あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2016年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2016-03-31 11:33:29 | Weblog



ある晴れた日に 第369回


わが家でも猫を一匹飼っているすぐネコになる私の背中

耕君が「ネコですよ」と言ったので今年のわが家は猫年なんです

「お母さん今日は迎えに来てくださいね」5年前の記憶生々し施設の息子

こんな児は世間じゃ誰も可愛がらない妻と二人で可愛がってやる

世間では「どうしようもない子」と言われてるその「どうしようもなさ」を抱きしめてやる

私の指はいつも冷たいので君のいつも暖かな指を握って暖めてもらう

自閉症児が絵を描いているミロより優しくゴッホより激しくピカソより純真

大雨になりて施設には行かぬという息子よ休め息子よ休め

1冊も本を読まない人が47.5%もいるという西暦2015年の日本

いつの日に東南から光が入る部屋に住むことができるのか次男

気狂いに操られたる酩酊船愚かな我ら乗せて彷徨う

ほらごらん太平洋旅行社のバスが鎌倉街道を駈け抜けた

生きてなお完成の日を望むなく八方破れの明暗道ゆく

妻のため義父のために身を捧ぐ義理に生き愛に死したり夏目漱石 

ひたすらに暗き夜道を辿りゆけば遥かかなたに光りも待つべし

コーヒーにしますか紅茶にしますか自公にしますか自公以外にしますか

オーケストラが唄い出すまで喉を枯らして歌いまくるブルーノ・ワルター

ニコラウス・アーノンクール死す八十六異端もいつしか正統へ転じてと化して

ラジカセがいきなり初期不良品とは東芝は駄目な会社中国に買収されてもっと酷くなるだろう 

賛成でもかといって反対でもなくどちらでんもない多くの人々
 
これは風邪かそれともアレルギー鼻炎か声涙共に鼻を下る

願わくばテレビの取扱説明書を返してたもれ神隠しの神よ

日に三度飯にありつき風呂を浴びるげに有りがたき暮らしなるかな

時は今芳しき恋の花々咲き乱れ三千世界はそなたたちのもの

溺死者の身元はいまだ知れずして大雨が降る五年目の春 

春浅き丹波の家の片隅で子らの名呼びつつ母息絶えたるか

五体不自由でも存分に性欲を満たすげに恵まれし障ぐあい者なるかな

モザールのアヴェヴェルムコルプスまでCMに使うえげつないこの国の企業よ



        悪役が賜杯を攫い弥生尽 蝶人
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鎌倉若宮大路の段葛の渡り初めを見物する

2016-03-30 11:40:05 | Weblog


蝶人物見遊山記第199回&鎌倉ちょっと不思議な物語第364回  


鎌倉若宮大路の段葛は長らく工事中でしたが、本日から開通したので中村吉右衛門丈とその一族を迎え、そのお披露目がありました。彼は昔8代目、9代目幸四郎の父兄共々岐れ道の近所に住んでいたからその縁で呼ばれたのではないでしょうか。

開始時間前から八幡宮前は対大変な人出で大賑わいでしたが、海外からの観光客の多いことには改めて一驚。中にはそれぞれ二人の赤ちゃんを連れた三組のアメリカ人夫婦や屋台のおでんを立ち食いしながら行列が来るのを待ち構えている行儀の悪い中国人、イスラム教国からやってきた若い夫婦などもいて、国際色の豊かなこと。

こういう観光客は円安ドル高になればどっと来て、その反対になれば減るに決まっているのですから、眼の色を変えて誘致したり、観光業者や商店街の言うなりになって多額の税金を使って優遇する必要は濠もありません。市や県や国は、そんなテンポラリーピープルよりも、地元の我ら市民のために、もっともっと地道に奉仕するべきではないかと彼らを見ながら考えていました。

さて肝心の段葛です。参道に沿って植えられていた桜が老齢化したので撤去して若木に取り替え、ついでに参道とその両側の置き石を整備するという話でしたが、どの桜も小さな花を咲かせているとはいえ、新たに規則的に配置された白っぽい灯篭と置き石のちゃちいこと。歴史を感じさせるかつての重厚なそれはいったいどこへ行ってしまったのでしょう。

