蝶人物見遊山記第270回

上野にて「100年早かった智の人」という副題がついた本展を見物して参りました。
昔は美術関係の展覧会にキャッチフレーズなんてつけなかったと思うけど、「映画から100年遅れて」、こういうコピーライターに頼んだような惹句を張るつけるんだなあ。嫌な世の中になったもんだ。
それはともかく、上野公園の夜は無人だったし、シニアの私は無料だったし、会場内で物凄くいい音がするチェロとピアノのデュオの演奏が聴けたし、なんというても南方展の内容が素晴らしかったので、久しぶりに心豊かな気分になれた金曜の夜でした。
「ミナカタクマグス」という妙な名前の妙な人物の名前が気になったのは、漱石と同じ頃に(もっと前から、もっと後まで)ロンドンで(官費留学じゃなくて)私費遊学していて、一方は神経衰弱で消耗していたのに、他方は元気溌剌、大英博物館に入り浸って時々職員と喧嘩したりしていたと知ったから。
漢英独仏西羅の言語を自在に使いこなし、英国のみならず米国、外国人にコンプレクスを持っていなかった熊楠選手の逞しさは、軟弱な漱石と大違いだなあ、と思ったのがはじまりです。
それで平凡社の全集を次々に読んだんだけど、「こりゃ何者なんじゃ!」とびっくり仰天。特に凄いと思ったのが彼の主著「十二支考」でした。
本展では会場の終わりの所で、その「虎」の巻の全体構造図と腹稿(ヴァージョン)が展示されていましたが、ともかく底抜けの博覧強記、終わりなき百学連環とはこういう人だと完全に脱帽しました。「知の巨人」という大仰なキャッチフレーズも、この人に限ってはまんざら嘘ではないわいなあ。
この人には古今東西の森羅万象をおのが脳裏に刷り込みたいという猛烈な欲望があって、それは彼が図書館や書斎で超極細字で書写した無数の「抜き書き本」(未刊行取材手帖)を見れば一目瞭然であります。
熊楠の知的好奇心は、博物学、民俗学、考古学、人類学、科学史、宗教学など知の百科に跨りますが、中でも隠花植物、菌類、地衣類、藻類に興味を持ち、死ぬまで手当たり次第に標本を作っては模写、記録、整理、研究に没頭しました。そんな彼が明治政府による神社合祀に反対したのも理の当然でしょう。
展覧会を一巡した私は、「万巻の書物を読み、万里を歩くべし」という中国明代の書家、董其昌の処世訓は彼のためにあったのではないか、と思いましたが、彼自身はマラルメのように「万巻の書は読まれたり」というようなもっともらしい境地に達したことは、74年の生涯でただ一度もなかったことでしょう。
南方熊楠にとって、知ること、それもすべてを知ること、知りつくすことこそ、この世で生きることそのものだったのです。
大空の隅から隅まで羊雲どこかで誰かが息を引き取る 蝶人