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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

小池真理子著「神よ憐れみたまえ」を読んで

2021-09-30 10:10:49 | Weblog

照る日曇る日第1639回


朝日新聞日曜版に連載されたエッセイでその名を知って、はじめて手にとった長篇小説です。全篇をすらすら読み終えることができてその点だけは喜ばしかったが、振り返ってみればなにも残ってはおらへんかった。
「美貌の姪に恋焦がれて一生を棒に振る可哀想な叔父さんの悲恋物語」、といえばいえそうな噺ですが、その悲劇的な最期に一掬の涙を催す読者など、この世に誰一人いそうにないのです。
はっきりいうて、物語の中核をなすプロットがとってつけたように胡散臭く、はじめは作者であった話者が、どういう風の吹きまわしか「終章」だけはヒロインの独白に変わってしまう全体構成といい、「宝石のような思い出」のようなとてもプロとは思えない安直な言葉遣いといい、「なんだこれが本当の直木賞作家の作品か!?カルチャセンターの小説志望家の習作じゃないの?」と思わず目を剥いてしまうような、「破天荒」なアマルガムのパッチワークのような代物?でありました。
冒頭のジャン・グルニエの「孤島」からのエピグラフが既にあざといまでに衒学的ですが、ヒロインの職業が、チャイコフスキー好きのピアニストということで、あちこちにクラシック音楽の蘊蓄のような糟粕が散りばめられ、本書のタイトルもバッハの「マタイ受難曲」の第39曲から採られているようですが、それらが歯の浮くように空虚な物語をさらに白々しくするような効果をもたらし、とてもとても気恥ずかしいのであーる。
このせつのポット出の芥川賞受賞作家より、ベテランの直木賞作家のほうが遥かにマトモだと信じていたおらっちがきっと莫迦だったのでせう。


 「土方だよ。あんたに土方ができますか?」そう言われて答えられないボク  蝶人
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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.85」

2021-09-29 11:08:57 | Weblog
蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第412回

○文学賞受賞を祝う友人のスピーチ

雨宮重彦さん、*1
いやさ、雨ちゃん。宮川賞受賞ほんとうにおめでとう。

僕は、君が、いまを去る30年前、横浜の大桟橋からバイカル号に乗って世界放浪旅行に旅立って行った日のことを思い出しています。

君はシベリア鉄道に乗って、モスクワを経由してパリに入り、そこからスペインのマドリッドに飛んで、当時まだ生存していたフランコ総統の独裁政権を打倒するべく勇躍日本を出発したのでしたが、1975年フランコの死去によってその野望を果たすことはできませんでした。

その後、君は当時流行のヒッピーとなって世界各地を放浪し、80年代になって帰国。インドの聖地ベナレスでの宗教的体験を基にした小説『大河』など数多くの秀作を矢継ぎ早に発表し、文壇の注目を集めました。*2

それから苦節15年。あの金満と飽食のバブルの時代にも、巷の栄華を低く見て、純文学ひとすじに研鑚された結果、通算15冊目の小説『辛酸』によってついに念願の宮川賞を受賞されたのです。おめでとう雨ちゃん。本当によくやったね。今日は朝まで飲み明かそう。

○アドバイス

*1名誉ある文学賞を獲得した友人を称えるスピーチ。学生時代の印象的なエピソードを紹介して、作家の修行時代の面影を伝える。親友ならではの滑らかな口調である。
*2作家の生活は苦しい。世間が「豊かな生活」で潤っていた時代にも雨宮氏は食うや食わずで悪戦苦闘していたのである。最後のフレーズに真情がこもる。

 民草の1%の投票で首相が決まる奇怪なこの国 蝶人

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高野文子作「黄色い本」を読んで

2021-09-28 09:43:18 | Weblog


照る日曇る日第1638回

3年の歳月をかけて1999年に完成した、黄色い装丁の漫画なり。

「ジャック・チボーという名の友人」という副題が付けられているがごとく、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの名作の文言を、終始随所に織り込んだ女子学生、田家実地子の日常を描いているが、この作家がいかに山内義男訳の永遠の青春の書に入れ上げたかがよーく分かって、感動的である。

かく申すわたくしめも、若き日にこの「チボー家の人々」全5冊を、来る日も来る日も夢中になって読み耽ったものじゃったなあ。

とりわけ主人公のジャックがベートーヴェンの英雄らしき交響曲を初めて耳にした時の激烈な感動、美少女ラシェルの下肢が、窓から差し込む光によって薄いスカート越しに露わになるところ、

そして最後に、反戦ビラを撒くために飛行機に乗り込むシーンの内的檄白などに圧倒されたものだが、それが後年の自分の音楽や政治に少なからぬ影響を与えたことについて、本書を読みながら改めて思い知らされたことだった。

   大いなる蛇が我が家に入りこむどうすることもできやしない 蝶人

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「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第102回

2021-09-27 10:24:50 | Weblog

西暦2021年卯月蝶人酔生夢死幾百夜


町内会長がやって来て、「4月から国の税率が変わったので、服の売り方も変わり、服の売り方の変化を国の税率に反映する」と言うのだが、我々あきんどには、何のことやらさっぱり分からなかった。4/1
いつの間にやら、わが家に有毒核物質が累積していたので、気がつけば、老いたる父母が死んでしまっていた。4/2
私は半世紀前から辻に立ち、黄昏て沈みゆくこの国の悲愴な末路を、声を大にして「悔い改めよ!」と預言してきたが、誰も耳を傾けようとは「しなかった。4/3
おらっちは、突然大金持ちになったので、auの携帯とHМVのCDを全部買い占めて、とりあえず北京へ飛んだ。4/4
売れない文をしにカンキュウモンダイ原子ロ物象にしたらカンバイ。4/5
太刀洗、三郎ノ滝を過ぎて小さな泉を覗くと、オタマジャクシが泳いでいた。そこから朝夷奈峠を登っていくと、春型の小さなモンキアゲハやカラスアゲハが岩肌の水を吸っていた。熊野神社の参道では、大きな赤い花弁を沢山つけたシャクヤクの木が「ようこそ」と迎えてくれた。4/6
頼まれてやった訳ではないが、パンストのPRの仕事が大当たりしたので、スポンサーから喜んでもらえるか、と思っていたところ、意外にも苦情が来た。その商品は、とっくの昔に製造中止にしているというんであるがあ。4/7
王様の私が、洞窟の中に入ると、民草たちは、いちおう私に敬意を表するかのように一番突き当たりの広間に通してくれたのだが、ふと気がつくと、私の物々しい武装は完全に解除されているのだった。4/8
レースの2順目に差し掛かると、ファンとボランティア奴が、よってたかって余の走行を妨害し始めたので、予はついに、持参したライフル銃を、彼奴等の上空で暴発させた。4/9
「火の丸の割れ目に潜りこむんだあ!」と、オオツキさんが叫んだ。4/10
うちはビール屋だが、いつもの配達員が月期半ばで辞めたので、残りは他の販売員にやってもらうことにした。4/11
もう30日以上、巴里のこのモグラの巣のような地下の迷路の突き当たりの部屋に住んでいたので、きっとみんなが心配していると思って、私は3時間以上もかけて地上に出たのよ。4/12
私はその男を見事に説得して、職場復帰させたうえ、たまたま飛び込んできた黄金色の巨大なセセリチョウを捕まえたのだ。もしかすると新種かもしれない、と思うだに胸が弾んだ。4/13
T大の学長に就任したМ氏は、毎日学食で一皿500円のカレーライスを食べて、生活費を切り詰め、無職の息子に少しでも金を残そうとしていた。4/14
その作品は見るからにうす汚なく、なぜかといえば、薄汚い悪童たちしか出てこないからなのだが、どういう風の吹き回しか、カンヌでグランプリを獲得してしまった。4/15
「新人は隠し芸を披露せよ」と部長が命じたが、そんなことは出来ない私は、彼奴をピストルで撃ち殺してやったら、皆からおおうけだった。4/16
私は500人を収容できる大教室で、ハンドマイクを握り締め、谷崎の「陰翳礼讃」について汗水たらして語り続けたが、誰一人耳を傾ける者はいなかった、とさ。4/17
その館では、腐食女子が出演を待っていたが、トーマス・ハイウエイの丘では、アリストテレスが、政治学について滔々と論じていた。4/18
偶然前の会社で、同僚だったAに会ったので、キッチャ店で長々と話しこんでいたら、彼はまだ私の昔の恋人と付き合っていて、彼女はまだ私に未練があるぞとあおったりするので、なかなか簡単にキッチャ店を出られなくなってしまった。4/19
「海亀」と呼ばれている超小型艇で、単身肉弾攻撃する子供たちの最期の悲鳴が、この岬の先端からは時々聞えた。4/20
半世紀以上にわたって、毎晩博文館の「10年連用日記」にモンブランの万年筆で孜孜として綴ってきた私の日記を、久し振りに読み返してみたが、なめくじがのたうち回ったようなインキの跡が残っているだけで、まったくの意味不明であった。4/21
事前調査も研究もしないで、「取材」と称して人に会いに行くダメジャーナリストに向かって、私は「せめてこれだけは持って行けよ」と言うて、メモ帳とちびた鉛筆を持たせてやったのよ。4/22
世界で1,2を争う腕前の2人のビスポーク・テーラーの戦いは、熾烈かつ華麗なもので、世界中の顧客がその見物につめ掛けた。4/23
救急車の中では、妻が私の右手を握ってくれたが、その手が異様なくらい冷たいので、きっと気が動転して具合が悪いのだろう、と思って「大丈夫?」と声を掛けようと思ったが、声がでないのよ。4/24
今回の選挙に出るA氏は、市の社会福祉活動の重要な一翼を担う人物だが、その姿はまるで大型ブルトーザーが、邪魔者どもを薙ぎ倒して前進するさまを思わせた。4/25
この国の映画は、みな長尺ばかりなので、試写会もおおかた前後の2回に分けて開催されているのだが、どの映画をどこまで見たか分からなくなってしまうので、えらく評判が悪いずら。4/26
「私がかつて人間だった時」という題名の詩を書こうと、朝まで粘っていたが、どうにもこうにもうまくいかなかった。構想は出来ていても、その内部をどう埋めていくのかについてのアイデアが、てんでなかったようなのだ。4/27
牢屋に入れられた死刑囚から頼まれて、ワーグナーの「指輪」のフルスコアを差しいれたのだが、それで彼の生涯の最後をいささかなりとも黄昏色に彩れるとしたら、以て瞑すべきだと思った。4/28
今までいろんな国の写真だと思って、大切にとっておいたのだが、それらの大半が、おふらんすの写真であると判明したので、私は急遽、独逸やベルギーやイタリアに出張して、撮影せざるを得なくなった。4/30


 グジャグジャと詰まらぬ噺を延々とこんなテレビを見るのは阿呆だけ 蝶人
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谷川俊太郎著・佐野洋子画「はだか」を読んで

2021-09-26 11:43:51 | Weblog


照る日曇る日第1637回

1998年に筑摩書房から出版された洒落た詩集です。

男と女、男児と女児、あかちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまでの家族、すべての人間になりかわって、文字通り「はだか」の原初的形態が、全篇ひらかなで赤裸々に開示されていて、目と心が洗われる。

個人的にもっとも感動的のは「おとうさん」で、最後の「おとうさんずうっといきていて」までくると、思わず涙が出た。

そういえば、この詩集のいくつかに武満徹が曲をつけた「系図」が、今はどこかに消えてしまった遠野凪子の語りで放送されたときも、思わず涙が出たなあ。

コマーシャル用にじゃんじゃん書き飛ばす谷川選手は全然好きになれないが、ここ一番で本気を出すと、やっぱり凄い詩人だと思わされる1冊なり。

  夕刊が2時半に来るとは早すぎる明日の朝刊と同じ記事なり 蝶人

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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.84」

2021-09-25 09:50:10 | Weblog
蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第411回

○市民野球大会優勝祝賀会の来賓の祝辞

ひとことお祝いを述べさせていただきます。峰山市市会議員の富田雄二でございます。*1

スポーツといえばやっぱり野球であります。海の彼方ではイチロー、佐々木、野茂はじめ日本選手が大リーグで大活躍いたしておりますが、なんといってもアメリカは遠い。私の自宅から5分の峰山球場で、血沸き肉躍る市民野球を朝から夕方までエンジョイすることができたのは、本日参加された皆様のおかげであります。*2

そして今日、栄えある優勝を飾られました「ゴーストバスターズ」チームの監督、選手、コーチの皆さん、ほんとうにおめでとうございました。最後9回2死満塁の大ピンチをよくきりぬけられましたね。準優勝の「サンダーバード」以下五チームの健闘も見事でした。*3

私は甲子園を見るたびに思うのですが、野球は最後に勝つのは1チームです。残りは必ず負ける。従っていかに見事に負けるかを知るのが野球と人生の極意だと思うのであります。今日鮮やかに負けた敗者チームに絶大な拍手を送らせて頂きたいと思います。

○アドバイス

*1歯切れよく、畳み掛けるように語を継ぐ様はスポーティで野球大会祝賀会の雰囲気にぴったりである。日米野球を軽妙に対比させている。
*2優勝、準優勝チームを褒める。
*3それ以外のチームを褒める。確かに、甲子園は勝つことのみを目指しているように見えるが、実際は高校生が人生における負け方を学ぶ絶好のチャンスなのである。

     一瞬の露出に賭ける栗原嬢道路交通情報短し 蝶人
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正岡子規著「仰臥満録」を読んで

2021-09-24 09:18:34 | Weblog
照る日曇る日第1636回

「仰臥満録」は、「墨汁一滴」「病床六尺」と並ぶ子規晩年の遺作である。

時系列でいうと、まず「墨汁一滴」が、明治34年の1月13日から7月2日まで「日本」紙上に連載され、ついで私家版の「仰臥満録」が、明治34年9月2日から間歇的に35年7月29日まで、最後に「病床六尺」が、明治35年5月5日から子規命終2日前の9月17日まで、再び「日本」紙上に連載された。

ただし、本書「仰臥満録」が他の2書と異なるのは、それが、生前メディアに発表されることなく、秘かに書き継がれた完全にプライベートな遺物であることと、その中に自他の俳句作品の他に、草花の絵やスケッチやメモ、雑誌の切り抜きなどが含まれていること、である。

既にして重篤な寝た切りの病人であった子規は、土佐の俳人が送ってくれた贅沢な大版半紙を見て、生前最後の「極私的詩画の世界」に羽ばたこうとしたのであろう。

集中の白眉はいうまでもなく「大雨恐ロシク降」り、その後晴れた明治34年10月13日の記録である。

妹律が風呂に、母が電報を打ちに行ったために一人きりになった子規は、頭の左側に「二寸許リノ鈍イ小刀ト二寸許リノ千枚通」を発見し、こう思う。

この小刀で喉笛を切り、この錐で心臓に穴を開ければ死ぬことは出来るが、長く苦しむだろう。「死ハ恐ロシクハナイノデアルガ、苦ガ恐ロシイノダ。病苦デサヘ堪ヘキレヌニ、此上死ニソコナツテハ、ト思フノガ恐ロシイ」のである。
命の瀬戸際で、冷静な思考によって鬼気迫る大惨事を未然に防いだ子規だったが、しかしおらっちが一番恐ろしかったのは、その文末に添えられた「二寸許リノ鈍イ小刀ト二寸許リノ千枚通」のリアルな挿画であった。

  たまさかにアオバセセリが生まれたが妻に会えずに命尽きたり 蝶人
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ドストエフスキー著・米川正夫訳「未成年」を読んで

2021-09-23 09:46:40 | Weblog


照る日曇る日第1635回

これは「悪霊」のあと1875年に書かれた4番目の長篇である。題名通り「未成年」である若者の未熟で自由奔放な「生活録」を、まるで熱に浮かされたような独白(筆致)で綴っていくのであるが、これは「罪と罰」と同様、雑誌の締め切に追われた口述筆記の所産ではなかろうか?

確かにある若者の不幸な生い立ちや、ねじれた親子関係から出立して、次々に登場する正体不明の公爵やら老公爵、その令嬢や、やくざなチンピラやら、筋金入りの悪人どもの跳梁跋扈、そして、恋あり、愛あり、失恋あり、自殺あり、密偵あり、ピストルあり、犯罪あり、なんでもありのサスペンスフルな冒険小説兼青いビルダングスロマンは、面白いといえば面白いが、しかしてその実態は、ちゃんとしたプロットもなしに毎月毎月出たとこ勝負で書きまくった前人未到の壮大な失敗作、ではないだろうか?

例えば真ん中へんで主人公が、「わいらあ突如大金持ちになったずら」と告白し、「これからその経緯を述べよう」と宣言するので、気負いこんで読み進めていけどもいけども、そのかんの事情などはついに説明されることなどく、小説は次から次へと勃発する小事件の迷路のそのまた奥の細道に紛れ込み、その都度主人公ならぬ作者が顔を出して、「後刻その謎を闡明すべし」などと弁疏はするのだが遂になされず、つまりはなあにがなあんだか訳が分からんうちに、物語は終わってしまうのである。

ドストエフスキーはどんな長篇のなかでもよく脱線して、本筋以外の思想や余話に饒舌をふるうが、この小説の本質は、その「枝葉末節の凝縮そのもの」、「小説のようなものの集大成」、「ライヴ小説の実験」であるというても過言ではないだろう。

でも急いで付け加えておくが、終わりの方で突然登場するマカール老人の風貌と言説は、「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老のそれを思わせつつ、より一層素朴で原初的で、その姿がいつまでも忘れがたない感銘を残す。

  官邸に睨まれて大阪に飛ばされた武田キャスター元気にしとるか? 蝶人
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正岡子規著「花枕他二篇」を読んで

2021-09-22 13:28:17 | Weblog

照る日曇る日第1634回


文学者は、みな小説家になりたがる。短詩形の詩歌は短いが、小説は長いから原稿料が入りやすいからだろう。もちろん正岡子規も、あの石川啄木も、小説家になりたかったのだが、事志と違って、その代わりにというては何だが、もっと物凄い存在になり上がってしまった。
しかし子規は病気で政治家を諦めて文学に転出してからも、のちの漱石のような流行作家になりたかったのは間違いない。
そんな子規であったが、2本の未完作を含めて、生涯で7つの小説を書いていて、この文庫本では、処女作の「月の都」(明治25年大学時代に執筆、発表は27年)と「花枕」(明治30年3月)、「曼珠沙華」(明治30年9月)、の3つの短編が読める。
「月の都」は、相思相愛の若い男女が、ついに結ばれずに月の都へ逝ってしまうという悲恋幻想物語で、漱石の虞美人草を凌ぐ巧緻を極めた漢文脈の文語体で綴られているが、いくらこれでもか、これでもかと名調子の美文を並べても、肝心の内容自体が幼稚なので、これを読まされた幸田露伴が推薦を尻込みしたのは理解できる。
けれども、もし子規が「月の都」を現実派の露伴ではなく、理想派の鴎外に持ち込んでいたなら、別の道が開けていたかも、と思わないでもない。
3年後の「花枕」も哀しい幻想小説で、継母に苛められている貧しい花売娘を2人の天使が救おうとするが、姉も一緒にと願うために果たせないという悲話であり、後年子規が激賞した一葉に比べると物語のプロットが弱すぎる。
「花枕」と同じ年に執筆された「曼珠沙華」も、花売り娘がヒロインの悲恋小説であるが、これは短編というよりも中編で、しかも発展途上中の口語体で書かれている。
ここでは娘を好きな癖に、親に言われるがままに富豪の子女を娶ろうとする気の弱い主人公の揺れ動く心中が、写生文で描き出されていてちょっと二葉亭四迷の「浮雲」を思わせるが、物語の結末は、横山大観の画のごとく朦朧としている。
しかしそういう構造的な欠陥はありつつも、子規の小説の随所に読みどころはあり、万が一彼の健康と長寿、さうして同時代の良き指導鞭撻者を得たならば、詩歌以上の傑作を生みだした可能性は、なきにしもあらずと思えるのである。


「お庭にはいっぱい蝉の抜け殻があるのよ」といううちの奥さん 蝶人
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「Reginald Kell The Collectin11枚組CD」を聴いて

2021-09-21 13:25:02 | Weblog

音楽千夜一夜第485回&蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第409回


レジナルド・ケル(1906-1981)は一昔前の英国のクラリネット奏者で、ロイヤル・フィルやロンドン・フィルの首席奏者を務めた。
この11枚組CDには、ドビュッシー、ヘンデル、ベートーヴェン、シューマンなども含まれているが、殊にモザールとブラームスが多く、何種類ものクラリネット協奏曲や三重奏曲、五重奏曲を聴き比べることができて楽しい。
演奏はいわゆる英国のジェントルマンらしく上品で悠揚迫らぬもので、これを前時代的な名人芸と評する人もいるだろうが、勝手に言わせておけばいいのである。


 善き夢を見たのであるがその夢を覚え損ねて悔しがる夢 蝶人
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森鴎外著「鈴木藤吉郎」「鈴木藤吉郎の産地」を読んで

2021-09-20 11:46:20 | Weblog

照る日曇る日第1633回


安政の江戸町奉行に奉職していた鈴木藤吉郎という人物に、どうして鴎外が着目したのかはよく分からない。
しかしながら、ともかく大正6(1917)年の鴎外は、いつのまにやら成りあがって水戸老公斉昭や老中阿倍正弘の後ろ盾を得ながら、その晩年に謎の没落を遂げて正史の闇に沈んで行った、この謎の鈴木氏の生涯の秘密を追うことに、青白い情熱を傾けていたようにみえる。
「上野博物館にある江戸城の太鼓の皮には接際がある」、と知っていた藤吉郎は、それゆえに民ではないかという、いわれなき疑いを掛けられていた。
「鈴木藤吉郎」を書きあげた鴎外は、その後手掛けた「鈴木藤吉郎の産地」の取材の為に知人石井氏をして下野国都賀郡に赴かしめ、その噂の真偽を確かめようとしたのだが、残念ながら予期した成果を収めることができなかったのである。


  町内の誰かが日の丸を出しているはてさて今日は何の祭日? 蝶人
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西暦2021年長月蝶人映画劇場その2

2021-09-19 10:29:11 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2657~61

1)バレーリー・トドロフスキー監督の「ボイショイバレエ2人のスワン」
2017年のロシアバレエど根性物語ずら。
2)ラウル・ペック監督の「マルクス・エンゲルス」
2017年の仏独白耳義合作映画。プロレタリア革命の大義と理想を掲げた両名が、正義者同盟を乗っ取って「共産党宣言」を発し、1848年に2月革命が勃発するまでを描くが、彼らの波乱万丈の活動はその後も続くので続編に期待したい。
3)ダーネル・マーチン監督の「キャデラック・レコード」
シカゴでチェス・レコードを起こしたレナード・チェスとその周りに集結したマディ・ウオーターズ、エタ・ジェイムズ、チャック・ベリーなど凄いミュジシャンたちの生態を生々しく描く2008年の音楽映画。
4)クラーク・ジョンソン監督の「ザ・センチネル」
米国大統領を護衛するマイケル・ダグラスの活躍を軸にした2006年のハリウッド映画。ダグラスは、大統領夫人のキム・ベイシンガーまですけこますのは立派である。
5)ロベルト・ヴィーネ監督の「カリガリ博士」
1919年製作の独逸の無声映画。精神を病んだ人々の妄想が表現主義の技法で興味深く映像化されている。


「古風なる音楽を聴きし障害児落涙す」と聞かされし死刑囚以後藤井に会わず 蝶人
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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.83」

2021-09-18 13:12:49 | Weblog
蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第410回


市民サッカー大会優勝祝賀会監督の謝辞
本日は、私たち「丹波ビクトリー」のために、かくも盛大な優勝祝賀会を催していただき、選手一同身に余る光栄と感謝、感激いたしております。*1

なにせ2年前に誕生したばかりのにわかサッカーチームなので、発足当初は、選手はいない、練習場はない、マネージャーはいない、お金はないはで、ナイナイ尽くしのスタートでありました。たまたまブラジルのサンパウロに移住して、大きなコーヒー園を経営している私の友人がおりました。ある日電子メールで、そっちに中田選手より上手なブラジル選手がいたらユニクロ価格でこっちに輸出してくれないか、と駄目もとで頼んでみたのです。*2

そしたら、驚いたことには、半年後に突然精悍な顔つきのブラジル人が自宅にやってきて、「コンニチハ、寺尾監督いますか。私サッカー手伝います」と、片言の日本語であいさつするではありませんか。それが、今日も決勝戦でハットトリックをやってのけた、わが「丹波ビクトリーズ」の司令塔アルシア・デ・ローラさんであります。

デ・ローラさんの加盟によって「丹波ビクトリー」は生まれ変わりました。2つの遺伝子がミックスされて強力かつ斬新なスポーツ集団が誕生したのです。

私は痛感いたしました。こんなローカルな地方都市にも、いまや新しいインターナショナルな風がぶんぶん吹きまくっている。経済や文化と同様、21世紀のスポーツはサッカーでも野球でもプロでもアマでも本格的なグローバリズムの時代に突入しちゃったな、とつくづく思うのです。*3

ちなみに、デ・ローラさんは、現在うちのチームのMF以外にも、郡是市の郡是中学校の体育の先生として大活躍をされています。市長さんの夢は、わが郡是市を、国籍や国境を乗り越えて世界中の人々が自由に働き、交流し、スポーツを楽しむ世界一のボーダーレスタウンに変身させることだそうですが、本日の祝賀会がその輝かしい出発点になればいいな、と心から願っております。

○アドバイス
*1“ゼロからのスタート”で、見事に市民サッカー大会で優勝を飾った監督の苦労話である。スポーツマンらしく喜びを率直にあらわし、市民の支援に感謝すると共に、平素の思いを忌憚なく披露する格好の舞台である。
*2苦肉の策の海外選手強化策が実ったことで、国際的な人材交流の意義、グローバリゼーションの真価に目覚めた監督の感慨が実感をともなって語られる。
*3南北問題や先進国対発展途上国の貧富の差、デジタル・デバイスなどの難問は山積しているが、寺尾監督は地球市民の一員として新しい21世紀のサッカーを創造しようとしているようだ。

     鎌倉から桜が丘へ行く息子高座澁谷を歩いていたとか 蝶人
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正岡子規著「病床六尺」を読んで

2021-09-17 15:42:31 | Weblog

照る日曇る日第1632回

「墨汁一滴」は自力で執筆できた子規だったが、ますます病は重くなり、明治35年5月5日からの日記「病床六尺」は、口述筆記に切り替えざるを得なくなった。しかし、であるがゆえに、記述の対象は前著よりも多角的に広がったので読み応えがある。
とくに興味深いのは、歌舞伎と能に関するコラムで、舞台の構造、楽器、脚本など、後者が前者に与えた影響を具体的に論じているので面白い。また能楽社会の家元制度の封建性を難じたり、将来の能を憂いて、流派の交流混淆や、ワキ師がハヤシ方を掛け持つなどの「一人多役」の試みなどを提案しているのは、現代でも或る種の説得力を持っているようだ。
また、病床六尺に伏せり身動き一つままならぬ中で、ジョージ・ワシントンの自伝を英語で面白く読んでいるのは、中江兆民と一味違う、「死病を楽しむ境地」に達した証であろうか。
さて本書でもっとも切れ味抜群の文章は、8月24日の「お嬢さんの名は南岳艸花畫缶」で終わるコラム。そしてもっとも感動的なのは、ちょうど連載100回目に当たる明治35年5月20日の記事である。
ここで子規は、毎日の原稿を中に収める封筒の上書きについて書いている。すなわち従前ならば毎日「日本新聞編集部御中」と自ら上書していたのだが、病苦の為にそれが出来なくなったので、宛名を印刷した封筒を100枚作ってくれないかと頼んだところ、社長の陸羯南はなんと300枚を送って寄越したというのである。
できれば100回を書き続けたいと願った子規に対して、300枚を届けた陸羯南の心根に奮いたった子規は、「二百枚は二百日である。二百日は半年以上である。半年以上もすれば梅の花が咲いて来る。果たして病人の眼中に梅の花が咲くであらうか。」と書いて結ぶが、コラムはあと27回しか続かなかった。
哀しいかな、ついに梅は咲かなかったのである。


 ケアマネやスクールソーシャルワーカーがヤングケアラーの支援をするてか 蝶人
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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.82」

2021-09-16 10:56:40 | Weblog


蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第409回

○市議会議員当選を祝う会での友人の祝辞
事務局長の潮田益子です。*1

京須虹子さん、虹子さん、あなたという人は、遂に遂にやってくれたわね。思えばわたしたちが人口5万人の玉川市に「たまがわの自然と人間を守る会」を立ち上げたのは5年前だった。その時のメンバーはあなたと私と波多野静子さん、たった3人の主婦でした。*2

でも見て頂戴、この会場を埋め尽くした人、人、人――。どれほど多くのボランティアさんや市民の方が必死であなたを応援してくれたことか。それを思っただけで私は涙が溢れてきます。*3

そうなのね、やっぱり地球と自然に優しく、お年寄りと子供たちを大事にしよう、という私たちの考えは間違っていなかったのね。だからこそ5768人もの有権者が私たちを支持してくれたのね。

ありがとう、ありがとう皆さん。おめでとう、おめでとう虹子さん。今日は「たまがわの自然と人間を守る会」にとって絶対に忘れられない日となりました。*4

さあ、虹子さん、皆さん、乾杯しましょう。明るく楽しく住みよい明日の玉川市のために!

○アドバイス
* 1女の友情に強く結ばれたNGOのメンバーが初めて市会議員に当選した。喜びに満ち溢れた肉声が選挙事務所に響き渡る。
* 2即興的なスピーチだが淀みなく言葉が流れ出る。祝祭的な気分がいっぱいである。
* 3政策を振り返り、支持者に感謝することを忘れてはいけない。
* 4最後は乾杯の音頭となっ一気に締めくくられた。

   大学の同窓生が東京に集まるというに行けないのよボク 蝶人
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