて涙が出そうになったというケアマネさんの感想文を読んで涙が出そうになった 茫洋

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小澤征爾指揮「賢い女狐の物語」を視聴して

2011-05-30 08:32:20 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第201夜

オケはサイトウキネン、松本市文化会館で2008年に収録されたビデオだが、小澤の指揮は相変わらず単調だ。

いつものように音色は透明であり、音譜の前後左右をまるで神経質な植木職人のように刈り込んであるが、いつものようにリズムが2拍子の尺取り虫の突貫小僧のようであるために、ヤナーチエックの音楽に必須の粘液質な遊びもためもメリハリもない。

ために3幕4幕のクライマックスになっても管弦の咆哮と抒情の絶美の歌がマッケラス&ウイーンのようには聴こえてこないのが残念というか当然の結果になってしまう。まあ所詮はその程度の音楽家なのであろう。

しかしなんという素晴らしいオペラをヤナーチエックは書いたことか。そこには人よりも深い獣の崇高な精神世界が昂然と歌われ、その穢れなき至高の境地に善導されるかのように人獣一致・善悪一致の極楽境が宇宙の彼方から奏されるのであり、このような別次元の音楽はかつてモーツアルトとワーグナーによってしか創造されなかった。

今を去る30年以上前に日生劇場で伊藤京子が若杉弘の指揮で歌った女狐の響きいまいずこ?



        雨の月曜日は歌なんかを歌えない 茫洋
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小津安二郎監督の「東京物語」を視聴して

2011-05-29 07:23:53 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.125

血のつながっている子よりもつながっていない義理の子のほうがよく親に尽くすという話は昔からよくあるが、そんなありふれた世間話を野田東梧の脚本で前者を杉村春子が、後者を原節子が演じると映画史上不朽の名作になってしまうところが小津安二郎監督のメガフォンのすごいところだ。

もちろん物語の主人公は笠智衆と東山千栄子の老夫婦なのだが、実際にこの東京ならぬ尾道物語のねっこの部分を駆動しているのは善玉二人の女優の張力関係なのである。特に凄いのは悪玉杉村春子の憎たらしい演技で、それが自分勝手であざとければあざといほど善玉原節子の孝行娘振りが強調されるという相関仕掛けになっているけれど、あくまでも悪玉あっての善玉であり、その逆ではないところに杉村春子の素晴らしさがある。


尾道から出発した老夫婦が、東京に住む子供たちを訪ねて再び尾道に帰ると妻が危篤になり、今度は子供たちが尾道にやって来て葬儀を営むという往復運動の中で、揺れ動く家族の姿形がおのずと浮き彫りになっていくこの映画の主役は、じつはそれらの登場人物を外側から内包している居住空間であり、彼らが立ち去った無人の部屋をしばらく映し出している厚田雄春のキャメラは、私たちが生きていることのよろこびとかなしみとはかなさを、しばらくの間じっとかみしめていて、この哀切がとりもなおさず小津の映画と人世への愛であった。


NHKによってなされた新しいデジタルマスター版で視聴したが、いままで聞こえなかった声が聞きとれ、いままで見えなかった陰影が見えるようになった。素晴らしい!


万人を悼むがごとく万花咲く 茫洋


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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第43回

2011-05-28 08:43:00 | Weblog

bowyow megalomania theater vol.1


さらに頭蓋異常、眼球突出、視力障碍、重度知的障碍を併せ持つクルーゾン病の大本三郎、精神機能低下、興奮性、衝動性、不随意運動、痙攣等のハンチントン病患者の塩田安子も、

「はあーい!」

と明るく皆にあいさつしながら不思議なお家の裏側、すなわち警官隊が包囲しているススキヶ原の反対側の杉山から入ってきました。

脳の局所的収縮で知的障碍で痙攣発作持ちで半身麻痺で血管腫持ちでなおかつ原因不明のスタージ・ウエバー病の金丸信子もいました。

常染色体異常が優性遺伝して発達障碍、痙攣、皮脂腺腫を引き起こす結節硬化症の柴田はつみも傍にいました。

重度の知的障碍で肥胖症で視力障碍で奇形で性器不全でなおかつローランス・ムーン症候群の佐々木誠もいました。小頭症で今年百歳になる西山きん、ダウン症の東山ぎんもいましたし、結節性硬化症の皇太郎も続いています。みんな岳や洋子や文枝たちの仲間です。

