照る日曇る日第1807回
1は「いのししが いっぽんみちで みつけた いちご ひとつ」、
2は「ふたごの ふたり 2かいの まどから ふうせん ふたつ」
というように数に因んだ数え歌の絵本で、よても良くできています。
「トマトの とうさん 10がつ 10かに トマトジュースを 10敗のんだ」というのが、最後の10ですが、ともかくなかがわ選手の文がたいへん良くできているのです。
NHKの天気予報はどうでも良いが近藤奈央ちゃんの笑顔が見たい 蝶人
照る日曇る日第1807回
1は「いのししが いっぽんみちで みつけた いちご ひとつ」、
2は「ふたごの ふたり 2かいの まどから ふうせん ふたつ」
というように数に因んだ数え歌の絵本で、よても良くできています。
「トマトの とうさん 10がつ 10かに トマトジュースを 10敗のんだ」というのが、最後の10ですが、ともかくなかがわ選手の文がたいへん良くできているのです。
NHKの天気予報はどうでも良いが近藤奈央ちゃんの笑顔が見たい 蝶人
照る日曇る日第1806回
お馴染みの仲良し姉妹による「ぐりとぐら」シリーズの1冊です。
今回はなんとサンタクロースが登場。ノネズミのぐりとぐらのおうちで巨大なおいしいクリスマスケーキを焼いてくれたのです。
ぐりとぐらの動物仲間はみんな大喜びで、食べて歌って楽しいクリスマスを祝うことができましたあ。
めでたし、めでたし!
「ありがとう」「みんな仲良くしてね」と言うて左川ちかはみまかりき 蝶人
島田龍編「左川ちか全集」を読んで
照る日曇る日第1805回
同郷の詩人仲間の伊藤整はもとより、西脇順三郎、萩原朔太郎、百田宗治、北園克衛、春山行夫などからも高く評価された、左川ちか(1911~1936)の全詩集、小説、評論、翻訳、書簡までも収録した浩瀚な全1冊本である。
将来を嘱望されながら病を得て、24歳で夭折した詩人の天才的な資質とそのモダンな作風は、本書を通読し、島田選手の懇切丁寧な解説を読めば、ただちに了解されるだろう。
ほんとうは遺作の「季節」を記しておきたいのだが、やや長くなるので、彼女の「夏のこゑ」という作品の、冒頭の3行を掲げておこう。
遠く見えるな、遠いな
羅紗のマントにくるまり
霧のやうに紫だ
「詩は言葉の勉強だと思う。併しそれは話すやうな言葉と違って、表面から見えない心の言葉である。思惟の中から選ばれた言葉で空間を充たすことであると思ふ。言ふために言はれた言葉だけの意味を拾ひあげることではなく、何を言はうとし、又何物かを反映しようとすることであらう。最もきびしくそして非常にわづかで、焔のやうに焼切るところの巧さである。沢山の「おしゃべりをしながら何か一つほんたうのことを言ふことでもあり、或いは背後から追ひかけてゆくことでもある。」(「樹間をゆくとき」より引用」
というのが、彼女の詩論の要諦であろうが、「焔のやうに焼切る」、そして最後の、「(ほんとうを)背後から追ひかけてゆく」というのは、いかにも優れた実作者の言葉だと思った。
ドルを売り円を買うのはシシュポスが大なる岩を運ぶに似たり 蝶人
ある晴れた日に 第702回
ぼく、クレソン好きですお。
お母さんも。クレソン食べようか?
いやですお。
コウ君、今日は3人でどこ行くの?
図書館行ってえ、それからセイユー行きますお。
分かりましたあ。
ぼく、スズキさん好きですお。
そう。スズキさん、なんておっしゃったの?
分かりませんお。
ぼくはザルソバ好きですよ。
そう、じゃあ今夜食べましょう。
お父さん、わたしはエモトアキラです。
こんにちは、エモトアキラさん。
今日は父の日ですよ。コウ君、どうしますか?
お父さん、ありがとう!
コウ君、どうもありがとう。
いきなり、って、なに?
突然、だよ。
最後を飾った、って、なに?
かっこよく終ることだよ。
転院先、他の病院に移ること?
そうだね。
下らない、って、なに?
面白くない、さ。
ぼく「生きてふたたび」見ますお。
みてね。
手術、麻酔でしょ?
