照る日曇る日 第1109回
ミネルヴァ書房から出ている日本評伝選の1冊ですが、年譜、後書、人名索引まで入れると580頁に垂んとする大作で、それだけに著者の熱い思い入れを感じることができます。
この本は、これまでの研究を総括し、最新学説を参照しつつ、西郷の誕生から自死までを、時系列でじっくり書き込んであるので、現在某右翼放送局でオンエア中の大河ドラマが、いかに史実を捻じ曲げた、面白狙いの超出鱈目番組かよーく分かって勉強になります。
慶喜がセゴドンに切腹を命じたり、それに怒った西郷が慶喜の股間にドスを刺して恫喝するなんちゅう先週の漫画的演出を、どうして磯田某を始め、ぬなんと3名もいる考証担当者がダメ出ししなかったのか不可解ずら。まあその他も不可解だらけですが。
それはともかく、西郷は太鼓をドンと叩けばドドンと大きく返す(海舟&龍馬説)という、まるでジャイアンかジャイアント馬場のように、巨大で、偉大で、どんなときにも悠揚迫らぬ大人物かと思っていましたが、これを読むとセゴドンは、よくいえば繊細、悪く言えば神経質で、ほとんど小心者というべき性格だったんですね。
また、いかなる時にも清濁併せ呑んだ「敬天愛人」の大人格者かと思っていたら、さにあらず、好き嫌いが激しく、一度嫌な奴だと思うとずーーとそう決めつけるようなキャラだったと知って、ちょっと安心しました。
本書の白眉は、西南戦争における西郷の敗死が一大チョンボであったことを縷々論証していくくだりで、彼が若き日にときおり見せた戦略と戦術の甘さが、彼自身にとっても想定外の大敗北と非業の死をもたらした経緯を鮮やかに描破しています。
血気に逸る私学校の若者たちに担がれた、「戦大好き人間」の西郷は、徒に命を彼らに預け、噴火山上で自爆するつもりなど、さらさらなかったのです。
明治10年現在の明治政府の支持率と評判は、現在の安倍蚤糞同様地に落ちており、旧士族以外にも西郷待望論は根強いものがありましたから、大久保の西郷暗殺指示疑惑を「尋問」するなどという「私憤」ではなく、「維新政府の不義不正を討つ」という大義を高く掲げ、例えば陸路大集団ではなく海路少数精鋭上京などの戦術を巡らせば、著者が暗示するごとく、西郷軍勝利の可能性はかなりあったと申せましょう。
ところが西郷は、ひとたび自分が立てば、全国から反政府の不平分子が武装蜂起し、熊本城など戦わずして開城するのではないかという、とんでもない幻想と誇大妄想にとりつかれて、現場指揮さえ部下任せにして顧みなかったのですから、大久保政府の近代的装備と堅実で迅速かつ的確な反撃に太刀打ちできるわけがありません。
田原坂の激戦以降は坂を転がり落ちるような一方的な負け戦になり、「晋ドン、コノヘンデヨカ」と無念の最期を遂げてしまいましたが、西郷が全盛時代のような才智をフルに回転させておれば、十分に勝ち目のある戦であったのではないかと、私は思わず切歯扼腕したことでした。
蘇れセゴドン!我ら民草の先頭に立ち安倍蚤糞を撃破せよ 蝶人