おお、なんという喜び! そしてなんという壮観だったことでしょう! 星の子学園へ急行したのぶいっちゃんとひとはるちゃんが、カナー氏症候群、知的障碍、染色体異常、精神遅滞、発達障碍その他その他あらゆる心身の障碍を持った百五十名の園生全員を引き連れて不思議なお家に戻って来たのです。


空中に放り投げた赤ちゃんを銃剣で刺しましたわいと近所のKさん 茫洋



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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第42回

2011-05-27 14:10:35 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


まわりは星の子学園の仲間たちでいっぱいです。およそ百人はいたでしょうか。いや、もっとです。身体や精神に欠陥のある子供たちばかりです。

ロイシン、イソロイシンの過剰排出、ケト酸尿、尿の楓糖臭、重度知的障碍、痙攣、筋剛直などを主な症状とする常染色体異常の楓糖病の平山美樹がいました。

血中フェニール・ピルビン酸排出、中・重度知的障碍、痙攣、色素欠乏の常染色体異常が原因で起こるフェニールケルトン尿症の山川リンダがいました。

ガラクトーゼ尿中排出、発達障碍、新生児重症黄疸、肝肥大、筋緊張低下、白内障等の複合障碍を持つガラクトース血症の紀宮英明もいました。神経細胞にグルコ・セレブロシドの蓄積、心身発育遅滞、肝脾肥大、筋剛直、麻痺等の症状を呈するゴーシエ病の三田一平もいました。

硫酸ゴンドリイチンおよびペパリチン尿中排出、重度知的障碍、運動不安、肝脾肥大、角膜混濁、矮小体躯のハーラー症候群を呈する芥川竜もいました。それから脳中のスフィンゴミエリン増加、知的障碍、肝脾肥大、網膜異常、アテトーゼ、筋剛直、行動不安などをひき起こすニーマン・ピック病の小松崎登もいました。

リポイド沈着、精神機能低下、痙攣、麻痺、網膜異常、視力障碍といった複合障碍を持つ清水菊枝も一緒です。



砂を噛み目を瞑りこの空虚を抱きしめるのだ 茫洋


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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第41回

2011-05-26 16:14:16 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1

二人、三人、四人と、殺意に満ちた警官たちが次々にバリケードを飛び越えて僕たちのとりでの内部に侵入してきました。

血に飢えた体格の良い男たちは、僕と文枝と洋子の上から見境なく警棒を力任せに打ちおろし、僕たちの頭も顔も身体のあちこちもたちまち傷だかけになり、あまりの痛さにうめきながらあたりを転がりまわっていました。

と、その時でした。

かさにかかって僕たちの全身をめった打ちにしていた黒い男たちが、あちこちでバタバタと倒れ、口から血ヘドを吐いて地面にたたきつけられました。見ると手に手に木切れや鉄棒を持った少年少女たちが歓声をあげながら警官を撲っています。

「やれ! やれ! 徹底的にぶちのめせ!」

と喚きながら特別攻撃隊の警官のお腹の上で跳躍しているのは、まぎれもなくのぶいっちゃんでした。ほとはるちゃんは、と見れば、洋子と文枝に襲いかかっていた警官の首にロープをぐるぐる巻きにして両足を肩口にあてて、えんやこら、えんやこら、どっこいせ、と掛け声をかけながら、両手で力いっぱい引っ張っています。

その警官は、とうとう口から舌を出して息絶えました。


なんでもかんでも忘れてしまうそのうち自分さえ忘れてしまう 茫洋

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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第40回

2011-05-25 14:37:20 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


「ズン!」

と鈍い音がして、ジャイアント馬場はずってんどおとあおむけにひっくり返り、額の真中から真っ赤な血潮が薔薇の泉のようにこんこんと噴き上げるのを上目づかいに見上げてからすぐに息絶えました。