数億円の経費をかけたというのに、これではなんだかミニチュアの作りもの。そのうえ参道は以前は黒土だったのにやすっぽい舗装道路に変ってしまい、かつての面影はどこにもありません。

私はこんな改悪の改修工事なら、やらないほうがよっぽど良かったと思いながら、地元の名士連が続々と後に続く行列を眺めておりました。


  日に三度飯にありつき風呂を浴びるげにありがたき暮らしなるかな 蝶人
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トム・ハンクス主演・脚本・監督の「幸せの教室」をみて

2016-03-29 11:36:27 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.997


 当然スーパーを解雇された中年男が、学歴ではくをつけるために通いはじめた大学で知り合った奇妙な女教師ジュリア・ロバーツと恋に落ちる話なり。

 はじめは退屈だが次第にひきこまれて観終わってしまういう、ゆるひとつのウエルメイドコメディずら。

 ここではロバーツも悪くはないが、同僚の経営学の教師役のジョージ・タケイが存在感を発揮している。



   溺死者の身元はいまだ知れずして大雨が降る五年目の春 蝶人
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シュエ・シャオルー監督の「海洋天堂」をみて

2016-03-28 13:00:23 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.996


成人した自閉症児とその父親の苦闘を描く2011年製作の香港・中国映画。うちは妻が健在だから助かっているが、この映画の主人公は妻に死なれ、自分も癌に侵されて余命いくばくもない。

にも関わらず父亡きあとの子の将来を少しでも明るいものにしようと全力を尽くす姿に深く胸を衝かれた。

自閉症に限らず子に障ぐあい者を持つ親は、自分亡きあとの子を誰に安心してゆだねることができるかと日夜頭を悩ますのだが、この映画のような好意的な見守りがいつまでも周囲にあれば死んだ親も浮かばれるというものだ。

我が国ではそういう課題に対応するための「成年後見制度」というものがあるのだが、こいつを悪用してなけなしの遺産を盗み取る悪徳後見人が跡を絶たない。よしんば委託した後見人が悪者であると分かってもいったん契約を解除できない悪しき現行制度を一日も早く改正すべきである。


 オーケストラが唄い出すまで喉を枯らして歌いまくるブルーノ・ワルター 蝶人
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四方田犬彦著「母の母、その彼方に」を読んで

2016-03-27 10:12:35 | Weblog


照る日曇る日第855回


全世界で八面六臂の大活躍を展開している著者による新作は、ぬあんと四方田家の女三代にハイライトを当てた一族の波乱万丈の物語であった。

著者の祖父、四方田保氏は、貧困の家から身を起こし、人権弁護士として活躍。祖父の前妻、柳子刀自は戦前の関西婦人界に令名を馳せつつ幼児教育の理想を貫き、後妻の美恵刀自は屋敷の管理に心血を注ぎ、著者の母親にして「夢見るお転婆娘!」であった昌子刀自は85歳の長寿をエンジョイしておられるらしい。

が、謎に包まれた彼らの生涯とその生の喜びと悲しみを地を這うようにして追跡・復元しようとする著者の試みは、近代日本のブルジュワジーの振興と没落に鋭くメスを入れる金田一耕助探偵のような鮮やかな成功を収めたといえるだろう。

一族の本拠地となったのは現在も関西の高級住宅地である箕面で、森や池や広大な庭のある邸宅で自然と愛情に包まれて育った著者は、どうやら大変な「ええしのぼんぼん」だったようだ。

著者はその「エピローグ」において過去半世紀にわたる「拘泥の感情」について触れている。かつて「女中」として働いていた女性がその子供を連れて四方田家を訪れたとき、著者は立ったまま手にした漫画雑誌を少年に抛り投げたというのである。

しかし昔の言葉でいう「女中」や「おとこし」の奉仕を受けて、蝶よ花よと育てられた富裕階級の少年が、彼らに対して故なき優越意識を懐き、我知らず「階級的身振り」をやってしまうのは、(当時大人がそのことに意識的になって子供に教えない限りは)ある意味では仕方がないことだと私は思う。

ちょうど同じころ丹波の田舎の下駄屋の我が家の冬の朝食では、お釜一杯の芋粥をまず祖父が茶碗に取り、次いで父、それから私たち3人の子供、祖母と母の順で母が手際よく分配していた。

