あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

箱根羈旅歌

2012-05-31 10:28:31 | Weblog

ある晴れた日に第109回


新しき光求めて旅に出ん

しょうぐわい者と老母の介護に追われたる妻に恵まれし一泊の旅

ユニクロの980円の緑色のポロシャツを着て箱根行きけり

風が吹き小雨落ち来る強羅坂公園目指して君と登る

吹上の水は碧の池に落ち深紅の薔薇は今盛りなり

窓近くつばくら飛ぶ宿に泊まりけり

箱根来て山の宿より見上げれば翠の山に白き霧湧く

箱根路の山の上なる宿に来て妻と憩えばつばくらめ鳴く

箱根路をわれ越え来れば青嵐山より里へ激しく渡る

箱根路の宿の露天より見上ぐれば山頂近く稲妻光る

腰白きつばくら低く飛びゐたり箱根町立仙石中学校

三年振りに湿生花園に来て見たら耕君の好きなコウホネが咲いていたよ

どこよりも我が家が一番と思うが旅の終わりなるべし


二人して光を観んか喰らわんかくわんかう旅行は楽しいな 蝶人

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サム・ペキンパー監督の「昼下がりの決闘」を見て

2012-05-30 18:07:11 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.255

わたしの大好きなサム・ペキンパーが、わたしの大好きなジョエル・マクリーとランドルフ・スコットを起用して演出した1962年制作のB級西部劇である。

ペキンパーのどこが好きかといわれると、このひとのいかにも凶悪そうな「名前」と、実際にの顔がもたらす「怒涛の狂気の映像」が好きなのだが、本作のごとく得意中の得意のはずのその狂気が全然登場せず、単なる凶器にとどまっていてもそう嫌いではない。期待外れの楽しさもまたその人と映像ヘの愛なのだから。

それではジョエル・マクリーとランドルフ・スコットがどうして好きかと問わるれば、彼らがガンベルトが似合う大人の西部劇役者であるという点につきるので、アランラッドやアンソニー・パーキンスなどは西部劇とは縁もゆかりもない俳優なのだ。

映画の最後でいったんは仲たがいしたこの老いたる旧友は、ならず者たちと4対2の決闘をするが、その武士の作法に似た冷徹なたたずまいにやはりペキンパー一流のなまなましいリアリズムが透けて見えるのである。




      ユニクロの980円の緑色のポロシャツを着て箱根行きけり 蝶人
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国立劇場開場45周年記念「三人吉三巴白波」のビデオを見て

2012-05-28 08:44:16 | Weblog


♪音楽千夜一夜  第258回

国立劇場開場45周年記念公演として2012年新春歌舞伎で演じられたのが、河竹黙阿弥原作「三人吉三巴白波」の通し狂言だった。

4幕7場の全幕を演じたのは、和尚吉三が松本幸四郎、お嬢吉三が中村福助、お坊吉三が市川染五郎という主役トリオだったが、もとより黙阿弥の代表作品の面白さを味わうぶんに過不足はないものの、役者の演技といい、長唄、義太夫の演奏レベルといいどうしようもない弛緩と質の急激な低下を感じた。

わたしは清元志壽太夫が世を去り、歌右衛門、芝翫が亡くなり、最高の音質を誇る歌舞伎座の取り壊しが決まって以来、歌舞伎見物に出かける機会がほとんどなくなってしまったが、それにしてもこのライヴ映像記録に見られるこの三人組のつまらなさはどうだろう。

幸四郎は大学生時代とかわらぬ皮相な謹厳実直ぶりだし、いくら力んでも腹から声が出ない染五郎、女形としての色香が皆無な福助の揃い踏みからは、江戸歌舞伎の豪華絢爛な栄華の片鱗すら漂ってこない。

わたしがいま見たいは亀治郎改め猿之助と香川選手改め九代目中車が出る歌舞伎公演だけだが、玉三郎、吉右衛門、海老蔵、勘三郎などがぐあんばっているいま、更なる精進が望まれる。



その文を読めばその音楽を聴きたくなる吉田秀和翁みまかりぬ98歳 蝶人

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独ヘンスラー盤「バッハ大全集」を聴いて

2012-05-27 10:17:44 | Weblog


♪音楽千夜一夜  第257回

 ドイツのベーレンライター社が刊行する新バッハ全集の楽譜によるバッハ作品のすべてを網羅した唯一の「大全集」です。このヘンスラー・レーベルの制作した完全な全曲盤の監修は、バッハの研究者でもある指揮者ヘルムート・リリングの手で行われました。

