あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

トマス・ピンチョン著・佐藤良明、栩木玲子訳「ブリーディング・エッジ」を読んで

2021-06-30 13:54:45 | Weblog

照る日曇る日第1598回


今年84歳の作者が76歳で敢行(刊行)した、またしてもアッと驚く為五郎的国際陰謀ミステリーてんこ盛り超絶破天荒家庭小説!ずら。
これまでピンチョンは1963年の「V」、66年の「競売ナンバー49の叫び」、73年「重力の虹」以降、90年も「ヴァイランド」。97年の「メイスン&デイクソン」、06年の「逆光」、09年の「LAヴァイス」など、数少ない超ド級の総合大河宇宙小説を忘れられそうな頃にドスンドサンと生み落としているが、個人的にはホンシリーズ全9冊中で本書がいちばん面白かった。
解説によれば原題の「Bleeding Edge」とは、時代の最先端の技術がまだ十分に手懐けられていないというあぶない状況を指す形容詞らしい。昨今全盛の監視資本主義の時代にふさわしい超エッジィな小説だ。
今回のヒロインは才色兼備ながら既に2児を持つ異色の不正検査士だが、NYマンハッタンのアッパー・ウエストサイドを主舞台に大人になった美少女戦士セーラームーンのように大活躍。ドッドコム・バブル後の01年春から9.11の同時多発テロを挟んで02年の春までを、リアルとWebフィクション、サイバーとサイエンス、権力と自由、事実と創造と想像と妄想のあわいを縫って颯爽と駆け抜けるのさ。
PCはマイクロソフト、ネットはグーグル、動画視聴はユーチューブ、買い物はアマゾンという風にグローバル電脳独占資本に取り込まれた私としては、この小説に登場する疲れた中年男に倣って、「ネットの時代はもう終わった。そこには最初から破滅のプログラムが組み込まれていた」と言いたくて仕方がないようじゃね。
余談ながら映画になった「LAヴァイス」は面白かった。2013年のこの最新版サイバー・ロマネスクを映画にするなら、」主演は若き日のジーナ・ローランズ以外に考えられないが、彼女はまだ生きているのだろうか。

アマゾンの配達ちゅうのは自儘なり玄関先にポンと置いてく 蝶人
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ドストエフスキー著「白痴」を読んで

2021-06-29 10:28:05 | Weblog

照る日曇る日第1597回

思うにムイシュキン公爵は、かのドン・キホーテやキリスト、あるいは我が家のコウ君の生まれ変わりみたいなもんだ。
昔から現在に至るまで、ムイシュキン公爵のような精神の障害を持ち乍ら、人間界の極北の燦然たる善なる価値を俗界に振りまく天然記念物的至純の存在は数多く存在したわけだが、それをこれくらいユーモラスに愛着をもって書き尽くしたドスト選手はまぎれもなく天才中の天才だろう。
終わり近くパーテイで調子に乗った公爵が、諸悪の根源たるローマ教会とその反動として出現した無神論をロシア的同根と断ずる大演説のノリも神がかりだし、その前の余命幾ばくもないイポリートの「手紙」の迫真的な独白も、その瞬間毎に激発し、全脳内に沸き起こるグルーヴ感が物凄い。彼以外の誰にも書けない宝物のような大文章だ。

 非常時と知りつつ夏の運動会に現をぬかす人を憎めり 蝶人
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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.67」

