あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

永井陽子歌集「てまり唄」を読んで 

2019-08-31 13:04:23 | Weblog


照る日曇る日 第1289回


残暑厳しき今日この頃、尾崎翠や山中智恵子、近現代短歌研究に取り組んでおられる石原深予さんから恵投された「論調」という文芸雑誌を読んでいる。

日本近代文学の女性研究たちの拠点とすべく2008年に創刊されたこの分厚い雑誌は、松本薫という鳥取市米子在住の小説家を特集しているが、石原さんの尾崎翠新発見作品の解説をはじめ、メンバーたちの力作論考が掲載されており、タガの緩んだ老残の大脳前頭葉に、快い知的刺激を与えてくれたのであった。

石原さんは前川佐美雄が創設した「日本歌人」の同人でもあるが、昨年の「論調」の付録に、永井陽子(1951-2000)という歌人のことを書かれていたので、彼女の晩年の作品である「てまり唄」を読んでみた。

 てまり唄手鞠つきつつうたふゆゑにはかに老けてゆく影法師
 「一字下げる」それだけなれど決めがたしたそがれの人生の段落
 死にたくてならぬひと日が暮れてのち手に掬ふ飴色の金魚を

これは彼女の不幸な死の5年前に出版された歌集で、老母と暮らし、老母を介護しながら、おのれを凝視する女の歌である。

 人間はぼろぼろになりて死にゆくと夜ふけておもふ母のかたへに
 こころねのわろきうさぎは母うさぎの戒名などを考へており
 仏となりて母はわが家へ帰り来ぬ悪夢のやうなふたとせののち
 竹箒あたらしく買ふ寒の日の老いたる母のとむらひのため

私は、本書の末尾に掲げられた

 春過ぎて飛行機雲を見しものはいのちながらふべきにもあらず

を眺めながら、ワルターが棒を振るマーラーの「大地の歌」の身ぶるいするような旋律、「生も暗く死もまた昏い」を思い出し、2005年に列車事故で夭折した画家、石田徹也の、どうしようもなく孤独な作品と生涯を連想した。

 一行の詩歌の内に身をふるふ一本の木が見えたりこよひ
 いちまいの雑巾なればわたくしは四つ折りにされてもしかたなし
 生きることがさびしい時に聞こえくるこの世のいづこ水の漏る音

いきているのもつらい、どうしようもになく辛い人世にあって、そのどうしようもなさを歌に詠むことは、やはりある種の救いになるに違いない。


 8月の終わりの日に思い出すサトウハチローの「その日は8月31日」の唄 蝶人
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日光旅行その4~長男の6年生の日記から

2019-08-30 11:20:52 | Weblog


遥かな昔遠い所で 第100回


いたけがよってしまった。
そしてバスで和光でかつかれいを食べた。
お宮げを買いました。
でも耕はあんまり買いませんでした。


電車に乗って約20分くらい待ちました。
そして又発車しました。
耕は戸丸君のとなりに成りました。
耕はウーパールーパーかじたバカが大好きです。
そして石渡り君が何かをしました。


宇都宮駅を通りました。
南浦和の駅で走り出しました。
お母さんと一緒にバスに乗って帰りました。
夜ごはんを食べました。
おもしろかった。
楽しかった。
又行きたいです。


  敵なるか味方なるかと惑いつつ我を見据えるアオダイショウの眼 蝶人
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日光旅行その3~長男の6年生の日記から 

2019-08-29 16:34:15 | Weblog


遥かな昔遠い所で 第99回


押し入れの中に入りました。
耕はトイレへ「行きました。
エレベーターh乗りませんでした。
それで折戸君が変なことを言った。
「ばかっ、そればかっ、そればか。」と耕が言いました。

興石先生が「ブルドックになっちゃいますっ。」と答えました。
それで石渡君が「何だ此のやろ。」と言いました。
耕は怒りました。
「何だ此の阿呆っ。」と石渡君が言いました。
伊藤が「起きなさい。」と言いました。

朝ご飯を食べに行きました。
そしてまた部屋に戻りました。
一番最初に斎藤君がトイレにうんこをしました。
石渡君がおならをしながらうんこをした。
そして春キとも出て雨が降っていた。

