あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2010年霜月茫洋狂歌三昧

2010-11-30 07:40:38 | Weblog

♪ある晴れた日に 第82回



青山の高級マンションのバスの中白き骨となりし美人モデルよ

千人の魔女連行し拷問したりガンビアのジャメ大統領

2つのアジアが遊曳する地政学的亜細亜と観念的亜細亜と

芸術の価値とは内蔵する真善美の深さと大いさで測られる

政治家の使命とは国民の利害から遠ざかって普遍の正義に殉ずることである

凡庸の価値を知らない人は非凡の価値も理解できない

振りさけ見ればいがぐり右目に落下して棘とげ刺さりし小関少年今頃どこでどうしているか

ガーシュインがラベルなんかに学ぶものはなかったように君も

美しい日本は心でひそか思うもの「美しい日本」などと大書する恥ずかしさ

ランボオが海の彼方に見つけた永遠をラング=ゴダールの「オデッセイア」に見る 

N響の下らぬ演奏に熱狂す見知らぬ人のうらやましくもあるかな

どんな下らなき映画にもひとつ二つはとりえがあるもの

正論を清く正しく吐く人のなぜかそれほど美しくはなし

いくらお前が完膚無きまでに論破したつもりでも論理で人は変わらないよ

屁の如き指揮者どもが今日もわれらの魂を汚辱している

あえて付点を打たず音の泉を溢れさせたりクライバー

生きながら死んでゆく日々わたしも日本も

精神を病める美女ヴァージニアを玩具と弄ぶ商魂醜し

その夏の日少年はアイスを嘗め嘗め御仏を見上げた

あほかそれがどうしたせやったらわいにどないせえちゅうねん

お母さん今日シャンプーしてくださいなとひげそりしてもらいながらいう息子

さりとてという言葉が嫌いなりさりとてなすすべはなけれど

なのでという言葉が嫌いなり首のない人間を見る心地して

秋冷霜に堪え咲き誇るなり薔薇一輪

馬齢なら俺だけで十分じゃと茫洋いい

裏銀の裏を見せつつ飛びにけり

今は昔烏瓜色の頬したる少女ありき

平成に虚点をうがつ男かな



鮠三尾ひしと寄りあう寒さかな 茫洋
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文化学園服飾博物館で「日本の型染」展を見る

2010-11-29 07:09:26 | Weblog


茫洋物見遊山記第48回


このような展覧会を見るのははじめてです。型染は紙や木などの型を用いて文様を表現する染色技法のひとつで、わが国では古くからおこなわれ、着物をはじめ公家装飾、武家装飾、芸能衣装など多くの服飾に使用されてきたそうです。

日本の型染は主に文様を彫り透かした型紙を用いて種々の染色技法が駆使されており、その種類も小紋、中形、型友禅、摺染、摺箔、板締、燻革まど多種多様です。

もともと型染は型を用いることによって同じ文様の染色品を量産する技法なので、手描きによる自由な文様とはことなり省略やデフォルメされた文様とパターンの繰り返しなどが見られます。

しかしこの型の使用という制約こそが型染の特徴であり、整然とした文様や反復の諧調など型染独特の美を見出すことができるのです。

以上博物館資料のまる写しでのご紹介でした。

追伸 本展は12月18日まで開催中。日曜日はお休みです。



支持率が1%でも辞めないと断じる人を首相に推したり 茫洋

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スチーブン・ダルドリー監督「めぐりあう時間たち」を見て

2010-11-28 08:39:28 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.57

私の大好きな英国の閨秀作家ヴァージニア・ウルフとその作品「ダロウエイ夫人」をモチーフに3つの時代に生きた3人の女性を主人公にした映画である。

1923年のイギリス・リッチモンドで「ダロウエイ夫人」を執筆中のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)、2001年のニューヨーク・マンハッタンでのクラリッサ(メリル・ストリープ)、1951年のロサンゼルスでのローラ(ジュリアン・ムーア)の3人の女性の1日をいわば三層構造で描いていくのだが、ヴァージニア・ウルフその人はともかく、あとの2人がいったいヴァージニア・ウルフ&「ダロウエイ夫人」とどのような内的連関にあるのかがさっぱり分からない。ほとんどこじつけの世界である。


