闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1857~1876

1)バスター・キートンの「キートンの大列車追跡」
1927年の作品で若き日のキートンが体を張って大活躍する。
南北戦争に南軍に従軍したいと願うが列車の機関士ゆえに拒否された主人公が、その蒸気機関車を駆使して大手柄を経て、念願の少尉に任命されるまでのドタバタずら。「
風と共に去りぬ」などを除くと南軍から南北戦争を描く映画は珍しいのではないだろうか。
2)ロマン・ポランスキー監督の「毛皮のヴィーナス」
マゾッホの原作と同名の演劇を自在に引用しながら、ポランスキーのマゾヒストとしての欲望を映画の中で心ゆくまで表現し尽くした。
これはおそらく彼の最高傑作ではないだろうか。
3)ビリー・ワイルダー監督の「深夜の告白」
悪女に魅入られて破滅していく哀れな保険リーマン、フレッド・マクマレイ。
残念ながらバーバラ・スタンウイックがファム・ファタールの必要十分条件を備えていないのが残念。
4)ビリー・ワイルダー監督の「お熱い夜をあなたに」
交通事故で急死した父の遺体を引き取りにイスキア島にやってきたジャク・レモンが父の恋人の娘ジュリエット・ミルズとすったもんだの挙句、琴瑟相和して亡き両親と同じような関係になっていく素敵なラブロマンス。
仲を取り持つホテルの支配人クライブ・レヴィルが好演。ワイルダーの演出と南イタリアの風光明媚に酔わされる。
5)ビリー・ワイルダー監督の「ねえ!キスしてよ」
人気歌手ディーン・マーティンに自作の曲を売り込もうと、自分の妻フェルシア・ファーの身代りに売笑婦キム・ノヴァクを送り込む夫レイ・ウォルストン。
脚本はちと無理があるが、そんなことをいささかも苦にせず観客をラストまでひっぱっていくワイルダーの怒涛の演出力を見よ!
結局フェルシア・ファーはマーチンと、キム・ノヴァクはマーチンとウォルストンとしっかり寝てしまったんだね。
6)ビリー・ワイルダー監督の「地獄の英雄」
一発ネタで世間をあっと驚かせたいブンヤをカーク・ダグラスが熱演。
こういう連中は今でも沢山いるんだろうな。
それにしてもビリー・ワイルダーって凄過ぎる!
7)ジャン・ルノワール監督の「夢多き女」
ブーランジェ将軍事件をまき餌にして政治より恋が大事と着地させようと図ったルノワールだったが、ヒロインのバーグマンが大根なうえに私の大嫌いなメル・ファーラーが出ているのが良くないずら。
8)イータイ・ロス監督の「ノック・ノック」
成功した芸術家のキアヌ・リーヴスが妻子の留守に招き入れてしまった2人のギャルに襲われて縛りあげられ、強姦され、あまつさえその光景をネットで公開されていたく面目を失う悲惨なお話ずら。
9)アニエス・ヴァルダ監督の「5時から7時までのクレオ」
ヒロインにはさして魅力を感じないが、1961年のパリとそこに生きる人々がなんと魅力的に映像化されていることか。
ヴァルダの即興的な演出とモノクロームの美しさも素晴らしい。
ルグランもゴダールも若かった!
10)マーティン・スコセッシ監督の「アリスの恋」
夫に死なれたアリス(エレン・バースティンが熱演)と息子。おんな一人で夢見るはモンタレイで歌手になることだが、男なしには生きていけない。
登場人物のすべてが頑なに個性を主張し、お互いにぶつけあいながら逞しく生きていくビルダングス物語。さすがはマーティン・スコセッシだなあ。
11)マーティン・スコセッシ監督の「グッドフェローズ」
子供の時からヤクザに憧れてその通りになった男の半生をスコセッシが舌舐めずりしながらありのままに描く。
男は肉親以上の絆に結ばれたファミリーと一心同体で生活しているのだが、最後に主人公は司法取引をしてようやっとグッドフェローズから離脱する。
こういう映画になるとデ・ニーロ、ジョー・ペシの迫力は半端ない。
12)マーティン・スコセッシ監督の「カジノ」
昔のデニーロは良かった。この映画ではじょーペシに加えてシャロン・ストーンが思いがけず好演しているので長すぎる映画だが見ごたえがある。しかしこれが実話とはねえ。
13)マーティン・スコセッシ監督の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」
ウオール街でのし上がった一匹狼の成功と挫折をディカプリオが熱演。
しかし最後まで戦うと豪語したのに、自分が手塩にかけた部下たちを司法取引で売り、たった3年で出てくるというのは人間としていかがなものだろう。
どうにも後味の悪い映画ずら。
14)マーティン・スコセッシ監督の「シャッターアイランド」
絶海の孤島にある反米委員会肝いりの凶悪犯専用病棟を訪れたディカプリオ捜査官だが、始めは諸悪の根源と思われた犯罪病院が、どういう風の吹きまわしか終盤になると様変わりして、すべては頭がおかしいディカプリオの妄想だった、ような話に転移していくが、もしそうなら前半と同じ映像を逆の視点から観客にちゃんと見せる必要があるだろう。観客を裏切るのは構わないが映画の作法を裏切ってはいけない。
15)デミアン・チャゼル監督の「ラ・ラ・ランド」
映画とジャズの世界で成功を夢見る男女の、いわゆるひとつのミュージカル映画だが、肝心のミュージカルシーンはかつての「シェルブールの雨傘」や「ウエストサイド物語」に比べると遜色がある。
なんといっても詞と曲にさしたる魅力がないのが致命的。ラストに多少のひねりを加えてあるが別にどうということもないね。
こんな映画だったら今の邦画のほうが上手に作るのではないだろうか。
16)原田真人監督の「日本のいちばん長い日」
原作は同じでも脚本、演出、役者が変わると全然違った映画になるもんだ。
岡本喜八の「日本のいちばん長い日」を8月の炎熱に燃える陽の映画だとすると、原田眞人のは絵も暗く表現も陰に籠り、なんだか8.15の大事件全体が絵空事のように映っている。
すべての画面を奇麗に撮ろうとしているので端正な表情だが、ドラマ自体の手触りが妙につるつりしていて、実在感に乏しい。
三船敏郎であったが、原田版の役所広司にくらべると出番は少なかった岡本版の阿南陸相は、圧倒的存在感を発揮していた。
17)森谷司郎監督の「海峡」
青函トンネルを完成させるためにすべてを投じる男、高倉健。その必要もないときにサングラスをかけるのはなぜ?
彼にからむ2人の女、吉永小百合と大谷直子。あとは例によって例のごとし。おやじ労働者役の森繁がよく出演したものだ。
18)降旗康男監督の「夜叉」
元ヤクザの高倉健が漁師になってひっそりと暮らしていたが、昔とった杵ずかは背名の夜叉の刺青同様きれいにぬぐい去れず、またしてもぎりと義理と人情と女の深情けの泥沼に突っ込んでゆく。
それにしても現役時代にあれほど大勢の組員を殺した癖にどうして安穏と漁師が続けられたのかな。
19)アンドリュー・Ⅴ・マクラグレン監督の「マクリントック」をみて
ジョン・ウェインとモーリン・オハラが楽しく共演。珍しく成功した西部劇コメディ。なんと元ネタがシェークスピアの「じゃじゃ馬ならし」だったとは!
20)アーサー・ヒラー監督の「ある愛の詩」
アイアン・オニールとアリ・マッグローによる1970年特製の難病物ラブストーリー。これと同工異曲の映画はその後も世界各地で大量生産されている。
この世では絶対的にあり得ない「完全かつ最終的な解決」 蝶人