西暦2019年睦月蝶人酔生夢死幾百夜
8時頃に8人前の武器が届くことになっていたが、10時になっても届かないので、私は洞窟から出ていった男の武器を身につけて、完全武装してから彼奴を殺しに出かけた。1/2
彼は自分が見た夢を、抽象絵画に仕上げようと悪戦苦闘していたのだが、いっこうに完成しないし、暮らしに窮するようになってきたので、とりあえずいま流行のリアルな絵を描いて、急場を凌ごうとしていた。1/3
そのオールドタイプの元革命家は、1920年代のロシアの文学書の復刻を目指して悪戦苦闘していたが、反動的政治家たちの妨害に遭って宿願を果たせず、とうとうこの世を去った。1/4
寝た切りの夫を支えるために、彼女はクリル語を習得して、クリルの代表的作家の全集の翻訳を開始した。その作家は、内容は空疎なのだが、やたら細部の描写に凝るので、ページ数が膨大になり、賃労働の効率がよいのである。1/4
ゆっくり寝ようとしていたら、突如A子がベッドに潜り込んできたので、これ幸いと抱きしめたら、B子が飛び込んでいたので、驚いて飛び起きると、C子が傍に立っていたので、私は泡を食って逃げ出した。1/5
「あの子は、ちょと変だ」と思うと、即座にケイサツにチクッって牢屋に入れてしまう「チョット変だ法」が、与党の強行採決で国会を通過したので、私らはその子を、庭に掘ったシェルターに隠した。1/6
ところがやっぱり「隠すよりあらわるるはなし」で、隠し子は、お隣のヒグチさんにばれてしまい、通報されたその子は、警察にしょっ引かれて、強制収容キャンプに入れられることになってしまった。
良く晴れた冬の朝、セイ・ハシモト画伯と一緒に、その子を駅前まで見送りに行ったら、その子は駅前広場をよろよろ歩きながら、時折くず折れたりしていたが、やがて自力で立ち上がると、「ぼくオオヤさん、大好きですお!」と叫んだ。1/6
どういう風の吹きまわしか、私は北朝鮮の幹部になってしまったが、大首領に拝謁する日に着ていく服がないので、もしや、と思って床下を探すと、スーツの代わりに生みたての卵があった。1/7
五条か六条か七条か、京都駅の近くのいつもの建物の中で、ケン君と女の子を連れた私は、飯を食おうとして料理屋を探しているうちに、2人を見失い、必死になってあちこち駆けづり回っているのだが、イシカワサユリ似の女将が、なぜか私の邪魔立てをするのだ。1/8
2006年にスポーツ庁を退いた私は、やたらと尿が近くなってしまったので、尿漏れ吸い取り特別製パンツを、それこそ、肌身離さず身につけていた。1/9
「ハロピン8地点で、ヒラヤマ部隊の全員が姿を消した」という速報が舞い込んできたので、私ら捜索隊は、ただちに出発した。1/10
シガ君は、私が弥仙山で捕まえた巨大なオオヒカゲ亜種の標本を、「しばらく貸してくれや」と頼むので、しぶしぶ了承したのだが、その写真付きのレポートを、権威ある昆虫雑誌に自分の名前で発表しておきながら、私には知らん顔をしていた。1/11
我々は、ベテイーちゃんにえらい世話になって、あまりにも嬉しかったものだから、「日米軍事同盟は、円滑に機能しとりまっさ」などと、と大げさな謝辞を述べたて、やがて彼女は、単身オートバイに跨って走り去っていったのが、誰一人そのベテイーちゃんの正体を知らなかった。1/11
風の噂では、西本町の遊び仲間だったノブイッチャンは、日仏両国でレストランのシェフをやりながら、オーケストラのメンバーとしても活躍している、というので驚いた。1/11
英文科を卒業していた私は、社長のお供でNYに行ったが、ブロードウエイでみた「バックツウザフュウチャア」のあらすじを説明できず、ケネデイ空港の9つのターミナルのどこで乗り換えるのかも分からず、乗り遅れたので、即リストラされてしまった。1/12
灼熱の砂漠の不毛の地で、残虐と奇計の限りを尽くして私は王冠を勝ち得たが、その代わりに、「愛と人間性」という言葉が意味するすべてを失った。1/12
大切な使命を果たすために、長い長い旅に出た私は、そんな私にどこまでも付いてくる、見知らぬ犬を、心を鬼にして山の中で射殺した。1/13
アサダマオ似の娘と知り合いになった私は、彼女の家に入り浸りになったが、そこでアサダマイ似の姉と知り合って夢中になってしまったので、マオから激しく嫉妬されるようになってしまった。1/14
いよいよ会社が倒産して、最後の日を迎えたので、私は営業所を巡って、知り合いに挨拶して廻ったのだが、その途中で、たびたびオオミチ君とヤマサワ君に出会った。1/15
みんなで金沢八景の花火大会に行ったんやけど、オラッチが景気づけにカニ人間に変身したら、周りの人がびっくり仰天して、みな逃げ出したあ。1/16
その頃渋谷駅からは、電車の替わりに巨大な鉄棒が、吉祥寺まで一直線に敷かれていた。その鉄棒の右側に出張っている3人乗りの横棒が、高速で前進するのだが、立ったままの我々のうちの誰かが、横棒から転落すると、おおかた命を落とすのだった。1/16
「これはかっぱえびせんではなく、はっぱえぴせんです」、とササン朝ペルシアからやってきた少女は教えてくれたのだが、そのはっぱえぴせんときたら、いくら食べても袋の中身が減らないのだった。1/17
私の牧場で働いている親友の息子のジョンが、一匹の仔馬を自分のものだと主張しているので、「これはお前のじゃない。私が市場で買った馬だ」というのだが、「これはお父さんが僕に買ってくれたポニーだ」と譲らないので、「そんならお父さんに問い合わせるぞ」というと、黙ってしまった。1/18
死んだタダさんと、千歳烏山の自宅でマージャンをしている。彼のお兄さんも、由緒ある雑誌「昴」の著作権所持者のお母さんも、一緒だ。タダさんが「ほら、通してみろ」といってイーピンを出したので、私は「ロン!」というて牌を倒した。1/18
明日2時からショウが始まる。全社員が集合する朝礼で、社長に集合時間を告げてほしいと頼んだが、黙っているので、仕方なく私が「あしたは12時半に全員集合!」と叫んだら、一斉にブーイングが殺到したので、なんで社長が無言だったのかが分かった。1/19
ヨシダタクロオは、4声のリチュリカーレを奔放に操る振り付けで踊り狂っていたので、私らは今日の宿舎に向かったが、なんと昔の女が傍にいたのでときめいたが、最早お互いに無言のままで海を見下ろすと、赤白の紋様の巨大な肺魚が泳いでいた。1/20
奇麗な海の底には、その他にも数多くの魚たちが泳いでいたので、ヒロシさんたちと写真を撮りながら、鑑賞していたら、突然大きな純白のチャウチャウが、海岸から駆け上がってきて、ヒロシさんの背中に飛び乗って、ワンワン吠えたが、ただ喜んでそうしただけだった。1/20
日向に寝そべっている牛さんの写真を撮っていたら、お腹の中から、突然人間の胎児が出てきたので、非常に驚いた。1/21
里山できれいな水が湧いて出たので、これはもしかすると「聖水」ではないか?と科学者が調査に乗り出したのだが、担当者の私がその「聖水」と比較対照すべき「水道水」とをごっちゃにしてしまったので、この件は、いつしか有耶無耶になってしまった。1/22
ともかく夢の世界なので、ふわふわしてはいるが、自由そのもので、何でもやろうと思えばできそうなので、ははあ、これが無政府状態というやつか、と思うた。1/24
マガジンハウスのO氏も、朝日新聞のA氏も、リーマンをやりながら自分の会社を持っているというので、「よーし、オラッチも!」と意気込んで、会社を立ち上げたのだが、はてさてどういう仕事をしていいのか分からないのだ。1/25
「これでも詩かよ」の原稿を持ち歩いていたら、版元が経営している画廊で、他のアート作品と組み合わせて、なにやら意味ありげに陳列してくれたのだが、素直に喜べない複雑な心境のわたくし。1/27
夜中に、妻の叫び声が聞こえたので、飛び起きると、闇の中に、小人の姿が見えた。そいつは、松明だか、燈明だかを、左手で掲げながら、畳の上を、滑るようにゆっくりと、私に向って歩いてくる。1/28
私とKは偽京大生で、いつも西部講堂に出入りし、学食でランチをとっていたのだが、Kはいつのまにか文化祭の総合プロデューサー役に任じられ、それを見事に成功させて、本物の京大生たちの拍手喝采を浴びていたので、私は激しく嫉妬した。1/29
その作家は、皇居前広場を埋め尽くした人々のど真ん中に突っ立って、昨夜完成したばかりの7つの短編小説を、大きな声で朗読していた。1/30
私は、木造13階建ての集合住宅の最上階に住んでいて、各階の住人たちと仲良く暮らし、朝から晩まで、東西南北全方位の眺めを堪能していたが、風が吹く度に、部屋全体が左右に揺れるので、まるで船酔いのような状態になるのだった。1/30
トレーダーの私の同僚の女性は、夢遊病患者で、仕事中に突然意識を失ってしまうので、私は、別に誰から頼まれた訳でもないが、彼女のピンチヒッターを務めて、時には大儲けさせてやったりしていた。1/31
私は、昔から企画室のデザイナーに憧れていたのだが、ふとしたことから、MDのナガタ氏の部下の女性たちと仲良くなって、毎日のように、会社の近所の原宿のレストランでランチをするようになった。1/31
こうやっていろいろ短歌をつくってもそれがいったい何になるんや 蝶人