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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

蝶人文月映画劇場その5

2020-07-31 18:54:52 | Weblog


闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2227~36


1)パブロ・ベルヘル監督の「ブランカニエベス」
スペインの闘牛と「白雪姫」と「カルメン」と小人サーカスを足して4で割った2002年製作の白黒映画。継母役の女優の顔が大嫌いずら。

2)ジョン・フォード監督の「コレヒドール戦線」
ジョン・ウエインが配属された米軍魚雷艇の活躍を第2次大戦のフィリピン、南大洋戦戦の日米軍の死闘を背景に描くが、かなり冗長。んでもって、かの大将軍が魚雷艇に乗り込んできて「ウイシャルリターン!」でやっと終わるのである。

3)ヴァンサン・ペレーズ監督の「ヒトラーへの285枚の葉書」
ナチ政権下のベルリンで息子が戦死した機械工が反ヒトラーのメッセージを書き込んだ葉書を市内各所に置いたレジスタンスとその死を描く。言論の自由がいかに大切なものであるか。

4)マーヴィン・ルロイ監督の「心の旅路」
記憶を喪失した軍人が一人の女性によって愛と記憶を取り戻までをサスペンスタッチで描く。
ジェームズ・ヒルトンの原作を1942年に映画化。グリア・ガースンは美人だなあ。
5)ユーリ・ノルシュテイン監督の「ユーリ・ノルシュテイン傑作選」
現代ロシアのアニメーションの巨匠。「あおさぎと鶴」は圧巻。ハリウッドや国産の阿呆莫迦アニメを喜んでいる連中に見せてやりたし。

6)クエイ兄弟「ブラザース・クエイ短編集Ⅰ、Ⅱ」
1947年生まれのクエイ兄弟による驚異のストップ・モーション・アニメーションの名作の数々。「ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、フナー・ラウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき」などどこかチエコの人形劇の影響を感じるが、この双子はアメリカ生まれなのである。

7)アンリ・コルピ監督の「かくも長き不在」
ラストで名前を呼ばれた主人公がホールドアップするところでザワザワする。昔郷里の実家の前にブラジルから図南丸で帰国したナガイさんという家があったが、この映画をみるたびに脳を手術した御主人のことを思い出す。昔は脳のことなんか碌に分かりもしないくせに安直に手術して失敗していたようだ。

8)マウロ・ボロニーニ監督の「わが青春のフローレンス」
我が国ではとっくに崩壊したが、この時代はレンガ工による由緒正しい労働運動が行われて資本家に対抗していたんだね。

9)ペドラ・アルモドバル「抱擁のかけら」
盲目の元映画監督が主人公なのだが、映画というより、とても読み応えのある大河小説を読んだような気になる素晴らしい映画。かつてトリュフォーがこういう物語をもっと早口で語っていたことを思い出した。凡庸なペネロペ・クルスを見事に使いこなすとはさすがペドラ・アルモドバルだ。

10)ジョン・スタージェス監督の「ガンヒルの決斗」
最後はカーク・ダグラスとアンソニー・クインの決闘でキメルスタージェスだが、別にど.ってことはない。なおカーク・ダグラスは今年2020年の2月5日になんと103歳で没したそうだ。

  両腕で指揮をしながら独唱しバス停へ急ぐいつもの少女 蝶人
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聖書協会2018年版旧約聖書で「オバデヤ書」を読んで

2020-07-30 16:35:46 | Weblog


照る日曇る日第1436回

オバデアも、主からこのように告げられた。
「ヤコブの家は火となり 
ヨセフの家は炎となり 
エサウの家はわらとなる。
火と炎はわらに燃え移り、これを焼き尽くす。
エサウの家には、生き残る者がいなくなる」

これを読んで私は三好達治の、あの太郎と次郎の家に、雪が降り積む歌を思い出した。

最後の「イスラエルの回復」のくだりでは、バビロンに捕囚となったイスラエルの人々の王国復帰の様相が具体的に述べられている。


 感染者千人を超えたがどうするの旅行が好きな安倍蚤糞よ 蝶人

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蝶人文月映画劇場その4

2020-07-29 11:07:51 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2217~26


1)市川昆監督の「処刑の部屋」
下らない作家の下らない原作を映画にしても、やっぱり下らない映画ずら。なんでこんなんで若尾文子ちゃんを使ったのか。勿体ない!

