あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

島泰三著「安田講堂1968-1969」を読んで

2021-10-31 10:19:27 | Weblog

照る日曇る日第1654回

 

要するに問題は、「義」のために立つか否か? あるいは立てるか否か?ということだ。

そして立った後で、やっさもっさしていると、直ちに次なる局面がやって来る。

それは、その義のために、命を捧げることが出来るか否か?という局面だ。

 

命はあってのモノダネだから、いくら血気にはやる若者でも、誰でもそう簡単に差し出す訳にはいかない。臆病で卑怯者の私は、ここで大きく日和って、命を大事に可愛がれる人世に戻った。殺されないで良かった。殺さないで良かった。

 

しかし少なからぬ学友諸君が、そのまままっすぐに進んで行ったが、そこで待っていたのが、いかなる地獄だったかは、分からない。

 

考えてみれば、今日も私(たち)は地獄のような日々を生きているわけだが、2つの地獄はかなり違った世界なのだろう。いや、それとも結局は、似たような世界なのかも知れぬ。

 

私は1968年11月22日、東大安田講堂前で開催された全国総決起集会に駆け付けた日大全共闘3千人のデモ隊の、本郷通りを地震のように揺るがす轟音を思い出す。

 

あの時私は、あの激烈な音響の奥底に、まだ誰も経験したことがない新しい次代を拓く予兆が鳴り響いている、と確信していたのであった。

 

    早朝の投票場に連なれる列の最後に我らも並ぶ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川俊太郎詩集「虚空」を読んで

2021-10-30 13:08:46 | Weblog

谷川俊太郎詩集「虚空」を読んで

 

照る日曇る日第1653回

 

<4+3+4+3=14>行の、いわゆるソネット形式で書かれた、シンプルな詩が並んでいる。

 

 残らなくていい

 何ひとつ

 書いた詩も

 自分も      「(残らなくていいい)の第一連」

 

というように、最晩年に差しかかった詩人の、空の空なる無常の境地を、披歴しているが、どっこいそう簡単にくたばる様な老人ではないことは、誰もが知っているでしょう。

 

こういう境地を「虚空」という題名や、ソネットとかの形式や、気取った美意識をかなぐり捨てて吐きだして欲しいと望んでいるのは、私だけだろうか。

 

    妻君に空色歯ブラシ頼まれて交通事故で買えずに畢んぬ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.90」

2021-10-29 14:06:14 | Weblog

蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第420回

 

○学生時代の友人の還暦を祝うスピーチ

 

本日はおめでたい会にお招きいただき有難うございます。

わたくし、須藤君とは高校、大学時代からの友人の田中と申します。*1

 

大学ではおよそ1年半の間、4畳半の狭い汚いアパートでいっしょに下宿しておりました。そして朝になりますと二人とも確かに大学には出かけてゆくのですが、授業には試験日以外は出席せず、校門のお隣にありました麻雀大学に連日通いつめ、遂に斯界のプロからも一目置かれるほどの高級中国文化技術を獲得したような次第であります。

 

その結果、本来4年間で卒業するところ、須藤君もわたくしもなんと6年かかって大学を卒業し、大器晩成の言葉を信じつつ、ゆっくりと社会に巣立っていった次第であります。*2

 

須藤君はその頃から空海、法然、親鸞、日蓮などの仏教の典籍に親しまれ、わけても「利他」の教えに共感共鳴されること切なるものがありました。*3

 

そして当時、就職のあても無くマージャン暮らしに明け暮れていたわたくしのために格好な会社を探し出し、無理矢理願書を出させ、下宿で眠り込んでいるわたくしをたたき起こして入社試験を受けさせ、最終的に須藤君はじめ60名の志願者が落っこちた入社試験に、なんとわたくしだけが合格できるようにしてくださいました。

 

須藤さんはたったひとり合格したわたくしを心から祝福してくれました。これを利他主義の完璧な実践といわずになんというのでしょうか。彼はわたくしの生涯の恩人です。

 

須藤さんの利他主義の恩恵を被ったのは、日本人のわたくしだけではありません。外交官となられてからの須藤さんは、国連での平和活動に挺身され、アジア・アフリカ諸国の恵まれない子供達の救済に力を尽くされていることは皆さまご承知の通りであります。

 

本日、その須藤さんが還暦を迎えられました。ここに改めて、過ぎし日のご恩情に対しお礼申し上げるとともに、どうか須藤さんがくれぐれも健康に留意され、これからも国際的な活躍を続けられますよう祈念いたしまして、本日のお祝いの言葉とさせていただきます。

 

○アドバイス

1)出席者が多く、いろいろな立場の人が混在している場合には、主人公と自分との関係がよく分かるような話題を選ぶ。

2)通り一遍のあいさつに終わらせないよう、主人公の人柄、魅力が浮かび上がるような話題を選ぶ。

3)スピーチ原稿は何度か手を入れ、事前にしゃべってみて、語義・語調・リズムが不自然にならないようチェックする。このセンテンスでは語尾がシ行で終わって韻を踏んでいるために発音しやすい。

4)原稿が完成したら全文を暗記し、何回かリハーサルを行う。

5)その際、自分がスピーチをする姿をビデオに撮って問題点を修正できればベストである。

 

  「マイナンバーカードはダメよ」と明記する岸本歯科は立派な歯医者 蝶人

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンドレ・クリュイタンス指揮「管弦楽&協奏曲録音全集」全65枚組CDを聴いて

2021-10-28 10:02:08 | Weblog

音楽千夜一夜第487回&蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第419回

 

2018年に買っていたクリュイタンス(1905-1967)選手のCDがやっと終わった。この指揮者のオペラは素晴らしく、数年前にワーグナーのバイロイト録音などに感激したものだ。そこで勢いよく聴き始めたオーケストラ曲であったが、総じてオペラほどの感銘は受けなかった。

 

しかしながら定評のあるベルリンフィルとのベートーヴェン交響曲全集は何度聴いても素晴らしいし、ベルリオーズやドビュシー、ラベル、フォーレなどのおふらんす物は彼の18番で、文句のつけようもない。

 

半分以上はモノラルでコンセルバトワールのオケを振ったもので、録音は古くともどこか独逸風の雄渾さはステレオ盤と変わらないのだが、もはや廃盤で取り換え不能の盤面不良が多くて、不愉快だった。

 

  ボストンのレッドソックス敗れたり沢村投手の出番無きまま 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レオ=レオニ作・谷川俊太郎訳「スイミー」を読んで

2021-10-27 10:54:15 | Weblog

 

照る日曇る日第1653回

 

大きな魚の大群に襲撃されて全滅した小さな魚の群れ。その中ででたった一匹生き残った主人公は、大海をさまよい様々な体験を積み重なねる中から、小も大団結すれば大魚と互角に戦えるという教訓を学び、実際にやってのける。

 

レオ=レオニの絵本では、いつもこういう二宮金次郎みたいな「教え」が、創作の基盤に蠢いているので、素直に楽しめないが、それでもグラフィックは素晴らしいずら。

 

ショパン弾くブルース・リウなんか一撃でやっつけてしまうブルース・リー 蝶人

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学館版「日本短編漫画傑作集第6巻」を読んで

2021-10-26 10:51:02 | Weblog

 

照る日曇る日第1652回

 

シリーズの最終巻で、吉田戦車、青山剛昌、岡崎京子、すぎむらしんいち、よしもとよしとも、松本大洋、藤田和日郎、江口寿史、とり・みき、あだち充、真造圭伍という多彩な面々を扱っているが、おらっちが推すのは岡崎京子の「初恋・地獄篇」。

 

もしも彼女が不慮の事故に遭わずに健在だったら、妙な神話のヴェールをかなぐり捨てて、じゃんじゃん普通のコミックを書きまくっていただろうという、江口寿史の解説にいたく同感する。

 

それにしてもこのシリーズジェンダーの観点から非難され、メンズ・プロパー編を名乗ったそうだが、それじゃあ岡崎選手をはじめとするレデイス部隊の扱いはいったいどうなるのだろう? まことにもって不可解である。

 

  「眞子さま」と呼ばれし女性が「眞子」となる生れし姿を取り戻しつつ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.89」

2021-10-25 11:18:20 | Weblog

蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第418回

 

○恩師の喜寿を祝う教え子のスピーチ

 

中山先生、つつがなく喜寿をお迎えになりまして本当におめでとうございます。私は芸大の日本画の後輩の吉田と申します。本日は中山先生の七十七歳のおめでたい式典に出席することができましてこころより感謝致しております。*1

 

芸大は、昭和24年までは東京美術学校と申しました。中山先生はその美術学校の栄えある卒業生であります。古くは横山大観、近くはかの平山郁夫画伯などを輩出した伝統と光輝ある日本画科ではありますが、「筆は一本、箸は2本」とはよく言ったものでありまして、絵描きと小説家が3度のご飯を満足に頂戴できることは今も昔も滅多にありません。*2

 

芸大で出てから15年、いまだ家庭も持てずに、ちびた絵筆一本をなめなめ日夜制作に没頭している私自身が、その生きた証人であります。ところが、中山先生が苦学生の頃は、もっと悲惨でありました。毎晩夜更けに新宿の二光食堂や中村屋の裏手にたむろして、いまでいうホームレスすなわち昔の乞食たちといっしょに、カレーや肉や残飯を失敬してかろうじて飢えを凌いだという思い出話をよく聞かされました。*3

 

あまつさえ中山先生は当時の日本画科の主任教授たちと芸術上の理論を異にし、日本画のあるべき姿に関しても決定的に対立し、当時事実上画壇のボスであった主任教授のゼミを破門されるという憂目に遭われたのであります。

 

もっとも先生の方では「こっちから願い下げにしてやったよ」と阿阿大笑されるのが常でありますが、以後はまったく孤立無援のまま既存のアカデミズムや画壇、組織、門閥とは鋭く一線を画して終始独立独歩の道を歩まれました。*3

 

「食うためには人殺し以外はなんでもやったよ」と、中山先生は豪放磊落、こともなげにおっしゃるのですが、先生の孤高の芸を芸術活動を献身的に支えられた奥様が昨年亡くなられたことは痛恨の極みでありました。

 

先生とともに筆舌に尽くしがたい苦労をなさった奥様が、もし今日の佳き日にこの場にいらっしゃったらと私たち弟子一同それだけが残念でなりません。生涯の師である中山先生から私が学んだ教え。それは*4

 

「行蔵はわれに存す。毀誉は他人の主張」の独立不羈の精神でありました。鎌倉山に遁世すること50年。無位無官を貫き、日本画界の“知られざる人間国宝”として遍く世界に知られる山本大山先生。どうかこれからも、世界の大芸術家としての王道を極めて頂きたいと熱望いたしまして、本日のお祝いの言葉とさせていただきます。

 

  • アドバイス
    • 1専門的な事柄や特定の業界だけの話題はできるだけ避けることが望ましいが、触れなければならない場合は門外漢にために分かりやすい説明を付け加えるようにする。
    • 2自分の存在や主張はできるだけ控えめにする。しかしそのコメントが主人公の人柄をくっきり浮き彫りにする場合には躊躇する必要はない。話者と恩師の人間関係の強い絆があきらかになり、出席者の共感と説得力を生む。
    • 3生々しい真実のスピーチは圧倒的な迫力をもつ。この場合は恩師の理解者だけが出席しているという想定であるが、立場に偏した発言は時と所をよく考えて行うことが望ましい。
    • 4維新後、海軍卿、枢密顧問官に就任した勝海舟を攻撃した福沢諭吉への海舟の反論。

 

   「ばかものよ自分で守れ」と叱られて茨木さんかと見れば政治家 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村岡由梨詩集「眠れる花」を読んで

2021-10-24 09:58:06 | Weblog

照る日曇る日第1652回

 

「生きること」と「詩を書くこと」、「実際の私」と「詩の中の私」が直結してスパークし、電光影裏に春風を斬る体の詩で、読んでいて気持ちがいい。

 

長崎の原爆碑文や「源氏物語」のような主語の欠落は何世紀経っても桁糞悪いが、安心召されよ、この詩には主語が満ち満ちている。

 

 「私は私が大嫌い。」(「鏡」)

 「私は先生が好きだ。」「私は大丈夫」(「診察室)

 「わたしは わたしは わたしは}(「透明な私」)

 「私に自由を強制しないで。私に不自由を強制しないで。」(「小鳥を殺す夢」)

 

「眠れる花」は、「私」が頻出して大手を振って大活躍するダイナミックな詩集だ。

私という主語を軸として繰り広げられる、私と私、私と世界の対話劇。

Iの世界観だ。そしてIはいつしか家族も加わって、一体化された「We」になる。

 

そんな詩集を読みながら、いつものようにおらっちは妄想する。

自分のことをいっぱしの「詩人」だと思いこみ、だから迂闊なことは書けないないぞ、などとチラリと思った途端に、詩人としての腐敗がはじまり、人間としての堕落もはじまるのだ。

 

ところがこの人は、そもそも自分を詩人なんて思ったことないから、自分の思うことをあからさまに、書けるのだ。そして思うことをありのままに書いてみたら、精神衛生上も効果的で、精神的な鬱屈も少しは晴れるような気持がしたので、それでどんどん書きまくっているのではないだろうか。

 

この詩集を何度も読み返していたら、なぜかおらっちは突然、大関松太郎という百姓のこせがれの詩を思い出した。たしか大昔の国語の教科書にあった、そして今もおらっちが大好きな詩だ。以下長くなるが、無断で引用してみよう。

          「山芋」

一くわ

どっしんとおろして ひっくりかえした土の中から

もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる

土の中にかくれていて

あんきにくらしていた虫けらが

おれの一くわで、たちまち大さわぎだ

おまえは くそ虫といわれ

おまえは みみずといわれ

おまえは へっこき虫といわれ

おまえは げじげじといわれ

おまえは ありごといわれ

おまえは 虫けらといわれ

おれは 人間といわれ

おれは 百姓といわれ

おれは くわをもって 土をたがやさねばならん

おれは おまえたちのうちをこわさねばならん

おれは 大将でもないし 敵でもないが

おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする

おれは こまった

おれは くわをたてて考える

だが虫けらよ

やっぱりおれは土をたがやさねばならんでや

おまえらを けちらかしていかんばならんでや

なあ

虫けらや 虫けらや          (詩集「山芋」より引用)

 

作者の村岡さんには、この詩に出て来る百姓と虫けらのように、眠ちゃんや花ちゃんや、野々歩さんと一緒に、いつまでももぞもぞ蠢いていって欲しいと願っています。

いついつまでも。

 

  大勢の死者を見送るお屋敷に歴史は深く刻まれてゆく 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学館版「日本短編漫画傑作集第5巻」を読んで

2021-10-23 10:02:00 | Weblog
 
照る日曇る日第1651回
 
 
本巻に収録されているのは湊谷夢吉、高野文子、泉昌之、ひさうちみちお、弘兼憲史、杉浦日向子、花輪和一、高橋留美子、浦沢直樹、いしかわじゅん、谷口ジロー、関川夏央、いがらしみきおの面々。
「あぜみちロードにセクシーねえちゃん」の高野文子、駅弁の正しい喰い方を考察する泉昌之の「夜行」、「さよならMrバニー」の浦沢直樹、関川夏央&谷口ジローコンビによる「北のサムライ」も捨てがたい。
が、なんというても赤穂浪士の討ち入りを乱入されて多数の死傷者を出した吉良上野介の側から「一人ひとりの惨劇」として描き尽くした杉浦日向子の「吉良供養」が圧倒的に素晴らしい。
2005年、我々は惜しみて余りある稀有の才能の持ち主を失ったのである。
 
  ノーチラス号に乗り込み悪者をみなやっつける我こそはネモ 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少年少女

2021-10-22 09:50:59 | Weblog

これでも詩かよ 第295回

 

昔むかしあるところに、少年と少女が住んでいました。

ふたりは近所に住んでいたので、地元の同じ小学校に入りました。

 

少年は幼稚園時代にあまりいいことがなかったので、「よーし、小学生になったらがんばるぞ!」と、ひそかに心に誓っていました。

少女はいつも引っ込み思案だったので、「小学生になったら、なんとかして、そんな自分を変えたいな」と、願っていました。

ふたりは、たまたま同じクラスに入り、たまたま、隣同士の席で並ぶことになりました。

 

少女は、隣の少年の顔をそっと見ました。

学校より野山が好きそうな、元気な少年でした。

そこで少女は、今まで生きてきた中で最大の勇気をふるって、おそるおそる少年に語りかけました。

 

「あのお、わたしとお友達になってくれますか?」

聞こえるか、聞こえないかの、小さな、小さな声でした。

すると少年は、声のする方をじっと見ました。

とても可愛らしい少女でした。

 

少年は、少女に向かって言いました。

「もう友達になっているじゃん」

 

それを聞いた少女は、思わずうれしくなって、にっこり笑いました。

すると少年も、なんだかうれしくなって、にっこり笑いました。

 

それから、時はずんずん流れ、長い長い月日が経ちました。

ふたりは大人になり、別々の遠い、遠い町に住んで、別々の生活をしていました。

少年は絵描きさんになりましたが、まだ独身で、少女は早くに結婚して主婦となり、三人の子供のお母さんになっていました。

 

ある日大人になった.少年は、故郷の町の実家で小さな展覧会を開くことを思いつきました。

すると、その話をどこで聞きつけたのか、大人になった少女が展覧会にやって来て、ふたりはおよそ40年ぶりに再会したのでした。

 

少年の絵をぜんぶ見終ると、少女は少年のところへやって来て、

「あのね、私が小学一年生になって隣の席に座った時、きみになんて言ったか覚えてる?」と尋ねると、

少年は「アハハ、そんな昔のこと覚えてるはずがないじゃないか」と答えました。

じっさい何ひとつ覚えていなかったのです。

「そうだよね。あんなに遠い昔のことだものね」と答えた少女は、何か言いたそうでしたが、それ以上何も言わないで帰っていきました。

 

その日の午後、古い家の玄関先には、とても良い匂いのする金木犀の花が満開で、いつまでも少女の後ろ姿を見送っていました。

 

  亡き父母の古家の庭なる縁側の下で這いずるヒキガエルあり 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2021年神無月蝶人映画劇場その3

2021-10-21 10:48:50 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2669~78

 

1)岡本喜八監督の「独立愚連隊西へ」

軍旗を失くしたので日中両軍が大捜索作戦を展開いるという1960年の「明るい戦争映画」だと。アホくさ。

 

2)ルーシー・ウォーカー監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス」

一世を風靡したキューバの名物倶楽部の終焉を描くドキュメンタリー映画。しかし1930年生まれのオマーラは2021年現在まだ90歳で健在である。

 

3)セルゲイ・モクリツキー監督の「ロシアン・スナイパー」

2015年の戦争映画。300人以上の敵を狙撃した必殺のスナイパーの心中やいかに?

 

4)岡本喜八監督の「殺人狂時代」

1967年製作のドタバタ漫画映画。仲代達矢、団令子、天本英世などがゴチャゴヤ騒ぐが、これをカッコイイ喜劇だと勘違いしてるんだから世話ないやね。

 

5)坪島孝監督の「無責任清水港」

クレージーというより植木等が大活躍する1966年のお笑い任侠映画で、マキノ監督の次郎長物なんかより遥かに面白いずら。

 

6)須川栄三監督の「野獣狩り」

伴惇、藤岡弘親子が銀座を舞台に武装集団と戦う1973年の活劇もの。別にどうってことにが当時は今より遥かに自由に撮影していたようだ。

 

7)アルフレッド・ヒッチコック監督の「三十九夜」

ヒッチの演出が冴える1935年のサスペンス映画。英国の秘密をスコトランドが売るという原作にはちとひっかかるが、その機密を「なんでも記憶屋」に記憶させている点が斬新ずら。

 

8)ジャン・コクトー監督の「双頭の鷹」

1946年の原作戯曲を1948年にジャン・マレー主演で映画化。エドヴィジュ・フィエールの女王が美しい。悲劇的な最後はトリスタンとイゾルデのようだ。

 

9)エイドリアン・ライン監督の「運命の女Unfaithful」

ダイアン・レインがオリヴィエ・マルティニスと浮気をしたのでリチャード・ギアが殺してしまうという昔ながらの2002年の映画。

 

10)セドリック・ヒメネス監督の「ナチス第三の男」

2017年のナチ映画。親衛隊の実力者がチエコノパルチザンに暗殺されるがこんな奴暗殺されて当然ずら。

 

  1900年年わが国で初めてピアノ曲を作りし滝廉太郎のメヌエットを聴く 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学館版「日本短編漫画傑作集第4巻」を読んで

2021-10-20 10:23:58 | Weblog

 

照る日曇る日第1650回

 

1975年から1980年に発表された本巻に登場するのは一ノ瀬圭、ますむらひろし、星野之宣、高橋葉介、さべあのま、藤子・F・不二雄、新田たつお、いしいひさいち、宮西計三、坂口尚、はるき悦巳の11名である。

 

んでもっておらっちが多少とも面白いと思ったのは、明治初期の洋画家を描いた一ノ瀬圭の「らんぷの下」、壮大なスペースファンタジーを展開した「宇宙船製造法」の藤子・F・不二雄、中間的なギャグを振り撒く新田たつおの「地球防衛軍」、エロパンクの「十七歳の妾」の宮西計三だったが、前代の作品に比べるといちじるしくスケールダウンしてしまった感は否めない。

 

解説の村上知彦によれば、この時代は「少女まんがの時代」として位置づけられるというのに、なぜそれがシリーズ全体から排除されたのかを編者一同で改めて総括してもらいたいものだ。

 

  すばらしくうるわしき歌詠みたれど大便流せばみな忘れたり 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.88」

2021-10-19 10:21:34 | Weblog

蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第417回

  • 藍綬褒章受賞祝賀会/発起人あいさつ

山田さん、そして奥様、本日は誠におめでとうございます。そして皆さま、お忙しい中を山田喜三郎氏の藍綬褒章受賞祝賀会にご出席いただきましてありがとうございます。*1

 

私は、山田さんの友人で、市内で産婦人科を開業しております医師の根岸昭雄と申します。*2

 

そもそも藍綬褒章は、教育、衛生、殖産開発などの事業を輿し、公衆の利益に功績著明な者、または公共の事務に勤勉し、労効顕著な者に与えられることになっている非常に名誉な表彰でありますが、*3山田さんは、市から委託されたリサイクル計画およびリサイクルセンター建設プロジェクトの総合プロデューサーとしての貢献きわめて大、と各方面より高く評価されてこのたびの叙勲となりました。

 

山田さんのお陰で、当市のゴミの量は24%減少、資源化率は13%から32%に急上昇し、全国の最高レベルに達したのです。今回の藍綬褒章ほど山田さんにふさわしい栄誉はないでしょう。山田さん、どうかこれからも健康に留意されてますますのご活躍をお祈り申し上げます。

  • アドバイス
    • 1古くからの友人が発起人として藍綬褒章の受賞者に祝いのスピーチを行うところである。
    • 2藍綬褒章の何たるかを知らない人たちのために発起人として若干の解説を試みるとともに、受賞のポイントと意義を説明している。
    • 3最近地方自治体が苦慮する「ゴミ戦争の勝利者」としての山田さんを大いに持ち上げる発起人。賞の具体性にこだわったスピーチの1例である。

 

    「表紙」さえ替えれば選挙は大丈夫驕り高ぶる自民よクタバレ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川端康成著「伊豆の踊子・禽獣ほか」を読んで

2021-10-18 16:16:09 | Weblog

照る日曇る日第1649回
ちくま文庫の「教科書で読む名作」と銘打たれたセレクションである。
「伊豆の踊子」を皮きりに「禽獣」「日向」「バッタと鈴虫」「油」「雨傘」「末期の眼」「ざくろ」「哀愁」「しぐれ」「弓浦市」「並木」の12の短編が陸続と並んでおり、最後は三島由紀夫選手の超行き届いた解説「永遠の旅人」で幕を閉じるという素敵なコンピr-ションだ。
「伊豆の踊子」は分かるが、作者自身が大嫌いと公言している冷酷無惨な「禽獣」や生を死人の視点から見下ろす「末期の眼」を高校生に読ませる数研出版と友朋堂、清水書院って、いったい何を考えているんだろうね。
若い時からこおゆうクールな世界観に馴染ませておけば世に出た時に役立つという料簡なのか?
たった34行の掌編ながら一期の思い出に写真館で記念写真を撮る少年少女の恥じらいと別れを描いた「雨傘」こそは、川端選手がその本領を発揮した傑作中の傑作である。
わいらあ「世界中のノーベル賞作家の誰がこれを書けるか!」と鎌倉の田舎の二階で叫びたいずら。

 五十五の息子と喜寿の父親が手つなぎ歩く神無月かな 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤賢一著「最終飛行」を読んで

2021-10-17 10:04:29 | Weblog

照る日曇る日第1647回

サンテックスことサン=テグジュペリの半生とその劇的な最期を描破しつくした傑作ドキュメンタリーなり。
1944年7月31日、ボルゴ飛行場を飛び立った44歳のサン=テグジュペリは、ついに戻ってはこなかった。さいごまで女にもてて、さいごまで我儘を貫き通して、他人が乗るはずだった偵察機を勝手に駆って、独軍機の餌食となる軍人兼作家サンテックスはまことにかっこいい。
しかしヴィシー派を毛嫌いしながらドゴール派に靡くこともしなかった彼。ドゴールが統治する戦後フランスでは、けっして薔薇色の人世は送れないことを熟知していた彼は、米軍のロッキードF-5Aと共に青い地中海の藻屑となることは、むしろ望むところだったのかもしれない。
おふらんす物を書かせたら天下逸品の作者は、本作においても膨大な資料と想像力を駆使して、この偉大な時代の英雄の生きた姿をあざやかによみがえらせることに成功している。

死にかけし事はあれども死にし事一度もなくて有難く喜寿 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする