あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2008年茫洋神無月歌日記

2008-10-29 21:38:00 | Weblog


♪ある晴れた日に 第45回


小学生の女の子が
降りしきる雨の中を
らあらあと大声で歌いながら
遠ざかって行った

雌に食われし
蟷螂の雄
やれ嬉しや
やれ悲しや

戦艦長門の
停泊したる
軍港にて聴けり
シエラザード

嫋々と
艶なる歌を歌うなり
ミストレス独奏の
シエラザード第3楽章

上野国権田村にて
薩長の田舎侍に斬られたり
気骨ある武士
小栗上野介

健常者も
障碍者も年寄りも
自己責任で生きていけという
倒れずに歩いていかねば

漆黒の
闇に住みける深海魚
いや増す闇に
人知れず消ゆ

五年前の
アリバイ求められて
たじろぐわれは
小市民かな

このぶんでは
村上春樹ももらうだろう
08年秋の
ノーベル賞大バーゲン

薄の
白く輝く穂先に
美を認めぬか
人よ

ピチャピチャと
真夜中に水など飲んでいた
我が家の
ムクを思い出すかな

幸せは
わが枕辺に妻子居て
安けき寝息を
耳にするとき

帝国と
己を癒着させ
強き日本を
呼号する人

強き日本!
明るき日本!
と獅子吠せり
国権病に罹りし男

世界人民に
ただ一言の謝罪なし
金融危機を
招きし強国

己が泥沼に
世界人民を
道連れにしたり
かの米帝は

歯医者への途次
道端に斃れし獣一匹
さも
余の死骸に似たり

授業せねばならん
本読まねばならん
あほ原稿書かにゃならん
病院いかにゃならん
いったいどうせえちゅんじゃ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車谷長吉著「四国八十八ヵ所感情巡礼」を読む

2008-10-28 20:32:12 | Weblog


照る日曇る日第182回

車谷長吉氏が伴侶の順子さんと同行二人で出かけた、はじめは読んで面白く、ときおり笑ってしまって、最後は悲しくなってしまう一大お遍路日記である。夫婦二人だけの句会が泣かせる。

車谷長吉はエグイ人だ。どんくさい人だ。毎日なんども野糞を垂れている。

強迫神経症の薬を飲むと便秘になるのであわせて下剤を飲むから、朝宿屋でうんこをたんとしておいてもしておいても突然うんこが出てくると書いているが、少年時代から突然ウンチが出たとも書いているので、やはり六〇年以上人目をはばからことなくうんこをしていたに違いない。

一日五回もうんこをしたと書いている日もあった。全編これ雲古だらけの日記なり。素晴らしい。

車谷長吉は、正直な人だ。志賀直哉と武者小路実篤の現代における真の後継者である。
四国を順子さんとお遍路しながらたった一回だけ「お乳とお尻をなでなでした」と書いてある。書くほうも書くほうだが、書かれるほうはたまったもんじゃないだろうが、どうしても書いてしまう。書かざるをえない性なのだ。

徳島県はゴミだらけという文句も、車で遍路する奴は地獄落ちという託宣もよってくだんの如しで、普通の人なら筆を控えそうなことに限って彼は覚悟の上で書いてしまう。
並みの私小説作家とはそこが違う。周りを傷つけながら自分も全身血だらけになっている。肉を斬らせて骨を斬るってやつだ。下手に近づくとヤバイぞ。


「人間ほど不幸な生き物はない。他の生物は将来自分が死ぬことを知らない。だから鶯はあれほど美しい声で鳴けるのだ。私は作家などになってしまったが、もう二度と人間には生まれて来たくはない」

同感です。


だっていつだってあえるじゃないといいながら死んでしまった 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

網野善彦著作集第16巻「日本社会の歴史」を読む

2008-10-26 20:23:29 | Weblog


照る日曇る日第180回

本書は「日本社会の歴史」という題名になっているが、「日本国の歴史」の本ではない。「日本」とは期間限定の国制であるから、西暦7世紀後半というはじめと終りがあることを私たちは著者によってはじめて知らされた。

日本が日本になったのは、天武天皇の死後大后持統が689年に施行した浄御原令にはじめて日本という国号が登場してからのことであり、それまでこの国は倭国などと呼ばれ名乗っていた。
だからそもそも「縄文時代の日本」などという表現自体が意味をなさないことを私たちは改めて確認しなければなるまい。アイヌや琉球王国に居住するまつろわぬ異民族を、ヤマト民族が主導する他民族国家日本が強引に併呑したのはつい昨日のことだった。

また著者は本書を通じて日本という社会の歴史を、農本主義と重商主義という2つの基軸の対立と相克の歩みとして大きくつかみとろうとしている。古代律令国家は「農は天下の本」という儒教の農本主義にもとづく政策をとっていたが、鎌倉時代の中期以降、農業よりも商工業や海民ネットワークを重視する重商主義的な政策が台頭し、激しい闘争を開始した。

陸の源氏と海の平家の対立などは比較的わかりやすいほうだが、鎌倉時代に有力御家人の安達泰盛を抹殺した御内人平綱頼や悪党とつるんだ後醍醐天皇や足利尊氏の執事高師直が重商主義者で尊氏の弟直義が農本主義派であったという分類は意表をつく。

そして開明的な重商主義者、織田信長の挫折ののちに最終的に日本国を農本主義路線に定着させたのは太閤秀吉であったが、その後徳川政権になったあとも盤石の体制に落ち着いたとはいえず、折にふれて田沼意次などの重商主義者があらわれて反体制的改革が繰り返されたのであった。


♪小学生の女の子が降りしきる雨の中をらあらあと大声で歌いながら遠ざかって行った 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒澤明の「天国と地獄」を視聴する

2008-10-25 14:15:08 | Weblog


照る日曇る日第180回

「悪い奴ほどよく眠る」の3年後、黒澤はまたしても悪の問題を取り上げた。「天国と地獄」である。

丘の上の天国には、成功した資産家がたのしげに暮しており、日の当たらないその麓では、貧民たちの地獄が横たわっている。日常をあくせくと生きるだけの庶民の中には、豊かな富を持つ資産家に強い憧れを懐くと同時に、激しい嫉妬を覚える者もいる。

「ちくしょう、あいつらだけがどうしてあんなに安気にやっているんだ。おらっちは豚のように生きるしかすべがないのに」
隣の芝生は輝くばかりの緑に見える。その住人の心の輝きは芝生の色とは無関係であるにもかかわらず。

けれども、自他の貧富の差という一面的な物差しを、自他の存在価値すべてにまで拡大して解釈するという妄想にとらえられ、あまつさえその天秤の均衡を自分に優位な水準にまで実力で奪還しようする衝動につき動かされる人たちは、いまもむかしも雨後の筍のごとく繁殖している。

どうしても幸福になれないと知った者は、幸福な者をねたむだけでは我慢できず、自分と同じ不幸の仲間に引きずり降ろしてともに泥沼に這いずりまわることをこいねがう。この映画の誘拐犯人もそういう種類の人物なのだろう。悪知恵を巡らせ、悩み多き三船取締役をたいそう苦しめるが、もっと知恵のある正義の人たちが大活躍して、「やはり正義は悪に勝たないわけにはいかない」てなところを黒澤流に見せつける。前作の「悪い奴ほどよく眠る」の落とし前をつけた格好になっている。

そんな具合でこの犯罪の輪郭は頭の中では理解できる。また、かっこいい山崎努犯人がシューベルトの鱒の旋律とともに登場するシーンや、疾走する新幹線、鎌倉の腰越港、江ノ電鎌倉高校付近、横浜黄金町の魔窟などのロケシーンも迫力があるし、全編白黒なのにたった1か所だけのカラー場面、そして鮮烈な光と影の対比などなど、見どころは数多いし第1級のサスペンスドラマであることも否定できない。

大詰めのドン・ジョバンニの地獄落ちを思わせる三船山崎対決シーンも大迫力だ。にもかかわらず、この長い大捕物を見終わったあとも、いったどうしてこの憎悪に満ちた白哲のインターン青年が少年を誘拐し、3000万を強奪せずにはいられなかったのかはてんでわからない。犯行動機の必然性がまるで描かれていないからである。黒澤観念論映画にありがちな欠陥だろう。



♪頭から雌に食らわる幸せかな 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」を見て

2008-10-24 11:41:28 | Weblog


照る日曇る日第179回


江戸時代の法律の適用は厳格なものだったが、仇討ちを是認するおおらかさもあった。公的権力による裁判と処刑に依存せず、決闘、私闘による最終決着を許すヒュウマニズム的な領分を残していたのである。

得体のしれない裁判官やはやりの裁判員どもによってではなく、憎っくき親の敵を当事者である個人が追い求め、存分に討ち果たすことができたなら、子は大いに満足するだろう。自己責任で返り討ちのリスクを受け入れつつも、私たちは罪に対する罰を自主的に定めることができるのだから。故なく妻子を虐殺された父親が、国家権力の意向を無視して生まれて初めて武器を取って極悪非道の犯人に復讐する権利を、いったい誰が禁ずる事ができようか。

と、ついついあらぬところに話が逸れたが、悪人に対してどこまで酷薄になり、限りなく憎悪の炎を燃やし続け、どこまで復讐できるかというのが、この映画のテーマではないかと思ったのである。

食慾にせよ性欲にせよ物欲にせよ所有慾にせよあらゆる欲望にはその生理的、人間生物個体的限界があって、その境界線や容量を超えてさらに追求することは物理的に不可能になる、と私は考えているのだが、黒沢はどうか。

悪人どもの悪巧みによって父を自殺に追い込まれた三船は、周到な計画と準備をこらして正義の戦いを遂行し、敵の本拠に乗り込んで巨悪の陰謀をあばき、いよいよ徹底的な復讐を始めようとするのだが、幸か不幸か張本人の娘への愛が仇となって未然に挫折し、悲惨な最期を遂げることになる。

正義の志士は斃れ、悪人どもはやっぱり生き残る。悪い奴ほどよく眠る、というわけなのだが、もし香川京子との愛情に目が眩まなければ、三船敏郎は行くところまでいったんだろうか? 日本資本主義の中枢部を爆砕し、権力悪の根源を根絶やしにし、畏れながら黒沢天皇の返す刀で象徴天皇制の偽りの玉座を転覆したてまつったのだろうか? 

娯楽映画の範疇を勝手にはみ出して、想像を逞しうしたいところである。

♪芝栗をひとつ拾いし夕べかな 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉国宝館で「鎌倉の精華」展を見る

2008-10-23 11:05:48 | Weblog


照る日曇る日第178回&鎌倉ちょっと不思議な物語145回


私がいっとう好きな美術館が、神奈川県立近代美術館鎌倉と「ここ」です。八幡様の境内のなかの木立ちのなかにひっそりとたたずむ校倉造の小さな建物。いつ行っても人影がまばらで心ゆくまで仏像や掛け軸と対面できるのです。
 
その鎌倉国宝館鎌倉国宝館が、今日は珍しくなにやらおめかしして国宝10件、重文65件の絢爛豪華な品ぞろえでお出迎え。開館80周年を記念して、開設当時のコレクションがずらりと並んでいました。

八幡様が所有する漆塗りの弓矢も国宝なんですってね。見た目は瀟洒ですが、さきっちょの矢じりは当然鋭い金属製で、こいつを那須の与一が射れば百発百中で武者どもを射殺したに違いありません。当時は精巧無比な殺人兵器だった。

♪京の五条の糸屋の娘
姉が十六、妹が十四
諸国大名は弓矢で殺すが
糸屋の娘は目で殺す

という私の大好きな頼山陽先生特製の都々逸を思い出しました。


丈六の大仏というのもよく出てきますが、その現物がいきなり出てきたのには驚いた。迫力があります。これと同じ大きさのやつが私の家の近くの光触寺の本堂に安置してありますが、これはもとは実朝が建てた大慈寺の本尊でした。真黒だけどよくも戦火に耐えたものです。

あとは頼朝が奥州平泉を模倣して建てた二階堂の永福寺の向かいの山頂に埋められていた経筒。中には水晶の数珠とお経が入っていた。それを山の中に入って発掘したのは市の文化財担当の若い女性でした。きっと政子の霊が彼女をこの場所に連れて行ったのでしょう。奇跡の大発見としかいえません。見終えて明るい戸外に出るとちょうど結婚式の花嫁さんが若宮に向かうところでした。いい御日和でなによりです。

♪うらうらとひかりのどけきあきのあさぶんきんしまだのはなよめうつむく ぼうよう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県立近代美術館鎌倉で「岡村桂三郎展」を見る

2008-10-22 09:21:03 | Weblog


照る日曇る日第177回&鎌倉ちょっと不思議な物語144回

 重い木材を衝立のように並べ、その表面を岩絵具で塗りたくり、よく見ると象や魚や鳥や獅子や怪獣やらをおどろおどろしく描いたものが警備のガイド嬢のほかは無人の会場に次々現れるので驚いてしまった。これでは彼女たちは恐怖と不安のあまり発狂してしまうのではないだろうか。

日本画家と聞いていたが、これはむしろ巨大壁画であり岩窟画のかたまりだ。かのラスコーの洞窟に描かれたおそろしく原初的な動物の姿に似ていなくもない。しかしラスコーの絵の軽妙さは微塵もない。重厚長大、前途茫洋、暗黒無類な図像がただ延々と続くのである。ああ、外は気持ちのよい秋晴れだというのに、ここは地獄の何丁目だろう。私はダンテの煉獄編やマーラーの「大地の歌」を思い出した。

生も暗く、死もまた暗い。

しかし闇を透かして魂の暗黒を象徴するようなこの図像、異様な存在感を溶出するこれらの物体を前にしていると、われらの生にも、われらの世界の前途にもなんの希望も懐けはしないけれど、その絶望を見据えることによるある種の安らぎと覚悟のごときものが空虚な胸のうちに生まれてくるような気がしたのだった。

なお2階の第1展示室の突き当りにある「獅子08-1」が、日経新聞が認定する本年の日本画の最高作に選ばれたそうだ。


♪雄獅子咆哮すれば雌獅子瞑想す 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「BAROQUE  MASTERPIECES」を聴く

2008-10-21 14:25:12 | Weblog

♪音楽千夜一夜第49回

これまでおよそ1か月にわたってちびちび舐めるように聴き続けてきたソニーBGMグループより限定発売の「BAROQUE MASTERPIECES全60枚」が昨夜でようとう終ってしまった。

最後に残った61枚目は曲目リストで、バッハからヴィヴァルディ、ブクステフーデ、コレルリ、クープラン、ヘンデル、リュリ、シャルパンチエ、ペルゴレージ、パーセル、ラモー、スカルラティ、シュッツ、テレマン、パッヘルベルなどの代表的な作品の数々が、プチットバンドやレオンハルトや、クイケンやマルゴワールや、ムジカケルンやあら懐かしやコレギウム・アウレウムなどの多種多彩な演奏で収録されていたことをはじめて知った。なにせタワーレコードで締めて5800円、1枚当たり97円という超お買い得の廉価盤。しかも演奏がみな優れている。これを買わずになにを買うというのだ。クラッシックファンなら絶対に後悔しないだろう。


全部を聴き終えた今改めて振り返って思うのは、バッハの偉大さとヘンデルの単調な饒舌の剛毅さ、パーセルのやっぱりなつまらなさ、ヴィヴァルディの底知れぬ才能の深さを思い知らされた。また単品アラカルトで忘れ難いのは、当たり前とは言えレオンハルト指揮のバッハ「ブランデンブルグ協奏曲全」と「ゴルトベルグ変奏曲」。チエンバロによる独奏だが、ある意味ではグールドよりもすごいのではないかと思ったりしたことでした。


♪上野国権田村にて薩長の田舎侍に斬られたり気骨ある武士小栗上野介 茫洋



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横須賀交響楽団の「シエラザード」を聴く

2008-10-20 17:35:18 | Weblog


♪音楽千夜一夜第48回

落ち目の米帝原子力空母によってしかと鎮護されている軍港横須賀を訪ね、まるでカーネギーホールを思わせる素晴らしい音響を誇る「よこすか芸術劇場」にて、はじめて横須賀交響楽団の演奏を聴きました。

最初のチャイコフスキーの「スラブ行進曲」では金管楽器に多少の乱れが生じたり、指揮者のまるでブラバン乗りの単調な演奏方法に少しとまどいましたが、次の「くるみ割り人形」の組曲では、安定した弦のベースに乗ったフルートの素敵な独奏も飛び出し、各パートが徐々に実力を発揮しはじめ、休憩後のメーンの「シエラザード」にいたって、このオーケストラの真面目が炸裂しました。

リムスキー・コルサコフの大傑作であるこの管弦楽曲は、イスラム的なロマンチシズムとスラブ的な哀愁、独創的で忘れ難いメロディと様々な楽器によって次々に繰り広げられる多彩なソロ演奏がとても魅力ですが、私はある時はミストレスによるヴァイオリンが、またある時はオーボエが、ホルンが、ハープが、コントラバスが、トライアングルが、そしてシンバルのとどめの強打が、一針ごとに千夜一夜の幻想的で華麗な音のタピストリーをあでやかに織り上げていくありさまを、人影も少ない5階席のてっぺんで、まざまざとこの目で見ながら堪能することができました。

これを音楽の饗宴といわずになんと呼べばいいのでしょうか。ああ、素晴らしきかなコルサコフ! 素晴らしきかな横須賀交響楽団! そしてくたばれ何回聞いても感動無きルーチン小澤と最初の一音で眠くなるダルなN響!

これだからアマチュア・ローカルオケ通いはやめられません。

♪嫋々と艶なる歌を歌うなりミストレス独奏のシエラザード第3楽章 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「グールドの思い出」by朝比奈隆 その3

2008-10-19 10:22:02 | Weblog


♪音楽千夜一夜第47回

正しく8分休止のあと、スタインウエイが軽やかに鳴り、次のトゥッティまで12小節の短いソロ楽句が、樋を伝う水のようにさらりと流れた。

それはまことに息をのむような瞬間であった。思わず座り直したヴァイオリンもあれば、オーボエのトマシーニ教授は2番奏者と鋭い視線をかわした。長大な、時には冗長であるとさえいわれる第1楽章が、カデンツアをも含めて、張りつめた絹糸のように、しかし羽毛のように軽やかに走る。フォルテも強くは響かない。しかし弱奏も強奏も、ことにこの楽章に多い左右の16分音符の走句が、完全に形の揃った真珠の糸が無限に手繰られるように、繊細に、明瞭に、しかも微妙なニュアンスの変化をもって走り、流れた。

それは時間の静止した一瞬のようでもあった。二つの強奏主和音が響くのと、すさまじい「イタリアのブラウォ」の叫びとは殆んど同時だった。彼は困ったような笑いをかくして「手がつめたくてどうも」とまたオーバーの内へ両手を差し込むのだった。

その夜の演奏会の聴衆も、翌朝の各新聞の批評も、驚嘆と賞賛をかくそうとはしなかった。私にとっても、オーケストラにとっても、快い緊張と、音楽的満足の三〇分だった。その前後、今日までに欧州各地で協演したチエルカスキー、フォルデスまたはニキタ・マガロフのような高名な大ピアニストたちとはまったく異質の、別の世界に住むこの若い独奏者の印象は、私にとってもまことに強烈だった。 
 終

♪すさまじきイタリアのブラウォ鳴り響くグールド刻む真珠の音に 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝比奈隆氏の「グールドの思い出」より引用

2008-10-18 10:25:26 | Weblog


♪音楽千夜一夜第45回

私の敬愛するミク友である「ぽんぽこ」さんが、吉田秀和氏やグレン・グールドについて書かれていたので、はしなくも思い出したことがある。

それは偉大なる指揮者朝比奈隆氏が1974年にグールドの「ヴェートーヴェン・ピアノ協奏曲全集」の4枚組LPのために書かれたライナーノートである。幸か不幸か話の種が尽きかかっていたところなので、これから数日間はこの稀代の名文にお付き合いいただきましょう。作文のお手本になりまする。版権は朝比奈氏のご遺族と当時のCBSソニーにあるのだろうが無許可転載を許されよ。


今から15年以上も前、ベルリンのフィルハーモニー演奏会に現れたカナダ生まれのピアニスト、グレン・グールドは、たちまち楽界の注目を集めた。彼の演奏にはいささかも名手的華麗さはなく、豪壮なダイナミズムもなかった。レパートリーは小さい範囲に限られ、バッハ、スカルラッティ、モーツアルトからヴェ-トーヴェンの初期まで。しかしこの青白いひ弱な青年の奏でるピアノの異常な魅力は、滲み通るように人々の心を捉えた。

私が初めて彼を知ったのは、その頃1958年11月、ローマのサンタチェチリア・オーケストラの定期演奏だった。彼が希望した曲目は、ヴェートーヴェンの第2協奏曲だった。この変ロ長調の協奏曲は、通常オーケストラの音楽家にとっても、指揮者にとっても、また独奏者自身にとっても、色々な意味であまり好まれる作品とはいえない。即ち、他の4つの協奏曲に見られる壮大さもなく、技巧的な聞かせどころというようなものもない。オーケストラの総譜は比較的平板で、効果的ともいえない。しかも演奏そのものは決して容易ではないからである。

果たしてサンタチェチリアの楽員たちも、なぜ他のものを選ばなかったかとか、弦の人数をもっと減らそうかと、あまり気乗りのしない態度は明らかだった。しかも、協奏曲のために予定されていた前日の午後の練習の定刻になっても、独奏者のグールドは一向に姿を見せない。気の短いイタリア人気質で、どうしたとか、電話をかけてみろとか、騒然としているところへ、事務局から体の加減が悪いので今日は出かけられないとマネージャーのカムス夫人から電話があったと連絡してきた。

私はただちに練習を中止、翌朝の総練習の初めに通し稽古だけをすることに決定、音楽家たちは損をしたような得をしたような表情で、肩をすくめながら帰っていった。



♪最初の一音でそれとわかるピアニストそれは紅蓮グールド 茫洋




「グールドの思い出」by朝比奈隆 その2

♪音楽千夜一夜第46回


さて翌11月19日、イタリアの空は青く澄み、ローマの秋は明るい日差しの中に快く暖かい。午前10時、聖天使城の舞台にはピアノが据えられ、配置の楽員が席につき、私は指揮台に上がって、オーケストラの立礼を受けたが、独奏者の姿は見えない。

ソリストを見なかったかと尋ねても誰もが知らないという。いささか中腹になって来た私は、「ミスター、グールド」と大きな声で呼んでみた。すると「イエス・サー」と小さな声がして、コントラバスの間から厚いオーバーの上から毛糸のマフラーをぐるぐる巻きにした、青白い顔をした小柄な青年が出てきた。

オーケストラに軽いざわめきが起こる。その青年はゆっくり弱々しい微笑を浮かべながら、一言「グールド」といって、右手を差し出した。「お早よう、気分はいいですか」と答えて振ったその手は、幼い少女のそれのようにほっそりとしなやかで、濡れたようにつめたかった。

その手を引きもせず、昨日は一日中ほとんど食事もとれなかったし、夜も眠れなかった。寒くて仕方がないから、オーバーを着たまま弾くことを許してもらいたい、ゴムの湯たんぽを2つも持って来たがまだ寒いなどと、つぶやくような小声である。

上衣を脱いでシャツの袖まであげている者も居るオーケストラと顔を見合わせつつ練習は始められた。私は意識して少し早めのテンポをとって提示部のアレグロを進めた。名にし負うサンタチェチリアの弦が快く響く。見ると彼はオーバーの襟を立て、背をまるくしてポケットに両手を差し込んで深くうつむいたままである。

一抹不安の視線が集中する。やがてオーケストラは結尾のフォルティッシモに入り、力強く変ロの和音で終止した。(続く)


♪ラシャを着たる猫背の男手を延べてスタインウエイをいまかき鳴らす 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中原昌也著「中原昌也作業日誌2004-2007」を読む

2008-10-16 15:31:58 | Weblog


照る日曇る日第176回

昔は純文学と大衆文学の区別だとか芥川賞と直木賞とではどちらがえらいかとか徹夜で議論したものだが、最近はそのどちらも大幅な平価切り下げが断行されて、我々一般大衆から見れば、いまや八百屋のキャベツかジャガイモ程度の値打ちしかない代物になり下がった。

文学や芸術の一般的な価値は、時代とともに長期にわたって低落しているのではないだろうか。ひところは大江健三郎や古井由吉などが日本文学界の最高峰で、ずっと麓のほうで「さようなら、ギャングたち」などと訳のわからないことを叫んでいる高橋源一郎などが三流のポップ鼻たれ小僧などと呼ばれたものだが、いまやこれまた異端児だった島田雅彦などとともに文壇の主流を形成するようになったのだから、これも一種の成り上がりであろう。

それからさらに20年が経って、文学界のカジュアル化とポップ化は一段と急速に進行し、文学租界トライアングルの最下層には、広範な不可触選民によるライトノベルや携帯小説が喋喋ともてはやされるようになった。このような文学のガジェット化の最先端を疾走する現代文学の旗手こそは中原昌也である。

そこには鴎外、漱石、龍之介流の輝かしき帝国古典文学の薫り高きコンテンツはほんのひとかけらもありはしない。味噌も糞もすべてがいっしょくたに吐き出されて、まるで醜悪な塵芥のようにそこにドサリと投げ出されている。 

2004年6月28日
起きたらもう2時過ぎで驚く。
今日は新潮クラブから退出する日。タクシーで文春へ移動。誰か知り合い、死なないかなーと思いながら、ヨダレが口からダラリと落ちる。何もかも、どうでもいい。どいつもこいつも首でもつって死んじまえ。

同年7月8日
いきなり朝から理由もなく、いやな気分に。どうしようもなく生きるのが辛いが、自殺する気などまったくないのがまた辛い。もうどうにもならない。本当に悲惨なのは、無駄に生き続けることだと悟る。

自分の大嫌いな文筆業から逃げたいのに、それが許されず、吐き気をこらえて不眠症とたたかいながら懸命に書いても、それがはした金にしかならず、いつも金欠病で水道も電気もガスも止められてしまう。しかもそのはした金をタワーレコードやHMVでのCDやDVD買いであっという間に蕩尽してしまう。こういう自分にも世の中にも絶望した自堕落な感慨が延々とつづられていくのである。

自分自身でまるで地獄の生活だと告白しているから、多少は同情するが、世の中にはもっと苦しんでいる人もいるだろうに、著者にはそこいらがあまり見えていないようだ。

以前読んだ著者の「KKKベストセラー」も恐ろしく無内容で支離滅裂な内容、文体だったが、本書もまるでゴミ溜めと糞溜めと痰壺をひっくり返したような記述が満載されている。くそったれ、これのいったいどこが文学なんだ。お前なんかくたばってしまえ。と怒鳴りながらこの本を投げつけようとしたとき、判然と私の脳裏に閃くものがあった。

そうか、この無内容な己を尻の毛羽まであますところなくさらし続ける史上最低の文学根性こそが、いまや現代文学の極北なんだ。ガジェットこそがぶんがくなんだあ!

糞っ。


♪君の尻の毛羽と僕の尻の毛羽 どっちが汚いか見せっこしませう 茫洋


◎この秋のおすすめ展覧会→佐々木健「SCORE」
会場Gallery Countach 会期08年10月18日~11月15日
http://gallery-countach.com/contents/exhibition/exhibition_frame.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チン・シウトン監督「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を見る

2008-10-15 09:37:27 | Weblog


照る日曇る日第175回

中国の怪奇小説集「聊斎志異」を原作とする幻想的な幽霊映画である。青年が死んだはずの美しい女性の幽霊に恋をしたり、幽霊の大王と戦ったりする荒唐無稽なホラームービーであるが、洋の東西を問わず数多くの幽霊映画が製作されるのは、私たちが幽霊の存在を前向きに受け入れているからに違いない。

しかし幽霊なんて本当に実在するのだろうか?

昔から「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とかいうて、幽霊現象の大半はそれこそ「非科学的なもの」なのであろう。しかし青山某だの美輪某だのはいざ知らず、私が信頼してやまないある家族などは、「あ、いま誰かが肩の後ろのほうに来ている」などと突然つぶやいたりするので、その誰かが誰であるかはともかく、一種の霊的存在が存在している可能性もおおいにあるのだろう。

我が国の天台本覚思想では「山川草木悉皆成仏」などと唱えて、森羅万象のすべてに仏性が宿ると考えた。漱石の「仏性は白き桔梗にこそあらめ」もこの境地を俳句にしたものだろう。私たちの周囲には祖霊をはじめ無数の霊が取り巻き、私たちはこれらの死者や動植物鉱物少なくとも私はそのことを頭から否定しようとは思わない。

というのも、もしもこの世とあの世からいっさいの精霊が根絶されたならば、私たちの宇宙はどれほど寂しく無味乾燥なものになることだろう。賢明で良識のある人たちが心の底でひそかに信じているように、おそらく霊魂や神は実在しないのだろう。しかし心弱き私たちは、彼らの非在に耐えられない。そこでかつてヴォルテールがいみじくもいうたように、「もしも神がこの世に存在しなかったならば、我々はそれを新たに創り出したに違いない」のである。

健常者も障碍者も年寄りも自己責任で生きていけという倒れずに歩いていかねば 茫洋



◎この秋のおすすめ展覧会→佐々木健「SCORE」
会場Gallery Countach 会期08年10月18日~11月15日
http://gallery-countach.com/contents/exhibition/exhibition_frame.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角田光代著「三月の招待状」を読んで

2008-10-14 13:38:04 | Weblog


照る日曇る日第174回

誰にしても学生時代の交友関係は、相当あとを引くようだ。

その当時の仲間と時を経ながらも浅く、深く付き合い、時に憎み合い、たまさか愛し合い、稀に結婚したり、時折は別れたりもする。そうして終生貴重な友情を保ちながら、歳月とともに変貌を遂げ、次第に老いてゆく一種の共同性もあるのだ。

この本で著者が執拗に描いているのも、そのような青春の紐帯としての学生仲間の相関関係である。

そこには当然亭主にも自分にも飽き足らなくなった主婦や、売れなくなったコラム作家や将来を期待されながら輝きを失って陋巷に沈湎するかつての天才小説家などが登場してそぞろ身につまされる仕掛けだが、そうした一人一人の登場人物の苦悩を、著者は愛情を持って掬いあげ、丁寧に叙述している。

離婚式から始まって結婚式で終わる構成もしゃれているが、私には全編を覆い尽くす暗いトーンと行き場のない不安、そして読む者を真綿で締めるような重苦しさが気になった。途中で何度も読むのをやめようと思ったほどだが、著者と同世代の上空のいたるところに広がっている薄墨色の憂鬱と絶望が、もしかすると次代の希望の糧なのであろうか。

♪暗黒の闇に住みける深海魚いや増す闇に人知れず消ゆ 茫洋


◎この秋のおすすめ展覧会→佐々木健 「SCORE」
会場Gallery Countach/ 会期08年10月18日~11月15日
http://gallery-countach.com/contents/exhibition/exhibition_frame.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿事

2008-10-13 13:25:37 | Weblog
椿事

♪バガテルop71

先日突然刑事がやってきた。若い体育会系の男性なので、大嫌いな読売新聞の勧誘員かと思ってドアを閉めようとすると、K県警の警察手帳と名刺を出したので、仕方なく玄関口に入れた。

聞けば振り込め詐欺の捜査をしているという。話せば長くなるので簡単にすると、犯行が行われたATMの近所の交差点に監視カメラが取り付けてあり、いまから5年前!の某月月某日撮影のそのビデオに、私の名義になっている自動車(とナンバー)が映っていたという。それで尋ね訪ねて私の家を探り当てたというのである。

そして、「つきましては、まことに失礼ですが、その日あなたはもしやこの辺を走行されていませんでしたか?」と尋ねるのである。つまり彼は間接的な証拠を元に、私に振込み詐欺の犯人の嫌疑をかけたというわけだ。

やがて肝心の免許証を持って運転しているのが私ではなくわたしの細君であることを知るに及んで、刑事の追及は私から妻に転じた。仕方なく私と違って超多忙の細君と連絡を取ると、彼女も大いに驚いていたが、「昔から手帳に日記をつけているので、その日の記述を調べてみたら」という。さっそく取り出してぺージを繰ると幸いにも当日近隣のお寺に墓参りに行った」と書いてあったので、これを彼につきつけると大いに納得して「大変失礼を致しました」と引き揚げていった。

ようやくにしていわれなき振り込め詐欺犯の濡れ衣を払拭できたわけだが、世の中には日記をつけている人間などそう多くはないだろうし、あったとしてもこうも都合よく身の証を立てる記録をメモしている人間などいないだろう。今回は幸い貴重な証拠?があったからよかったものの、なければ彼奴はどういう態度に出たのかと思うと不穏な胸騒ぎがした。

さらに気になったのは、彼らの捜査方法のきわめて迂遠にして胡乱なことである。今頃になって5年前のビデオ記録を基にしてきわめて確率の低い聞き込み捜査を行っている。こんなことでは到底犯人など捕まらないのではないだろうか。映っていた数十台の車のうち1/3くらいの所在を突き止めたとか言っていたが、まことに前途遼遠、隔靴掻痒の感は否めない。

かてて加えて最近は捜査員のレベルが三国連太郎を追う伴淳三郎よりも劣化したと仄聞する。しかもこの種の犯行は連日のように多発している。もとより限られた捜査員を駆使して優先順位をつけ、もっとも効率のよい捜査体制を敷いているのだろうが、これでは世田谷一家惨殺事件など迷宮入りになるのもむべなるかなと思わずにはいられなかった。


♪五年前のアリバイ求められてたじろぐわれは小市民かな 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする