あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

村上隆著「芸術起業論」を読んで 

2019-02-28 16:50:34 | Weblog


照る日曇る日 第1207回



村上隆の人と作品について、この国の人々の評価は、かつての村上隆と同様、(もう一人のムラカミである村上龍はいつのまにテレビ局の裏口に消えてしまったが)毀誉褒貶の只中にある。
本書では、世界の芸術家を目指す人たちがぶち当たってしまう国内の壁、そして海外に勇躍したときにぶつかってしまう欧米本流の壁…これらの障害物に対して著者が実際にどう対処してきたか、が克明に語られている。

欧米の強大な壁に対決すべき日本独自の「可愛い」と「おたく」の2大ソフトを、著者がいかに練磨してきたか、これからいかにその資本蓄積を世界に向って独占するべきか、そして最後に彼の後に続く者は、著者の達成を踏まえて、どのように思想的・戦略的に対応すべきか、が、前後の脈絡もなく必死に語られているのはきわめて興味深い。

渋沢七郎の「風流夢譚」と大江健三郎の「セブンティーン」以降、本邦のほとんどの芸術家が、天皇及び天皇制について沈黙を守っているが、この人物が2005年に制作し、現在パリのエマニュエル・ペロタン画廊に収まった「THE EMPEROR´S NEW CLOTHES」は、おそらくナポレオンを対象にした作品ではなく、この国の裸の「皇帝」へのユーモラスで皮肉な一瞥なのである。
35歳になるのに、コンビニの裏口で弁当もらうために屈辱に耐えて待っていたムラカミ。
ゴッホ、ピカソ、ウオーホルはマチスほどの天才ではない。と、暗に自分を準天才グループに位置づけてしまうムラカミ。
私の作品は1億、2億は当然だ、それだけの付加価値がちゃんとつけてある、と豪語するムラカミ。
そしてそんなムラカミを、私はけっして嫌いではない。



 雀部姓と佐々木姓は同じなりき長年の疑問がいっきに氷解 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲオルク・ビュヒナー著 「ゲオルク・ビュヒナー全集」を読んで

2019-02-26 13:30:42 | Weblog


照る日曇る日 第1206回



全集といっても分厚いのが1冊だけであるが、それがかなり格好良いのだ。

著者は1813年にドイツに生まれ、23歳で死んだ戯曲家、動物解剖学者で、フランス革命でギロチンの刃の露と消えた革命家の最後を描いた「ダントンの死」、それからアルバン・ベルクの同名のオペラ「ヴォツエック」の原作戯曲などが、彼のわずかな代表作である。

同僚の兵士と浮気した妻マリーを短刀で刺し殺したヴォツエックは、23歳で死刑になるが、ビュヒナーも同じ年齢で死んだのは、偶然の一致だろうか。

この本には、ダントンやロベスピエ-ルの最後の演説がおまけでついているが、その悲痛さが胸を打つ。この2人はパリの学校の同級生で、2人ともジャンジャック・ルソーの直系の弟子だった。

今日ではまったく自然で当たり前のルソーの自由思想を、18世紀終盤のブルジョア社会で、生真面目に実践しようとしたとき、自他を巻き込むあの大きな悲劇が起こった。

それにしても、当時はまともな裁判も行われず、政治的反対者の大半がギロチンで処刑されたが、本邦でもこれからそおゆう滅茶苦茶な私的死刑の時代がやってくるのではないだろうか。

「汝の敵はすべて殺せ」という思想は、いまも中東やロシア、中国などでしたたかに生き延びている。



「ゲオルク・ビュヒナー全集」の向こうを張っておらっちも「佐々木眞全集全1巻」を出したいなあ 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅原猛著「神と仏対論集第1巻「神仏のかたち」」を読んで 

2019-02-25 13:33:34 | Weblog


照る日曇る日 第1205回

第2巻が面白かったので、これに手を出す。山折哲雄、長谷川公茂、河合雅雄氏との対談だが、どれも興味深い内容だ。

本書の中で河合氏は、名著「攻撃」で有名な動物学者ローレンツの、「人類は異星人の攻撃で大同団結しない限り、世界平和なんてありえないだろう」という発言を紹介している。

「傷つけない、殺さない、食べない」という動物社会の3つの掟は、人間にはない。
人間のDNAに内包された、他者とあくまでも戦い、これを殲滅する本能は、どのような教育をもってしても廃絶されることはないだろう。


  この国の「民度」高き人々が声高に唱える天皇陛下万歳 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫馬基彦著「按摩西遊記」ふたたび 

2019-02-24 11:05:58 | Weblog

照る日曇る日 第1204回


全編を通じて技巧の限りを尽くした達意の名文にうならされる。
まずは奇妙なタイトルで戸惑うが、この本は五十肩に悩む著者が実際に中国に旅行して按摩をしてもらう話、でもある。

しかし著者が出かけるのは中国だけではない。「肩が痛い」とこぼしながらサイゴンやニューヨークにも足を運び、NYではなんと滞在中に9.11同時テロ事件に遭遇する。チャイナタウン近辺のユダヤ人たちと水を得た魚のように付き合う作者は、さながら国産のウディ・アレンのようである。

インドで黄疸で死にかけたこともある著者は、かつてべトコンのテト攻勢に巻き込まれて九死に一生を得たベトナムを30年ぶりに再訪する。そして思い出の土地をさまよいながらその地で知った旧友の消息を訪ね歩くのだが、読者はその執拗な探究心にいささか辟易しつつも、この旺盛な探究心こそが著者のレーゾン・デートルであることを知るだろう。それはワールドトレードセンターの崩壊直後も現場に肉薄する野次馬根性にも共通する著者の「さが」である。

自分の周囲に存在する人間たちとその生き方への強烈な好奇心は、この作家の特徴のひとつで、身近な生活圏からモデルをピックアップして、そのモデルと自己との相関関係を微細に描き出す、現代では珍しいいわゆる私小説的な作品を著者は好んで書いてきた。

しかしこれは私だけの偏見かも知れないが、その限りなく実在に近いモデルを小説の中で取り扱う際、著者は必ずしもそのモデルのプライバシーに細心の注意を払ってきたとはいえないように感じる。著者の以前の「籠脱け 天の電話」にしても、自分の小説の芸術的価値を優先するあまり、モデルの人格的尊厳を毀損する傾向が多少とも感じられたので、私は愉快な気分で読み終えることができなかった。

しかし、幸いにも今度の「按摩西遊記」では、著者のまったく新しい地平が、周到な力技で切り開かれていることに私は驚いた。
若き日の世界放浪がこの作家の基盤を作ったことは間違いがない。著者は自己の懐旧の地を再訪することによって、若き日の自己に再会し、初老に達した自分と対峙させ、現在の自分の生のありようを鋭く追及している。
そこでは時間と空間の隔たりはたちまち解消され、作者自身もいくたびも解体され、いうならば瞬間ごとに再構築されている至福のときにあるといえよう。

そして本書のもっとも感動的な箇所は、この本のいちばん最後に登場する。
このくだりを読みながら、私は、なぜか「メタボリズム(新陳代謝主義)」という言葉を思い出した。人間の体は60兆個の細胞でできており、そのうち1秒ごとに1000万個が死滅して新しい細胞に生まれ変わっている。ミクロで見れば人間は2ヶ月余りでまったく新しい存在に再生していることになるというのである。

2006年に公刊された本書が世に出てから既に13年を閲したが、未だ新作誕生の声を聞かない。本日長逝された鬼怒鳴門氏、文芸誌に連載2本を抱える瀬戸内寂聴氏より20歳も若い畏友の奮起一番を、期して待ちたいと思う。

  如月に鬼怒鳴門氏逝く九十六日本人より日本人な人なりき 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古井由吉著「この道」を読んで

2019-02-23 12:03:40 | Weblog


照る日曇る日 第1203回


これは、2017年8月号から隔月で昨18年10月号まで「群像」に連載した8本の短編を集成したもので、当年とって81歳になる老文学者の最新作です。

作者は歌人奥村晃作氏とほぼ同年ですが、さすがに加齢や病気の話柄は増えたものの、創作の源泉は今なお山間の湧き水のように健在で、さすがに噴水の勢いは失せたものおん、途切れることなくホトホトと漏れて出るのは慶賀の至りです。

「季節が人の心身の内まで分け入り、そして姿となってあらわれるということが、今の世にはよほどしくなくなったのだろうか」

季節や時候の推移を叙事する随筆の趣から始まった文章は、おおかた過去に傾くのですが、その思い出の一断片が、単なる回想に堕す瞬間に思いがけない連想と飛躍によって一転して別乾坤へと飛躍し、一閃して斬新なイマージュと哲学的観想をまき散らします。

けれども、やがて全ては、作家その人を思わせる語り手とともに無為と化し、ある
かなきかの一筋の道は、薄明のうすら闇の中に、行方も知らずに消えてゆくのです。


  夢というはその起点から逆のぼりゆくを見ると喝破せしは古井由吉 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第69回 

2019-02-22 12:54:04 | Weblog


西暦2018年葉月蝶人酔生夢死幾百夜



マガジンハウスの編集部で、サワダ選手が「今日はお世話になったのでなんか美味しいものでも食べましょうか」というた途端に、目の前の日程表がずり落ちたので、左隅の画鋲を刺しているうちに、誰もいなくなった。8/1

