あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

町田康著「湖畔の愛」を読んで 

2018-11-30 11:43:45 | Weblog


照る日曇る日 第1170回



日常と非日常の境目を行ったり来たりして、わたしらの文芸によせる無条件の定見をば、その文体、プロットを通じて打破しようとする町田選手である。

が、なんだかペンを持つ右手が萎えてきているようで気になる。

もはやパンク・ロックがパンクがしてしまったように、パンク文芸もパンク寸前ということかもしれんて。



    七四と四四の親子なれど手をつなぎ歩く霜月の午後 蝶人
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ウディ・アレン11連発! 

2018-11-29 11:43:09 | Weblog
ウディ・アレン11連発!



闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1887~1897
 
1)ウディ・アレン監督の「マンハッタン」
メータ指揮NYフィルが演奏するガーシュインの名曲に乗せて繰り広げられるNYの夜景。もう少し美しかったような気もするが、アレンのキャメラっていつも即物的で抒情味はないのだった。私はキートンもヘミングウエイも魅力を感じないので、彼らにひっつきまわる中年男アレンの演技も鼻について嫌な感じしか持てなかった。ちょい役のストリープは良かったが。

2)ウディ・アレン監督の「アニー・ホール」
ウディ・アレンは映画の中に、複雑怪奇な人間、特に男女関係をできるだけ合理的な言葉で論理的に解明する知的でユーモラスな語法をはじめて持ち込んだ。いま見るとダイアン・キートンもアレン自身もまるで魅力がないが、逆にそのことが印象付けられる。

3)ウディ・アレン監督の「ハンナとその姉妹」
ミア・ファロー、ダイアン・ウイースト、バーバラ・ハーシーの3姉妹の愛と男関係を洗いざらい。ミアは長女だが次女のダイアンと役を取り替えるべきだった。

4)ウディ・アレン監督の「インテリア」
父親の再婚式にこっそり前妻がやってきてあんな結末になるなんて、しかしまあ映画だなあ。ああいうインテリアな完璧主義者はいるけれど、それを云っちゃあおしまいよ。

5)ウディ・アレン監督の「カイロの紫のバラ」
映画の中の人物が日常と自在に出入りするなんて子供じみた発想で映画にしてしまうなんてさすがウディ・アレンずら。ラストでアステア&ジンジャーの素晴らしい踊りを見つめるミア・ファローのアップに万感が籠っている。

6)ウディ・アレン監督の「マンハッタン殺人ミステリー」
好奇心旺盛なダイアン・キートンに引っ張り廻されてアレンまでもが隣室の殺人犯を探偵、追跡するというミステリー一幕物ずら。

7)ウディ・アレン監督の「ローマでアモーレ!」
永遠の都ローマで花開く奇想天外のラブストーリー。しかし風呂の中で歌わせるオペラとは!アレンの才智煥発が爆発。

8)ウディ・アレン監督の「マジック・イン・ムーンライト」
感動的なラストシーンを用意できるアレンの精神はいまだに瑞々しい。しかし神は存在するのだろうか?

9)ウディ・アレン監督の「ブロードウェイの銃弾」
ダイアン・ウイーストが好演。舞台作りとギャングが絡んでラストに向って物語が破竹の勢いで進行する。もしかするとこれはアレンの最高傑作ではないだろうか。映画の中で抜粋だけが紹介されている芝居を全部鑑賞してみたいものだ。

10)ウディ・アレン監督の「夫たち、妻たち」
アレン&ミア・ファロー、ポラック&ジュディ・ディビスの2組の夫婦の愛のいろいろを活写。軽妙な喜劇もこういう深刻な悲劇もアレンは得意中の得意であるなあ。

11)ウディ・アレン監督の「スコルピオンの恋まじない」
魔術師の呪文に催眠術をひっかけられて財宝を盗んでしまったアレン。下手をすると死刑になってしまうのでハラハラして見ていると鮮やかに解決黒頭巾となる。メデタシ、メデタシ。

  本当は外国人は好きではないが共に暮らすはやぶさかでない 蝶人
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角田光代訳「源氏物語中」を読んで 

2018-11-28 11:46:28 | Weblog


照る日曇る日 第1169回



22帖「玉鬘」から41帖「幻」までを扱う中巻は、源氏が権力の絶頂を極めながら生命の輝きを失い、ついにはこの世から姿を消してしまうまでを扱っている。

それは玉鬘が鬚黒のものになり、源氏の妻になった皇女女三の宮が柏木に犯されて子(薫)を胎み、刀折れ矢尽きた紫の上に続いて、我らが主人公光源氏が「雲隠」するまでの波乱万丈の物語であるが、こ訳者の角田光代は、その文学的センスを巧みに生かして、この全巻随一のクライマックスを見事な現代日本語に置き換えている。

また巻末に付された加藤克己の「解題」、とりわけ池澤夏樹の「解説」が才気煥発の名文章で、林望の訳業に匹敵する本編の出来栄えに錦上花を添えているようだ。



ヴ・ナロード サルガッソーで人民の海に潜ってみたがホンダワラがユラユラ揺れているだけだった 蝶人

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自由律詩歌 その37

2018-11-27 10:27:29 | Weblog


ある晴れた日に 第533回



ぬしぬしぬし
ぬすぬすぬす
ぬせぬせぬせ
ぬそぬそぬそ
ぬたぬたぬた
ぬちぬちぬち
ぬつぬつぬつ
ぬてぬてぬて
ぬとぬとぬと
ぬなぬなぬな
ぬにぬにぬに
ぬぬぬぬぬぬ
ぬねぬねぬね
ぬのぬのぬの
ぬはぬはぬは
ぬまぬまぬま
ぬみぬみぬみ
ぬむぬむぬむ
ぬめぬめぬめ
ぬもぬもぬも
ぬやぬやぬや
ぬゆぬゆぬゆ
ぬよぬよぬよ
ぬらぬらぬら
ぬりぬりぬり
ぬるぬるぬる
ぬれぬれぬれ
ぬろぬろぬろ
ぬやぬやぬや


 ローグ死にべルトリッチも死んぢまい生きているのはゴダールくらいか 蝶人

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柿本幸造絵・蔵富千鶴子文「どんくまさん」を読んで 

2018-11-26 14:50:31 | Weblog


照る日曇る日 第1168回



記念すべきシリーズ第1作ですが、衆知を集めて制作したその舞台裏が透けて見えるようで、全体的な完成度はいまいち。山奥に棲んでいたどんくまさんが、うさぎの街に出て大騒ぎになり、尻尾を巻いてまた山に戻るというシンプルな構成ですが、物語の展開がバタバタしており、文章がいいとはお世辞にもいえない。

結局それらすべての欠陥をことごとく払拭してしまった「どんくまさん」というキャラクターの創造と作画の魅力が光輝いて、この企画を単発に終わらせなかったのでしょうね。

 なるほどねあの父親が貴景勝を優勝させた 「父子鷹」だね 蝶人
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大江健三郎著「大江健三郎全小説5」を読んで 

2018-11-25 14:46:15 | Weblog


照る日曇る日 第1167回



「空の怪物アグイー」「個人的な体験」「ピンチランナー調書」「新しい人よ眼ざめよ」の全4冊を2段組1本に凝縮した本書は解説も含めて640頁の大著で、なかなか読み応えがあります。

しかしせっかく全小説を採録したというのに、前の2冊は60代、中の1冊が70年代、後の1作は80年代と、制作年次がまちまちなのは良くない。どうして時系列の順に発行できなかったのでしょうか。

それはさておき、この4作すべてに共通するのは息子の登場で、障ぐあい児であるイーヨー選手の存在が、いかにその父親である作家の人世と創作に決定的な影響をもたらしたかがよく分かるコンピレーションであるとはいえましょう。

この4作は、確かにフィクションではありますが、その創造の源流の基底部においては大江健三郎とその長男、光選手を主題とする私小説ではないでしょうか。

「空の怪物アグイー」は徐々に深化し濃密の度を加えていく親子の相関関係のいわば序曲であり、「個人的な体験」「ピンチランナー調書」「新しい人よ眼ざめよ」はそれぞれ第2、第3、第4楽章という形式を備えた「障害問題交響曲」というても過言ではないでしょう。

「個人的な体験」は、たまたま双頭の新生児が天からわが身に振りかかったというて身も世もあらずパニくり、正直に妻に打ち明けて「悲劇」と真正面から向き合うこともせず、いっそ医者に殺してもらおうと逆上したり、おのが「苦脳」とやらを慰安セックスでごまかしたり、ともかく信じられないくらい無様で見苦しい態度を示す男の物語です。

されど同じように障ぐあい、児を授かった世間の普通の親から見れば、この主人公に態度は、ほとんど馬鹿同然で、いくら文芸創作の世界とはいえ、全編阿呆らしくて読むに堪えない愚作です。

「ピンチランナー調書」で興味深いのは、健常者の父親が障害者の息子と入れ替わるなどその構想がはなはだ立体重層的で、物語世界が複雑多岐にわたること。

これによって文学作品としての価値と面白さは倍増していますが、その根幹を父と子の私小説として透視すれば、要するに、父が想像力を駆使して子の世界を理解し、一体化を図ろうとした、涙ぐましい父子鷹物語なのであります。

最後の「新しい人よ眼ざめよ」は、やたらめったらブレイクの引用が出てきて辟易させられますが、イーヨーを誘拐して東京駅で放置した「過激派」の言語道断の卑劣さには頭にきます。こういう連中のいったいどこが革命的なのでしょうか。
 
 一撃されしばらくもがいた冬の蚊はやがて動かなくなりましたあ 蝶人

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半蔵門国立劇場で「通し狂言名高大岡越前裁6幕9場」をみて 

2018-11-24 11:50:06 | Weblog


蝶人物見遊山記第298回


御存じ名奉行、大岡越前と大江戸を騒がせた天一坊とのハラハラドキドキの対決を描く名人、河竹黙阿弥のシナリオは上出来だ。

これは序幕の2場、2幕、3幕の1,2,3場、4幕、5幕、そして大詰という全幕通しの積み重ねがあってこそのドラマの爆発とカタルシスであって、歌舞伎座の名場面でたとこハチャメチャチョイスがいかに歌舞伎本来のエンタメの在り方を損なっているかの良き証左でもある。

ではあるが、主役を張る大岡越前の中村梅玉とその敵役、天一坊、市川右團次の発声は悪しき先輩を真似たのか弱弱しく、五月蝿過ぎる三味線の伴奏もあってほとんど3階席まで届かない。せめて山内伊賀亮演じる坂東彌十郎並の音吐朗朗が欲しいと思ったのは私だけだろうか。

5幕ではさしもの名奉行大岡越前も天一坊側の攻勢に追い込まれ、奥の部屋から大名時計が時を打つの聞いた越前は「もはや七つじゃ。はよう介錯の支度をせよ」と家来に命じて、妻子もろとも自害しようとする。

この演出は黙阿弥のものか、それとも劇場文藝研究会の補綴によるものかは分からないが、私の亡母は上口愚朗が収集した谷中の大名時計記念館が生家なので、とても懐かしかった。因みに大岡越前守忠相の墓地も、谷中の慈雲山瑞輪寺にある。

なお本公演は、来る26日までずら。

「憲法」をどう「読み解く」かご存じですか? 「ケムンパス」と読むのが正解 蝶人

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鎌倉文学館で特別展「鎌倉時代を読む 古典から現代作品まで」をみて

2018-11-22 13:49:45 | Weblog


蝶人物見遊山記第297回&鎌倉ちょっと不思議な物語第406回


源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから現在にいたるまでの、ロングスパンで「鎌倉文学」を考えてみる壮大な意図をもった展覧会です。しかしそうはいうても集められているのは、「吾妻鏡」とか「義経記」なんかの歴史書、戦記物が盛沢山で、退屈と言えば退屈。しかしながら新しいところでは太宰治の「右大臣実朝」の生原稿も展示されており、そのほとんど下手くそといううべき筆跡を目にするとなんだか安心したりもするのでした。

なお本展は来る12月9日まで開催中。中庭には秋薔薇もまだ咲いていました。


   君知るや白井貴子作詞作曲横浜市倉田小学校校歌 蝶人
     https://www.youtube.com/watch?v=3y7sCE4yJEM

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鏑木清方記念美術館で「清方描く、鏡花の世界」展をみて

2018-11-21 13:53:10 | Weblog


蝶人物見遊山記第296回&鎌倉ちょっと不思議な物語第405回


清方と鏡花の交わりは明治35(1902)年清方が24歳、鏡花が29歳のときに、単行本「三枚續」の仕事で始まったそうだが、今回は、そんな彼らの親和の深さと広がりを改めて確認するような展覧会でした。

清方の絵の最大の特徴は、その優美な色づかいにあると思うのですが、それらは例えば出世作として知られる「一葉女史の墓」(明治35年作)などにはほとんど露出されず、鏡花と共作した雑誌の口絵を描き続けるうちに、だんだん色の魅力にとりつかれていったような、そんな感想を懐きました。

なお本展は、来る11月25日まで開催されていますが、ここを出て小町通りに戻り、八幡宮に向って直進していくと、左手に鎌倉時代の武家屋敷跡の物凄い発掘現場を垣間見ることができるので、お見逃しなく。


ふとしたはずみでニョッと出る「尿対応パンツを買ってあげよう」と妻君が言うがそんなもん要らんて 蝶人
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新潮日本古典集成新装版・山下宏明校注「太平記二」を読んで 

2018-11-20 18:13:05 | Weblog


照る日曇る日 第1166回



鎌倉幕府が滅亡して建武新政権が発足したものの、御醍醐選手の政治的音痴のせいで足利尊氏と新田義貞が対立し、終わりなき内紛、内乱が打ちつづく。
そもそも革命第一の功労者、赤松円心に恩賞を与えるどころか播磨の守護職を取り上げ、他方途中出場の尊氏に関東八カ国管領の勅許を与え、勝手気儘な論功行賞を許すとは、いったいどういう了見なのか理解に苦しむ。

無能で傲慢で奢侈にふける千種忠顕、文観糞坊主などという阿呆な側近を重用する点からして、ゴダイゴ、首領の器ではないが、こういう杜撰な男だからこそ女の讒言に耳を貸して最も有能な皇子大塔宮をむざむざ死に追いやってしまったのである。

これではいくら真面目な忠臣、楠正成や新田義貞が最前線でぐあんばっても、最終的には到底駄目だろう、ということがよーく分かるように書かれている。

   指示どおり大腸検査の便を落とせば紙もろともに沈みゆくウンチ 蝶人
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カール・ノラック文・イングリッド・ゴドン絵・いずみちほこ訳「ぼくのパパはおおおとこ」を読んで

2018-11-19 15:51:02 | Weblog


照る日曇る日 第1165回

大きくなりたい少年を描いた、ペニー・マーシャル監督の「ビッグ」という映画があったが、この作品のパパたるや物凄い大男。「そらのくもはつかれるとパパのかたでひとねむり」というのだから半端ではない。しかし子供にとって必要なのはジャイアント馬場のような巨躯そのものではなく、たとえ小男であっても優しく庇護してくれ、尊敬できる偉大な父親なのである。

   ていのいい集金装置ではないかいな世の町内会なんちゅうもんは 蝶人
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かがくい ひろし作「おしくら・まんじゅう」を読んで 

2018-11-18 16:01:04 | Weblog


照る日曇る日 第1164回

少し、いやかなり作意が目立つ作品だが、最後の最後に登場したゆーれいがまんじゅうを食べるパンクな芸を演じて、それらを帳消しにしてしまう。

 口にするすべてのものを大声で「わあウマイ!、ウマイ!」と叫ぶ宮川大輔 蝶人
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新美南吉作・柿本幸造絵「ごんぎつね」を読んで 

2018-11-17 14:45:45 | Weblog


照る日曇る日 第1163回


ごんぎつねと人間を同じまなざしで見つめる作者の眼。それがラストの感銘を生むのだ。柿本選手の伴奏画も抜群の出来なり。

   内臓の二つ三つはなんのそのわが妹は生還したり 蝶人
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秋深し今宵はスタンリー・キューブリック 

2018-11-16 14:21:41 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1877~1886



1)ワイラー監督の「噂の二人」
ワイラーは人種差別や偏見打破に意欲的に取り組んでいたので、わいらあとても尊敬しているが、これは昨今話題沸騰ちうの同性愛への差別に取り組んだ先見的な作品。同時に他者に対していわれなき敵意をばらまく悪魔的人格への警告もなされている。
シャーリン・マクレーンは、みずからがLGBTであることを苦にして、むざんにも自裁して果てるが、今なら生きて生きて堂々と告白できただろうに。
他方、流言飛語によって致命傷を負ったヘプバーンは、全世界の敵幾万に向って昂然と額を上げ、雄々しく進んでいくが、この美しくも健気な姿を「ローマの休日」の後日談として眺めてある種の感慨に浸ることも許されるだろうか?
素晴らしいリリアン・ヘルマンの原作による、2度目の映画化!に拍手。

2)スチーブン・ソダーバーグ監督の「エリン・ブロコビッチ」
元ミスコン女王で3人の子持ちのシングルマザーで、法律の知識もなジュリア・ロバーツが弁護士アルバート・フィニーの事務所に無理やり入って公害企業から3億3300万ドルの和解金を勝ち取るという夢のような実話を映画化したもので、文句なしに面白い。

3)レオ・マッケリー監督の「めぐり逢い」
ケーリーグラントとデボラ・カーの恋のめぐり会いだが、脚本があまりにも安直なので白ける。

4)スタンリー・キューブリック監督の「ロリータ」
キューブリック自身が述べているように、ハリウッドの規制コードで主人公とヒロインのちゅちゅうたこかいな的描写が殆どないために、なんのための映画化意味不明なてんぷらとなてしまった。スー・リオンに全く小悪魔的魅力がないのも致命的ずら。

5)スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」
暴力を振るおうとすると激痛や嘔吐が起こる「善人療法」を受けた主人公だったが、けっきょく御破算に終わってしまう。そんなことははなから無理に決まってるさ。

6)スタンリー・キューブリック監督の「アイズワイドシャット」
ショスタコのジャズ・ワルツ第2番に伴われてぐんぐん深まるスリルとサスペンス。
前半のパーテーでハンガリー人の男に誘惑されるニコル・キッドマンの蕩けるような官能美はこの映画ならではのもの。
後半ではトム・クルーズが細君以外の女に惹かれていく過程で生命の危険に晒されるのだが、最終的には収めるところに収まって幕となる。
クルーズの起用には疑問符もつくが、でもよくもキューブリックがこの素晴らしい作品を遺してくれたと感謝するしかない。70歳での急死が惜しまれる。

7)スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」
しごきに堪えかねた新兵が鬼軍曹を殺して自殺するまでが前半、後半は同期の新米がベトナムに赴き、海兵隊員として最前線で戦うおはなしだが、3名の戦友を狙撃した敵の女兵士の死が心に残る。

8)スタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」
はじめは少年だけが持っていた獲得してシャイニング(輝視能力)を両親までもが獲得するようになるのは不思議。あの高山ホテルという因縁の場の魔性のなせるわざか。音楽は弦チエレなどを使っているが、彼がもっとも重宝するのはリゲティである。

9)フランシス・フォード・コッポラ監督の「ワン・フロム・ザ・ハート」
コッポラの女と男のお遊びミュージカル映画だが、さっぱり面白くない。トム・ウエーツが唄っているのがゆいいつの慰めか。

10)ロアート・レッドフォード監督の「リバー・ランズ・スルー・イット」
牧師館で育った兄弟の物語。ブラビはいいが残る2人の役者がいまいち。
モンタナの大河の中で、ブラビが大魚を命がけで釣り上げるシーンが良かった。
私は1993年にこの映画の試写をみたが、どういうわけか試写室はがらがらで、客は私と村上春樹の2人だけだったことを覚えている。

        メス光る声なき秋の神頼み 蝶人

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丹波の話

2018-11-15 15:14:23 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.300 &蝶人物見遊山記第295回



病める家族の見舞いに訪れた丹波の郷里は、やはり「弁当忘れても傘を忘るな」と戒め-られた通りの霧と晴れ間と糠雨の盆地でしたが、駅前に貼られ宣伝幕で、グンゼの創始者波多野鶴吉翁(1858-1918)とその妻はなの生涯を、NHKの朝ドラにしようという地域おこしの運動があることを知りました。

翁はここ「いかるがの里」、何鹿郡の中心地に養蚕師として立ち、経営者と労働者、そしてキリスト教の教えが三位一体となった、当時としては先進的な繊維会社郡是を創業した実業家であり、宗教的教育者であり、地域経済を浮揚させた革命的実業家であるのみならず、わが祖父小太郎の恩師でもありました。

また翁の孫波多野一郎氏は不朽の名著「イカの哲学」をあらわした思想家であり、彼の独創的な平和思想は最近中沢新一氏によって改めて紹介され話題を呼びました。
  https://mixi.jp/view_diary.pl?id=788259372&owner_id=5501094

綾部はかの大本教を生んだ地でもありますが、その開祖出口なお(1837-1918)は波多野鶴吉翁とほぼ同時代を生きた偉大な宗教家であり、その没年も同じなので、個人的には、この2人の人と生涯が、NHKの朝ドラあるいは大河ドラマを通じて紹介されるとモアベターではないかと考えている次第です。



         霧立ちぬ雲間に架かる虹のいろ 蝶人
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