でもバスに乗った。
長いトンネルに入りました。
オレンジ色でした。

「ばかっ、そればかっ、そればか。そればかっ。」と言いました。
いろは坂に行って、木の子が寝てしまいました。
「起きました。けごんの滝に着いた。「やった。」と耕が言った。
「そればかっ、ばかっ、ばかっ、ばかっ。」と耕が言いました。


 天皇の戦争責任ついて誰一人触れようとせぬ8.15 蝶人
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講談社版「大江健三郎全小説11」を読んで

2019-08-28 14:42:45 | Weblog


照る日曇る日 第1288回


連合赤軍事件の内省と内面化を執拗に追求した8つの短編連作集「河馬に噛まれる」、ダンテの地獄篇と重なり合う懐かしい謎の「殺人犯」ギー兄さんの遍歴を延々と辿る「懐かしい年への手紙」、大江の次男と実弟を狂言回しに、冒険譚とサスペンス、ディケンズの「骨董屋」、安保闘争と新左翼の陰惨な党派闘争、サーカスの少女を巡る愛の物語など雑多な要素を大鍋に投げ込んだ「キルプの軍団」の驚異の3本立ては尾崎真理子の懇切丁寧なる解説も交えて堂々716頁に達する。

書きに書く。書きに書けども、その行きつく先は作者にも、誰にも分からない。すべての読者が、そんな深くて巨大な文学の森に迷いに迷う快楽がここにはある。

ヴァトーの名画「シテール島への巡礼」を想起させる「懐かしい年への手紙」の息をのむように美しい 掉尾、そして「キルプの軍団」のラストを彩る大江の2人の息子が作詞作曲した「卒業」だけでも、ぜひ賞味して頂きたいものである。


  長すぎるエンドクレジットの只中で突然始まる別の音楽 蝶人
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日光旅行その2~長男の6年生の日記から 

2019-08-27 11:14:01 | Weblog


遥かな昔遠い所で 第98回


部屋に戻って伊藤君と遊びました。
それでお風呂へ入った。
写真をとった。
それから健ちゃんたちにお宮げを買った。
おふとんをひいてもらった。

パーマンのまんがを読んだ。
読みながら寝た。
石渡君がじゃました。
梶田が怒って「耕ちゃん。」と言いました。
そして石渡君が「ジュエリング。」と言いました。 

耕が「ばかっ、そればかっ、そればか。」と言いました。
そして先生が「ブルドックになっちゃうぞ。」と言いました。
少したって梶川君たちが来ました。
耕君は眠れませんでした。
それからだんだん眠たくなってきました。
そして4時まで寝ました。
ふとん片づけました。
北原君がまた寝てしまいました。
耕が起こしました。   


   妹も池江璃花子も負けるなよ夏の終わりの抗がん闘争 蝶人
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日光の旅行その1~長男の6年生の日記から 

2019-08-26 13:54:24 | Weblog


遥かな昔遠い所で 第97回


朝伊藤君が言って「起きないと遅れるぞ。」と答えました。
朝ごはんおを食べました。
泊っていいお湯でした。
それから夜ごはんを食べました。

みんなと遊びました。
心にはすばらしいつばさが有るを歌いました。
耕が泣いて「ウエーン、かわいそうに。」と言いました。「お母さんが居なくても大丈夫だよ。」と言いました。
おねんねをしました。

お宮げを買いました。
石渡君と耕君がぼくとうで遊んだ。
耕君はぼくとうを健ちゃんのお宮げに買った。

部屋に戻った。
そして伊藤君にお菓子をもらった。
おいしかった。
それでご飯を食べた。
おいしかった。
速く食べた。

それで又お宮げを買った。
やきさるを買った。
猿が3びきだった。

  この夕べ不如帰鳴くを待ちおれば嫉み妬んで騒ぐ眉画鳥 蝶人
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8月22日から25日までの私

2019-08-25 11:47:20 | Weblog

西歴2019年葉月の歌その2~これでも詩かよ 第267回


西瓜の味

海水浴から帰ってきました。

毎日のように少し昼寝をして、午後から1時間だけ海水浴に行くのです。
そして帰りには、逗子池田通りのウララ果物屋さんで大きな三浦西瓜を買ってきて、食後にいただきます。

西瓜ほど美味しい果物は、ありません。

大きな三浦西瓜をどんどん食べていると、家の外ではニイニイ、アブラ、ミンミン、それに時折は関西から北上してきたクマゼミもやってきて、小さな庭のまわりでいつまでも恋の混声合唱を繰り広げています。

エアコンをつけなくても、涼しい風が陋屋に吹きわたり、東の窓一面に2階まで這いあがった天青と沖縄雀瓜が、強い日差しを遮ってくれます。

世間では悪代官がテロリストに暗殺されたとか、地震が明日やってくるとか、そのうちに世界が終焉するとか、ラチもなくラアラアと騒いでいるようですが、いったいそれがなんだというのでしょうか?