そして皆がずるずると粥を啜っている間、最後の最後に残ったわずかなもはや芋無き粘着物を、我が家の「女中のおりょうちゃん」が、焦げた釜底から削ぎ取るのであるが、それと知りつつ私は、そのような「階級的順位」について長年にわたって微塵も疑いをはさむことはなかったのである。


モザールのアヴェヴェルムコルプスまでCMに使うえげつないこの国の企業 蝶人



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スケルツォ第3番~「南無阿弥陀仏」

2016-03-26 10:47:52 | Weblog


これでも詩かよ第172番

ある晴れた日に 第368回



春一番が吹いた朝、
主がいないお向かいの家では、梅が満開だった。
紅白の梅は、これで1113年の間、主人が帰るのを待って毎年律儀に咲いている。

あるコピーライターは、今は亡き吉本隆明選手から、
「10年続けば何事かではある」などと尤もらしい御託宣を頂戴したので、
自分のブログを10年以上続けているそうだが、自慢話はまだ早い。

詩人の鈴木志郎康さんは、毎朝4時に起きて詩作に励み、
指揮者の小澤征爾選手は、毎朝5時に起きて暗譜に精進、
隣の梅は、未来永劫死ぬまで主人を待っている。

おらっちもこれで70年以上も人間をやってるが、まだ何者でもない。
こいつをあと10年や20年続けたとしても、
何事のおわしますかは知らねども、何者かになれるとは、到底思えないな。

アッハ、お前さん、
要するに、修業が足らない。
アッハ、まだまだ、修行が足りんのさ。

そこで詩人のさとう三千魚さんは、毎日詩を書きたい、という。
詩作は、毎日カンナで木を削るようなものだ、という。
が、お客さん、ぺらぺらのカンナ屑を侮ってはいけないぜ。

カンナ屑こそ、日々の尊い修業のあかし。
真善美の彼岸を目指して、一心不乱にカンナを削る行為は、
一遍が南無阿弥陀仏と唱えながら、1年365日踊り狂うようなものだろう。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
Dance Dance Dance
詩作は、苦しくも楽しい日々のつとめ、日々の祈りのようなものだな。

アッハ、お前さん、
要するに、修業が足らない。
アッハ、まだまだ、修行が足りんのさ。


   気狂いに操られたる酩酊船愚かな我ら乗せて彷徨う 蝶人
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長谷川宏著「日本精神史 上」を読んで

2016-03-25 10:49:39 | Weblog


照る日曇る日第854回


本邦の時代精神を美術、思想、文学の3つのポイントから総括する規模雄大な歴史書ですが、タイトルのいかめしさとは裏腹に、その内容は第1章「三内丸山遺跡」、第2章「火炎土器と土偶」、第6章「古事記」、第10章「最澄と空海と「日本霊異記」」のようなトッピクス立てでドラマティックに展開されていくので、上巻の終りの「正法眼蔵」まで刺激を受けながら興味深く読み進んでいくことができます。

日本精神史の叙述であれば、当然日本精神を代表する幾多の偉人が登場するわけですが、とりわけ阿呆莫迦平家が東大寺などを焼き払ったあと、老境にも関わらず敢然と立ち上がって再建に孤軍奮闘する重源と、それを背後から力強く支援する源頼朝、既存仏教を全否定して立ちあがり「専修念仏」を唱えた法然と親鸞、「只管打座」で「現実が本来の姿を取る世界に近づこう」とした道元に対する著者の深い思い入れに打たれました。

それは恐らく彼らが荒廃と絶望、終末観に閉ざされた現今と同じような閉塞世界を、蛮勇を振るってこじ開けようとした不倒不屈の精神の持ち主であったからに違いありません。

著者は哲学者だと思っていましたが、専門外であるはずの文学の造詣が異常なまでに深く、「万葉集」「古今集」「伊勢物語」「枕草子」「源氏物語」などのサンプリングとシャッフルの鮮やかさには舌を巻くほかありませんでした。


 五体不自由でも存分に性欲を満たすげに恵まれし障ぐあい者なるかな 蝶人
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MEMORIES盤「ミュンシュ」とヨゼフ・シゲティ」を聴いて