あわてて部屋を出ると、廊下の片隅でカタギリ社長が、哀しい顔をした女性の面談をやっていたので、「マガジンハウスもリストラで大変なんだなあ」、と思いながら、知り合いのライターと歩いて行くと、向うから「30億がどうのこうの」と言いながらやって来る男がいるので、よく見ると安倍蚤糞だった。8/2

おらっちが出演する2本のダンスショーは、長年にわたって人気を博してきたのだが、いつの間にか、不入りのお荷物プログラムになってきたので、その原因をよく考えてみると、肝心の私自身が、しばらく前から出演していないのだった。8/3

昔とった杵柄で、しぶしぶ広告制作に携わることになった私だったが、元電通のスギヤマ・コータロー選手から巧みにおだてられ、いつしかクリエイテイブ・ハイの高揚状態に突入していったのだった。8/3

猛烈な暑さの中、遠方から帰ってきた彼が杖を突くと、そこから清冽な水が迸り出た。8/4

うちらは、ギリギリまで海で泳いで、濡れた水着のまま駅に行って電車に乗り、みなでワイワイ騒いだので、乗客の顰蹙を買いながら、そのままの格好で帰宅した。8/5

もし火事になると困るので、私らは、その予防のために、5色のションベンを、家のあちこちに、ひっかけた。これで、もう大丈夫だ。8/6

ともかくどのお店でも「ナンバー17」が大人気。すぐに品薄になるので、クレームが殺到します。8/7

もりかけそば屋では、あんこの入った素麵が、飛ぶように売れているようだった。8/8

私設カジノが摘発され、ブルドーザーで完膚なきまでに破壊されたのに、いつのまにか復活して、怪しい賭博中毒者がよろよろしながら出入りしている。8/9

アフリカの女王となった理想主義者の姉は、統治するに際しても理想主義的な正しさを振りかざしていたので、現実派の私は「ネエさん、政治の世界では正しさだけでなく、強さを兼ね備えた正しさでないと無意味だよ」と警告したのだが、聞き入れてくれなかった。8/10

今日は、大学の法文ホールで、学館問題をどうするかについての、大討論会が開催されていたのだが、彼と彼女は、いつの間にか、消えてしまった。8/12

「この橋は、まもなく寿命が尽きることになっておる。ついては、お前たちが、まあそこそこの代わりの橋を、作り直せ」と、お代官様はわしらに命じられた。8/13

「善き牧者の朋」という組織にカンパしたところ、国家警察の忌避に触れたらしく、憲兵どもが自宅に赤紙を張って、外出できないようにされてしまった。8/14

その著名な写真家の作品は、少年期、青年期のみずみずしさ、壮年期の成熟、老年期の枯淡を経て、再び赤子のごとき純朴に回帰していた。8/15

スピロヘータに感染したせいか、私の販売企画は当たりに当たって、どんな階層をターゲットにした商品も無茶苦茶に売れるので、社長も口をあんぐり開けて驚いている。8/16

人気抜群のタロとシロの兄弟は、タロ&シロという有限会社を立ち上げ、郷里から末弟のサブローを呼び寄せ、3人トリオのコントとお笑いで、しばらくの間一世風靡した。8/17

暑苦しいので、真夜中に雨戸と窓をあけていたら、私は、網戸を持ったまま、2階から落下してしまったよ。8/18

暴れん坊は、大暴れしていたが、さしもの暴れん坊も、「お前の父母を捕まえた」と、ラウドスピーカーで伝えると、すぐに観念し、武器を捨て、両手を挙げて投降してきた。8/19

全国中学生ブラバン大会に出場する、地元のチームの連中が、なぜだか私の部屋に、全員潜りこんできたので、激しく戸惑っているわたくし。8/21

この海に突き出た小さな岬には、時々観光客が訪れるのだが、なかには、最先端の岸壁の岩陰に隠れて、夜を待つ恋人たちもいるので、彼らを見つけて、岬の外に連れ出すのが、私の仕事だった。8/22

また戦争が始まったので、三越のライオンや五輪の金銀銅のメダル、一本刀土俵入りの刀など、金目のものは、ことごとく供出を命じられている。8/23

奥の四畳半で休んでいると、青白い顔をした少女がやってきて、フラフラしているので、横抱きにしてやると、そのまま、ぐっすり眠り込んでしまった。8/24

ギリギリ国に入ると、多くのギリギリ人たちが、猛烈な頭痛と歯痛と咳に悩まされ、「もうもう堪りません。この頭を無くしてください!」と頼むので、私は大きな鉞で、バッタバッタと、ちょん切ってやったんだ。8/25

ギリギリ人たちは、今度の核戦争では、一瞬のうちに苦痛なしに焼き殺されることを熱望していたので、敵軍の原水爆投下推定地から遠ざかることを、いさぎよしとしなかった。8/25