女優では3人の女優のうちもっとも見事な演技を繰り広げているのはローラ役のジュリアン・ムーアで、メリル・ストリープがこれに次ぐ。ヴァージニアを演じるニコール・キッドマンは最悪。ヴァージニア・ウルフの20代の写真をよく見ろ。彼女ほど美しい女性をどうしてこんな醜い下手くそな女優が演じるのだ。これは作家本人への冒涜だ! おそらくスタッフの誰もヴァージニア・ウルフなど読んでいないのだろう。

冒頭からよく流れない映画的時間をむりやり動かそうと多用されるフィリップ・グラスのミニマル・ミュージックが最悪。もともと下らない音楽だが、こういう俗流情緒的な映像と組み合わせたことによって胸糞の悪い見世物となり下がった。

この映画は精神を深く病むヴァージニアについて描くが、彼女の命を奪った病気に対する洞察と敬意に欠ける低俗なファッション映画である。こんな堕落した低級風俗映画にいかなる賞も与えてはならない。


精神を病める美女ヴァージニアを玩具と弄ぶ商魂醜し 茫洋


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スティーヴ・マックイーンの「栄光のルマン」を見て

2010-11-27 06:25:17 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.56



原題はただの「ル・マン」なのにどうして栄光がつくのか。この映画の中には栄光などどこを探してもないぞ。

カー気狂いのマックイーンのために作られたスピードレーサー物だが、当時のレースと会場の雰囲気が伝わって来てなかなか参考になる。

マックイーンが乗るのはポルシェ、ライヴァルが乗るのはフェラーリ。伊仏の強豪が対決した遠い昔の物語だが、ここではマシンも有機物として生きており、当節のような肥大し切った空疎なメカ競争の趣がない点に救いがある。

しかし衝突大破して普通なら死んでいるはずのマックイーンが、傷ひとつなくむっくりと起き上がり、しんねりむっつり恋人(亡きヘルガ・アンデルセン。いまでは珍しい古典的かつ端正な容貌)と情を通じているところに監督が飛び込んできて、別のポルシェに乗れと命令するなんて金輪際あり得ない話。

それでもマックイーンは平気でピットに戻って、結局ライバルを破って2位でゴールイン。心の恋人ともよろしくやれそうという大団円は、いくら映画とはいえ、ちと出来過ぎの感がある。

ミシェル・モルガンが、らしい劇伴を奏でています。




なのでという言葉が嫌いなり首のない人間を見る心地して 茫洋
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ピーター・イエーツ監督「ブリット」を見て

2010-11-26 08:42:24 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.55

1968年という思い出深い年に、私がアメリカでいっとう好きな懐かしい坂の街サンフランシスコを、ずだん、ズドンとすっとばすスティーヴ・マックイーンの刑事ブリット。何回見てもハラハラドキドキします。しかし何回見てもどういう話だかよく分からない。ただただブリットの壮烈な刑事魂にあきれかえるのみ。

あとの話はどうでもいいようなものだけど、やはり印象に残るのは悪代官役の上院議員ロバート・ボーンでしょう。この人は1974年の「タワーリング・インフェルノ」でもやはり議員役で出ていたが、その時はそういう悪役ではなく、悪人を取り押さえようとしてゴンドラから墜落死してしまう気の毒な役でした。

それからマックイーンの恋人役のジャクリン・ビセットもこの頃は元気でいろいろ浮名を流していましたが、今頃はどこでどうしているのだろう。幸福な晩年を迎えて欲しいものである。

