照る日曇る日第1654回
要するに問題は、「義」のために立つか否か? あるいは立てるか否か?ということだ。
そして立った後で、やっさもっさしていると、直ちに次なる局面がやって来る。
それは、その義のために、命を捧げることが出来るか否か?という局面だ。
命はあってのモノダネだから、いくら血気にはやる若者でも、誰でもそう簡単に差し出す訳にはいかない。臆病で卑怯者の私は、ここで大きく日和って、命を大事に可愛がれる人世に戻った。殺されないで良かった。殺さないで良かった。
しかし少なからぬ学友諸君が、そのまままっすぐに進んで行ったが、そこで待っていたのが、いかなる地獄だったかは、分からない。
考えてみれば、今日も私(たち)は地獄のような日々を生きているわけだが、2つの地獄はかなり違った世界なのだろう。いや、それとも結局は、似たような世界なのかも知れぬ。
私は1968年11月22日、東大安田講堂前で開催された全国総決起集会に駆け付けた日大全共闘3千人のデモ隊の、本郷通りを地震のように揺るがす轟音を思い出す。
あの時私は、あの激烈な音響の奥底に、まだ誰も経験したことがない新しい次代を拓く予兆が鳴り響いている、と確信していたのであった。
早朝の投票場に連なれる列の最後に我らも並ぶ 蝶人