あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

夢は第2の人生である 第35回

2016-07-31 12:19:49 | Weblog
 

西暦2015年神無月蝶人酔生夢死幾百夜


極寒の僻地にあって九死に一生を得た私らは、ようやく郷里に帰還しようと寒村の小さな駅に辿りついたのだが、プラットフォームに立つと、アテルイという名の記された深紅の長い長い貨物列車が、轟音をあげて通り過ぎて行った。10/1

久しぶりに、以前訪れたことのある野原の果ての廃墟にやって来た。今回は、なぜだかイラストレーターの川村さんや画家の橋本さんなんかと一緒だったが、入口には「隠喩とアナスタシア」と書いてある。いったいどういう意味なんだろう。展覧会でもやってるのか?10/2

戦争が近付いてきたからか、急に井戸掘りを頼まれるようになり、その数なんと1万件に達した。焦った私は、知り合いの伝手やコネを総動員して、全国各地の職人をはじめ学生のアルバイトまでかき集め、朝から晩まで井戸を掘り続けている。10/2

山中でその子の死体を見つけたのは、数日前のことであった。どうしてこのようなものがこんなところに、と思ったのだが、私は、そのことを誰にも言わなかった。10/3

しばらく経ってから、私はその場所を目指して山を登って行ったが、山道でイノシシや野兎や猿や熊たちと出会うたびに、私の顔も、体も、彼らの顔かたちが乗り移って、異様な風体へと変身していくのが分かった。10/3

妻が運転する車に乗って学校へ行ったら、「今日は私も授業があるのよ」というので、驚いて彼女の教室をのぞいてみたら、聴講する学生が鈴なりだったので、また驚いた。私の授業の聴講生ときたら、毎年10名すれすれなのに。10/4

こないだ通販で買ったCDを、同じ業者がさらに安く売っているのを発見して、「こんちくしょう、どうしてそんな酷いことをするんだ。おいらがなけなしの金をはたいて、清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったというのに」と、朝までいきまいていた。10/5

新製品のネーミングにうるさい社長だったので、「では英語やフランス語やイタリア語はやめて、古い日本語でいきましょう。「国定忠治は男でござる」というのはどうですか?」と冗談半分で提案してみると、「おお、いいね、いいね。どうしてもっと早くそれをいわないんだ。それ、それ、それでいこう!」と大喜びするのであった。10/7

「信望愛」のうちでもっとも大いなるものは愛である、とたしか新訳聖書に書いてあったような気がするのだが、信仰も愛もてんで持ち合わせのない私は、一筋の希望さえあれば、なんとか今日も生きていくことができそうに思えた。10/7

ふとしたことで知り合った2人の女性は、いずれも小説家だったが、てんで本が売れないというので、「千円引きでなら、私が買ってあげますよ」と口走ったら、その翌日、段ボールを満載したクロネコヤマトのトラックが玄関に停まった。10/8

広大な原っぱには巨大なテントが張られており、中ではフェリーニのサーカスを思わせる極彩色の、ファッションと音楽と演劇を一体化した、夢のようなライブイベントが繰り広げられていたので、私は歓声を上げながら、写真を撮りまくっていた。10/10

電話ボックスの中に入ると、なぜだかその中にも薄緑色の植物が生えていた。電話しながらそのやわらかな葉っぱを食べていると、大きなムク犬がボックスに入って来たので、こいつにも葉っぱを食べさせてやった。10/11

新聞社の「市場」についての調査にご協力ください、といって訪れた若い女性が、あまりにも魅力的なので、家に迎え入れて耳を傾けていると、結局は物販の売り込みの話なのであった。10/11

この節は度量衡の規格が次々に変わる。こないだは判子を作り直したばかりだというのに、今度は「持ち船の形式と容量を見直せ」というお達しが出たので、結局造り直さざるを得ないだろうな。10/12

埋立地に出来た見本市会場の件で、若い女性の部下と一緒に現地の担当者を訪ねた。1ヶ月後にその商談が纏まった頃、担当者と部下の連名で、結婚式の招待状が届いた。つまり彼らは、ひと月で2つの商談をまとめたわけだ。10/13

一念発起、酒も女も絶ってひたすら店頭で販売の音頭を取ってみたものの、声を張り上げれば張り上げるだけお客は逃げ出していき、売り上げはさっぱりだった。10/14

3人で町を歩いていたら、チンピラ2人にからまれたので、うちのA子がさっと金的を蹴り上げると、その時は素早く退散したが、今度は私がいない間に、A子ともう一人の若者を誘拐したので、私は正宗のドスを腹に呑んで、敵の本拠地に奪回に向かった。10/15

中国の田舎の空港で降りたら、昔会社で常務だったナベショーという男が、免税店でどんくさいアメカジを売っていたので、懐かしくなってポロシャツを買おうとしたら、ナベショーは大きな鍋で炒め物を調理しながら、「お客さん、ここらへんは、商売さっぱりあきまへんわ」と、情けない声を出した。10/15

眠っている間に地震が襲ってきて、私が乗った地球というメリーゴーランドを揺り動かす。それはヒトコマごとに前進するのだが、ときおり揺り戻しがあって、また元に戻ったりするので、非常に恐ろしかった。10/16

やがて官憲が、わが家を違法建築であると決めつけて、取り壊しにやって来たので、私は毒矢で武装し、今度こそ死ぬまで徹底抗戦しようと決意した。10/17

「遊動円木」とか「不労所得」とか「交響楽」という名前の鳥たちが、ひらひらふらふら飛びまわっていた。10/18

次期ノーベル文学賞の受賞が内定した谷崎潤一郎選手の命を狙う悪党がいるというので、私は、警視庁から派遣されて、彼の警護に当たっていた。10/19

「綺麗な呼吸大会」という不思議な大会に出場した私は、あらゆる瞬間において見事な呼吸をしている、という理由でグランプリをもらったが、受賞の意味がてんで分からなかったので、もらったトロフィーをその場に置いて退場した。10/20

今日もいつもと同じ散歩道を歩いた。歩きながらビシバシ写真を撮っていたが、「まてよ、これでは毎日同じ写真ばかりになってしまう。少しはフィルム代を節約しなきゃ」と思って、撮るのを止めてしまった。10/21

コンセプトは「我らの右手」だ。午後9時には子供たちを階下で寝かせ、大人たちだけの製品づくりが始まった。10/23

星まつりの夜に、窓の外で2002年の2月に身罷った愛犬ムクが「WANGWANG!」と鳴いているので、外に出ると、衝突した車から飛び出した若い衆が、川の中で白眼を剥いて斃れていた。恐らく、もう死んでいるのだろう。

すると、すぐ近くで悲鳴が聞こえたので飛んで行くと、やはり同じ年頃の、祭りの法被を着た若い衆が、道の真ん中で白い泡を吹いて斃れていたので、驚いた。すぐに救急車を呼ぼうとしたのだが、生憎その番号を思い出せないので、携帯を握りしめて棒立ちしているわたくし。10/24

私らは、大木の枝の上に鳥の巣のような小さな小屋を作って、その中で生活していたが、なにしろ狭くて、ちょっと風が吹いてくると大きく揺れ動くので、不安で仕方なかった。10/26

今夜は豪華な肉料理をフルコースで食べるのだから、お昼は蕎麦にしておこう、と思うのだが、天ざるにしたらエビ天がお腹に残ってさしさわりがありそうなので、店の前でメニューを眺めながらいつまでも迷っていた。10/26

一緒に歌舞伎を見にいったデザイナーが、「あたしはもう仕事が嫌になった。こんな仕事を八十までやるのかしら」と自嘲していたが、私は知らん顔をしていた。10/28

昔からお世話になっていたSURELADYというブランドを担当する佐々木さんを訪ねたら、大病を患っていて、もう長くなさそうだったが、相変わらず優しく頬笑んでいた。10/28

ボスの命令で会社に従業員家族を招くことになり、私は会場のあちこちに美しい花々を飾り付けたのだが、当日入場した人たちは、誰一人目を留めることもなかった。10/29


           右左右翼ばかりで文月尽 蝶人

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岩波文庫版自選「谷川俊太郎詩集」を読んで

2016-07-30 10:43:08 | Weblog


照る日曇る日第883回


2000年を過ぎてからしばらく夢中になった短歌に飽きてきた頃、(私はなんでも2年で飽きるのです)、谷川俊太郎選手の詩と出会った。

もちろんそれまでにも彼の詩を読んでいなかった訳ではなかったが、当時朝日新聞に毎月1回連載されていた「今月の詩」というものを、まじまじと読んでみたのである。

するとそれが毎回格別難しい題材を取り扱うでもなく、するりと読める、なんてこともない作品ばかりだったので、私は「なんだ、これが我が国を代表する当代一の大詩人の作品なのかあ」と拍子抜けすると同時に、こんな「ゆるい」詩なら俺だって書けるんじゃないか」と嘯いて、突然詩を書いてみたくなった。

谷川俊太郎選手は、私に向かって、「あのねえ、詩なんて誰だって書けるんだよ。上手か下手か、そんなことなんて関係ない。書きたいことを書きたいように書けばいいんだよ。かっこつけないで、ほら、やってごらんよ」と挑発したのである。

忘れもしない2013年7月11日、私はその頃大好きだった「真っ赤な果実のビタミーナ」という清涼ドリンクを机の前に置いて、そういうタイトルの詩のようなものを一気呵成に書き下ろした。私が生まれて初めて書いた拙い詩であった。

それからちょうど3年経つのだが、私は谷川俊太郎選手、いな谷川俊太郎先生の御蔭で、飽きたり嫌になったりせずに、時々まだ下手くそな詩を自分流に書き続けている。

本書はそんな大恩人が60冊を越える2千数百の詩のなかから自選した173篇の詩集であるが、ツエルマットの麓から仰ぎ見るマッターホルンの秀峰のような壮麗さで私の眼前に聳え立っているような気がするのである。


 真っ赤な果実のビタミーナ

うちの妻君が「水曜日だから、これ捨てるわよ」と言って台所の流しから持ち出したペットボトルに、私は待ったをかける。
あわてて彼女から赤いラベルのペットボトルを取り戻し、目の前に置く。

私はゴミ収集車が「♪エリーゼの為に」を鳴らしながらやって来るまでに、この詩を書き上げなければならない。

「真っ赤な果実のビタミーナ、ビタミンCたっぷり」
「おいしく摂れるビタミンC450mg」
と、そのボトルの包装ラベルには書かれている。

しかしそんなことはそうでもいいのだ。
ブドウ、グレープフルーツ、イチゴ、アセロラ、ラズベリー、ブラックカラント、トマトなどなど、いろんな果実がいっぱい入ったこの真っ赤な飲み物に、いま私は夢中なんだ。

私の眼を射るその独特の赤は、「ベサメ・ムーチョ」を絶唱する藤沢嵐子の頸動脈のように欲情に燃えあがり、
私の喉を潤すその味は、夜な夜な千夜一夜の物語を語り続けるシェヘラザード姫のつばのように、こってりと甘い。

おお、甘露甘露! 
嵐子さん、あなたの赤を、私ははげしく欲する。
おお、甘露甘露! 
シェヘラザード姫、あなたのつばきを、私は限りなく欲する。

西暦2003年7月8日の昼下がり。
ニイニイゼミが狂ったように鳴き始めた新宿南口の青空の下で、私は1本150円の「真っ赤な果実のビタミーナ」を飲む。
広場の真ん中で立ったまま、私はアラビアのロレンスのように、何本も何本も、とっかえひっかえ次々に飲み干す。

甘露甘露、真っ赤な果実のビタミーナ!
わが愛しき真っ赤な果実のビタミーナちゃん!
もう駄目だ。もう止められない。
Oh Yeah! 私は君に夢中なんだ。


 待望の3000安打近きイチローのただ1打席のためにテレビつけてる 蝶人


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寄せ集め洋画3本立

2016-07-29 12:55:08 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1057、1058、1059



○シドニー・ポワチエ主演・監督の「ブラック・ライダー」をみて

1971年のアメリカ西部劇映画。シドニー・ポワチエが黒人を率いて西部の新天地を目指す苦労話ずら。にわか牧師に扮したハリー・ベラフォンテとの凸凹コンビぶりが面白い。



○P.J.ホーガン監督の「お買いもの中毒な私」をみて

確かに自分が欲しいものをカードでじゃんじゃん買いまくるのは快感だ。この映画をみて、私もぜひやってみようと思った。以上。



○ジョン・アヴネット監督の「フライド・グリーン・トマト」をみて

それなりに練られた脚本だと思うが、もっと格調高い作品にならなかったのは監督の才能のせいだろう。役者もジェシカ・タンディ以外はミスキャストずら。



  昨日までポケモンに夢中のマスコミがやまゆり園に入れ込む不気味さ 蝶人

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T.S.エリオット著・岩崎宗治訳・岩波文庫版「荒地」を読んで

2016-07-28 11:27:01 | Weblog


照る日曇る日第882回



 詩は時間の経過とともに現実の素直な描写やそれにともなう感情の吐露を離れて、もっと非現実的な世界、主観的で複雑な心象の世界へと表現を純粋に特化してゆく。

 それが詩の近代化とか現代化という現象なのだろうが、その道行きがそのまま詩の「進化」とか「進歩」ではないし、そこで作られる詩が、従来にはない新しさを備えていたとしても、ただちに藝術として優れたものであったりしないのは音楽の世界と同様自明のことわりである。
 
 エリオットによる「荒地」は、そういう意味では詩の世界を革命したという曰くつきの作品なのだが、誰の翻訳でなんど読んでも、いったい全体何を云いたいのかよく分からないし、注釈や解説と併せ読んで辛うじて意味の一端が呑み込めたと思ったとしても、格別面白くもおかしくもないので閉口する。

「荒地」はほんの短い詩篇なのにシェークスピアとかダンテとか聖書とか「聖杯伝説」とかフレーザーの「金枝篇」からの引用と引喩に満ち溢れていて、それを知っていないと正しい解釈が出来ない難解な代物らしいが、そんな高踏的でしち面倒くさい大正11年に英国で作られた詩なんて、少なくとも私には要らない。

 ただ一個所だけ「Ⅴ雷の言ったこと」の中で、「いつもきみのそばを歩いている三人目の人は誰だ?」というフレーズがあって、妙に気になる。思うにこれは萩原朔太郎の散文詩「死なない蛸」のごとき「不滅の実在」について触れているのではないだろうか。

 されど私は、こうゆうご大層なインテリゲンチャン御用達の大詩集とは無縁の荒れ地に一人立って、自分の書きたいことを、自分の書きたいようにチビチビ書いてくたばるのであろう。


  施設では楽しく過ごしてほしいのに夜中にいきなり殺されたりもする 蝶人

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三好達治編・岩波文庫版「萩原朔太郎詩集」を読んで

2016-07-27 11:33:58 | Weblog


照る日曇る日第881回


「日本近代詩の父」というレッテルを貼られている詩人であるが、さあそれはどうだろうかなあ。ボードレール並みとはちょっといかないと思うよ。でももしそうなら「日本近代詩の母」は中原中也ということになるんかなあ。

私が昔から好きな萩原朔太郎は「こころをばなににたとえん こころはあぢさゐの花」という2行で始まる『こころ』。でもこれは中也の詩でも、白秋、犀星でもよかったといえる。彼は歌おうと思えば「しづかにきしれ四輪馬車 ほのかに海はあかるみて」というような七五調も上手だった。

『蝶を夢む』の中の「かつて信仰は地上にあった」は白秋の南蛮趣味を遥かに凌駕している名品であるが、「階段の上にもながれ ながれ」(「内部への月影」)など三好達治との親近も感じられる。

再読したが一連の「竹」はえ物にはさしたる感銘を覚えなかった。題材に「仏」や「輪廻転生」「涅槃」など仏教を扱った作品が多い。

オノマトペが抜群にうまい。もっと多用して欲しかったなあ。「じぼ・あん・じゃん!じぼ・あん・じゃん!」「のをあある とをあある やわあ」「とをてくう、とをるもう、とをるもう」「てふ てふ てふ てふ」「おわわあ、ここの家の主人は病気です」

「月に吠える」が発禁になったのは「愛憐」「恋を恋する人」の2編のせいだが、これは今読んでも超エロイ。検閲官の眼は節穴ではなかったんだなあ。「わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう」だなんてソソラレます。その後も「春宵」「その襟足は魚である」など性愛のよろこびを単刀直入に歌った作品があってみな素晴らしい。

「絶望の逃走」「僕等の親分」「商業」「大砲を撃つ」「駱駝」「大工」の向陽性と前進は晩年の尾羽打ち枯らした内省的な憂愁と鋭い対比をなす。でもその両面が朔太郎なのだろう。

そして彼の代表作にして最高傑作はなんといっても「広瀬川」の冒頭の一行であろう。

「広瀬川白く流れたり」


  最後まで守ってくれるはずの人物に刺し殺されし子の驚きと悲しみ 蝶人

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高橋源一郎×SEALDs対論「民主主義ってなんだ?」を読んで

2016-07-26 10:10:14 | Weblog


照る日曇る日第880回



ここに登場して思い思いに云いたいことを喋っている3人の若者に私はなぜだか羨望を覚えた。彼等は高橋選手や私らの時代とは違って、自分の言葉で自分の思想を自由に語っている。

彼等にとって政治や運動は構えてする特別のものではなく、バイトや授業やライヴの隣にある普段着の活動で、そこで「民主主義ってなんだ?」と考えながら、個人の言葉で安倍蚤糞の専制に反対したり、スピーチしたり、抗議したり、ラップしたりしている行動そのものが、民主主義の取り戻しになり、新しい政治の立ち上げになり、自分自身の教育になり、自己再生の糧にもなっていく。

こういう若者が1人でもいる限りまだまだこの国の民草も捨てたものではないと思い知らせてくれる賦活剤のような書物である。


   今日もまた江ノ電が遅れとるもう観光客は来んでもええがな 蝶人
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由良川狂詩曲

2016-07-25 11:59:17 | Weblog

連載第1回

プロローグ ある晴れた日に


 5月のはじめのある晴れた朝、健ちゃんが洗面所の水道の蛇口をひねった途端、長さ10センチ足らずのほっそりしたウナギが、キュウキュウ泣きながら、水盤の底へとまっさかさまに吐き出されてきました。

 ウナギは、真っ白な磁器で造られた水盤の上に、朝の光を受けてゆらゆらと揺れ、キラキラと輝く5リットルの水たまりの中を、器の内周に沿って軽やかな身のこなしで、ぐるぐると2回転半。あざやかなストップモーションを決めると、アシカに似た賢そうな頭を水面の上にチョコナンと持ち上げ、健ちゃんを上眼づかいに見上げたのでした。

 ドボンと水に飛び込んでから、上眼づかいに見上げるまでのわずか3秒間のあいだに、ウナギの色は真っ黒から薄茶色へと変っています。
<ウナギにしては小さすぎるし、ヤツメウナギにしては眼が2つしかないし、ドジョウにしては背ビレがおっ立ってないし、どっちにしても変なやつ。きっとウナギなんだろうけど、直接本人に聞いてみよう>
 そう思いながら、健ちゃんはいいました。

「お前はいったい誰? どこからやって来たの?」
 するとウナギは、こう答えました。
「僕、ウナギのQ太。丹波の綾部の由良川からやって来たの」
「な、なに、丹波だって? 綾部だって? 由良川だって?」
 健ちゃんは磨きかけの歯ブラシを止めて、口をモグモグさせました。

 思わずポッカリあいた健ちゃんの口から、ツバキおよびそれと一体になったソルト・サンスター歯磨の白い泡が、上手に立ち泳ぎしている自称ウナギのQ太の鼻先にぐっちゃりと落下したものですから、Q太はあわを喰って水盤の底の底までもぐりこんで、小さな首をぷるぷると動かしました。「おう、塩っかれえや」、と呟きながら……。
 健ちゃんは、あわてて水面に漂う白い泡を手ですくうと、水盤の奥で依然としてぷるぷる頭をふりふりしているウナギもどきのQ太に向かって、大きな声で話しかけました。
「ごめんね、ウナギのQ太君。ダイジョウブ?」

 Q太はしばらく聞こえなかった振りをして、拗ねたように全身をクネクネしていましたが、
「おお、そうだ。僕はなんでこんなとおろでクネクネしていらりょうか。おお、おお、そうだった、ホーレーショ、これはお家の一大事。僕は泣いたり拗ねたりしている暇なんかないんだ。健ちゃんに助けてもらわなければ、僕たちの一族は全滅してしまう!」
 と、ぶくぶく独りごと。

 その次の瞬間、ウナギのQ太は非常な勢いで、水底およそ4センチの地点から水面めがけて脱兎のごとく躍り上がり、余った力でさらに上空15センチばかり上昇すると、そこでいきなりストップ。
 鈍色がかったとてもやわらかなお腹の皮を、子猫のでんぐり返しのように健ちゃんにくまなく見せながら、古舘伊知郎のように一気にしゃべったのでした。

「ケ、ケ、ケンちゃん、タ、タ、タイヘンだーい! 健ちゃんが去年の夏、お父さんやお母さんや耕ちゃんと一緒に遊びに来てくれた近畿地方でいちばん水のきれいな由良川で、いま大変な事件が起こっているんです。いままで見たことも聞いたこともないオッソロシーイ、オッカナーイ怪魚たちがいっぱいあらわれて、僕らの仲間のウナギやドジョウやフナやコイやモロコやハヤを、見境なしに喰い殺しているんです。どうか一刻も早く助けてくださーい! いますぐ由良川にきてくださーい。でないと、僕たちは、ゼ、ゼ、ゼンメツでーす!」

 滞空時間がけっこう長かったために、いつの間にか赤紫色に変色してしまったウナギのQ太は、金切り声を張り上げてもういちど「ゼンメツでーす!」と絶叫すると、ふたたび水盤の奥底へとモーレツな勢いで沈んでいきました。

 ボッチャーンとはね返った水は、健ちゃんの寝ぼけまなこを直撃したので、健ちゃんはそこではじめて事態の深刻さを、はっきりと悟ったのでした。

 丹波の国の綾部の由良川で、いま、なにかとんでもないことが起こっている……
             つづく


 丹波弁で短歌を詠むことにしたわいらあ東京人と違いまっさかい 蝶人



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邦画2本立て

2016-07-24 10:46:33 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1055&1056


○「ペコロスの母に会いに行く」をみて

認知症の母親とその息子の葛藤と愛を描く。最後に母親の幻視のなかに浮かび上がる昔の家族と一緒の姿が感動を呼ぶ。



○原田真人監督の「金融腐敗列島 呪縛」をみて

銀行と総会屋の癒着騒動を描いた社会派ドラマであるが、いまとなっては遠い昔のから騒ぎを見物しているような趣である。しかし登場する年配の役者の多くに今とは異なる存在感があり、若手の大半が吹けば飛ぶようにちゃらちゃらうどめいているのが印象的ずら。特に若村麻由美。カメラがやたら日比谷公園を写すのはなんか意味があるのかしらん。



 安倍蚤糞たった独りで大活躍白けてるやん9千9百99万9千9百99人 蝶人
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「谷崎潤一郎全集第21巻」を読んで

2016-07-23 10:05:28 | Weblog


照る日曇る日第879回


「京の夢大阪の夢」、「少将滋幹の母」、「少将滋幹の母 乳野物語」、「幼少時代」の4著作を柱にした本巻ですが、私は2番目が一等面白く、次点は4番目の作品でした。

谷崎という人は母親に特別の感情を懐いた作家で、それが「母を恋ふる記」や「吉野葛」などにも通底し、その思慕が女性への崇拝と拝跪につながっていった訳ですが、「幼少時代」ではその黒髪や容姿や芳香、乳の味わいまでもっと具体的に叙述されていて面白い。
作家の母は生まれ故郷の蠣殻町浜町界隈では評判の美人3姉妹のうちで一番の美人だったというから、なんとなく後年の「細雪」の姉妹を想起してしまいます。

「少将滋幹の母」は、少将の美貌の母(在原業平の孫)への強烈なあこがれを描いた物語ですが、それはあたかも少将を谷崎その人に置き換えたような感が致します。

当代一の美女と謳われた少将の母は、あろうことかあの菅原道真を陰謀によって追いおとした時の最高権力者左大臣藤原時平の横恋慕によって、老いたる父大納言から強奪され、もはや手の届かない遠いところへ行ってしまうのです。

その後老父がこの世を去り、時平とその一族が道真の怨霊によって呪い殺されて四〇数年の星霜を経ったある春の宵、叡山横川から根本中堂の四辻までやってきた少将は、偶々雲母坂を下って現在の左京区一乗寺あたりに駒を進めたとき、風もないのに降りしきる黄昏時の満開の桜の樹の下に佇む一人の尼僧に巡りあいます。

そして末尾の要所を適宜ブツ切りで引用すると、ザッとこういうことになります。
 
「お母さま」と、滋幹はもう一度云った。彼は地上に跪いて下から母を見上げ、彼女の膝に靠れかかるやうな姿勢を取った。一瞬にして彼は自分が六七歳の幼童になった気がした。彼は夢中で自分の顔を母の顔に近寄せた。そしてその墨染の袖に沁みている香の匂に遠い昔の移り香を想い起しながら、まるで甘えているように母の袂で涙をあまたたび押し拭った。

しかし、滋幹の母を六代目の歌右衛門が演じる歌舞伎を、なんとしてもみたかったなあ。


  平幕にとりこぼし上位に負ける大関はいつまで経っても綱は取れない 蝶人
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ドン・シーゲルの2本立て

2016-07-22 10:09:12 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1053&1054



○ドン・シーゲル監督の「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」をみて

エイリアンがいつの間にか侵入して愛も感動もないそっくりさんを増殖させていくという怖い話をなんとサム・ペキンパーが書き、才人ドン・シーゲルが演出した1956年製作の古典的SF映画。モノクロームの画面が迫真的。ヒロインのダナ・ウインターがよい。



○ドン・シーゲル監督の「突破口」をみて

ウォルター・マッソーの快演でラストまでくいくい引っ張る銀行ギャング物の傑作ずら。それにしてもドン・シーゲルって才能あるなあ。


  一億人ちうたった一人が大活躍ぐあんばれ安倍君死ぬまで働け 蝶人

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おやすみなさい~ブラームスの子守唄

2016-07-21 10:58:52 | Weblog


音楽千夜一夜 第371回


私は花鳥風月にだけは恵まれた田舎で育ちましたが、音楽的な体験はほとんどありませんでした。家にあったヤマハの古いオルガンで賛美歌を自己流ででたらめに弾くくらいが関の山で、家でクラシックのレコードを聴いたことなど一度もありませんでした。

ところが私が小学5年生だったころ、ある日、大本教の本殿のすぐそばにあった体育館に全生徒が集まるように命じられました。

そして校長先生から、「今日はアメリカからやって来られた歌手の方が、みんなに歌を聴かせてくださるから、静粛に聴くように」という前触れがあり、続いてうらわかい、おそらくは20代のソプラノの歌手が、年長の女性ピアニストとともに登壇しました。

そこで彼女が歌ったシューベルトやモーツアルトやブラームスのリートが、思えば私の音楽体験のはじまりでした。

「野ばら」の愛らしさや「魔王」の不気味な恐ろしさ、「菩提樹」の旅情、とりわけコンサートの最後に歌われたブラームスの「子守唄(原題はWiegenlied)」の、あの母胎に回帰していくような優しい旋律は、歌い終えた彼女の美しい面立ちとともに、あれから幾星霜を経た閲今日も、ありありと瞼の裏に残っています。

その後私は、田舎の町の映画館で、「菩提樹」という映画をみました。これはウォルフガング・リーベンアイナーという人が監督した1956年製作のドイツ映画で、あの有名な「サウンド・オブ・ミュージック」と同じタラップ一家のアメリカ亡命旅行を描いていましたが、その「菩提樹」の最後のシーンが、今なお忘れられません。

ナチスを逃れて無事にニューヨークでのコンサートを成功させたマリア(美貌のルート・ロイヴェリック)が、この素敵な曲を美しい声で歌っていました(同じロイヴェリックが主演した「朝な夕なに」も、トランペットが活躍した主題歌とともに忘れがたい映画でした)。

私はこれは実際はロイヴェリック自身の声ではなく、おそらく名歌手ルチア・ポップの吹き替えではないかと想像しているのですが、歌い終わったルート・ロイヴェリックが、まるで聖母のように微笑みながら、ドイツ語で「 Gute Nacht(おやすみなさい)」と観客(わたし)に囁いて、ザルツブルグからの逃避行が「めでたし、めでたし」で終わる無量の浄福感は、私の心に長く揺曳したものです。

それからまた長い長い年月が経って、私はドイツ・グラモフォンが特別限定版で発売した46枚組のブラームス作品全集を購入し、1曲1曲をなめるように聴いていたある日のこと、久しぶりにこの子守唄に出会いました。

作品49「5つの歌曲」の4番目のこの曲を、女声ではなく、なんとバリトンのフィッシャー・ディスカウがしめやかな声で歌っています。

ということで、どちらさまもここらで Gute Nacht!


*参考 ウイーン少年合唱団によるブラームスの「子守唄」
    https://www.youtube.com/watch?v=p2-gc5wqeVk


 負けろ負けろどんどん負けろ負けるの大好き阪神マゾタイガース 蝶人
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空谷の跫音~イタリア弦楽四重奏団全集37枚組を聴いて

2016-07-20 10:10:07 | Weblog


音楽千夜一夜 第370回


イタリア弦楽四重奏団のモーツァルトの「ハイドン・カルテット」を70年代の旅先で耳にしたときは、最初の一音で陶然となって、なぜだか涙が出て仕方がありませんでした。

ああ、これがモーツァルトだ。これが弦楽四重奏だ。これが弦のほんたうの響きだ。
と確信できて、それは同じ頃に聞いたクーベリックのマーラーと同様にかけがえのない音楽体験となったのでした。


その後同じ曲をいろんな機会にいろんな団体で聴いたが、みな駄目でした。

大好きな東京カルテットも駄目でした。鉄人アルバン・ベルクも、てんでお呼びでなかった。

それから幾星霜、いまではとっくの昔に解散したこの四重奏団がかつてフィリップス、デッカ、DGに入れたCD37枚の録音を順番に、それこそ粛々と聴いていくなかに、K387のその曲がありました。

「春」という副題がつけられたそのト長調4分の4拍子のその曲の、冒頭のAllegro vivace assaiを久しぶりに耳にした私でしたが、どこか違うのです。


それはまぎれもないイタリア弦楽四重奏団の演奏ではありましたが、あの日、あの時、あのホールに朗々と鳴り響いた、あの奥深い音ではなかったのです。


それから私は急いでCDを停めて、そのほかのモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトなどがぎっしり詰め込まれている黄色いボックスにそっと仕舞いこみました。


半世紀近い大昔の、あのかけがえのない音楽と懐かしい思い出が、もうそれ以上傷つけられないように。


  
    死者一名ゴミ置き場に捨ててある燃えるゴミかな燃えないゴミかな 蝶人
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平成スチャラカ社長行状記~これでも詩かよ第182番

2016-07-19 11:33:37 | Weblog


ある晴れた日に 第389回


某月某日
地下道ですれ違おうとした男が、いきなり私の腰に腕をまわしてエイヤとぶん投げようとしたので、そうはさせじと、こっちも彼奴の腰に腕をまわしてナンノナンノとこらえていると、いつのまにか周りに人だかりができた。

すると男は急に力を抜いて「いやいやこれは失礼つかまつった。ほんの冗談、冗談。許されよ、許されよ。アラエッサッサア」と言いながら一礼し、すたこらさっさと立ち去った。


某月某日
さすが日本を代表する大手メーカーの大展示会だ。広大な空間をフルに生かした様々な物販ブースが何百と設営され人だかりができている。私たちもすぐに入場したいと思ったが、なんせ招待状を持っていないからどうしようもない。

必死でもぐりこむ口実を考えていたら、O社の吉田氏が通りかかったので、これ幸いと大声で呼び止め「吉田さん、吉田さん、ちょっと中へ入れて下さいよ。生憎記者招待券を社に置いてきちゃたんで困ってるんですよ」と頼み込んだ。

すると吉田氏は「なんだ佐々木か。お前なんか、ウチにとってなんのメリットもないからなあ」と嫌みを言うので、「おや、そんなことないですよ。なんならおたくがいま喉から手が出るほど欲しいものを言ってみなさいよ。たちどころに希望を叶えてあげるから」と返した。

すると吉田氏は声をひそめて「じつは渋谷の専門店百貨店情報が入ってこないんで弱ってるんだ」というので、「なんだ、そんなこたあお安いご用ですよ。手元に渋谷流通協会の報告書があるんで、よろしければお貸ししますよ。お代はお任せしますから、そちらで適当に値をつけてもらえばいいですよ」というと、吉田氏はこちらへすっ飛んできて中へ入れてくれた。


某月某日
「私Adogの田村ですが」という電話が掛かってきたので、いったい誰だろうと訝しく思ったが、すぐに先週名刺を交換した取引先の女性だと分かった。

「なにかご用ですか?」と尋ねると「送って頂いた企画書の件で直接お目にかかりたい」というのだが、私はそんな企画書を送った覚えはないので、はてどうしたものかと思い悩んだ。


某月某日
かつて友人だった男が脳こうそくで倒れたので、その代理に私が呼ばれて、彼が復帰するまで、「名前だけの社長」を務めることになった。


某月某日
大阪のデザイナーたちは「東京のデザイナーなんか最低。なんとかしてください」と、みんな声を揃えて新社長の私に言い付ける。

私が「名前だけの社長」になったお祝に、A男とB子が、私を銀座の料亭で接待してくれるというので、喜んで出かけたのだが、酒や料理はそっちのけで、やおら販促物のパンフレットを持ちだして、これについてなにか意見を述べろ、と強要する。

その口調が変なので、よく見ると、彼らはもうきこしめて、ぐでんぐでんに酔っぱらっているのだ。こんな連中と打ち合わせなんて、とんでもない。「想定外のコンコンチキだ!」と捨て台詞を吐いて料亭を飛び出したが、2人はどんどん後を追ってくる。

瞬く間に追い付いた男の顔をよく見ると、なんと前の会社にいた日隈君ではないか。彼は「佐々木さん、そんなに大急ぎで逃げ出さなくてもいいじゃありませんか。せっかくあなたの昔の恋人を連れてきたのに、一言も言わずにほおっておくんですか」という。

じぇじぇ、それではあの酔っ払い女がそうだったのか、と思わずその場で立ち止まると、「ほおら、急に態度が変った。それじゃあ僕たち先に東京タワーに行っていますから、あとから来てくださいな」といいざま姿を消した。


某月某日 
5年前に会社を辞めた井出君が突然やって来て、「ただ同然の値段で高級別荘地が手に入るから、いますぐ現地へ行きましょう」とせっつくので、「いまから会議があるんだよ」と断ると「この絶好のチャンスを逃したら、もう二度と手に入りませんよ」となおも勧誘する。おいらはしつこいひとは嫌いだ。


某月某日
取引先のL社の宣伝部へ行き、次シーズンのテーマを尋ねたら「アリゾナ州のイメージだ」という。「アリゾナ州のどんなイメージなんですか」とまた尋ねたが、ただ「アリゾナ、アリゾナ」とオウム返しに答えるだけで、具体的な内容がある訳ではないことが分かった。

「そもそもアリゾナ州ってどこにあるんですか?」と聞いたが、それすら理解していないようなので、あきれ果てた。「いったい誰がそんなテーマに決めたの?」と尋ねたら、カンという人物だという。

「カン氏はどこにいるの?」と聞いたら、「あそこです。あそこでふんぞり返っています」というので、見るとどこかの国の官房長官そっくりだったので、私はカン氏には会わずにL社を出た。

L社を出たら、そこはアリゾナ州だった。見渡す限り荒涼とした砂漠が広がり、風がヒューヒュー吹きすさんでいる。ふと見ると、大勢のインデイアン、もとい、アメリカ先住民の子供たちが、私を取り囲むようにして迫ってくる。

怖くなった私は、彼らから逃れてどんどん高い山に登っていくと、円陣を組んだリトル・インデイアンたちも、どんどん私を追って高い山のてっぺんまで登ってくるので、「困ったなあ、どうしよう」と立ち往生してしまった。

ところが、たまたまそこに居合わせた大正時代の着物をきたおばさんたちが、やはり円陣を組んで、リトル・インデイアンたちの円陣にまともにぶつかっていくので、「嗚呼助かった!」と喜んだ私は、その間に沖縄の亀甲墓のような建物の中に入り込んだ。ここならきっと安全だろう。


某月某日
私たちが乗った世界一大きな風船が、熱帯夜の赤道上空に差し掛かったので、窓を開けると、月の光と共にわずかばかりのそよ風が吹き、極彩色の鳥が舞い込んできた。



    義貞が晴らす源氏の恨みかな
    玉虫が玉虫となる夏の空
    海の日は海で泳ぐや日本人
    蝉声の俄かに絶えて山碧し 蝶人


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死者と語れば~これでも詩かよ第182番

2016-07-18 10:15:55 | Weblog


ある晴れた日に 第388回


総務課の川口課長から電話があって「ちょっと話がある。今すぐ行くから」というので、部下の酒井君と待機していると、来期の経費計画をすぐに出せという。

「おらっちはよう、安倍蚤糞は失敗すると読んでいるけどよお、株式の投資が莫迦当たりしたんでよう、売り上げも利益も全然駄目だけど、経費だけは削らなくてもいけそうだと、社長が言うんだよ」

「だからあんたの課も、大至急予算計画を出してほしいんだ」という不景気な中にも景気の良い話なので、私が「そんなら念願の新規ブランドの立ち上げが織り込めそうだ。酒井君と相談して一発どでかい計画をぶち上げてみましょうか」

といいながら、目の前の川口さんの顔を見ると、顔と目鼻の輪郭がどんどん霞んでいる。

「おうそうよ、どうせ会社の金なんだからバンバン使いまくってくれよ」という声だけが聞こえてきたので、私はハタと気づいて、
「でも川口さん、あなたはもう10年、いや20年近く前に亡くなっていますよね。そんな人がどうして来年の予算を担当しているんですか?」と尋ねると、

「いやあそういう小難しい話はよお、おらっちもよく分かんないんだけどさ、まあいいじゃん。あんまり堅く考えないで柔軟に対応してよ、柔軟に」
と相変わらず昔風の横浜訛りの元気な声だけが聞こえてくる。

「そんなこと言われてもなあ、酒井君」と後輩の顔を見ると、彼もまたなぜだか目鼻立ちが急激にぼうっとしてきているので驚いたが、じっと見つめているうちに、彼はおととしの今頃入浴中に急死していたことを思い出した。

生き急いでいる人間だから、真夜中に死者と仕事をすることだってあるさ。


  熊本の地震ニュースを淡々と伝えるアナは熊本出身 蝶人


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ビートルズもんの2本

2016-07-16 13:58:52 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1051&1052



○マイケル・エプスタイン監督の「ジョン・レノン ニューヨーク」をみて

2010年製作のドキュメンタリー映画ずら。

レノンがロスで羽目をはずして浮気して、頭に来たヨーコにしばらく許してもらえず結局エルトン・ジョンの仲立ちでNYに帰還する辺りが面白かった。


○リチャード・レスター監督の「ハード・デイズ・ナイト」をみて

「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」という水野晴郎がつけた馬鹿馬鹿しい邦題で1964年に公開された甲虫米国上陸キャンペーン狙いのモノクロドキュメンタリー映画ずら。

4人が熱狂した女の子におッ掛けまわされたり、ポールの祖父と称する爺さんが出てきたりする英国風ドタバタ映画ずら。彼らの曲はいまなお新鮮だが、映画としてはさっぱり面白くない。

その後猖獗を極めたプロモーションビデオの初代映画版というところか。


「日本人だ!」と三度叫べど聞きいれずバングラデシュのテロリストたち 蝶人
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