あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

5月の光と風の中で その2 

2019-05-31 13:31:43 | Weblog


これでも詩かよ第260回


Ⅰ 夫婦の会話

妻君が階段の上から、
「2階でムカデを1匹殺したわ」
という。それで、
「そういえば僕もこないだ1匹殺したな」
と、階段の下から返事したら、
「それなら、ちょうどよかったわ。ムカデって、いつも2匹セットでいるものね」
と、妻君がまた返事したので、ふうむ、これが「平仄の合う夫婦」というものかな、と思った。

百足平安 
無事是貴人 
偕老同穴 
平仄夫婦


Ⅱ 虹の彼方で

一天 俄かにかき曇り、
雨がパラパラ 降って来た
東の窓から 東を見れば
和泉橋の上に 影がある
あれはうちの コウちゃんケンちゃん
かわいい長男 次男じゃないか

雨がザンザン 降ってくるのに
ケラケラ ゲラゲラ笑ってる
笑いながら 駆けずり廻るよ
石橋の穴に 溜まった泥水
あちこっちに 撥ね飛ばしながら
二人はくるくる 輪になって
兄が弟の 弟が兄の
お尻を 追っかけ廻してる

いつのまにやら 雨上がり
東のお空に 虹が出る
赤橙黄緑青藍紫 紫藍青緑黄橙赤
7つの色が 滲んで輝く
虹の彼方で 踊っているのは
あれはうちの コウちゃんケンちゃん
かわいい長男 次男じゃないか


Ⅲ とんとある話

とんとある話。
あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば、無かったことも、あったにして聴かねばならぬ。
よいか?*

ある五月の晴れた日のこと。オジイチャン、オバアチャンを中心に、座敷に家族が集まりました。
庭の木を見ながら、オカアサンが、
「白い花がたくさん咲いたから、今年は夏ミカンがたくさんとれそうだわ」
とうれしそうにいうと、オジイチャンが、
「あの夏ミカンはな、昔は「夏代々」というたそうじゃ。ご一新で没落した士族がこれを稼業にして代々生き延びられるようにとその名をつけたそうじゃ」**
と、学のあるところをみせています。

突然庭の向こうから2羽のスズメの夫婦が飛んできて、
「おや、普段は雨戸を閉めた切りの家に、大勢人が集まってる。珍しいな、チチチ」
と鳴きました。
「あのスズメは、夫婦みたいだね」とケンちゃんがいうと、
「うん、オラッチもそう思う」と、オジイチャンが大きくうなずきました。

スズメ夫婦が飛んでいくと、ツバメの夫婦がやってきて、
「自動車修理屋さんの軒端に、おうちを作ろうとしたんだけど、「糞を落とすからほかを当たれ」と言われたので困っています。どこかいいとこないかしら?」と尋ねます。
オトウサンが、「そんな自動車屋はけしからん。うちのアクア***が故障しても、絶対にあそこには頼まないぞ」
と怒り狂っているので、またしてもオカアサンが、
「よかったら、うちの玄関の下はどう? 大歓迎するわ」というと、ツバメ夫婦は歓喜の歌を唄いながら、大空を飛び回るのでした。

すると今度はコジュケイが、7人家族でやってきました。
「わたしら、こないだからタイワンリスとアライグマに襲撃されて困っています。浄妙寺の交番に相談したのですが、「君たちにここに泊ってもらうと、公務に差し支えるから困るのお」と言われてしまいました。どこか安全な場所は無いでしょうか?」
するとオバアチャンが、「あら、それなら狭いけど、うちのお庭に住んでもらってもいいわね、オジイサン」
というたので、オジイサンもみんなも、朝からあの「チョットコイ」の鳴き声で起こされるのは困ると思いながらも、「いいですよ。大歓迎ですよ」と、異口同音に答えました。
大喜びのコジュケイ親子は、「チョットコイ!チョットコイ!」の大合唱です。

すると、そのけたたましい鳴き声が聞こえたのか、大きなゾウさん夫婦が小ゾウを連れて、ドシドシドシとやって来ました。
「私たちは、昨夜インドから、やっとこさっとこ横須賀の港に着いたのですが、日本に着いたら、すぐにサーカスに売られるのです。サーカスは見るのは好きなんですが、火の付いた輪をくぐり抜けるのは熱くて怖いので、3人で逃げ出してきました。お願いです。なんとか匿ってください」
と、部厚い前足を、折り曲げ、折り曲げ、長いお鼻を、ふりふり、ふりふりして訴えます。

