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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2013年長月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2013-09-30 08:57:14 | Weblog


ある晴れた日に第160回


おほけなくも岡井隆うし慕いまつりわれは生涯一投稿歌人

元部下の突然の死よりも哀しきはその通夜の知らせ誰からも無きこと

月に一度千五百円のイタリアンをいただくほどのささやかな仕合わせ

ハッケヨイノコッタノコッタ夢の中で栃錦と若乃花が戦っていたよ

男性バレリーナの醜い膨らみから眼を背け女性のパンティの色を見ている

太平洋に1日300トン流れる汚染水ノーコン首相にみな呑ませたし

君のその愛国主義が君が住む愛する国を滅ぼすだろう

スタインウェイでなくヤマハを弾いている「教授」みてちょっと嬉しいその程度の愛国者です

残念だが君たちとは全然考え方が違うと言い放ちて一人帰りきぬ

一等賞になれなどと言われてもなんのことやらさっぱり分からんうちの耕君

何ゆえに蓮の葉っぱをちょん切って川に捨ててしまうのか依然謎多き我が家の自閉症児

天井からぶら下がって縊死していたよ旧字旧仮名

門君が越した高崎あたりでは今頃きっと四〇度だろう

あの欲望この欲望消えてゆくなり行き合いの空

遥々と遠き国より帰りたりほんの短き午睡より覚めて

空也の念仏のように思念が現実になってゆく稀代の呪術文士中上健次

健君がとげぬき地蔵で買ってくれた真っ赤なパンツで父は頑張る

ハッケヨイノコッタノコッタ夢の中で栃錦と若乃花が戦っていたよ

相模湾の海底深く沈みゆく第三臼歯に追い縋りたり

エジプトやシリアの人が死にゆく日湘南の海で泳いでいるわたし

今宵また非通知携帯がルルと鳴る何処かの誰かの丑の刻参りか

よろこびもかなしみも消えて行くなりいきあいの空

お握りは空気を入れないでラップしてくださいと警告する妻

教室の女子学生の大半がパンツの膝を出している2003年夏の試験日

目の前で微笑む君が大学院教授畏れ多くて近寄れないよ

現世かはたまた隠り世で鳴くらむか喨々と鳴る油蝉の声

茶葉の陰に茶色の羽根を立てているムラサキシジミよ紫を見せよ

コンクリートの電柱高く幣巻かれ神社の祭礼近づきにけり

妻と手を取りて急ぐや秋祭り

秋祭り神輿の太鼓は変拍子

誰からも見られず散りし月下美人

戯れに北枕にする昼寝かな

ミンミンの声で目覚める午睡かな

ミンミンは真実一路妻を恋う

二人して一合の飯を食う夕べ

去年の蝉もあわせて鳴くや杉木立

季語なぞは弾き飛ばして蝉が鳴く

モーツァルトの迅さ身にしむ白露かな



     一輪の彼岸花が咲いている 世界一弱い国でいいじゃないか 蝶人
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橋本治著「初夏の色」を読んで

2013-09-29 08:24:23 | Weblog


照る日曇る日第625回



「枝豆」という短編が一風変わっている。主人公の大学生が「草食系男子」についてのインタビューを受けるうちにだんだんけったくそが悪くなってくる。

それが終わって同級生の女子からも「君は草食系なの?」と聞かれて、「いや、今はまだ莢の中に入っているけど、その内にポロッと出てくる枝豆系」と答えてケムに巻いているうちに、なぜだか2人が男女の仲になっていくような微妙な気配が漂うところで小説が終わる。じつに達者な筆だ。

ここでは小説の形を借りて男子の欲情の形態が議論されているのが珍しく、また面白くもある。思うにその形態には種々色々あり、中上健次や渡辺淳一、石原慎太郎などの小説には、女とみれば直ちに欲望を抱いて暴発しかねまじき肉食系のマッチョな男性が登場するが、その反対にいくら性的魅力のある女性に迫られても反応できない疑似不能型の超草食系の男性も数多く存在する。