数か月に亘ってバッハが作曲した全ての曲を聴き終えての感想は、当たり前のことながら、この人は神の前にぬかずく敬虔な信徒であり、朝から晩まで神様への音楽の捧げものを贈り続けた聖職者であったという一事です。

従って彼が日課として作りつづけた宗教音楽、とりわけカンタータこそ彼にとってもっとも重要な仕事であり、この膨大な音楽作品を聴けば聴くほど彼の日々の篤信に頭が下がります。

 オルガンなどの鍵盤楽器による作品、あるいは管弦楽のための作品も基本的には神のみいつをほめたたえるためのオードであり、このように考えてくるとグールドのゴルドベルクのような信仰とは無縁ないわゆるクールな現代感覚による演奏は、恣意的であるのみならずことさら反バッハ的で異端的な解釈と演奏であるように感じられます。

 健全な肉体の上に突如癌細部のように出現した美しい悪の華に驚いた日本の音楽関係者が、かの吉田秀和翁ただ一人を除いて一斉に黙殺しようとしたのは決して彼らの不明ではなく、むしろ彼らの叡智による穏当な選択であったと肯えるような、そういう燻銀の演奏の数々です。

もちろんシュバイツアーやリヒターやリヒテルの演奏が神への信仰に裏打ちされており、グールドや鈴木雅明の演奏がそれを感じさせないからといって、彼らの演奏の芸術的価値に何のかかわりもないことは自明の理ですが。

それはさておき、御大リリング指揮バッハ・コレギウム・シュトゥットガルトをはじめ、カイ・ヨハンセン、マルティン・リュッカーのオルガン、トレヴァー・ピノック、ロバート・レヴィン、ロバート・ヒル、エフゲニー・コロリオフのピアノやハープシコードによる現代楽器による秀れた演奏&素晴らしい録音によるCD172枚が、邦貨2万990円で入手できる平成の黄昏の福音を改めてかみしめたことでした。

一芸に秀でていても駄目ですか? 蝶人
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「山本周五郎戦中日記」を読んで

2012-05-26 09:32:35 | Weblog


照る日曇る日第516回


本書には1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃の日から1945(昭和20)年2月4日までの日記が全文復刻されている。

当時彼は38歳。東京大森の馬込文士村に居を構え、連夜の空襲の中を防空壕と行き来しながら代表作となる「日本婦道記」などを雑誌に連載していたようだが、空襲を今か今かと待ちながら彼は「鉄兜をかぶって玄関先で小説を書き」、空襲警報が鳴ると組長として隣組を駆けずりまわって避難させ、敵機が去るとまた原稿用紙を広げ、ヒロポンを打ちながら徹夜して書きまくという日々が続くのである。

この頃の出版社は用紙が配給になり短編の依頼ばかりだったようだが、作家は愛する妻子のために、否それ以上に鬼畜米英と戦う祖国と同胞のために、彼の最善の小説を書くことをもって彼の戦争とみなしている。ここでは書くことが最前線で敵と砲火を交えている兵士の戦闘と完全に等価になっており、空襲で死ぬことも恐れぬ文字通り「決死の文学戦争」が書斎で戦われていたことが分かる。

 昭和19年11月9日には「スターリンが革命記念日に日本を侵略者と断言した。この事実の重さを責任者は正当に理会しているのか」という記述があるが、著者の願いも空しく当局はソ連に対する備えを怠り、昭和20年8月の対日宣戦と南樺太や北方領土の不法占領を許したことを我々は記憶し続けなければならない。

 「己には仕事より他になにものも無し、強くなろう、勉強をしよう。
 己は独りだ、これを忘れずに仕事をしてゆこう。
神よ、この寂しさと孤独にどうか耐えてゆかれますように」(昭和19年10月19日)

「しっかり周五郎」と綴った著者だったが、この日記が終わったあとの3月には東京大空襲で長男が行方不明となり、5月には愛妻を喪う。作家の命懸けの戦いは、その後も長く続いたのである。