目付きの怖いパンダさんなんかよりも、小ゾウが好きなコウちゃんとケンちゃんは、
「ね、ね、いいでしょ。コジュケイとスズメとツバメのお仲間に、ゾウさんたちも、一緒に仲良くお庭に住んでもらってもいいでしょ?」
と、懸命にアピールするので、普段は難しい顔をして、誰にも分らない詩のようなものを書いている超自由業のオトウサンも、
「それほどいうなら仕方がない。愛犬ムクは死んでしまったけど、その身代わりだと思って、ゾウさんたちもしばらくお庭で飼うことにしましょう。そのかわりに面倒は、みんなでみるんだよ」
というたので、動物好きの一家も「それがいい! それがいい!」と、全員で声を合わせました。

そこで大喜びのコウちゃんとケンちゃんは、
「♫ゾウさん、ゾウさん、お鼻が長いのね」と唄いながら、ゾウさんや、コジュケイや、ツバメや、スズメたちと一緒に、狭いお庭の中をグルグルぐるぐる楽しく踊り歩きました、とさ。


*柳田国男が蒐集した昔話を語り始める際の決まり文句。大江健三郎「M/Tと森のフシギの物語」「同時代ゲーム」より引用。
**「夏代々」の逸話は日本版「ウィキペディア」に拠る。
***没落する中産階級向きの厭らしい外装色のトヨタ製ハイブリッド車。


  もし君の子が「心失者」でも殺すのか植松聖に尋ねたきこと 蝶人
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5月の光と風の中で~上野と六本木の2つの展覧会をみながら*1

2019-05-30 11:16:25 | Weblog


これでも詩かよ第259回



Ⅰ 世紀末ウィーン

五月の光と風が、赤茶色の建物の中まで、差し込んでいる。
上野の都美術館に足を踏み入れると、
何を考えているのかさっぱり分からない女が、
紅い唇をポカンと開いて、
呆けたように、立ちずさんでた。

クリムトが生きた世紀末のウィーンは*2
ビーダーマイアー様式の家具とかヴァーグナーの建築物とか、
いっけん、おしゃれでシックなふぁっちょんタウン、のようだが、
しかしてその内実は、R.シュトラウスの「薔薇の騎士」のように淫靡で、
熟れきったメロンのように甘美な文化都市だった。

1898年、クリムト選手は、そんな腐れメロンに対して、
「ウィーン分離派」なる独立行動隊をざっくり立ち上げた。
彼は権門に対して、激しい分派闘争を繰り広げた、闘う画家でした。

金粉をまぶしたキンキラキンのキャンバスの中に、
その伝説の妖艶な美女は、いた。
黄金の首輪を巻いた、半眼開きの黒髪女、ユディト!

だらりと伸びた右腕の下には、
女に首を斬られる快感に酔ったままの
男の首が、ぶら下がっている。

超美貌の寡婦ユディトの、色香に惑わされ、
さんざん葡萄酒を飲んで、
ぐっすり眠り込んでいたために、
ベトリアであっさり首を掻かれた
軍最高司令官のホロフェルネスだあ。

旧約聖書の「ユディト記」に出てくるこの題材は、
カラヴァジョやクラナッハなど多くの画家が、
競うようにして描いたけれど、
クリムトのように「殺す女」と「殺される男」の性的法悦を、
ふたつながらに描いた人は、いなかった。

茫洋、茫洋、また茫洋――
クリムトは、人物をリアルな描写ではなく、
しどけない雰囲気を、がばッと大きくつかまえて、
巧みな色遣いと、エディトリアル・デザインで、仕留める
いうならば「アトモスフェールの達人」でした。

Ⅱ イトレルの臓腑

フランツ・クサーヴァー・メッサーシュミットの*3
「究極の愚か者」という名のお調子者の彫刻を眺めていると、
なぜかクリムトの27年後に、この国に生まれ、
1907年に、一旗揚げようと、この街に出てきた、
保守的で、下手くそな絵描きのことが、思い出されてならぬ。

「なにくそクリムト! くたばれエゴン・シーレ!」なぞと呟きながら、
今をときめくウィーン分離派を、見返えす思いで、
欧州のみならず、全世界を震憾させる独裁者に成り上がった
暗い男のどす黒い情念を、
会場のどこかで、あなたも感じるのでは、ないだろうか。

華麗なる芸術の街ウィーンの陰画こそ、
独裁者イトレルの臓腑なのである。*4

Ⅲ シューベルトの眼鏡

六本木「新国立美術館」の「ウィーン・モダン」展では、意外なものと出会った。
作曲家フランツ・ペーター・シューベルトの眼鏡である。*5
銀で出来たそれは、とても小ぶりで、
親しみやすいけれど繊細な彼の音楽に、とてもよく似合っている。

眼鏡の左に掲げられている彼の肖像画と
(これはよくレコードやCDのジャケットデザインでお目にかかった)
かの有名な「シューベルティアーデ」で演奏し終わった瞬間の夜会の絵でも、
同じ眼鏡が、彼の顔に乗っかってる。

解説文によると、シューベルトは、
朝起きたらすぐに作曲できるように、
夜寝ている間も、この眼鏡を掛けていたそうです。

「これが僕の最期だ!」とうめきながら、
たった31歳の若さで、シュバちゃんがこの世に別れを告げた時にも、
この愛らしい眼鏡が、
仰向けの童顔に、ちょこなんと、乗っかっていたにちがいない。

Ⅳ アルノルト・シェーンベルクの絵

アルノルト・シェーンベルクが、*6
油絵を描いていたとは、知らなんだ。

アルバン・ベルクを描いたものは、わざとのように下半身を簡略に描いているが*7
その音楽と同様、只ならぬ神経質な容貌は、しっかりと捉えられている。

驚いたのは、「グスタフ・マーラーの葬儀」の絵であった。*8
画家自身をはじめ、数少ない参列者によって取り囲まれた、
お椀を伏せたような、小さなお墓のなかで、
葬られたばかりのマーラーは、
まるでコクーンに内蔵された宇宙人のように、
生暖かい橙色の光を、周囲に放散している。

「偉大な音楽家は、永遠に生きている!」
先輩に逝かれたシェーンベルクは、そう言いたかったのでしょう。

Ⅴ エゴン・シーレvsフィンセント・ファン・ゴッホ

エゴン・シーレは、ゴッホに対抗してた。*9&10

シーレの、あの「ひまわり」を見よ!
命の限りを燃やしつくした、ゴッホの黄色いひまわりに、
「それがなんだ。それがどうした。」
と突きつけた、死んだひまわり。
死んだあとでも、冷ややかに美しい、黒いひまわり。

シーレのあの「寝室」を見よ!
生命力の輝きをみせる、ゴッホの黄色いベッドに対して、
「ノイレングバッハの画家の部屋」のベッドは、真っ黒の黒。
死に祝祭された、漆黒のベッドで、
エゴン・シーレは、今も眠っている。


1)上野と六本木の2つの展覧会
「グスタフ・クリムト展―ウィーンと日本1900」東京都美術館2019年7月10日  まで
「ウィーン・モダン展―クリムト、シーレ世紀末への道」国立新美美術館2019年8月5日まで

2)Gustav Klimt 1862年7月14日 - 1918年2月6日
3)Franz Xaver Messerschmidt 1736年 - 1783年
4)Adolf Hitler 1889年4月20日 - 1945年4月30日
5)Franz Peter Schubert 1797年1月31日 - 1828年11月19日
6)シューベルトの友人やファンに囲まれて開催された音楽の集い
7)Alban Maria Johannes Berg 1885年2月9日 - 1935年12月24日
8)Gustav Mahler 1860年7月7日 - 1911年5月18日
9)Egon Schiele [ˈeːɡɔn ˈʃiːlə] 1890年6月12日 - 1918年10月31日
10)Vincent Willem van Gogh 1853年3月30日 - 1890年7月29日
シーレは1890年6月12日に生まれたが、ゴッホはそれを見届けるかのように同年7月29日に亡くなった。

 名と年と住所が言えない「心失者」は殺すべきだと説く植松容疑者 蝶人
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加藤典洋著「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ」を巡って 

2019-05-29 14:58:26 | Weblog


照る日曇る日第1261回



1)「正義感」と「いい加減な気分」の共存と対立
・京浜安保共闘と赤軍派
・尊王攘夷の「変態力」(現実(内戦&敗北)との関係で尊王攘夷が 尊王開国へ)
・水戸藩と薩長(前者では現実との関係性が生じなかった)
・皇道派と統制派

2)現実との接触、生甲斐の喪失、空虚、自他への絶望、自暴自棄、自己投棄、自己否定、闘争の渦中での社会転覆、主体性確立、正義への希求、世界認識の試み

3)論理的な整合性のいかがわしさと論理的な不整合性の正しさ

4)「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」(井伏鱒二「黒い雨」)

5)護憲論の現在
・政治的無関心と無力感の蔓延
・骨抜きされた憲法9条
2014年集団自衛権行使容認閣議決定と15年安保関連法制定で個別的自衛権による専守防衛が崩壊、自衛隊の海外派遣、有事に日米軍を米軍が指揮、対米従属の完徹。皇室を利用した令和日米軍事同盟の強化。

6)日本独立の展望は日米安保条約の解消

7)国連の警察軍創設による国際的集団安全保障体制の確立、すべての国における戦争放棄、戦力の不保持、交戦権否定(9条の全世界化)、日米安保の解消

8)自衛隊を国連軍に再編、在日米軍基地撤去、跡地に袁NYの国連本部を移転(都留重人案)


    散策の途中でカラオケ屋に入り13曲を唄う歌人 蝶人

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柴田泉著「鎌倉の西洋館」を読んで 

2019-05-28 15:01:59 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語412回&照る日曇る日第1260回


昭和モダン建築をめぐる」てふ副題のある平凡社のコロナブックスずら。

鎌倉山の「旧松本蒸治邸」、雪ノ下の「旧川喜多長政・かしこ別邸」、長谷の「旧前田侯爵別邸」、「加賀谷邸」、「旧諸戸清六別邸」、扇ガ谷の「旧荘清次郎別荘」、「旧中村光夫邸」、「旧田丸節郎邸」、浄明寺の「旧華頂宮邸」、由比ガ浜の「旧篠田太郎邸」の10の名建築が写真付きで紹介されている。

こないだ見物したばかりの長谷の「加賀谷邸」(ひところ山口瞳が住んでいた)と「旧諸戸清六別邸」(長谷こども会館)が同じ建築家の作物で、かつて両者は長大な渡り廊下で繋がっていたという話は初耳だった。

私がまだ見たことがないのは、「旧松本蒸治邸」、「旧中村光夫邸」、「旧田丸節郎邸」、「旧篠田太郎邸」の4つ。扇ガ谷に中村光夫の旧邸がありし日のままに保存されていることは最近知っったが、今度散歩がてら訪ねてみよう。

昨夜は和泉橋で5匹、光触寺橋で1匹、太刀洗で1匹のヘイケボタルを見かけたが、
扇ガ谷では、住民がゲンジボタルの幼虫をカワニナと共に育てているそうなので、夕方から歩きだすのもいいかもしれないな。

  ゴルフして大相撲見せて飯喰わせ天皇に会わせて戦闘機買う 蝶人

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土方久功作・絵「ぶたぶたくんのおかいもの」を読んで 

2019-05-27 12:50:58 | Weblog


照る日曇る日第1260回



ブタの子を主人公にしたこと、しかもその名前を「ぶたぶたくん」にしたことがヒットにつながったと思うが、こどもがお母さんに頼まれて初めての買い物に出かける時の不安と、それがうまく行った時のよろこびが巧みに表現されている。

最後にぶたぶたくんのミニ冒険旅行の全行程が地図で示されることによって、各シーンの振り返りがなされるのもこころ憎いなあ。うちのコウ君のお気に入りの1冊です。


  令和とか連休とかも遠ざかり普通の火曜日今日から始まる 蝶人
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ジャン・ド・ブリュノフ作・やがわすみこ訳「ぞうのババール」を読んで 

2019-05-26 12:54:57 | Weblog


照る日曇る日第1259回


大きな森の国で生まれた小さなゾウのババール。楽しく暮らしていた楽園で、お母さんが悪い人間に鉄砲で撃たれて突如運命が暗転します。

しかし物語のはじまりはここから。追われ追われたババールは、森を逃れて人間たちが住んでいる街に出て、素敵なおばあさんに助けられ、どんどんナイスなシティリボーイになっていくのです。

第1作の本書では、ババールがセレストと結婚して、なんとゾウ王国の大様になり、新婚旅行に出かけるところで終わりますが、そこからいろいろな物語が繰り広げられていくのでした。


   起これ起これ思いがけない番狂わせ大相撲でも参院選でも 蝶人
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島田雅彦著「人類最年長」を読んで 

2019-05-25 11:36:10 | Weblog



照る日曇る日第1259回

文久2(1861)年に横浜で生まれ、ご一新を経て明治、大正、昭和、平成を生き抜いて159歳になった男の最長不倒年代記なり。

精霊が息を吹き込んだ人類最年長の人物を標本にしながら、この国の紆余曲折、どこまで続く泥濘ぞ、の忸怩たる歩みを振り返るが、まあ作者も書きながら、前途亡羊どころかお先真っ暗だね、という気持ちになってきたのではなかろうか。

「この国は長い冬の時代に入ったが、決して滅びることはない。神楽(この小説の主人公)が生き、その恥ずべき過去の記憶を保持し続ける限り、この国は滅びない」と、作者が力めば力むほど、その逆への道がググッと開けてくるようだ。


    スマホなど右手に持ちて運転す命知らずの無法者たち 蝶人
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高村薫著「土の記下」を読んで 

2019-05-24 19:57:06 | Weblog


照る日曇る日第1258回


下巻になっても相変わらず奈良の田舎の農業生活の日常が縷々書き連ねられる主人公は、脳溢血になるが一命を取り留めてなおも生き続け、その間死んだ妻の妹とずるずる再婚したり、亭主と孫ともどもNYからやって来た娘一家と再会したりするが、次第に認知症の兆候が現われてきて、読む者を不安にするが、はてさてこの小説いったいどうなるんかいなと、他人事ながら心配になってくるのだが、最後の最後でそれなりの着地をさせたかに見ようによっては見えなくもないが、これは作者にとっても想定以外の、ある意味では不本意きわまる終わらせ方ではなかったのかと、作家としての行く末が懸念されるエンデイングではあった。



   トランプの走狗となりてその尻をペロペロ舐める安倍蚤糞 蝶人
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半蔵門・国立劇場で「通し狂言妹背山婦女庭訓」をみて 

2019-05-23 19:59:56 | Weblog


蝶人物見遊山記第308回

非常に天気が悪かったのですが、思い切って東京まで出かけて文楽をみました。近松半二の「妹脊山婦女庭訓」の通しです。公演は大序、2段目、3段目の1部と、3段目、4段目の2部に分かれていて、朝の10時半から夜の9時まで10時間に垂んとする長時間(1日に2回も駅弁たべた!)でしたが、つつがなく大尾まで見届けることができて仕合わせでした。

この人形浄瑠璃(歌舞伎でも)のクライマックスは、もちろん第2部冒頭三段目の「妹山背山の段」で、ロミオとジュリエットのように相思相愛の久我之助と雛鳥は、両家と両党派の義理と人情の柵に板挟みとなって悲劇的な最期を遂げるのですが、この日の玉男、玉助、蓑助、和生の人形たちと千歳太夫、藤太夫、呂勢太夫、織太夫の声と三味線連は見事な三位一体となって猛烈にロケンロールし、果てしもなくグルーヴし、観客の血涙を絞りに絞ったのでした。

死して2つの首となった久我之助と雛鳥の変わり果てた姿を見ながらが、私たちの脳裏に浮かぶのは、第1部大序「小松原の段」で床几に腰掛けながら扇子の陰で接吻を交わしていた恋する2人の姿です。両家の親たちがどれほど不倶戴天の敵同士であり、あるいはその両家がどれくらい蘇我蝦夷子&入鹿父子の専制横暴に雌伏し続けてきたかも、前半第1部をみていないと理解できないでしょう。

国立劇場が松竹資本の人気取りアラカルト料理を拒否して、通し狂言フルコースにこだわっている真価が発揮された名舞台でしたが、それにしてもなんで大河小説がまだ終わってもいない「金殿の段」で幕を引いて、悪辣権力者安倍蚤糞、じゃなかった蘇我の入鹿が討たれて果てる第5段目志賀都の段を大尾に据え無い中途半端さに文句のひとつも言いたくなりました。


    生活感も存在感も消え失せてただの局アナ日テレ有働 蝶人
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初夏の蝶人映画劇場その2 

2019-05-22 20:03:18 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1996~2000

1)ロバート・Z・レナード監督の「巨星ジーグフェルド」
ショウビジネスの世界に相亘る主人公の壮烈な生き方もさることながら、作中で紹介される舞台の壮大なスペクタクルシーンが息をのむほど素晴らしい。
1936年製作の映画が、今時の下らない映画を圧倒して屹立している。

2)ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「狂気の行方」
頭のおかしい若者がトチ狂って母親を斬り殺す。
アメリカの実話に基づいているらしいが、全編に伏在する不穏感だけがもの凄い。

3)リチャード・ベンジャミン監督の「マネー・ピット」
家を建てたり、壊したり。じつに下らない映画だ。なんでこんな愚作にトム・ハンクスは出るんだ、と思ったが、まだメジャーになる前の1986年の作品なんだね。

4)ジョン・ランディス監督の「眠れぬ夜のために」
妻の不倫でますます寝られなくなった「はえ男」ジェフ・ゴールドプラムが宝石密輸犯ミシェル・ファイファーのトラブルに巻き込まれて真夜中のロスを駆けずり回る。ランディスはファイファーをうまく使っている。

5)ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「アンナ・カレニナ」
1948年に製作された英国映画でヴィヴィアン・リーが主演している。
史上最低阿呆莫迦学芸会映画の「風と共に去りぬ」と違って、リーの魅力が生かされているのはさすがに名匠デュヴィヴィエの演出。
ではあるが、トルストイの原作との決定的な違いは、登場人物の人間性が表層でしか描かれていないこと。しょせんはあらすじを映像でなぞっただけの作品ずら。

   カトリック信者同士のおばさんがいつものように井戸端会議 蝶人
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5月のクラシックCD鑑賞いろいろ 

2019-05-21 20:04:41 | Weblog


音楽千夜一夜 第429回


1)EMI盤「ブルーノ・ワルター初期録音集9枚組」
 主として1930年代にワルターがウィーンフィルやパリのコンセルトヴァトワール管などを指揮して録れたモザール、ベト、シュバ、ワグ、マラーなどの8枚とおまけの9枚目のドキュメンタリーずら。すばてモノラルだが、音は思いのほか鮮明で、晩年のワルター翁とは打って変わった青年の元気な演奏を堪能することができる。

 しかし「田園」などは後期のステレオ盤に軍配が上がるが、モザールのレクイエムとかマーラーの9番、大地の歌などの解釈は晩年と比べても、そう変わってはいないのではなかろうか。

2)伊メモリーズ盤「ブルーノ・ワルター・マーラー交響曲集5枚組」
 こちらも全部モノラルだが、イタリアのメモリーズによるデジタルリマスターで前者よりも生々しい音がする。1番、2番、4番、5番、9番、大地の歌の6曲のうち、5番と9番は前者と同じ演奏である。

3)伊メモリーズ盤「フランツ・コンヴィチュニー指揮ブルックナー交響曲選集6枚組」
頑固で一徹な職人芸のおじさんが手兵ライプチヒ・ゲヴァントハウス管やバルリン放響、ウイーン響を指揮した武骨で重厚なブルックナー。4、5、7番はステレオだが、彼が死ぬ直前にゲヴァントハウスと録れた9番が心を打つ名演。

4)独グラモフォン盤「マウリツィオ・ポリーニ協奏曲集8枚組」
モザールは12、17、19、21、23、24の3枚、ブラームスはもちろん2枚、ベートーヴェン5曲が合唱幻想曲を含めて3枚という内容で、ベームとアバドがウィーンフィルを振っている文句なしの名曲名演奏の必携の名盤である。
モザールはポリーニの弾き振りよりも、やっぱり御大ベームが指揮した19番&23番が最高だ。私は伊エルミタージュ盤のポリーニのモザールの弾き振りを昔から愛聴してきたが、天下のウィーンフィルよりも、スイスやイタリアのローカル・オーケストラを相手に楽しく奏でていたほうが、彼らしい音楽になっていたと思う。

5)ワーナー盤ワルター・ギーゼキング「ドビュッシー・ピアノ曲集5枚組」
独逸の巨匠による名曲の名演。この5枚でドビュッシーのピアノ曲が全部揃う。
しかしギーゼキングはバッハとモザールの方がもっともっと素晴らしい。

6)ワーナー盤オットー・クレンペラー指揮「宗教音楽集」8枚組
バッハのマタイ受難曲、ロ短調ミサ曲、ヘンデルの「メサイア」、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」という素敵なプログラム。私は巨匠による悠揚迫らぬ大演奏を、陋屋も潰れよという大音響で朝から晩まで聴きまくった。
ああ、クレンペラーはなんという感動的な録音を遺してくれたことよ!
クラシックの真髄、再生芸術の至宝ここにあり。
君、この8枚の超超廉価盤の宝物を聞かずして死に給うことなかれ!

 クレンペラーのグランカッサの一撃でおんぼろ我が家はゆらゆら揺れる 蝶人
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夢。あるいは「第3の人生」について 

2019-05-19 20:08:13 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.311



私が夢日記を残しはじめたのは、2013年の1月3日だから、およそ6年半近く毎日毎晩せっせせっせとメモし続けてきたことになる。

どうしてそういうバカげたようなことを始めたかというと、仏蘭西の詩人、ジェラール・ネルヴァルの「夢は第2の人生である」という言葉をどこかで聞きかじったからだ。

1日は24時間であるが、私の睡眠時間はだいたい8時間で、およそ1/3を眠って過ごしていることになる。2013年1月という記念すべき日が訪れるまでは、私はこの1/3を占める8時間は、日常の意識を喪失した、完全に無意味で無駄な時間だと思っていた。

しかしネルヴァルの言葉を聞いて、考えが変わった。人間は眠っている間、必ず夢を見ている。見ていないという人は、自分がずっと夢を見ていたことを朝になって忘れているだけである。ということが、夢日記をつけはじめて、初めて分かった。

毎日毎晩、人は夢を見ている。
美しい夢、醜い夢、恐ろしい夢、しあわせな夢、哀しい不幸な夢、奇想天外な夢、いつかも見たお馴染みの夢、とじつに多種多様な夢を、私(たち)は毎晩見ている。
そして、その夢のなかに(ネルヴァルがいうとおり)、昼間とは異なる「第2の人生」があるのだ。

そのことは、自分で夢を見る都度、目を覚まして電気をつけ、枕元のメモパッドに記入しなければ、けっして分からない。

そうやって長い間夢を体験し、それをできるだけありのままに記録し続けているうちに、私は人世は3つに分類できることに気付いた。

1つは昼間の現実の中の日常的な人生である。そしてもう一つは、ネルヴァルが説く「夢の中の第2の人生」である。

一日のおよそ2/3を占める前者には、リアルな生の実体の手ごたえがあり、現実社会を対象化している喜びと苦しみがある。
そして後者には、肉体と此岸の苦楽を遠く離れ、彼岸の彼方で、精神だけが夢見る死の世界がある。
そこは空想と変身のパラダイス。父母未生以前のアダムとイブの裸の原始生活。形而下を逸脱した抽象的、観念的な形而上の楽園ともいえるだろう。

そして私たちは、このまったく相反する2つの別世界を、毎日行き来しながら、第3の、従って真正の人生を生きている。

それは現実と夢、リアルとファンタジー、生と死、正と反を、いわば弁証法的に合体させた、それまでの平坦で平凡で単調な人生とは鋭く一線を画した、より豊かでより複雑で重層的で充実した総合的、包括的な人生だ。

あえていうならば、それは生死を超越した詩のような別乾坤。具体的にいえば、「第2の人生」が「第1の人生」をウロボロスの蛇のように呑みつくす「第3の人生」なのである。

人間の一生を「学生期」、家住期」、「林住期」「遊行期」の4期に分けるなら、私はすでに「遊行期」に突入したと思しいが、人生の最末期を支えてくれる頼もしい好伴侶こそ、他ならぬこの「第3の人生観」だと思っている。なんちゃって。

今場所は栃ノ心を応援することに決めている ぐあんばれ栃ノ心優勝するんだあ 蝶人
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講談社版「大江健三郎全小説8」を読んで 

2019-05-18 20:10:18 | Weblog


照る日曇る日第1257回


1979年に新潮社から刊行された「同時代ゲーム」と1985年12月から岩波書店の「へるめす」に連載され1986年に単行本化された「M/Tと森のフシギの物語」を1冊に収めた第8巻であるが、読んでみると分かるように話者や文体こそ異なるが基本的には同じ内容であることに驚く。

作者の分身である「妹」に対する手紙という形式で書かれた前者が、どちらかというと晦渋な語り口(小林秀雄などは2ページで抛りだしたとほざいているが、それでも文芸批評家といえるだろうか!?)だったので、もっと読みやすい平明な文体にリライトしたものが後者ということだったのかもしれない。

しかしいずれにしてもこの2作で作者が郷里の四国の山村共同体を舞台に日本、全世界、そして宇宙に向かって徒手空拳で打ち上げた天地創造の神話的物語は、旧約聖書の創世記、本邦の古事記にも比すべき壮大な虚実皮膜のフィクション、あるいはそれ以上に面白くて為になる普遍的な人類史の祖型のカタリであり、「ドン・キホーテ」や「神曲」に匹敵する「荒唐無稽、抱腹絶倒の真実の書」として読むことができるのである。

もとよりこれは一作家の大脳前頭葉の深奥に宿った、「気宇壮大な果てしなく多義的な偽史」にすぎないのであるが、しかし私たちはその中に、現代史の現在的な課題、すなわち共同体対個人、国家対民衆の本来あるべき姿について、今なお多大なる示唆を受けることができるだろう。

仮令安倍蚤糞の悪政によって日本経済と社会が壊滅的打撃を蒙ろうとも、我らにこの大江の2作、三島由紀夫の「豊饒の海」宝物があればこそ、日本文学にまだ未来はあるといえるだろう。


 「ノートルダムの鐘つき男」はどこにいる?そう思いつつ眺めた塔が 蝶人
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鎌倉文学散歩と「三島由紀夫「豊饒の海」のススメ展」のはなし 

2019-05-17 11:47:56 | Weblog


蝶人物見遊山記第306回&鎌倉ちょっと不思議な物語第411回




年3回行われている鎌倉文学館主催の文学散歩に、もうすっかりお馴染みになった学芸員の山田さんの案内で参加しました。

今回は長谷駅前から稻瀬川が海に注ぐあたりを歩いて、川端康成邸傍の甘縄神明宮、吉屋信子記念館を経て文学館に至る午前中歩きのコースです。

稻瀬川周辺では、新田義貞の鎌倉攻めの時に北条軍と激戦が交わされ、多くの武将が討ち死にしましたが、そんなことより我が家の長男がお世話になった稻瀬川保育園が健在なのは何よりでした。
すぐ近くにあった日本料理の「大海老」がだいぶ前に閉店してしまったのは残念ですが。
稻瀬川にはメダカくらいの大きさの小さな魚が群れをなして泳いでいましたが、もしかするとこれはアユの稚魚で、だんだん大きく成長しながら、また昨年のように我が家の近所の滑川に大挙して遡上してくるのかも知れません。

川端邸は、以前邸内を見物させてもらったので馴染みがありますが、そのすぐそばの瀟洒な和洋折衷の建物に山口瞳が住んで、両家は親しく交流していたとは、知らなんだ。

吉屋信子の旧居は、そのまま吉屋信子記念館になっていますが、その素晴らしい数寄屋造りの住居が、名建築家の吉田五十八の設計とは、これまた知らんかったなあ。

薔薇が満開で大賑わいの鎌倉文学館では、三島由紀夫の「豊饒の海」展を来る7月7日まで絶賛開催中ずら。

この大長編の第1作「春の雪」に出てくる松枝侯爵の別荘は、この文学館(旧前田侯爵邸別邸)の佇まいをモデルにしているからですが、達筆で記された大量の生原稿と緻密にメモされた構想ノートを眺めていると、大作家の代表作が、文字通り命がけで書かれたことが分かって感動します。

因みに三島の自決は1970年11月25日でしたが、最終巻「天人五衰」の滞空時間は1975年夏までであり、それは彼の肉体の消滅の短さをば、せめて物語の長さで補おうとする末期の祈りに似たあがきだったのではないでしょうか。なんちゃって。

作家ではなく武士として死にたいと言い放つ人物が、しかし最後まで気にかけていたのは、「暁の寺」と「天人五衰」の英語訳を、アメリカのクノップ社(同じような谷崎の願いを彼の死後裏切った実績がある)が約束通りに出版してくれるかどうかだったそうですが、惜しいことに、その切なる願いを託したドナルド・キーンへの最後の手紙(書置き)の実物は、会場には展示されていませんでした。

   悪質な移民がアメリカを棄損するその代表がトランプ一族 蝶人

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初夏の蝶人映画劇場 

2019-05-16 12:47:54 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1990~1995



1)クリストファー・マッカーリー監督の「ミッション・インポッシブル・ローグ/ネーション」をみて
シリーズ第5作だが、これまでの作品よりマシなのはトム・クルーズとレバッカ・ファーガソンの恋を大きくフューチャーしたからだろうが、そもそもIMF(国際通貨基金)という経済機関にスパイ集団なんか存在するんかいな。初耳ずら。

2)クリント・イーストウッド監督の「マジソン郡の橋」をみて
栗木京子の名歌「観覧車回れよ回れ思い出は君には一日我には一生」を地で行く激烈な恋の物語。「1生を4日で生きるのは無理だよ」と男は述壊するが、そおゆうこともままあるのである。

3)クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」
2009年の奇跡よりもその折りのサリー(←これが原題ずら)機長の咄嗟の判断の是非を厳しく問い詰める国家運輸安全委員会との息詰まる対決が見せ場になっている。さすがは東森監督だな。トム・ハンクスはなんでも出るようになったずら。

4)ダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン」
「白鳥の湖」の黒鳥に着目した脚本に拍手。白黒で善悪、陰陽のコントラストがせめぎ合うのでこれを2人のバレリーナで演じることも多いのである。
劇中で様々な事件が起こるが、結局それは初の主役抜擢に苦悩するヒロイン、ナタリー・ポートの脳内幻想だったのだあ。
 
5)スティーブン・ソダーバーグ監督の「アウト・オブ・サイト」
銀行強盗ジョージ・クルーニーと連邦捜査官ジョニファー・ロペス!?のかったるい恋愛映画。よくもこんな下らない映画を作れるもんだ。


  「素晴らしい!とてもステキだ!」トランプの幼児のごとき単純明快 蝶人
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