そうだね。
ぼく、セイユー行ってえ、ハス買いますお。
買おうね。
エリートは紀ノ国屋にて中間層は東急、ユニオンわいらあ下層はセイユーで買う 蝶人
照る日曇る日第1804回
2020年7月10日、92歳で卒去した、偉大なる歌人の35番目の歌集にして、遺歌集を読みました。
題名は絶筆の、
ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほしい阿婆世(あばな)といへど
から取られたそうですが、阿婆世の意味はよく分かりません。
まあともかく色々あったけれどいよいよ長い人世におさらばするぞ、というような意味なんでしょう。
で、その内容的としては、総合誌や「未来」に掲載された短歌に加え、いくつかのエッセイや編集後記などを、さながらグリコのオマケみたいに付け加えていますが、いずれも短いものばかりです。
病に苦しめられている高齢者が、詩歌をつくったり、文章を書くことが、どれほど苦痛と困難を極めるか、私は体験的に熟知していますが、それでもなお本書に収録された最晩年の短歌は、往年全盛期のそれに比較すると、その調べも、中身も、かなり貧弱で、残念無念と言うほかはありません。
さりながら、如意ならぬ仕儀に立ち至った糞便と便器を題材とした「便座考」は、自らをドン・キホーテに擬したような、悲愴にして滑稽な味わいをもち、表現者としての勇気も必要とした意義深い作品で、わたくしは身につまされるように味読致しました。
つかみつつ、探るのだ、その軟便を。或いは便座そのものをさへ
さりながら、
二万人を超えたる人が「静」の御題で歌会始へ。咲けよ梅たち
眞子さまのお歌難問と申し上ぐ助詞の爪もて答へ出したが
などの宮廷詩人歌、さらには、「(敢えて言うなら)「君が代」や「海ゆかば」が好きである」とかの発言は、かつての歌人の政治的立場を知るわたくしを、いたく失望させましたし、
左脚つねによろめく。弱いんだなあ昔から左よわ虫!
てふ「自嘲歌」には、「なに、これ?」と、ほろ苦い微苦笑で報いるしかなかったずら。
若き日は左の人も歳取れば次第に右に傾くという好例に数えていいのか 蝶人
照る日曇る日第1804回
高名な作家が文章を書き、有名な絵描きが挿画を担当したら、素晴らしい絵本が出来るかと思うと、てんでそうとは限らないのがこの世界らしい。
須賀選手は心の中に棲んでいる永遠の少年、こうちゃんに向かって、その都度その都度の思いのたけをつづっている。
しかしながら、それはあくまでも内心の呟きにとどまり、時空を統一したひとつらなりの物語のテイを成していないので、相方の酒井選手も苦労の連続であり、それが読者に透けて見えるところがたまらなくつらいのである。
たかが絵本、されど絵本。絵本を舐めるなと編集者にいいたい。
auのケータイなのでauの宣伝メールがじゃんじゃん入るが迷惑メールに指定できないauのケータイ 蝶人
鎌倉国宝館にて「北条義時とその時代―義時と実朝・頼経」展をみて
蝶人物見遊山記 第348回&鎌倉ちょっと不思議な物語 第433回
公凶放送の大河ドラマに便乗して、昨年9月から3期に亘って開催されている北上氏展の最終回を見物しました。
源家の子孫と己の同輩たる御家人たちを、悪辣非道な策動と血塗れのゲバルトで次々に歴史の闇に葬った時政、義時を筆頭とする悪鬼のような一族には、ひとかけらの好意好感を持たないおらっちなれど、この展覧会で驚いたのは、信濃善光寺が所蔵する三代将軍実朝の座像でした。
鎌倉時代の彫刻が、その写実性において近現代のそれに先駆けていたことは周知の事実ですが、この木造の全身像は出色の出来栄えで、とりわけその老成した顔貌の中軸に位置する、何も見ていない、いな己の夭折を覚悟していた、うつろな両眼の「虚無」が素晴らしい。
それは、北条一族の政治的策動にデクノボウのように振り回され、その政治的野心を踏みにじられて和歌の道にしか希望を見いだせず、ついにはむざむざ横死するみずからの悲運を、鮮やかに象徴しているようでした。
なお本展は、残念ながら去る10月23日に終了していますので。
