あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

なにゆえに第6回~西暦2014年水無月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-06-30 08:39:35 | Weblog



ある晴れた日に第246回


なにゆえにあなたは微笑みながら眠ってる九十四歳なのに少女の貌で

なにゆえにわが子のシリトリは続かないの頭の中が尻切れトンボだから

なにゆえにこのジャムの蓋は固いのか老人年寄りばかりの世の中なのに

なにゆえに日記に符牒をつけたるや知る人ぞ知る荷風の房事

なにゆえに別々の部屋で眠るのかかつてねんごろに睦み合いしその2人が

なにゆえにヤマカガシはおたまをむしゃむしゃ食べるそれが自然界の掟だから
 
なにゆえに集団自衛権をごり押しするこの国をいつでも戦争できる国に作り変えるため

なにゆえに君は油絵で雑巾を描く耀司が襤褸服をデザインするように

なにゆえに同じイタリアンが今日休むお向かい同士のお店なのに

なにゆえに蓮の葉っぱを好むのか君は生まれながらの仏様ゆえ

なにゆえに朝も早よからサッカーやってる烏滸の沙汰なりNHK

なにゆえに自販機から姿を消した私の大好きな真っ赤な果実のファミリーナ

なにゆえに今年の夏はまだ来ない我が家の紫陽花がまだ咲かぬから

なにゆえに神社の岩煙草を根こそぎにする公徳心なき我利我利亡者よ

なにゆえに飛車を打つ手がぶるぶる震える羽生棋士が勝利の軌跡を確信したから

なにゆえに「ごきげんようさようなら」と挨拶するのもう二度と会えないかもしれないから

なにゆえに番頭はんの前に膝を屈する丁稚ドンは小遣銭が欲しいから

なにゆえに参戦理由を探してる戦争はできないするなの掟を破って

なにゆえに江戸時代からのきざはしをコンクリに改築したのか一遍ゆかりのその古刹
なにゆえに全ての時計広告が10時10分を指している私ならおやつの3時にするのだが
 
なにゆえにFIFA World Cupが「W杯」なりや日本人にしか分からぬ不思議な日本語

なにゆえに自分の意見をいわないのか安藤優子慎太郎に君はどう思うと聞かれて

なにゆえに朝から気色が悪いのか着衣に僅かな乱れがあるゆえ 

なにゆえに部厚い顔と醜い声が幅をきかせる彼奴等が公共放送を手に入れたから
 
なにゆえに孫は不気味にほくそ笑む祖父が愛した帝国が近づく

なにゆえに朝日は右翼誌の広告を載せている誹謗中傷されてもなお

なにゆえに老残の身を焦がすのか山顛に小さき旗立てるため

なにゆえにテレーズのパンンツは汚れてるバルテュスが夢見る少女の妖しさ


なにゆえにわが児の障がいを検査する天のことは天に委ねよ 蝶人

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鎌倉文学散歩―長谷方面―に参加して

2014-06-29 10:30:52 | Weblog


茫洋物見遊山記第151回 &鎌倉ちょっと不思議な物語第317回


恒例の春の文学散歩に参加して長谷方面を歩きました。今回は高徳院の大仏様、川端康成邸のすぐ近所の甘縄神明宮、稲瀬川周辺を経て鎌倉海浜ホテル跡までの短い半日コースです。

鎌倉大仏の後ろには例の与謝野晶子の

かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

という歌の碑が立っています。実際は阿弥陀如来なのでのちに改めたそうですが、本歌のキモはその後の七七にあるので別に釈迦でもむにゃむにゃでも宜いのではないでせうか。

その近所をよく探すと、星野立子さんの

大佛の冬日は山に移りけり

という句碑もありましたが、いかにも虚子の娘らしい花鳥諷詠の一句で、お父さんの

遠山に日の当たりたる枯野かな

という有名な句に、どこか相通じる世界だと思いました。

それより興味深かったのは江の電の長谷駅から坂の下の海岸に向かう途中のボートハウスです。

ここは詩人萩原朔太郎が病気療養のために大正五年から六年にかけて滞在した海月楼の跡地で、彼の第一詩集「月に吼える」の刊行準備がなされた場所だそうです。

また同じ詩人の日夏耿之介もやはり同じ時期に病気療養のためにこの近所に住んでいたそうで、私の好きな二人の詩人が同病相哀れみつつ、この海辺で親交をむすんだのかと思うと、なかなかに感慨深いものがありました。


なにゆえに飛車を打つ手がぶるぶる震える羽生棋士が勝利の軌跡を確信したから 蝶人
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トム・ハンクス監督・主演の「アポロ13」をみて

2014-06-28 10:42:07 | Weblog


bowyow cine-archives vol.655


かのアームストロング船長のように月を歩きたいと願った宇宙飛行士が、飛行船の突発事故に出遭って、地球で待つ愛する家族の元へ無事に帰還したいとそれだけを望み、スタッフの超人的努力によって奇跡的な生還を果たすという、実話にもとづいた一大冒険物語。

他の飛行と違ってほとんど科学的な成果をもたらすことはなかったにもかかわらず、当時この「アポロ13」事件が全地球的な話題を集めたのは、まず酸素が無くなり、次いで炭酸ガスが増加する、再点火できるかどうか疑わしいという絶望的な状況を乗り越えて、衆知を結集すれば不可能が可能になるという、しばらく忘れられていた人間の知恵というものが再確認されたからではなかっただろうか。

それにしてもこの映画に限らず、死に瀕した人間の唯一最大の望みが、「愛する家族と共にあること」、などという、ふだんなら歯牙にもかけずほとんどその有り難さを顧みることすらない日常的なまことにささやかな幸福の奪還にあることは、覚えておいていいことだと思う。

それゆえに私たちが出かける時には、必ず家族に今生の思いで「いってきます」と声を掛け、「いってらっしゃい」と祈るように答えることを忘れてはならない。



なにゆえに「ごきげんようさようなら」と挨拶するのもう二度と会えないかもしれないから 蝶人
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2001年~2014年のファッション・トレンドを振り返る その10

2014-06-27 10:10:37 | Weblog


ふぁっちょん幻論 第90回


12年春夏イタリア・メンズコレ=ピッティ・ウオモ、ミラノも色押さえ、加工から「素材」へ。

12年春夏パリ・オートクチュール=はかなく、ロマンチックに。繊細に匂い立つフェミニン。シャネル、ヴァルサーチなど豪華さよりも繊細な花刺繍などの伝統技を駆使。
欧州経済危機の絵影響か。ディオールは解任したジョン・ガリアーノの後任まだ見つからず。

12年春夏NYコレ9月上旬=鮮やかに官能的に。米国らしいスポーツウエアも。マーク・ジェイコブスは前衛路線を独走。

12年春夏ロンドンコレ9月中旬=カラフルに華やかに。暴動発生で開催危ぶまれたが2年前にミラノから本拠を移したバーバリー・プローサム、おなじく英国に戻ったプリングル・オブ・スコットランドなど老舗が健闘。トム・フォードは初めてのショー形式。若手はパリへ。

12年春夏ミラノ9月下旬=大柄なアメ車や摩天楼ビルなど繁栄の20世紀を懐古。熟練の仕立てが際立つ。プラダ、グッチなど。

12年春夏パリコレ10月初旬=ロマンチックな服が主流、色素材形で現代性加える。
ルイ・ヴィトン、シャネル、コムデなど。リムフーは世界の医師に向けて放射能被害を受ける子供への救済を呼びかけ。

12年春夏東コレ10月16から22日=カラー新たに再出発。震災から立ち直ろうとするブランドメセージ。疾走感あるメンズ。初日はポールスミス。去年の2倍近い延べ四万8600人が来場。会場のミッドタウンはベンツの新車陳列。三越松屋のギンザファッションウイーク、渋谷でもモデルのきゃりーぱみゅぱみゅが動画サイトで生中継、ハチ公前ではミキオ・サカベによるモデルショウ。
 
第13回東京コレは事業仕訳で国の支援打ち切り。主催者の日本ファッション推進機構が米代理店IMGにスポンサー探しを依頼。ダイムラーが運営費六億の半額を出して冠イベントとなり「メルセデス・ベンツ・ファッションウイーク東京」として開催。
ダイムラーはイメージ戦略としてNY、ミラノ、ロンドン、ベルリン、モスクワなどパリ以外のコレに出資。有料チケット制を一部実施。

12年秋冬ミラノ・メンズ=古典、端正、紳士の色気。プラダなどカジュアルが影をひそめ端正なクラシックスーツやコート。不安が深まる時代には中身のあるジェントルマンシップ?
12年秋冬パリメンズ=「正統」に斬新さ添え。きちんとしたスーツやコートの復活。ルイ・ヴィトンなど「正統な仕立てへの回帰」。

12年秋冬NY=懐かしく可愛らしく。高級感や洗練は一休み、異なる柄や素材を重ね着して懐かしさや可愛らしさを前面に。ダサかわいいロダルテ。

12年秋冬ミラノコレ=強く女性らしく。プラダなどいにしえの王朝時代の華やかな輝きと装飾をもう一度。「ジル・サンダー」のラフ・シモンズ退任、サンダーが復帰へ。

12年秋冬パリコレ=時代の閉塞感を打破し、ファッションデザインの原点に立ち戻る強さと軽やかさ。コムデ、ドリス・ヴァン・ノッテンなど。多数の中国人バイヤーがスマートフォンで発信。

12年秋冬東コレ=ごちゃまぜの楽しさ、着こなしの洗練、重ね着のお家芸で震災ショックから立ち直ろうとするエネルギー。

12年秋冬TGC東京ガールズコレbyF1メデイア=女子のお祭り花盛り。規模拡大しエンタメ要素が強まる。14回目は2万7千人に。モデルが踊る「Canコレ」、神コレの「東京ランウェイ」も。

12年秋冬パリ・オートクチュール=さらに華麗、高級、繊細に。アジア、東欧新顧客の広告塔。ディオールの後任にラフ・シモンズ。オートの美術的価値高まる。

12年5月、世界19カ国、地域で発行されているヴォーグが、やせすぎモデル起用せず。



なにゆえに君は油絵で雑巾を描く耀司が襤褸服をデザインするように 蝶人



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「MOZART 111 MASTERWORKS」を聴いて

2014-06-26 10:09:54 | Weblog

音楽千夜一夜第331回


モーツアルトが好きな人にはお薦めの、なんと111曲55枚組CDの選集です。

生きていても正体不明の怪人アーノンクールの「フィガロの結婚」のように生命力皆無の青菜に塩の駄作もあるけれど、死んでもなお元気なベーム翁の「魔笛」、「後宮からの脱出」、アバド&ヨーロッパ室内管の「ドン・ジョバンニ」、同じアバドの「レクイエム」、バーンスタインの「荘厳ミサ」が、ヒメギフチョウ舞う春のさかりから、目に青葉初鰹の初夏へと、時の経つのを忘れさせてくれました。

殆んどすでに聴いたことのある、あるいは持っているCDの演奏ばかりでしたが、ジェームズ・レバイン&ウイーン・フィルの交響曲集と、同じ組み合わせによる「コシ・ファン・トッテ」はとっても素晴らしい。

ベーム翁の腹にズンと応える演奏とは正反対(ここで「真逆」なる醜い非日本語を使用してはならない!)の5月の薫風のように軽やかで繊細で哀しい疾走に触れることが出来るとは、さすがにジョージ・セルの愛弟子なり!

それにしてもこのぶよぶよ豚豚の好漢、どうして手抜きの演奏をしてウイーン・フィルから追放されてしまったのかと残念無念でなりませぬ。



なにゆえにテレーズのパンンツは汚れてるバルテュスが夢見る少女の妖しさ 蝶人

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「ロッタちゃんと赤いじてんしゃ」をみて~「これでも詩かよ」第90番

2014-06-25 11:08:56 | Weblog


ある晴れた日に第245回&bowyow cine-archives vol.654


ロッタちゃんは嫌味な女の子
ロッタちゃんはいじっぱりな女の子
ロッタちゃんはジコチュウな女の子
でもロッタちゃんはやっぱり可愛い女の子

ロッタちゃんは嫌味な女の子
家族やおばさんから素敵なお祝いを貰ったのに
自転車が欲しいとゴネまくる。

ロッタちゃんはいじっぱりな女の子
お兄ちゃんやおねえちゃんと同じように自転車に乗りたがる
おばさんチの大人用の自転車に乗って、薔薇の垣根にドスンと激突!

ロッタちゃんはジコチュウな女の子
家族そろって甘やかしてる
でもロッタちゃんはやっぱり可愛い女の子

でもでも可愛いロッタちゃんがおおきくなると
世の中から懲らしめられて
だんだん普通の人になるだろう

でもでもでもロッタちゃんが世の中から懲らしめられて
だんだんだんだん普通の人になったとしても
ロッタちゃんは相変わらず可愛いだろう

ロッタちゃんは相変わらず可愛いだろう


なにゆえに番頭はんの前に膝を屈する丁稚ドンは小遣銭が欲しいから 蝶人

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小嵐九八郎著「我れ、美に殉ず」を読んで

2014-06-24 08:26:40 | Weblog


照る日曇る日第714回


久隅守景、英一蝶、伊藤若冲、浦上玉堂というある意味では江戸時代を代表するの四人の画家の創作的伝記小説です。

江戸時代の社会と文化、日本美術史、そして所謂奇想の美術家について広く深く研究した成果の上に、それぞれの画家にいわば「なり替わって」、それぞれの数奇な運命を生き直し、創造の翼に乗って大胆かつ苦心惨憺、想像力を駆使した痕跡が筆跡も生々しくかつ荒あらしく一行毎に刻まれています。

なにがなんでも果敢な美の探究者の心の暗闇に推参してその奥儀を極めようとする著者の不滅のダイナモ!

はじめはこれぞ著者専売特許のエラン・ヴィタールと欣喜雀躍しつつ読んでいましたが、おいらの老眼は、されどページを繰るごとにその猛烈さとエグさ、野蛮さに辟易し、かつ消耗の一途をたどり、ついには「もういい加減にしてくれえ!」と叫びたくなってしまうのでした。

されど、この老いも衰えも知らぬ不倒不屈の全身情熱小説家魂こそ、良きにつけ悪しきにつけこの作家の最大の武器なのでしょう。

永遠の文学プロレタリアート万歳! 二十二世紀は君たちのモノだ。



なにゆえに老残の身を焦がすのか山顛に小さき旗立てるため 蝶人
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アリス・マンロー著「林檎の木の下で」を読んで

2014-06-23 17:28:55 | Weblog

照る日曇る日第713回


カナダのノーベル賞作家による2006年執筆の短編小説ですが、ここでは彼女の一族の歴史をモチーフに、なんと短編の輪でつながれた壮大な長編小説を試みていて、アッと驚かせてくれます。

ウオルター・スコットが生きた時代のスコットランドから筆を起こした著者は、「良いことはなにもない」寒村に生まれ育った彼女の先祖が、どういう風の吹きまわしか新大陸へ雄飛して渡海する壮大な移民の旅を、歴史映画の大作のようにいきいきと描いて感動を呼びます。

たんぽぽの種子やミジンコが大空を飛んで地球の果ての思いがけない土地で繁殖するように、彼女の先祖がアメリカを経由してカナダに根を下ろし、この天才的短編作家を生みだすにいたった「奇跡」を、史実に想像を交えた他ならぬ彼女自身の筆で書き下ろすのです。

 私たちは、著者が「まえがき」の中で述べているように、一方では歴史的事実、他方ではフィクションという2つの流れがお互いに接近し、「ひとつの水路」に滔々と流れ込む驚異と魅惑の光景に立ちあうことができるでしょう。

なお余談ながら本書の原題は、この本のもっとも優れた箇所であると私が考える「キャッスル・ロックからの眺め」になっているのに、邦題は「林檎の木の下で」とされているのはなぜでしょう?

ゴールズワージーの有名な「林檎の木」にあやかろうとしたのかもしれませんが、もしどうあってもそうしたいのなら、これも原題どおりに「林檎の木の下に横たわって」とするべきではないでしょうか。


なにゆえにFIFA World Cupが「W杯」なるか日本人にしか分からぬ不思議な日本語 蝶人
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ジャン=ジャック・アノー監督の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」をみて

2014-06-22 09:43:02 | Weblog


bowyow cine-archives vol.653


最近どんどん耄碌してきて、これはてっきりベルトリッチの映画ではないか、それにしては劇伴音楽がないなあと思って見物していたのだが、別の監督の作品だった。

しかしもう少し眺めていたいヒマラヤ山脈の絶景をわずか数秒でカットしてしまう贅沢さはなかなかの思い切りで、おそらく莫大な製作費がかかったことだろう。

原作はかのアイガーを初登頂したオーストリアの登山家らしい。国の威信を賭けて争うオリンピックやw杯のごとき登山映画かと思って眺めていたら、後半は彼が若きダライ・ラマの付き人となって、さながら父親のような役割を果たす思いがけない展開となる。

そして最後は「悪辣非道な中華帝国」が、平和な小国チベットを蹂躙する、という血なまぐさい国際政治の世界に突入するのであるが、原作者とダライ・ラマが現在もなお親しい友人であるというクレジットを読んで、どこかほっとした気持ちになるのは私だけではあるまい。

主人公のブラビの演技も、後半だんだん快調となり、彼が息子との絆を回復して共にヒマラヤの高峰を征服する場面はやはり感動的である。



なにゆえに同じイタリアンが今日休むお向かい同士のお店なのに 蝶人



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トム・フーバー監督の「英国王のスピーチ」をみて

2014-06-21 09:26:23 | Weblog


bowyow cine-archives vol.652


吃音に悩むジョージ6世(コリン・ファース)とその治療に挑んで勲章をもらったオーストラリア人(ジェフリー・ラッシュ)との交情の物語です。

他の医者は吃音を外部から物理的にアプローチして治そうとして失敗するのですが、その濠人は吃音の真因が幼時からの父親との精神的な軋轢にあると見抜き、全人格的な関わりの中で溶解させようと腐心するのです。

なんとかかんとか吃音障がいを克服してヒトラーへの宣戦布告を告げるジョージ6世の演説の背後に鳴っているのは、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章で、これはジャック・ドゥミ監督の「ローラ」でもつかわれていましたが、「ローラ」のほうが映像と物語にうまくフィットしていたようです。

本作ではベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の第2楽章も使われていますが、この曲がもっとも効果的に鳴らされたのはピーター・ウィアー監督の「ピクニック・アット・ハンギングロック」でして、私は彼がてがけた他のどんな有名作品よりも、この拙い処女作を愛しておるのです。


なにゆえに微笑みながら叔母永眠る九十四にして少女の貌で 蝶人

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佐倉の雨~「これでも詩かよ」第89番

2014-06-20 10:47:10 | Weblog


ある晴れた日に第244回


雪子さんから、父方の叔母が亡くなったと知らされたので、
千葉県の佐倉というところまで、お通夜に行きました。

その日は、一日中雨でした。
佐倉へ行くのは初めてです。

佐倉の駅前は無人でした。
この世から忘れられたような、とても静かな街でした。

94歳で亡くなった叔母は、あどけない少女のような顔をしていました。
かすかにほほえんでいました。

はんにゃはらみた ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
天台宗の若いお坊さんが、お経を唱えてくれました。

彼は「お通夜は故人を生き返らせる祈りをするためのものでもある」といいました。
しかし私は、その祈りはしませんでした。

叔母は「わたしもうあっちのほうへ行きたいの」と呟いていたそうです。
その願いどおりに、彼女はあちらの世界へ行きました。

あちらには、彼女の両親も兄弟もいるでしょう。
そのなかには、私の父もいるのです。

はんにゃはらみた ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
天台宗のお坊さんが、お経を唱えています。

読経の間に、叔母さんと父の声が聞こえました。
「けえから出かけますよ」「はよきんさい」と、倉敷の言葉で話していました。

ああ、懐かしい人は、どんどんあちらへ移ってゆく。
もうしばらくしたら、私もそちらへ参ります。

はんにゃはらみた ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
天台宗のお坊さんが、お経を唱えています。

はんにゃはらみた ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
私もみんなと一緒にお経を唱えました。


なにゆえに朝日は右翼誌の広告を載せている誹謗中傷されてもなお 蝶人
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2001年~2014年のファッション・トレンドを振り返る その9

2014-06-19 11:04:00 | Weblog


ふぁっちょん幻論 第90回

11春夏ミラノ・メンズ6月中旬=着易さと洗練の両立。強いデザインや色柄少ない。硬いドレスアップでもゆるい着崩しでもない新しい着こなしの提案。

11春夏パリ・メンズ6月下旬=着易さにも明確なテーマ。作品より着られる服。ディオールオムbyクリス。ヴァン・アッシュ。コムデは頭蓋骨の柄がテーマ。再開ヨウジ・ヤマモトは「反米」のドレスアップに挑戦。

11春夏ミラノ¬=10年9月下旬開催、グッチ、プラダなどオレンジと紫と緑、強烈な色、自由に楽しく。

11春夏パリ=自然で上品。すごみや刺激。デイオール、シャネル、サンローランなどあふれる明るい色使い。

11春夏パリ・オートクチュール=日常×華麗×アートの3つの矢が共演。

11春夏NY=オバマ不況を吹き飛ばし夢よ再び。ベテラン若手活気づく。トム・フォードのレディス登場。

東コレは10年から経産省援助打ち切りに対応して米外資IMG(NY、ミラノ、ロンドンコレ、タイガーウッズ、パーマー、シャラポア、浅田真央)と提携、5年間IMGがスポンサー探しを担当。

11春夏東コレ=10月中旬40ブランド。ヨシオ・クボなど脱草食系、男らしさ回帰。レディスはアンリレイジなどアートとしての表現を重視。ポップからエレガンスへ。モード雑誌不在。
日本ファッションウイーク推進機構が主催し経産省が後援するプロジェクト新人デザイナー登竜門「第3回シンマイ」に11カ国27組応募者からヤストシ・エズミなど3名。

11年秋冬ミラノコレ=優雅な色調、スタイルで高揚感。グッチ、プラダの明るい色使い、きらめく服で不安に対抗。

11年秋冬パリ・オートクチュールコレ7月中旬=繊細さと大胆さ。ジョルジオ・アルマーニなど震災日本への弔意も。

11年秋冬パリコレ=凛とハンサムウーマン。シャネル、コムデなど明るく輝く60年代の希望を夢見て前進。ディオールがジョン・ガリアーノを人種差別発言で解雇。

11年秋冬パリ・メンズコレ1月下旬=伝統に多彩なスパイス。ルイ・ヴィトン、ランバンなど。

11年秋冬NYコレ2月上旬=素材の冒険、懐かしのチエック。トム・ブラウン、アレキサンダー・ワンなど。フラバル・グルン、オーネ・チテル、アルチュザラなど若手が実験服。


なにゆえに孫は不気味にほくそ笑む祖父が愛した帝国が近づく 蝶人
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夢は第2の人生である 第16回

2014-06-18 10:16:01 | Weblog


西暦2014年弥生蝶人酔生夢死幾百夜


引越しをした。現地につくと段ボールから出された荷物が全部家の前に並んでいる。驚いた。机も椅子も本もピアノもお皿もまるでその空き地が居住空間であるかのように配列されているので、パソコンに向かって日記を書いていると、雨が降って来た。3/30

島崎藤村の身内の何回忌だというので、その生地を訪れた私だったが、そこは山奥の薄が茫々としげる草原の真ん中の一軒屋で、まわりには誰も住んでいなかった。平屋の八畳間には大きなテーブルだけがどかんと置かれていた。3/29

黒光りがする頑丈な古材のテーブルには、私の右に見事な白髪の島崎藤村、まん前には壮年の森鴎外、左にはまだ若さが残る夏目漱石が座っていたが、彼らの顔は逆光でよく見えない。藤村の手には子供の作文か悪戯描きのような紙片があった。3/29

「君は何駅で降りたのかい」と尋ねると、鷗外が「某駅だ」と答えた。それぞれ違う駅からここへ来たらしい。すると藤村が、「なるほど漱石君は一つ先の駅を降りてまず墓参りをしてからここへやって来たというわけだ。そういうコースがあるとは私も思いつかなかったとな」といって愉快そうに笑うのだった。3/29

その町の寄り合い所には、意見を異にして敵対する2つのグループ全員が、手に手に武器を携えて結集していた。はじめのうちは荒あらしい言葉の応酬だったが、誰かが誰かを殴ったのを皮切りに、たちまち白刃がきらめき、弾丸が飛び交う阿鼻叫喚の巷と化した。3/29

集英社やマガジンハウスの編集者が集まって、なにやら懸命に企画案をプレゼンしているのだが、おびに短したすきに長し、で行き詰った私たちは、テーブルを離れて午後のコーヒーを飲みにいった。3/26

後楽園ホールで開催される「ばちかぶり」の雲古ライヴに行こうと彼女と一緒に水道橋の改札口を出ようとしたら、三角形の頂点にあたる場所に黒メガネをかけたチンピラが立ちはだかって通せんぼうをするので、一発でノシてやった。3/25

西武グループの御曹司のはずなのに、テレビや週刊誌でしか知らない立派な顔をした堤一族が勢ぞろいした大会議の中で、私は蒼ざめた顔付きで黙り込んでいるしかなかった。3/24

大震災のために横倒しになった路線バスが、公園の中に倒れ込んでいたので、カルテットのメンバーである私たち4人は、その内部の狭い空間を活用して、練習したりミニコンサートを開いたりしているのだった。3/23

地下鉄に乗ろうと下降していくと、道はまるで大蛇の巣穴のようにどんどん大きくなり、また丸くなって地下へ地下へと降りてゆく。不安に駆られた私は携帯を掛けたが通じず、仕方なくほぼ垂直に落ち込む真っ暗な道を落ちていった。3/22

ある会社に飛び込み営業を掛けて、出てきた若い女性社員の下着を脱がせて、その場でなにをしようとしていたら、アメリカ人のおっさんが「スミマセンガ」と道を聞くので、彼女とつがったまま廊下に出て「あっちだよ」と教えると「サンキュウ」といって立ち去った。3/22

医学生の私は、男性の死者たちのペニスを解剖して、そこに刻まれている彼らの末期の言葉、すなわち「金言」を書きとめ、遺族に教えると共に私の博士論文の糧としていた。3/22

私は歌舞伎のチケットを買いに来たのだが、大きなビルヂングのどのフロアに売り場があるのか分からず、エレベーターが止まるたびに外へ出ようとするのだが、すぐに扉が閉まってしまい、結局買うことが出来なかった。3/21

善行を施す度にその人の評価は高まり、彼が住んでいる石川島を見下ろす超高層マンションの彼の住処は上へ上へとあがってゆき、とうとう最上階のペントハウスに到達したのだが、今では避雷針の直下の小屋に住んでいる。3/21

敵鑑からの集中砲火を浴びて30数発の砲弾に見舞われながらも、私が搭乗している戦艦は無数の損傷を蒙りつつも奇跡的に運行に支障はなく、毎時20ノットで疾走しているのだった。3/20

ファシストたちが罪なき市民をほうりこんでいる収容所の中で、私は普段の習慣を改めることができず、取締官の目を盗んで、夜な夜なぐうたら日記をパソコンにアップしているのだった。3/20

小中高大学と何も勉強らしいことをしないで卒業し、会社に入っても同じような状態で呆然と過ごしていたが、そこを追い出されてからは少し勉強を始めたけれども、それがとんでもなく遅すぎたのだった。3/19

自殺未遂の青年に、少年の私が「どうして死のうと思ったの?」と尋ねたら「いずれ君にも分かるさ」と答えたが、まもなく死んでしまった。やがて私が彼と同じ年になった時、私も自殺してしまったのだが、その時になって初めて彼の言葉の意味が分かった。3/18

午後6時ごろになってようやく電気が来たので、店の照明を調整したり、電気仕掛けのPOPを動かしたり、BGMを掛けたりすることが出来るようになった。3/17

肝心の商品がよくないうえに販売網に破綻が生じているというのに、宣伝広告を強化すればこの危機を突破できると説くM部長の頑固な能天気を嫌って、私たちは全員で休暇を取ってピクニックに行った。3/16

震災による停電がようやく回復してきたので、それまで天井を向いていたショップの照明の向きを変えて真下にしたら、売り場の雰囲気が明るく楽しいものへと一変した。3/15

夜遅くまで残業をしていて腹が減った。中野坂上の駅前広場のようなところの店でなにが出来ると聞いたら、カレーライスとランチの炒め直ししかダメだというので屋台のラーメンを探すことにした。3/14

大名行列の先頭を歩いていた侍が、突然大刀を抜きはなって、後続の武士たちを斬りつけながら、中央の駕籠に向かって殺到してくる姿が目に入った。3/13

今日明日のオケの演奏曲目が、ハイドンとモザールの後期交響曲をそれぞれ3曲だというのに、指揮者は現れず、なんのリハーサルもないので、私たちはだんだん不安に駆られてきた。3/12

その若い女性は英国大使館の窓口担当だったが、彼女が黙って右側の席に座ると、左の席から窓の外に出てくる英国国旗が、まるで音声付のロボットのように、英国の観光案内を始めるのだった。3/11

朝日新聞の歌壇に自作の短歌が掲載されているかどうかを確かめようと、作品を書き込んだパネルを持った私は、往来を通行する人々に見境なしに尋ねたのだが、みんな怯えた表情で逃げ出すのだった。3/10

去年は17歳、今年は同じイタリア人だが20歳の女性と弧島でひと夏を過ごすことになった私だが、他にすることもないので朝から晩まで幾たび性交に及んでもついにそれを最後まで貫くことができないのだった。3/9

東京ドームでファッションショーがあり、イケダノブオと一緒に見物していると、隣の席の男が「ちょっとやってみませんか」と言ってリトマス試験紙のようなものを持ってきて私の胸に張ると、「あなたガンですね」と宣告したので、愕然とした。3/7

なんでもさる引取り屋が息子を引き取ってくれることになったので、準備万端を整えて業者が来るのを待っている間に、彼は何杯も何杯もカレーライスをお代わりするのだった。3/6

鈴木、杉本の2人のリーダーに導かれた我らのチームは、勝抜きゲームに勝利した。なんでも御馳走してやるというので今では貴重品となったウナギのかば焼きに舌鼓をうっていると、いつのまにか奇麗どころが膝の上に乗っているのだった。3/5

次から次へと山海珍味が目の前に並んだが、私の胃腸は最新のハイテク技術でこんとろーるされていたので、どんどん退治していった。3/4

中学校の中川という女性音楽教師の下宿に招かれた国語教師の私は、彼女がショパンの小犬のワルツを弾いている背後から抱き締めて、その張り切ったお椀形の両の乳房をゆるゆると揉みしだいた。3/3

雪は次第に解けはじめていたが、まだ人間ピラミッドは確固とした形態を維持していたので、私はその一角に潜り込んで次の大震災に備えることにした。3/2

私は貧しくてお金がないので、さる富豪の家の前の道路の下にある地下室に住まわせてもらっていたが、そこは日の光こそ差さないが、広くて静かで、なかなか快適な環境だった。3/1


なにゆえに蓮の葉っぱを好むのか君は生まれながらの仏様ゆえ 蝶人
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「ジャクリーヌ・デュプレEMI全集」を聴いて

2014-06-17 10:52:25 | Weblog


音楽千夜一夜第330回


哀れ大資本のワーナーに吸収された、いまはなき名門EMIから発売された17枚組CDです。

デュプレのチェロは生命力に満ち、鳴るべきところを隆々と鳴らす思いっ切りの良さで、どこかピアノのアルゲリッチを思わせるところがあります。

しかし彼女の生涯の不幸はダニエイル・バレンボイムという浮気男に惚れてしまったことで、改宗までしてこんな不実なユダヤ教徒に嫁入りせずに、彼女を愛していたスチィーヴン・コヴァセヴィチと一緒になっていたら、彼女のあの不幸な後半生にもいくばくかの光明と救いがあったのかもしれません。

この全集の演奏のピアニストの大半はバレンボイムとのものですが、そんな思いで聴くスチィーヴンとのデュオによるベートーヴェンの3番と5番のソナタの味は、まことに甘く切ないものがあります。



なにゆえに全ての時計広告が10時10分を指している私ならおやつの3時にするのだが 蝶人
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ダニー・ボイル監督の「スラムドッグ$ミリオネアー」をみて

2014-06-16 08:32:20 | Weblog


bowyow cine-archives vol.651


インドのボンベイ、いまはムンバイというそうだが、の貧民窟に生まれ育った少年が、ひょんなことからテレビのクイズ番組に出場して巨額の懸賞金を勝ち取るがそれが正当な実力ではなくインチキだとする疑いで警察に連行される。

そして拷問からはじまる過酷な取り調べをつうじて、少年の秘められた暗い過去がだんだん明るみに出されてゆくというシナリオは大変結構だが、どうも演出がドンクサクてかったるくてどうしようもない。

こういう貧困は貧困であり、映画は映画なのだ。

社会的不正を高所大所から語り下ろす手口は昔からよくあるが、この映画のように語り口が下手くそだと、まるで漫画のようになってしまうし、実際ラストは漫画そのものである。

こんな作品がどうしてアカデミー賞をもらったのか、理解に苦しむ。



なにゆえにヤマカガシはおたまをむしゃむしゃ食べるそれが自然界の掟だから 蝶人
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