われらは、生きる間は生きており、死ぬるときには、みな死ぬのです。

後で振り返ったときに、恐らくはあのときがいちばんだったと思えるような人生の小さな夏休み、平穏無事で格別なことが何ひとつ起こらない、このささやかな仕合わせを、朝な夕なに、じっとかみしめているところです。

   西瓜ほどおいしい果物はない いずれは君にも分かるでしょう 蝶人

8/23
秋の運動会~長男の大昔の日記から

遥かな昔遠い所で 第96回

ぼくは、運動会で、ときょう走の時、ワンワンと、いいました。
おとなしくしてろと、いいました。
友だちなんだよと、いいました。

       つくつくと法師鳴くなり母悼み 蝶人

8/24
加藤典洋著「9条入門」を読んで

照る日曇る日 第1287回

今年の5月に亡くなった著者の最後の著作である。憲法第9条の成立の事情をその原点である1945年の敗戦に遡って、根掘り葉掘り執拗に追求した、読みながら息苦しくなってくるような労作にして代表作。

そこには、進駐軍の最高司令官としてのり込んで来たマッカーサーは、日本の統治のために天皇を処断せず有効に活用しようと思い付き、それを本国や連合国に納得させるための世界に冠たる平和憲法を立ち上げたこと。

日本国憲法、とりわけ第9条の戦争放棄、交戦権、自衛権の放棄は、マッカーサー個人の「創見」の押しつけであったが、そのいっけん突飛な「光輝ある」絶対平和主義は、彼の当初の構想通り、「マッカーサー大統領」が主導する「国連軍による集団安全保障体制」に組み込まれれば、もしかすると「理想主義的な」成果を収めていたかもしないこと。

などが次々に明かされるが、その中で浮き彫りにされていくマッカーサーや昭和天皇や憲法学者、美濃部達吉、宮沢俊義などの人世の処し方が粛々と身に迫ってくるような入魂の記述が印象的である。

これが前半部だとすれば後半ではいよいよ著者独自の9条観、憲法観が全面展開されるはずであったが、身に迫る病魔がその余地を奪ってしまったことは、惜しみてもなお惜しむべき余痛恨事であった。合掌。

     横浜で博打場を開きたい女賭博師の良からぬ企み 蝶人

  
8/25
パソコン絶不調

蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.318

2004年の10月に購入したデスクトップPCの調子は前からが悪く、いずれは買い替えようと心準備をしていたのだが、とうとうパンクしてしまった。

毎日の記録に欠かせないファイルや写真のすべてをサブのノートPCに移動していなかったために、とうとう昨日は小生の遺言や夢日記を書き継ぐことができなかった。残念。

それにしても次のヂスクトップPCをどうすべきか?なんでもマイクロソフトはまもなく使い勝手の良かったウインドウ7のメンテナンスを放棄して10への乗り換えを推奨しているようだが、10には難点が多いらしく物入りなうえに気が進まない。

まもなく土曜日配達を止める郵便局と同様、この会社はいつも消費者を置き去りにしてハードの利便性と金儲けしか考えていないようである。



  大震災も8年目となれば冷たくて国も人も助けてはくれない 蝶人


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西歴2019年葉月の歌その1~これでも詩かよ 第266回 

2019-08-21 11:13:39 | Weblog

 
鈴木志郎康著「攻勢の姿勢1958―1971」を読みて歌える




600頁もある部厚い詩集のド真ん中を開くと、
いきなり飛び出したのは、プアプアちゃん!

腰周りには、番町皿屋敷のお皿サラサラ
何枚何十枚の処女膜ぶら下げ、
「いつでも誰でもいらっしゃい」と、
いといやらしき、危なの腰付き。

きゃああ、純粋桃色小陰唇のプアプアちゃんだあ!

はじめに言葉ありき。
生の混濁とドン詰まりを、性の最先端で一点突破せんと喘ぐ詩人の口先に、
突如京の空也上人、南無阿弥陀仏の5連発のごとく、
天孫降臨城のごとく降り立ったのは、突然変異の守護神ジャンヌ・ダルク、
いやさ、売春処女にして聖処女のプアプアちゃん!