それにしても50歳で死んじまったマックイーンは若死にだった。生きていれば80歳だというが、中寿のマックの姿は誰も見たくないだろう。彼の恋人はいまでも田舎の「ラストチャンス牧場」に住んでいるらしい。


屁の如き指揮者どもが今日もわれらの魂を汚辱している 茫洋

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アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバー下巻」を読んで

2010-11-25 08:44:01 | Weblog


照る日曇る日 第388回


指揮者の仕事は3つある。ひとつは曲を正しく出発させること、次は曲を正しく進行させること、3つ目は正しく終わらせることであるが、いずれもことのほか難しい。

開始するや否や曲のテンポも、曲想も、解釈もほぼ決定されてしまう。ゆえに私たちは冒頭の数十小節でその演奏の良し悪しを理会できるし、曲が進行するにつれその判断はより確かなものになる。3つのうち2つまでもよろしからざる演奏が、どうして曲を正しく終了させることができるだろう。

では指揮者によるその正しい演奏とはなにか? 

それはスコアに忠実な音響の大群を鰯のような耳の観客に糞真面目に伝播することではない。そのスコアに込められた作曲家のヴィジョンを、彼に代わって零から再構築し、スコアに新たな生命を吹き込むことによって、観客の耳目を楽しませるだけでなく、その死せる魂を高揚させ、震撼させ、できうべくんば賦活させ、昇天させることにある。

ああ、この音楽を聴けてよかった! 生きてこの音楽を聴けるとはなんという喜びであろう!
と、心底から痛感させる指揮者(演奏家)だけが私のいわゆる正しい音楽を正しく演奏しているのであって、その余のもろもろはただいっときの座興であるにすぎない。

そのために指揮者は、あらかじめ全譜を読みぬいて彼固有の独創性に満ち満ちた音宇宙の全体を彼の脳裏に立ち上げ、未聞の脳内大演奏を試み、その真善美の気高さのまにまに実際の音響としてコンサートホールに再現しなければならない。

指揮者はこの一連の作業を完璧に遂行するために、ただ修練に修練を積み重ねるだけでなく、一期一会の演奏に全身全霊を傾け、命懸けの生命の跳躍を試みなければならない。また彼が事前に脳内に創造した壮麗なヴィジョンを、演奏しながらたえず放擲して、つねに前人未到の音楽表現の時空に向かって乾坤一擲の試行錯誤を繰り返さなければならない。

このようなついには実現不可能ともいうべき「正しい演奏」を、絶望に駆られながらも果敢にめざしつついくつかの奇跡的な成果を上げた指揮者がフルトヴェングラーであり、もう一人がその忠実な後継者としてのカルロス・クライバーであった。

上巻にひきつづいて2004年7月13日、スロヴェニアのコンシッツアで74歳の生涯を閉じた天才指揮者の業績を辿りながら、私の耳の奥では、彼がコンセルトヘボウ菅を指揮したベートーヴェンの交響曲第4番の第1楽章のアレグロ・ヴィヴァーテェが喨喨と鳴っていた。

私に音楽の醍醐味を教えてくれたカルロスの霊の安からんことを!



あえて付点を打たず音の泉を溢れさせたりクライバー 茫洋


屁の如き指揮者どもが今日もわれらの魂を汚辱している 茫洋

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フランクリン・J・シャフナー監督の「パピヨン」を見て

2010-11-24 07:20:59 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.55

1973年、「パットン大戦車軍団」のフランクリン・J・シャフナー監督による「パピヨン」を見るのはこれで何回目か。しかし健忘症の私はどんな映画も見るはなから忘れていくので、今回もまるではじめてのような新鮮な思いでデジタルハイビジョンの鮮明な画面に見入った。

2度にわたって無謀とも思える逃亡を企て、それぞれ2年と5年の追加拘禁刑を受けた主人公は、無実の罪で仏領パプアニューギニアの絶海の孤島に流されるが、白髪の歳になっても脱出の夢を果敢に追い求め、そしてそれに成功する。

これは実話らしいが、寄せては返す波の数を7つまで数え、第7番目の波に乗れば外洋に出られると見ぬくパピヨンの眼光のなんと鋭いことよ。

それにしてもあの厳重な監視を潜り抜け遼友の血の犠牲にもめげず、原住民の美女の誘いにも乗らず、あくまでも巴里への帰還を目指す男の強固な脱出願望には驚くほかはない。
けれども、そんな脱出者も偉いが、あのような孤絶した監獄に勤務する兵士の孤独もいかばかりであったろうか、と妙なところに目がいく映画でもある。


生きながら死んでゆく日々わたしも日本も 茫洋
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ノーマン・ジュイソン監督の「シンシナティ・キッド」を見て

2010-11-23 08:55:01 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.54




「夜の大捜査線」の実力派ノーマン・ジュイソンが撮った非常によく出来た1965年のギャンブル映画だ。

主人公シンシナティ・キッドに扮するスティーヴ・マックイーンをはじめ、ポーカーゲームの敵役エドワード・G・ロビンソン、カード配りのカール・マルデン、そしてなによりもかによりもカール・マルデンの妖艶無比な妻を地で演じるアン・マーグレットなどの充実した脇役がこの異色作を見ごたえあるものにしている。

高齢に達しつつあるスタッド・ポーカーの名手を演じるエドワード・G・ロビンソンと「波止場」での好演が記憶に残るカール・マルデンはともかく、アン・マーグレットのちょっと下品なセクシーさが何度見てもたまらない。

体力気力でロビンソンを上回るスリーカードのマックイーンが、土壇場の最後の大勝負、まさかのロイヤルストレートフラッシュを見破れずに一敗地にまみれたのは、その直前に彼女にすべての精を吸い取られたからだ。

ギャンブルの陰に女あり。このキーポイントを見逃したどんな映画評も無効である。




平成に虚点をうがつ男かな 茫洋


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スティーヴ・マックイーン製作の「トム・ホーン」を見る

2010-11-22 07:07:47 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.53

スティーヴ・マックイーンが死の前年の1979年に製作総指揮を兼ねて主演した西部劇映画はいかにも彼らしい渋い味わいのにじみ出た作品。ウイリアム・ウイヤードという聞いたこともない人物に監督をやらせているが、ほんとうは彼がやっています。

物語の主人公トム・ホーンは20世紀初頭のアメリカ西部に実在した早撃ちガンマンで、あの有名なアパッチ族の大酋長のジェロニモを捕まえたという立志伝中の人物だそうだが、映画はその後のガンマンの姿を淡々と哀切に描いている。

先住民と派手にやり合って大殺戮していた「西部の黄金時代!」は遥か歴史の遠景に遠ざかり、全米の僻地にも法と秩序の冷徹な支配が進行してくるというのに、この希代の乱暴者は、ライフルと愛馬を武器に彼の個人的な価値観で、ためらうことなくどんどん人殺しをするので、見る者に大いなるカタルシスを与えるが、あれあれこんなに簡単に人を殺していいのだろうかと心配になったりもする。

こういうある意味で単純明快ないきかたを、周囲の知恵者たちにうまく利用されたトム・ホーンは、恋人や理解者たちの声援や好意も甲斐なく、みずから望んだようにしてほろびにいたる細道をいっきに突っ走る。

時代遅れのヒーローは、20世紀の最新型の法の網にがっつりと絡みとられ、裁判にかけられ絞首刑に処せられる。真っ青になって震える目の前の役人どもをあざ笑いながら……。トム・ホーンの生い立ちにマックイーンの生涯を重ねた忘れ難い秀作です。


いくらお前が完膚無きまでに論破したつもりでも論理で人は変わらないよ 茫洋

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トマス・ピンチョン著「逆光下巻」を読んで

2010-11-21 08:43:31 | Weblog


照る日曇る日 第387回

物語の舞台は1893年のデンバーからロンドン、ベネツイア、オステンド、ゲチンゲン、中央アジア、ロサンジェルス、そして地球の成層圏を遠く離れて反地球、あるいはもうひとつの地球に達し、またしても地表に降りたつのは飛行船<不都号>である。

第一次世界大戦を目前に呉越同舟のスパイたちは男は男女、女は女男とつるみにつるんでベネツイアの行き止まりの小路の井戸の上で激しく挑むのは1人の美女と2人の男。合わせて6つの穴がすべて埋められて欲情と快楽のうめき声が運河を滑るゴンドラを揺るがす。

日本人女性数学者釣鐘ウメキの奮闘空しく、不吉なドリア旋法は不協和音を奏で、世界大戦はついに勃発するだろう。しかし世界は終焉し、また再開される。

やがて世界中の少年少女と猫や鳥、魚やネズミ、もっとも地球離れした生命たちをノアの箱舟のように満載した<不都号>は、幻視者だけが見ることができる完全な超双曲面の光り輝く巨大な花の中に辿りつくだろう。ハレルヤ!


あほかそれがどうしたせやったらわいにどないせえちゅうねん 茫洋
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ジョン・ギラーミン監督「タワーリング・インフェルノ」を見て

2010-11-20 08:55:58 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.51

1974年にワーナーとフォックスが制作し、ジョン・ギラーミンに監督させた2年前の「ポセイドン・アドヴェンチャー」に続くパニック大活劇映画です。

サンフランシスコに完成したばかりの超高層ビルが火災になって爆発し、まるで地獄の炎のように激しく燃え盛ります。その業火を、貯蔵されている水タンクを破壊していっきに消化をはかるところがこの映画の最大の見所です。

主演はビルの建築家のポール・ニューマンと消防隊長のスティーヴ・マックイーンで、お互いに立場の違う2人が英雄のように超人的な活躍をして被害を最小限にとどめようとするのですが、それでも多くの犠牲者を出してしまいます。

事故の原因は主に電気系統の施工ミス。そのほか建築家が指定した安全防災対策を建築施工主のウイリアム・ホールデンとその娘婿のリチャード・チエンバレンが業者からわいろをとるために盛大に手抜きしていたのが致命傷になったのですが、この種の欠陥工事はいまでも世界中で行われているのではないでしょうか。

そもそもガラスと鉄でできた超高層ビルをサンフランシスコや東京のような地震多発地帯におったてるのはこの映画の中でマックイーン隊長が警告する以前の大問題で、いくら森ビルの会長が偉そうなことを言っても、いずれ関東大震災並みの大地震がやってくればなんとかヒルズもなんとかタワーもたちまちタワーリング・インフェルノになるに違いありません。金に目がくらんでせっせと天に伸びるバベルの塔が絶対に安全なんて、どの神様にも請け合ってくれないでしょう。


ガーシュインがラベルなんかに学ぶものはなかったように君も 茫洋

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ロバート・ワイズ監督「砲艦サンパブロ」を見て

2010-11-19 07:42:17 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.52

海千山千のロバート・ワイズ監督が1966年に製作した本作は、1920年代の中国に進出したアメリカの軍人の生態と悲劇をえぐる問題作である。

当時は日帝を含めた列強諸国が清の柔らかい横腹を食い破ってわがもの顔に浸食していたわけだが、植民地の利権を守るために太平洋を渡って中国大陸にやってきたちっぽけな砲艦とその兵士たちも民族自決の大波と排外主義の争闘のあおりを受けずにはいられない。

大陸の奥地で活動する宣教師たちを救出しようと長河の上流をさかのぼってきたサンパブロを待ちうけていた中国軍を血肉の犠牲を払ってかろうじて撃破したものの、機関室担当の兵士スティーヴ・マックイーンは、宣教師の助手キャンディス・バーゲンとのはかない恋も実らず、名誉だけを重んじる頑迷な艦長と共に、異国の伝道所で不慮の死を遂げる。

当時の国際情勢の趨勢を見通すことなく、「おらっちはどうしてこんなところに来てしまったんだ」と呟きながら息絶える海軍軍人の短すぎた生涯が哀れである。
マックイーンの親友のリチャード・アッテンボローも中国人の女給を愛して結婚までするのだが、2人ともやはり不幸な結末を迎える。マックイーンの愛した部下の船員岩松清も同様。

しかし個人としては最善を尽くして精いっぱいに生きてはいても、その生自体の消長が歴史の絶対的制約の中でがんじがらめに絡みとられ、前途に待ち構える悲劇を逃れるすべがないという状況は、この映画の中に限った話ではないのかもしれない。


さりとてという言葉が嫌いなりさりとてなすすべはなけれど 茫洋
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佐藤賢一著「フイヤン派の野望」を読む

2010-11-18 09:00:49 | Weblog


照る日曇る日 第386回

シリーズ「小説フランス革命」の第6巻は、ヴァレンヌに脱走したルイ16世がパリに連れ戻されたあとの国民議会の迷走を描いています。

王の裏切りに激高する市民の怒りをよそにジャコバン・クラブの重鎮であるデュポール、ラメット、パルナーブの3人は、新たに議会右派のフイヤン派を結成して国王の罪を不問に付し、左派のロベスピエールたちと鋭く対決します。

そこでダントン、マラー、デムーラン、ラクロなどコルドリエ・クラブの支持者たちは、ヴァレンヌ事件を忘れるなという声明文を作成、その署名嘆願を求めてバスチーユからシャンドマルスまで行進したのですが、フイヤン派の要請にこたえた国民衛兵隊司令官のラ・ファイエットがその平和的なデモを銃弾で圧殺したために、左右の対立はいっそう深まっていくのです。

1791年に自由平等博愛の憲法が制定され、議会がいったん解散されたためにロベスピエールは故郷のアラスに戻るのですが、そこで彼が見たものはジャコバン・クラブの地方組織の保守化と貴族が指導者を占める軍隊の脆弱性でした。このままでは革命は終わってしまう。大きな危機感に押されたロベスピエールはパリにとって返します。やはり革命の起爆力を持つのは首都の市民しかいなかったのです。

そんなロベスピエールの元を訪れたのは、フイヤン派のアントワーヌ・パルナーブ。ブルジョア左派から王党派に転向していた当時の最高権力者は、相次ぐ政争に嫌気がさしてか故郷ドーフィネに帰ると政敵のロベスピエールに告白するのですが、この気持ちはよく分かります。政治的活動への離反は、おのれの志操の揺らぎや迫りくる死や暴力への恐怖だけでなく、おのれのどこかからやって来る心身の解体と第六感的警告の発動から引き起こされるのです。

政治から身を退いたはずのパルナーブでしたが、1792年の8月10日事件に関連して国王一家とのつながりを追及されて翌73年11月に断頭台の露と消えます。しかし本巻でくわしく紹介されるロベスピエールの当時の姿はけっして独裁者や極左冒険主義者のそれではありません。この時点ではまだ共和制すら唱えず、ジロンド党が主導する国外との革命戦争にも時期尚早と慎重論を吐く、自信のない中庸主義者ぶりが読者の興味をいたく惹くのです。

お母さん今日シャンプーしてくださいなとひげそりしてもらいながらいう息子 茫洋


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角田光代著「ツリーハウス」を読んで

2010-11-17 08:57:46 | Weblog

照る日曇る日 第385回


貧しい田舎で喰いつめて旧満州に飛びだした祖父とそこでめぐり会った同じような境遇の祖母。敗戦の大混乱の中を命からがら引き揚げ、誰のものとも知れない新宿十二社のバラックではじめた小さな中華料理屋翡翠飯店が、父親と母親、そしてその子良嗣たちの生活の拠点となる。きっとそんな来歴の店がいまも西新宿にはあるのだろう。

若くして家と祖国を見捨てた祖父母にとって帰国した母国は、すでにそれ自体が異国であり異郷であるから、息子や娘たちに対して境界と秩序と規矩のない開放的な空間が提供されることになる。

ここに集うのは、大陸からの引き揚げ者なら誰でも寝泊まりさせて平気な祖父母、放恣な性関係を続け女性を冷たく捨てて顧みない長男慎之輔、カルト宗教にいかれ、教え子の女子高校生を店に連れ込んでくる次男太二郎、反体制運動に入れあげ原因不明の自殺を遂げる三男基三郎、男に捨てられて出戻る妹今日子、狭い庭の木の股に秘密基地トリーハウスを開設する慎之輔の長男基樹……、いずれも私たちがどこかで見聞きしたはずの人物ばかりだ。

こうした常に動揺して入り乱れる藤代家の面々の面白くてやがて哀しいヒストリーを、いわば客観的な物差しとして測定するように割って入るのが、慎之輔の次男良嗣の視線で語られる祖母ヤエの中国望郷旅行である。夫と共に青春時代を過ごした故地で見知らぬ中国人の前で深く頭を下げたヤエは、帰国すると間もなく死ぬのだが、藤代家にはすでに4代目の家族たちが暮らしている。
デラシネ家族たちが作り上げる規範のない共同体は、これからいったいどこへ行こうとするのだろうか?

丁寧に紡ぎあげられた作者の巧みな伏線の糸をたどって、つらつらこの本を読まされているうちに、藤代家一族3代およそ70年の歴史が、まるで作者自身の家族の物語であると同時に、わたしたち日本人の平均的な家庭、あるいはもっと飛躍して言えば八紘一宇的な「日本」という共同体の原基であるような不思議な感慨に襲われた。おそらく私たちは70年前とちっとも変ってはいないのだ。


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ジョン・スタージェス監督の「大脱走」を観る

2010-11-16 08:45:05 | Weblog
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.50

監督ジョン・スタージェスが、その持てる実力を遺憾なく発揮したハリウッドの超大作です。

エルマー・バーンスタインのテーマ音楽で有名な1963年制作のこの映画。スティーヴ・マックイーンがナチの収容所から脱走して見事オートバイで中立国のスイスに辿りつくメデタシメデタシの話と記憶していたらとんでもない。マックイーンは確かに独軍から奪ったオートバイで国境まで爆走するのだが、緩衝地帯のスイス側に張り巡らされた鉄条網の傍であえなくゲスタポにつかまってしまうのだった。人の記憶はともかく私のそれがいちばん危ういことに改めて気がつかされた映画だった。

これも忘れていたことだが、この脱走話はすべて実話で、収容所からなんと3本の地下道を掘って英米露など250名の連合軍兵士を脱出させ、敵国ドイツの後方を攪乱しようという計画だったというから驚く。脱走すればすぐ祖国などという甘い話ではなくて、塀の外に出てからのほうがはるかに危険な任務なのだ。

お得意のオートバイを駆る反逆児マックイーンも大活躍だが、その計画のプランニングと指揮を担当した剛毅なリーダー役バートレット少佐を演じるリチャード・アッテンボローや暗所恐怖症ながら懸命にトンネルを掘り続けるポーランド人役のチャールズ・ブロンソン、盲目の同僚を助けながらスイス国境近くまで敵飛行機で逃走したヘンドリー大尉のジェームズ・ガーナーなどの好演も見逃せない。

実際に脱出に成功したのは76名だったそうだが、そのうちバートレット少佐など50名はゲシュタポによってつかまり、銃殺されてしまうのだが、残りの15名はその後どうなったのだろう。その一部は映画の中でも描かれているのだが非常に気になります。


凡庸の価値を知らない人は非凡の価値も理解できない 茫洋


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