公平君が次に襲いかかって来る警官にピストルの銃口を向けるより早く、警官の振りかざしたカシの木のこん棒が公平のうすっぺらな額をざっくりとふたつに打ち砕き、ざくろのような傷口を午後三時の陽光にぎざぎざにさらしながら、公平も朱に染まってバリケードの内側にどおと倒れてしまいました。

僕と文枝と洋子が落ちてくる体を支えようと必死で抱きとめた時には、すでに公平君はこの世の人ではありませんでした。


五月晴れ何事かなさむと年毎に思う 茫洋

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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第39回

2011-05-24 17:28:12 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


公平君は「全員僕のまわりに集まれ」と鋭い声で命令を発して、たった一挺しかないピストルをバリケードの最前線のカシの木の上に、射的屋さんへ行った時にするように右ひじに乗せて、三三五五雨あられのように押し寄せてくる黒服の男たちの一人に狙いをつけました。

僕と洋子と文枝は恐怖でガタガタ震えながら、公平君の後ろで三人で抱き合って泣いていました。こわいおー、こわいおー、死んじゃうよー、と言いながら文枝はジャージャーおしっこを漏らしました。白いパンツがみるみる水浸しになってゆくのを、僕と洋子は息を呑んでみつめていました。

やがて、黒服に白い肩ひもを掛け、左手に警棒、右手に拳銃を握り締めた一〇名の特別攻撃隊が全速力でバリケードの正面に向かって駆け昇ってきました。

公平君は、それを見るとバリケードの上にすっくと立ち上がり、一番先頭のジャイアント馬場が僕たちからわずか三メートルの距離まで迫った時に、顔の真ん中めがけて引き金を引きました。


母親を救わんとして声掛ける娘の顔は険しく美しく 茫洋

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梟が鳴く森で 第2部たたかい 第38回

2011-05-23 20:24:21 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1

先頭に立って右手に拳銃を掲げたジャイアント馬場みたいな大男が、右手でハンドトーキーをとりあげて大声で怒鳴りました。
「お前たちはもはや完全に包囲されている。すみやかに武器を捨ててそこから出てきなさい!」
晩秋の静けさをいっきに破るスピーカーからのだみ声に驚いて、ケヤキの上のブッポウソーと杉の木の上のカラスとモミジの樹上で眠っていたジョウビタキがあわてて空高く飛び出していきました。

僕は一瞬、それらの鳥たちになりたい、と思いましたが、そう思っただけで卑怯者になったような気がして、「くそおー」と声に出して立ちあがりました。

くそおー、来るなら来てみろ。お前ら、みんな皆殺しにしてやる!

と大声で怒鳴っている自分が、自分で信じられないのですが、しかし自分は確かにそれらの言葉を警官たちに向かって喚いたのです。

ジャイアント馬場がスピーカーを投げ捨て、ピストルを大空めがけて1発発射すると、それを合図に数百人の警官隊が不思議なお家まがけて一斉に突撃してきました。



この頃日本全国死ぬ人多しそろそろ自分の番かと思う 茫洋

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拝啓 日野原重明様

2011-05-22 09:24:42 | Weblog


バガテルop135

昨日、朝日新聞の日曜日の「be」の連載コラム「99歳私の証、あるがままに行く」で、「病名のつけ方を見直そう」という記事を拝読いたしました。

そのおもな内容は、「認知症」はよく意味がわからない病名なので、英米がすでにそうしているように、この病気を最初に研究したドイツの精神病医アルツハイマー博士の名前をとって「アルツハイマー病」にしたらどうかという提案で、私も大賛成です。

ところがこれに続けてあなたは「ただ自閉症というネーミングだけは現状のままでいい。自閉症は周囲の人とのコミュニケーションがとれず孤立した生活をし、義務教育を受けるにも支障がある病気!で、このような子供に対しては音楽療法が効果的であるということが実証されている」などと述べておられますが、ここには聖路加国際病院の理事長ともおもえぬ誤解と謬見が含まれています。

まず自閉症は風邪やガンやエイズのような病気ではありません。この自閉症は「発達障害」のひとつで、その原因は「生まれながらの脳の機能の障害」にある、というのが最近の世界の医療関係者や研究者の定説になっています。
自閉症児・者はおそらくは脳のどこかに微細な損傷があるために中枢神経系のネットワークに不具合が生じ、そのために「周囲の人とのコミュニケーションがとりにくく」なるのです。

