蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 262
ある夜、こんな夢を見た。
「講談社の新男性誌が創刊され編集長のハラダ氏から原稿を依頼されたのでしばらくしてから送稿したところ、「すんまへん、ダブルブッキングで他のライターに書かせてしまいましたあ」というメールが来たので、頭に来て彼の上司の常務に文句を言うたら、速攻ハラダは解任されちまった。」
そのあと、ちょっと気になったのでネットで調べてみると、ハラダ氏こと原田さんは、もうこの世の人ではなかった。昨年の9月に58歳で亡くなっていたのだ。
脳出血というからきっと突然の出来事だったに違いない。
築地の本願寺で取り行われた葬儀では、杉山恒太郎氏や篠山紀信氏がよいスピーチをされたと、後輩の方がブログに記されていた。
私も行けばよかったと思ったが、後の祭りだった。
原田さんとどういうきっかけで知り合ったのかはもう覚えていないが、なんとなく面識を得て、会えば挨拶を交わすような間柄になっていた。
講談社の「ホットドッグ」という若者雑誌の巻頭に情報欄があったが、そこで映画感想などを時折書かせてくれたのが彼だった。
若くて美人で頭の切れる羽仁未央さんを紹介してくれたのも彼だった。
その未央さんも2014年に50歳で亡くなった。
原田さんは、いつか浄明寺に住んでいると言っていたので、もしかすると散歩の途中でぱったり出くわすこともあるかなと思いながら、日曜の昼下がりに、浄妙寺近辺の表札を捜すとなく覗いたこともあったが、私たちは知らない間に幽冥境を異にしていたのである。
そして昨日、フェイスブックの友人から同級生の訃報を知らされた私は、またしても言葉を失った。集英社でノンノやメンズノンノ、シュプールの編集長を歴任した山本大介君が今月の5日に亡くなったというのだ。
おそらく昨今のこの国と世界の酷い体たらくに愛想をつかしたのだろう。
まんまるい顔のまんなかに黒い眼鏡をかけ、ずば抜けて背が高く、やることなすこと格好良かったやり手の大介の笑顔は忘れられない。
山本大介君の霊よ、安かれ!
次々に人は死にゆき九月尽 蝶人