あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

柳田國男原作・京極夏彦文・北原明日香絵「えほん遠野物語かっぱ」を読んで

2024-05-31 09:48:19 | Weblog

 

照る日曇る日 第2056回

 

原作の「遠野物語」の河童に関する記述、第55、56、57、58、59段から素材をとって、北原明日香の赤い河童絵で、不気味な仕上がりとなっている。

 

「河童は猿であるから赤い顔をしている」と、柳田國男はいうたそうだが、56段では産み落とされた「身内真赤にして口大きく、まことにいやな」河童を棄てようとした噺があり、「ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべくにとて立帰」ったが、すでに姿が見えなくなったと記されている。

 

<河童=捨て子>と考えれば、おのずから漱石の「道草」のエピソードが思い浮かぶが、昔は飢餓、貧困による「間引き」の他に、験直しや宗教的な理由による捨て子も多かったのだろう。

 

第58段は、かの有名な「河童駒引き譚」である。河童の大群が馬を淵に引き摺り込もうとしたが、反対に馬が河童を厩まで引っ張りあげ、村人が殺そうとした。だが、河童が「もう悪戯はしません」と約束したので許されるという噺である。

 

「注釈遠野物語」の解説によれば、そもそも河童は、水神が零落して妖怪化したもので、禍福の両義性を持つとされ、その名称や姿態は土地によるし、歴史的にも変化してきたそうだ。

 

また河童は、産まれてきた奇形児の存在や、関係者の困惑や面子を傷つけない格好のヴェールとして、全国各地で多彩に活用されてきたようだ。

 

音だけで楽しむ逗子の花火かな 蝶人

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白鳥信也作「残照」を読んで

2024-05-30 08:54:17 | Weblog

 

照る日曇る日 第2055回

 

「西の山々に陽が落ちようとしている

山々は暗い影にしかみえない」

 

という始まりを経て、作者はたちまち残照のなかでアユ釣りをしている。

 

「水の中でくねる魚体の横腹が一瞬

黄金色に透けて見える

アユだ」

 

すると場面は一転して、終日パソコンに向かって仕事をしている作者の職場に変わる。

 

 「足裏がざわざわとして

俺の黒い皮靴が水にひたっている

水面がきらめいて

リノリウムの床の上で

跳ねる魚」

 

そう、いつのまにか事務室は滔々と激流が走り、銀鱗がきらめく故郷の川になっているのだ。

 

 「やがて窓から射しこんでいた光も消えると

  魚たちも

  流れも

  靴に絡まっていた水草も

  見えなくなる」

 

一日と世界の終わりを照らし出す薄昏の中で、懐かしい昔と苛酷な今、田舎と都会、自然と人工、夢と現実が忽ちにして往還する1篇の幻想譚である。

 

円安と物価高で苦悶する我らをよそに外人笑う 蝶人

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三浦しをん著「舟を編む」を読んで

2024-05-29 11:03:17 | Weblog

照る日曇る日 第2054回

 

既に映画とテレビをみてしまったので、かなり感銘が薄れたが、辞書編集という隠れた世界に焦点を当てたのは、作者の大手柄だったなあと感心しながら読み終えました。

 

原作本と映画とテレビを比べるとやはり一番最近のテレビの印象が強いのは、主役の「まじめ」に起用された野田洋次郎というキャラクターに負うところ大である。

 

池田エライザも最初はミスキャストと思われたが、次第に岸辺みどりになりきって見事だった。本作の脚本を書いた蛭田直美は只者ではない。

 

大風で大木家の栗の木が倒れてる栗花咲かせた大きな枝が 蝶人

 

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甲斐伸枝作「雑草のくらし」を読んで

2024-05-28 10:23:46 | Weblog

甲斐伸枝作「雑草のくらし」を読んで

 

照る日曇る日 第2053回

 

比叡山の麓の畑を借りて、観察を続けながら雑草と呼ばれる植物の生態をなまなましく描破しつくした5年間の記録です。

 

最初の春に顔を出したメヒシバとエノコログサがその後姿を消し、オオアレチノギクやセイタカアワダチソウ、ツクシ、カラスノエンドウ、ヒメジョオン、クズ、ヤブガラシの全盛時代を経て、5年目の春に復活する姿を眺めていると、つい私たちニンゲン世界の栄枯盛衰に、思いが及んでしまうのです。

 

「やれやれ」とあらゆる矛盾を呑みこめばすべてが無かったことになってしまう 蝶人

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柳田國男原作・京極夏彦文・中川学絵「えほん遠野物語やまびと」を読んで

2024-05-27 12:57:16 | Weblog

 

照る日曇る日 第2052回

 

遠野物語に「山人」の噺は多いが、これは原作の第3話と第7話を基に構成している。

 

前者は猟師佐々木嘉兵衛が白い顔をした丈高く美しい黒髪の女を猟銃で仕留め、黒髪を切り取って帰る途中、睡魔に襲われ眠っている間に丈高い山人が切り取った黒髪を奪って立ち去り、後者では山人に誘拐された娘の噺をリライトしている。

 

なお柳田國男は、この山人をいまだ絶滅せざる先住異族と考え、一般的な山男と考えた南方熊楠と激しく論争したのみならず、1934年から3年間、弟子たちと共に全国の山村調査に乗り出したが、かのニホンオオカミと同様、ついに発見するに至らなかった。

 

まっこと残念至極である。

 

    不如帰アリア果てなし十二所 蝶人

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西暦2024年皐月蝶人映画劇場 その4

2024-05-26 10:54:36 | Weblog

西暦2024年皐月蝶人映画劇場 その4

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3632~36

 

1)ジョージ・ロイ・ヒル監督の「明日に向かって撃て!」

レッドフォード、ニューマンの1969年の強盗物語。ラストのストップモーションがなければ凡作だった。

 

2)リチャード・レスター監督の「新・明日に向かって撃て!」

主役の2人は前作で死んでしまっているので、仕方なく前史をやったが案の定詰まらなかった1979年の駄作。

 

3)リック・ローマン・ウォー監督の「カンダハル突破せよ」

イランの核施設を爆破したCIA工作員が危機百発を乗り越えて帰国するまでの2023年のスパイ映画。

 

4)ジャン・ヴィゴ監督の「新学期・操行ゼロ」

寄宿舎の新入生たちの反抗と反乱を描く1933年の稚拙な実験作。

 

5)バート・ケネディ監督の「地平線から来た男」

ジュームズ・ガーナー、スザンヌ・プレシェットによる1971年の珍しい西部劇コメディ。

 

6)バート・ケネディ監督の「夕陽に立つ保安官」

すぐに「豪州に行く」というジェームズ・ガーナーの即席保安官が大金持ちの「町長の娘と結ばれるまでの1969年の西部劇コメディの傑作。

 

「読売を信じていいか?」と問うなかれ正力だって信じてないのに 蝶人

 

 

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柳田國男原作・京極夏彦文・近藤薫美子絵「えほん遠野物語まよいが」を読んで

2024-05-25 09:13:26 | Weblog

 

照る日曇る日 第2051回

 

原作の63段による絵本である。

 

「まよいが」は「迷い家」の意味だが、佐々木喜善が今昔物語の「迷い神」から思いついた用語だろうが、遠野ではあまり耳にしないと「注釈遠野物語」では解説している。

 

いずれにしてもあまりおむつのよろしくない無垢な女がふきを求めて小川を遡り、「座敷に鉄瓶の湯がたぎりて、今まさに茶を煮るんとする」豪壮な無人の屋敷を訪れ、帰りに小川から流れ下ってきた美しい赤い椀でお米を量ると、いつまでたっても米櫃が尽きず、それ以後当家(川井村の三浦家)は村一番の豪家になったという。

 

原作の続く64段では、栃内村の山崎某らが大挙してこの「まよいが」の門前に至ったが、何の収穫もなくいたずらに帰ってきたという。

 

「アマプラ」を何度も止めて見つめたり「サイコ」でリーが殺されるところ 蝶人

 

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久保田潤絵と文「なみにのる」を読んで

2024-05-24 09:46:23 | Weblog

久保田潤絵と文「なみにのる」を読んで

 

照る日曇る日 第2050回

 

作者は鎌倉在住のデザイナーにしてサーファー。

 

サーフィンで波に乗るという行為と意識を、シンプルな構図と文章で構成した青い絵本です。

 

  歳月はまたたく間に飛びゆけどウクライナ、ガザの戦果てなし 蝶人

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柳田國男原作・京極夏彦文・阿部海太絵「えほん遠野物語しびと」を読んで

2024-05-23 09:48:14 | Weblog

柳田國男原作・京極夏彦文・阿部海太絵「えほん遠野物語しびと」を読んで

 

照る日曇る日 第2049回

 

遠野では死人が帰ってくることがある。から始まる死者帰還の御話だが、その一つ第21段は、話者の佐々木喜善の先祖の噺である。

 

老母を亡くした娘と孫娘が、囲炉裏端で火を絶やさずに寝ずの番をしているとき、死んで棺に入っているはずの老母が家に入って来る。そして「2人の女の座れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり」(柳田の原文)。

 

この最後の「丸き」は佐々木の談話にはなく柳田の後日の加筆だが、この個所を呼んだ三島由紀夫が、遠野物語は単なる伝承記録ではなく立派な文学であると絶賛した話は有名である。

 

退職を自分で言えずに退職の代行会社に頼む連中 蝶人

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西暦2024年皐月蝶人映画劇場 その3

2024-05-22 09:15:04 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3627~31

 

1)ブルース・エバンス監督の「Ⅿr.ブルックス」

何不自由ない裕福な実業家が楽しい殺人を繰り返すが、だんだんそれが嫌になっていくという2007年のハリウッド映画。なんでこんな下らない阿呆莫迦映画にケビン・コスナー、ウイリアム・ハート、デミ・ムーアが出るのかさっぱり分からん。

 

2)ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「テオレマ」

1968年のイタリア映画でテレンス・ヤング青年がシルバーナ・マンガーノをはじめとする一家全員と寝て立ち去り、その後一家是全員が滅びる噺。アンヌ・ヴィアゼムスキーが娘役で出演。

 

3)トッド・フィールド監督の「TAR/ター」

2022年にケート・ブランシェットが演じるベルリンフィルの首席指揮者が性的醜聞に塗れて没落する姿が哀れを誘う。男性の言葉になっている彼女の日本語字幕に違和感を覚えるのは、当方に性的差別が残っているせいだろう。

 

4)アドラー監督の「UKコネクション前後編」

全英に恐怖を齎した双子のギャング、クレイ兄弟の隆盛と末路。

 

5)ミカエル・マルシメーン監督の「元カレとツイラクだけは絶対に避けたい件」

2012年、セスナに乗った男女が次々に訪れる絶対絶命のピンチをどうやって乗り切れるか?

 

ほんとうにその必要に迫られて介護保険を利用してるの? 蝶人

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柳田國男原作・京極夏彦文・樋口佳絵絵「えほん遠野物語きつね」を読んで

2024-05-21 09:52:50 | Weblog

 

照る日曇る日 第2048回

 

知り合いの男と相撲を3番取って3回とも軽々と投げ飛ばした間に餅を盗まれた噺と老母を亡くした友人から留守を頼まれた男が、死体を生き物のように動かした狐を撲殺する噺が素材になっている。

 

樋口佳絵が描く登場人物はみな灰色の顔貌をしていて、怖い。

 

7カ所で50匹が舞い踊る5月20日の平家蛍 蝶人

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柳田國男原作・京極夏彦文・町田尚子絵「えほん遠野物語ざしきわらし」を読んで

2024-05-20 09:02:06 | Weblog

照る日曇る日 第2048回

 

座敷童は家を栄えさせる12,3歳の童子の神様だが、男児のこともあれば女児のこともある。

 

本書に登場する座敷童は、みめよき2人の女児で、彼女たちが山口孫左衛門の旧家を去って別の家に向かうところから、恐ろしい悲劇が始まる。

 

前座としての蛇殺しに続いて、毒キノコにあたった山口家の人々は、その時たまたま昼飯を忘れて外で遊んでいた娘を除いて、全滅するのだが、そのたったひとりの生き残りも、嫁にも行かれず血脈が絶えてしまった。

 

相次ぐ兇変を描く、町田尚子の挿絵が恐ろしいずら。

 

ヒトラーに絶滅されんとしたユダヤ人今度はハマスを絶滅せんとす 蝶人

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西暦2023年5月18日~鈴木志郎康、鈴木野々歩、村岡由梨「家族再会上映会」にて

2024-05-19 15:47:47 | Weblog

これでも詩かよ第314回&蝶人物見遊山記第382回

 

志郎康さんの誕生日を前にして鈴木一家の映像作品が一堂に会するというので、久し振りに京橋へ行った。

 

私が今よりずっと若くて元気だった頃、京橋にはワーナーとセゾンの試写会場があったので、よく足を運んだものだ。セゾンの向かいには中央公論社の小ぶりなビルジングが建っていて、「マリ・クレール」という雑誌に、売り出し中の吉本ばななが「TUGUMI」を書いていた。

 

会場のASK?(アートスペースキムラ)は、私が生涯にたった一度だけ、うどんすきを食べた「美々卯」の隣にある南天子画廊の上階だった。

 

すでに会場には、野々歩さんと由梨さんと、「浜風文庫」の主宰者、さとう三千魚さんがいた。

朝早く、静岡からやってきたさとうさんは、新幹線で立ちん坊だったといった。

 

4部に分かれたプログラムの最初は、3名の「はじめての映像作品」だった。

野々歩さんが全裸になって、なにやら懸命に喋っている姿を見ているうちに、私は不思議な感情に襲われ、これは何だ!と、怖れ慄きながら、画面を見つめていた。

 

映画会が終わった後で、今夜のゲストの萩原朔美さんが語っていたように、黒澤も、小津も、溝口も、名だたる映画監督の誰一人として、裸になって、己の裸を公衆に晒さなかった。

 

しかし、ここにそれを成した唯一の人間がいるではないか。

まさしくこの瞬間に、鈴木野々歩は偉大なる詩人にして映像作家の父鈴木志郎康を、乗り越えたのではないか、と思うと、なぜか私の目玉から、数滴の涙が零れて落ちたのだった。

 

プログラムCの村岡由梨の「眼球の人」は、同名の詩作品に導かれるようにして完璧に構成され、ヴィジュアライズされた見事な映像作品である。

 

大人たちは、少女の私を見る度に、
「無邪気で愛らしい」と言ってくれた。
皆の愛のこもった視線の先にいるのは、いつも私だった。

 

で、開始され、

 

先日、眠が16歳の誕生日に種を蒔いたひまわりが花を咲かせた。
芽吹いたひまわりは、私の身長を超え、
あっという間に野々歩さんの身長も超えたのだった。

 

を、経て、

 

ひまわりの花を見上げて
自分を恥じないで生きていいのだと、
私は私に言い聞かせる。
ひまわりがこんなにも美しくて切実な花だと、眠が教えてくれた。

 

と、結ばれる12分間は圧倒的に美しく、村岡由梨という一人の女性、一人の母親、そして一人の芸術家の過ぎ来しゆくかたを、鮮やかに物語っているのだった。

 

「いまは役者をやっている時が最高のよろこびなんですと」と心情を吐露し、病と闘いながらガハハハと人世を豪快に笑う飛ばす萩原朔美さんとお二人の愉快なトーク「表現者の血を超えて」が終わると、京橋は、妄りにさんざめく土曜の夜の賑わいだった。

 

「はて東京駅はどっちでしたっけ?」と、きょろきょろしている私を、タクシーで新橋まで送って下さったさとうさんと別れを告げ、鎌倉の滑川沿いの夜道を歩いていた私を待ち構えていたのは、懐かしい合図を符牒のように点滅させるヘイケボタルと、河底を流星のように走る大中小の天然ウナギの群れだった。

 

ウナジロウ、ウナサブロウ、ウナシロウの死後、絶滅したかに思えた希少な天然ウナギたちが、往時のように自由奔放に踊り狂う姿を目にした私は、これはひょっとすると、かの極私的遊人、鈴木志郎康さんの精霊ではないかと思ったことだった。

 

   京橋の画廊も試写室も無くなりて同じ顔したビルのみ聳ゆ 蝶人

 

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「角川短歌」2024年2月号を読んで

2024-05-18 08:04:17 | Weblog

 

 

照る日曇る日 第2047回

 

詩のムラ世界に「現代詩手帖」というジミン党のような専制雑誌があるのは知っていたが、生まれて初めて手に取ったこの「角川短歌」もやはり短歌ムラの異臭がする雑誌だ。

 

こういう権威ある雑誌から頼まれると、どんな歌人も喜び勇んで10首なり30首なりを徹夜してでも作るのだろう。

 

さて今号では藤原龍一郎という人の「人間は戦争やめず寒北斗」という総題による反戦歌というか反抗歌が積極果敢に総身を曝け出していて好ましかった。

 

文芸精神総動員法ある明日は「俳句尽忠」「短歌報国」

 

地下ライブハウス曼荼羅パルチザン轟きわたれ!短歌絶叫!

 

享楽的娯楽の極み少年団(ジャニーズ)と呼ぶ退廃の血と薔薇の贄

 

夕暮の土手を走りて健やかに令和愛国少年団ぞ

 

シキシマノヤマトコココロヲヒトトハバヒノマル爺アイコク婆

 

そもそもは自分が仕掛けた戦争をぜんぶ他国のせいにしている 蝶人

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西暦2024年皐月蝶人映画劇場 その2

2024-05-17 09:28:06 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3622~26

 

1)アントワーン・フークア監督の「イコライザー THE FINAL」

悪玉を成敗するデンゼル・ワシントンがシチリアの麻薬マフィアをテッテ的にやっつける2023年の御噺。

 

2)カール・フランクリン監督の「タイムリミット」

悪い女の策略にはまった莫迦な警察署長デンゼルゼル・ワシントンが良妻のお陰で助かる2003年のドタバタサスペンス。

 

3)アンドリュー・ラウ監督の「インファナル・アフェア」

ヤクザ組織に潜入していた警察官とその反対のヤクザの悲哀を描く2002年の香港ノワール映画。

 

4)アンドリュー・ラウ監督の「インファナル・アフェアⅡ 無間序曲」

前作より11年前の前史を描く2003年の香港ノワール映画。

 

5)アンドリュー・ラウ監督の「インファナル・アフェアⅢ 終局無間」

シリーズ第3作の2003年の香港ノワール映画。3本とも時系列が混乱しているので、もはや何が何だか分からんずら。

 

挨拶を返さなくなった子供にはこっちも挨拶しなくなるずら 蝶人

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