どら猫かカラスか蛇に食べられてただ1匹のメダカが残った 蝶人
「夢は第2の人世である」あるいは「夢は五臓六腑の疲れである」第115回
西暦2022年皐月蝶人酔生夢死幾百夜
いつの間にか我が国も、ロシア並みの専制国家に成り下がっていたので、全国民がどんな書類にでも、「プーチン」とサインするようになってしまった。5/1
「瀕死の詩人たちには、半地下の4畳半に入ってもらうことにする」と、政府が決めたそうだ。5/1
朝から晩まで別の噺をしようと思っていたのだが、ストックがすぐに尽きてしまったので、おなじ噺をちょっとだけ変えて、延々と語る羽目に陥ったが、考えてみれば、これは落語とおんなじだな、と気づいたので、一安心したずら。5/2
モンゴル語学校で最優秀のA君は、確かに語学の天才だったが、余り人望はなく、人々は、成績はナンバー2だが、人間味のあるのB君になついたのよ。5/3
千の天使がバスケットボールをしているので、さっきから呆然と見惚れているのだが、これってもしかすると、中原中也の詩の中の世界ではなかろうか?5/4
暫く前から英国オックスフォード大学に留学していたA君だったが、試験の時にカンニングしたのがばれて、退学処分を受けたのだが、それが本国に伝わらないよう、なんとか内緒にしてくれと頼んで、ようやっと認められたようだ。5/5
朝会社に行くため、かみさんと並んでバスで座っていたら、元パリコレモデルの長身の女が2人の間に割りこんできたので、仕方なく席を立って座らせてやったのだが、朝飯を喰っていなかったので、バス停の前にある一膳飯屋に入って朝定食を頼んだら肉じゃがだったので、それを喰い終わったが、飯もみそ汁も出てこないので、文句を言うたりしている間に、バスは出ていったずら。5/6
「ほなら、これはどうですか?」と言いながら、フルカワが持ち出した不動産は、たった5万円の日比谷公園位の広さの象の親子付きの庭付き10LDK平屋住宅だったが、あいにくケニアの物件だったので、涙を呑んで見送ったのよ。5/7
「諸君、テッテ的に語り合おうじゃないか!」と松田世紀夫クンが言うたが、またか、という顔をしただけで、誰も返事をしなかった。5//8
「月見町で恒例の詩吟会をやるから、一度顔を出しなさい」と言われたのだが、断った。それは第1に、おらっちは詩人ではなく、ただの人だから。第2に、そのテーマが「見渡す限りの春の夜」という奇妙な題名だったからだ。5/9
散歩していたら、俄か雨が降ってきたので、雨宿りしようと思って、急いで分厚い本の中に飛び込んだら、やたら余白が多くて文字数が少ない詩集だったので、だいぶ雨に濡れてしまったのよ。5/10
もののはずみで、人を殺めてしまったおらっちだったが、なんとか無罪放免してもらおうと、家族は町内の人々に嘆願の奉加帳を回覧したそうだが、なんとなんと末の妹が署名していないことが判明したので、おらっちは衝撃を受けた。5/11
パターソンの町をぶらついていたおらっちだったが、「そうだ、今宵のライブに出演する会場の下見をしておこう」と向かったがまだ準備ができていなかったので、さらにあちこちほっつき歩いているうちに小便をしたくなったが、トイレが無いのでさらにさ迷っているうちに迷子になってしまった。5/12
ひともうらやむほどの功なり名を遂げたセイさんが、糟糠の細君と莫大な資産を弊履のように投げ捨てて、無名の乙女と山谷の木賃宿に潜入したとの報に接した時、余は、干天の慈雨を浴びた如き一服の清涼感を覚えたのであった。5/13
「夕方になったら帰ってきてね」と彼女は言うたのだが、いくら街で暇つぶしをしてもカンカン照りで夕暮れにならないので、仕方なくおらっちが家に戻ると、1羽の鶴が機を織っていた。5/14
2022年5月15日、一介のリーマンのおらっちは、往来で1匹のウスバカゲロウを呑みこんでしまったのよ。5/15
おらっちは高嶺の花の彼女を攻略するために、彼女の親友のスタイリストのイヌバシリ嬢を籠絡して、彼女の愛犬のブルドッグが♀なので、それとつがわせる♂を持ちこんで、お見合いさせる機会に、彼女とお近づきになろうと計画したのよ。5/16
おらっち超満員のバスに飛び乗ったんだが、外に押し出されてしまい、かろうじて手すりに捉まったままバスに引きずられるようにして、次のバス停まで走っていったのだが、死ぬかと思ったずら。5/16
本日は午前中に2本の発表を聞かされるのだが、それが嫌で日本橋方面をぶらついているうちに昼になったのでウナギのまむしを喰うたら少し元気になった。午後からはおらっちの発表だから急いで戻ると、おまんた学会は案の定大騒ぎになっていた。5/17
明治時代に来日した御雇外国人の建築家のなかでも、その男はユニークで、建造物の周りを、白い鳥で装飾するという、不思議な白鳥様式を、得意にしていた。5/18
この国に留学生としてやって来て、この牧師館の厄介になっていたおらっちだが、もうひとりの同胞が時々台所から食料を盗んでいることを知って、激しく憎んだ。5/19
「東京大阪名古屋福岡のマンションを比べると、名古屋のそれがいちばん隣の部屋との壁が薄い」という人物がいたが、おらっちは生まれてこのかた、マンションなんかに住んだこともないので、嘘かほんとかてんで分からんずら。5/20
奈翁の末裔だというので、いくたびも彼の容貌やら身体的特徴を精査してみたのだが、結局、その片鱗さえも確認することが出来なかったずら。5/21
その草っぱらで、野球をやる時にどうするかと言うと、おもむろに地下からベースが浮上してきて塁を構成し、試合が終わると、元のように沈んでいくのだった。5/22
リーマン時代の会社の仲間から誘われて、場末の居酒屋にやってきたおらっちだったが、大嫌いな煙草の煙がモウモウと漂う汚らわしさに辟易して、すたこらさっさと逃げ出したのよ。5/23
ふと眼を上げるとそこにはヒラツカ氏がいて、「君に初めて会ったのは、確か2008年の4月だったな」と言うたので、ああそうだったのか、でも良く覚えている人だな、とその時思ったのだった。5/24
私の部下たちは、私が指導者としては無能で失格であることを知っていたので、それを忘れるために、毎朝会社の始業時間の前に運動場を全力で走って気合いを入れていることを知って、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。5/25
米中露朝などの先制攻撃ロボ開発競争にあって、今年の世界ロボット大会の話題をさらったのは、専守防衛機能に特化された我が国の最新型のヒューマン・ロボコップだった。5/26
久し振りに夜の繁華街に出たら、ホテルでなんたら記念の祝賀会をやっていたので、なんなく紛れ込んで、たらふく飲んだり、ごちそうを頂戴したりしてしまった。5/27
突如ロシアとの戦争が始まったので、環境問題NPOから指名された私は、戦艦に乗って北方領土の自然環境についての、命知らずのリサーチをすることになった。5/28
悪魔島のまわりの海の中には、数多くの潮流が川のように流れているので、その水流の動向を熟知していないと、一人前の漁師にはなれなかった。5/29
あれほど清潔だった工場なのに、稼働して半年も経たないうちに、トイレから流れ出た小便やウンコが、フロア全体に垂れ流しになって、二目と見られぬ醜く臭い光景と化していた。5/30
生まれて初めて仲人を頼まれた私は、山の上ホテルに双方の家族を招いて、会食することにした。定時に全員が集まったので、私は立ち上がって、彼らを紹介しようとしたのだが、なんということか、いくら頭をひねっても、彼らの名前が出てこないので、弁慶のように立ち往生してしまった。5/31
なんぼ安うても中国の食料品だけは買うまいと妻と決意を新たにしたり 蝶人
照る日曇る日第1803回
大昔に読んだ活版の活字で組まれた文庫本で白秋を読むのも乙なものである。ましてや神西清選手による熱のこもった浩瀚な解説も併読できるとあっては。
氏が説いているように白秋には、詩人、歌人、童謡作家の3つの領域での時期を違えた多彩な活躍があるので、詩集と言うても、他の詩人の詩集のように単純な要約は難しいが、この小冊子では三者三様の作品の中のエッセンスをバランスよく並べてあるので、読んで退屈する暇がない。
はじまりは処女作となった超力作の「邪宗門」、次が日本古来の歌謡の伝統にお仏蘭西趣味をスパイスした「思ひ出」、有名な「パンの會」最盛期の「東京景物詩及其他」。
それから例の姦通事件のあおりを受けた「眞珠抄」「白金ノ獨楽」、次は老荘思想の影響を反映した「水墨集」、短歌に情熱を燃やした時期の「海豹と雲」、最後に白秋をして国民的詩人に押し上げた「歌謡」の代表作という顔ぶれであるが、戦争協力のお先棒を担いだ時期の「海道東征」や「元寇」などが完全に抜け落ちているのは残念である。
これら傾向の異なる諸作のうち小生がいちばん好きなのは、中原中也に大きな影響を与えた「思ひ出」の「「青いソフトに」、「水墨集」の「あそび」、人口に膾炙した「からたちの花」、そして「邪宗門」に収められたこの小唄である。
空に眞赤な雲のいろ。
玻璃に眞赤な酒のいろ。
なんでこの身が悲しかろ。
空に眞赤な雲のいろ。
「なかなか良い挨拶だったじゃないか」と大沢のおじは誉めてくれたり父の葬儀で 蝶人
フリッツ・ラング特集~西暦2022年神無月蝶人映画劇場その4
闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3050~61
1)フリッツ・ラング監督の「М」
1931年の独逸製探偵映画で、犯人役でのちにヒットコック作品でも活躍するピーター・ローレと彼が口笛で吹くグリーグのペールギュント組曲の「山の魔王の宮殿にて」が印象に残る。
2)フリッツ・ラング監督の「生活の設計」
ヒロインのミリアム・ホポキンスを画家志望のクーパーと劇作家志望のフレドリック・マーチが取り合う1933年のラブコメディ。脚本がノエルカワードなので面白いが映画にしてはしゃべくり過ぎずら。
3)フリッツ・ラング監督の「リリオム」
ヤクザな男と一風変わった女の1933年製の恋物語、なのだが、終幕で男が自殺してなんと天国で裁きを受け、16年の煉獄生活ののち1日だけ地上に戻ることを許されるという意外な展開となる。しかし「痛くならないように妻子を殴った」なんてことで神様がこんな酷い男をヨミしてくれるのだろうか?
4)フリッツ・ラング監督の「激怒」
アホ馬鹿民衆の狂気のために殺されかけたスペンサー・トレーシーの激怒。恋人シルヴィア・シドニーの愛のためになんとか復讐を抑圧するという1936年の奇異なる法廷サスペンス映画。
5)フリッツ・ラング監督の「真人間」
1938年の人情劇。初めは詰まらないがだんだん面白くなる。シルビア・シドニーの「いかに犯罪が割りに合わないか?」の板書しながらの説明がおかしい。
6)フリッツ・ラング監督の「飾り窓の女」
ジョーン・ベネットの魔性の女にぐんぐん魅了されていく大学教授役のエドワード・G・ロビンソン。1944年のフィルム・ノワールの傑作を操るラングの腕前をみよ。
7)フリッツ・ラング監督の「緋色の街」
「飾り窓の女」の翌45年に同じスターの共演で撮影されたフィルム・ノワールの傑作。この2人と悪役のダン・デュリエの配役は絶妙。
8)フリッツ・ラング監督の「地獄への逆襲」
ヘンリー・キング監督の「地獄への道」の続編。ヘンリー・フォンダがジェシー・ジェイムズの兄を演じる1940年のカラーアクション&裁判映画。いかに自首して裁判を受けたとはいえ、極悪非道の殺人犯が無罪放免されたとは妙な話だ。
9)フリッツ・ラング監督の「マン・ハント」
第2次大戦直前の英独の緊張関係を体現した1941年公開のモノクロサスペンス映画。冒頭せっかくヒトラーを狙撃可能な状態であったにもかかわらず、そうしなかったために数々の悲劇が巻き起こり、恋人も拷問死してしまう。んで、最後は今度こそヒトラーを暗殺しようと主人公が英軍機から落下傘で降下するのだがあ。
10)フリッツ・ラング監督の「西部魂」
1941年の西部劇で電信網建設を巡る先住民との戦いなどを描いているが、面白くない。ランドルフ・スコットが出ているのが拾い物というところか。
11)フリッツ・ラング監督の「無頼の谷」
マレーネ・デートリッヒあらくれギャング野郎どもの女ボスをあいつとめまするラング選手の西部劇なれど、あんまり感心しないなあ。デ嬢もアップになると結構下品な顔をしているので嫌になる1952年のカラー映画。
12)フリッツ・ラング監督の「ブルー・ガーディニア」
ヒロイン、アン・バクスターの殺人容疑が最後にあっけなく晴れる1953年のサスペンス物。題名の「青いくちなし」が大活躍する1953年のなぜかモノクロ映画。
この内閣この政党ではもう先がないこの国もまた私たちも 蝶人
山上たつひこ著「追憶の夜」を読んで
照る日曇る日第1802回
漫画で有名な著者が突然小説を書きはじめた頃の超ド級謎解き探偵小説なり。
たまたま殺人犯と犠牲者の家族の双方から捜査を依頼された語り手の私立探偵が、この輻輳した複雑怪奇な殺人事件の真相に向かって異常な熱意をもってどんどん深入りしていくので、読者は、「この先にいったい何があるんだろう?」と、膨らむ期待と一抹の疑心暗鬼を懐きながら、黙ってついていくほかはない。
そして紆余曲折の400余ページを捲りに捲った挙句、とうとうある苦いフィナーレに到達したとき、この作家が、この労作のために費やした努力と労苦、そして果ても無き知的営為の持続に、驚嘆するしかない。
さりながら、その峠の頂上から、遥か下方にけぶる麓をのぞむとき、その基本的なプロットのある種の粗雑さと、描写されるディテールの数多い綻びに、深い溜息をつく読者も多いことだろう。
「書評家」なる肩書を貰いよそ様のふんどし締めて相撲を取ってる 蝶人
主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.136」
西暦2022年神無月蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第423回
○退職社員送別会/社長の感謝のスピーチ
山田恒夫さん、三十年の長きにわたる木下食品株式会社での勤務をまっとうされましたこと、本当にご苦労さまでした。*①
振り返りますと、山田さんにはわが社の商品企画の長として、実に大きな貢献をしていただきました。若い社員の皆さんはご存知ないかも知れませんが、*②山田さんの奮闘努力のお陰で、今日の木下食品があるのだと申しても決して過言ではありません。
例えば現在わが社の主力商品となっておりますインスタントラーメンですが、先行する大手の製品に追いつき、追い越すために他社とはひと味違う新製品を完成させようと、*③当時山田さんをヘッドとするラーメン企画部は不眠不休で何度も何度も試作品作りに取組んだものでした。
キャラメルやチョコレート、菓子パン、クッキー類の製品開発に賭ける山田さんの情熱は素晴らしく、深夜になってもひとり研究に打ち込む山田さんの姿は社員の鑑として非常な尊敬を集めたものでした。
私がゴルフにうつつをぬかしている時にも、山田さんは休日返上で出社していたと月曜の朝、守衛さんがよく言っていました。*④
このように山田さんの敢闘精神は敬服に値するものでしたが、山田さんは単なる仕事の鬼ではありませんでした。彼ほど部下を可愛がり、親身になって面倒を見る管理職は、わが社広しといえどもそうざらにはいません。
プロジェクトを打ち上げるたびにスタッフ全員を自宅に招いて朝まで飲み明かす有名な山田パーティは私も何度かお相伴にあずかったことがありますが、山田さんの豪放磊落な性格そのままに底抜けに明るく、楽しいものでした。
あの伝説の山田パ―ティにもう参加できないと思うと、いちまつの寂しさを覚えます。しかし私たちは、山田さんから素晴らしいプレゼントを頂いたことを生涯忘れることはないでしょう。*⑤
山田さんは腕に覚えのある若く優秀な技術者をどっさり育ててくれました。そして、たとえ前途にどんな苦難が待っていようとも、山田さんが手塩にかけた後継者たちがこれからのわが社をしっかりと支えてくれることでしょう。
過去から現在、そして未来に向かって伸びるわが社の繁栄を築いてくれた山田さんの大恩に改めて心から感謝いたします。*⑥
そして、まもなく第二の人生への第一歩を踏み出される山田さんのご活躍とご健勝を心よりお祈り申しあげる次第です。山田さん、お元気で。そしてたまにはあなたの後輩の活躍をのぞきに来てください。お待ちしております。
あれくらいマスクをつけろと叫んだ奴がマスクなんか取れとほざいている 蝶人
闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3044~48
1)斎藤武市監督の「口笛が流れる港町」
1960年のシリーズ第2作だが、小林旭も浅岡ルリ子も若いなあ。ルリ子はまだどういう顔つになるか分からない状態だったね。
2)斎藤武市監督の「渡り鳥いつまた帰る」
毎度お馴染みの旭、ルリ子、ジューのコンビで、毎度荒野を舞台に馬に乗って現れる主人公は絶対に人殺しはしないでジューが殺して逮捕され、毎度お馴染みの港での別れ。1960年の製作。
3)斎藤武市監督の「赤い夕陽の渡り鳥」
1960年のシリーズ第4作で、相変わらず荒唐無稽な御話にチャチなゲバルトが繰り広げられる。お馴染みのアキラとルリコの純愛コンビにジョーが絡む。
4)斎藤武市監督の「波濤を越える渡り鳥」
1961年のシリーズ第6作。タイのバンコクで初の海外ロケを敢行しているが、それならそれでもっといい絵が撮れたろうに。藤村有弘なぞが怪しい国籍不明男を演じたりしているが、桁糞悪し。
5)斎藤武市監督の「渡り鳥北へ帰る」
1962年のシリーズ最終回の舞台は函館。なぜかジューはでないが、いつもの旭、ルリ子コンビが涙の別れでござんす。
そのかみの円の力が懐かしいNYロックフェラセンターを買い占め 蝶人
照る日曇る日第1801回
大好きなお友達だった「ことり君」を喪った「くま君」の悲嘆と再起を丹念に追った精妙な挿画の絵本である。
酒井選手のモノクロームの細密画は魅力的だが、この絵本の内容から考えると、点数が多すぎる。湯本選手のおはなしも、同様。
編集者がもっとぐあんばって仕事をして、文章と絵を半分くらいまで削ったら、もっともっと陰影の深い作品になったことでしょう。
お父さんがえんえんえんと泣いている息子がまたもや縄付きになった 蝶人
照る日曇る日第1800回
直木賞作家の松井選手が、のちに師父と仰ぐような存在となる、かの有名な歌舞伎演出家の武智鉄二氏と出会って、運命を変えられるような体験をするという波乱万丈の半生の回想録なり。
本書を読んで、おらっちは初めて、際物映画の監督としてしか認知していなかった武智鉄二という天才的な人物の人となりについて、つぶさに知ることができたように思います。
物語や伝記は、人物は、その正史ではなく、その逸話によってしか理解できないとは音楽評論家、三浦淳史氏の名言であるが、それを地でいって成功したのが本書でありませう。
息つく間もなく読みあげて、末尾の注釈をぱらぱら眺めていたら、「劇団木霊」という名称がわが2個の眼球に飛び込んできた。
「劇団こだま」なら、おらっちが大学1年生の数か月だけ在籍したひたすら地味な学生演劇集団だったがあ、と妙に気になって調べてみると、60年代にはひらかなであったその表記を、69年になって生田萬という人物が改名したのだそうだ。
木霊ならぬこだまの入団試験は、部屋の真ん中にチョークで2本の線を引き、リーダーらしき人物が「これは小川であるから渡ってみよ」というものであったが、おらっちが下駄を脱いで、両手に持って渡ったら、それが良かったらしく合格の判定が下った。
ところが翌日から、毎日近所の原っぱの大きな木の下に新人全員が集まって、例の「アイウエオ、アオ」の発声練習をやらされたのには大いに閉口したので、その翌日からは出なかった。
ところが、しばらくして「夕鶴」の公演をやるから「惣ど」をやれと言われたが、「あんなニッポンのどんくさい芝居はどんな役でも嫌だ」とゴーマンにも断り、結局形だけの裏方を務めて退団してしまったのだが、会社勤めを終えてから、ぼちぼ歌舞伎や能文楽見物をするようになったおらっちにも、意外や意外、役者志望の時代があったことを、本書を読むまですっかり忘れていたずら。
ザアメンの匂いとどこが異なるかうまく言えずに栗の木過ぎる 蝶人