2016-03-24 13:56:57 | Weblog


音楽千夜一夜 第360回

 シャルル・ミュンシュのベートーヴェンは1番、8番を除く7曲がライヴ録音で8番の仏コンセルバトワール管弦楽団を除く8曲が手兵ボストン響を振っています。何回か聴いているとやはりスタジオよりもライヴ演奏の方が生気に富んでいて、やっぱりミュンシュはライヴの人だなあ、思うのです。

 もう1つは同じMEMORIES盤のヨゼフ・シゲティです。私は古今東西のバイオリニストのうちでシゲティを一等高く評価していて、とりわけヴァンガード盤のバッハの無伴奏を愛聴しています。

 この2枚組ではモザールの3番、メンデルスゾーン、ベートーヴェン、ベルクを収録していますが、ミトリプーロス指揮NYフィルの劇伴によるアルバン・ベルクベルグが素晴らしい演奏です。


  これは風邪かそれともアレルギー鼻炎か声涙共に鼻を下る 蝶人
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母死して14年

2016-03-23 13:59:35 | Weblog


ある晴れた日に第367回


天ざかる鄙の里にて侘びし人 八十路を過ぎてひとり逝きたり  

日曜は聖なる神をほめ誉えん 母は高音我等は低音

教会の日曜の朝の奏楽の 前奏無みして歌い給えり

陽炎のひかりあまねき洗面台 声を殺さず泣かれし朝あり

千両、万両、億両 子等のため母上は金のなる木を植え給えり

千両万両億両すべて植木に咲かせしが 金持ちになれんと笑い給いき

白魚のごと美しき指なりき その白魚をついに握らず

そのかみのいまわの夜の苦しさに引きちぎられし髪の黒さよ

うつ伏せに倒れ伏したる母君の右手にありし黄楊の櫛かな

我は眞弟は善二妹は美和 良き名与えて母逝き給う

母の名を佐々木愛子と墨で書く 夕陽ケ丘に立つその墓碑銘よ

太刀洗の桜並木の散歩道犬の糞に咲くイヌフグリの花

犬どもの糞に隠れて咲いていたよ青く小さなイヌフグリの花

滑川の桜並木をわれ往けば躑躅の下にイヌフグリ咲く

犬どもの糞に隠れて咲いていたよ青く小さなイヌフグリの花

頑なに独り居すると言い張りて独りで逝きしたらちねの母

わたしはもうおとうちゃんのとこへいきたいわというてははみまかりき

わが妻が母の遺影に手向けたるグレープフルーツ仄かに香る

瑠璃タテハ黄タテハ紋白大和シジミ母命日に我が見し蝶

犬フグリ黄藤ミモザに桜花母命日に我が見し花

雪柳椿辛夷桜花母命日に我が見し花

真夜中の携帯が待ち受けている冥界からの便り母上の声

われのことを豚児と書かれし日もありきもういちど豚児と呼んでくれぬか

一本の電信柱の陰にして母永遠に待つ西本町二十五番地 

なにゆえに私は歌をうたうのか愛する天使を讃えるために 

土手下に真昼の星は輝きぬ小さく青きイヌフグリ咲きたり 

人の齢春夏秋冬空の雲過ぎにぞ過ぎてまた春となる 


  春浅き丹波の旧家の片隅で子らの名呼びつつ息絶えたるか 蝶人
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ジャク・クレイトン監督の「華麗なるギャツビー」をみて

2016-03-22 14:38:12 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.995


スコット・フィッツジェラルドの原作を1974年に映画化したもの。敵役トムのブルース・ダーンとガソリンスタンド男のスコット・ウイルソンは適役だが、主人公のロバート・レッドフォード、ファム・ファタールがミエ・ファーロー、語り手のサム・ウオーターストーンがミシュキャストでいささか残念でした。

でも20年代の狂乱の馬鹿騒ぎがお金に糸目をつけずに描かれていて見ごたえがあります。

チャールストンがあんなに過激な踊りだとは知らなかったなあ。




 1冊も本を読まない人が47.5%もいるという西暦2015年の日本 蝶人
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ピーター・ボクダノヴィッチ監督の「ペーパー・ムーン」をみて

2016-03-21 11:17:58 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.994


 亡くなったばかりの人の家を訪ねて個人が発注したと称する聖書を訪問販売!する放浪の行商人をライアン。オニール。ともしかすると実の娘かもしれない少女をテータム・オニールの実の親子が織りなす珠玉のロードサイドムービー。

 その後この親子が辿った地獄のような苦難の日々をすべて帳消しにするような天国的な傑作映画である。

 あの減らず口をたたく2人を乗せたオンボロ車は、あの儚くも美しい主題歌をBGMに広大なアメリカの荒野のどこかをさすらっているのであらう。


 私の指はいつも冷たいので耕君のいつも暖かな指を握って暖めてもらう 蝶人
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生命の跳躍~シャルル・ミュンシュの音楽

2016-03-20 10:36:17 | Weblog


音楽千夜一夜 第359回


 シャルル・ミュンシュ(1891-1968)は、大好きな指揮者です。
 長くボストン交響楽団の音楽監督を務め、彼の生地ゆかりの独仏両国の音楽にいずれも堪能で、明晰かつ情熱的な演奏を後世に遺してくれました。

 彼がフランス国立放送響と録れたドビュッシーやベルリオーズ、Memories盤で聴くボストン響とのベートーヴェンの交響曲全集やモーツァルト、ブルックナーの交響曲第7番などのライヴ演奏は、いずれも素晴らしい。それは生命の跳躍と輝きがあるからです。

 フランス音楽、ことにベルリオーズの「幻想交響曲」では高い声望を勝ち得ているミュンシュですが、1967年11月14日パリ管弦楽団の音楽監督就任お披露目コンサートの実況録音に聴くドビュッシーの「海」はもっと見事な演奏で、安物のスピーカーから流れる第3曲のトランペットの強奏を耳にしながら、ドビュッシーがインスピレーションを得たという葛飾北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖裏」の映像が忽然と脳裏に出現したのには我ながら驚きました。

 また仏のレーベルAUVIDIS VALOOIS のV4826には、1963年6月にフランス国立管弦楽団とリスボンで行ったライヴ演奏が全8枚に収められています。

 お得意のフランス音楽のほか、ブラームスの交響曲2番、シューマンの4番、ベートヴェンの4番と7番、フランクの交響曲なども収められているのですが、いずれも超の字がつく名演で、この人がバーンスタインなぞ及びもつかない生命力にあふれる音楽をやった大指揮者であったことを雄弁に物語っています。

 マーラーにも思いがけない名盤があります。例えば歌曲「さすらう若者の歌」と「亡き子をしのぶ歌」では、カナダの歌手モーリン・フォレスターの沈湎たる歌唱が深々と心に響きます。

 いまここで音楽を創造しながら、「ああ生きていて良かった!」という切実な思い、光彩陸離たる生命の輝き、そして己の殻をぶち破って、どこかここではない彼方へ飛びだそうとする“命懸けの豪胆さ”が、私たちの心をひしひしと打つのです。

――『生涯の終わりごろ、ブラームスが目も眩むほどの速さでヴァイオリン協奏曲を振りはじめた。そこでクライスラーが中途でやめて抗議すると、ブラームスは「仕方がないじゃないか、きみ、今日は私の脈拍が、昔より速く打っているのだ!」と言った。』

 そんな興味深いエピソードを、ミュンシュはその著書「指揮者という仕事」(田達夫訳)の中で紹介していますが、ここでじつに印象的な風貌を垣間見せているブラームスの姿が、私にはどうしてもミュンシュその人に重なってしまうのです。

 *追記

 ミュンシュの音楽の素晴らしさを知って頂くためのいちばんの近道。それはYouTubeの「人気の動画シャルル・ミュンシュ」というトピックをのぞいてみることです。

 百文は一見に如かず。そこにはボストン交響楽団を中心とした200本もの長短様々なライヴ演奏の動画が陸続と展開されており、彼の卓越した指揮ぶりに信服しているオケの面々の音楽する歓びと、これを目の当たりにした聴衆の感激が生々しく伝わってきます。


 自閉症児が絵を描いているミロより優しくゴッホより激しくピカソより純真 蝶人
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講演「身近な鎌倉の世界」~日常の十二所村から~を聞いて

2016-03-19 10:56:36 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語第363回  


先日わが十二所公民館にて鎌倉考古学研究所理事伊藤一美氏の講演会が開催されましたので、少しくその内容をレポートしてみたいと存じます。

全体のテーマとしては鎌倉時代以降の鎌倉はどうなっていたのかということです。多くの人々は、鎌倉は幕府の崩壊後は急速に首都機能を喪失し、古代以前の寒村に逆戻りしていったという教科書や参考書の記述を信じているのですが、講師の伊藤氏はとんでもない話だと多くの反証をあげました。

鎌倉の東西南北の大路(みち)は古代以来の物資と公民の大きな流通経路であり、この元首都の交易流通力は、鎌倉室町戦国時代においてもその後の近世、近代、現代までもまったく変ることのない重要な役割を果たし続けていたと力説されました。

例えば幕府滅亡後も浄妙寺は、足利義兼の屋敷があり、足利氏の根拠地となり後には足利尊氏や歴代の公方がこの屋敷に住んだのでいまも御所ケ谷の地名になって残っています(せっかく浄明寺のバス停で降りても竹寺の報国寺しかいかない観光客は馬鹿だ)。

鎌倉から逃げ出して古河公方となった足利成氏は八雲神社で毎年開催される祇園祭を座敷で見物したそうですし、1543年の記録には小町大路(「小町通り」ではない)には「日常物屋」すなわち現在のコンビニがあったそうですから、その賑わいはおして知るべしです。

鎌倉時代に女性の力がいかに強かったかについては網野善彦氏の著作を読めば明らかですが、わが十二所の名刹、光触寺の門前に住んでいた馬借・車借の女房は男勝りの女社長として今の宅急便と高利貸を亭主に代わって切り盛りしていたようです。

高利貸といえば、お寺さんはいずこも溜まったお布施を百姓(農民にあらず人民の意)に貸し付けて金儲けしていた(いる)そうですね。

ちなみに現在の十二所の大地主は建長寺と東慶寺だというので驚きました。鎌倉時代からこのかたこの両寺から金を借りて払えなくなった百姓たちの多くの土地が借金のかたに押さえられたのでしょう。

1741年頃の古文書によれば、わが十二所村では宮座に次ぐ左・右座身分の有力者たちが村落共同体を治めていました。江戸時代の記録に残る彼らの末裔がいまなお町内会の主要メンバーに名を連ねていますが、そういう意味では、中世から近世を経て現代にいたるまで、政治経済社会の中核はあまり変わっていないともいえそうです。

   いつの日に東南から光が入る部屋に住むことができるのか次男 蝶人
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シャルル・ミュンシュ著・田達夫訳「指揮者という仕事」を読んで

2016-03-18 11:05:40 | Weblog


照る日曇る日第853回&音楽千夜一夜第358回


シャルル・ミュンシュは大好きな指揮者だ。長くボストン交響楽団のシュフを務め、彼の生地ゆかりの独仏両国の音楽にいずれも堪能で、明晰かつ情熱的な演奏を後世に遺してくれた。

 彼がフランス国立放送響と録れたドビュッシーやベルリオーズ、Memories盤で聴くボストン響とのベートーヴェンの交響曲全集やモザール、ブルックナーの交響曲などのライヴ演奏はいずれも素晴らしい。それは(バーンスタインもそうだが)、生命の跳躍と輝きがあるからだ。

 そんなクラシック音楽の有名指揮者の自伝と思って手に取ったら、ちょっと違っていた。でもなかなか面白い音楽本だった。

 これは昔フランスで刊行された「私は○○○という仕事をしている」叢書のひとつで、たまたまミュンシュが「私はオーケストラの指揮者」編を引き受けて書いた本なので、指揮者になりたい青少年が読むと非常に参考になるのではないだろうか。

 彼はたとえばこんなことをいう。

「オーケストラは一個大隊である。これを指揮したいと思う前に、その心理を深く理解していなければならない。」

「リヒアルト・シュトラウスの父親は有名なホルン奏者だったが、「我われはあなたが指揮台に上がり、指揮棒を手に取るより前に、主人はあなたなのか我われなのか、もう知っています」と語っていた。」

 なるほど。オーケストラにとって指揮者が怖い存在である以上に、指揮者にとってオケは怖い存在なのだ。

「オーケストラの指揮にはスポーツ的な面があるので、私は体操することが必要だと思う。指揮者は、この本来霊感を吹きこまれた存在であり、詩人である者は、想像以上に神経と筋肉との釣り合いを必要とするのである。」

 うむ、指揮者は肉体を鍛えなければやっていけないというのはあまり他のマエストロから聞いたこのとない言葉だな。

 それから、こういう貴重な歴史的証言もあり、付録の訳者の解説?は要らないと思うけれど、まさに「面白くて為になる」講談社的読物でした。(版元は春秋社だけど)

「生涯の終わりごろ、ブラームスが目も眩むほどの速さでヴァイオリン協奏曲を振りはじめた。そこでクライスラーが中途でやめて抗議すると、ブラームスは「仕方がないじゃないか、きみ今日は私の脈拍が昔より速く打っているのだ。!」と言った。


ラジカセがいきなり初期不良品とは東芝は駄目な会社中国に買収されたらもっと酷くなるだろう 蝶人
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弥生三月の歌 ~これでも詩かよ第170番

2016-03-17 13:51:14 | Weblog


ある晴れた日に 第366回


ある日、東映から健さんがやって来た。

なんちゃら組の親分役として、わが社の営業を手伝ってくれるというので、感激した私は一本の包丁を買って来て、「♪包丁いっぽおん、さらしにまいてえ」とア・カペラで歌いながら、東映映画で観たとおりに晒しに巻いて、背広の中に忍ばせた。

その翌日、社員全員で地方へ出張に行ったら、健さんが誰かと喧嘩になったので、すっ飛んで行って、そいつの猪八戒腹を正宗の包丁でブスリとやったら、社長が「よくやった。これで邪魔者は消えたから、この地区の売り上げは倍増だあ」と大喜びした。

その翌々日、私が奥菜恵似の女子と仲良くしているの知った吉高由里子似の女が、「デートしよ」と私を誘ったので動物園に行ったら、猿どもが白昼公然と自瀆しまくっていたので「こんなお下劣な所はやめて、もっと静かな場所へ行こう」と二人でラブホへ行った。

その日の夕方、外で涼んでいると、誰かが庭から勝手に家の中に入ってくるので、
「なんだ、なんだ、おめえは誰だ?」と誰何すると、
「僕ちゃんは、あなたと同姓同名なので、ここへやってきました」という。

そいつは、よれよれのまっ黒けの服を着た全身濡れネズミ男だった。
濡れネズミ男こと佐々木眞は、平壌放送のような予告なしにいきなり歌い始めた。
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」

すると、その後から大勢の子どもたちが、
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのゾウリはまっ黒け」
と楽しそうに歌いながら練り歩いていく。

「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのゾウリはまっ黒け」
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのゾウリはまっ黒け」
共に歌い踊りつつ、私は世界全体の底が抜けたようで、なにもかもが楽しくなってきた。


急に全身雲南桜草になった私は、春風に吹かれながら、全身ネズミ男たちのあとを追った。
目黒区上目黒にあるギャラリーを出て、夜の盛り場を彷徨っていると、ベネチアのカーニヴァルで見た顔を白く塗った女たちが、長い列を作って私を待ち構えている。

その真ん中を通って、大名時計博物館の竹林に入ると真っ暗な部屋があった。
中では二人の若者が、「さあいよいよ戦争だ。これで思う存分南京で人殺しができるぞお!」
と期待に胸を膨らませながら、陛下恩賜の三八銃をピカピカに磨いていた。

三時になったので、いったい誰がお茶を入れるのだろうとハラハラしながら見守っていたら、竹取の翁がかぐや姫に命じてしずしずと茶碗を運ばせたので胸をなでおろした途端、
突然、地面が大きく揺れて亀裂が生じ、二人はそのまま地底深く呑みこまれてしまった。

「おおい、誰かいないか?」と尋ねたが、ついに返事はなかった。


  賛成でもかといって反対でもなくどちらでもない多くの人々 蝶人
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