2)市川昆監督の「ぼんち」
山崎豊子の原作を1960年に映画化。婿養子の表題役を市川雷蔵が力演、毛利、山田があんじょうアシストしているが、それでも原作者が「しみったれ」と苦言を呈したのは、市川の演出のせいである。

3)市川昆監督の「鍵」
谷崎原作を1959年に映画化したが、話はだいぶ違っている。昔の京が出てくるのは懐かしいずら。京マチ子より、若尾文子で撮ってほしかった。叶順子はどうにもエグイな。

4)市川昆監督の「日本橋」
泉鏡花の原作を和田夏十が脚色した1956年の映画で、淡島千景、山本富士子が競演。山本は古典的なおもざしの美人だが、動きが鈍重で軽快さに欠ける。市川演出はいつもの通り、いいような悪いような。

5)川島雄三監督の「しとやかな獣」
1962年製作のウエルメイド黒喜劇。新藤兼人の脚本が見事な出来栄えで、これなら演劇にしても素晴らしいだろう。本作でも若尾文子は好調だが、高松、伊藤、山岡の助演陣も快調なり。この翌年川島は45歳で死ぬが、なんと勿体ないことだったろう。

6)吉村公三郎監督の「女の勲章」
原作は山崎豊子、脚本は新藤兼人だから面白くないわけがない。京マチ子、若尾文子、叶順子、中村玉緒をモノにしてふあっちょん学校を牛じる田宮二郎が凄い。1961年の製作だがこの頃の邦画は勢いがあったなあ。

7)川島雄三監督の「女は二度生まれる」
1961年製作の若尾文子の魅力全開の傑作映画。最高の若尾文子を、川島選手が自由自在に引き出しました。

8)山本薩夫監督の「金環蝕」
石川建三の原作を1975年に映画化。池田、佐藤自民党政権の暗闘をバックにした政財界の汚職と腐敗堕落を、当時の政争に拠りつつドキュメンタリータッチで描く大胆不敵な暴露映画。内部が腐った金環蝕は、その後さらに悪化しているが、その姿を映像化する根性のある製作会社や製作者は少ない。

9)山本薩夫監督の「皇帝のいない8月」
1978年の映画で、小林久三原作の自衛隊クーデター計画事件を描く。佐分利信、三国連太郎、岡田嘉子、吉永小百合、山崎努など、有名俳優がウンカの如く総出演しているが、三国と主犯格を演じた渡瀬恒彦の、三島張りの狂気に満ちたアジテーションが物凄い。それにしても太地喜和子はいい役者だったなあ。

10)大曽根辰男監督の「顔」
1957年に公開された松本清張原作のサスペンス映画。主犯を女性に変えて、ファッションモデル役の岡田茉莉子が大活躍。ショウにはレナウン商事が協賛しているのが懐かしいが、当時のふあつちょん模様がうかがえる。宮城千賀子がまだ若くて妖艶ずら。

  メイド・イン・チャイナの家電がいっぱいだ「政経分離」堅持の我が屋 蝶人
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聖書協会2018年版旧約聖書で「アモス書」を読んで

2020-07-28 13:45:20 | Weblog


照る日曇る日第1435回

アモスは、テコアの羊飼いの一人であったというが、主はアモスに臨んでの「5つ幻」を見せられた。

その中の「第5の幻」では、主が悪しき者をことごとく滅ぼす姿を描写しているが、彼らが「たとえ天に上っても、私がそこから引き下ろす。たとえカルメルの頂に身を隠しても、私は、そこから探し出して捕らえる。たとえ私の目を逃れて海の底に隠れてもそこで蛇に命じてかませる」とある。

天上や山の上から引きずる下ろされるのは我慢できそうだが、最後の「蛇にかませる」のだけは勘弁してほしいずら。

もうひとつ今の時代にも通用しそうな名文句がある。
「それゆえ、悟りある者はこの時代に沈黙する。まことに、これは悪い時代だ」



 いま一度天麩羅五牛蒡を食べたかった鎌倉竹庵4月に閉店 蝶人
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アン・グットマン文・ゲオルグ・ハレンスレーベン絵・石津ちひろ訳「リサとガスパールとのクリスマス」を読んで

2020-07-27 13:21:17 | Weblog


照る日曇る日第1434回

白犬のリサと黒犬のガスパールが、にんげんのバラディ先生に贈るクリスマスプレゼントを相談しています。

最終的には家の中の赤いカーテンをはずして、レインコートにして先生にあげようとするんだけど、洗濯機で洗ったら縮んでしまったので、先生の愛犬ジャン=ークロード用にプレゼントするていうお話だけど、まああんまり面白くはないずら。

でもゲオルグ・ハレンスレーベン選手の絵はちょっととぼけた味で結構です。


東京は日本にあらず好きにせよと突き放したり安倍蚤糞 蝶人
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蝶人文月映画劇場その3

2020-07-26 11:51:25 | Weblog


闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2207~16


1)吉村公三郎監督の「越前竹人形」
水上勉の原作を1963年に若尾文子の主演で映画化。ファザコンの息子が父の影響を脱してようやっと夫婦になれるところまで漕ぎつけたがそのとき早くそのとき遅く、無理に無理を重ねた可愛い女房は天女の如く身まかっていくのであった。

2)深作欣二監督の「道頓堀川」
宮本輝の原作を、深作欣二が1982年に映画化したが、松坂慶子、真田広之、佐藤浩市、山崎努の熱演で思いがけず哀愁漂う大阪親子ハスラー浪花節映画になった。

3)小津安二郎監督の「麦秋」
幸せは身近にあり、とばかりに二本柳寛のお嫁に行く原節子。杉村春子がうまいが、佐野周二の作り笑いがわざとらしい。小津の映画の見どころは東京のビルジングとオフィスにある。そこにはつねに役員が勤務しているのだが、どんな仕事をどのようにこなしているのかを描かないところが素晴らしい。

4)小津安二郎監督の「淑女は何を忘れたか」
大阪から上京してきた爆弾姪が夫婦に広げた波紋。こういう映画も小津は撮っていたのだ。

5)小津安二郎監督の「一人息子」
1936年の小津トーキー第1作で、母親の飯田蝶子と夜学の教師役の息子、日守新一が深く心に残る。そうだよ、男子ひとたび星雲の志を立てて上京するとも、なかなかうまくいかんものなんである。

6)木下惠介監督の「陸軍」
1944年製作の陸軍省後援の国策万歳映画んがら、物語が勝手に暴走し、軍人勅諭の聖訓五箇条を呟いていた田中絹代が時代の流れに逆送する「ある種の反戦映画」になってしまったことが興味深い。いつの時代でも役者が愛国主義から逃れるのは難しいとおもう。

7)小栗康平監督の「伽倻子のために」
韓国と日本の男女の愛をじっくりと描く。小栗の映画の時間は沈黙で満たされ、とてもゆっくり流れている。

8)相米慎二監督の「魚影の群れ」
カツオと命懸けで戦う緒方拳の漁師の姿は「老人と海」さながらに神話的な刻印を帯びる。これこそ夏目雅子と十朱幸代の代表作だろう。相米のような物凄い監督は今では誰一人いない。1983年の製作なり。

9)瀬尾光世演出脚本「桃太郎 海の神兵」
海軍省が後援した1944年末完成の亜細亜解放聖戦映画。隊長の桃太郎の怪しい美しさなど随所に卓越した表現技術のきらめきがあるが、脚本の展開がモタモタしていて最後のゴア国奪還パラシュート降下大作戦のクライマックスの開始が遅すぎる。制空権を奪われ、チョコレートの配給などそれこそ夢のまた夢なのに、よくもこんなアニメ映画を作ったものだ。

10)中村登監督の「波の塔」
松本清張原作の犯罪がらみの1960年製作の検事と人妻の恋愛映画。津川雅彦は健闘しているが、ヒロインの有馬稲子のヘアスタイルは酷すぎて鑑賞の妨げになる。桑野みゆきがこんなにブスだとは!。

      AIのその先を行く聡太哉 蝶人
      高安がごろり転がる土俵かな

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四方田犬彦・斉藤綾子編著「映画女優 若尾文子」を読んで

2020-07-25 13:23:57 | Weblog


照る日曇る日第1433回


偉大なる俳優、若尾文子に関する2本の論文に、全フィルモグラフィー、そして興味深いインタビューのおまけまでついた初の本格的研究書なり。

「はしがき」で四方田選手がいみじくも指摘しているように、「若尾文子は日本映画がもっとも頂点に達したとき、そのまさに頂点に位置していた女優である。」
原節子でもなく、田中絹代でもなく、高峰秀子、京マチ子、山本富士子、八千草薫、乙羽信子、岡田茉莉子、岸恵子、久我美子でもなく、若尾文子なのである!

またその頂点を形成するに至った最大の功労者が、彼女と絶妙のコンビを組んで「卍」「清作の妻」「赤い天使」などの傑作をうんだ、監督増村保造の力量にあることにも異論はない。

その若尾文子が1987年の「竹取物語」、2005年の「春の雪」のチョイ役をのぞいてスクリーンから遠ざかって芝居やテレビドラマに活動の舞台を移してしまったことは、残念無念と言うほかはない。

さいわい彼女はまだ生きている。1933年生まれでげんざい86歳の彼女のスクリーンへの復帰がせつに望まれる。


黒澤の『七人の侍』みておれば宮口精二になりて薙ぎ倒す我  蝶人
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蝶人文月映画劇場その2

2020-07-24 12:42:11 | Weblog


闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2197~2206


1)国広威雄監督の「黒の奔流」
松本清張原作の1972年の恋愛犯罪サスペンス映画で、弁護士の山崎努と犯人女の岡田茉莉子が熱演してぐんぐん引っ張っていく。

2)野村芳太郎監督の「影の車」
清張原作1970年製作の怖い映画。毎回健闘する岩下志麻の相手役は加藤剛。浮気の辿りつく先にはこんな地獄も待っているずら。

3)川頭義郎監督の「風の視線」
佐田啓二、新珠三千代に加えて岩下志麻、毛利菊枝も出る1963年の松本清張原作映画が面白くない訳がない。清張本人も出演して興趣を添えるが、他の原作作品にもヒッチのように出てほしかったずら。

4)大庭秀雄監督の「眼の壁」
清張の原作は誰が撮っても面白い。リーマンなのに探偵役を演じてしまう佐田啓二が素晴らしい。惜しい役者を失ったものだ。

5)篠田正浩監督の「乾いた花」
私の大嫌いな慎太郎の原作だが、彼の専売特許のシニシズムを小説よりも鮮やかに1964年に映像化している。これは加賀まりこと池辺良の代表作ではなかろうか。

6)野村芳太郎監督の「ゼロの焦点」
松本清張原作、橋本忍、山田洋次の奥深いプロットによる1961年公開の傑作犯罪映画。それにしても久我美子、高千ひづるはいいなあ。

7)野村芳太郎監督の「鬼畜」
松本清張の原作を1978年に野村芳太郎が映画化。岩下志麻が気弱な亭主緒方拳を恫喝する鬼女房となって夫婦で3人の子を処分するという陰惨な悲劇。崖から突き落とされたのに否認する長男が哀れである。

8)斎藤耕一監督の「内海の輪」
松本清張の原作を1971年に斎藤耕一が映画化。全盛時代の岩下志麻が恋する女の激情と喘ぎを画面に叩きつけまする。

9)今村昌平監督の「ええじゃないか」
慶應3年の夏から年末までに横行した大衆運動に着目した81年の作品であるが、主演の泉谷しげる、桃井かおりが、火野正平、太地喜和子だったとしても面白くなったとは思えない。

10)蔵原惟繕監督の「南極物語」
おなじみ樺太犬タロ、ジロの奇跡の生存物語であるが、空白の一年間のすべてがフィクションなので、見ていて阿呆らしくなる。別に高倉健が出る必要も無かったずら。こんなフェイク映画より科学博物館の実物を見るべし。

感染をするかしないか賭けようぜ丁半博打GoTo虎馬 蝶人

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さようなら岡井隆さん

2020-07-23 12:47:25 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話第344回



岡井氏が帰天されてからどんどん日が経つが、生前の氏によって採られた歌が僅かながら見つかったので、一足遅れて死に行く者のささやかな思い出のために再録してみた。

最後の1首は2016年11月の「富士山大賞」の佳作に選ばれたものだが、残りはいずれも「日経歌壇」の2012年12月22日から2014年3月9日までに掲載された。

上位に選ばれた作品には岡井氏のコメントがついているので、それも併せて収録してみた。5種目の「落葉」のような心境を氏と共有できたことは、意外でもあり嬉しくもあったが、氏の最晩年は果たしてそのように平穏なものであっただろうか。

6首目では戦争体験者ならではの実感が籠っているし、7首目では、政治的見解を異にする者の作品でも平然と受け入れる、人間としての度量の広さを感じた。

ともあれ私のようなドシロウトの駄句を、丁寧に読んだくださったことをこの機会に改めて感謝したい。

1 薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う
―「「薔薇」と「軍艦」。国はつねにひそかに「仮想敵」を持つのだ」

2 「じゃあまた」と明るく別れを告げたけど吉田秀和『名曲のたのしみ』

3 誰ひとり読まぬブログを書き続ける人の心の底知れぬ闇

4 往年の大スタア次々に逝くめれどわが原節子のみ永遠に生くらむ
―「本当に「原節子」だけが永遠に生きるのか。単に情報の問題だけではない謎だろう」

5 美しき落葉を拾い時折は取り出して見る日々送りたし
―「老後にはそういう日々を送りたいという願望。「美しき落葉」はそんな願望を誘う」

6エジプトやシリアの人が死にゆく日湘南の海で泳いでいるわたし
―「戦争と平和。しかしその状況は逆転しうる怖さ」

7 一輪の彼岸花が咲いている 世界一弱い国でいいじゃないか
「「強い日本」と叫ぶ政治家への反論。しかし本当に「弱」くっていいのかは別」

8 なにゆえに軍艦の色は灰色か人を殺すは憂鬱なるゆえ

9 富士山に歓声あげる僕ら乗せ修学旅行車激しく傾く


 大いなる暗黒物質を懐きつつ帰天したるか岡井隆 蝶人
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聖書協会2018年版旧約聖書で「ヨエル書」を読んで

2020-07-22 14:59:55 | Weblog


照る日曇る日第1432回


ペトエルの子、ヨエルも主によって選ばれた預言者の一人であった。

主はペトエルに「バッタによる荒廃」について次のように語られたそうだ。

「かみ食らうばったの残したものを
   群がるばったが食らい
群がるばったの残したものを
  若いばったが食らい
若いばったの残したものを
  食い荒らすばったが食らった。」

でも、これって、なかなかいい詩だよね。


かつて培風館てふ書肆ありき肌色の薄き用紙を使っておりしが 蝶人
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聖書協会2018年版旧約聖書で「ホセア書」を読んで

2020-07-21 13:55:31 | Weblog


照る日曇る日第1431回

ホセアも預言者だが、主に命じられて淫行の女をめとり、淫行の子を引き取ったというから気の毒な人である。

でも偉いさんの命令だから、その淫行の女ゴメルと交わって、イズレエルとロ・ルハマとロ・アンミの2男1女をもうけた。なんだか毒をもって毒を喰らっているような心境だったにちがいない。

それなのに主はさらにホセアに命じる。「行って、ほかの男に愛され、姦淫を繰り返す女を愛せよ」と。

恐らくホセアは、主の命じられるままにそれを行ったのだろう。
しかし何のために?
そしてホセアとその家族たちは、どのような生涯を終えたのだろうか?

その結末は、どこにも書かれてはいない。


 横須賀のヴェルニー公園のベンチにて煙草をふかす女子高生ども 蝶人
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ボブ・ディラン文・デイヴィッド・ウォーカー絵ドリアン助川訳「きみがいないと」を読んで

2020-07-20 11:31:19 | Weblog


照る日曇る日第1430回


「きみがいないと」の原題は「If Not for You」。この曲はボブの11番目のアルバム「新しい朝」に収録されているが、もともとは彼とジョージ・ハリスンとのセッションからうまれたバラードで、ジョージ・ハリスンの録音も残されている。

だからこの絵本を読んでいると自然にボブやジョージの歌声が流れ出し、読者は一緒にハミングしながら楽しむこともできるのだ。
 
そんな初めに音楽ありきの絵本なので、できたらボブが日本語で歌った素敵な録音も付録についていたなら、もっと立体的な楽しみ方もできるだろうに、とこの本を「音読」しながら思ったことだった。

ついでながら一言。もっと文章のデザインに配慮してもらいたい。
ボブの歌詞を様々な書体と級数でレイアウトしているのはカジュアルな気分を盛り上げているようで、かえってボブのメッセージを真正面から受け止める妨げになっていると思う。
https://www.youtube.com/watch?v=BVLW0HuK8Iw


 警察から委託された詐欺電話警告というけれどおぬし詐欺電話ではないのか 蝶人
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岩波版「定本漱石全集第22巻書簡上」を読んで

2020-07-19 11:24:44 | Weblog


照る日曇る日第1429回


漱石の書簡集で中下は読んだが、残っていた上巻(明治22年から39年まで)を読みました。

自分でも云うておるように、漱石は手紙を書くことともらうことが大好きだった。
彼はたった49年の短い生涯の間にたくさん小説も書いたけれど、手紙もいっぱい書いていて、それはもしかしたら、下手な小説なんかより数層倍も面白い。

なぜ面白いかというと、彼は誰に対してもそこに自分を真正面から開いてみせているからだ。白日の下で180度開かれた文章のまんなかから、夏目漱石という男の知と情と意が、喜怒哀楽のすべてが、まっすぐ読む者の胸に飛び込む。
そこがすこぶる愉快で素敵なところだ。

例えば教え子の野間真綱に対しては、「人のところへ手紙をよこすに名宛人の名前丈をかいて自分は姓丈かくなんてえのは失敬だよ」と前置きして、「尊敬の場合」「同等の場合」「極懇意の場合又は目下へやる場合」の3つを図示すしているが、こういうのが先輩が後輩に範を垂れる、の好例であろう。

明治39年10月21日の森田草平の告白に対する漱石の激励も感動的だし、その2日後に大学の畏友狩野亮吉に出した2通の長文の手紙を読んで、涙を流さない人はいないだろう。そこには私たちが知らなかったほんたうの漱石が裸で立っているのである。

そしてそのまた3日後には鈴木三重吉に対して吐いたあの有名な怪気炎が記される。

「僕は一面に於いて俳諧的文学に出入りすると同時に、一面に於いて死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやって見たい。それでないと何だか難を捨てて易につき劇を厭ふて閑に走る所謂腰抜文学者の様な気がしてならん」

翻って今日われわれの周りの文学者を観察するに、あまりの「所謂腰抜文学者」の多きに、一驚二驚また三驚せざるを得ない。


 強権のと化したる役人の強迫により自死したる人 蝶人
 自死したる夫の恨みを晴らさんと赤木夫人は法に訴う
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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集NO.30」

2020-07-18 12:45:10 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話第343回


○ 新製品発表会/主催者のあいさつ

皆さま、本日はようこそ当社新製品「シットダウン・キッズ」発表会にお越しくださいました。*1

チャイルドシート着用義務化からすでに数年が経過し、市場にはいくつもの製品がでておりますが、この度、当社が開発いたしました新製品「シットダウン・キッズ」は、国土交通省の安全基準をクリアしていることはもちろんですが、それに加えて、シートベルトの圧迫を防ぐパッドをつけ、背もたれに衝撃吸収素材を使用するなど、一段と安全性を向上させております。

さらに、ベビーカーとしても使用できるように機能性、使いまわし性を考慮すると同時に、イタリアが誇るインテリアデザイナー、オリベロ・ファラーイ氏に設計、構造、色彩デザインを依頼し、他社モデルを圧倒する素晴らしいチャイルドシートの逸品を完成いたしました。

ではお待たせ致しました。*2皆さま、当社社長吉野源太郎が運転する高級セダンに搭載いたしました当社新製品「シットダウン・キッズ」の登場です。

○ アドバイス

*1販売店のバイヤー、マスコミ関係者などを招待したチャイルドシートに新製品発表会である。製品の特徴説明などは現場担当者が単にとどめ、祝祭的な華やぎを演出するようにつとめる。全文を朗読してみよう。この文案では、主催者が滑らかに発音できるよう用語、息継ぎ、イントネーションの音楽性が慎重に考慮されている。

*2最近こうした演出が多くなった。


新型のコロナの爆発的感染の嵐の前の不気味な静けさ 蝶人
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独メモワール盤で「ヘルマン・シェルヘン指揮マーラー交響曲集」を聴いて

2020-07-17 13:58:06 | Weblog


音楽千夜一夜第452回

シェルヘン最晩年のベートーヴェンの交響曲全集を偶に盤上で回転させてみると、自由で自在なこの人の音楽魂がピューとこっちに伝わって来て、危殆に瀕した古典音楽世界を一瞬蘇生させる救世主かと錯覚させてくれるところもないではなかったが、このマーラーの6、7、8、9および10番のアダージオをライプチヒゲヴァントハウスやウイーン交響楽団を振っていれた5枚組CDでは、その全部がライヴ収録であるにもかかわらず、ベトちゃんの時とは打って変わって、ライヴ特有の即興性、浮遊性は皆無で、その代わりに落ち着き払ったアポロン的な明澄さと否定できないVraisemblance(真実らしさ)が太陽を縁取るコロナのように点滅していることに驚かされ、その躁と鬱、光と影、凸と凹、男性性と女性性の双極の激烈な往還運動自体が、この独特な存在感を示し続けた偉大なるマエストロの指揮芸術の本質ではないかと令和大本営が「帝都はずし」の「GoGoフリント大作戦」の開始に大号令を掛けた暁に、いささか、いやさか愚考する次第であるのであるん。


三密のStayHome!がGoGoGo !GoToHell! に変わるまで 蝶人
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