また「孤立した生活」をしているとありますが、別に好んでそうなっているのではなく、心の中では他人とコミュニケートしたくてたまらないのに、悲しいかなそれが物理的・機能的にできないわけですから、健常者が彼らを「自閉的である」などと勝手に決め付けるのは考えものです。事実まったく非自閉的で明るく元気で活発な自閉症児者もたくさんいるのです。

自閉症は、100人に0.9人程の発症率といわれ、人や物との変わった関わり方をしたり、大人や同年代の子どもとのコミュニケーションがうまくとれなかったり、興味や関心が非常に偏っており、同じことを繰り返したがる特徴をもっていますが、もっと重要なことは一人ひとりその障碍の特徴が違う、ということで、そこにこのいまだ治療法のない重篤な障碍への対応が一筋縄ではいかない難しさがあります。

あなたは「義務教育を受けるにも支障があり、このような子供に対しては音楽療法が効果的である」などと述べておられますが、義務教育を受けている自閉症の子供も大勢おりますし、音楽療法なんか全然効果がない子供のほうが圧倒的に多いのです。

 最後に自閉症という名前についてですが、このネーミングは次のような理由で良くありません。1つは先ほど説明しましたように、実際はネアカで元気な子供が多いのにネクラで引きこもりのように誤解されてしまうこと。第2に、この障碍の本質が「器質」の損傷ではなく、「情緒」の障碍や「病気」であるかのように誤解されてしまうこと。第3に「自閉的」イコール「自閉症」と勘違いされてしまう危険があることです。

そのような問題があるこの障碍の名前を、私は30年以上前からこの症状の最初の発見者であるアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学のレオ・カナー氏の名前にちなんで「カナー氏症候群」と改名するよう日本自閉症協会にも提案し続けてきましたが、残念ながらまだ実現をみておりません。

どうか日野原重明氏におかれましてもこの厄介な障碍についてさらに理解を深めていただくとともに、この際聖路加国際病院において「カナー氏症候群専門科」を新設していただけたら、不肖あまでうすの喜びこれにすぎるはありません。
敬具

*ご参考までに http://www.autism.or.jp/


       軽々と青葉若葉を超えてゆくアオスジアゲハの秘かな哀しみ 茫洋


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ケータイ紛失余話

2011-05-21 10:56:31 | Weblog


バガテルop134

五月晴れの昨日、横須賀の歯医者さんの帰りに軍港の傍の公園に咲く満開の薔薇を夢中になって撮影しているうちにバカチョン携帯を失くしてしまった。こんな下らない文明の利器のおかげで我等の生活はまっとうなユマニテとクルチュールを紛失してしまった。持つことの意義は限りなくゼロに近いが、持たないと仕事を受けられないから仕方なく持ち歩いているのだが、こいつを紛失するのはこれで四度目だろうか。二度は拾ってもらえたが、三度目はついに帰還しなかった。

昨日は、はじめのうちは落としたとは気づかなかったから、また溝板通りに戻って歯医者さんに尋ねたり、バスの運転手さんに聞いたりしたがいっこうに出てこない。仕方がないので横須賀駅前の交番に行ったが誰もいないので、京急バスの駅前詰め所に届け、ついでに細君に「余の携帯に電話するよう」に公衆電話から頼んで、横須賀線に乗って帰宅したら、なんと「拾った方から自宅に電話がった」というので、おお日本人も捨てたものではないなと私は小躍りして喜んだ。


ヤッホー! ホットラララ! ヤッホー!


これが大方の外国なら、西欧先進国であろうと、貧しい発展途上国であろうとまず戻ってはこないだろう。今回の震災の例を挙げるまでもなく、わが臣民の道義はまだまだ廃れてはいないのである。その有り難さと素晴らしさ改めて身にしみて感じるとともに、それが五度目に私がこいつを紛失する日までなんとかもちこたえてくれることを心から祈ったことだった。


山笑うケイタイ戻りしうれしさよ 茫洋

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トマス・ピンチョン著「Ⅴ.」上巻を読んで

2011-05-20 17:00:39 | Weblog


照る日曇る日第431回


おそらくは最初にプロットの組織図を前後左右、上下にB2の鉛筆で方眼紙に摸写するのだ。

時代はいつ? 1955年、あるいは1922年その他その他。

場所はどこ? ヴージニアの軍港ノーフォーク、NYのタイムズスクエアの地下5メートル、アレクサンドリアからカイロの砂漠、フィレンツエのウフィッツ美術館、南西アフリカ保護領のヴァルムバード地区、その他その他なんでもこい。

登場人物は? 探究者ハーバード・ステンシル、木偶の坊ベニー・プロフェイン、その他その他なんでもよし。

そこでなにが起こるの? マンハッタンの地下水道のワニ退治、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」の盗難、1904年事件の真相の究明、SМの快楽ごっこと暗号解読、その他その他なんでもあり。

で、Ⅴってなに? 地名? 人物? 暗号? さっぱり分からん。いつものように謎は謎を呼んで、複雑怪奇な下巻へと続く……。


ピンチョンときたらたいしたもんだ自分でも訳の分からんホラを吹く 茫洋
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天皇の歴史04「天皇と中世の武家」を読んで

2011-05-19 07:17:24 | Weblog


照る日曇る日第430回

前半の「鎌倉幕府と天皇」は河内祥輔氏、後半の「古典としての天皇」は新田一郎氏の担当。

桓武天皇の死後、平安時代の摂関期には平治の乱など全部で4つの不安定期があったようで、それらを「朝廷・幕府体制」を基調とした皇室の「正統」争いとして年代別に分析していく河内氏の解説は理路整然としているだけでなく1901年の菅原道真の失脚と、平治の乱との本質が朝廷の再建運動であると喝破したり、頼朝の蜂起の前ぶれとなった以仁王の敗走の真因が、アジールとして逃げ込んだ園城寺に源頼政を迎え入れたことにあると指摘するなど、随所に新たな知見を盛り込んでエキサイテイングだ。

ところが南北朝の後醍醐天皇を経て足利氏の室町幕府、応仁の乱を担当する後半の新田氏の論考は、いくら読んでも論旨が曖昧模糊としており、肝心の日本語の表現が拙劣で、粗野で、滋味に乏しく、読者である一般大衆により分かりやすく魅力的な文章を書いてやろうというサービス精神も皆無である。

しかし東大の教授だというこの学者は、果たして自分で自分が書いた内容を理解できているのだろうか? 甚だ疑問だ。それにいくら歴史の専門家とはいえ、こんな醜い日本語を書き散らしていいはずがない。本書の前半部の著者の爪の垢でも飲んで一日も早く基本的な教養を身につけてほしいものである。こんな人物に執筆させた出版社も猛省せよ。これまでの著者の中のワーストワンだ。


蛇苺小さな朱と生まれけり 茫洋


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サイモン・ラトル指揮「マーラー全集」を聴いて

2011-05-18 08:18:24 | Weblog

私がいくらロバの耳を澄ませても、いったいどういう音楽をやりたいのかさっぱり分からない音楽家は、アーノンクールや小澤やケント・ナガノやサバリッシュやブロムシュテットなどたくさんいるが、若くしてサーに功成り遂げたラトルもその一人だった。

ところマーラーイヤーということでEMIから彼が主にバーミンガムの市立オーケストラを指揮した交響曲全曲と大地の歌に未完の10番をクック盤で入れたものもパックした14枚組のCDがなんと2990円で叩き売られているというので、1枚当たり213円の超廉価だけにつられて、されど全くなんの期待もせずにネットで購入してちびちび聴いていると、これが意外なことにちょいと面白かったのである。

いちばん面白かったのはかねて定評のあった第10番のシンフォニーであるが、その他の交響曲も細部の表情へのこだわりがなるほど、ここんとこをこういう風にやっているのか、とその解釈の当否は別にして、私ははじめてこのサーと呼ばれる指揮者のことを、サー、ラトルねえと疑問符を付けずに理解出来たような気がしたのであった。

そんあある日、FM放送で彼のくるみ割り人形とブラームスの4番を立て続けに聴いた私は、これがあのサーねのサイモン選手かと驚き、まるでカラヤン全盛時代を思わせる大迫力で熱狂的な演奏を繰り広げているベルリン・フィルにも一驚したのであった。

さよう、彼は昔の彼にあらず。ラトルはもはやどのような新録音も無視できない「ほんたうのマエストロ」に突如大変身してしまったのである。私はベルリン・フィルが一カ月3千円ほどで公開しているライブ映像を視聴したいのであるが、残念ながらパソコンから音声が出なくなってしまったのでそれも叶わず、こんな隔靴掻痒の雑文を書き飛ばしている次第である。


人間風情に毛虫と呼ばれる筋合いはない 茫洋

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カルロス・クライバーの1991年のウィーン・フィル演奏会ヴィデオを見て

2011-05-17 08:46:05 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第199夜


これはモーツアルトのハ長調K.425とブラームスのニ長調Op.73の2つの交響曲が楽友協会ホールで演奏されたもので、1993年にレーザーディスクで発売されましたが、現在はDⅤDになっています。

リンツの第1楽章ではクライバーの動きが緩慢であまりやる気がなく、見ているほうが心配になりますが、第2、第3楽章になると徐々にエンジンがかかります。この曲は弦と管が同じ旋律を交互に繰り返す箇所が多いのですが、マエストロはその都度当事者にこのメロディをよく聴くように指示しているのが印象的で、両翼にヴァイオリンを配置した楽器編成がその楽想と演奏効果を高めています。第三楽章ハ長調四分の三拍子のメヌエットを聴いているとさながら天国にある思いです。

クライバーのモーツアルト録音はあと変ロ長調K.319を残すのみで、おそらく生前に完璧にレパートリーに入れていたはずの主要交響曲とオペラを聴けなかったことは残念無念の一語に尽きます。

さてプログラム後半のブラームスになると顔つきも意気ごみも指揮振りも全盛時代を彷彿とさせるダイナミックな指揮振りに圧倒されます。しかし第一楽章アレグロ・ノン・トロッポ、第二楽章アダージョ・ノン・トロッポ、第三楽章アレグレット・グラチオーソまでは金管楽器の咆哮などはいっさい聴かれず、例えば第三楽章でチエロのピッチカートに乗ってオーボエが独奏する箇所などさきほどのリンツと同工異曲の管と弦の協奏、掛け合いがオケの腕の見せ所となりますが、クライバーの指揮はこの両者に対する強弱のコントラストのつけかたが非常にデリケイトなのです。

他の凡庸な指揮者、例えば小澤征爾が同じウィーン・フィルを指揮した同じ二番シンフォニーの同じ箇所では四分の四拍子を四分の二拍子くらいの前傾姿勢で慌ただしく振っているために、ブラームスの総譜を輪切りにした音楽の内部構造、その極度に内省的なハーモニーの美しさなどは急行列車に黙殺された礫岩のように置いてけぼりにされ、そんなに急いでどこ行くのという外面的な勢いだけの内容空疎なブラームスに堕すのですが、緩徐楽章のピアニッシモの超絶的な美しさをここまで深掘りしてみせたマエストロは、他にチエリビダッケあるのみ。フルトベングラーもクレンペラーもカラヤンもバーンスタインも、これほど恐るべきニ長調は演奏できませんでした。

しかしさしものウィーン・フィルも最終楽章のアレグロ・コン・スピリートに突入するとすでに疲労困憊の極に達しており、獅子奮迅のクライバーが鬼神も啼けとばかりにコーダの絶叫を命じても、笛吹けど踊らずのポンポコリンの狸たち!
ああついに世界一、二を争うトップオーケストラも、天才指揮者の脳裏で鳴り響いている前人未踏のブラームスの大歓喜を現前できず、無情にも終局を迎えるのでした。

従ってこのブラームスの演奏は、彼らが実際に音にできた音楽によってではなく、むしろ演奏しようとして果たせなかった未聞の音、不可能の音楽の暗示によって偉大とされるべき演奏と評すべきでしょう。


遠つ国より訪れることを止めし人うべないつつも憎くもあるかな 茫洋



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