あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

今年の5首~西暦2020年蝶人花鳥風月狂歌三昧

2020-12-31 12:43:46 | Weblog

ある晴れた日に 第633回

黒澤の『七人の侍』みておれば宮口精二になりて薙ぎ倒す斬り倒す我

両腕で指揮をしながら独唱しバス停へ急ぐいつもの少女

「なんでまた朝晩満員電車なの?」「コロナなんてもう終わったのよ」

人生の半分位を捧げたる会社の破産を雑報で知る

愛も恋も熱き対話も生まれまい濃厚接触三密なければ


 やすやすと私権の旗を降ろすなよコロナ征伐に国権拡大 蝶人
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黒木亮著「アパレル興亡」を読んで

2020-12-30 11:19:26 | Weblog

照る日曇る日第1525回


甲府盆地は蜂城山の麓で生まれた農家の息子が創業した婦人服メーカーの「オリエント・レディ」が、昭和、平成の幾時代を経て成長を遂げ、やがてアパレル産業の有為転変と共に緩やかに衰退していくさまを、日本経済の浮沈を背景に描いた、堂々たる大河産業小説である。
川上の素材メーカーから川中のアパレル、川下の百貨店、小売店、それぞれの時代ごとの変遷を細かく観察し、業界の隅々まで研究したうえで執筆していることが良く分かる。


   外国で外国人がするような笑い呉れたり煉瓦職人 蝶人
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西暦2020年師走蝶人映画劇場その6

2020-12-29 11:12:03 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2443~52

1)柳町光男監督の「十九歳の地図」
中上健次の原作を1979年に映画化。公園で立ち小便する沖山秀子の存在感が圧倒的。今ではこんなショットを誰一人撮らないし撮れないだろう。
2)前田陽一監督の「神様のくれた赤ん坊」
1979年の喜劇邦画。渡瀬恒彦、桃井かおりが赤ん坊ならぬ少年を預けられその引き取り先を探しまわるロードムービでもあるが、あまり面白くないうえに桃井かおりがひっきりなしに煙草を吸うのが気になる。
3)小津安二郎監督の「大人の見る絵本 生まれてはみたけれど」
1932年の無声映画。上役に忖度する父親とその上下関係が逆転している彼らの子どもたちの世界の対比が面白くて物悲しい。
4)柳町光男監督の「さらば愛しき大地」
1982年のどうしようもない男と女の傑作。根津甚八と秋吉久美子が素晴らしい!
5)黒澤明監督の「まあだだよ」
作家内田百間の随筆と生涯に材を得た黒澤の1993年の遺作。ノラが行方不明になって泣き崩れるあたりは松村達雄の演技もいいが、教え子相手に面白くもない冗句を連発するのはしらける。
6)福田清一監督の「二等兵物語」
伴惇、アチャコの二等兵コンビが巻き起こす涙と笑いの軍隊物語。私はこの映画を1955年の公開当時にみているのだが、アチャコが柱に攀じ登って蝉鳴きを強いられるところと便所に匿われた少年が文字通りくさい飯を食うところを覚えていたので驚いた。
7)佐藤純彌監督の「桜田門外ノ変」
吉村昭の原作を2010年に映画化。桜田門外の襲撃とその後の志士たちの動向は生々しく描かれている。されど時系列をバラバラにするのは良くないずら。
8)大林宣彦監督の「ねらわれた学園」
眉村卓の原作を薬師丸ひろ子主演で映画化した1981年のアイドル・ホラー。敵役の長谷川眞砂美が怖い。
9)大林宣彦監督の「転校生」
山中恒の原作を1982年に映画化したものを2007年に再度リメイク。男女が入れ換わるが耕君が大好きな連佛美沙子を死なせてしまわなくても良かったのでは。
10)大林宣彦監督の「時をかける少女」
筒井康隆の原作を1983年に原田知世の初主演で映画化。初めは学生のアマチュア映画見たいで心配になるが、だんだん引き込まれていく。ヒロインが可愛い。上原謙と入江たか子、若菜親子も出演している。


「イージスを新たに二隻つくるそうだ」「それって平和に役立つのかしら」 蝶人
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池澤夏樹著「また会う日まで」を読んで

2020-12-28 11:19:05 | Weblog

照る日曇る日第1524回

現在朝日新聞で連載中のこの小説の主人公は、基督者であって天文、地理の専門家を目指す海軍の軍人であるが、その136回で有名な「戦艦バウンティ号の叛乱」が出てきたので興味を持った。
映画でも描かれているようにイギリスの戦艦バウンティ号のブライ艦長は陰険かつ吝嗇な無頼漢で、艦内の貴重な食料を横流しして私腹を肥やし、あまつさえ部下に冷酷無慈悲で、些細なことで過酷な鞭打ちの刑に処したのである。
艦内で鬱積した不平と不満は、艦が南太平洋のタヒチを出港した折に爆発し、全権を掌握した信望篤い航海長のクリスチャンは、全乗組員44名のうちブライ艦長以下19名を大きなボートに乗せて海に放ち、8人の仲間と18人のタヒチ人と共に後にピトケアンという名で知られる絶海の孤島に逃れた。
7メートルのボートで41日間かけて蘭印のチモール島に着いたブライ艦長は、帰国すると「戦艦パンドラ号」でタヒチに戻り、連れ帰った反徒の3人が絞首刑に処せられた。
1935年の映画に描かれてるのはそこまでなので、無人島へ行った彼らが、その後どうなったかを知りたかった。ところが池澤選手のこの小説には、それが出てきたので、私はコロナに罹ったよりも驚いたのである。
小説によれば、映画の終わりから20年以上の歳月が過ぎ、たまたまこの無人島に立ち寄った船が、たった一人の男、水兵のジョン・アダムスと女10人、子供23人を見つけたそうだ。そうしてジョン・アダムス以外の英国の水兵は、タヒチの男たちと争って殺し合い、みな死んだという。
作者池澤夏樹は「ジョン・アダムスは1冊の聖書を頼りに信仰を保って暮らし、女たちを統率していた。この状態はどちらかというと旧約的ではないだろうか」というのであるが、あるいはそうかもしれない。


「おや喉がイガイガしてきて咳が出る」「新型コロナに感染したかも」 蝶人
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ねじめ正一作・下田昌克絵「みどりバアバ」を読んで

2020-12-27 13:32:03 | Weblog

照る日曇る日第1523回


孫のこうくんと祖母のみどりバアバのジーンとくる物語。バアバはこうくんのお父さんやお母さんと一緒に花屋さんを手伝っていて、花の紫色が染みついた両手でおいしいコロッケを作ってくれるのです。
でもだんだん年を取ったバアバは、右手が動かなくなってコロッケが作れず、はなやに行っても花の世話ができなくなってしまいます。それでもバアバははなやに行きたがるのですが、お父さんから止められてそのまま死んでしまいます。
死んだバアバをこうくんがはじめは怖がるところは実感が籠っていますし、はなや行きをとめたお父さんが後悔して泣くところなどは印象に残ります。無数の百合の花に囲まれて永遠の眠りのついたバアバを下田選手は心を込めて美しく描いています。

  新型のコロナで世界に迷惑をかけたと思っているのか中国 蝶人
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「現代詩手帖」12月号を読んで

2020-12-26 15:32:34 | Weblog

照る日曇る日第1522回


思潮社というところから出ている「現代詩手帖」を裏駅のたらば書房で買うてパラパラ眼を通してみました。「現代詩年鑑2021」という副題が付いた増頁特大号でなんと2860円!もするのは痛いけど、自分へのご褒美?と無理やり言い聞かせて、エイヤと買うてしもうたずら。
巻頭は私が名前も聞いたことのないお三方が「危機をくぐり抜ける力」というタイトルで、私にはさっぱり分からないある種の状況を縷々語っているようでしたが、テーマを深堀りするより、いろんな詩集の品評会みたいな成り行きで、面白くもおかしくもありませんでした。
その次は「2020年総展望」というくくりで大勢の論客?がテンボウしていましたが、詩の世界には疎い小生にはほとんどトンプンカンプンで、唯一明快に頭に入ったのは、短歌界きっての論客大辻隆弘選手の「磁場の喪失」という表題の岡井隆論でした。
写実から前衛、左翼から右翼、口語と文語の混交まで、ありとあらゆる潮流をそれこそ清濁併せのんだこの唯一無二の斯界の大御所を喪った短歌界は、それこそ磁場を失った有象無象の作り手の氾濫状態で、「展望」どころの騒ぎではないという趣旨でしたが、それは短歌だけではなく、詩の世界も同様なのかもしれません。
その次に「書評集」「今年度の収穫」、なぜか「詩人住所録」を挟んでから本命の「2020年代表詩選」に突入して、本邦を代表する詩人たちの最近最新の代表作が延々と列挙されているわけですが、正直いうて長田典子選手の「ブラックダイアモンド」を除いて心に残った詩句はほとんどありませんでした。
新型コロナ禍真っただ中の現在、テレビをつければ毎日のように流れてくるのは元横浜市議の瓦斯男、西村キツネ男や緑のタヌキ女なぞいかがわしい政治家共の無意味で無内容な饒舌ですが、政治と文学のジャンルこそ異なれ、この詩選コーナーちう名の蛸壺から聞こえてくるWHATも HOWも定かならざる言説の垂れ流しに耐えられず、わいらあとうとう道半ばで放り出してしまった次第です。
まあ老若男女の天下の才人たちが、脳髄を振り絞って各人各様の芸を見せてはくれるのですが、なんの己が桜かな。その大半がうらなりのとうへんぼくの半死に酸欠の詩ばかりで、偶には生きてる人間の生きてるところを取り出して臓腑の奥からぐしゃーと叩きつけろよ。と言いたくなります。
本書の表4には今年思潮社が刊行した詩集のリストが掲げてありますが、それらのすべてが「2020年代表詩選」に取り上げられているのも不可解な話で、この本屋から本を出せば編集で取り上げてくれる?という仕掛けになっているのでしょうか?
どうにもケタクソ悪いのでゴミ箱に放り投げ、ベームのモザールをおんぼろ我が家も壊れよという大音量で聴き続けてようやっと気分転換したことでした。

 118回の嘘をなきものにするために119、120回目の嘘をつく男 蝶人
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鴎外の「小倉日記」を巡って~森鴎外「小倉日記」、松本清張「或る「小倉日記」伝」、阿刀田高「小説工房12ヵ月」を読んで

2020-12-25 13:40:07 | Weblog

照る日曇る日第1519~1521回


鴎外全集の「小倉日記」を読んでいて、ふと松本清張に「或る「小倉日記」伝」があったことを思い出した。
今では自由に読める森鴎外の「小倉日記」だが、原稿が長く行方不明になっていて、懸命の大捜索にもかかわらず、岩波の鴎外全集にも収録できない期間が続いたのである。
それで仕方なく、というか代替手段として、明治32年から足掛け3年間小倉に滞在した鴎外の事績を明らかにすることで、田上耕作という在野の研究者が身体に障害を持ちながら美貌の母親共々その穴を埋めようと、獅子奮迅の働きをしたのだが、遂に果たせず昭和25年の暮に逝去した。
そうしてその翌年の2月に、鴎外の子息が東京で「小倉日記」の原稿を発見したために、田上の努力は水泡に帰した。
これが松本清張の出世作「或る「小倉日記」伝」の主題である。
よって従来本作は実在した人物、田上耕作の伝記小説と受け取られていたのだが、書かれた内容はおおむね事実ではあっても、いくつかの点で清張の創作部分があることを明らかにしたのが、阿刀田高の「小説工房12ヵ月」であった。
阿刀田選手は、短編の名手、松本清張の特質は、該博な知識の裏づけ、取材の執拗さ、弱者へのいたわり、人間性への目配り、風土の描写、筋運びの巧みさにあるとしながら、「日記不在の小倉時代の森鴎外の暮らしぶりをフィールドワーク的な手法で再現しようと思いついたのは、ほかならぬ清張自身ではなかったか」と想像するのである。
その過程で先駆者田上耕作の存在を知った清張は、いったんは落胆したものの、耕作の研究成果が貧しかったと知って気を取りなおし、新聞記者の立場を利用して精力的な調査を開始する。そしてその蓄積が「或る「小倉日記」伝」の中身になっていくのである。
「或る「小倉日記」伝」で最も感動的なのは、鴎外の小説「独身」の中にも出てくる「でんびんや」の鈴の音だが、阿刀田選手は、「それは田上耕作の少年時代の思い出ではなく、清張自身の思い出ではなかったのか」と想像を膨らませているのである。
恐らくそうだろう。清張の「或る「小倉日記」伝」の主人公として描かれている田上耕作は、実在した田上耕作以上に、若き日の松本清張自身なのである。
いっぽう鴎外の「小倉日記」は、例によって漢文脈を生かした、永井荷風の日記よりも端正古雅な文語体で書かれているが、独逸に留学して独逸語をものにした鴎外が毎日のように仏人ベルトランの元に通って仏蘭西語をも体得したこと、当時独身だった鴎外が常に複数の女中を雇い、無用の誤解を免れたことなどが背筋をきちんと伸ばして縷々綴られている。

  君たちの群れてるとこへは行かないからおらっちのとこへも来ないでね 蝶人
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家族の肖像~親子の対話 その65

2020-12-24 15:11:53 | Weblog

ある晴れた日に第632回


お母さん、従うって、なに?
言うことをきくことよ。
ぼく、オクラ好きですお。オクラ、アフリカ原産ですお。
へええ、そうなんだあ。
お父さん、ひっぱたいたら痛いでしょ?
そうだね。痛いね。
コダック、会社の名前でしょ?
そうだよ。
なんでキシモト先生「またケンシン」ていったの?
また歯をみましょうね、とおっしゃたのよ。
ぼく、リョウちゃんとサカイさん、両方好きだよ。
そうなの。
「ほか」って、「以外」のことでしょ?
そうだね。
駒、将棋でしょ?
そうだね。
ぼく、将棋したいですお。
感じるって、思うことでしょ?
そうね。
Uターンって、なに?
くるっと回ることよ。
Uターン禁止って、なに?
ここでくるっと回ってはいけません、よ。
お父さん、名前の英語は?
ネームだよ。
名前、名前、名前。
めぐむって、なに?
困っている人になにか上げたりすることよ。
め・ぐ・む、め・ぐ・む、め・ぐ・む
農作業って、なに?
田んぼや畑でお米とかお野菜とか作ることよ。
迷ったら困る?
迷ってもいいよ。
ぼく、少年隊、好きですよ。
そう。お母さんも。
感動、なに?
こころに響くことよ。
お父さん、ぼく「アンサング・シンデレラ」の最終回みます。
わかりましたあ。
お母さん、せめてコウ君が死ぬ前の日までは頑張って生きるようにするわ。いや亡くなってあと1週間かな。あとはお父さんにまかせて。
コウ君、イトウ君はね茅ヶ崎から相模線に乗って2番目の駅で降りるんだって。
香川ですお。
え、そうなの。
蒲、蒲田の蒲でしょ?
そうだね。
お父さん、竹中直人、録画してくださいな。
何曜日ですか?
日曜日ですお。
分かりました。

   最後まで私権を国権に対置せんコロナの時も徴兵の時も 蝶人
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西暦2020年蝶人師走映画劇場その5

2020-12-23 11:27:58 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2433~42


1)デヴィッド・エアー監督の「フューリー」
ブラビが指揮する米軍戦車とより強大な独戦車との壮絶な戦い。しかしイザヤ書を暗記している兵士が、占領地で女を蹂躙するとはこれいかに?2014年の製作。
2)角川春樹監督の「汚れた英雄」
大藪春彦の原作を1982年に草刈正雄主演で映画化したオートバイレーサー物語だが演出が拙劣で見るに堪えない。
3)キム・ジウン監督の「ラストスタンド」
シュワちゃん大活躍の2013年製の現代版西部劇。カリフォルニア知事を卒業してからまた映画で遊べる人世も悪くないなあ。
4)「地獄の黙示録」特別完全版
カーツを求める旅の途中でウィラード大尉が仏蘭西人の入植者の家に寄り道するエピソードが興味深い202分の長丁場。2001年の製作である。
5)ペドロ・アルモドバル監督の「私が、生きる肌」
娘を強姦した若者を監禁して亡妻そっくりに性転換させ愛するようになった変態的な医師の哀しい物語だが、ようもまあ映画にするもんだなあ。2011年のスペイン映画。
6)村川透監督の「蘇える金狼」
大藪春彦原作、松田優作主演1979年ののアクション物。昼はさえないリーマンが夜は悪の権化に変身して大活躍するのだが、所詮は帰属する会社の重役で満足する程度とはみみっちい限り。ファム・ファタール役の風吹ジュンがミスキャストずら。
7)キャスリン・ビグロー監督の「K―19」
様々な事故を引き起こした悪魔のように不吉な原子力潜水艦の1961年の原子炉事故を題材にした2002年の海底ホラー映画。ハリソン・フォードがロシア人館長に扮している。
8)リー・チーガイ監督の「不夜城」
馳星周原作のノワールを1998年に金城武主演で映画化。ファム・ファタール役の山本未来がミスキャストずら。
9)ウォルフガング・ペーターゼン監督の「U・ボート ディレクターズカット」
3時間28分に及ぶ1997年の拡大版。ジブラルタル海峡を全速で突破するところが最大の見ものであるのは変わらないが、この潜水艦はたった二艘のタンカーを撃沈しただけで大した戦果を上げていない。
10)フィッシャー・スティーヴンス監督の「ミッドナイト・ガイズ」
アル・パチーノ、ウォーケン、アーキンの3ロートルが死に際に花実を咲かせる2012年のお涙頂戴の物語。


  人世は不急不要のものなればコロナなんてどうてことない 蝶人
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ALMOST YELLOW~ディレクターズ・カット長尺改訂版「雲古蘊蓄譚」

2020-12-22 15:00:48 | Weblog

これでも詩かよ 第291回

序詞
「彼らもお前たちと一緒に、自分の糞尿を飲み食いするようになるのだ。」*

その1 ウンチを耐える
宇治拾遺物語の第七十六段に「仮名暦誂えたる事」という短いコラムがある。
そこには3日連続で「雲古すべからず」と書き込まれた偽カレンダーを信じた生女房が、
「左右の手して、尻をかかへて、いかにせん、いかにせん、と、よぢりすじりするほどに、物も覚えず、してありけるとか。」
なぞと書かれている。
団鬼六のロマンポルノではないけれど、我慢に我慢した挙句に、とうとう、してしまったんだあ。可哀想に。

その2 ウンチを見る
むかしむかし、京の北白川にあった重度の障害児(者)施設で、黄色い風呂を見たことがある。
黄色と映ったものは利用者が排泄した雲古で、それは冷めた風呂水と上から下まで完全に混ざり合って、微動だにせず午前10時の太陽を浮かべていた。
そのとき私は、福祉の仕事というのは、このウンチがいっぱい浮かんだ風呂に飛び込んで、障害者の体を洗ってあげることなんだ、と思ったものだ。

その3 ウンチを踏む
私はうっかりしていて、(恐らく石ころの上にとまっている小型の茶色いチョウがテングチョウかヒメアカタテハかを確認しようとしていて)、道端のウンチを、ムギュっと踏んだことがある。
運動靴がズヌっとぬめって、明後日の方角にずれてしまって、相当不気味だった。
義姉のエイコさんは、蛇を何回か踏んだことがある、そうだ(今度会ったら確かめてみよう)。
私はまだ蛇を踏んだことはないが、あの明後日の方角にズヌっとぬめっていく感じは、限りなくそれに近いのではないかと、密かに考えている次第である。
ウンチを踏んだズックは、洗っても、洗っても、臭かった。

その4 ウンチを掴む
むかしむかしのそのむかし、丹波の綾部の上野の丘に小学校があって、僕は放課後に当番の同級生と便所掃除をしなければならなかった。
便所は汚れている時と、そうでない時があったが、汚れている時には、おおかたデブデブのオオツキマサト君が、率先してキレイにしてくれるので、僕らは、ほとんど何もする必要がなかった。
するとある日、突然そのことに気づいたように、オオツキマサト君が
「お前らあ、いっつも、いっつも、ずるいやないか。わいらあ、今日はなんもせえへんさかい、お前らあで、しっかりやらんかいな」
と怒鳴って、ぷいと校庭に出ていった。
オオツキマサト君が去ったあと、便器の傍には、プリプリの巨大なウンチが、ぐんにゃりと横たわっていて、微かに湯気が立ち上っていた。ついさっき誰かがやらかした出来たてのホヤホヤ、ちゅうやっちゃ。
アカオ君やキタハラ君やカワギタ君と一緒に、僕はしばらくその黄色いプリプリの巨大なウンチを眺めていたが、いつまでたっても誰も手を出さないので、これはもう僕がやるしかないと思って、恐る恐るその臭い立つ巨大なやつに両手を伸ばして、ぐウンとつかんだ。
えいやっと、つかみとって持ち上げたら、そいつは結構重くて生温かで、
「これはいったい、どこのどいつが垂れたんやろう」
と、不思議な気がした。
その日、僕はこの世の「実在」という奴に、初めて触れたのだった。

その5 ウンチの友
それからおよそ半世紀の歳月が流れた。と思いねえ。
私は今ではそんじょそこらの三等リーマンになりおおせていて、ある日大阪支店に出張して取引先の営業マンに会って名刺を交換したら、すっかり「難波のアキンド」になった、でも昔と同じようにでぶでぶの、オオツキマサト君だった。
私は彼の顔を見た瞬間、黄色いウンチのことを思い出し、2人だけの密かな西田哲学的な体験!?について語り合いたいと思ったのだが、彼はそんな私の胸中をいささかも忖度することなく、破顔一笑うれしそうに叫んだ。
「おやまあ、綾部のてらこのマコちゃんやないか! これはこれは、粗末に扱う訳にはいきまへんな。あんじょう勉強させてもらいまっせ!」

その6 ウンコが出なければ、人間ではない。
伊太利中部のウンバリア地方を、日本有数のインテリゲンちゃんと旅しているのだが、氏が時々鋭い警句を吐くので、ひとときも油断はできない。
小さな駅で降りて、縦板に水の彼の講釈を聞いているうちに、突如腹具合が悪くなってきたので、トイレを探して、あちこち駆けずり廻る破目に陥る。
道々いろんな人に、「トイレはどこじゃ? トイレはどこじゃ?」と尋ねるのだが、なんせ周りは伊太利人ばかりだから、さっぱり要領を得ない。
あちこちを右往左往しているうちに、どんどん時間が経つ。
今回のは団体の海外旅行だから、もしも集合時間に遅れたら、みんな先に行ってしまうのではなかろうかと思うと、ますます焦る。
ぐるぐる経めぐっているうちに、いつの間にやら、元の場所に戻ってしまったようだ。
仕方なく目の前の坂道を見たら、その先に木造の小屋が建っている。
もしや、と思って駆けつけると、そこには細長い長方形の個室が3つ並んでいた。
勇んで真ん中の白いドアを開けると、赤茶色の布袋さんとも道祖神ともつかない石像が2つ聳えていたので、私はカメラを縦形にして写真を撮ったんだ。
それから、悪臭紛々たる細穴から突き出た2体の布袋さん、もしくは道祖神の上に跨って、やっこらせと尻を下ろすと、それが伊太利式の古式豊かな便器だった。
ところが、「やれやれこれでやっと用が足せるぜ」と喜んだのもつかの間、いきんでも、いきんでも、出るべきものが出ない。形而下は実存だが、形而上は虚妄なり。よってウンコが出なければ、人間ではない。
私は、なおもいきみながら、さきほど、いみじくもかのインテリゲンちゃんが吐いた「実存は恐らく本質に先行するだろう」てふ言葉を、しみじみと思い出していた。

その7 世界中にウンチを垂れる
伊太利の後で、巴里を訪ねた初日に生牡蠣を喰らったら、案の定下痢をしちまった。
ホテルの近くにオルセー美術館があったので、せっかくだからと印象派の名品をちょっと眺めているうちにも、激しく催してくる。
急いでホテルに駆け戻ったが、そのままトイレから出られなくなってしまい、結局どこも見物できずに、そのまま帰国したのよ。
それでも懲りずに、今度はおらっちNYのグランド・セントラルステーションのオイスターバーで生牡蠣を食うたら、またしても腹を下したので、傍のグランド・ハイアット・ニューヨークのトイレでしゃがんでいた。ホテルの客でなくても利用できる或る種の公衆便所だ。
するとどこか別の扉を開いて見知らぬ黒人と白人が入って来て、しゃがんでいるおらっちの周りでペチャクチャ喋りまくるので、おらっち下痢も出来ない。
仕方なくそこから逃げ出したときに、ドアの釘に掛けていたダブルのトレンチコートを忘れてしまったので、急いで取りに戻ったのだが、男たちはもちろん、コートの影も姿もなかった。

その8 ウンコ哲学
毎日トイレで便器に跨るたびに、私は遠い親戚の言葉を思い浮かべる。
「人間はトイレに入る時には生まれたままの姿で、本音も建前もない。これこそ人間の真の姿である」
「大事なのは、ウンコを垂れるあの気持ちだ。堅からず、柔らかからず、ロクロの廻るにまかせて、なんの技巧もなく生まれてくるのが、ほんとうの茶碗だな」
この「ウンコ哲学」を唱えたのが、ほかならぬ私の伯祖父、上口作次郎(1892-1970)である。
彼は明治25年に谷中に生まれ、小学卆業後、宮内省御用の大谷洋服店に弟子入りし、大正末期に「超流行上口中等洋服店」を開店した。
最高級オーダーメイドスーツでしこたま儲けた金で、江戸時代の大名時計や長谷川利行の作品を収集したり、東京の土を捏ねて陶器を焼いたり、ぐるぐる廻る茶室「眩暈庵」や樹上の茶室「巣寝る庵」を作ったり、「雲谷斎愚朗」と称して、いつも裸で過ごしたこの破天荒の野人を、私は好きである。**

その9 ウンチが転がる
ある日のこと、私は新装なったコースカ・ベイサイド・ストアーズの「爬虫類倶楽部」で、
じっと動かぬ動物を見つけた。
名高いイグアナを、私は生まれて初めて、この目で見たのだ。
そいつは、ひび割れた白と茶と薄緑色の表皮で全身を包み、まるでサーカスの綱渡りのように細い木の上に危うく乗っかりながら、手足と長い尻尾をダラリと垂れ、いつまで経っても微動だにしない。
矯めつ眇めつその爬虫類を前後左右から眺めているうちに、私はなにやら畏敬の念に打たれ、思わず「泰然自若」という古めかしい熟語が脳内で浮かんだ。
やれコロナだ、マスクだ、などと下らない騒ぎに一喜一憂する己にひきかえ、全長1メートル足らずの、意外にも植物しか食べないその爬虫類は、なんと悠々たる人世を消長していることだろう。
突如、イグアナの左の目が開いた。死んだように眠っていたはずのイグアナの目が。
私は驚いてケージの裏側に走り寄って右目を見たが、それは閉じられたままである。
イグアナときたら、丹下左膳の真似をしていたのである。
とそのとき、私はジーンズの中で、なにか小さな物がコロコロと転げ落ちるのに気づいた。
ジーンズの右足の裾のところでかろうじて停止したそいつを、私がしゃがんでつまみ上げると、小さな茶色い石だった。
「なんだこの石は?」と訝しく思いながら、そいつを鼻先で眺めると、微かにあの懐かしい臭いがした。

その10 ウンチとキリスト
西暦2020年7月29日、コロナ漬の梅雨の朝、
久しぶりにおばあちゃんチの換気をしようと、滑川沿いの小道を急いでいた私の下半身を、ある種の不穏が襲った。
どこが不穏なのか即答できないが、ともかく嫌な感じが走ったのだ。
急いで玄関まで駆け付け、厠に鎮座ましますTOTOの便座にとうとう跨った時は、すでに遅かった。私はパンツの中に、ひと固まりのビチビチウンコを発見したのだ。
やったあ、やったあ、嫌だなあ、年甲斐も無い久々のビチビチウンコだあ!
私が若い頃はよく下痢をしたが、その時は必ずお腹が下る予感がしてからウンチが出たものだ。
しかるに今朝のは予感は漠然とした不安感であって、まるで具体性がなかった。
つまり一言の挨拶も断りもなしにそいつは出ていたのだ。
私は昭和天皇と同様、文学的のことはよく分からないが、思うに私の下半身の括約筋が活躍せず、いつのまにか随意筋が不随意筋にとって代わられていたのだろう。
イエス・キリストいわく。
「口に入るものはみな、腹に入り、外に出されることが分からないのか」。***
されど構想75年、実践1秒。いつの間にか私は、人体の9つの穴から出る物も愛せるようになっていたのである。

終曲
    大とこの糞ひりおはすかれの哉  蕪村****
ホカホカのウンチを入れたマッチ箱振り回しつつ学校へ行く 蝶人
  トイレまであと一歩というところでパンツにぶちまけられたビチビチウンコ 蝶人


   * 旧約聖書「イザヤ書36センナケブリの攻撃」第12節(聖書協会共同訳聖書)
 ** 片山和男編・「闘う茶碗~野人・上口愚朗ものがたり」
  *** 「マタイによる福音書第15章第17節」(聖書協会共同訳聖書)
 ****「蕪村句集」(新潮日本古典集成 与謝蕪村集」)


 カッシーナ、異次元ブレトシュナイダー、みな成功させて内村航平 蝶人
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西暦2020年蝶人師走映画劇場その4

2020-12-21 15:10:59 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2423~32


1)藤田敏八監督の「スローなブギにしてくれ」
片岡義男の原作を浅野温子主演で映画化。中身はともかく1981年当時の時代の風が吹いているようだ。
2)深作欣二監督の「蒲田行進曲」
大部屋俳優の悲哀を描く1982年製作の東映映画。平田満、松坂慶子が好演。
3)レニー・ハーリン監督の「クリフハンガー」
シルヴァスター・スタローン主演の1993年の山岳アクション映画。なんだか知らないが静かな高山で爆弾を仕掛けたり救助ヘリを攻撃したり人殺しをしたりするのは良くないと思います。
4)ブラッド・ファーマン監督の「潜入者」
アメリカの税関職員が命懸けの大活躍で麻薬組織を壊滅する2016年の映画ずら。バレルと家族も殺されてしまうんだからコワイずら。
5)「復活の日」
小松左京の原作を1980年に映画化。主役は草刈正雄ならぬ新型コロナを思わせる強力な毒性を持つウイルスで、人類はほとんど2度滅びるが、奇跡的に一握の人々が生き延びて「復活」への期待を持たせる。
6)森田芳光監督の「黒い家」
貴志祐介の原作を1999年に映画化。悪魔のような女の大竹しのぶが怖い。
7)ヴィンセント・ミネリ監督の「若草の頃」
ジュディ・ガーランド主演の1944年製作のミュージカル映画。原題は「セントルイスで会いましょう」。1904年に開催されたセントルイス万博がフューチャーされている。
ミネリはその翌年にガーランドと結婚しライザ・ミネリが生まれた。
8)W・S・ヴァン・ダイク監督の「類猿人ターザン」
類人猿ではなく類猿人。1932年ジョニー・ワイズミュラー主演のターザン映画第1作。得意なクロールでワニの追跡から逃げる。
9)イルマル・ラーグ監督の「クロワッサンで朝食を」
巴里のエストニア人の世界を垣間見ることができる2012年の異色作。ジャンヌ・モローの最後の映画でもある。
10)ジョナサン・モストウ監督の「U-571」
独逸の暗号エニグマ解読を目指す英独潜水艦の対決。潜水艦映画に駄作は無い。製作は2000年。


