あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2013年霜月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2013-11-30 10:23:40 | Weblog



ある晴れた日に第181回


「エッ、僕がノーベル賞貰ったの?」ビッグスさんは携帯を持たない

CDを買う人は本も買うがCDを買わない人は本も買わないって知ってました?

世界中でいちばん売れた本はバイブルなんて知ってました?

ドストもスタンダールも知らない人が文学部にいるって知ってました?

細喉を嗄らして必死に吼えたれど大向こうより声も掛らぬ平成藤十郎

生(あ)れたての蟷螂(かまきり)なれど道の辺に発条(ぜんまい)飛びだし轢かれていおる

蟷螂なれば誰ひとり顧る人もなく道路に点点轢死体

軍事政権が名付けし国名を忌み嫌いわれ頑なにビルマと呼ぶなり

ターナーが使いしヴァーミリオン、ネービーブルー、クロームイエロー、豚の膀胱に包まれてあり

なにゆえにペールギュント組曲をペール/ギュント組曲と発音するのかアナウンサーよ

ラアラアと悲愴に怒鳴る益荒男振りよりも手弱女振りの喜劇こそヴェルディ

それが被災者にとって何だというんだねいつまでも花咲音頭を歌い続けている君

コンビニのレジ前の西瓜姿消し桃と葡萄と梨並ぶ朝

故郷の名前をテレビが連呼する台風十八号の爪跡いたまし

心臓の痛みに耐えながら妻が運転する車の助手席に座っている

六十代で夫婦生活復活と触れ回るあれらの誇大広告を取り締まれすぐに

新聞は死亡記事から読みはじむ次は誰かとおののきながら

その昔台湾リスを放せし莫迦がいて鎌倉の動植物はみなその餌食なり

ケアホーム障がい者への家賃援助を市に求むわれらの陳情採択されたり

耕君を調教せんとせし職員よまず障がい者のありのままを受容せよ

ほぼ同じ大きさに切られしスイカなれどまだ取り変えっこしている我が家の大きな障がい児

「あなたの心はどんな時に喜ぶの?」と女教師はヒステリックなソプラノで怒鳴る

意外にも大江千里が飛び出してピアノ弾きまくる「東京JAZZ」フェスティバル

濁世に百万人躓けど独りゆく黒澤明の剛毅麗わし

小津映画の秘密をひそと垣間見る野田高梧別荘日誌

薄四分泡立草六分也秋津島

中也忌やおひたし食す白き骨

人よりも猫可愛がる秋日和 

秋日和被災地の犬と遊びけり

季語絶えて日本の秋が過ぎてゆく

蟷螂は発条飛び出して轢かれけり

蟷螂なれば顧られぬ轢死体

凩や身捨てる程の祖国なし

大枯野時代も我も閉塞す



障がい施設のドアを壊した耕君が皆様に死んでお詫びするそうですうれぴいな 蝶人



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黒澤明監督の「わが青春に悔なし」をみて

2013-11-29 14:57:07 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.601


戦前の「京大事件」や「ゾルゲ事件」をもとに描いた黒沢の戦後第1作。原節子が、小津におけるそれとはうってかわって、はじめは処女の如く終わりは脱兎の如き熱演をみせる。

この女優は独特の存在感があるとはいえけっして演技が上手とはいえないが、ブルジョワの令嬢風の嬌艶な彼女が、彼女に恋する京大生を理由もなく土下座せよと悪魔的な表情で命じたり、獄中死した反戦活動家の妻となった彼女が、売国奴と石を投げられ、村八分に遭い、高熱を出しながらも夜叉のごとく髪振り乱して夫の郷里の田植えをするシーンなど女の諸相八面相のヴァリアントは、これすべて熱血漢黒沢のメガフォンの賜物だろう。

戦争協力者・順応者によって虐げられていた被害者たちが敗戦によって勝利者として復活するまんが的なラストにはある種のご都合主義を感じざるをえないけれども、黒澤明がハ長調で豪胆にうたいあげる社会正義とヒューマニズムの歌は、いまでは天然記念物に指定されるべきていの人類の文化遺産であり、いつの時代にも人世の基底に据えられるべき主調音だと思うのである。

わが青春に悔いなし! なんと素晴らしい題名であろうか。黒澤の演出はときとしてダサく、クサいけれど、人間いかに生きるべきかという人倫の基本を、観客の目を真正面に見据えながらスクリーンから愚直に訴えかけてくるところに希少な値打ちがあると思う。

特定秘密法案を強行採決し、戦前並みの国家主義、軍国主義への道をひた走る右翼政府が悪魔のように跳梁跋扈する昨今、このような良心的な映画こそ少国民のための道徳教材にうってつけじゃんか、と私は鎌倉川喜多記念映画館で独りごちた。



濁世に百万人躓けど独りゆく黒澤明の剛毅麗わし 蝶人


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上野の都美術館で「ターナー展」をみて

2013-11-28 09:25:49 | Weblog


茫洋物見遊山記第145回&「これでも詩かよ」第47番&ある晴れた日に第180回


「ターナー、ターナー、ターナー」


ターナー、ターナー、ターナー
ターナー、君はおそろしく古臭い。

君はまるで銭湯の書き割りのような絵を描く。
遠近法の三角形で構成された画面の遥か彼方には、高い山が聳えていて
山顛から流れ下った清流が、盆地の中をくねりながら流れている。

ターナー、ターナー、ターナー
ターナー、君はとても懐かしい。

微かに聴こえる歌舞音曲の響き
一本松やシトロンの木の下では、善男善女がしめやかに踊っている。
それは遠い昔の、遥かな土地の懐かしい思い出。

ターナー、ターナー、ターナー
ターナー、君は非常に新しい。

君は書き割りの絵にも飽きて、姿も形もない絵を描こうとする。
でも、もともとデッサンより色彩の扱いが得意だった君だから
それは、思いのほか楽しかっただろう。

ターナー、ターナー、ターナー
ターナー、君はおもしろい。

君は保守本流にして異端の冒険家
荒野のバガボンドにしてアカデミーの泰斗
君は古臭くて、懐かしくて、新しくて、おもしろい。

*なお同展は来る12月18日まで開催中です。


ターナーが使いしヴァーミリオン、ネービーブルー、クロームイエロー、豚の膀胱に包まれてあり 蝶人


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一日に一年

2013-11-27 11:14:18 | Weblog




「これでも詩かよ」第46番&ある晴れた日に第179回




朝は春、昼は夏、夕方は秋、夜は冬
ぼくは一日に一年を巡る。

朝は、あけぼの。  
昼、ぼくは耕す。
夕べ、ぼくは物想う。
夜、ぼくは眠る。

朝は春、昼は夏、夕方は秋、夜は冬
ぼくは一日に一年を巡る。

朝、ぼくは歌う。
昼、ぼくは野を駆ける。
夕べ、ぼくは書を読む。
夜、ぼくは懺悔する。

朝は春、昼は夏、夕方は秋、夜は冬
ぼくは一日に一年を巡る。

朝、ぼくは森に行く。
昼、ぼくは妖精と踊る。
夕べ、ぼくはぼくになる。
夜、ぼくは天に帰る。

朝は春、昼は夏、夕方は秋、夜は冬
ぼくは一日に一年を巡る。



      蟷螂は発条飛び出し轢かれけり 蝶人


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エイドリアン・ライン監督の「ナインハーフ」をみて

2013-11-26 17:53:14 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.600

アメリカ版80年代ロマンポルノだが、ミッキーローク、キム・ベイシンガーの主人公の男女がアホ莫迦に見えるのが悲しい。セックスの虜になっていろんなまねごとを楽しみながら深間に入りこんでゆくのだが、NYの本番を見て女が興奮して見知らぬ男とやりたがるというのはいかがなものか。

 30年以上前に大阪に出張した夜、ドストエフスキー大好きという先輩に連れられて大阪湾の傍の見せ物小屋で本番ショーというものを生まれて初めて見物したが、それはじつに陰惨で愚劣そのものであり、私はそれを遠望しながら寒気と吐き気を覚えたことだった。

 しかしくだんのドスト青年はそれが行われている回り舞台にかぶり付き、異様な目つきで興奮していたから、洋の東西を問わずああいう光景に同化興奮する手合いはいることはいるのだろう。


      季語絶えて日本の秋が過ぎてゆく 蝶人


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江戸東京博物館にて「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」展をみて

2013-11-25 09:35:27 | Weblog


茫洋物見遊山記第144回

モースは江ノ島で三味線貝を採集したり、大森貝塚を発見したアメリカの民俗学者はと思っていたのだが、それだけではなく明治時代に三回も来日して当時の民衆が使っていた品々や衣食住遊休知美にまつわるありとあらゆる道具や商品や文物を根こそぎ収集していた「偉大なるコレクター」でもあったことを、私ははじめて知って驚いた。

そこには庶民の衣服、台所道具からはじまって歯磨き、お歯黒、簪、煙草入れ、職人の大工道具、建具、店の看板、私の少年時代の好物であった金平糖やイナゴの甘煮、真っ黒に塗りつぶされた子どもの手習い帖や鳥かごまでが所狭しと並んでいる。

しかし祖父が興し父母が継いだ履物屋の三代目に当たる私がいちばん注目したのは、もちろんモースが集めた一三〇年前の下駄で、土が付いた小振りのそれを眺めていると、この国に洋靴など一足もなくて丹波の山奥でも飛ぶように売れた幼時の思い出が走馬灯のように霞む老眼を過ぎった。

モースは当時の下駄屋の写真も撮っているが、それは八百屋や駄菓子屋と同様に見事に陳列されており、この見事な店頭ディスプレイこそ現代にまで続く日本的ⅤMDの源点に鎮座ましましていることは疑いを入れない。

さらにもうひとつ私が感嘆したのは、庶民が普段使っていたと思われる明治時代後期の手拭で、それは単なる一枚の手拭いであるにもかかわらず、そこに施された月に雁、瀧に鯉などの秀抜な柄模様は、現代にも通用するじつにモダンで粋なセンスが横溢していたのだった。

モースは当時来日していた英国人のアーネスト・サトウと同様大の日本びいきで、「日本その日その日」を読むと彼のこの国の人々の暮らしぶりとその文化への愛が率直に披歴されていて快い気持ちに浸れる。

しかしモースの目には、明治の子供や民衆は世界中でもっとも幸福な人種と映ったかもしれないが、その同じ人々が御一新後の急激な社会変革に取り残され、貧富の差に苦しむ不幸な人々でもあったことは、同時代の樋口一葉一家の悲惨な末路、松原岩五郎の「最暗黒の東京」、横山源之助の「日本の下層社会」の視線から眺めれば、おのずと別の感慨もわいてくるというものである。

彼のお陰でこのように貴重なコレクションを今日の私らが目にする幸運に巡り合わせ、それが諸国民の宝物となりおおせたことに深甚なる感謝の念を抱いているとはいえ、その反面、彼が後輩のフェノロサが本邦の美術品に対して行ったと同様の文化財海外持ち出しに血道をあげたことを面白くないないと思う心も持ち合せている、というのも私の偽らざる心境である。

なお本展は、私が死ぬほど嫌いな、見ると吐き気がするほど嫌いな、本邦で最悪最低の建築家、菊竹清訓の手になる江戸東京博物館にて、来たる12月8日まで開催中です。


秋日和被災地の犬と遊びけり 蝶人



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鎌倉国宝館の「仏像入門」展をみて

2013-11-24 09:25:54 | Weblog


茫洋物見遊山記第143回&鎌倉ちょっと不思議な物語第299回

今回は、家族そろっていろいろな仏像を楽しく鑑賞するための入門ガイダンス的展覧会です。

仏像仏像というても広うござんす。最高尊の「如来」からその如来になるための修業を行っている「地蔵」、仏敵を撃滅する「明王」、人々に福を恵んでくれる「天部」など多種多様な仏様がいらっしゃるんだということを、誰でも良く分かるような仏像と解説ボードがセットでレイアウトされているから、とても勉強になりますよ。

さあ全国の良い子の皆さん、12月8日まで開催中の本展へどうぞ!


     人よりも猫可愛がる秋日和 蝶人


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泉鏡花生誕140年記念「清方が描いた鏡花の世界」展をみて

2013-11-23 09:10:20 | Weblog


茫洋物見遊山記第142回&鎌倉ちょっと不思議な物語第298回

今年は泉鏡花の記念年ということでいろんなところでいろんな催しがあるようですが、私が行くのはこの鏑木清方記念博物館のこの展示だけ。

清方は鏡花ととても仲が良くて彼の小説の挿絵を描きたくて仕方がなかったそうですが、明治35年になってようやく「三枚続」という作品の挿絵に加えて装丁まですることができて、大喜びしたんだそうです。

この展示会の目玉は、大正9年に製作された「妖魚」というタイトルの和製人魚図でしょう。これはいつもの江戸の春風のような純日本調の端正な日本画を得意とした清方の作風とは全然異なる西洋的な題材を、和洋折衷的な手法で描いた異色の作品です。

水上の岩に乗った上半身裸、下半身魚の妖艶な人魚が、あたかもドナウ川のセイレーンのように、鏡花の「高野聖」に出てくる呪力を持った悪女のように、黒髪を蛇のように垂らし、最近流行の真っ赤な口紅をつけて、近寄ってくる哀れな犠牲者を待ち受けているのです。

いっけん純情可憐でいて、内面女夜叉のようなファム・ファタールに会いたい人は、来月4日まで鎌倉小町通りの同館を訪ねてみてはいかがでせうか。

中也忌やおひたし食す白き骨 蝶人

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県立近代美術館鎌倉で「加納光於|色身―未だ視ぬ波頭よ2013展」をみて

2013-11-22 09:33:55 | Weblog


茫洋物見遊山記第141回&鎌倉ちょっと不思議な物語第297回

お芸術の秋ということでまだ紅葉には早すぎる近代美術館に足を運びました。
加納光於という作家の名前も作品もどうでもよくて、ただただ間もなく鶴岡八幡宮の圧力にいともたやすく屈して閉館を目前に控えたこの坂倉準三の手になる名建築を見にいったのでした。

以下、面倒くさいので美術館の紹介文を無断で引用すると、

加納光於(1933- ) は東京に生まれ、1960年から鎌倉に居を構え、80歳を迎えた今日もなお以前にまして旺盛な制作を続けています。加納が版画家として登場した1950年代は、敗戦の影響もあり経済的には困難でしたが、文化全体が活気に溢れた時代でした。そうしたなか、加納は目先の新しさや前衛性に与することなく、自身のめざす「孤絶している精神の晴朗さ」を手放さず、ひたすらに自らの鉱脈を探り続け、豊かなイメージを追求してきた特異な独行の作家です。

 1955年、銅版画の作品集〈植物〉を自費出版し、翌年、詩人・批評家の瀧口修造の推薦によりタケミヤ画廊で発表。その幻想的な作風は当時から高く評価され、1960年代にかけて隆盛をみせた国内外の版画展での受賞が相次ぐところとなりました。初期のモノクロームの銅版画は、その後、「版」を起点に、多様に変容してゆきます。1960年代後半の亜鉛版によるメタル・ワークと色彩版画の誕生、1970年代からはリトグラフ、エンコスティックなど次々と技法を広げ、さらにオブジェや本の装幀も手がけるなかで、1980年前後からは油彩を本格的に開始します。

 2000年の愛知県美術館での大規模な回顧展以来、公立美術館での個展としては13年ぶりとなる本展は、1950年代の銅版画から最新作の油彩まで、半世紀以上にわたる加納の制作の精髄を紹介するものです。加納の多様な表現を通して、平面と立体、言葉と造形の間を往還してゆくその独創的なイメージの変容を確認するとともに、本展のタイトル「色身(ルゥーパ)」という加納の制作の根幹に隠された色彩への問いが、わたしたちにとって未見の経験の鍵をひらくきっかけになることを願わずにいられません。

というふうに長々と宣伝文句が続いておりますが、私が多少面白いと思ったのは木製の箱の中にオルゴールか時計の機械仕掛けが内蔵された立体のオビュジェ類でした。まあたまにはこういうハズレもある。お互いに相性が悪かったという他ありませんな。

かっこいいのはタイトルだけという後味の悪い展覧会でしたが、来たる12月1日までやっておりますので興味を持たれた方は駆けつけてご覧なさいな。


薄四分泡立草六分也秋津島 蝶人


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半蔵門の国立劇場で「伊賀越道中双六」をみて

2013-11-21 10:03:14 | Weblog


茫洋物見遊山記第140回


6代目中村歌右衛門が亡くなり、アホ馬鹿松竹が歌舞伎座を取り壊していらい歌舞伎に行く気がなくなった私ですが、その後優れた役者も下らぬ役者もどんどん死んでいきますし、日本三大仇討のひとつを21年ぶりに4幕7場を通し上演するというので遥々半蔵門まで出かけて行きました。

これはいわゆる荒木又右衛門の「鍵屋の辻」の11対4の決闘の歌舞伎化でありまする。
上杉家の家老・和田行家に悪計を見破られた沢井股五郎が、行家を殺害し、行家の倅・志津馬を負傷させて逃亡する序幕「行家屋敷」に続き、二幕目「政右衛門屋敷」(饅頭娘)と「誉田家城中」(奉書試合)では、武勇と分別を兼ね備えた唐木政右衛門(又右衛門のモジリ役で中村橋之助)の苦衷が浮き彫りにされます。志津馬の姉お谷には片岡孝太郎。

三幕目の「沼津」は、単独でも上演される屈指の名場面で、十兵衛(坂田藤十郎)と平作(中村翫雀)・お米(中村扇雀)、親子兄妹の再会と悲劇。そして大詰「敵討」で、政右衛門と志津馬は、大願成就を果たします。

確かに「沼津」は感動を呼ぶが、仇の股五郎への義理ゆえにどうしてもその行方を教えようとしない、教えられない、実の息子十兵衛の重い口を割るために、いきなり腹を切ってしまう父親の平作である。親子の絆と友人との誓いとの息詰まる葛藤が生み出す愁嘆が
観客の涙を絞るのですが、いまとなってはあんまりコンテンポラルな感情の発露とは申せますまい。

それなりに名の通った役者が雁首を揃えてはいるものの、柄と骨格は昔に比べればみな小粒になり、こぞって芸に生彩を欠く。なかで多少ともましな演技をしているのは橋之助くらいで、下座の泣かせで悪趣味な胡弓を用いたり、若手の三味線の下手さ加減には腹が立つより泣けてきました。

しかし坂田藤十郎という人の声は、どうして私の嫌いなカレラスのように細身にして小さいのであろうか。きちんとボイストレーニングをして中声部がちゃんと出るようにしてもらいたいものでげす。

なおこのお芝居は、来る26日まで閑古鳥何匹か鳴きつつ上演中。


細喉を嗄らして必死に吼えたれど大向こうより声も掛らぬ平成藤十郎 蝶人


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山田洋次監督の「男はつらいよ 噂の寅次郎」をみて

2013-11-20 09:00:58 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.597


果敢ない美しさを漂わせていた大原麗子もあっけなく死んでしまったなあ。その果敢なさというのは、首筋の皮膚の下を走る静脈がいつもうっすら見えているような、そんな儚さで、まだ存命中なのに美人薄命という言葉を思わずにはいられなかった。

この映画では、いつもヒロインに肘鉄を喰らっている寅さんが珍しく愛を打ち明けられたが、そういうことなら一度一緒にしてやっても良かった。あとはたびたび共演した浅岡ルリ子もそう。

年に2作も製作していたんだから、一度一緒になってやむを得ず別れてというようなスタイルにしても良かったのではなかろうか。肝心の寅さんが亡くなってからこんなことを言うても詮無き話だが。



ラアラアと悲愴に怒鳴る益荒男振りよりも手弱女振りの喜劇こそヴェルディ 蝶人

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フェルナンド・メイレレス監督の「ナイロビの蜂」をみて

2013-11-19 20:12:25 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.596


アメリカの巨大製薬会社がアフリカの貧民を動物のように駆使して治験を行っている。

という事実を発見した正義感あふれる妻が惨殺された。

ので、英国の外交官の夫が現地に赴き彼女の軌跡をたどろうとする。

のだが、またしても見えない敵の執拗な包囲を受けて悲劇的な結末を迎える。

というどうにも救いようのない話。だった。

ジョン・ル・カレンの原作&脚本だというのだが、

詰まらんものは詰まらんな。


「あなたの心はどんな時に喜ぶの?」と女教師はヒステリックなソプラノで怒鳴る 蝶人

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松家仁之著「沈むフランシス」を読んで

2013-11-18 09:25:03 | Weblog


照る日曇る日第636回



フランシスってベーコン? それともザビエル? 

と、不思議に魅力的な題名に惹かれて手にとってみたら、なんとフランシス氏の発明にかかる水力発電機の愛称の謂いでした。

これなら私が名付けた青鷺のザミュエル&ベンジャミン母娘や、震災地からやって来た和犬雑種の次郎、天然ウナギの三郎のほうが少しましかもしれませんね。

それはともかくここで取り上げられているのは東京から北海道の故郷に帰って来たヒロインと、その地でフランシスと共に自家発電売電事業で食べているどこか世捨て人風情の謎の青年とのラブロマンスで、人里離れた安地内の厳しくも美しい風光やその地に住む人々の孤独な風貌が二人の愛の陰影に富んだ様相ともども精密かつ達者な文章でつづられてゆきます。

ヒロインが惚れた男性は知的でお洒落で、オーディオなんぞに入れ上げていたり、世界各地で録音した音を大迫力で再生したりする趣味の持主で、こういうのが著者の自画像とオオバアラップした「理想の男性像」なのでしょうが、私などは読んでいて少しく辟易させられますですね。

けれどもラストでは、そのフランシス選手が水没しても愛の不滅は残っているぞという愛の賛歌が鳴り響き、物語は高らか幕を閉じるのですが、惜しむらくは全体のトーンが格調高い純文学路線で貫かれているのに対して、二人の性愛の描写がかなり通俗に堕していることで、こればっかりは一考あってよろしいのではないかと思うのです。


      それが被災者にとって何だというんだいつまでも花咲音頭を歌い続けている君 蝶人




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鎌倉市川喜多映画記念館で鈴木重吉監督の「何が彼女をそうさせたか」をみて

2013-11-17 09:29:40 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.595&鎌倉ちょっと不思議な物語第296回


1930(昭和5)年、世界恐慌の真っ只中に公開され、浅草常磐座で異例の5週間続映という空前の大ヒット。当時の世相の一面を形成するほどに一世を風靡し、タイトルは流行語にもなったと、伝説のように語り継がれてきた。

その後フィルムは失われ、長らく現存しないとされていたが、平成5年にロシアで発見された。幻だった日本映画史のマスターピースが、鈴木重吉監督の地元鎌倉で、いま甦る!

という惹句を、鎌倉の川喜多映画記念館のホームページからそのまま頂戴しましたが、高津慶子演じる薄幸の可憐な少女が親戚や曲馬団長や養護院などを転々としながら恋人と心中にも失敗し、さまざまな労苦と試練に苛まれるという可哀想な物語なのである。

鈴木は映像リアリズムの手法で人物や事物に肉薄しており、冒頭の執拗な粥のクロースアップは毎朝大家族で芋なき芋粥を口にした私の貧しい幼年時代を想起させてもの哀しかった。

けれども私と違って健気なヒロインは運命に果敢に歯向かい、クライマックスでは、外部に手紙も出せず自由に社会復帰も許されないキリスト教の修道院長に反抗、放火して官憲に逮捕され、「何が彼女をそうさせたか」という字幕が大きくクレジットされ、この名のみ有名な歴史的映画は終わるんである。

いかにもプロレタリア文学者の藤森成吉ならではの内容であるが、大ヒットの原因はその社会思想そのものではなく、「何が彼女をさうさせたか」という欧文直訳体もどきのきどったタイトルのせいだろう。

残念ながら冒頭と結末部の映像が失われてしまっているが、東欧の音楽家たちによって新たに付け加えられた音楽がなかなかよくできていて、後付けとは思われない劇的な効果を収めている。


生れたての蟷螂なれど道の辺に発条飛びだし轢かれておる 蝶人


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野田高梧・小津安二郎他著「蓼科日記抄」を読んで

2013-11-16 09:18:11 | Weblog


照る日曇る日第635回


「蓼科日記」の原本は昭和二九年八月、小津が初めて蓼科高原の野田の別荘「雲呼荘」を訪れた日から書き始められ、昭和三八年一二月の小津六〇歳の誕生日の急死を経て昭和四三年九月野田の死去までの一四年間大勢の人々に依って書き続けられた全一八冊の山荘録であるが、本書はそのおよそ六分の一の抄録である。

小津は確かに偉大な映画監督だったが、その映画を根底から支え続けてきたのが野田高梧という偉大な脚本家だった。小津よりちょうど10歳年長の野田は、単なる共同のシナリオライターというにとどまらず小津を人間的にも芸術的にもしっかりと同盟し、領導し続けてきた一心同体のベスト・パートナーであった。

この二人を中心に、雲が人を呼び寄せるがごとく「雲呼荘」に集った数多くの友人、作家、有名俳優、監督、プロデューサー、撮影・美術監督などの映画関係者、親戚の人たちが思い思いに書きこんだ日記、メモ、寄せ書き、イラストなどをつらつら眺めていると、強くそのことが思われる。

野田小津のコンビが「東京暮色」「彼岸花」「浮草」「お早よう」「秋日和」「小早川家の秋」「秋刀魚の味」「青春放課後」を相次いで生みだした「雲呼荘」は、まさしく当時の映画界の梁山泊、日本映画創作の最前線だったのである。

ところでこの日記の中で、小津は自画像を悪戯描きしているが、その絵に付された自筆の略歴の最後は「六〇歳某月某日酔人窮死するか」となっており、その予言の的確さに驚かされる。

また彼の最晩年には、二人の美女が愛人として出没していることも特筆されよう。数多くの映画人が蓼科の地を訪れたなかにあって、彼の永遠の恋人と称された原節子がいちども「雲呼荘」に足を踏み入れなかったのもむべなるかな、というべきか。


小津映画の秘密をふと垣間見る野田高梧別荘日誌 蝶人


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