「プアプアちゃん、お元気ですか? あなたの生みの親の、お茶の水博士のような鈴木志郎康さんは、お元気ですか?」

「あーた、そんなことより、今夜のニコライ堂のイベントには行かないの? 深夜同盟暴力員会主催の『聖ニコライ堂で処女の生血を啜ろうぜい!』がそろそろ始まる頃よ」

「えっ、そんな素敵なことして、日韓談判や学費学館バリストやセレブvs貧民の階級闘争はどうなるの?」

「あーた、絶対矛盾の自己同一、知らないの? 一点突破、全面展開、知らないの。
まずは父親と母親を殺して家族帝国主義を粉砕し、父母未生以前の自己を取り戻すのよ。そのためには、みんなで処女の生き血を一升枡で汲み交わさなくちゃ」

「フマやヨシダも来るのかなぁ?」

「そんな一部のはねっかえりだけでなく、全都の学友諸君が、挙って立ち上がる記念碑的な夜なのよ。乾坤一擲、エラン・ヴィタールの爆発なのよ!」

黄金の乳房をゆらゆら揺らすプアプアちゃんの話では、純粋桃色小陰唇の処女プアプアちゃんに加えて、虎の子廃処女キイ子ちゃん、もとい路上血まみれタイガー処女キイ子ちゃん、謎の洞窟処女、私小説的老処女キキ、純粋処女魂グングンちゃんも、全員腕を組み足を踏みならしてラッタラッタラアと参加するという。

そして全員が横浜港の大桟橋からバイカル号に乗り組み、
全世界を一挙に獲得する、革命的なツアーに出るという。
全世界を横領しているツアーリどもを、ことごとく暗殺するという。

お尻ぺんぺん、プアプアちゃん。
なんという、あらましき、かつあほらしき旅立ちであることか!

プアプアちゃんは、家族帝国主義と父母未生以前の生と性への煩悶を一気に立ち截り、絶対矛盾を自己同一化することに成功したかにみえたが、それは一瞬の夢、うたかたの幻。過酷で残酷な国際政治の荒波に翻弄されて、ふたたびみたび、混沌と混迷の闇路を流離う運命にあった。

ムツグーゥーッ、
生の極まるところ、燃え盛る性の炎。
今まさに、薪に油は注がれ、
ムツグーゥーッ、
悶える十字架上の聖女、プアプア・ダルクの断末魔の叫びを聞け!


  今日の次に明日という日が来ることをみんな勝手に信じているなり 蝶人
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無題~長男の大昔の日記から 

2019-08-20 11:17:08 | Weblog


遥かな昔遠い所で 第95回



亘先生は好きです。優しいです。ときどき先生は、ぼくを怒ったりします。

したじきを忘れちゃだめよ、とぼくが言ったら忘れちゃったのよと、いいました。お友だちが、勉強して、
1234567891011121314151617181920212223242526272829303132333435363738394041
人のお友だちがいました。

谷さんが学校で怒って耕ちゃんと、いいました。そうだよと、いいました。せきにつくのと、いいました。

ある日、耕は、作文を書きました。
耕は、もう、気がつかなかったよと、いいました。
耕が、テレビを見て、勉強しますと、いいました。
遊びますと、いいました。
調べますと、いいました。



  一命をマッカーサーに救われて「再軍備せよ」とぬかす天皇 蝶人
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無題~長男の大昔の日記から 

2019-08-19 14:04:45 | Weblog


遥かな昔遠い所で 第94回



お友だちが、
1234567891011121314151617181920212223242526272829303132333435363738394041424344できました。


谷さんが学校で怒って耕ちゃんといいました。やめてよと、いいました。ようし開けろと、いいました。その化け物を出せと、いいました。


堀池さんと、いいました。手洗ってくるんだよと、いいました。どうだと、おいいました。ついてないと、いいました。耕ちゃん学校へおかえりと、いいました。


おーい、松田君と、いいました。耕があわてるなと、いいました。なんだと、いいました。け、しょうがないなと、いいました。


松田君、早くと、いいました。待てと、いいました。あーあーあーあーと、いいました。化け物と、いいました。



  この頃はさっき浮かんだ歌の葉をしばらくするとさっぱり忘れる 蝶人
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秋の遠足~長男の大昔の日記から 

2019-08-18 11:49:17 | Weblog


遥かな昔遠い所で 第93回



海へ行きました。耕ちゃんと、佐藤ひろ美さんがいいました。遊ぼうといいました。こら怒るよと、いいました。入っちゃだめよと、いいました。

佐藤ひろ美だ早くしろ、といいました。稲村ケ崎から、ごく楽寺から、長谷から、由比ヶ浜から、和田塚から鎌倉から下りて来ました。

ピアノへ行きました。帰りました。夜ごはんを食べました。おふろに入りました。ねました。朝おきました。朝ごはんを食べました。学校へ行きました。くりちゃんもゴロくんと、お姉さんと、おじさんが出て来ました。消しました。お勉強もしま
した。

1234567891011121314151617181920212223242526272829303132333435363738394041424344のお友だちがいました。



 売れぬ絵をたんと描いてもそれでよし生きてしあればそれでよろしい 蝶人
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西歴2019年蝶人真夏映画劇場その2

2019-08-17 10:49:32 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.2034~38


1)エンツォ・モンテレーネ監督の「炎の戦線 エル・アラメイン」
イタリア軍が英軍と戦う話は珍しい。同じ枢軸国でも独軍は伊軍を馬鹿にしていたようだ。ムッソリーニの馬をどうして殺さなかったのかと思う。戦争映画はみな悲惨だが、この映画のラストも悲しい。

2)ピーター・ハイアムズ監督の「カプリコン1」
宇宙開発に予算がつかなくなりはじめたので、打ち上げ寸前に飛行士を降ろして、無人で火星に打ちあげて成功裏に帰還させようと博士がたくらむちゅうんだけど、その前提が奇妙すぎてすいていけななあ。

3)H・B・ハリッキー監督・脚本・主演の「バニシングin60」
40分に亘って延々と繰り広げられる法悦的なカーチェースを見よ!

4)ロバート・ワイズ監督の「ウエスト・サイド物語」をみて
「ロミオとジュリエット」を本歌取りしたプロット、演技、踊り、衣装、カレオグラフィー、すべてがいいが、なんといってもレニーの音楽が素晴らしい。彼は交響曲やミサ曲、管弦楽曲などたくさんの音楽をつくったが、結局これが最高傑作ではないだろうか。

5)ジョン・Ⅴ・ハロー監督の「ホンドー」
ジョン・ウエインが女牧場主と相思相愛になる凡庸な西部劇ずら。ヒロインのジェラルディン・ペイジがちょっとねえ。


琉球よヤマトンチームを打ち破れプロバスケットの準決勝で 蝶人
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内田百間著「百鬼園戰前・戰中日記 上下」を読んで

2019-08-16 11:21:22 | Weblog


照る日曇る日 第1285&1286回


私が内田百間を人間として本当に偉いと思うのは、本邦に作家多しといえども中里介山ともども、天下にたった2人だけが昭和17年5月に設立された文学報国会に入らなかったこと。これがどんなに勇気に満ち満ちた命懸けのノンであったことは、今の時代にしてようやくひしひしと体感されるのではないだろうか。

今回はじめて公刊された昭和11年から19年10月末までの百間日記には残念ながら昭和17年の日記には5月以降の分が欠落しているので、それについての記述は確認できない。

しかし日記には政治的な言及はほとんどなくて、昭和11年2月の2.26事件、16年12月の開戦、昭和19年7月20日の「東條漸く辞職した由也。これにてさつぱりす」くらいであり、彼の主たる関心がその他の領域に亘っていたことを物語っているようだ。

んで、そこに書かれているのは、日課であった日本郵船への出勤記録(大方は午後からタクシーを利用して)、毎月の媒体への執筆内容と詳細な入金記録、有名無名の訪問者たちのリスト、彼を襲った苦痛を伴う動悸の報告であるが、一番気になるのは彼の借財であろう。

昭和8年に「百鬼園随筆」がベストセラーになって以来、売れっ子作家になった彼は日本郵船の毎月200円の定収に加え、文春や新潮社からの執筆依頼が相次ぎ、例えば本邦の平均的給与所得者の年収が748円であった昭和14年にそのおよそ10倍、昭和16年にはなんと1万70円もの収入を得ているのに、月700円以上の金が無いと家計を廻せないと不如意をかこち、周囲の友人(特に明治製菓の中川氏)から借金を重ねているのは、いったいどうした風の吹きまわしであろう。

なんとなく晩年のモザールの貧窮をそれを思わせるが、百間のギャラはおそらく当時の流行作家のなかでもトップクラスであったはずである。

日記の中では大正8年以来腐れ縁を続けていた高利貸屋に500円を払ってついに縁を切ったという喜ばしい報告も見られるが、その翌月からはまたしても書店への前借や友人への寸借の記述が登場するのはもはや趣味の借財ともいうべき不思議な謎である。

そんな世俗の闇を忘れ、名手、宮城道雄から教わった筝曲を、仲間の米川文子(米川正夫の妹)などと合奏している時が彼の至福の瞬間だったのだろう。


  トルストイの本の名前と覚えしが「戦争と平和」は今のことなり 蝶人
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「夢は第2の人生である」あるいは「夢は五臓六腑の疲れである」 第80回

2019-08-15 10:06:53 | Weblog


西暦2019年水無月蝶人酔生夢死幾百夜



大宴会で合計8皿のフルコースの御馳走が出されたので、夢中で食いまくったが、だんだんお腹が痛くなって来た。しかも最後の7皿目と8皿目しかそのメニューを覚えていない。豚に真珠とはこのことなり。勿体ない限りだ。6/1

マエダ女史の紹介でサンダース氏に会った私は、彼から懇切丁寧にフライドチキン事業経営のノウハウを伝授されて大感激した。6/2

疲れきっていたが一睡もできずにいた私の頭の中では、あの悪名高いハズキルーペのCMが朝まで流れ続いていた。6/4

土曜夜の試写会でゴダールの新作映画「スプラッシュ」をみていたら、「これから私はしろうやすの世界を立ち上げるんだ」とゴダールが呟いていたので、近くのカフェに入ってコーヒーを飲んでいたら、なんと鈴木志郎康氏がいたので、かくかくしかじかと報告したが、「あ、そうですか」というつれない返事だった。6/5

240円で出来立ての冷たい薬?を売っていたので、私はすぐさまそれを買った。6/6

妻が足利学校の校長になるという話を聞いて、私は耳を疑った。妻もどうしてそうゆう次第になったのかについてまったく知らないという。足利に移住して、就任の挨拶の原稿はたぶん私が書くことになるのだろうが。6/7

テレビ局で仕事をしているヤシマ嬢のシャツの上に「ネコテペス」という意味不明の西洋文字が刺繍されていたので、私はさりげなくその「ネコテペス」を触ってみた。6/8

巷の噂では、この食堂では蛇や猫や人間の肉まで惜しみなく味付けに投入しているので、ラーメンのみならず何を喰っても旨いという定評があったが、臆病な私にはあえて試してみる勇気はなかった。6/9

ついに宿敵と相まみえた日、私は腹を撃たれるのを避けるために左半身に構えながら、右手で握りしめた拳銃で、彼奴のどてっぱらに熱いダムダム弾を撃ち込んでやったのさ。6/10

今は江戸時代なのだが、その隠密は100メートル10秒フラットの記録保持者なので、藩主が参勤交代をするたびにその先導役として東海道を何度も往復して安全警護に貢献したので、ついに第3家老に出世したそうだ。6/11

病院長はその患者は政治的に特別に重要な人物なので、財前教授とその反対派の有力教授の2人が1日おきに完全かつ徹底的に看護するよう厳命を下した。6/12

2人の宿命の対決が始まった。2人とも抱いて殺して煮立った鍋に投げ入れた女をもう一度甦らせよと天主から命じられたので、懸命に祈りを捧げているところだ。6/13

水兵の私は軍艦に乗り込み、敵艦の外壁にとりついてガリガリ穴を開けようとしていたが、味方のコンパス銃は0.1ミリ口径、敵は0.3口径なので作業が捗らず、先に撃沈されてしまった。6/14

せっかく新床教授の授業に出ようと早くから下宿を出たのに道草を食って開始時間を5分過ぎてしまった。2人連れの学生にEW教室がどこにあるのか尋ねたら、「今日はもう諦めて、助手のフクダさんに来週から出るからよろしくと根回ししといたほうがいいですよ」と言われた。6/15

お上の不在を衝いて私は裏山のウサギ穴に潜り込んで、秘密の財宝を探し出そうと意気込んだが、穴があまりにも深すぎて帰り道を見失ってしまい、途方に暮れている。6/16

手や胸や腹が痒くて痒くて堪らないので、もう狂ったように目茶目茶に掻き捲っていると、突如得もいわれぬ快感がどこかから湧き起ってきて、これはいかなる生理現象に起因するのかと考え込んでしまう。6/17

私は新種のサルだったが、友人サル宅を訪ねて玄関口の靴脱ぎの置き石の断面を見ると、「令和はかなし」と刻んであったので、これは「令和は悲し」と読むべきか、はたまた「令和儚し」と読むべきかいずれとも決めかねてその場に立ち尽くしていた。6/18

「佐々木眞文学全集」のどの箇所に「世界最短詩の試み」が挿入されるのかを、いちいち検証していくので、眠るに眠れない夜だ。6/19

「2年間あんたをよその飛ばして悪かったけど、今月からまたうちの課の戻ってもらうから、すぐに来年度予算を案を作っといて」とタナカ課長は平然とのたまうのだった。6/20

息子にいい嫁を見つけるために、ゴッドマザーはどんなことでもした。朝から晩まで影のように息子に張りつき、息子の目となり手となり足となって、よさそうな女性を血眼で探しまくったのである。6/21

お父さんの仕事の都合で離れ離れになっている私たち。お父さんは田舎の実家に、私はお母さんと一緒に都会の一部屋で暮らしている。お父さんは「もうちょっとでみんな一緒に暮らせるようになるからな」、というて私を励ましてくれた。6/22

その男は、いやあ美味いなあ、ウマイ、旨いと言いながらその料理に舌鼓を打っていたが、良く見るとその口元は○というより△なので、小さな魚などはどんどんこぼれて逃げ去っていくのだった。6/23

半世紀ぶりに訪ねてみると、その下宿はいまなお京都の左京区にあった。私が2階の部屋に入ると2人の大学生がいたが、構わず押入れの中を開けると、その中には私がこの部屋の住人であった頃に買い集めた「世界文学全集全100巻」がそのまま出てきた。6/24

また新しい戦争が始まりそうなので、私はアシスタントの女性に命じて長さ10メートルの鋭く尖った竹竿をたくさん用意させた。いったん事があれば、これで雑兵集団を武装して敵に先制攻撃を仕掛けるのだ。6/26

ネーミングに関しては業界ナンバーワンの私は、完成まじかの高層ビルを見学しながら、その呼称を考えていたが、その間にも世界中の建設業者からネーミング依頼の電話が殺到するので、脳味噌が破裂寸前だった。6/25

まったく仕事がないので新企画をでっち上げて某出版社の重役に売り込んだら、幸い興味を持ってもらえた。その夜西麻布のバアで重役の意を受けた坂谷由夏似の編集長に会ったのだが、完全に化けの皮を剝がれてほうほうのていで逃げ出したわたし。6/27

生まれて初めてみたアフリカのセネガル映画があんまりおしゃれでシックで素晴らしかったので、会う人ごとに吹聴していると、ふぁっちょん評論家のフジオカさんという方が、「あらあなたご存じなかったの、セネガルは最近モード界でも注目されているのよ」と仰った。6/28

「今後のあらゆる創作基準はこのメートル法原器に準拠していきます。これは「2001年宇宙の旅」で原始猿が初めて他者を殺害し、宇宙に抛り投げた堅骨片の長さと形状と重量に匹敵します」と私が宣言すると、一同は諾諾諾!とうべなった。6/29

いつまで経っても大学を卒業できない私は、真夜中に突如その原因に思い当たった。毎年の新学期に履修科目を登録していないし、学校に行かないし、授業も試験も受けないから何年経っても卒業なんかできるわけがないのだ。6/30

   味の素をなんでもかんでも掛けていた今でもあるのかな味の素 蝶人
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無題~長男の大昔の日記から

2019-08-14 12:03:22 | Weblog


遥かな昔遠い所で 第92回



えんそくへ行きました。
遊びました。
おべんとうを食べました。
じょうが島へ行きました。
帰りました。
たちあらいへ行きました。
おやつを食べました。
自てん車に乗りました。
おっこちました。
バンドエードをはりました。
おふろに入りました。
練ました。
朝おきました。
ごはんを食べました。
ごちそうさまをしました。
学校へ行きました。
お勉強をしました。
国語のお勉強をしました。


 わが息子障害者なれど恐らくは障害者とは思っておるまい 蝶人

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