コウ君がどんどん買い込むトイレットペーパー無くなることを死ぬほど恐れて 蝶人
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さとう三千魚著「山崎方代に捧げる歌」を読んで

2020-12-20 14:30:04 | Weblog

照る日曇る日第1518回


さとう三千魚さんが以前「らんか社」から出された詩集「浜辺にて」は、そのぺージ数の膨大さに圧倒されましたが、今回は、まずその瀟洒な装丁と桑原正彦氏の挿画、そして、なによりもカワセミの羽を思わせる翠いろの表紙の美しさで心を打つのでした。
さうしてその美しい本の中身は、さとうさんが言う「百姓の男」山崎方代に捧げられた31編のシンプルな詩でありました。
山崎方代という、私も非常に敬愛している歌人は、大正3年に山梨県八代郡右左口村に生まれ、昭和18年にB29の爆撃を受け右目の視力を失い、昭和47年からは鎌倉の手広の山際のプレハブに棲み、酒と歌の日々を送りながら、昭和60年に71歳で亡くなりました。
方代さんのことを、さとうさんは、「百姓の男」と言うておられますが、自由と放浪と風雅の野人、いうならく「野良のアンリ・ルソー」のような歌人です。
私が横浜から鎌倉に引っ越したときには、残念ながら方代さんは、すでに肺がんで没していたために、その面影と痕跡を訪ねるためには、彼が愛した瑞泉寺とか八幡様の前の中華料理屋に足を運ぶことでしか叶いませんでしたが、幸いなことに、その赤子のごとく天真爛漫な性格を吐露した天衣無縫の幾多の短歌が残されているのです。

いつわりの履歴書をかき送りしをある日ふと思い出したり
しみじみと三月の空ははれあがりもしもし山崎方代ですが
手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る
瑞泉寺の和尚がくれし小遣いをたしかめおれば雪が降り来る 
 この「たしかめおれば」が、歌人の真骨頂であります。

で、さとうさんの最新詩集のレイアウトは、右に短歌、左に詩編。
「方代星」から次々に打ち上げられた31発の花火は、暗黒物質が充満する億光年の宇宙空間を飛んで次々に「さとう星」に着地すると、教会の鐘や枯れた花や愛犬モコや青い海や空や死んだ家族になって、その模様を遠望すれば、さながら二重惑星のごとく冬の夜空に輝いているようでした。

 食い放題飲み放題の中華料理屋に通ってた生き放題死に放題の男方代 蝶人
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家族の肖像~親子の対話 その64

2020-12-19 23:10:29 | Weblog

ある晴れた日に第631回


ぼく、ソナタ好きですお。
ソナタ弾いてよ。
嫌ですお。
あした図書館へ行ってえ、西友へ行きますお。
分かりましたあ。
お見合いって、なに?
結婚しようと男の人と女の人が会うことよ。
ぼく、お見合い好きですお。
そうなの。
「エール」でお見合いしてたよ。
してたね。
スマップ、やめたの?
そう、やめたのよ。
なんでやめたの?
なんでかねえ。
孤独って、なに?
一人でさびしいことよ。コウ君孤独なの?
じゃないよ。
ワイドドア、椅子が少ないね。
そうだね。
精神的って、なに?
気持ちの持ち方よ。
お父さん、ヨシネキョウコはナナだったんですお。
なに、なに?
「高嶺の花」の話ですお。
留守は、いないことでしょう?
そうだね。
忘れはしない、って、なに?
忘れることはない、よ。
恋って、なに?
とっても好きになることよ。
お母さん、なにとぞ、って、なに?
どうぞ、のことよ。
輸血って、なに?
血が足りないから血を注射することよ。
「話しちゃダメ」って言われたんですお。
誰に?
イナズミさんに。
どの放送の話なの。
「高嶺の花」ですお。
お母さん、ぼく、お祭り好きですよ。
そうですか、ワッショイ、ワッショイ。
ワッショイ、ワッショイ。
局地的って、なに?
その場所だけ、だよ。
プラネタリウム、なに?
お部屋の中でお星さまを映し出すとこだよ。
お父さん。病院は怪我したとき?
そうだよ。病気したときもね。
綿はオクラに似てるね?
そうだね。
オクラ、ねばねでしょ?
そうだね、ネバネバだね。
ねばねば、なばねば。
ぼく、ポンキッキ好きだお。
お母さんも。
お父さんも。
激励会って、なに?
励ます会よ。
マコトさん、立ち止まったらだめでしょう?
ダメだね。
縁起でもないって、なに?
そんなこと心配しないでいいよ。
エイコさん、薬剤師さん?
そうよ。
もう一丁って、なに?
もう1回よ。
お父さん、石原さとみのビデオ録画した?
したよ。
した?
しましたよ。
お母さん、「夜明けよ」印刷してね。
分かりましたあ。
人身事故だと電車動かないでしょ?
そうだね。電車とまるとコウ君どうするの?
分かりませんお。
マコトさん、ボクジョウ、まきばのことでしょう?
そうだよ。
ジュンサイ、つるつる?
そうだよ。
コウ君、スイカ食べますか?
食べますお。
モモ食べますか?
食べますお。
ブドウ食べますか?
食べますお。
水ようかん、食べますか?
食べますお。
海が見える道を通りますか?
通りませんお。
車体構造って、なに?
車の中身だよ。
お母さん、一直線て、なに?
まっすぐよ。


 支持率の転落に怯えるガースーが強盗旅行を泣く泣く止める 蝶人
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西暦2020年蝶人師走映画劇場その3

2020-12-18 12:55:17 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2413~22


1)マーヴィン・ルロイ監督の「若草物語」
オルコットの原作を1949年に映画化。3女ベスの早逝が悲しい。エリザベス・テイラーも出ている。
2)マーク・ロブソン監督の「チャンピオン」
1949年のハリウッド映画。どこかの総理のような叩き上げの風来坊カーク・ダグラスがミドル級最強のチャンピオンに駆けのぼるのだが、やたらと美女にもてまくるのは奇異ずら。
3)アベル・フェリー監督の「デッド・クリフ」
あら珍しや2009年のおふらんす山岳ホラー映画。アホ馬鹿5人組が酷い目に遭わされます。
4)アイヴァン・ライトマン監督の「ドラフト・デイ」
ケビン・コスナー主演の2014年のアメフト・ドラフト物語。チームごとの思惑が入り乱れ、この世界もなかなか大変なんだと知らされた。コスナーも毎年映画に出続けているんだね。
5)ダーレン・アロノフスキー監督の「レスラー」
元ボクサーのミッキー・ロークがぼろぼろのレスラーを演じる「2008年の最高傑作。ラストで泣かせる人世映画なり。
6)岡本愛彦監督の「愛の化石」
筋もなにもない1970年の下らない映画だが浅岡ルリ子が新鮮でかわゆい。こんな時代もあったのだなあ。
7)ジャウム・コレット=セラ監督の「トレイル・ミッション」
リストラされた中年男リーアム・ニーソンがとんでもない陰謀に巻き込まれていく2018年のススペンス物。しかしあれほど物凄い脱線事故で乗客が生き残っているのは不思議だ。
8)スティーヴン・ソダーバーグ監督の「チェ39歳別れの手紙」
カストロに別れの手紙を残してボリビアに潜入してから殺害されるまでのゲバラの短いゲリラ闘争を淡淡と描いて忘れがたい2008年の映画。暴力革命の外部注入は絶対にうまくいかないずら。
9)スティーヴン・ソダーバーグ監督の「チェ 28歳の革命」
2018年のゲバラの生涯の前半部。アルゼンチンの医師がキューバでゲリラ闘争に身を投じ、独裁政権を斃すまでを描く。ハバナを解放するあたりは気分も高揚して来るなあ。
10)阪本順司監督の「エルネスト もう一人のゲバラ」
ボリビアで果てたチェと行を共にした日系2世の革命家の短い生涯を追う2017年の日キューバ合作映画。広島を訪れたゲバラが「過ちは繰り返しません」に主語がないと決めつけ、「日本人はなんで原爆を落とした米に怒らないのだ」と語るシーンが印象に残る。

   第三波来襲前に「強盗」を中止せざるは君らの責任 蝶人
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2つのボックス・セットを聴いて

2020-12-17 13:52:28 | Weblog

音楽千夜一夜第460回

足元には湿気で腐りかけのCDがあるのだが、それは死ぬまでにはぜんぶ鑑賞するとして、エラート・レーベルの格安盤を耳にしてみました。

一つはイ・ソリステ・ヴェネッティのヴィヴァルディ16枚組のセットで、ヴェテラン指揮者クラウディオ・シモーネに率いられた練達の楽員たちが、懐かしいヴェネチアの音楽を奏でます。

それは水都ヴェネチアの華やかな装いの影に潜んだ死の予感を色濃く滲ませるような音楽。面白うてやがて悲しき鵜飼のような悲哀を奏でる、世界で唯一の楽団であり指揮者であります。

もうひとつは、これと対照的な能天気なラッパの哄笑。トランペットの名人モーリス・アンドレが奏でる生命の輝きの歌の数々です。

ここに収められたヴィヴァルディの協奏曲は、同じヴィヴァルディでも前者とは大違い。イ・ソリステ・ヴェネッティの死と孤独の世界を粉砕し、能天気な明るさと楽しさをまき散らし、世界を覆いつくすコロナの憂鬱をこっぱみじんに雲散霧消させる音楽力を誇示しているようです。


コレラ禍のさらなる猛威を知らずして幸いなるかな疾く逝きしひと 蝶人
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