2021-06-28 13:28:30 | Weblog

西暦2021年水無月蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第394回


○銀婚式のお祝いでの本人のスピーチ

今日は私ども夫婦のためにこんな素敵な会を開いて頂きまして、まことにありがとうございます。家内はどうか分かりませんが、夫婦生活25年の銀婚式といわれましても、あまり実感がなくて遠い記憶の底から「光陰矢の如し」とか、「歳月人を待たず」とか古い諺が浮かんでくるくらいです。*1
しかし、忘れようとしても忘れられない事件も確かにありました。それは長男の耕のことです。彼は私たちが結婚した翌年に誕生しました。自己の内面を深く耕す人になって欲しいとの願いを込めて「晴耕雨読」の耕から名前をとりました。
ところが2歳頃になると他の子供さんとの違いが歴然としてきました。言葉の発達が遅れ、会話ができない。溝の穴や特別な植物や乗物、鉄道ダイヤの数字などへの異常な没頭や強いこだわり。遊びのパターンがいつも同じで変化がない。何時に起きて何時に寝るなどの日常生活のパターンが固定されてそれを変化させようとすると抵抗する、などの異常が強まってきたのです。
私たち夫婦はいろいろな病院を訪ねて医師の診断を仰いだところ長男は自閉症という障害でありました。*2
皆さんは自閉症と言う言葉を聞くと、ネクラで自宅に引きこもったり、難しい顔をして深刻な悩みにふけったり、自己の内面に閉じこもって心を閉ざす人々のことを連想されるのではないでしょうか。これは人間に誰でもある「自閉的な状態」であって、「自閉症」とは何の関係もありません。
自閉症は1943年に米国のカナーという児童精神科医が発見しました。WHO世界保健機構の統計によると2000人に1人の割合で患者が存在します。
医学が進んだ現在でも自閉症の原因は解明されていませんが、*3最新の学説では、脳の中枢神経系の器質や機能不全による多様な発達障害とされています。
ところが25年前のわが国の自閉症に関する研究は非常に前近代的であり、国立大学病院の教授や自閉症の専門機関の権威さえも自閉症を現在のような器質障害として認めず、母親が子を甘やかした結果の母源病と決め付けるような情緒障害説が大手を振ってまかり通っていました。
私たち夫婦はそんな学者先生の無知や社会的偏見と戦いながら、自閉症の子供をもつ親の会や支援者、ボランティアの人々の暖かい励ましを受けつつこの四半世紀を生きてまいりました。
長男耕の存在が私たちを共通の絆で結び付け今日の銀婚式を迎えることができました。耕君ありがとう。これからも一緒に頑張ろうね。

○アドバイス

*1人には長い歴史と思い出がある。個人的な体験といえども語らずにはいられない物語もあるだろう。銀婚式はそのための格好の舞台である。
*2自閉症というネーミングが一人歩きしているためであろう。いまでも多くの人が自閉症を自閉的と混同している。
*3自閉症は、知恵遅れを含め、いろいろな発達障害を複合することが多いが、基本的に共通するのは視覚、聴覚、触覚などの認知障害である。入力される外界からの情報を正確に認識できないために他人や世間とのコミュニケーションがうまくいかない。手、足などの各部品自体は正常なのだが、それらを統合する脳の中枢系の機能が弱いためにいろいろな不都合が起こると考えられている。


毎食後10種も薬を飲むなれば偶には激しく下痢もするなり 蝶人
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道浦母都子歌集「無援の抒情」を読んで

2021-06-27 11:40:41 | Weblog

照る日曇る日第1596回

リンチ受くる少女のかたえを通るときおし黙りおり唖者のごとくに
報復の名のもとわれは甘えいて今宵も虚しき血は流さるる
夜を徹しわが縫い上げし赤旗も故なき内ゲバの血に染まりゆく
その夜より報復おそれ帰らざる早稲田よわれの墓標たる門


学生運動と青春についてはあまり語りたくないので、こういう歌集は敬して遠ざかていたが、なんとなく目に入ってきたので読んだ。
60年安保を歌った岸上大作や寺山修司の有名な“燐寸すりの裕次郎歌”は、観念的、抽象的で吹けば飛ぶよに軽いが、安田講堂世代の彼女の歌は、血を流している重い肉体がある。
短歌の専門家から見ればいろいろな欠陥が目立つのだろうが、それがどうした。糞くらえ。特に内ゲバと永田洋子を詠んだ歌がいつまでも胃に澱を残した。


連日の五輪コロナワクチンの報道ストレスで顔面麻痺す 蝶人
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現代詩文庫68「清水哲男詩集」を読んで

2021-06-26 16:02:32 | Weblog

照る日曇る日第1595回


1961年の「喝采」以降1976年までの代表的な詩と、様々なエッセイで構成されているが、詩そのものよりも詩集「スピーチ・バルーン」ニオケル「ブロンディ」「ミッキー・マウス」「のらくろ」「フクちゃん」などの題名に強く惹かれた。私は今でも「赤胴鈴之助」とその主題歌が大好きなので、いつかこのタイトルによる詩を書いてみたいものだ。
巻末には思いがけず鈴木志郎康さんが「清水哲男さんの詩に抒情の現在を考える」という詩論的エッセイが付されており、その内容もさることながら、当時の志郎康さんは多忙で熱を出したりしているなかで締め切りに追われているようで、前半を書きさして中断し、最終日の午前3時になってその詩論の結論を出そうとする。
そうして、それが最後の最後まで真摯な考察でありつつ、現在時のアトモスフェアの即興的な状況報告的ジャムセッションになっているところに感銘を受けた。これぞ詩人のエッセイである。


わが庭の梨の木も枯れてしまったよリンゴ殺人事件を嘆いて 蝶人
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宮崎駿作「風の谷のナウシカ7」を読んで

2021-06-25 15:03:02 | Weblog

照る日曇る日第1594回


もはやトルメキアの神聖皇帝も死に、土鬼の土地もその大半が腐海に没した。
衰弱しながらもナウシカは、子オーマと共にシュワの墓地へ赴き墓所を永遠に閉じようとする。しかし子オーマは調停者にして戦士、そして裁定者だった。
考えてみればすべてがナウシカを通じて危うい均衡を保っているに過ぎない。
青き衣の者は救世主にして死神。同じ予言が時には生への希望になり、彼岸への「あこがれになる。
みな自分だけは過ちをおかさないと信じながら、業が業を生み、悲しみが悲しみを作るの輪から逃げ出せない。
先日の瀬戸内海で明らかになったように、水清ければ魚棲まず。清浄無垢な水では生物は育たない。我々現代に生きる者には、生存の必要悪としての汚染された水や食料や環境が必要なのかもしれない。
宮崎が喝破したように、生命はどんない小さくとも、外なる宇宙を、内なる宇宙に持つのだ。


六月も怒濤のように過ぎてゆきニッポン破綻われまた破綻  蝶人
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ドナルド・キーン9つの講演集「日本を寿ぐ」を読んで

2021-06-24 12:00:33 | Weblog

照る日曇る日第1593回


解説で尾崎真理子選手が書いているように、随所にキーン選手の声が聞こえてくる講演会のレジュメである。
「日本短詩型文学の魅力」では、韻を重視する英米の文学者らしく、日本文学における「音」に注目。例えば蕪村の「春の海 終日(ひねもす)のたり哉」の音だけで、春の海を感じさせると言うのは当然であるが、芭蕉の「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」を会場で「しずかさや いィわにィ しィみィいィる せみィのこえ」。い、い、い、い、い……」と読みあげ、最後の「い、い、い、い、い……」は蝉の鳴き声そのものであるというのである。
同様に「夏草や 兵どもが 夢の跡」をキーン選手が読みあげると、「なつくさや つわもォのォどォもォが ゆめのォあとォ」となって、悲劇的なォ音の強調が、芭蕉昨品の本質を抉っていることが具体的に証されるのであった。
このほか「松浦武四郎」や「明治天皇」「石川啄木」「泉鏡花」についての講演も興味深いものがある。


「このように思っております」というけれどこのようにの中身がスカスカ 蝶人
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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.66」

2021-06-23 14:41:20 | Weblog

西暦2021年水無月蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第393回


○金婚式のお祝いでの本人の謝辞
本日はご多用中にも係わりませず、かくも多数の皆々様のご出席を賜りましてありがたく厚く感謝致しております。*1
私ども夫婦が結婚しまして、横浜の一隅に居を構えてから既に半世紀以上の年月が経過したとは、まるで夢のようです。私は、勉強と学校が大嫌いでしたので、山手の中学校をでるとすぐに当時宮内庁の御用達で日本一のテーラーであった西川洋服店に弟子入りしまして、紳士服の仕立ての修行に精を出しました。*2
師匠も兄弟子もぐっすり寝こんでいる丑三つ時にこっそり起き出して、お客様からお預かりしていた最高級の英国製背広をすっかり解体してその製法技術を研究し、明け方までにきれいに元に戻したりして、一心不乱にやったものです。手先が器用でしたから、この仕事が性に合って親方からも可愛がっていただき、20歳頃には独立して元町に黒田洋服店の看板を掲げることができました。
当時、日本の輸入生地は安物で品質が良くなかったので、主として英国製の輸入生地を用いて入念に仕立てたものです。*3
私はどうも普通の仕立て屋がやっていることじゃつまらないものだから、お客様の許しを得て、生地の選択、裁断、縫製、細部の仕立てまで、全部私の好きなようにやらせてもらいました。
それが厭だというお客の仕事は最初から引き受けなかったものです。そのかわり、仕立てには凝りに凝ったので、お代も、普通の仕立て屋の5倍の料金を頂戴しました。
完成した製品は丈夫で型崩れせず、何十年も着られたので、横浜の外国人、船乗りや外交官、政治家、富豪、高級官吏、宮中の貴賓の方々といったハイソサエティ階級の人々にだんだん上得意が増えまして、お陰さまにて食うに困るようなことにならなかったのはありがたいことと天に感謝しております。
このたびの戦争で横浜も焼け野原になりましたが、私の家は幸い戦争の災禍にかからなかったので、戦後も家内がマネージャー兼大蔵大臣、私が製造部長兼総理大臣という二人三脚で今日までつつがなく生き延びて参ったような次第であります。*4
家内にはいままでどこへも連れて行ってやれなかったので内心気に病んでおりましたら、本日の会を設けてくれました一人息子が私たち老夫婦を引率して「ロンドンパリ10日間の海外旅行」に行こうと言うてくれまして、このとしになってはじめてのロンパリと洒落込むことになりました。*5 
歳は取ってみるものです。せがれ、そして皆さんにこころからお礼を申し上げる次第です。


○アドバイス
*1妻とともに苦楽をともにした半世紀の歳月を回顧するわけであるが、即興的な話になれている人は別だが、あいさつの前に日記や記憶を頼りにいくつかのエピソードを書き出し、そのなかから自分がどうしても話したいことを2,3に絞り込むとよい。
*2エピソードの細部が充実しているほど、聞く側の感銘が深まる。
*3誰にもかけがえのない自分史がある。その旬のハイライトの部分を切り取ってスピーチする。短いフレーズのなかにも主人公のいきざまの片鱗が覗える。
*4配偶者のスピーチが予定されていない場合には、なおさら内助の功についてしっかりと触れておくのが紳士のたしなみであり愛情というものである。
*5 身内への細やかな配慮が聞くものを幸せにする。


アサヒからスーパードライと言われたらどうぞと差し出す丸川珠代 蝶人
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「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第99回

2021-06-22 11:53:30 | Weblog

西暦2021年睦月蝶人酔生夢死幾百夜


山紫水明の田舎町を訪ねたのだが、あまりにも山紫水明すぎたので、その名前を忘れてしまった。1/1
ジュースが配給になったので各戸毎に配分しなければならないのだが、それを計ったり、エレベーターに詰め込んで配達するのが大変だ。1/2
クマと遊び始めたのだが、そこいらにウンコはするは、やたら吼えるはで、ひどく大変だ。急いでトリセツを引っ張り出したが、役立たずで、後悔先に立たずだった。1/3
JRの危険団では、反鉄道団体を規制するために、JRシンパをにわかに囲い込んでいた。1/4
「おらっち、ちょっくら横須賀へ寄ってくらあ」、とそいつがいうので、止めたのだが、案の定、溝板通りの米軍人用のバアで新型コロナに感染して、ほえずらをかいた。1/4
私らは、会社の跡地をたびたび訪れては、再起を誓ったが、それは結局果たされぬ約束、見果てぬ夢と終わってしまった。1/5
ガードマンの私が、一晩中観察したところによれば、非常事態宣言をしたマンションの窓の中に、1美女、2幼児、3母親、4盗人が次々に忍び込んでいった。1/6
誰かが、おらっちをはじめとする33匹の蟹の目の前に、うまそうなパスタを落としてくれたが、大きすぎて食べられなかった。1/7
夜の12時ちょうどに、コンサートの最後の曲が終わるはずだったが、失敗したので、指揮者は、今度は1時終演をめざしてまた挑戦したが、うまくいかないので、コンサートは延々と続いた。1/8
解体していく人物像を阻止しようと、一世風靡した彼の名文句を画面に向かって投げつけたが、なおも画像は、どんどん溶解していくのだった。1/9
もう人世の最後の周回期に突入したので、幼少期から現在に至るまでの印象的な光景を呼び出して、ブルーレイに焼き付けておこうとしているんだ。1/10
国鉄の終電時間が早まった代わりに、全国の全線の普通列車が無料になったので、暇人はみな利用している。1/11
いつまで経っても、その場に転がっている死体を、誰も処理しないので、しかたなく私が地面に穴を掘って、商人2名、天使1名の死体を葬った。1/12
さんざん罪を犯したのは事実だが、同じくらい罪を犯した人間を見つけたら、2人とも免罪されると聞いたので、罪人たちの情報交換が盛んに行われているようだ。1/13
ここからだと、世界の秘密を解明する手掛かりとなる、岩石の割れ目が、よく見える。1/14
西海岸に住んでいた時は、いつもジョン・ウエイン空港を利用していたのだが、コロナ禍で使用中止になって、名前もアラモ空港に変わったそうだが、悲しいことだ。1/15
電通が石坂浩二を売り込んでいるのに対抗して、おらっちは、新しき村の家ごとに入り込んで、失われた一家団欒を回復していったのよ。1/16
100万円の報奨金が出ると聞いたので、イの一番にもらおうと、わいらあ国会議事堂に押し掛けた。1/17
政とにたかう故じゃの声明へのしょめい 1/18
我が国の6チャンと5チャンネルに、4Dとか8Dなんてめじゃない物凄い解像度を誇る映像を、暇な宇宙人が送って寄越したので、技師たちは大慌てだ。1/19
ともかく、どんな学校でもいいと思って、10個以上も受験したところ、なぜだか全部受かってしまったので、どれにしようかと、いつまでも迷っているわたし。1/20
アウターのトレンドが完全に行き詰ったので、今年のパリコレの出品は、マスクとパンツだけになったが、その中でいちばん注目を集めたのは、やはりフンドシだった。1/21 
亨同ホテルに詰め込まれた若い女たちは、みな部屋の窓からハンケチを振って助けを求めているようだが、私にはどうすることも出来ない。1/22
バス停でバスを待っている妻が「バス停の傍の橋に可愛いタヌキがいりよ」と電話してきたので、自転車で駆け付けると、なるほど可愛いコダヌキがいたので、「タヌキよ、タヌキよ、こっちへ来い」と誘うのだが、橋の半分のところまでしかやってこない。1/23
そのロシアのホテルが沈んでいく地面から、2本の手が伸びていたので、1本はサカモト君が、もう1本はキタジマ君がぐっと握って引っ張り上げると、どこかで見たことがあるような顔つきの男が、姿を現した。プーチンならぬリプーチンだった。1/24
カクミとかいう女が逃げこんできたので、しばらく匿っていたら、マスコミが殺到して、我が家は足の踏み場もない。1/25
この国でいちばんの悪党を、おらっちは一刀のもとに、切り捨てたのよ。1/27
王宮では、毎日新曲を必要としていたので、私ら作曲家は、朝な夕なに、既存の有名曲からサビをぱくった疑似新曲をでっち上げて、お茶を濁していた。1/28
次々にブルックナーの交響曲第5番が演奏されるが、どれが原典版でどれがハース版あるいはノヴァーク版であるのかさっぱり分からないので、おらっちは全部を同時に演奏してくれるように頼んだ。1/29
今朝はいくら時間が経っても7時にならないので、それまで短歌を詠もうとするのだが、1首もできなかった。1/30
天下分け目の大勝負の日に、以前私と付き合いのあった2人の女性が大勝利を勝ち取ったので、少しは私も浮かばれるかと期待したのだが、そうは問屋がおろさなかった。1/31


7月の19日が旗日のと22、23が連休のカレンダー 蝶人
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宮崎駿作「風の谷のナウシカ6」を読んで

2021-06-21 11:36:25 | Weblog

照る日曇る日第1592回


王蟲の胎内で昏々と眠り続けるナウシカは、おもむろに目ざめながら、戦乱と環境破壊の現世の矛盾が止揚され、完璧に浄化された地上の理想郷を遠望するが、果てしもない地獄の闘争が続く此岸へと引き返す。
それは、彼女自身がもはや無垢ではないからだ。無垢ではありえないからだ。
それは、彼女が、人間は、この世で生きようとすれば、汚れた存在になるほかはなく、それを勇気をもって引き受けることが生きることである、という悟りを得たからなのだ。



我見れば必ず吠える阿呆犬よ「殺したろか」という日に吠えず 蝶人
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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.65」

2021-06-20 11:34:24 | Weblog

西暦2021年水無月蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第392回

○恩師の金婚式を祝う司会者のあいさつ
本日結婚50周年のよき日をお迎えになりました金田先生ご夫妻に、心よりお祝い申し上げます。*1

私は、金田先生が勤務されておりました近畿針灸学院で大変お世話になりました井上慎也と申します。金田先生はいまから30年前、私が大阪でサラリーマンをやっておりました折、どんなお医者にかかっても治らなかった原因不明の難病を、たちどころに完治して下さった漢方の名人医であります。*2

その時の体験があまりにも強烈であったので、私は3年後に勤めていた会社を辞めて金田先生のおられた針灸の学校に入学し、10年後に先生の看板で独立させていただいたのです。

「昭和の赤ひげ先生」と綽名された金田先生は、西洋医学が見放した数多くの難病患者を救い、後輩に対して熱心な指導と援助を惜しまれませんでした。*3

またそんな金田先生を奥様は他の誰も真似ができないほど献身的に支えられたのです。*4

本日私は命の恩人である金田先生ご夫婦に改めて感謝申し上げると共に、この素晴らしいご夫婦の末長きご健勝とご多幸を心より祈念いたしまして金婚式のお祝いの言葉とさせていただきます。

アドバイス
* 1恩師と話者の関係を要領よく出席者に紹介しよう。
* 2往時を回想しながら、久し振りにお目にかかった恩師への感謝を忘れずに。
* 3陰の立役者である夫人のはたらきにも細かく配慮して表現すること。
* 4老齢者へのスピーチは簡潔を旨とし、発声は大きく明快に。


国会で97%の法案を通す政権は何でもやれる 蝶人
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西暦2021年水無月蝶人映画劇場その2

2021-06-19 23:11:28 | Weblog
1)ジェローム・サル監督の「ケープタウン」
ホレスト・ウィテカー主演の2013年の犯罪捜査映画。母親を殺されたズールー族出身のウィテカー刑事の復讐が物凄い。
2)リシャール・ベリ監督の「バレッツ」
22発の弾丸を全身に喰らいながらも奇跡的に生き延びて復讐するマルセイユの元ヤクザジャン・レノ。普通なら22回死ぬはずだが。
3)ジャック・ドワイヨン監督の「ロダン」
2017年製作のおふらんす映画で名匠ドワイヨン選手が彫刻家ロダンの生涯に真正面から取り組んで大きな成果をあげている。ラストで箱根彫刻の森美術館のバルザック像が登場するので驚く。
4)トラヴィス・ファイン監督の「チョコレートドーナツ」
同性愛者とダウン症の少年を繋ぐか細い絆ここにあり。「グッド・ワイフ」のイーライ役で有名なアラン・カミングが熱演する2012年の作品。
5)ジョルジュ・ロートネル監督の「ジャン=ポール・ベルモンドの道化師」
ジャン=ポール・ベルモンドが出る1980年の凡庸な映画。
6)ジャン・ジロー&ルイ・ド・フュネス監督の「守銭奴」
モリエールの戯曲を1980年に格調高く映画化。ルイ・ド・フュネスの名演に打たれる。
7)ジャン・ジロー監督の「銀行を爆破せよ!」
ルイ・ド・フュネス主演、1964年のアナーキーな傑作。
8)フロランス・カンタン監督の「ホテル・ファデットへようこそ」
ドパルデュー、ドヌーブ競演の喜劇映画だが、なんとまあ二人とも歳をとって老醜無慚であることよ。それにちっとも面白くない。
9)ウオルター・ヒル監督の「48時間」
サンフランシスコ市を舞台にニック・ノルティ刑事と映画初出演の・エディ・マーフィが大暴れする1982年の大活劇。マーフィが圧倒的に素晴らしい。
10)ウオルター・ヒル監督の「48時間Part2]
マーフィ&ノルティがまたしても大活躍する1990年製作の続編ずら。

  ルッセエナアミヤネヤキエロトテレヴィヲケタオス 蝶人
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#家族の会話

2021-06-18 20:12:47 | Weblog
お父さん、コウ君が一番好き!
ありがとうございます。
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郡司正勝校注・岩波文庫版「勧進帳」を読んで

2021-06-16 14:34:15 | Weblog

照る日曇る日第1590回


コロナ禍や緊急事態宣言にもめげず、松竹や国立劇場では歌舞伎や能を大胆不敵に興行しているようだが、訳あってワクチン注射が打てず、交通事故の後遺症を検査する為に能ならぬ脳の検査などで病院通いしている私が、再び芝居見物が出来る日が来るのだろうか?
せめてままならぬ焦燥をひと時なりとも癒そうと、文庫本のこの1冊を手に取ってみた。
「勧進帳」は、天保11年に7代目團十郎(市川海老蔵)が初演、明治の「劇聖」9代目團十郎が端正な一幕物とリフレッシュして以来、市川團十郎家にとって格別重んじられている歌舞伎18番の代表的な演目である。
全体の梗概や登場人物の特色については周知の事実だから特にいうこともないが、驚くべきは、詳細にわたる細部の演出の注釈である。
弁慶が強力に化けた義経を打擲するあの名場面では、「弁慶は杖を両手にひろく持ち、振り上げ、ちょっと目をつぶって、ちょっと辛き思い入れあって、前・後・前と3度傘の上より打つ。主を打つという心で、腕は肩より上へ上げないのが口伝」とある。
終幕に弁慶が揚幕に入る「飛び六方」についても詳しい。
9代目団十郎ははじめは細かく3つトントントンと飛んだが、晩年には一足飛んで片足で中心を取る、より難しい難しいやり方を選んだそうだ。
その他「振り返る型」とか「法螺貝を背負って飛ぶ型」など色々あるそうで、おらっちこれからリハビリ代わりに暫く自宅でトントントンと飛んでみようと思うのであーる。


  唇が右下がりにひん曲がりある朝突然他人の顔に 蝶人
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大昔の音楽会のパンフレットが出てきた

2021-06-14 14:17:10 | Weblog

音楽千夜一夜第477回


書斎の整理をしていたらクラシックの音楽会のパンフレットが出てきた。一つはブリテンの「ピーター・グライムズ」、もう一つは「マタイ受難曲」である。
前者は1979年の秋に英国ロイヤルオペラが来日した時のもので、コーリン・デイヴィス指揮のロイヤルオペラが、東京文化会館で4回公演したのである。
その何回目かは忘れたが、私は当時の大枚6千円の3階席を入手し、ブリテンの曲、デイヴィスの棒、オペラハウスの演奏、そして当時実力人気最高のジョン・ヴィッカースのテノールにいたく感銘を受けたことを、その公演の雰囲気を含めて今なお印象深く記憶している。
もう一つはその翌年1980年2月22日金曜夜の東京交響楽団第258回の定期演奏会である。
会場は同じく東京文化会館で、演奏されたのはバッハの「マタイ受難曲」。指揮は遠山信二というてんで知らない人。エヴァンゲリストをテノールの吉田征夫、イエスをバスの宮原昭吾と記されているが、指揮者の棒も、演奏も、歌手の誰かれの歌唱も何一つ覚えていない。「ピーター・グライムズ」とはえらい違いである。
当時の東響の音楽監督はいまも健在な秋山和慶で、次回258回の定期にはその秋山選手の棒で海野義男がチャイコフスキーの協奏曲を、261回には矢崎彦太郎の指揮で若き日のアンドラース・シェフが珍しやチャイコフスキーの協奏曲を弾いている。
ちなみに当時の私は貧乏なくせに何故かクラシック音楽の鑑賞に夢中になっていたらしく、在京のオケ全部の定期の会員になっていたが、その中で一番の贔屓はコケバンやヤマカズを迎えて熱い演奏を繰り広げる新星交響楽団であった。
とこえろが、それまではどうという印象もなかった読響が、どういう風の吹きまわしか1977年に突如チェリビダッケを迎えて、あのブラームスの4番と「展覧会の絵」の奇跡的な名演を聴かせてくれたことは、私の生涯の宝物となったのでありました。

カラヤンとベリンフィルの「運命」のフォルテッシモに揺れる我が家よ 蝶人
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