あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

五味太郎作「みんなうんち」を読んで 

2018-09-30 15:41:38 | Weblog


照る日曇る日第1145回



みんなが避けてきたウンチに注目したところが偉い。

おおきいぞうは おおきいうんち
ちいさいねずみは ちいさいうんち

という開始は絶妙だが、次の

ひとこぶらくだは ひとこぶうんち
ふたこぶらくだは ふたこぶうんち

というジョークが素晴らしい。

へびのおしりはどこ?
くじらのうんちはどんななの?

で転調するが、こういうところは子供に自分で調べてみなさいと言うておるのだろう。

いきものは たべるから
みんなうんちをするんだね

という締めで、「人間を含めた動物たち」が、くるりと後ろ向きになるのが最高です。

  サンマの頭残してみな食したりクマモン大好きカズエちゃんは 蝶人
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最近聞いたクラシックのCD 

2018-09-29 15:35:31 | Weblog


音楽千夜一夜第420回



1)パーヴォ・ベルグンド指揮ヘルシンキフィルの「シベリウス交響曲全集」
パーヴォ・ベルグンドがヘルシンキフィルを指揮したシベリウスの交響曲全集5枚組なり。クレルボやフィンランディア、タピオラなどもおまけについているが、どれもこれもさしたる感銘を受けなかったのは我ながら不思議。
録音は古いが、ボーンマス交響楽団との旧録のほうが北欧の雰囲気が出ていたかもしれない。

2)ザルツブルク祝祭大劇場開場50周年記念盤
1960年のこけら落としから半世紀を記念する25枚組CDなりい。オペラはカラヤンの「薔薇の騎士」、フリッチャイの「イドメネオ」、管弦楽ではベームのモザールの40,41番、バーンスタインのマーラー8番などいずれも聞きごたえがある。オケはいずれもウイーンフィルだが、コンマスのヘッツェル在任中のこのオケは三流に堕したダルな現在と違って緊張感漲るいい演奏をしていた。全25枚のベストはブレンデルのハイドン。

3)独ドクメンテ盤「ジョコンダ・デ・ヴィート全集」全10枚組
ヴァイオリンの女王の名盤を集めた御存じドイツの廉価盤だが、録音のせいかバッハやブラームスを聞いても特にどうということもない。今となっては完全に過去の人ずら。

4)クレンペラー指揮新旧フィルハーモニア管「ベート-ヴェン全集」10枚組
クレンペラー&フィルハーモニアのバートーヴェンには有名なウイーンライヴもあるが、安心してベートーヴェンの音楽世界に浸れるのはやはりこのスタジオ録音。私は8番がいちばん好きです。

  この国は台風の国地震(ない)の国心して来よ世界の人々 蝶人
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渡辺実校注・新潮版「伊勢物語」を読んで 

2018-09-28 10:39:01 | Weblog


照る日曇る日第1144回



「週刊新潮」や廃刊になった「新潮40」などという下らない雑誌・週刊誌も出して、顰蹙を買っている出版社ではあるが、文芸や古典物では実に良心的な書物を世に送り続けていて、本シリーズの「新装版・新潮日本古典集成」などは、その最たるものだろう。

本日のこれは、あの「源氏物語」に決定的な影響を及ぼしたとされる「伊勢物語」で、右注を頼りに原文を読み下せるからとても重宝する。それまでの古典本の校注者どもは、本シリーズに比べると、なんと読者に不親切かつ傲慢な態度であったことよ。

さて「伊勢物語」の作者は不明であるが、それが「体貌閑麗、放縦にして拘はらず、ほぼ才学無し、よく倭歌を作る」(三代実録)、在原業平が主人公として登場する歌物語であることだけは間違いないようである。

いちばん有名なのは、若き日に(のちに清和天皇妃となった)藤原高子とねんごろだった業平が、往時をしのんだ第4段で、

 月やあらぬ春やむかしの春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして

の絶唱は、彼が藤原氏の政略で、泣く泣く恋人と引き裂かれた、悔しさと悲しみから生まれたのであった。

また23段の、幼馴染の物語は、

 筒井つの井筒にかけしまろがたけ すぎにけらしな妹見ざるまに
 くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ 君なたずしてたれかあぐべき
 風吹けば沖つしら浪たつた山 よはにや君がひとりこゆらむ

の歌で知られ、有名な能の題材にもなっている。

しかし日を追って、まわりに死者の匂いが立ち籠める今日この頃、私の心にもっとも痛切に響くのは最終125段である。

 むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、

  つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふ今日とは思はざりしを


  つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふ今日とも思ふ長月 蝶人
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自由律詩歌 その36 

2018-09-27 10:20:21 | Weblog


ある晴れた日に 第523回



にせにせにせ
にそにそにそ
にたにたにた
にちにちにち
につにつにつ
にてにてにて
にとにとにと
になになにな
にににににに
にぬにぬにぬ
にねにねにね
にのにのにの
にはにはには
にひにひにひ
にふにふにふ
にへにへにへ
にほにほにほ
にまにまにま
にみにみにみ
にむにむにむ
にめにめにめ
にもにもにも
にやにやにや
にゆにゆにゆ
によによによ
にらにらにら
にりにりにり
にるにるにる
にれにれにれ
にろにろにろ
にわにわにわ
にをにをにを
にんにんにん

 「お父さん、桜は薔薇科だお」「えっ、ほんと?」調べてみたらそのとおり 蝶人

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短歌研究社文庫版「塚本邦雄全歌集第2巻」を読んで 

2018-09-26 11:48:56 | Weblog


照る日曇る日第1143回



本書には著者の24の序数歌集のうち第4歌集の「水銀傳説」、第5歌集の「緑色研究」、第6歌集の「感幻樂」の三大歌集を収めている。

いずれも著者壮年期の代表的な作品であり、「水銀傳説」ではかのランボーとヴェルレーヌのベルギー逃避行に自らを仮託した一連の歌、

 五月新緑みなぎる闇に犯しあふわれらの四肢の逆しまの枝
 巴里の勞働者に榮ありて喘ぎつつはこぶ氷の死にたる眞水
 詩と絶縁して地の果てにむかふわれ眼窩、蜂窩のごとくかわき

「感幻樂」では、ローマの狂乱の堕帝ネロに託して詠んだ作品群が無尽蔵の文藻詩想を爆裂を四散させている。この歌人はバッハと違って、みずからが立ち上げた主題による変奏がことのほか見事なのである。

 青麦に黒麦まじる罰の愛 イエス胸ぬめらかにほろびき
 霜月の半童貞の腰縊る革帶のカンガルーの人肌
 世界より逸るるばかりををとこらがかなしき肉のほかのゆふすげ

本書ではこの他に、「碧川瞬 青春歌集」という付録がついているが、これはなんと塚本邦雄17歳の昭和13年春から21歳の18年2月までの、「若書き歌集」なのである。

 苦しさはダミアの聲のいと暗う心に胸に沁むる暮方
 セヴィーリァの夏の日暮のときめきか紅薔薇投げしカルメンの唇
 生けるもの皆死ねかしと想ふ日ぞ空暗く風荒び魂ぞ潰ゆ
 母病みぬ振れど下らぬ水銀の鈍き光に涙溢れぬ
 寒夜深し須臾の快樂にわが若き血は汚すまじ澄める星空
 徴用延期と力一ぱい書き撲れば鉛筆の芯がポキッと折れたり
 満員の飯屋に食めば傍には我が席空くを只管待てる人

「解題」の島内景二氏は、この最初期歌集のなかに、のちの傑作の萌芽があるとして、盛んにその因果関係を探っておられるが、それは牽強付会というもので、これくらいの作品なら当時の文学青年ならだれにでも詠めただろう。

その文学的価値を云々するよりも、むしろ戦中の関西の若き肉体労働者の切実な生活体験の記録として、ありのままに受け取ればよろしいのではないだろうか。

また島内氏は、ランボー対ヴェルレーヌの関係では、寺山修司&岡井隆がランボー、塚本邦雄はヴェルレーヌ側に立つと断言されているが、そうだろうか? わが塚本選手はそのような安直かつ機械的な裁断から遠く離れて、ある時はランボー、またある時はヴェルレーヌになるという、自由自在融通無碍な両性具有の人であったのではないだろうか。


 3月にタカギさんが69歳で死んでいた 知らないでも別にどうということなく世間が回っていくことが恐ろしい 蝶人

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「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第64回 

2018-09-25 10:54:29 | Weblog


西暦2018年弥生蝶人酔生夢死幾百夜


夜中の3時45分に、どこかから電話がかかってきたが、それはいつもの非通知電話で、「モシモシ」というても、先方は一言も発しない。3/1

私は、地下室で集団生活をしていたが、そこでは、某有名スポーツマンの日常が、隠しカメラで撮影され、朝から晩まで放映されているのだった。3/2

我々のさまざまな問いかけに対して、スフィンクスは何も答えず、その代わりに、ベート-ヴェンの交響曲第7番の第2楽章を、記者会見の現場に垂れ流すのみだ。3/2

その夜も、僕は級友のカド君とソウちゃんが運転するスバルに乗って、雪谷の長いS字坂で、クラス一の美女マリちゃんが通りかかるのを待っていた。やがてやってきたマリちゃんが、坂の途中にある電話ボックスでずれたガーターを直すのを、僕らは眼を皿のやうにして見つめた。3/3

やがて電話ボックスを出たマリちゃんだったが、あまりにも真夏の太陽がカッカと照りつけるので、道の真ん中でぐらりとよろめいたところを、すかさず車から飛び出した僕が、咄嗟に抱きとめると、彼女は、あわいコーヒーブラウン色の唇をかすかに開いたので、思わず僕は3/3

神の召使が「輝く鳥の夢を見た」というので、みんなでその夢のタイトルを決めようと、召使の夢の中に入って、同じ夢を見てから考えるのだが、燃える鳥とか、黄色い鳥とか、光る鳥とかの候補が乱立して、なかなか決まらない。3/4

海の底に潜っていくと、今まで見たこともないような奇麗な貝がたくさん棲息していたので、どんどん取って陸に上がると、「これは原発で汚染されてる」と誰かが警告したのだが、委細構わず私は、どんどん食べていった。3/5

「ダットサンなんかで、高速を走らないでください。もっとちゃんとした車でないと、危ないですよ」と警備員から注意されたが、委細構わず、私は猛スピードでつっぱしった。3/5

「物品に記された日本語を、10字以内に減らさないと、入国できない」というので、私は、必死になって持ち物を荒探ししていた。3/6

町に出ると、アンサンブル・カビア社の特製スーツが当たる抽選会をやっていた。
「誰でも参加できます。あなたもいかがですか?」と誘われたので、ハンドルをグルグル回すと、「あ、当選ですね」と、担当の女性が言うた。3/7

フランス料理の食後に、近くのコーヒー焙煎屋に入って200gの豆を挽いてもらったのだが、その主人の、とても商売人とは思えぬ不機嫌さに、私はいたく不愉快になった。3/8

タダさんは、真夜中に私を乗せた車を駆って、全速力で工事中の狭隘な道を通りぬけると、「どうだい、怖かったかい」と尋ねたので、私は「いや、ちっとも」と答えた。3/9

六畳一間の安アパートで下宿していた我々3人は、今日は検便の日だというので、ウンチをマッチ箱に取ろうと、思い思いにしゃがんでいたら、隣の部屋に住むヤクザの新三が、「なんでウンウン言うとるの?」と覗き込んだので、叩きだしてやった。3/10

ヤフオクで、運よく打ち出の小槌を手に入れたので、おらっちは、次々に美女を打ち出しては、夜な夜なナニしていたのだが、とうとう精根尽きはてて、くたばってしまった。3/11

こんな東南アジアの海岸で、大宴会になってしまって、予算なんかないのに、大丈夫なのか? 大広間では、海蛇たちが夢中で「猫じゃ猫じゃ」を踊っているので、会計責任者の私は、逃げ出したくなった。3/12

音楽のことなどまったくの無知なのに、その名前の語感がいたく気に入って、パレストリーナの音楽についての論文をでっちあげたら、全世界のパレストリーナ・ファンから拍手喝采を浴びてしまったので、ひどく当惑しているわたし。3/13

彼の、いつもと変わらぬ献身を、目の当たりにした時、初めてあたしは、これまで若頭の銀次郎に冷たくしてきたことを、心の底から後悔した。3/14

サトウさんとスズキシロウヤス氏を訪ねた時、私が「ともかく実直に」と言うと、シロウヤス氏が「ジッチョクですか?」と、微かに頬笑みながら反問されたので、私は思わず顔を赤らめて、「実直に、実直に生きよう、グララアガア」と唄って、誤魔化してしまった。3/15

怒り狂って刀を振り回し、まるで気違いのように、見境いなしにまわりの人々を切りつけている男の顔をよく見ると、どうやらほかならぬ私だったので、驚いた。3/16

こないだから、愛犬ムクが、行方不明になっている。その行方は、杳として知れないが、ムクは、とっくの昔に死んでしまっているので、私らは、ちっとも心配していない。317

「平安の昔から、京の土地は京の人のものなのに、お前のような、どこの誰だか誰も知らないような馬の骨に、この大事な土地を渡すものか」と宣告された。3/18

「肥ったブタより、むしろ痩せたソクラテスであるべきだ」と私が力説すると、目の前のブタブタ女が、怒りの眼を私に向けた。3/19/

京都駅に着くまでに、例によってあちこち彷徨っていたので、とうとう新幹線に乗り遅れてしまった。さまようというても、四條通りの近辺を、楕円状にぐるぐる回っていただけなのだが。3/20

長いあいだ訪れたことがない遠隔地の別荘に行ったら、あらゆる水道の蛇口から、水が垂れ流しになっていて、1階は天井まで水没していた。3/21

京でいつも泊まっている町屋の5つの部屋が、ことごどく解体されることになったので、私は「帝国」と「共和国」という名の2つの部屋に、一晩ずつ泊まって別れを惜しんだ。3/21

王は、「もしお前が、そやつを、悪しき者と思わば、その首を撥ねよ。もしそやつが、悪しき者にあらざれば、余が、そなたの首を撥ねるべし」とのたまわったので、私は戦慄した。3/22

怒り狂った民衆が、全員武装して、私の首を求めて「首を獲るぞお! 首を獲るぞお!」と連呼しながら、王宮に押し寄せてきたので、私は生きた心地がしなかった。3/23

トランプと話していると、時々右手でケータイのスイッチを押すので、「何をしているの?」と尋ねると、「これを押すたびに、敵の胴体に仕掛けた爆弾が炸裂する。つまり人間爆弾さ」と、楽しそうに自慢した。3/25

「お送り頂いた小切手は、署名がないので無効です。それにこの請求については、さるお方がすでに受け取られていますので、当方としては、もう終わった話なんです」と銀行の窓口で言われた私は、大いに面喰った。3/26

私は、世界4大テナーの一人として、世界中を何度も公演していたが、ある日のコンサートが終わったあとで、「モンローそっくりの美女が、楽屋に訪ねてきているよ」と、マネージャーのコウヘイ君が教えてくれた。3/27

今日は、この島に別れを告げる日なのだが、着いたその日にロッカーに入れたジャケットが見当たらないので、島人に聞くと、「このロッカーは共有なので、私物を入れると、誰かが持っていってしまう」という。3/28

マニラ空港で、正体不明のスナイパーから、突然銃弾を雨あられと喰らった私は、九死に一生を得て逃げ帰ったあと、その折りの恐ろしい体験を切り売りしながら、わずかな講演料で、かつかつの生計を立てていた。3/30

「600人のオメコを受け入れても、全然満足しないワチキのオマンコって、いったいどうなっているんでしょう?」と、彼女は悲しそうな顔をしながら、つぶやいた。3/31


  しばらくは女子学校に勤めしが艶なることのひとつなかりき 蝶人




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2018年夏の歌 Ⅲ 「酔芙蓉」 

2018-09-24 10:44:12 | Weblog


これでも詩かよ第247回


むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが、仲良く暮らしておりました。

ある朝、おじいさんとおばあさんが障子を開けると、庭に白い花が咲いておりました。

おじいさんが「ばあさんや、きれいな花だねえ。あれはなんという名前かのお」と尋ねると、おばあさんは、「あれかい、あれは芙蓉というんじゃよ」と、花の名前を教えてくれました。

その日の午後のことです。
山の芝刈りから帰ってきたおじいさんが、芙蓉の花を見ると、なんと白かったはずの花の色が紅くなっておりました。

「これはどうしたことじゃ。ばあさん大変だ。あの芙蓉を見てごらん。朝は白かったのに、いまは紅くなっておる」

針を持ったまま縁側に駆けつけたおばあさんも、あまりのことにびっくりです。

「おやおや、まあまあ、不思議な芙蓉だこと」と、二人揃って紅い芙蓉をまじまじと見つめていますと、突然紅い芙蓉のその色が、またしてもポポッと赤らんだではありませんか。

「おい、ばあさん。いまのを見たかい。芙蓉のやつ、おれたちに見つめられたので恥ずかしくなったんだよ」

と、おじいさんがうれしそうにいうと、おばあさんも「ほんにそのようでしたね」と答え、二人で顔を見合わせて「おほほほほ」と笑ったのでした。

いつのまにやら短い夏の日はとっぷりと暮れ、どこかでコオロギが鳴き始めたようです。



 自分の顔に飽きてしまった新庄剛志マイケル顔に整形したとか 蝶人


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2018年夏の歌 Ⅱ 「挽歌」

2018-09-23 10:46:50 | Weblog


これでも詩かよ第246回


眩しい真夏の光の下、
滑川の上流で戯れていた鮎たちは、
海の方へ下っていった。

いたどりの葉っぱの上で、
ひねもす交尾していたゴマダラカミキリは、
どこか遠くへ行ってしまった。

阿弥陀山の中腹で、
なにやら怪しげな呪文を呟いていた不如帰は、
行き合いの空で、行方不明になった。

だが、朝夷奈峠の麓には、
まだわずかばかりのセミたちがいて、
去りゆく夏への挽歌をうたっている。


  青木山田バレンティンノーヒットにてヤクルト敗れる 蝶人
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2018年夏の歌 Ⅰ 「花と蝶」

2018-09-22 10:00:20 | Weblog


これでも詩かよ第245回



朝、我が家にやってきた一頭のナガサキアゲハが、

いまを盛りと咲き誇る天青の、 ほぼすべての花弁に、

次々に黒い頭を突っ込んで 、

甘い蜜を、存分に吸っていました。

夕べには息絶えた、朝顔の花々は、

どんなにか、うれしかったことでしょう。


  朝に咲き夕べに滅ぶ朝顔よ一期一会の出会いと別れ 蝶人


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高橋源一郎著「今夜はひとりぼっちかい?」を読んで 

2018-09-21 10:07:19 | Weblog


照る日曇る日第1142回

タカハシ源チャンによる「日本文学盛衰史」の2巻目である「戦後文学篇」が発売されています。

前回は明治の作家たちと文学がテーマでしたが、今回は戦後文学へと一気に時間が飛んで、井上光晴、野間宏、サルトル、武田泰淳、山田風太郎、石坂洋次郎などですが、彼の「文学盛衰史」はギボンや高見順のそれとは根本的に規範が異なるので、別に時系列で有名作家の作家論を並べるつもりなどさらさらありはしない。言葉のもっとも広い意味でのブンガク、もっとも非文学的なブンガク、彼らブンガクシャの言葉が、私たちの現代とどのような地点でどのように関わって生き死にしているのかだけが、著者の問題意識なのですから。

ゆえにとりわけ本書の後半は、東日本大震災に遭遇して言葉を失った非文学的体験との対話がページの多くを占めていて、その破天荒な逸脱ぶりがいっそ心地よいのです。

震災以降、「非常時」が日常的な光景となって、例えば息子の卒園式に出た源チャンが「レッツゴーいいことあるさ」という歌を聞かされて感じた「めまい」、国歌斉唱になってそっと席を外した気持ちと行動などは、他人事ならず身に沁みました。

また著者の指摘で「改めてこれぞ文学!」と感動したのは、内田祐也選手の都知事選立候補の際の歌と5分57秒のロックンロール・スピーチで、「今夜はひとりぼっちかい?」という題名は彼がその時アカペラで歌ったプレスリーのバラードに基づいているのです。

  https://www.youtube.com/watch?v=3BLp1IUEkik

   明るさは滅びの姿か安倍蚤糞たった一人ぐわぁ元気溌剌 蝶人
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4冊の本を読んで

2018-09-20 10:15:12 | Weblog
中川李枝子作・柿本幸造絵「くまのこ くまきち」を読んで

照る日曇る日第1138回

けいこちゃんが「まつぼくりがあったとさ たかいおやまにあったとさ」と唄いながら歩いて行くと、うしろからくまのこくまきちが「まつぼくりがあったのかい たかいおやまにあったのかい」と自分勝手に歌詞をちょっと変えながらついてくる。

次にけいこちゃんが、「おちばのうた」、その次に「きくのはな」を歌うと同じようにくまきちが自己改定版を歌うという形式で展開される絵本。既存の童謡をうまく構成に活用したところに作者の工夫がある。

柿本選手の絵は相変わらずの童夢画で、おかあさんぐまが教室にやってきて眠っているくまきちをおんぶして森に帰っていくところは素晴らしい。

  *お知らせ「柿本幸造の絵本の世界」展!
  2018年9/29―11/11 武蔵野市立吉祥寺美術館


「平成の歌姫」なんてどうでもいいが今日も続くよハラハラ相撲 蝶人

9/17
安田浩作・柿本幸造絵「きつねとタンバリン」を読んで

照る日曇る日第1139回

あこちゃんから、タンバリンを借りたきつねさん。

その夜はきつねさんの叩くタンバリンに合わせて、うさぎさんが「まんまる おつきさま うれしいな。うれしくって ぴょん ぴょんぴょんぴょん」と、いつまでも、いつまでも踊りました。

作と絵が一体化して、読後、なんともいえない浄福感が湧きあがります。

 *お知らせ「柿本幸造の絵本の世界」展!
  2018年9/29―11/11 武蔵野市立吉祥寺美術館
http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2018/08/post-164.html

 日テレとナベツネ読売大嫌いだが読響だけはその限りにあらず 蝶人

9/18
筒井康隆著「文学部唯野教授」を読んで

照る日曇る日第1140回

一方では腐敗堕落した大学機構の内実、他方では文学とは何かという研究の総括的レジュメを配し、この2輪を均等に駆動させながら90年代初頭の時代傾向を摘出した好著ずら。

私が学生の頃にはてんで知らなかったし、興味もなかったが、あまたの阿呆莫迦教授や助教授、助手たちもいろいろ苦労していたんだなあ、と今更ながら回顧した次第。

しかし全共闘華やかなりし時代から、教育の現場の権力構造はてんで変わっていないし、たとえば京大のタテ看禁止や吉田寮崩壊にもみられるように、政権党、文科省、大学当局一体となった強権発動によって、磁場はますます狂乱の度を加えようとしているみたい。

昔むかし全共闘は大学解体を叫んだが、そおゆうベクトルではない次元で、大学と大学教育の古典的ありようはすでに崩壊し、いまや訳の分からぬ教育機関として盲目的に作動してるんとちゃうやろか。

  わたくしはこうのとりと発音するがテレビではコウノトリという 蝶人

9/19
柿本幸造著「ひだまりをつくるひと」を読んで

照る日曇る日第1141回

2015年に生誕100年を記念して出版された柿本画伯の絵本画集。「しゅっぱつしんこう!」「くじらぐも」「どうぞのいす」をはじめ著者のほぼすべての作品を網羅したファン垂涎の1冊である。

柿本画伯の絵の特徴は、ひとふでひとふでに少年時代の夢と希望のことごとくを託して純朴な童心と手作りの優しみをおのずと醸し出していることで、妙な言いようだが永遠のアマチュアの良さを内在させたプロの作品だった。

彼の心中には田舎生まれの童子が棲んでいて、それがあの独自のファンタジアを作り出したのである。

今月29日からは武蔵野市美術館で彼の画業の一大回顧展が開かれるので見逃せない。

  http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2018/08/post-164.html


   混血の日本人ゆえなおうれし大坂なおみ全米制す 蝶人

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自由律詩歌 その35 

2018-09-19 10:17:53 | Weblog


ある晴れた日に 第522回



なほなほなほ
なまなまなま
なみなみなみ
なむなむなむ
なめなめなめ
なもなもなも
なやなやなや
なゆなゆなゆ
なよなよなよ
ならならなら
なりなりなり
なるなるなる
なれなれなれ
なろなろなろ
なわなわなわ
なをなをなを
なんなんなん

にあにあにあ
にいにいにい
にうにうにう
にえにえにえ
におにおにお
にかにかにか
にきにきにき
にくにくにく
にけにけにけ
にこにこにこ
にさにさにさ
にしにしにし
にすにすにす


   またしても土俵飛び出すこの男所詮横綱の器にあらず 蝶人
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続々・初秋の夜なべの映画10連ちゃん 

2018-09-15 09:54:43 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1817~1826


1)ジョン・フォード監督の「大陽は光り輝く」をみて
ちょっとカプラの「スミス都へ行く」を思わせる、いかにも昔のアメリカらしい最後に正義が勝つという「感動的なヒューマニズム」映画ずら。
1953年のジョン・フォードの政治的立場が分かるというものだ。
しかしラストシーンをみていると、熾烈な戦いに勝利したばかりのプリースト判事(チャールズ・ウィニンガー)は、死んでしまうのではないだろうか。

2)ピーター・ハイアムズ監督の「2010年」をみて
ものすごく謎めいた傑作だが、よく考えると何が何だかさっぱり分からなかったキューブリック監督の「2001年宇宙の旅」の続編なり。
こちらの方が物語のあらすじは分かりやすいが、映画としては普通の仕上がりになってしまった。
原作者のクラークからこの続編の製作を勧められたキューブリックが固辞した理由が、なんとなく分かるような気がする。

3)サム・ペキンパー監督の「ビリー・ザ・キッド21歳の生涯」
なんとケピンパーの1973年の西部劇にあのボブ・ディランが主題歌を提供するだけではなくてなんとなんと出演してる! 
ビリー(クリス・クリスト・ファーソン)は昔の仲間のパット保安官(ジェームズ・コバーン)に撃ち殺されるのだが、その両方をとりもつような微妙な役回りなのである。
驚いたなあ。
ジョン・ウエインが主演した映画の主人公「チザム」は、この対決する2人の雇い主でもあったそうだ。

4)エリア・カザン脚本&監督の「アメリカ、アメリカ」をみて
1964年に製作されたエリア・カザンのおじさんの物語。
トルコの圧政下で呻吟するギリシア人の青年が死ぬほど苦労しながらもついに希望の国アメリカに辿りついて一家を呼び寄せるまでの波乱万丈の物語を緊迫感あふれるモノクロームで描く2時間半を超える超大作。
それにしてもあんな因業なトルコ人に全財産を奪われ悪態をつかれたら私だって刺し殺すだろう。
主人公を愛しながら持参金を差し出しNYまで渡航させる婚約者や、上陸直前に投身自殺して主人公とすり変わる死病に冒されたアルメニア人など、忘れがたい数多くの人物が登場する。

5)ティム・バートン監督の「スリーピー・ホロウ」
18世紀のNYから地方に派遣されたいつも哀しげな憂い顔の捜査官ジョニー・デップが謎の連続殺人事件に挑む。「科学的捜査」を売ものにしていたくせに、さっぱり役立たず、魔女やのろいや黒魔術の魑魅魍魎の世界にどっぷりとりこまれてしまうのはなんでだ?

6)ジョージ・シートン監督の「大空港」をみて
アーサー・ヘイリーの原作の面白さが生かされた、いかにもなハリウッド超大作。
哀しい最期を遂げたジーン・セバーグのまだ元気な頃に姿が見られるが、この頃1970年にはもう精神的にまずい状態にあったという。
さて無事に帰還したものの、ランカスターとマーチンの夫婦生活はどうなるのだろう。
飛行機の乗客の中にジャック・ニコルソンがいた。

7)キャスリン・ビグロー監督の「ゼロ・ダーク・サーティ」
9.11NYテロのアルカイダの首謀者オサマ・ビンラディンを暗殺した米CIA特殊部隊の苦労を描くが、当事者の立場だけから描かれているので説得力がない。

8)ハーバート・ロス監督の「魔天楼はバラ色に」
マイケル・J・フォックスが偽社員になりすまして大活躍して大出世、大成功を収めりという大大夢物語だがあまりにも空々しくて。

9)ジョージ・ロイ・ヒル監督の「スラップ・ショット」をみて
弱小負け組のホッケー・チームの泣き笑いを名匠ロイヒルが面白可笑しく見せてくれます。3つ子のハンセン兄弟の無茶振りや男の氷上ストリップなども飛び出してこれくらい痛快無比な喜劇映画も珍しいだろう。
コーチ役の主役のポール・ニューマンがいい味を出している。

10)スピルバーグ監督の「マイノリティ・レポート」をみて
プロットは2転、3転、なかなか面白いが、そもそも嘘八百の噺を映画にするのがそんなに面白いのかしら。ご苦労なこった。

 フジサンケイグループぜんぶ嫌いだがヤクルトだけはその限りにあらず 蝶人

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続・初秋の夜なべの映画10連ちゃん 

2018-09-14 09:35:06 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1807~1816


1)トニー・スコット監督の「トゥルー・ロマンス」
タランチーノの脚本は、例によってアナーーキーで暴力的で、まあそれはそれで結構だが、どの映画も後味が悪い。
正当防衛とはいえあんなに人殺しをしてメキシコに逃亡して、幸せになれるのだろうか。

2)トム・グライス監督の「ウィル・ペニー」
ハッピーエンドになるのかと思っていたが、ならなかったのは「シェーン」の真似をしてみたかったのか。

3)フィリップ・ノイス監督の「今そこにある危機」
1994年にトム・クランシーの原作を映画化したもの。
コロンビアの麻薬王、アメリカ大統領、CIAなどが三つ巴でからむ政治と戦争、スキャンダルとアクションの物語だが、そおゆうストーリーよりも「Clear and Present Danger」という原題の邦訳の方が有名になってしまったなあ。

4)フィリップ・ノイス監督の「パトリオット・ゲーム」
1992年にトム・クランシーの原作を映画化したもの。
妻子をテロリストに狙われたハリソン・フォードが大活躍。
一昔前は英国もIRAとドンパチやっていたんだなあと感慨ひとしお。
いまはもう治まってしまったのかしらん。

5)イ・ジェハン監督の「私の頭の中の消しゴム」
若年アルツハイマー症を扱ったラブロマンスだが、最後には医学的にはありえないどハッピーエンドになる。
映画としてはじつに詰まらないが、こういうお涙頂戴の難病物は時として大ヒットすることがある。

6)ウォーレン・ベイテイ主演・脚本・制作・監督の「レッズ」
ロシア革命の現場に魅せられて前のめりになっていく米国のジャーナリスト夫妻、ジョン・リードとルイーズをウォーレン・ベイテイとダイアン・キートンが熱演。
確かにあの自然発生的な民衆の決起を目前にしたら、虜になっていく気持ちはよく分かる。
しかし酸素に触れた瞬間に鉄の腐食が始まるように、ボルシェビキ独裁の人間疎外は開始されており、自由を奪われ、「ソ連の広告塔」の役割を演じるように強制された主人公は、哀れな末路を迎えるのである。

7)スタンリー・キューブリック監督の「バリー・リンドン」
サッカレーの原作を、偉才が完璧に映画化。傑作。傑作。大傑作!
ああこの瞬間をいつまでも続けてほしいと願うのだが、たったの185分で終わってしまう悲しみをなんとせん。
ライアン・オニールが好演。マリサ・ベレンスンが美しい。


8)スコセッシ監督の「ヒューゴの不思議な発明」をみて
元奇術師で世界で最初の映画監督、ジョルジュ・メリエスの数奇な運命を描く快作。
映画の創始者のひとりであるメリエスに対するスコセッシの敬愛の情にあふれた作品です。

9)マイケル・カーチス監督の「ミルドレッド・ピアース」
阿呆娘を持ってしまった母親の哀しい悲しい物語。
ダメな子ほど可愛いというが、古今東西を問わずそうなんだろうね。
そんなお母さんをジョーン・クロフォードが熱演。
サスペンスドラマとしても一流の1945年のハリウッド映画なり。

10)ピーター・ウィアー監督の「刑事ジョン・ブック目撃者」
この映画では、文明から自らを隔離したアーミッシュという教徒たちの信仰と生き方が新鮮だった。
犯罪とアクションの成り行きはともかく、結局別れてゆく2人が哀しい。

  青木打ち山田が打ってバレンティン柵越え連発ヤクルトが勝つ 蝶人

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初秋の夜なべの映画10連ちゃん 

2018-09-13 09:38:49 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1797~1806


1)クリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」
3・11の後で憎悪と復讐の念に駆られてイラクのゲリラ討伐に参加した主人公と家族たちの悲劇を描いている。
ベトナム戦争と全く同じように、闘争の大義が形骸化して、参戦者の心身を蝕んでいく。
また一面では両国を代表するスナイパーの対決を描いているが、2千米の彼方の敵をライフルで狙撃できるとは驚きだ。


2)エイドリアン・ライン監督の「危険な情事」
この映画をみる男子は、ほんの一夜の大人の遊びのはずが、一生を棒に振るような一大事になってしまうことを、思い知らされるであろう。

3)ニコラス・レイ監督の「大砂塵」
ジョーン・クロフォード、マーセデス・マッケンブリッジの2人の女性が拳銃で白黒をつけるという世にも珍しい西部劇。
さすがのジョニー・ギターもただ見守るしかないずら。1954年製作なのに鮮やかなカラー映画である。

4)若松節朗監督の「柘榴坂の仇討」
井伊大老の側近を主人公にした浅田次郎の原作がよく出来ているので映画もなかなかのもの。
むかし田村隆廣伴妻が主演した「侍ニッポン」という1957年製作のモノクロ映画を思い出した。
しかし広末涼子って不思議な役者だなあ。

5)リチャード・フライシャー監督の「バラバ」をみて
キリストの代わりに獄から出されて数奇な運命を歩むことになった死刑囚のバラバをアンソニー・クインが熱演。
大雑把な演出に閉口するが、これはむしろ大プロデューサーのラウレンテイスの作品というべきだろう。

6)ジャン・ルノワール監督の「ゲームの規則」
ゲームには規則が必要だと主張する男の、もっともらしい外交努力が、女のきまぐれな愛を取り逃がすだけでなく、男の命までも奪い去ってしまう。

どうせ映画なんだから、なるようになれ、行くところまで行けと願うのは愚かな観客の勝手な妄念に過ぎず、ゲームを開始し、登場人物をあれやこれやと動かし、けしかけ、恋と嫉妬に火をつけ、物語全体ををくるくる展開させるル氏だが、最後の最後には秩序の側に立ってきっちりと映画を終わらせる。

何回見ても大勢の登場人物を自在に動かすル氏のキャラワークの動体視力の生命力に驚嘆する。あの同時多発的な瞬発力こそがル氏の映画のキモなのだ。

7)ロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ」
ちょっと脳味噌の足りない主人公(トム・ハンクス!)の波乱万丈の半生を、当時のドキュメント映像を交えながら面白おかしく描く。
こういう遊びの精神がいまの映画には徹底的に欠落しているようだ。

8)リュック・ベッソン監督の「ニキータ」
国家権力の罠に嵌められて非情の殺し屋に仕立て上げられた不良少女の哀しい物語。
いまやこういう悲劇は世界中に広がっているのだろう。
ベッソンてどうも好きになれないが、ヒロインのアンヌ・パリローが好演。

9)ジュージ・キューカー監督の「スタア誕生」
1937年の作品の1954年の再映画化で、ジュリーガーランドとジェームズ・メイスンが共演する悲劇的な恋物語だが、別の見方をすれば反アル中キャンペーン映画ともいえよう。
せっかく有能な俳優が無名の新人女優を発掘しても、アルコールで自滅すればもともこもなくなるのである。
しかしラストの「私はノーマン・メイン夫人です」には泣かされるなあ。

10)アレックス・プロヤス監督の「アイ、ロボット」
アシモフ原作の2004年製作のSF映画で、マッドサイエンチストが製造したロボットたちが起こす反乱をウィル・スミスがなんとかかんとか取り押さえる。
ヒロインのブリジット・モイナハンが奇麗。


  また始まった! 何が! キセノサトのハラハラドキドキ相撲が 蝶人
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