あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2023年神無月蝶人映画劇場その6

2023-10-31 11:12:32 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3421~25

 

1)ジュリアン・テンプル監督の「ヴィゴ」

夭折した天才的監督の短い晩年を描く1998年のドキュメンタリー風映画。

 

2)デ・シーカ監督の「ひまわり」

名匠のメガフォンとマンシーニの名曲に乗せてソフィア・ローレンとマストロヤンイが演じる1970年の戦争悲劇大ロマン。

 

3)フレデリック・ワイズマン監督の「クレイジーホース・パリ」

ドキュメンタリーの巨匠が2011年に描き尽くした狂馬の裏表。あの見せ物をこんなスタッフが苦労して作り上げているとは知らなんだ。

 

4)アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジア」

1983年に製作された世界の救済を願う大映画だが、もしタルコフスキーが生きていて今の世の中を見たら、なんとしただろう。

 

5)成瀬巳喜男監督の「銀座化粧」

芸達者な田中絹代主演の水商売物語。子持ちのマダムが花も嵐も乗り越えてけなげに生きていく1951年の佳作だが、脚本は甘い。

 

      八百万行きて帰らず神無月尽 蝶人

 

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夢は第2の人世である 第130回

2023-10-30 14:07:47 | Weblog

 

西暦2023年文月蝶人酔生夢死夢百夜

 

血の杯を呑み干して、あれほど固く兄弟の契りを交わしたにもかかわらず、俺たちの反乱は未遂に終わってしまったが、それは拷問の脅しに負けて、俺たち全員があっさり自白したからだった。7/1

 

小学館の「小学1年生」から「小学6年生」の6誌に、「よいこ」「めばえ」などを含めた幼児学年誌の全編集長が、我が家にやって来たので、とりあえず皆さんを風呂場に案内したのだが、狭いうえに、風呂椅子も洗面器も足らないので、抗議の声が殺到している。7/2

 

一晩中、全世界をうろつき回ってみたが、どこもかしこも、おらっちに適した居場所とは、到底感じられなかった。7/3

 

五反田のTOCを覗いてみたら、JCの展示会をやっていて、そこに新年度の宣伝計画表が掲示されていたので、にゃろめ、担当のおらっちに相談もせず、勝手なことをしやがって、とドタマにきたので、伊藤忠に文句を言いにやってきたところだ。7/4

 

A将軍によって完全に包囲されたB将軍の軍勢は、降伏するか全滅するかいずれかだと誰しもが思ったのだが、一夜明けると、彼らの陣営はもぬけの殻となっていたので、A将軍はあっけにとられた。7/5

 

「万事絶不調なのに、どうして「万事快調」なんて詩を書くの?」と訊ねる人がいたので、「万事絶不調だからこそ書いたんだよ」と、答えたのだが、どうも分ってもらえないようだった。7/6

 

「詩のようなものの書き反故ですが」と、いうて、どっさり半紙を送ってきたのだが、一枚一枚読み進むうちに、端倪すべからざる傑作揃いじゃなあ! と、思えて来たのだった。7/7

 

おらっちが出したお弁当箱くらいの大きさを、米粒くらいの細かい活字で埋めた、一巻物の大詩集を、一夜にして読了してしまったので、「完読賞を下さい」と迫られたので、仕方なく授与して差し上げたのだった。7/8

 

「1枚千円展」という展覧会に行ってきた。展示作品のどれでも1点千円で買えるという、いまどき珍しい大胆不敵な販促キャンペーンが功を奏して、押すな押すなの大入り満員の大盛況だ。7/9

 

長い長い大旅行からひさかたぶりに帰国したので、愛する家族への土産も半端ない数量にのぼった。余は暗い三畳間の30ワットの電球を捻って明りをともしながら、老いたる父母、一足飛びに大人になった弟妹のためにボストンバッグの中から手品師のように次から次へと土産物を取り出していった。7/10

 

ミッドウエイで撃沈されて、いままさに沈みそうな空母のブリッジに、最後の最後までぶら下がっていたら、生きて帰れば陛下から特別報奨金が下賜されるというので、我われ水兵は、母艦が沈没してもまだ必死に食らいついていた。7/11

 

やはり関東大震災が勃発し、東京は完膚なきまでに壊滅し、消墨色の灰燼と化したので、京急は、焼け焦げた無蓋の矩体を乗せた馬車を、三浦半島の端まで、定期バスの替わりに運行させている。7/12

 

おらっち、パリコレのプレタのモデルを頼まれていたのだが、余りの暑さに、スケジュール帖が、脳味噌の中で蕩けて腐ってしまったので、無断欠席となって、除名処分を受けちまったよ。7/13

 

わいらあ国際義勇軍は、ウクライナを支援しようと、空路はるばる戦場までやって来たのだが、ロシア軍の猛烈な爆撃に、息も出来ずに、タコつぼに潜んでいることしかできなかった。7/14

 

岐阜の大垣という所に来ているようだ。その山奥にある大滝の源泉を捜しながら、急峻な坂道を登攀しているのだが、普通なら、あともう少しで頂上というところで、滝から流れ落ちる水流と共に、麓まで落下してはずなのだが、幸いなことにおらっちは、パラシュートを身につけているのだ。7/15

 

ウクライナ戦争とガザ突入即時停止、世界平和即時実現、日米安保条約即時解体を祈念して、私らは、向こう三軒両隣、別に談合した訳ではないが、やってやって、やりまくったのよ。7/16

 

暑くて暑くてどうにも寝つかれないので、大弱りしていたが、ふとセイユーのレジのクレジットカードを入れる際の侵入角度を参考にして体位を変えてみたら、みごとに嵌ってスイスイ寝られたのよ。7/17

 

ボクは今日26歳の誕生日を迎えた選手に、「誕生日おめでとう!体に気をつけてガンバ!ガンバ!」とエールを送ると、ヒジョーに喜んでいた。7/18

 

その大書店のいちばん先のひら台の上に、私の詩歌集がどっさり積まれているので、驚いていると、どこからか子供が出てきて、それを玩具にして遊んでいるので、もっと驚いてしまったずら。7/19

 

サントリーの入社試験会場に来てみると、出された問題は、イヌの育て方と飼い方についてであったが、半分以上は、イヌ愛に満ちたイヌ学のお勉強だった、中にはヘナ、ナカという名前の品種もあったが、ともかく全員合格の目出度い試験だった。7/20

 

過日、北原博士一家は、長男が大麻を吸引していたというので、あろうことか家族全員が築地署の頑丈な牢屋に入れられ、歌舞伎座帰りの暇人の好奇の眼の晒し者にされた、というのだが、酷い話だ。7/21

 

剣闘士の私は毎日ローマの円形闘技場で食うか食われるかの殺し合いをしていたのだが、だんだん厭になってある日仲間と相談して殲滅一歩手前の八百長試合を敢行したのだが、

コロシアムをうづめ尽くした観客が怒り狂って殺せ、殺せの大合唱が沸き起こって諸共に殺されちまったのよ。7/22

 

当初村の主だった連中からは、「文月は革命に適さないから、葉月に延期しろ」と何度も忠告されたのだが、わいらあ若衆連は、かえってそれに反発して、筵旗を立てて総決起したのだが、案の定、準備不足で大失敗してしまったずら。7/23

 

えらくひもじくなってしまったが、なにせ夢の中であるから、なにも食えないので、じっと我慢しているのら。7/24

 

「あける」、「いのる」、「うむ」、「えぐい」「おこる」「かむ」、「きる」「くすぐる」「ける」…。ビデオショップに行くと、おらっちが企画した<あいうえおシリーズ>が、ずらりと並んでいたが、売れた形跡はなかったずら。7/25

 

ある女の一生について書いたが、やはり文字だけではなく、写真なんかを入れた方がさまになると脇から言われたので、そうしようとは思うのだが、残念ながらその材料がないのだ。7/26

 

私の小学時代の同級生だが、いまだもって独得の民族衣装を纏っているのだが、それがどこの民族なのか、私も本人も知らないのだ。7/27

 

ゴダールとロメールが共同編集して巴里で2年間だけ出ていた「ル・シネマ」という映画雑誌が物置から出てきたので、とりあえず表紙だけ撮影したんだが、これって「なんでも鑑定団」に出してみる値打ちがあるだろうか。7/28

 

A国のさる土地をB国が基地にしたので、それをC国がとがめて、「おらっちにも基地にする土地を寄越せ」と恫喝したので、A国はB国の基地の隣の土地をC国に与えてしばらく様子を見ることにした。7/29

 

真夏日の朝の光の中で、深紅の薔薇の花弁はいつまでもいつまでもハラハラと水の上に落ちるのだった。7/30

 

開高健のことを書こうとしていたのだが、いきなりタイトルを「開高海○」としたものの、○の個所にどんな漢字をもってきたらいいのか、いくら考えてもてんで思い浮かばないので、結局開高健論は没になってしまったずら。7/31

 

  カタバミの黄色い花にしがみつくヤマトシジミに吹く風やまず 蝶人

 

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西暦2023年神無月蝶人映画劇場その5

2023-10-29 11:21:43 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3416~20

 

1)マーク・トンデライ監督の「スペル」

2020年のホラー映画。呪術遣いのばあさんのお陰で酷い目に遭う黒人エリートのお噺。

 

2)ポール・グリーングラス監督の「ユナイテッド93」

9.11にハイジャックされた4機のうち、唯一目的を果たせず地上に激突して犯人4人もろとも乗客全員が死亡したテロ事件を2006年に映画化。

 

3)アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「リアリティのダンス」

チリの天才による波乱万丈の2013年のスーパーマジック自伝的映画。オペラのように歌いながら科白を歌う女性がユニーク。

 

4)セリーヌ・シアマ監督の「燃ゆる女の肖像」

2019年の芸術的同性愛映画。若い3人の女たちが途中からぐんぐん美しくなっていくので驚く。

 

5)スティーヴン・オカザキ監督の「MIFUNE THE LAST SAMURAI

「世界のミフネ」の生涯と映画生活を要領よく振り返った2016年の好ドキュメンタリー映画。それにしても蜘蛛巣城のラストの弓矢射撃の撮影を、三船はよくもOKしたものだ。

 

  1400人殺されしイスラエル7000人を虐殺中なり 蝶人

 

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「吉本隆明全集」第32巻を読んで

2023-10-28 16:12:29 | Weblog

 

照る日曇る日 第1973回

 

1990年から2001年までの軌跡をたどる第32巻の中身は、1)「匂いを読む」、2)「写生の物語」3)「食べものの話」、4)その他、といったところ。

 

1)では匂いという言葉を臭覚以上に「色彩の光のただよい」として受容してきた先人たちの感性の変遷を、万葉、古今、新古今や芥川、漱石の文章に切り込みながら解き明かそうとしている。

 

2)は作者一流の短歌批評で、百人一首から鴎外漱石、明石海人、中也、賢治、道造、法然、中山みきや出口なおやの「おふでさき」までを多彩に引用しながら、才気煥発、自由自在に解釈&鑑賞し、理路が頓挫すると例によって「直観」が登場し、電光石火に一刀両断している。

 

さはさりながら、愉しみ乍ら読めるのは3)の食い物の話。

幼少時から買い食いした月島西仲通りの「三浦屋の肉フライ」からはじまって、じゃがいも、豆腐、カレーライス、かっぱえびせん、マクドナルド、ケンタッキーチキン、ぬれせんまでじゃんじゃか飛び出す、体験的フードライフの物語である。

 

このせつの「複雑な味を、微妙な言葉を積み重ねて、味の実情に迫ろうとする方向に高度化している」したり顔のグルメ談義に、江戸前の冷水を浴びせるような、当たり前田のクラッカー的旨いもの噺に舌鼓を打った。

 

ついでながら、「月報」に附された宇田川悟氏の「託されたバトン」を読んで、吉本隆明全集が世に出たのは、吉本ばななと対談した宇田川氏が、「昭和期の義憤の焔の持ち主」たる晶文社社長太田康弘氏に話を繋いだところ、即断即決で成就したという裏話をはじめて知り、この世には「奇跡的なバトンタッチ」があるものだなあという感慨にしばらく耽った。

 

    夢もなく希望も見えぬ出版界に光り輝く吉本隆明全集 蝶人

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西暦2023年神無月蝶人映画劇場その4

2023-10-27 13:53:28 | Weblog

西暦2023年神無月蝶人映画劇場その4

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3411~15

 

1)ブライアン・デ・パルマ監督「ブラック・ダリア」

有名な残虐殺人事件を伏線にした2006年の犯罪映画だが、ミスキャストと煩雑な脚本のせいでパルマの真価が発揮できなかったずら。

 

2)アンドリュー・レヴィタス監督の「МINAМATA」

ジョニー・ディップがユージーン・スミスを演じる2020年の水俣事件のドキュメンタリー映画。汚染水を投棄したチッソと東電の姿がダブる。

 

3)ジュージ・スティーヴンス監督の「女性No.1」

1941年製作のスペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンの共演コメディだが、非常に見心地が悪く、桁糞悪い映画ずら。

 

4)ジャン・コクトー監督の「恐るべき親たち」

ジャン・マレーが主演する1949年のブラックコメディ。それにしても暗欝なホームドラマで、みているのが厭になる。

 

5)瀬々敬久監督の「楽園」

綾野剛主演、吉田修一原作に拠る2009年のサスペンスドラマ。持って回った演出でなんだか訳が分からなくなるが、主人公はカンボジアからの移民である点をもっと強調して描くべし。我らが品川徹選手が共演。

 

  埒もなき詩をうんとこさ書き溜めて思潮社から出すのが夢なんだって 蝶人

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杉﨑恒夫歌集「パン屋のパンセ」を読んで

2023-10-26 09:11:18 | Weblog

 

照る日曇る日 第1972回

 

杉﨑選手の死後、哀惜してやまない「かばん」のメンバーたちによって編まれた2冊目の、そして最期の歌集です。

 

まずタイトルがいい。

 

 パンセパンセパン屋のパンセ にんげんはアンパンをかじる葦である

 

 空洞のないクオワッサンを売っているパン屋ありませんかパン屋ありますか

 

 パゲットの長いふくろに描かれしエッフェル塔を真っ直ぐに抱く

 

次に詠まれている歌が、いい。

 

 休日のしずかな窓に浮き雲のピザがいちまい配達される

 

 むせかえる蝶の匂いを妖精の匂いといってはおかしいですか

 

 雪ふればふるとてかなし理髪屋のねじりん棒の無限上昇

 

 ひとかけらの空抱きしめて死んでいる蝉は六本の脚をそろえて

 

 「きたかまくら」を「きたまくら」って誤読するこの頃おれはどうかしている

 

それから、生きるよろこびと哀しみと。

 

 高原の風に揺れゆれ誰よりもしあわせなのはコスモス自身

 

 ゆっくりと桜を越ゆる風船に等身大の自由あるなり

 

 クリオネは氷の下にほのかなる生命を点す わたしはここです

 

 新しき夏靴下を掌にのせる死んだカナリアの一羽のおもさ

 

 微粒子となりし二人がすれ違う億光年のどこかの星で

 

忘れてはいけないのが、しゃれたユーモとウイット。

 

 よく乾く之騎馬の一軒の洗濯ばさみには象でもなんでも吊るしてあげる

 

 鬼を打つ資格あるもの真っ先に豆をなげうて優位にたちて

 

 冬空に神さまがいてもいなくても飛行機雲は意思を貫く

 

 アップデートしますかなんて聞いてくる素敵なデートでもあるまいし

 

 石鹸がタイルを走りト短調40番に火のつくわたし

 

最後に、ありふれた所に、思いがけない発見があることの感動がある。

 

 山上の垂訓に似て夏雲の空より下降してくるコンテナ

 

 やさしくて怖い人ってあるでしょうたとえば無人改札機みたいな

 

 たった二つの関節もてば単純な生き物のごとく眼鏡あるなり

 

 のけぞりて目薬をさすにんげんの頸は90度まがらぬものなり

 

 冷蔵庫には卵のための指定席秋のコンサートが始まるらしい

 

 単純な生命線もちゃんとある足の裏おやこんにちわ

 

この歌集が編まれてほんとうに良かった。

 

  「個人的な意見ですね」といわれてる個人的でない意見がどこにあるのか 蝶人

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-25 10:29:08 | Weblog

祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

 

遥かな昔、遠い所で 第109回

 

第2話 養蚕教師その4

 

あとで聞いた話であるが、青野家の人が、「今まで入れ替わり立ち替わり養蚕の先生が来たが、皆相当の年配でヒゲなどはやして威張っていたが、人柄が下品で行儀が悪く、蚕飼いもさっぱりヘタクソで、一度もロクな繭のとれたことはなく、損ばかりさせられた。ところが今度京都から来た先生は、子供あがりの若造で、「これが何をやるか」とたよりなかったが、どうしてどうしてお行儀がよくて熱心で、謡曲も上手だし、お茶の心得もある。蚕飼いも、前の先生方とは全くちがって、上手にやってもらったから、みんなウンともうけさせてもらった」といっていたとのことだ。

 

それから特に所望されて、あと二年続けて都合三年この村へ行ったが、一度も失敗せず、年々非常に感謝され、記念品として沈金塗の大鯛の立派なものをもらったり、学校の下に「佐々木先生記念桑園」と、大きな標柱を立てた桑園までできた。

 

その後兵庫県の関の宮、大谷、船井郡の上和知、大倉、何鹿の奥上林、物部などへ、それぞれ二三年ずつくらい行って、私の養蚕教師生活は大正七年まで続いた。

 

船井郡の時、養蚕組合書記の加舎亀太郎君から、「君には日本一の養蚕教師給料を差し上げる」といって渡してもらった給料が、たしか百八十円だったと記憶している。

 

この頃までの養蚕は、蚕は在来の小石丸、昔だったから虫も小さく、そう飼いにくいものではなかった。ところが私の養蚕教師時代には温暖育が析衷育に進んで、だいぶ改良されてはいたが、やはり昔ながらの乾燥第一主義で、桑は刻んでいたうえに温度をかけられるから、萎凋して蚕の食欲をそそらない。

 

蚕はいつも腹を減らしていたから失敗が多く、定石通りにやっても、またしても蚕が腐ったりして、養蚕教師が逃げ出したり、大失敗をして首をくくった者もあったほどで、養蚕教師も、なかなか楽なつとめではなかった。

 

私は自分のカンで温度の調整をはかり、これが桑の萎凋を防いで、一度も違作などしたことはなかった。とにかくは波多野翁によって率いられた京都府の蚕業は、サン然頭角を抜いたものだった。

 

ただに技術の上ばかりでなく、人間としても他の地方の養蚕技師とは心構えがちがっていたように思う。私なども、波多野翁がなかったら、人生にどんな滑り出しをして、どんな者になっていたか分からない。

 

    赤と青千五百円の買物袋どちらにするか夫婦で迷う 蝶人

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-24 10:56:41 | Weblog

祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

 

遥かな昔、遠い所で 第108回

 

第2話 養蚕教師その3

 

私は青野氏の家に泊めてもらった。青野氏は素封家で、私にあてがわれた室も、夜具布団ももったいないほどりっぱなものばかりであった。私はかねて波多野さんかに教えられた通り、枕には自分の手拭、掛け布団の襟には風呂敷をあてて寝た。

 

青野氏には凝った茶室があって、鐘を打って客を招き入れるような本式の茶席が設けられ、都度私も招かれた。さいわい私は、妹が茶の稽古をやっていた時、いつもお客様になっていたものだから、飲み方だけは心得ていた。おちつき払ってカタのごとくやって、恥はかかなかった。

 

青野氏は謡曲が好きだったが、それがすっかり下手のよこ好きで、同族の青野浩輔さんと毎晩のように奥座敷でうなるのだが、どっちもどっちで兄たりがたく弟たりがたく、聞いていても肩の凝るようなものだ。

 

私も謡曲をやると聞いて、すぐにその席に招かれ、強いられるがままに小謡を一番うたったら、「これはたいしたものだ」ということになって、蚕の先生は承知の上でやっとることだが、とうとう謡曲の先生に祭り上げられてしまった。

 

ところがご先方は観世、私は宝生、観世の謡本を見て宝生をうたうのを、観世の人がせっせと習うというおかしなことになってしまったのであるが、それでも何とかお相手をして、愉快にやったものだ。

 

こんなことから私は青野氏一門の人と親しくなり、信用もされた。青野氏は金もあり、羽振りは良し、そのかげで仕事をする私は樂だった。村の人たちも、よくいうことを聞いてくれたから、すべて思う通りにやれた。

 

県でつくってくれたという稚蚕飼育所で、共同飼育も好成績だったし、それを家々に持ち帰ってからは、私は昼夜を問わず家々を駆けまわって指導したので、最後までうまく行って一人の違作者もなく、庄内村はじまって以来の上繭を多収して、村の人は大よろこびだった。

私だけでなく京都府から行った教師のところは皆成績がよく、繭の鑑定にかけても県の技術者よりはるかに優れていたので、その方面にもひっぱり出され、京都府蚕業のために大いに気を吐いたものだ。繭は入札で売られ、庄内村の繭はその平均値が愛媛第一の最高値だった。

 

   なんじゅっかいゴミに出そうと思ったか今なお現役ダウン入りベスト 蝶人

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-23 10:57:44 | Weblog

遥かな昔、遠い所で 第107回

 

第2話 養蚕教師その2

 

毎日城丹へ行って見学し、先生にも尋ねて研究し、最善を尽くした。私はこの頃の温暖育の失敗の多いことから、いろいろ考えた挙句、給温のため一つの爐に使う燃料を二分して二つの爐で焚き、廊下にも火鉢をおくようにして、温度の調整と均一化をはかった。

 

これがたしかによかったとみえて、見事に成功し、上作をとった。あと二年続けて西原へ行き、都合三年毎年上作をとったので、疲弊しきっていた西原も完全に立ち直り、西原の農家に今まで見ることのできなかったすがすがしい畳敷の間ができ、柱には文明開化のさきがけの掛け時計が時を刻んでいる、という生活風景が見られるようになった。

 

その頃よく養蚕集談会が開かれ、その道の大家連中が来て指導するのであった。私は西原で体験した「修正温暖育」といったようなものを提げて、大家連中の説く定石的飼育法を机上論として排撃し、青二才ながらおめず臆せずやり合って、大家連中をタジタジとさせたもので、同じ仲間でその頃のことをよく知っている梅垣良之助君や出野新太郎君などの旧友と昔話をすると、「君は若い時から、一ッ風変わった鼻息の荒い男だった」といわれるのである。

 

明治42年にはやはり波多野さんの推薦で、はるばる愛媛県に行くことになった。愛媛県は古くからの特産物である藍が、舶来の化学染料に押されてダメになってしまったので、これに代わるものとして藍畑に替えて養蚕を奨励したのであるが、それがさっぱりうまく行かず、連年失敗で、県の養蚕技師で綾部出身の西村彌吉氏がすっかりてこずって、養蚕先進地で、ことに最近盛名並ぶものなき自分の郷里京都府に救いを求め、技術者の派遣を乞うたのである。

 

波多野さんのおめがねで五、六人行った中で、私が最年少である。おまけに行ったところは周桑郡庄内村といって、村長青野岩平氏は蚕業熱心家で、県会議長もしているという、声望並びなき人である。その庄内村の養蚕が連年失敗続きで、ことしここをうまくやらなかったら、愛媛県蚕業の前途も危ういということを、西村氏からコンコンと聞かされたのである。私は京都府蚕糸業の名誉にかけて、愛媛県蚕業の危機を救わねば男がたたん、ということになってしまった。

 

   この次に何を言おうかお互いに息を殺せば黙蠢く 蝶人

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-22 09:26:32 | Weblog

祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

 

遥かな昔、遠い所で 第106回

 

第2話 養蚕教師その1

 

私の家は綾部の目抜き通りで履物屋を営み、郊外に桑園を持ち、当時流行の養蚕もやっていた。そんな関係で郡是の創立者、地方養蚕界の元締、波多野鶴吉翁とは懇意で、私も子供の時から目をかけてもらっていた。

 

私が小学校を出て16の時、波多野さんは自分が所長をしている京都府高等養蚕伝習所(私の入所中、城丹蚕業講習所と改称)へ、私を入所させろと父に説き、「年齢が2つ足らんが、それはどんなにでもなるから」といって、しきりに勧められるので、入所することにした。

 

生徒はたいてい20がっこう、26、7の人もいて、私一人がまだ子供だった。卒業して一ㇳ春綾部町の養蚕巡回教師をしたが、そろばんが上手になるというので、その頃地租改正で忙しい税務署につとめ、十八の年にはそのそろばんを買われて郡是(現在の「グンゼ」)に入り、事務所につとめた。

 

その頃(明治三十四、五年)綾部地方は、個人が勝手に少額の切手を出して貨幣同様に流通させていた。郡是もこれを発行し、私は切手作りで忙しかった。二十一の徴兵検査で肺浸潤だといわれたので、父が心配して、私は郡是をよした。郡是在勤中も、春の養蚕期は会社も休みなので、毎年巡回教師に出た。十九の時佐賀村の小貝へ行った。その年晩霜でひどい桑不足となり、由良川がまっ白くなるほど誰もかも蚕を流した。

 

私は蚕は捨てさせず、急いで金つもりをさせて綾部に帰り、父を説いて桑を買わせた。こんなことにかけたら父はうまいもので、四方に走って上手に桑を買いあさり、荷車に積んでドンドン小貝に運び込み、小貝は一疋も蚕を捨てず、おまけに上作の繭高と来て、養蚕家はホクホクしてよろこび、私も思わぬ手柄を立てて、「若いけんどなかなかやるもんじゃのお」ということになった。

 

翌年は波多野さんの推薦で西原へ行った。西原というところは、どういうものか毎年蚕が不作で、上野源吉という伝習所の先生までした熟練第一の教師も失敗し、おまけになけなしの繭をゴッソリ糸屋に買い倒されて弱りきっていた。

 

ことし私がしくじったら、波多野さんにも済まんし、西原をいよいよ貧困に陥れてしまう。当時は日露戦争の真っ最中、私が兵隊にとられていたら、今戦争に行っている時だ。「よし!戦争に行ったつもりで命懸けでやろう!」と私は心に誓った。

 

    3流の指揮者を招いて3流の演奏を続ける公凶楽団 蝶人

 

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杉﨑恒夫歌集「食卓の音楽」を読んで

2023-10-21 13:01:53 | Weblog

 

照る日曇る日 第1971回

 

まずタイトルがいい。

 

 つつかれてヨーグルトに沈む苺 やさしき死などあるはずもなく

 

 曇りたる一枚の海見えながら頭より噛る鳩のサブレー

 

次に詠まれている歌がいい。

 

 どどと吹く風の又三郎むさしの野の雑木林にどんぐりこぼす

 

 トレパンの女子学生ら輪をなして座れば冬の地を浄くす

 

三番目に、三鷹の天体観測所という、この人の職業がいい。

 

 立ち読みせしサン=テグジュベリのひと言が心に残り本屋をいずる

 

 少しさむい春の夜だからワグナーのトランペット群ぎんいろがよい

 

  30分受付を増やして待っている君を待たせて電話を待ってる 蝶人

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西暦2023年神無月蝶人映画劇場その3

2023-10-20 10:29:40 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3406~10

 

1)デヴィッド・フィンチャー監督の「ドラゴン・タトゥーの女」

2011年のミステリー活劇でルーニー・マーラはミスキャストだと思うが、中々おもしろいずら。

 

2)廣木隆一監督の「ヴァイブレータ」

赤坂真理原作、大森南朋、寺島しのぶ主演の2004年のラブストーリー。寺島しのぶはまるで原作者みたいだ。

 

3)ウルス・オーダーマット監督の「わが闘争 若き日のヒトラー」

2009年の漫画的阿呆莫迦映画。されどもしイトレルが3流の美術家として身を立てていたら、世界史は一変していただろうに。

 

4)アンソニー・マン監督の「秘密指令」

1948年のフランス革命夜話。独裁を目指すロベスピエールがフーシェの陰謀に斃れる。

 

5)アントン・ウォルブルック監督の「スペードの女王」

プーシキン原作に拠る1947年の英国映画。主人公がナポレオンに擬せられているようだ。

 

ミッドウェイの6千米の海底でいつまでも澤地久枝を見上げている7冊の本 蝶人

 

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前田和男著「昭和街場のはやり歌」を読んで

2023-10-19 11:20:47 | Weblog

 

照る日曇る日 第1970回

 

戦後の代表的な流行歌20余りを取り上げながら、副題の通りに「戦後日本の希みと躓きと祈りと災い」について、団塊世代に属する著者の人世の思いのたけを重ねつつ語り尽くした、渾身の1冊である。

 

本書が取り上げている「はやり歌」は、第1部希求と喪失の章」の赤坂小梅が歌った「炭坑節」から始まって、江利チエミの「テネシーワルツ」、「東京のバスガール」「あ`上野駅」「南国土佐を後にして」「スーダラ節」と続くのだが、映画「鉄道員」で影の主役を演じた主題歌「テネシーワルツ」を論じつつ高倉健と江利チエミの純愛を語ってやまない著者の名文章には読みながら、「たかが映画、たかがはやり歌」と思いつつも、嗚咽を禁じることができなかった。

 

そう、この「たかが映画、たかがはやり歌」を大切に拾い上げ、我らの時代と我らの社会に果たした一つひとつの絆を、その極限にまで掘り進むことこそが本書のいき方だったわけで、私は著者の術中に見事に嵌りこんでしまった訳である。

 

第2部の「異議と蹉跌の章」では、60年安保の敗北と西田佐知子の「アカシヤの雨がやむとき」の一部サヨク層での流行、またしても登場する健サンのヤクザ映画深夜上映の会場で花開いた、奇跡のサヨク大賛歌が紹介されている。

 

1968年の佐藤訪ベト阻止羽田闘争で一敗地に塗れ、地元自警団に追い掛けられた著者が、その数カ月後、米原潜エンプラ寄港阻止佐世保闘争で羽田とは打って変わった厚遇を受け、地獄から天国へと蘇生した思いが描かれるが、その後の暗鬱な政治の季節の到来を思えば、この時が新左翼運動のもっとも幸福なメルクマールだったのかもしれない。

 

そのほか、JR起死回生のデイスカバージャパン・キャンペーンの盛衰と「いい日旅立ち」、第3部「祈念と失意の章」では美空ひばりの「一本の鉛筆」、「イムジン河」、テレサテン、「東京音頭」、「昭和枯れすすき」、プーチンと大ロシア主義の動向を占う「カチューシャ」の章に到るまで、頁を捲る暇も惜しいほどにエキサイティングな1冊であった。

 

聞けばweb誌「論座」連載の原稿の、これでやっと半分だというが、一日も早く残りも書籍化して欲しいものである。

 

 「仕方が無かった」と言いたくはないがそうとしか言えない時もあるのだ 蝶人

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家族の肖像~親子の対話 その102

2023-10-18 12:03:49 | Weblog

 

2023年9月

 

お父さん、明後日ビデオ撮って。

なんのビデオ?

トリリオンゲーム。

誰が出るやつ?

フクモトリコがでるやつ。

分りましたあ。

 

お母さん、リハビリって、なに?

手や足を、元に戻すのよ。

 

タカオさん、入院したの?

そうよ。

ぼく、祈りますよ。治りますよ。治りましたよ。

 

お父さん、雨ですお。今日おうちに帰りたいですよお!

そしたら、まず職員さんと相談しなさい。

分りましたあ!

 

お母さん、お菓子食べたいですよ。

食べなさいな。

はい。

 

「トリリオンゲーム」、こんど最終回?

そうみたいだよ。

残念ですか?

残念ですお。

 

ぼく「さくら」みましたお。

そう、良かったね。

 

大雨で幼稚園お休みになったんだって。

そうなんだ。

 

接続って、つながることでしょ?

そうだね。

セツゾク、セツゾク。

 

ぜいたくって、なに?

いらない無駄なものをいっぱい買い込むことよ。

ぼく、ゼイタクしませんお。

そうしてね。

 

マリちゃん、元気になりましたか?

元気になりましたよ。

 

コウ君さあ、イトウサンちが無くなっていて、びっくりしなかった?

びっくりしましたおお。

 

ウエハラミツキ、お腹に赤ちゃん入ってるってよ。

そうなのよ。来年はじめに、生まれるんですって。

 

ぼく、ウエハラミツキ、好きになりましたお。

なんでウエハラミツキ、好きなの?

優しいから。

へえー、そうなんだ。前は可愛いからだったのにね。

 

 13日の金曜日に下水の溝の穴に落っこちたアクアの鍵を取り戻すまで 蝶人

 

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川崎賢子編「左川ちか詩集」を読んで

2023-10-17 14:58:05 | Weblog

 

照る日曇る日 第1969回

 

同郷の詩人仲間の伊藤整はもとより、西脇順三郎、萩原朔太郎、百田宗治、北園克衛、春山行夫などからも高く評価された、左川ちか(1911~1936)の全詩集、小説、評論、翻訳、書簡までも収録した浩瀚な全1冊本である。

将来を嘱望されながら病を得て、24歳で夭折した詩人の天才的な資質とそのモダンな作風は、本書を通読し、島田選手の懇切丁寧な解説を読めば、ただちに了解されるだろう。

ほんとうは遺作の「季節」を記しておきたいのだが、やや長くなるので、彼女の「夏のこゑ」という作品の、冒頭の3行を掲げておこう。

 遠く見えるな、遠いな
 羅紗のマントにくるまり
 霧のやうに紫だ 

「詩は言葉の勉強だと思う。併しそれは話すやうな言葉と違って、表面から見えない心の言葉である。思惟の中から選ばれた言葉で空間を充たすことであると思ふ。言ふために言はれた言葉だけの意味を拾ひあげることではなく、何を言はうとし、又何物かを反映しようとすることであらう。最もきびしくそして非常にわづかで、焔のやうに焼切るところの巧さである。沢山の「おしゃべりをしながら何か一つほんたうのことを言ふことでもあり、或いは背後から追ひかけてゆくことでもある。」(「樹間をゆくとき」より引用」

というのが、彼女の詩論の要諦であろうが、「焔のやうに焼切る」、そして最後の、「(ほんとうを)背後から追ひかけてゆく」というのは、いかにも優れた実作者の言葉だと思った。

 

というのが、先年彼女の全集を読んだ時の感想文だったが、その抜粋版の岩波文庫本を読んだ感想も、同じ様なもんである。

 

   10回に3点取られて諦めず4点取って逆転するとは! 蝶人

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