過去に向きあうなんてそんな恐ろしい事あっしにはできまへん 蝶人

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ジョージ・シドニー監督の「愛情物語」を見て

2012-05-25 07:21:07 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.254

これは今までに何回か見ている映画で、でもやっぱりキム・ノヴァクは色っぽくていいなあ、どこか謎めいたところがあるのがまたいいなあ、きっといろんな男といろんなことをしてきたんだろうなあ、とか、彼女の「手が綺麗な男が好き」というセリフはおいらもどこかで言われたことがあるなあ、とか、強風が吹くと凶事が起こるというのはちょっと古臭いクリシェだなあ、とか、せっかくのショパンの夜想曲もカーメン・キャバレロによってこういうふうにズンタカズンタカ弾かれてしまうともう俗悪すれすれだなあ、とか、おや、このピアニストが最初に故障した指は確か右だったのに、いつの間にか左手を痛がっているのはどういうわけなんだろう、とか、実在した主人公のエディ・デューチンは甘いマスクと清潔感を漂わせているのに、どうしてタイロン・パワーのような脂ぎったオッサン役者を起用したんだろう、とか、でも映画の中で主人公が息子と最終的には和解できて2人で連弾するとこはなんだかグット泣けてきたなあ、とか、とかとんとん思っているうちに主人公が白血病で死んでしまうと可哀想で涙がチョチョ切れて、しかしこの映画の原題は「エディ・デューチン物語」なのに、いったいどうして邦題は「愛情物語」などというバカげたタイトルなのだろう、とまたしても考え込んでしまったのだった。

お台場がお台場がと二言目には抜かすフジテレビ大地震で即海没する職場のどこが楽しいのか 蝶人


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ロバート・マリガン監督の「アラバマ物語」を見て

2012-05-24 10:27:05 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.253

原題はTo Kill a Mockingbirdで、「モッキンバード(マネシツグミ)を殺すこと」は良くないとこの映画の原作者ハーバー・リーは言いたがっている。物語の場所は確かに60年代のアメリカ南部アラバマ州の田舎町だが、日本の映画会社が勝手に題名を付け替えるのには後々まで迷惑する。「勝手にしやがれ」は「息も絶え絶え」、「大人は判ってくれない」は「400回の殴打」であるべきだ。

さてさて、この映画の表向きの主題は「南部アメリカにおける人種差別問題の告発」であり、無実の罪で告発された黒人を正義の味方である白人弁護士(グレゴリー・ペック)が身を挺して守ろうとする背筋をピンと張ったお話だが、世の中のマネシツグミ的な存在の大切さをアピールすることこそ、この映画のもっと重要な隠されたテーマなのである。

マネシツグミは南米を中心にアメリカに棲息するツグミの仲間であるが、美しい声で囀り、他の鳥と違って人間に害を与えない鳥らしい。

父親は子供たちに「射撃が上手になって鳥を撃つような日がきても、無害なマネシツグミだけは撃ってはいけない」と諭すのだが、じつは孤立無援で村八分にあいそうになる父親の危機をその裏側で救うのは、彼の幼い愛娘であり、その隠れた友人の知的障碍者(ロバート・デュバル)なのである。

この映画では、喰うか食われるか白黒激突の修羅場を危機一髪の瞬間に割って入り、その対立を思いがけない方向から解消するのは、「弱くて無力なモッキンバード的な存在」であることがワーグナーの「パルシファル」のようにものやわらかに示唆されている。

 それにしてもこういう局面で命懸けで戦う正義漢を演じたら、我等のグレゴリー・ペックに敵う者はいない。無実の罪に問われた青年を弁護して引き上げる弁護士を称えて2階席の黒人の全員が起立するシーンは、思わず涙が出るほど感動的だ。


新しいバベルの塔が建ちましたいさあさ皆さんご一緒に 蝶人
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小津安二郎監督の「お早よう」を見て

2012-05-23 07:23:04 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.252

1959年制作の「彼岸花」に次ぐカラー映画だが、最新型のデジタル・リマスターで鑑賞したので、屋外も室内も洋服もインテリアも驚くほど精妙で美しい。

出てくる場面はいつもの廊下と突き当たりの玄関、4丈半と6畳の居間なのに、例えば時計と花瓶とが補色関係でカラーコーディネートされていて、物語の内容や進行は別にして見ている目が見ることの快楽で打ちふるえていることがわかり、それが小津映画の本質であり、小津を見ることのせつないよろこびそのものなんだ。

で肝心の内容の方だが、向こう三軒両隣のおばはんとかその息子なんかが出てきて、おでこをつついたら屁がぷーと出るとか、家でテレビを買ってくれないのでむくれているうちに笠智衆の父親に起こられて沈黙ストライキに入るというような他愛もない話で、その他愛もない話を血が咲きの茅ヶ崎の旅館に籠った野田高梧と小津が酒も飲まずに鉢巻き巻いて必死で書き継いだ笑話だから、あまりにも理知走り過ぎている。

そもそもが「東京物語」のような深刻な大テーマの映画ではないので、むしろあんまり面白くもない軽喜劇をさらり作りおおせたというところに、この類を見ない大人の監督のいわゆるひとつの至芸を見たと思ったらよろしいのだろう。


口丹波春の綾部の寺山にふわり浮かびしギフチョウの羽根 蝶人
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ドナルド・キーン著作集第2巻「百代の過客」を読んで

2012-05-22 09:19:43 | Weblog

照る日曇る日第515回

1983年から84年まで朝日新聞に連載されて読み、選書版で再読した覚えがあるが、3度読んでも汲めど尽きせぬ文芸と人世の叡智の泉を満々と湛えているのがこの1冊である。

文句なしに素晴らしいのは本書の斬新な問題意識で、838年の円仁にはじまり1854年の川路聖謨に終わる千有余年に記された日記を総覧し、百代の時は移れど未来永劫変わることなき日本人の密やかな心奥の声を聴き取ろうとする気宇壮大な研究手法は、まことに豊かな見事な収穫をもたらしている。

本来ならわが国の学界の泰斗がやるべき壮大な事業をやりおおせたのがなんと碧い目の一学徒であると知ったわたしたちの衝撃は大きかったが、大戦中に本邦の兵士の郷里への手紙に接し続けた著者にとって、それは運命的なライフワークでもあった。

さて内容であるが、円仁の「入唐求法巡礼行記」から紀貫之の「土佐日記」、「蜻蛉日記」「紫式部日記」と続く平安時代、そして「建礼門院右京大夫集」に始まる鎌倉時代には、これまでに読んだこともある女流作家の日記なども散見されて、それらの梗概を読むだけでも興味深い。

しかし平安時代の掉尾を飾る日野名子の名編「竹むきが記」以降、およそ2世紀にわたって女性による日記が1冊も残っていないのはどうしてだろう? 南北朝の戦乱を経て室町時代に入っても足利義詮や宗祇、正徹、一条兼良などを除いてめぼしい日記は書かれていないが、これは応仁の乱による大乱大混乱の影響もあるのだろうか。

「伊勢物語九」に出てくる三河の八橋と杜若の挿話は尾形光琳の屏風絵でも有名であるが、1567年に当地を訪れた紹巴の「富士見道記」によると諸国の旅人が八橋の橋柱を全部引っこ抜いて名所旧跡の欠片も無かったという。

著者もいうように、日本人の天然自然と人世観に対する近代的個我が目覚めて自在闊達な表現を繰り広げるようになるのはやはり近世には突入してからで、江戸時代のみならず全ての時期を通じて最高の芸術的達成として光り輝いているのが松尾芭蕉の「おくのほそ道」であることは当然至極だが、長崎の出島を旅した司馬江漢が行きがけの駄賃に鯨船に乗って鯨捕りに参加した話や、息子の嫁の献身のお陰で「南総里見八犬伝」を完成させることができたと呟いている「馬琴日記」、そして私が最も尊敬する幕末の政治家と私が最も愛するロシアの作家ゴンチャロフとの歴史的な遭遇を素描した川路聖謨の「下田日記」も深々と心に沁み込む佳編で、これらの感動的な叙述の中に、このたび晴れて本邦に帰化された著者の日本及び日本人への尽きせぬ慈愛を感じ取る向きも多いだろう。

なお藤原定家の「明月記」には、彼が19歳の年(治承4年)に書かれた「世上乱逆追討耳に満つと雖も、之を注せず、紅旗征戎吾が事にあらず」という白居易を踏まえた有名な文章が出てくる。これを私は、若き定家の「幕末福沢諭吉風非政治的アカデミー宣言!」と解釈して粋がっていたのだが、とんでもない。

著者によれば、実は彼が実際にこのくだりを書いたのは、後鳥羽院が北条家の転覆を謀った承久の乱の後である。また紅旗は「天皇」、征戎は「征夷大将軍」を意味しており、定家は「そのいずれにも靡かなかった」と告白しているというのである。

「1人の青年が自己の将来に関して選んだ態度の表明というよりは、一人の老人が表明した己の人生評価だったのである」という碧い目の著者の解説を読んで、私の金環日食の残像が残る目から幾枚かの鱗が落ちたのだが、これこそが本当の学者の研究というものだろう。

通史の書けない歴史家は蛸壺の中の蛸だ 蝶人
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ジョン・ウー監督の「ペイチエック 消された記憶」を見て

2012-05-21 07:29:37 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.251

数週間前に確かに見たはずなのだが、その部分の記憶を消されてしまって何も覚えていないから、おそらく下らない映画だったのだろう。ユマ、サーマンが出ていたことは覚えているが、べつにどおってこたあない。

仕方がないから浮きペデイアからそのまま引用してみると、「今から遠くない未来の話。フリーのコンピューターエンジニアのマイケル・ジェニングスは、プロジェクトを完成させる度に、機密保持のためそのプロジェクト期間の記憶を消されていた。そんなある日、大企業のオールコム社から100億円もの大金を報酬に提示される。その代償は3年間分の記憶。しかし、記憶を消した後のマイケルが手にしたものは、19個のガラクタが入った紙袋だけだった。さらにマイケルは、FBIやオールコム社のエージェントに追われ始める」といういちおうフィリップ・K・デイック原作の近未来SFだったらしい。

「男たちの挽歌」のジョン・ウーもハリウッドにやって来ていろいろ苦労しているようだ。映画で食べるのも大変だ。


置き石のために横須賀線遅れたりその石置きたる人の心の暗闇 蝶人


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ビクター・フレミング監督の「風と共に去りぬ」を見て

2012-05-20 14:16:14 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.250

原作を読んだことはありませんが、お話も映画の作りもかなりゾンザイなもので、どうしてこんなウドの大木のようなぬるい3流映画が世紀の名作扱いになっているのが不可解ですが、マックス・スターナーのテーマ音楽、アトランタ駅前の大俯瞰やビビアン・リーとクラーク・ゲイブルのなかなかの好演、なによりも辣腕デビッド・セルズニックのプロデュース力に依るもんでしょうな。

特にビビアン・リーは彼女のほんらいの性格を地でいった感じで、もともと演技は下手くそだけどここでは実力以上の存在感を発揮しています。

しかしこういうビビアン・リーというかスカーレット・オハラというような手合いは、南部のハイソサエテーならずとも昔からどこにでもいる嫌なやつですな。普通なら誰も見向きもしないが、たまたまちょいと美人だと男どもがちやほやして寄って来る。クラーク・ゲイブルなんかは、(撮影中にリー嬢から口が臭いと非難されていたようだが)、ついつい手が伸びて、結局お互いの貴重な人生を無駄にしてしまう。世間でまっとうなのはアシュレーとメラニー選手の方で、哀れと言うも愚かな気狂い御両人である。

されどあれだけ周囲に迷惑と面倒を掛ければ、さしものゲーブル選手だってもう帰ってきやしない。やれやらこれでお前さんも一貫の終わりかな、と思ったら、まだまだタラがある、とくらあ。大地主はいいね。

そんな便利なタラがあったら、ちょいとこちとらにも分けてくれえ、と言いたくなる。見たことも読んだこともないけど、さだめし続編ではまたぞろゲーブル選手に秋波を送るんでしょうな。

ところで東京生まれのオリビア・デ・ハビランド選手は、御年95歳で健在だとか。長生きしたもんが勝ち。ですかな。


しょうぐあいのある人が盲目にならぬよう月曜日には雨が降りますように 蝶人
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クロード・オータン=ララ監督の「赤と黒」を見て

2012-05-19 12:36:00 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.249

スタンダールの原作による1954年制作の仏伊合作映画でこのたび色鮮やかなデジタルマスタープリントに仕上がった。なんせ有名な大作家のネタの映像化であるし、美男ジェラール・フィリップと美女ダニエル・ダリュー(御年96歳で健在!)の競演だから文句のつけようもないが、世評の高さと裏腹に小説も映画もどうということはない。

原作が階級闘争を描いた社会主義小説の嚆矢だなどと嘯く文芸評論家もいたようだが、さあそれはどうでしょうょうかねえ、小西さん。王政復古の腐敗と堕落を鋭く抉って7月革命を幻視したなぞというふやけた結果還元機能法なぞにたやすく依存しないよう気をつけてください赤頭巾ちゃん。

面白いのは主人公のジュリアン・ソレルが、いつも世が世ならば「赤」服を着てナポレオンの指揮下で勲を立てたと切歯扼腕することで、仕方なく黒い僧服を纏って貴族の女をたぶらかすわけだが、ここら辺はスタンダールことアンリ・ベールの実体験をなぞっているのだろう。この人はヴェートーヴェンと違って最後まで奈翁に対する幻想から抜けきれなかった最後の浪漫主義者であったのかもしれない。

もう映画なんか明後日のほうへ飛んでしまったが、スタンダールで面白いのは大岡昇平選手が激賞する小説ではなくて、自伝と音楽論と恋愛論くらいか。映画と違ってこれだけは「いくばくかの読者を幸福にする」こと請け合いである。

スタンダールは政治などにはトンチンカンだが、女を愛することにかけては天下一品だった。別に彼がいち抜けても、フランス文学史は全然困るこたあねえわな。


スマホもfacebookも要らないでしょ、ホントは 蝶人
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イサベル・コイシェ監督の「エレジー」を見て

2012-05-18 14:10:19 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.248

フィリップ・ロスの原作をイサベル・コイシェが2008年に映画化した老いらくの恋の物語です。

古希に達した大学教授の主人公ベン・キングズレーが、花も恥じらう女子学生ペネロペ・クルスを落として朝な夕なにもてあそぶのだが、そのうち世間でよくあるように立場が逆転して突然ぽいと捨てられてしまい、身も世もなく毎日毎晩よよと泣き崩れる。その失楽園オヤジを慰めるのがなんとデニス・ホッパーでこれが彼の遺作となりました。

ところが若い男に走ったペネロペ嬢がある夜突然70爺に電話してきて、やっぱあなたが忘れられないわなぞとほざいてまた撚りを戻すという与話情浮名横櫛なもうやってられません、見てられませんなお噺。私はベン・キングズレーも嫌いならペネロペ嬢のからだのどこにも魅力を感じられない不幸な男なので、まったく感情移入することなくみ終えた次第です。

気になるのは老爺が若娘を落とす手口です。この映画の爺は教え子が卒業してからパーテーィなどでくどくので、「この狒狒爺、賢いなあ」と思ったのですが、以前私と同じ学校で長く教師をしていた先輩の話では、毎年複数のうら若き乙女が、「先生あたいとホテルへ行こ行こ」と毎年毎年誘ってきたらしい。

けれども私の場合にはただの一回も、そーゆー電撃フリントゴーゴー作戦のような大胆不敵な楽しい肉団子提案なぞ皆無だったので、この話を小耳にはさんだときにはかの9.11よりもあの3.11よりも激烈なショックを受けたのでした。やれやれ。



思い屈したる時は黙っているより発語したほうが楽になるよ嗚呼 蝶人

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リチャード・ロンクレイン監督の「ファイアーウオール」を見て

2012-05-17 14:00:55 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.247

いつのまにか70歳になんなんとするハリソン・フォードをフューチャーした06年制作のサスペンスアクション物映画です。

大銀行のIT担当取締役を務めるフォード選手は、家族をまるごと自宅で人質に取られて顧客の口座から大金を盗むように脅迫されます。

はじめは老いたる処女兎のごとく大人しくしていたフォード選手でしたが、最後はぶよぶよと肥った老体に鞭打って若い犯人とはらはらドキドキの格闘を演じ、なんとかかんとか愛する家族と盗まれた大金を取り返すのですが、もうインディジョーンズ時代とは違うのに、同じようなタフガイを演じることを強いられているスターもつらいものです。

実入り無き息子が贈りしカーネーション病の母を強く慰む 蝶人
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今井正監督の「仇討」を見て

2012-05-16 10:04:28 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.247


なんといっても中村錦之助が圧倒的に素晴らしい。名監督に頤使された大根役者がかくも迫真の演技をもたらすとは、かの川島雄三における石原裕次郎に相似たり。さすがは今井正なり。橋本忍の脚本が良く出来ているが黛の音楽はシナエリオに付き過ぎ。どうせアルバイトの仕事だが、こういう微細な技術はとうてい武満には敵わない。ここでも三島雅夫が好演している。

 ふとしたもののはずみで2名の上級武士を剣で斃してしまった馬廻りの次男坊錦之助が、なんの落ち度もないにもかかわらず藩の役人のご都合主義で仇討ちされるという大チャンバラ悲劇。ラストの猛烈な血刀を大車輪で振り回しての決闘は思わず手に汗握るすさまじさであるが、楚々とした許嫁の三田佳子の白いうなじに挑発された錦之助が、思わずむらむらとなって納屋に連れ込んでらんばうしてしまうエピソードも忘れ難い。

で、今井正は、事が果てるまで女の声だけを聞かせて庭の数羽のちゃぼがえさをついばむシーンだけをしばらく映しているのであった。チャンチャン。


世の中は所詮金なりとく消えよ金なくば生きてゆけぬこの世の中 蝶人
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