前者が原始的動物的単細胞、後者を現代的知的繊細複雑怪奇と決めつけて済ませられたら簡単だが、その中間型も数々あり、時と所と状況によっては同一人物の内部においてもそれらが瞬時に入れ替わったりするので、安易な定型化は許されない。

そいう意味では、「草食系でもなく非草食系でもない枝豆系」とは今日の男性の性意識の主流であるのかもしれないな。

枝豆なんかにえらくひっかかってしまったが、本書に収められた短編の中の白眉は、疑いもなく著者の最新作である「海と陸」であり、ここに描かれた大震災と真正面から愚直に向き合うある少女の感動的なまでに直截的な生き方は、読む者の心に大きな衝撃を与えずにはおかない。


      茶葉の陰に茶色の羽根を立てているムラサキシジミよ紫を見せよ 蝶人
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あるアナウンサー

2013-09-28 09:28:29 | Weblog



「これでも詩かよ」第28番&ある晴れた日に第159回



リタイアして終日家に居るようになってからは、毎日NHKのクラシック番組を聞いている。

「クラシックカフェ」という番組である。担当は、ちょっと野太い低音が魅力のアルトが唐澤美知子さん、同じアルトではあるけれど落ち付いた、けれどもどこか人世に疲れたくすんだ声でゆっくり語る高山久美子さん。

同じNHKのFMで、N響の生放送に登場する山田美也子という人の、男に媚びるような金属質のソプラノとは対照的に、深く心にしみる大人の声だ。

彼女たち、一体何歳だろう? 私はなんとなく「じゅん$ネネ」を思い出す。もしかすると二人とも凄い美人のような気もする。きっと結婚しているんだろうな。

もう一〇年以上も続いているであろう不動の日替わりコンビだが、今日は唐澤美知子さんの番だ。

この「クラシックカフェ」では、二人とも放送される曲や演奏団体の説明をするのだが、いつも気になることがある。

「演奏はベルリンフィルハーモニー管弦楽団」とひと息で読みあげるべきところを、二人とも「演奏はベルリン」「フィルハーモニー管弦楽団」のように、ベルリンとフィルハーミニーの間にわずかに間隔をあけるのである。

これが気になる。音楽用語を使えば、本当はスラーを掛けなければならないはずなのに。

もしもこのアナウンスを、ベルリンフィルフィルハーモニー管弦楽団の団員が聞いたら、「ヴィール シンド カイン ベルリン フィルフィルハーモニー! ニーム アイネン マーケル!」とかなんとか文句を言うのではあるまいか。

以前この件について、NHKのアナウンス室長宛に文句を言ったことがあるが、結局なしのつぶてだったな。

 かくしてベルリンとフィルハーモニーの懸隔は依然埋まらず、今日も唐澤美知子アナは、「指揮はサイモン・ラトル、演奏はベルリン フィルハーモニー管弦楽団です」
と、余裕綽々、自信満々の野太い声で喋ってる。


         モーツァルトの迅さ身にしむ白露かな 蝶人
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さようなら、2013年の夏よ

2013-09-27 07:47:28 | Weblog


「これでも詩かよ」第27番&ある晴れた日に第158回


夏が逝く。なぜだか青空が日ごとに薄れて、ぐんぐん遠ざかる。
もう無二無三に暑かった西暦2013年の夏が、チャプリンがちょっと帽子に手をやるようにして、急ぎ足で退場していく。

しかしまだカンカン照りの舗装された道路には、ついさっきまで鳴いていたアブラゼミの死体が転がっている。

セミの傍には、一ぴきの巨大なスズメバチ。
やれやれ夏の間中しつこく私をつけ狙っていたこいつも、ついにくたばったか。

私は彼奴等にこれまでに既に2回も刺されており、体内には毒液が蓄積しているので、
「あと1回刺されたら致死量に達するので、生命の保証はできませんな」
と大船のお医者さんから脅かされている。

そこでいつも近所の朝比奈峠に散歩に行くと時には、彼から渡されたエピペンという注射器をつねに携行しているのだが、黄色い獰猛なスズメバチは、そんなあやうい命の綱渡りをしているおいらと知るや知らずや、いつも執拗に襲ってくるのだ。

なんにも悪いことはしていないのに。
いや、ちっとはしているか。

にっくきスズメバチの隣には、キリギリスやカマキリも静かに横たわっている。
こんな虫も、鳥も、犬も、猫も、独りで生まれて独りで黙って死んでいく。

うちの愛犬ムクだけは、死ぬ時にグググと唸ったが、思えばあれは、飼い主の健ちゃんへの最期のあいさつだった。

自分の落とし前を自分でつける彼らは、じつに立派だ。
最後まで人様に迷惑をかけっぱなしで、未練たっぷりに死んでいくのは、われわれ人間だけだね。


         妻と手を取りて急ぐや秋祭り 蝶人
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小泉堯史監督の「明日への遺言」をみて

2013-09-26 10:12:54 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.562


 大岡昇平の原作はむかし確かに読んだのだが、すっかり忘れ果てていたら、それがこの映画の原作でした。ここでは横浜法廷でB級戦犯として絞首刑に処せられた岡田資陸軍中将の孤独な「法戦」を冷静に辿っています。

 彼は名古屋に非人道的な無差別大空襲を行ったB29の乗員を、ハーグ協定違反の戦争犯罪人として斬首処刑したのですが、これが逆に捕虜虐待の犯罪として米軍事法廷で追及されるのです。

 法理論で推せば岡田の主張は理路整然としており、男らしくリーダーとしての責任感に貫かれており、どうしようもない無責任な戦争指導者が多かったなかで異色の存在であったことが分かりますが、結局はいくらその主張が正しくとも「勝てば官軍の悲哀」を身をもって受けとめる悲劇になってしまうのです。

 もし岡田が彼の行為を「違法行為への処罰」ではなく、「米国の法律で認められた報復」であると認めれば、無罪になる可能性があったが、彼が断固として「処罰」に固執したために最後の機会を逃した、というナレーションがありましたが、これはどういう意味だったのでしょうか。

 いずれにしてもその岡田中将を、藤田まことが見事に演じきっておりました。



        遥々と遠き国より帰りたりほんの短き午睡より覚めて 蝶人

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松家仁之編新潮クレスト・ブックス「美しい子ども」を読んで

2013-09-25 09:15:11 | Weblog


照る日曇る日第624回

松家仁之氏が創めた新潮社の海外小説シリーズのクレスト・ブックスは、その内容と共に用紙、装丁が他の単行本と一味違っていて、昔の岩波文庫、ペンギンブックス共々「どんな表題であろうが買いたくなってしまう」タイプの、私の偏愛する叢書であります。

海外の雑誌や書籍が好ましいのは、その頁から立ち上るなんともいえない馨しさであるからして、欲をいえばそういう官能性をも添付してくれたらと思うのですが、それはついに叶えられない個人的な翹望に終わるのでしょう。

さて叢書創刊15周年を記念して刊行された本書には、表題作をはじめ11人の名手による短編小説が12本並んでいますが、わが敬愛する小竹由美子さんの翻訳されたアリス・マンローの「女たち」、ネイサン・イングランダーの衝撃的な「若い寡婦たちは果物をただで」をはじめ、ありふれた言い方ですが、それこそ珠玉のような作品ばかりで、すこぶる読みでがあります。

今回私がある種の懐かしさと共に味読したのは、父親と息子の魂の交わりについて触れた「リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ」というベルンハルト・シュリンクの作品でした。

息子は老い先短い父親を独逸の田舎で開催されるバッハ音楽祭に招待して、二人の絆を確かめようと努力するのですが、その困難な試みは、途切れ途切れの会話によってではなく、二人が帰路突然の大雨に遭い、橋の下でバッハの「モテット」のCDを聴いている時に、もっとも豊かな成果をもたらしたのです。

私もこの短編を読みながら、主人公と同じように「モテット」のCDをかけ、人に頼まれた重い荷物を駅まで急いで運びつつ心臓発作で事切れた、人に優しかった父の面影を偲んだことでした。


五輪ではてんでバラバラの列島も台風十八号には一体となる 蝶人
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ニコラス・ハイトナー監督の「センターステージ」をみて

2013-09-24 09:45:06 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.561


最近バレエのビデオばかり見ていたので、その華麗な踊りの世界の内幕物として興味深くみました。

最後に勝利を収めるヒロインは容貌こそまずまずだが、足の形が悪く反転も下手くそで上級クラスに残るのは難しいかと思われたが、クラシックではなくモダンダンスに向いていたために見事な逆転勝ちを収めます。アメリカン・バレエカンパニーは昔からけっこうモダンに熱心な団体だから、さもありなん。これがボリショイとかパリオペラ座だと駄目だったのかも。

ところで4半世紀前のバレエは男役が女役を最高に美しく見せるのが最大の眼目だったと承知しているのですが、最近では男性の復権が急速に進み、ほぼ女男対等、同権時代に入ったことはまずは目出度い限りであります。

しかしいくら見事な踊りでも気になるのはやはり下半身で、男性のあの異様なふくらみはなんとかならないものだろうか。興奮の余り勃起しながら踊っているのではないかと誤解されよう。できれば宦官のように去勢してからこの業界に入って欲しいものです。

女子の場合はそういう必要はさらさらないが、いまでも財政難のバレエ団だとパンティの素材やデザインが粗悪であったり、スカートの色とカラーコーディネートしていないケースがあったりします。

映画感想が脱線してモンティパンテイ感想に飛んでしまったが、人世においてパンテイほど大事なものもあまりないのである。



男性バレリーナの醜い膨らみからは眼を背け女性のパンティの色を見ている 蝶人
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夕方になりました。

2013-09-23 09:24:05 | Weblog



「これでも詩かよ」第26番&ある晴れた日に第157回



「夕方になりました。ライトに注意してください」と、トヨタのアクアが突然言うた。
2013年9月20日の金曜日の午後5時半ごろのことだ。

君はいままで、「今日は何月何日何曜日です」とか「まもなく踏切です。注意してください」とか「信号に注意して下さい」しか言わなかったのに、たまには違うセリフも喋るんだね

と、私が驚いていると、アクアはまた言うた。 
「もちろんです。他にも言えますよ。退屈でしたら、一発ジョークをぶちかましてご覧にいれましょうか?」

できるもんなら、やってみな。

「コンコン、誰がキツネですか? トントン、誰が豚ですか? ドンドン、誰が太鼓ですか?」

なんだ、高田純次のダジャレじゃないか。

「あははは、バレちゃいましたか」

それより君の会社は、円安ドル高で大儲けだね。

「いえいえ、たいしたこたあありませんや。アベノミクスが失敗したら、すぐに元のモクアミです」

しかし君の会社の車は、相変わらずダサイね。特に内装と色彩が下手くそだね。少しライバルの日産を見習ったほうがいいよ。アクアの一押しのあのアクアカラーは、青が濃すぎて水の色じゃないし、君の外装には「ライムホワイトパールクリスタルシャインカラー」なんてご大層な名前がついてるけど、結局ただの白じゃないか。

「おっしゃるとおりでげす。恰好つけて誠に申し訳ございません」

燃費世界一のキャッチに惹かれて君を買ったんだけど、間もなくホンダのフィットに抜かれるというじゃないか。一体どうなってるんだね。

「いやあ油断大敵、ガソリン大好き、こんなにアッサリ抜かれるとは思いませんでした。社長によーく申しておきます」

そしてアクアの奴め、それっきりすっかり黙り込んでしまったのだった。 



太平洋に1日300トン流れる汚染水ノーコン首相にみな呑ませたし 蝶人
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チャップリン監督の「黄金狂時代」をみて

2013-09-22 10:13:04 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.560


食うに困って靴を食うシーン、恋人に見せようとしたフォーク2本を使ってのダンスなど、チャップリン得意中の得意技がきらめく素晴らしい喜劇映画であるが、このように音楽やナレーションを入れる前のトーキー時代のままの方がもっと素晴らしかった。

彼の強烈な演技とお笑いがあれば、ほかの要素は無用どころか、その本来の鑑賞の妨げになるのである。

ところで波瀾万丈の大冒険を命からがら切り抜けて見事百万長者になったチャップリンが、どうして約束通り恋人のいる酒場に駆けつかないで、アラスカを脱出する客船に乗ってしまうのか私には不可解なプロットです。

その同じ船に彼女が乗っていたから思いがけない邂逅という設定になり、ハッピーエンドで終わることができたのだが、この主人公はずいぶん薄情な奴だと思うのですが。


    元部下の突然の死よりも哀しきはその通夜の知らせ誰からも無きこと 蝶人

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思潮社現代詩文庫「岡井隆歌集」を読んで

2013-09-21 09:39:44 | Weblog


照る日曇る日第623回



短歌と和歌の区別もつかない私が岡井隆氏の名前を知ったのは、2008年7月に初めて日経歌壇に投稿した時のことだった。

穂村弘氏と共同の選者が他ならぬ氏であったのだが、まさかこの歌人が塚本邦雄、寺山修司と並び称される「前衛短歌の三雄」だとはまったく知らなかったのだから、ど素人もいいところである。

爾来氏がいかなる文学者かもつゆ知らず、時々日経歌壇に投稿してはいたのだが、いつまでたっても選ばれず、もうやめようと思っていた忘れもしない2012年6月3日の日曜日、

障碍の息子を持ちて身につけし障碍の子を見つける速さ

という拙ない歌を、穂村弘氏が6席に選んでくださったので大喜びしていたら、なんとその翌週に今度は岡井氏が

「じゃあまた」と明るく別れを告げたれど吉田秀和『名曲のたのしみ』

という歌を第2席に選んでくださった。投稿の経験のある方なら、手の舞い足の踏むところを知らず、という狂喜乱舞の状態に陥った私の喜びを分かっていただけるだろう。雌伏4年とはこのことなるか。

それ以後、岡井氏のおめがねにかなった私の作品の数は以下のとおり。

薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う

誰ひとり読まぬブログを書き続ける人の心の底知れぬ闇

往年の大スタア次々に逝くめれどわが原節子のみ永遠に生くらむ

美しき落ち葉を拾い時折は取り出して見る日々送りたし

エジプトやシリアの人が死にゆく日湘南の海で泳いでいるわたし

 全部でわずか6首に過ぎないが、それでも私のような投稿歌人にとっては生涯忘れることのできない輝かしき桂冠なのである。

 という自慢話にいつの間にかなり果ててしまったけれど、大辻隆弘氏が巻末でお書きになっている「懊悩と豊穣」という簡にして要を得た見事な作品論を読んで、初めて私は、岡井隆という不世出の天才歌人が辿って来た一筋の暗夜行路の偉大な所産を、今頃になって思い知らされたのであった。

「大賢は大愚に似たり生御魂」という河波青丘の句があるが、いまいったいどれくらいの人が岡井隆という深き井戸の恐るべき噴出力を知っているのだろう。本書を読み終わった私は、氏の長命と壮健をこころから祈らずにはいられなかった。


おほけなくも岡井隆うじ慕いまつりわれは生涯一投稿歌人 蝶人
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駆け込み訴え その2

2013-09-20 08:59:09 | Weblog


「これでも詩かよ」第25番&ある晴れた日に第156回



2013年9月18日の夕刻、鎌倉市議会で観光厚生常任委員会が開催された。
御名御璽、御名御璽

A議員はいった。
障碍者ホーム入居者に対する市独自の家賃援助を、本年度から財政難でカットしたというが、神奈川県の19の市で家賃援助していないのは、鎌倉市と三浦市と南足柄市の3つだけというのは、わが市の名誉にかかわる問題ですな。

障碍課の担当の次長はいった。
私もじつは課長の報告をきいて驚いております。

B議員はいった。
家賃補助を廃止した埋め合わせとなるような、鎌倉市独自の福祉政策って何かあるんですか?

C議員はいった。
障碍を持つ人たちが自立できるように、市はもっと親身になって支援して行く姿勢が必要ですね。それは財政問題とは違う性質の問題です。

しばしの沈黙。

討議が終わり、やがて取り扱いの検討に回された私たちの陳情、妻の渾身の祈りと願いを込めた陳情は、継続審議になるのではないか、という私の予想を、見事に裏切った。裏切った。

なんとなんと、党派を別にする委員5名全員の賛成で、陳情は採択された。採択されたのである! 
御名御璽、御名御璽

インターネット中継の画面を自宅で食い入るように見詰めていた私たちは、少し離れた別々の場所で涙を流した。こっそりと、こっそりと。

これは近来稀なる快事だ! 素晴らしいじゃないか。ほとんど奇蹟じゃないか。
まだまだ鎌倉も捨てたもんじゃない。若くても、立派な見識を持った議員がいるではないか。いるいる。

陳情が委員会で採択されてもそのあと本会議があり、本会議で採択されたとしても、コストカッターで知られる抜け目のない辣腕の若き市長が、議会の勧告に従うかどうか予断は許されないが、私たちが最大の関門を突破したことは間違いがない。
御名御璽、御名御璽

やればできる。動けば物事は変わるじゃないか。疲労困憊はしているがぐあんばろう、
老骨突き上げる空にィ!

そうこころで思いながら外へ出ると、台風一過の夜空には巨大なスーパームーンが2つ浮かんでいた。



スタインウェイにあらずヤマハ弾く「教授」に頬緩むその程度の愛国者なり我 蝶人
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エドワード・ズウィック監督の「ラストサムライ」をみて

2013-09-19 08:57:14 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.559


もはや本邦には武士道のかけらもないのに、無邪気な外国人から富士山、芸者、蝶々夫人のノリで「あこがれ」られると、尾てい骨や前立腺のあたりがむず痒くなる。最初に登場した時の渡辺謙の祈りが、仏教のように手を合わせずにクリスチャン流に両手を握っている場面で、もうアウトである。

渡辺謙がどこか西郷南洲を想定するような役柄で明治新政府と闘い、彼の生き方に共鳴して「侍」となった米国からの流れものトム・クルーズが「ラストモヒカン」ならぬまさに「ラストサムライ」として超人的な大活躍をみせる。

映画の見所は近代的武器を完全装備した政府軍と前近代的な武士たちの武装集団との戦闘シーンであるが、いくらなんでも大砲や機関銃を連発する政府軍に弓矢と刀だけで戦う
西郷軍があんなに善戦力闘できるわけもないだろう。

しかしちょっと面白いのは、ラストで若き日の明治天皇が登場して奇妙な振る舞いを見せること。西郷軍の悲劇を知った彼が、いったん維新主流派に対して与えた近代化路線をひるがえし、米国との平和条約だか協定だかを廃棄して、旧き武士道精神に立ち返ろうとする気配をみせたりするのは日本映画では絶対におめにかかれない光景で、天皇をふつうの登場人物として描こうとするハリウッド映画の精神の健康さを感じた。


秋祭り神輿の太鼓は変拍子 蝶人

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リチャード・クワイン監督の「パリで一緒に」をみて

2013-09-18 10:19:43 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.558



「シャレード」の翌年の1964年の製作。ここでのヘプバーンのお相手は「麗しのサブリナ」に続いてウィリアム・ホールデンで、なんと脚本を「望郷」のジュリアン・デュヴィヴィエが書いている。

書けないシナリオライター役のホールデンが、四苦八苦しながらタイプライターのオードリーと一緒に脚本作りを進めてゆくプロセスと、2人の恋の進行を同時進行的を映像化するという手法で映画は展開されるが、それを最後のクライマックスまで破綻なく進行させる離れ業の大半は、この「望郷」の監督のシナリオの力だろう。

愛国主義者が大嫌いだったという私の大好きな作家のノエル・カワードが、プロデューサー役で出演して存在感を示している。



      無理矢理に使おうとしたがもう壊死してた由緒正しき旧字旧仮名 蝶人
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チャップリン監督の「モダン・タイムス」をみて

2013-09-17 08:20:35 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.557


近代化とは資本と機械が人間と労働を従える道であり、それ以降現代にまで続く間化と疎外の進行を、この映画は劇画風かつドラスティックに描いている。労働者を働かせながらランチを取らせる珍妙な自動食事機械の登場は、労働者にとってはまさに悪夢であるが、現代の経営者はつねにこれに類した経営努力に全力を傾けてきたのである。

こうした「モダン・タイムス」を動かす巨大な時代装置に翻弄されながらも、われらが工員チャップリン選手と野性的な少女ポーレット・ゴタードお嬢は、ささやかな幸せを求めて懸命に生き抜こうとするのだが、私たちは彼等の前途になにが待っていたかをよく知っている。

ナチスがラインラントに進駐し、スペイン内戦が勃発し、本邦では2.26事件が起こった1936年に製作されたこの映画では、全世界を覆う社会不安と労働者騒擾の遠い反響が随所で谺しているようだ。

本作ではチャップリンがはじめて肉声(タモリのようないんちき外国語)で歌うのだが、前奏部の踊りはいいけれど、歌そのものはつまらないし、面白くもおかしくもない。また全体の構成は破綻しているとまでは言えないが、ストーリー展開の自然さを欠いているのは残念である。


ハッケヨイノコッタノコッタ夢の中で栃錦と若乃花が戦っていたよ 蝶人
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ジャック・ケルアック著「トリステッサ」を読んで

2013-09-16 09:45:06 | Weblog


照る日曇る日第622回


映画公開が話題になっているこの作者の「オン・ザ・ロード」と「そしてカバたちはタンクで卯で死に」(バロウズとの共著)を読んで、なんじゃこれは、ヘロイン患者の与太話を書き飛ばした三文小説ではないかと驚き、あきれ果てたわたくしであったが、翻訳が青山南氏だというので、騙されたつもり、清水の舞台から飛び降りるつもりで読んでみたら、あろうことかまたしてもの超々三文与太話であった。

ビート文学だかビートぶんぶく茶釜だか知らないが、毎日毎晩「酒歌女はた煙草」(なら佐藤春夫どまりだが)に加えてモルヒネを濫用しながら白昼夢をみているような人物が書き散らした文章に、いささかなりとも取り柄があるとは思えない。

青山氏によれば「モルヒネ漬けの売春婦をめぐる斬新で悲しくも美しい比類なき小説」というのが当時のキャッチコピーらしいが、実際に読んでの感想は「モルヒネ漬けの売春婦をめぐる支離滅裂の三流ヘロヘロ小説」、であったのは誠に残念なことだった。

 しかしこれまた青山氏の解説からの引用になるが、ケルアックは彼の「即興的文章の要点」で「表現を精選することはしない。心が自由に脱線して果てしなく主題を吹き流しながら思考の海の中に入っていくのを追いかけ、リズムだけをもっぱら気にかけてレトリックの息づかいや曲げられた文意であふれる言葉の海のなかを泳いでいくことだ」と論じているそうで、肝心の小説は落第点だったが、このコメントには大いに共感する次第である。



コンクリーの電柱高く幣巻かれ神社の祭礼近づきにけり 蝶人

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