あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

モーツアルト狂想曲

2007-02-28 17:48:06 | Weblog

♪音楽千夜一夜第13回


真率あふるる音楽の言葉、心情の奥の奥の、またその奥にかすかに響く音を、私はTRAZOMに聴く。

いま流れてくるのはハ短調の幻想曲K475、そして続いて同じハ短調のピアノソナタK457、いずれも偉大なクラウデイオ・アラウの演奏で聴いている。

これらの曲はTRAZOMの最良の教え子、マリア・テレージア・トラットナーとの愛のために書かれた聴くものの心をえぐる真の傑作だ。

今度は「フィガロの結婚」をエーリッヒ・クラーバーの演奏で聴こう。

男と女のすさまじい欲望の嵐が吹き荒れる。フィガロとスザンナの熱狂の1日…。

第三幕の四重唱、五重唱、そして圧倒的な六重唱を聴け! 

そして第四幕の庭園に夜が迫り、ブルジョワの世の終わりを告げる伯爵夫人の「私は弱い女ですからすべてを許します」の一言を聴こう。

かくてオペラは終る。しかし、この突然の終結はなぜだろう?

TRAZOM、お前はどこに消えたのだ? 

劇場の人々は無となって宙吊りになり、なにかしら神のように偉大な存在が、無力な我々に降臨する。神に愛されたTRAZOMはきっとその隣にいるのだろう。

けれどもほんとうは神は不在であり、女は男をけっして許しはしなかった。

さあ今度は、ソレルスにならって「ドンジョバンニ」の序曲を聴こう。

わずか数百小節で起こるのは、婦女暴行、殺人、暴行の告白、復讐の決意…、ウイーン社交界を地獄に突き落とす疾風怒涛のオペラの幕開きだ。

初演を聴いた途端、かのカサノバは彼の有名な自叙伝を書くことを決意したそうだ。

そしてあの有名なドンジョバンニの地獄落ち。

それは1600年にローマで火あぶりになったジョルダーノ・ブルーノの最期を思わせると、ソレルスはいう。

「最期の発言で彼は以下のごとく述べた。自分は悔い改めたとは思わない。悔い改める理由がない。悔い改める材料がない。この結果、以下のものが焼き払われた。書物。それらの作者。コルクガシの枝」

ブルーノのように頑固なモーツアルトは、ヨーゼフ2世によって永久に見捨てられた。

ソレルスは語る。

「人生はひとつの音楽である。そして幻想抜きに、同時にまた必要な幻想を抱きながら過ごされるとき、人生はよりいっそう音楽となる。

こうした芸術を「楽しい知識=ゲ・サヴヴォワール」と呼ぼう。

「楽しい知識」は軽やかで悲劇的で、叙情的で、ほてりがあって、単純で複雑で、滑稽である。

精神は絶えざる運動なのだ。自由な様子、自由な愛、自由な創造。極貧状態にあったり、不幸のどん底にあったりすることを含めて…」

と。

(引用と参考文献 フィリップ・ソレルス著「神秘のモーツアルト」)


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フランス革命、万歳!

2007-02-27 09:01:05 | Weblog


♪音楽千夜一夜第12回


恐るべきフランス革命は、「魔笛」の夢の世界を徹底的に破壊し、音楽の真の革命家であるモーツアルトの革命的な音楽を破壊しつくした。

19世紀にはもう彼の市民権はなかった。モーツアルトと同様に、あの高雅なハイドン、ヘンデル、ヴィバルディの音楽も道連れにされた。

かの小澤征爾と同様の三流指揮者であるが、その代わりに一流音楽学者であるニコラス・アーノンクールによれば、ポスト・モーツアルトの「現実的な」音楽は、1800年ごろにパリのコンセルバトワールに生まれたという。

複雑で、対話的で、雄弁なモーツアルトのようなデリケートで知的な音楽のかわりに、例えばあの那智黒なワーグナーや男根的ヴェルディや荒川静香的プッチーニのように、アホバカ簡単単純明快音楽が、19世紀から現代までの音楽界を占拠した。

フランス革命は人々を階級社会から解放し、自由と平等の諸権利を確立したかもしれないが、ほんとうの音楽の生命を絶ち、音楽をボナパルティズム化し、いわば「軍事化」してしまったのである。

嗚呼、かのモーツアルトを虐殺したのが、サリエリではなく、あの三流音楽家ジャンジャック・ルソーという名の孤独な散歩家の夢想であったとは!

(引用と参考文献 フィリップ・ソレルス著「神秘のモーツアルト」)


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甦ったモーツアルト

2007-02-26 20:08:34 | Weblog

♪音楽千夜一夜第11回

音楽の唯一無二の革命児、TRAZOM。

彼の死後およそ1世紀を経て、さながらダライラマのように欧州の地に生まれ変わったのは、他ならぬアルチュール・ランボーであった。

100年後のTRAZOM、ランボーの言葉を聴こう。

「僕らの欲望には、巧みな音楽が欠けている。」

「彼は愛である。完璧な創りなおされた尺度であり、驚異的な、思いがけない理性であるような愛だ。そして永遠である。」

「より強烈な音楽のなかへのいっさいの苦しみの解消。
耳で築かれた城から、未知の音楽が流れ出る。」

「君の指が太鼓をひとはじきすれば、すべての音が放出され、新しいハーモニーがはじまる。君が1歩を踏み出せば、あたらしい人間たちが決起し、進軍がはじまる。君の頭があちらを向けば、あたらしい愛だ! 君の頭がこちらを向けば、あたらしい愛だ!
つねにやってきて、いたるところに立ち去る君。」

そして極めつけの1句がこれだ。


「僕は素晴らしいオペラになる。」

そして事実そのとおりになった。


(引用と参考文献 フィリップ・ソレルス著「神秘のモーツアルト」)
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2つの春

2007-02-25 15:59:09 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語45回

第43回の続編です。

小さな水溜りに2種類のカエルの卵を発見しました。

ある情報によれば、一番右側がアカガエルの仲間であろう、ということです。

きのうと1昨日に見かけた割合小さい2匹が、おそらくこの卵の産みの親だったのでしょう。(でも今日は見かけませんでした)

で、左側のやつが、たぶんヒキガエルの卵だと思われます。

いずれにしてもこんなわずかな空間によくぞ生まれてくれたものです。

もし私たちが泥と葉っぱを取り除いておかなかったら、いったい彼らはどこに産卵できたのでしょう?

か弱い生物に対する奇特な人間のケアがなければ、もう在来の普通の動物ですら生存できないところにまで時至っているのかもしれませんね。


待ち待ちてついに産みけるカエルの子
ヒキと聞きつつ実はアカなり
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モーツアルトの最期

2007-02-24 21:43:00 | Weblog


♪音楽千夜一夜第10回

モーツアルトの生前の最後の作品は、1791年11月15日に書きあげられた「フリーメーソン小カンタータ」である。

いま私はそのK623をCDで聴きながら、これを書き飛ばしてる。

オロナミンCのような元気ではつらつとした音楽で「楽器たちの陽気な音が」とテノールが歌い始める。とても3週間に死ぬ人の音楽とは思えない。

モーツアルトの妻コンスタンツエによれば、モーツアルトの健康状態は最晩年のこの時期にほぼ完全に回復し、このカンタータの初演を指揮するためにフリーメーソンの分団「新たに冠されし希望」の集会所へ足を運ぶほどだったという。

ではまるで全盛期のように活力を取り戻して「コジ・ファン・トゥッテ」、「魔笛」、「皇帝テイートの慈悲」「クラリネット協奏曲」などの傑作を書き上げたモーツアルトに、いったい何が起こったのか?

ソレルスは、モーツアルトは万全の体調で魔笛を書いていたときに、「傷んだ豚のロース」にかじりつき、それが原因で死んだと書いている。突然の病気はレクイエムの作曲に取り掛かった10月の中旬に始まり、11月の小康状態を経て、12月5日の早すぎた死に直結したわけだ。

それにしてもモーツアルトは、まるでランボーのようにおそろしく生命力の強い男だった。食欲も性欲も人並み優れたものがあり、妻コンスタンツエへの晩年の手紙には「お前の○○を思っておいらの××は机の上で猛り狂っている。どうにも我慢ができないよおお!!!」と書かれているから、それほど妻を肉体的に愛していた。妻以外の女性も含めて…。

その証拠にモーツアルトが死んだ翌々日、彼と同じフリーメーソンの会員であるホーフデーメルが、モーツアルトの子を宿した妻を殺そうとして自殺している。

一方のコンスタンツエは29歳でモーツアルトと死に別れ、その後デンマークの外交官ニッセンと再婚し、1842年に80歳で他界した。ニッセンとともにモーツアルト復興に貢献したとはいえ、他の男と浮名を流したり無駄遣いをしたりしてモーツアルトの晩年に幸福と不幸を二つながらに与えた功罪をもつ。

まあ、どっちもどっちでもいい。いろんな意味で、似合いのカップルだったのだ。
フィガロとスザンナ、タミーノとパミーノ、いやパパゲーノとパパゲーナのように…。
 

体調を崩してベルリンで療養していたコンスタンツエは、夫の死に立ち会えなかった。代わりに死の床でモーツアルトを看取ったのはコンスタンツエの義妹、ソフィーだった。

死の前夜、モーツアルトは「魔笛」有名な、「おいらは鳥刺し」の歌をほとんど聞こえないくらいのかすかな声で口ずさんだ。

そしてソフィーは空前にして絶後の天才の死を、こう語っている。

「湿布があまりにつよい衝撃を与えたために、モーツアルトの意識はもう息を引き取るまで戻りませんでした。彼の最後の吐息は、まるで自分の「レクイエム」のティンパニーを口で真似ようとしているかのようでした」

(引用と主な参考文献 フィリップ・ソレルス著「神秘のモーツアルト」、写真はAFP時事提供。1840年10月ドイツ南部アルトエッテイングのスイスの作曲家マックスの自宅前で撮影されたコンスタンツエ(前列左端)の生涯ただ1枚の歴史的な写真です)

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笑々っていいとも 

2007-02-23 21:43:33 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語44回

鎌倉でも京都でも、電線はいたるところに張り巡らされ、電柱は勝手にそそりたち、おまけにアホバカ携帯会社がおんなじ地域に3本もU字型のアンテナ塔をおったてても誰も文句をいわない。

さすがの彼らも多少は気がひけるのか、昨日の朝日の夕刊によれば、アンテナを竹に偽装したり、付属機器収納庫を山小屋に変装させているそうだが、笑止千万。
そういう小手先の「偽装」自体が醜悪な発想である。

そういえば鎌倉の東口駅前に「笑々」という、名前からしていやらしい居酒屋がある。

私の目には、その看板とネオンサインがあまりにも下品で毒々しすぎるので、いつも目をつぶって通り過ぎていた。

ところが去年だかおととしだか、たまたまそいつをまともに見た瞬間に吐き気を覚えた。

景観のみならず人間の精神の平安を著しく撹乱するこの標識はもう許せんと思った。

それでとうとう思い余った末に、ネットでHPを検索して本部の広報室長に電話をかけてみた。

「あなたの会社のC.Iデザインは酷すぎる。これでは多くの消費者を敵に回す。倒産するかもしれない。それで私が鎌倉支店用にもっとお上品なデザインとロゴを考えてあげるからこの際差し替えてみないか」

と、抗議兼懇切丁寧な提案までしたのだが、その広報室長らしき人物は

「そういわれても私にはなんともきゃんとも。なにぶんきゃまくら以外にも全国にお店がありますので、全国日銀会議で検討して」

 云々と、のたまわっておったなあ……。

私は絶対に、死んでも、あんな店には入りたくない。


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早すぎた春

2007-02-22 20:25:59 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語43回

今日は家族と例の産卵場所に行って泥と木の葉をかき出して水溜りを増やしてやった。

で、鎌倉ちょっと不思議な物語42でご紹介したカエルの卵であるが、どうも違うみたい。

ヒキガエルはもっと大きなループ状になっており、ゼラチンが白いのにこいつは黄色がかっていて小さい。

さらに昨日、この卵の場所の近くで写真のような小さなカエルが2匹見つかった。

こいつは断じてヒキガエルではない。

詳しいことは図鑑を見ても分からなかったが、アマガエルかアカガエルの仲間だろう。

では卵は彼らのものだろうか?

でもアカガエルもアマガエルも2月に産卵なんかしない。もっとずっと後だ。

しかしこの超暖冬異変で2月に産んでしまったのかも知れない…。

なーんて、カエルを巡る疑問はますます深まる、余りにも早すぎる春の一日なのであった。

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♪ 醜い鎌倉の私

2007-02-21 19:12:39 | Weblog


あなたと私のアホリズム その11


おお鎌倉、お前は醜い。

東口駅前は、かなり醜い。

小町通りも、相当醜い。

ああマクドナルド、お前もひどく醜い。

そして「笑々」、おめえは余りにも、余りにも醜い。


しかし我々は、醜いものを直視しない。

そっと眼を逸らして、あらぬところを見る。

あの電線も、電柱も、看板も、横断幕も

すべてなかったことにする。

まるで裸の王様みたいに…


けれど、目に付くほとんどすべてのものが醜いと叫ぶ

この私も、相当に醜い。はずだ。

しかし、醜いものはなんたって醜いのだ!

と、星も見えない夜空に叫ぶと、

泣いていたはずのペコちゃんが、笑った。

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ちっとも美しくない日本と日本人 

2007-02-20 21:18:55 | Weblog


あなたと私のアホリズム その10

中島義道が説くように、日本人はそれほど美しいものを愛好しているわけではない。むしろその逆だ。
我々は、新宿や秋葉原や渋谷センター街の現代的な光景をことのほか愛している。そしてそこは醜悪でグロテスクな街だ。
三茶やシモキタや有楽町のガード下や歌舞伎町や新橋など大中少のきのおけない大衆的な雑踏を愛している。そしてそこは醜悪でグロテスクな街だ。

日本人が桂離宮や銀閣寺や高雅な北山文化を愛していないことはないのだけれど、それはよそ向きの顔であって、日常生活の中ではお気楽で猥雑で無政府的でブッチャケで混沌としたアジア的な無秩序を好むのだ。アジアの片隅の村祭りをこよなく愛しているのだ。

あるいはこうもいえる。
我々は自宅の中では西洋かぶれのおしゃれなデザイン美学を愛好しているが、一歩外に出れば建築や調度や雑貨の美しさなどもうどうでも好いのだ。

「町並みの美学」なぞ、犬にでも食われろだ。

道路も、街路も、電柱も、電線も、駅も、自転車置き場も、ゴミ捨て場同然の醜さであっても、どこかの国のアホバカ首相のように「これが日本だ、美しい祖国だ! ワンワン」と、シッポを振って喜んでいるのである。



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ありがとう、ありがとう、ありがとう

2007-02-19 19:07:50 | Weblog


遥かな昔、遠い所で 第7回

今日の日経の夕刊に嵐山光三郎の「渡辺和博氏の死」を悼む弔文が掲載されていた。

彼は10年間にわたって週刊朝日に「コンセント抜いたか」というエッセイを連載していたのだが、その相方のイラストレーターの渡辺和博氏がガンで亡くなったのである。

 3年前から肝臓ガンで入退院を繰り返していた渡辺氏は、後頭部まで転移し右目はしびれて見えなくなった目で、最後の作品、「60歳になった白髪のペコチャンの絵」を描いたという。

薄れてゆく意識のなかで、10年間続けてきた仕事を終えた渡辺氏は、亡くなる寸前、子どもみたいな声を出して、「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と奥さんに言ったという。

ここまで読んだ私は、嵐山光三郎の父君の最後の「よろしく」と書かれた言葉を思い出さずにはいられなかった。

げに死者の最後の言葉ほど、生者の胸を鋭くえぐるものはない。

私は、最後まで仕事をする人が好きだ。

私は、自分の妻を愛し、感謝する人が好きだ。

ああ、渡辺さん、遅かれ早かれ私たちも全員があなたと同じ道を辿るのです。


今朝咲きし すべての梅が枝 君に捧げん


黙祷
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四吟歌仙 

2007-02-18 16:39:35 | Weblog


遥かな昔、遠い所で 第6回


一  (新年)    パソコンを開けば思はぬ賀客かな    杉月

二  (新年)       ネットを揺らす獅子舞踊  あまでうす芒洋

三 (春)     梅林に黒猫一匹横切りて         峯女

四 (春)         主人はひとり春炬燵する    ろく水

五 (春・月)   おぼろ月異郷の家並みにかかりをり    杉月

六  (雑)       太郎は寝たが次郎目覚めつ     芒洋

(初折裏)

七   (雑)     夢が躍る時が過ぎゆくしんしんと   峯女

八   (恋)       かどのご隠居朝帰りして     ろく水

九   (恋)     千早振る神代大夫に恋焦がれ     芒洋

十   (夏)       卯の花匂う垣根飛び越え     峯女

十一  (夏)     白球を「はてネ」と拾ふ夏帽子    ろく水

十二  (雑)       托鉢僧が独り佇む 杉月

十三  (秋・月)   列島をはるかに照らせ秋の月    芒洋

十四  (秋)       鳥島南方台風北上        杉月

十五  (秋)     コンビニの傘無残なり天高し     ろく水

十六  (雑)       幼な児追いし赤い風船      峯女

十七  (春・花)   花曇遠き日の鬱よみがえり      杉月

十八  (春)       風光る原友と進まん       峯女

(名残表)

十九  (春)     春の果て地下六尺に眠る犬      芒洋
  
二十  (雑)       漆黒の夜に連れ笑いして     ろく水 

二十一 (雑)     かがり火に馳せ集ふたり京のもののふ 杉月

二十二 (雑)       コミューンに燃えた七十二日   峯女 
 
二十三 (冬)     血塗られし壁に動かず冬の蝿     芒洋 
 
二十四 (雑)       足滑らせて尻餅をつく      ろく水
 
二十五 (恋)     宙に飛ぶ少女の腓うち震え      芒洋
  
二十六 (恋)       上げたばかりの前髪乱れ     峯女 
 
二十七 (恋)     哀しみに耐えて瞳をそらしをり    杉月 
 
二十八 (雑)       車窓はるかに望む鐘楼      ろく水
 
二十九 (夏・月)   雨上がり静かな村に月涼し      峯女 
 
三十 (夏)       わが掌の平家蛍よ        芒洋 
 
(名残裏)

三十一 (雑)     友臥せり本を命の余命いくばく    杉月 
 
三十二 (雑)       故郷の味する持参の饅頭     ろく水 

三十三 (雑)     踏み切りを渡れば唱歌聞こえ来し    杉月
  
三十四 (雑)       あろんざんふぁんなむあみだぶつ 芒洋 
 
三十五 (春・花)   つかのまの乱舞を誘う花吹雪     峯女 
 
三十六 (春)       若葉翳さす静が舞台       ろく水 



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不安な春

2007-02-17 18:44:21 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語42回


去年は3月6日に発見したヒキガエルのオタマジャクシの卵を、昨日同じ場所で見つけた。

私が知る限りヒキガエルが天然自然に繁殖しているのは、光明寺の深い池と果樹園とここだけだ。

かつては春近い季節のとある日に、突如どこかから現れた何匹もの雌雄が、激しく交尾して我々人間を驚かせ、楽しませてくれたものだ。

そうして恋の勝利者たちは、長い長い輪になった透明な寒天状の袋に入った小さな黒い斑点のような卵を、どうだ、どうだ、と勝ち誇ったように湿地や水溜りのいたるところに産み付けたものだが、ここ数年、そういう心踊る光景にはたえてお目にかかれなくなってしまった。

それにしても、今年はやはり暖冬で地球には絶対に大きな異変が起こっている。

例年なら落ち葉が沈んでかなり大きな水溜りができているはずなのに、今年は渇水のためにほとんど水がない。仕方がないので、私は少し落ち葉をかき出して、小さな池を作ってやった。

このままなんとか育って、七月上旬のニイイニイゼミの初鳴きの頃、無事に孵ってほしいと祈るような思いだ。

しかし油断はできない。

去年は忘れもしない6月28日に、近所のアホバカオートバイ野郎が、この池と草地を蹂躙して大半のオタマが死滅した。

だから、いつも私は何匹かを自宅の瓶で育てて万一に備えているのだが、今年は両生類の絶滅を招きかねないカエル・ツボカビ症が、わが国にも中南米から侵入してきた。

この「カエルのエイズ」に感染すると、カエルやサンショウウオたちは皮膚呼吸ができなくなり食欲不振、オブローモフ現象などを起こし2~5週間で9割が死んでしまう。

現に中米のパナマでは野生のカエルが全滅した地域があるそうだ。クワバラ、クワバラ。

私の大好きなカエルにも、可愛いらしいけど小生意気な木村カエラにも、どうやら明るく楽しい未来はなさそうだ。

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遥かな昔、遠い所で 第5回

2007-02-16 19:29:28 | Weblog


三歌仙

発句       鎌倉の谷戸に咲きたり岩煙草    あまでうす芒洋
脇         そぼつ五月雨烟るむらさき    ろく水
第三       早乙女の笑顔まぶしき昼下がり   峯女
四句目        誰かさんが眠っているよ小麦畑 芒洋
五句目      名月に栗も団子も間に合わず    ろく水
六句目         可不可を論ずる虫たちの声   峯女
折立        むざむざと捕えられたり秋蛍     芒洋
ニ句目         かこち顔して恋文を打つ     ろく水
三句目       ブラームスお好きかどうかと問い掛けて 峯女
四句目         セーヌ左岸で都々逸を唸る    芒洋
五句目       葡萄酒も時のかなたの偏奇館    ろく水
六句目          踊り子ひとり爪を眺める    峯女
七句目      寒月や朝まで照らせ伊豆の海     芒洋
八句目          群雲たちて風花の舞う     ろく水
九句目       浅きゆめ目に焼きつきし煌めき残す  峯女
十句目          五〇過ぎれば下天も楽し      芒洋
十一句目       北面の武士いざないし桜花      峯女
折端          草の茵の春宵値千金       ろく水
折立        太平の眠り覚ますや猫の恋        芒洋
二句目          敗れて逃げしトタン屋根かな    峯女
三句目        欲望という名の電車に飛び乗りて   ろく水
四句目          ナッシュビルにてブランチしたり  芒洋
五句目       あらまほし喉すべりゆく冷奴      峯女
六句目          今どきの娘は浴衣にサンダル   ろく水
七句目       ざんざ降り下駄の鼻緒は紅染みて   芒洋
八句目          小癪なおきゃん水仙めでる     峯女
九句目        球根のひげ根はびこる水栽培      ろく水
十句目           ワッと驚くキューリー夫人    芒洋
十一句目      ワルシャワの蒼白き月ラボ照らし    峯女
折端            貧乏書生は着重ねが好き    ろく水
折立        暗闇の坂を下れば雁が鳴く        芒洋
二句目           無縁の人になごりを惜しみ    峯女
三句目       良縁も運がいいやら悪いやら      ろく水
四句目           後の祭りは世の習いなり     峯女
五句目     浅草や雷門に花吹雪          芒洋
挙句          盛り塩清し春の夕暮れ       ろく水

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平成風狂散人の傑作を読む

2007-02-15 21:49:53 | Weblog
 

嵐山光三郎著「よろしく」(集英社)


嵐山光三郎は不当に低く評価されている作家だが、それは間違っている。

彼の作品はすべて読むに値し、読後の深い感銘を残す。特に山田美妙や芭蕉などの文学者を素材に取り扱った際の彼の技量の冴えは鋭く、凡百のヒョーロンカどもの白痴的言説を地上はるかの高みからアハハハアと嘲笑うのである。

特に人生の黄昏を迎えた父母と暮らしながら、その1日1日の断片をいとおしむように綴ったこの作品は、もしかすると彼の最高傑作かもしれない。

この小説には著者の家族や友人、著者が住むK立市の町内に住む有名無名の住人や奇人変人が続々と登場し、殺人事件や恐喝、詐欺、痴情、暴力、警察沙汰などの大小の事件と騒動を繰り広げる。

それらの大半は事実であり、ありのままの現実の描写なのだが、著者の筆にかかるとそれらがそのまま幻想譚であり、壮大なフィクションであり、人間非喜劇と化す。

嘘か眞か、ではなくて嘘も眞も一体となり混在するまか不思議な世界へと読者は導かれる。だから、これこそはほんとうの現代文学なのでR。

彼の文章の特色は、その独特のユーモアと冷徹な無常観の共存にある。彼は面白うていつも哀しき人の世の習いを、草原を一定の速度で黙々と直進するサイのように淡々と叙述する。

その白眉が本書の第八章「月おぼろ」である。これから読まれる方のためにいっさいの情報を封印するが、ともかく黙って読んでみてほしい。285pから312pまでの28pは骨肉に徹する瞠目の大文章である。これこそが文学だ。

この偉大な平成の風狂散人は、内心では炎のような情熱と狂気と無政府主義魂が燃え滾っているのに、それをおくびにもださずに冷徹に生きる。

世間を正確に見据える鴎外のような、荷風のようなその姿勢が好ましい。


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遥かな昔、遠い所で 第4回

2007-02-14 19:47:50 | Weblog



両吟歌仙 「春の膳の巻」  
 

独活に蛸酢味噌よろしき春の膳      ろく水

  そよと吹き込む五弁の桜        楽斎

蝶来る窓辺に本の積まれおり        ろく

  学成り難くごろ寝するなり        同

満月を見つけし宵のうれしさよ        楽

  げにすさまじきゴッホの流星      ろく

跳ね橋の袂に咲きたる曼珠沙華        楽

  お春恋しや沖の白雲          ろく

バイカル号いま大桟橋を離れたり       楽

  鞄に潜めしピストル一丁        ろく

議事堂の坂を一人で駆け上がる        楽

  チョン髷断ちたる代議士もいて     ろく

大川の左岸は涼し夏の月           楽

  サン・ローランのパンタロン着て    ろく

老将は死なずただ生き尽くすのみ       楽

  余寒にさする脛の古傷         ろく

オフェリアの沈みし淵か花筏         同

  春告鳥の語尾は震えて          楽

羅典語の教師板書で早や四十年       ろく

  ワインに厭きて蕎麦湯を愛す       楽

碧眼の妻に古備前ねだられて        ろく

  茶髪駆け込む大門の質屋         楽

夏草をわけて奔るや風の径         ろく

  雲の彼方の少年の夢           楽

蒼穹の果て見て鳴くか揚げ雲雀       ろく

  虚無僧は行く蒲公英の道         楽

罪ありて遠流されしや雛流れ        ろく
       
世阿弥をつつく鴉が一羽         楽

砧打つ音なかぞらに月高し         ろく

  無為を楽しむ今朝の秋かな        楽

猿沢の池を巡れば鹿が鳴く          同

  煎餅食いたし美形でいたし       ろく

銀座に消ゆ絽に黒髪の謎のひと        楽

  真砂女に似たる猫あくびして      ろく

わが庵に万朶の桜降りやまず         楽

  楽の音もまた春の夜の夢        ろく

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