地下観光ツアーAチームの案内役はマエダ嬢、Bチームのそれはアオキ嬢だったが、突如通信障害が起こって、双方との連絡が取れなくなったので、急遽私が、救助チームを編成して、真っ暗な地下道を手さぐりで降りていった。8/26

氏は、今年いっぱいまでの連載物の記事も、まだ依頼されていないその続編の一年間分の原稿も用意したまま、突如として身罷ったのであった。8/27

ルック社のMD担当は、いくら注意しても、去年と同じ色柄デザインを提案してくるので、伊瀬丹のバイヤーたちも呆れていたが、後に社長になった企画担当者は、「ふぁあちょんなんて毎回変えても、所詮同じようなものでさあね」、と澄まし顔で居直っていた。8/28

ジャック・ブレルの持つライカは、その時微かにブレたのだが、それが決定的瞬間を作り出すことになったのだ。8/30

私が持っているシャネルのドロップドレスは、ちょっと動いただけでずり落ちそうなので、腰から下に袴をはいて歩き始めたら、LaLaLandの連中が、私の周りでポンポコリンを踊り出した。8/31

  雀部姓と佐々木姓は同じなりき長年の疑問がいっきに氷解 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根の「ポーラ美術館」と「箱根ラリック美術館」をみて 

2019-02-21 12:50:10 | Weblog


蝶人物見遊山記 第304回


金婚の佳き日を迎えたIご夫妻のお招きを頂いて、久しぶりに箱根を訪れ、楽しい2日間を過ごしました。

いつもそぞろ歩く湿性花園は、春なお遅くまだ開いていませんでしたが、2つの美術館を探訪することができました。

ポーラ美術館では「モダン美人誕生美術~岡田三郎助と近代のよそおい」、「名画の時間」などを同時開催(3月17日迄)していました。前者では年譜を見て岡田三郎助の奥さんが小山内薫の妹、八千代であると初めて知ったのですが、この2人どうも仲が悪かったらしい。三郎助はどうやら彼女に専業主婦をやってほしかったらしいのですが、小説家、戯曲家の妻君は、主婦業に甘んじることなど到底できなかったようで、その不機嫌がモデルになった「支那絹の前」にはもろにでている。ところがそんな仏頂面した妻の絵を夫は生涯手元に置いて大切にしたといううんだから、夫婦の間はよく分かりません。この絵のモデルになってから5年後、ついに夫婦は別居しますが、さらに5年後夫がパリに留学した時には一緒についていって、夫の帰国後も一人で滞在している。なかなかユニークな2人の男女です。

収蔵コレクションの「名画の時間」では、アンリ・ルソオの「エデンの園のエヴァ」をはじめ、マチス、ピカソ、ゴッホ、ルノワール、龍三郎、それにルオーの絵本画などをみることができて幸運でした。

ルネ・ラリックやドーム兄弟などの作品を集めたラリック美術館では、「あかりの恐競演」展を来る3月17日まで開催中。この地を訪れる度に、いったい誰が1920年代のアール・ヌーヴォーのガラス工芸と宝飾の精華を収集したのか、不思議に思うと同時に、いつまでも公開続けてほしいと願わざるを得ない。


 ルネ・ラリックがガラスで精巧に拵えた巨大なアブラゼミが絶対欲しい 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潮日本古典集成新装版・上田秋成著「雨月物語・癇癖談」を読んで

2019-02-19 14:15:42 | Weblog


照る日曇る日 第1202回



校注の浅野三平氏によれば、享和19年(1734)に大坂で生まれた著者の上田秋成は、生後間もなく父母に捨てられて上田家に引き取られたが、疱瘡で右の中指を失い、「性多病にして時々驚癇を発す」る人物であったそうだ。

後年苦学して江戸後期を代表する国学者、医師、俳人、歌人となってからも、どうも己を、不遇で薄倖の存在であると思いこんでいたらしい。

そんな神経質で内面にコンプレックスを抱え込んだ58歳のインテリゲンチャン(彼は同時代の国文学者、本居宣長と激烈な論争を交し、ほぼ判定勝ちを収めている)が、大坂から憧れの京に移住し、「伊勢物語」の冒頭句を模した兼好法師の「徒然草」もどきの風刺エッセイ、「癇癖談」がなかなか面白い。

例えば当時大流行していた茶の湯、衣服、美容、ヘアスタイルなどの一過性のブームの阿呆らしさについて一刀両断するだけでなく、着物の色彩が、京から吾妻に移り、それが浪速に戻ってくる、と鋭く観察しているのはさすがである。

「雨月物語」では「浅茅が宿」や「青頭巾」も怪異でいいが、私がもっと好きなのは「白峯」でそこに登場する憤怒の帝王、崇徳帝の赤裸々な言動が魅力的だ。

西行がいくらなだめすかして法理を説こうとも、美福門院にたばかられて皇子重仁の王座を、彼女が産んだ後の伏見天皇に与えた父鳥羽法皇への憎しみ、そして続く後白河と彼を支えた武士たちへの憎悪は終生変わることがなかった。

保元の乱の失敗で讃岐に流され、憤死して怨霊と化した崇徳帝の呪いは、その後平家に祟って、一族を檀ノ浦に葬り去るのだが、秋成はあきらかにその憤怒に加担しているように思える。

それにしても「日本第一の大天狗」後白河帝と「日本第一の大悪霊」崇徳帝を二つながらにこの世に解き放った鳥羽上皇のDNAは、なんとも偉大であることよ!



 「日本第一の大天狗」と「日本第一の大悪霊」をこの世に送りし鳥羽上皇 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西成彦著「外地巡礼」を読んで

2019-02-18 16:20:01 | Weblog


照る日曇る日 第1201回



こないだ、1968年に、一艙の船で南米ブラジルなどの南米諸国に渡った、日本人家族の軌跡を、半世紀に亘って取材し続けた「乗船名簿AR29」という番組をみました。

元NHKディレクター相田洋氏の執念が、乗り移ったドキュメンタリーでしたが、誰ひとり身寄りもいない外地の只中で、アマゾンの原始林を掘り起こし、新しい人生を一鍬一鍬切り開いていった勇気と忍耐に、大きな感銘を受けました。

本書の著者も指摘するように、戦争や国策、個人的な野望や失意や傷心など、様々な理由で母国を離れ、新天地で新たな自由や希望や慰藉を求めた大勢の「内地人」がかつて存在したし、いまも存在し続けています。

本書では、そのブラジルのような「外地」を舞台に、見知らぬ外国人と外国語の洗礼を受けた「内地人」が、明治維新の昔から現在にいたるまで、西欧はもとより台湾、韓国、北朝鮮、満州などの旧植民地、沖縄、北海道なども含めた広大な領域において、どのような文学体験を経てきたのか、その歴史と内実をつぶさに辿っています。

著者によれば「植民地文学」は、1)「移住者」たちの文学(北海道なら有島武郎の「カインの末裔」、小林多喜二の「蟹工船」など)、2)布教や学術研究のために訪れたインテリの先住民族文化報告(金田一京助のアイヌ研究)、3)先住民族の内部から登場したバイリンガルな表現者たちの作品(知里幸恵の「アイヌ神謡集」4)外地性を正面から受けとめようとする内地人作家の実験(中條百合子「風に乗ってくるコロボックル」、武田泰淳「森と湖のまつり」、池澤夏樹の「静かな大地」)の4つの類型に分類できるそうですが、そのことを通じて複雑にして怪奇な人間存在の暗闇が白日の元に晒されるとともに、旧来の内地プロパーの狭隘な文学観に楔が打ち込まれ、未来の世界文学への新しい視座と展望が生まれてくるように予感されるのです。



 絶対に女性だと思ってたよさとう三千魚さん一色真理さん  蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早春邦画劇場11本立てずら

2019-02-17 16:30:34 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1952~1962



1)塚本晋也監督・主演の「野火」
市川昆と違って強烈な色彩と美しい自然、戦死、戦傷の悲惨さの激情的な演出が際立つ。特に人肉喰いを描くシーンの凄まじさが凄い。

2)鈴木清順監督の「夢二」
いちおう竹久夢二の人と作品をモチーフにしているが、そんなことは「陽炎座」と同様どうでもよろしいのであって、全編鈴木清順独自の映像美を追求するのである。

3)鈴木清順監督の「陽炎座」
大楠道代、楠田枝里子が色っぽく、松田優作がかっこいい。あらすじはあってないようなもので、それよりも、この世ならぬ美しさに輝く戦慄的なシーンを銀幕上に現出させようとする監督の執念に打たれる。

4)河瀬直美監督の「2つ目の窓」
ラストでまるで人魚のように海を踊る若き男女の裸体がまぶしいほどに美しい。河瀬監督はいい女優を見つけてくるものだ。

5)河瀬直美監督の「光」
ついに盲目となってしまう写真家にいかなる未来が待ち受けているのか?光とは愛の別名であろう。父の遺品のローライフレックスで私も妻の写真を撮りたくなった。

6)野村芳太郎監督の「わるいやつら」
松本清張の原作だから「悪い映画」にはならないが、松坂慶子まで悪いやつだとは思わなかったなあ。彼女はいちおうデザイナーの役なので、ショーの場面では森英恵が特別出演してる。

7)山田洋次監督の「おとうと」
市川昆の同名作に捧げた山田洋次版であるが、同じ幸田文の原作とはいえ、川口浩、田中絹代、岸恵子に対する笑福亭鶴瓶、吉永小百合では、はなから勝負にならず。もっとも全然違う話に仕上がっているけれど。小林稔次がいい味を出している。

8)山田洋次監督の「東京家族」
小津の名作に捧げた山田洋次の力作。原節子に擬されたのは蒼井優で恋人役の妻夫木聡の2人が未来への懸け橋となっている。妻夫木聡は歌舞伎の舞台美術をやっている設定だが、実は私も憧れていた。マガジンハウスに行った帰りに歌舞伎座の裏口で彼らをみて「ああいいなあ」と思った春うららの午後があったのだがあ。

9)降旗康男監督の「冬の華」
むかしこの映画をみたとき、確かシャガールのことを知らないヤクザ(小池朝雄)が、「シャーガル、シャーガル」というておったシーンを楽しみに待っていたが、いつまでたっても出てこなかった。どうしてだろう。

10)「電車男」をみて
自分の恋愛をネットで公開し、あまつさえ第3者の応援?を受けるという人間の存在に眼を疑う。それにしてもこの2人、今頃どうなっているんだろう?

11)加藤泰監督の「炎のごとく」
古臭い映画を見ているのか、活劇漫画を眺めているのか、それとも型破りで斬新な映画を見ているのか、劇伴は酷いが、いずれにしても大胆不敵な作品ではある。
主役の菅原文太が熱演。チョイ役の松平容保に小倉一郎を選ぶとはさすが加藤泰なり。


  和歌というも短歌というも同じこと民草は今もなお大王を讃える 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

如月や聞かねば腐る苦楽死苦CD 

2019-02-16 16:28:27 | Weblog


音楽千夜一夜 第425回


毎日毎日人が死ぬ。自分より若い人もじゃんじゃん死んでいく。おらっちもいつ死ぬか分からない。
んで、死に土産に、こいつらも聞いておきたいと思って、お金も時間も置き場所もないのに、トチ狂ってクナッパーツブッシュの203枚組、カラヤンの70年代88枚組、クリュイタンスの65枚組、VIVARTEvol2の60枚組などのボックスCDを衝動買いしてしまったあ嗚呼!

されど、これらを聴く前に無数の在庫があるから、まずこいつらを退治しておかればと思って、いくつか聞いてみました。

1)ジョセフ・カイルベルト指揮ワーグナー「指輪」全曲12枚組
これは1953年のバイロイト音楽祭のライヴ録音ですが、いかにも真面目な指揮者らしい謹厳実直、というよりひたむきに誠実な演奏。神々の黄昏の終曲でもあんまり盛り上がらないけど、それはそれでこの人らしくていいのです。

その前にクレメンス・クラウス指揮の13枚組の「指輪」も聞いたのですが、カイルベルトほど面白くはなかった(これも53年のバイロイトライヴとなっているが、カイルベルトとの関係はどうなっていたのか不明)。

2)カルロ・マリア・ジュリーニ指揮「THE CHICAGO YEARS」4枚組
誠実といえばカイルベルトにちょっと似た真摯な紳士、ジュリーニが、シカゴ響の首席客演指揮者を務めていた時代に、手兵と録れたベト7、マラ1、ベルリオーズの「ロメ&ジュリ」、ストラビンスキーの「火の鳥」などですが、ブラームスの4番とブルックナーの9番が素晴らしい。

この曲の良さを、じっくりじっくり確かめながら棒を振っているのが、よく分かります。
全4枚とも75分を超える名演が、こんなに安くていいのかというワーナー廉価版ずら。

3)「ギュンター・ヴァント・ライヴ」全33枚組
2002年2月14日にスイスで亡くなった稀代の名指揮者ギュンターヴァントの名曲名演をライヴで収録したものですが、まことに宝物のように貴重なCDセット。気まぐれで移り気な小生が近頃これくらい夢中になって聞いたCDも珍しい。

お馴染みのブルックナーをはじめ、ブラームス、モザール、シューベルト、シューマン、ベートーヴェンを、大半が子飼いのNDR「北ドイツ放響)、あとはベルリンフィルを駆使して淡々と振っていくのですが、その淡々が曲者なり。

淡々が耳から入って胸元からポトポトと肺腑に落ちる頃には、自分自身がブルックナーその人!であるかのような錯覚に陥ってしまう。
わたくしはヴァント翁の仲立ちで、ブル氏と果てしなき玄妙な対話を交わしているのです。


  「野獣」業を卒業したる柔道家アイスクリーム屋さんを始めたとか 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の肖像~親子の対話その42

2019-02-15 14:49:17 | Weblog


ある晴れた日に 第552回



お父さん、埼京線、終点は大宮でしょ?
そうなの?

お母さん、ぼく、ドクダミ好きですお。
そう。お母さんも。
ド、ク、ダ、ミ、好き!

お母さん、一人ぼっちって、なに?
一人だけのことよ。

お母さん、このさい、ってなに?
お母さんはねえ、このさい耕君にも、元気でいてもらいたいのよ。

お母さん、ややこしいって、なに?
ややこしや、ややこしや、のことよ。

ウオーキング、散歩でしょ?
そうだよ。耕君、ウオーキング行かないの?
行きませんよ。ぼく、お仕事しますよ。
そうなんだ。

お母さん、ぼく、タイムショック、好きでしたお。
そうなんだ。

お父さん、ハスはジュンサイに似ているでしょう?
そうだね。似ているね。

お母さん、ぼく、鬼は外、好きですお。

お母さん、平和ってなに?
とてもなごやかで、しあわせなことよ。

西城秀樹、脳梗塞だったの?
そうだよ。
おばあちゃんといっしょですね。
そうだね。

ぼく、キャプテン翼、好きだよ。
そう。

解除って、なに?
もう大丈夫、ってことよ。

なんで信号機切れたの? 大水出たからでしょ?
そうだよ。

比較的って、なに?
くらべてみると、よ。

お母さん、ガチャピンとムック好きですよ。ぼくポンキッキ好きだったんですお。
そうなの。

お母さん、なごむって、なに?
やさしくなることよ。
感じることでしょう。
そうねえ。

湯治場って、なに?
ゆっくりするところよ。

コウ君、血液型、B型なの?
そうよ。いやO型だったかな?
事故に遭ったときに、間違ったやつを輸血されると、ヤバイんじゃないの。
わああ、止めてください。止めてください。
コウ君、大丈夫、大丈夫。地獄耳だね。

おじいちゃん、おばあちゃん、具合悪かったでしょう?
そうね。

トラブルは、故障でしょう?
まあそうだね。

ぬきは、いらないことでしょう?
ぬき? 耕君ぬき、のぬきか。耕君なしで、ってことだよ。

103系すべてうしなわれた、ってなに?
それって何に書いてあったの?
「鉄道ファン」だお。
そうか、103系の電車が全部無くなったということだよ。

頭に入れとくって、なに?
頭のなかで覚えておくってことだよ。

大雨警報解除って、なに?
雨はもう大丈夫、ってことよ。



   長々と「徹子の部屋」で孫自慢ええ加減にせえよ奥田瑛二 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・チーヴァー著・村上春樹訳「巨大なラジオ/泳ぐ人」を読んで 

2019-02-14 14:56:53 | Weblog


照る日曇る日 第1200回


ジョン・チーヴァー(1912-1982)は50年代からニューヨーカーを拠点に数々の短編小説を書きまくったアメリカの作家だが、村上春樹がいうとおり、時代に流されない確固とした個性と骨格を保持し続けた、かけがえのない才能の持ち主だとおもった。

その大半が、NYらしき大都会からちょっと離れた高級住宅街のコミュニティを舞台に繰り広げられる人間悲喜劇なのだが、だからといって凡俗に陥ることはけっしてなく、1作1作がユニークな別乾坤としてすっくと聳え立ち、確かな読み応えが返ってくる。

バート・ランカスターの主演で映画にもなった表題の「泳ぐ人」は、ある朝主人公が河の代わりに隣人たちのプールを泳ぎ継いでいこうとする異色の物語である。

男があちこちのプールを訪ねるうちに、過ぎし日々の思い出が蘇り、流れゆく時間の中で、男は、恋も、若さも、名望も、財産も失っていき、夕方疲労困憊して帰りついた荒廃した自宅に人影はない。

わずか十数頁の間に、時間と人世は緩やかに巡り巡って、虚しい回想のロンドを奏でるのである。




  「団塊の世代」「巨人大鵬卵焼き」堺屋太一「油断」して死す 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥村晃作著「歌集 八十一の春」を読んで

2019-02-13 14:16:01 | Weblog


照る日曇る日 第1199回


わが敬愛する歌人の17冊目の歌集が著者82歳の初春に上梓されました。満81歳の1年間に詠まれた作品の中から選ばれた409首です。

 高橋が筒香(つつごう)をゴロに打ち取った三分間の大仕事よし
 白鵬の体(からだ)意外に小さく見ゆ白鳳時代の終わり近きか
 八十年休まずにピアノ弾いて来たフジコ・ヘミングは本物である

高齢にも関わらず活動的な著者は、国内外を精力的に歩き、羇旅の印象を軽快に歌うのみならず、政治、社会、歌壇、コンサート、スポーツ、絵画、芸能・芸術、ディズニーランドの興行などの人事百般を、「短歌」というフィルターを通して、作品に鋭く刻みつけるのです。

 大きな雲大きな雲と言うけれど曇天を大きな雲とは言わぬ
 人体は水の袋であるけれど健康体は水漏れしない
 縄文の時代の土器は縄文が無くとも縄文土器と呼ばれる

氏の作風は、古今集を経て小沢蘆庵の系譜につながる独自の「ただごと歌」でしょう。しかし「ただごと歌」とは単なる只事歌ではなく、同時に非凡なる「気づきの歌」、只ならざる「発見と感動の歌」でもあることを見逃してはなりません。

 どうだってよいこと長々報道すNHKの7時のニュース
 一万歩越すや画面にヒト現われバンザイ、バンザイする万歩計
 平成の三十年かけ、やっとこさ〈気付きの奥村短歌〉は成りぬ

「短歌は感動の器なり。最も些細な感動は〈気付き・発見・認識〉なり。〈ナルホドなあ〉と納得の世界なり。」と氏はつぶやきます。
そして奥村短歌を読めば読むほど、私たちは、その年齢を感じさせない旺盛な好奇心と行動力を心臓部で支えている“不滅の生命力の発露”に心打たれるのです。


  「ただごと」の奥村短歌の勘所新たな「気づき」と感動の歌 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早春洋画劇場10本立てずら 

2019-02-12 14:59:38 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.19412~19421


1)ラッセ・ハルストレム監督の「ギルバート・グレイプ」
ここで登場する発達障害児、ディカプリオが長じてあのデカプリオになるとは夢にも思わなかったなあ。確かウシガエルに空気を入れて破裂させるシーンがあったような気がするが残酷だからカットされたのかしら。

2)ロマン・ポランスキー監督の「テス」
暴漢に虐殺されたシャロン・テイトに捧げたポランスキー渾身の快作。この頃のキンスキーは演技はいまいちにしても楚々として可憐だが、15歳ごろからポランスキーに蹂躙されていたと聞かされると嫌になる。

3)ウェイン・ワン監督の「ジョイ・ラック・クラブ」
中国からアメリカにやってきた4組の母娘がいかに苦労したかをじっくり描き出す。

4)ブライアン・デ・パルマ監督の「カリートの道」
この人アル・パチーノも刑務所から出て断固更生を自他に明言するのだが、だんだんずるずると昔馴染みや親友の義理に引きずられて、とうとうバハマの極楽島への道が閉ざされてしまう。昔バハマへ行ったことがあるけど、別の地上の楽園ではない。すぐに退屈すると思うよ。

5)ピーター・ボクダノヴィチ監督の「デイジー・ミラー」
男をおちょくり廻していたおきゃんな女、シビル・シェパードが、じつは男、バリー・ブラウンの求愛を待っていたという消耗な映画。こんな詰まらん映画をなんでボクダノヴィチが撮ったのか、ぼく分からない。

6)ゲイリー・マーシャル監督の「フォーエバー・フレンズ」
ベット・ミドラーとバーバラ・ハーシーの生涯にわたる友情の物語。始めは馬鹿にしていたがだんだん引き込まれてしまった。甘くて粗雑ではあるけれどいわゆるひとつのウエルメイドなハリウッド映画かな。

7)ジョゼ・ジョバンニ監督の「暗黒街のふたり」
刑務所から出てきた犯罪者の更生がいかに難事業であるか、ギロチンならずとも死刑がいかに残酷な殺人であるかに気付かせてくれる映画。しかしギャバンもドロンも別に「暗黒街」の人ではないぞ。原題は「町の2人」ずら。

8)ロバート・ベントン監督の「クレイマー、クレイマー」
激しく争うクレイマー夫妻は、最後の最後に妥協?して、息子はダスティン・ホフマンの手に戻るように見えるが、予断は許さない。妻のメリル・ストリープが1対1で息子と話している間に、何が起こるのかを映画は描かないで終わるからである。

9)トム・フーパー監督の「レ・ミゼラブル」
ユゴーの原作はいいけれど、なんでミュージカル仕立ての映画にするのか。じつに迷惑ずら。役者もラッセル・クロウ以外はみな嫌いです。市街戦をする時のバリケードは民家の家具を使うとは意外だった。

10)ロベール・アンリコ監督の「冒険者たち」
ジョアンナ・シムカスが潜水服で海に沈んだところで終わるのかと思っていたが実はそれからドンドンパチパチが始まるのだった。しかしその後彼女がシドニー・ポワチエと結婚して映画界を引退するとは夢にも思わなかったずら。

 我がもし教育大に入っていたら革マルの海老原君のようになっていたかも 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする