あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2010年卯月茫洋花鳥風月人情紙風船

2010-04-30 07:31:29 | Weblog



ある晴れた日に第75回


くねくねと走るキャメラはわが腸の白きポリープを探り当てたり

うねうねと突き進んだる内視鏡わが白きポリープをズキンとちょんぎる

下腹にズンとくる衝撃と共に断ち切られたるわが白きポリープ

目の前のモニター画面の真ん中で断ち切られたり10ミリのポリープ

次々にわれらの夢が消えてゆく大きな夢も小さな夢も

どこか夢を売っているところを知りませんか 

昔のあんたはすごかったうれしがらせて泣かせて消えた

眼の前で大口開けて寝る男理由なく憎く思う電車の内かな

歯磨きの代わりに入歯接着剤で磨きたる息子の口を急いで漱ぐ

厳めしき教授の顔をよく見れば丹波の洟垂れ小僧なり

久しぶりにどんべえ食べたら吐き気を覚えたよ

朝日差す歩道の端に横たわる灰色の猫はびくともついに動かず

図書館で古今著門集借りた老人の自転車は錆びていた

恵比寿駅午後2時40分空っぽのNEXが通過する

町内の怪しき者は通報せよとパトカーが喚いている恐るべき警察国家ニッポン

はまぐりの実を捨てたなと息子を怒る

腹立ちて息子を怒鳴りつけたれば1日パソコン動かざりけり

母上のグリンピースの混ぜご飯妻が作りて食べさせてくれたり

母上の大好物のグレープジュース食わずになりて久しきことなり

春になったら由良川へ行こう
岸辺では善チャンがサクラマスを釣っているだろう

ガンクロの娘美白になりて娘と歩いてる

哀れまた美女に食われし文士かな

歌っても歌わなくてもいずれは沈黙



♪卯の月は死に物狂いで生き抜けり 茫洋






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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第42回

2010-04-29 16:51:34 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


10月18日 晴

私、フリープラン、田中美奈子。満期養老保険。

きちんと、乗りなさい。いいよ、遣り直し。洋子ちゃん、どうしたの。何、暴れているの。長島先生に、顔をぶたれたの。洋子ちゃん、エーン、エーン、エーン。なんで泣いたり するの。

泣かないで。洋子ちゃんは、泣いた。かわいそうだったね。

文枝ちゃん、練習しよう。指差さないの、ね。岳君、御喋り、しない、知らない、バイバイ。

逆。そんな事、したら、汚れちゃうよ、もっと、広げなさい。ねえねえ、ねえねえ、悪いけど、ずれてくれる。

そんな事したら、嫌われちゃうよ、長島先生に、怒られちゃうよ、ぶん殴られちゃうよ、ぶっ殺されちゃうよ。


第1部うつろい 完



♪春になったら由良川へ行こう 川辺では善チャンがサクラマスを釣っているだろう 茫洋
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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第41回

2010-04-28 22:36:43 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


10月17日 雨

一番ホーム、電車が参ります。一番ホーム、電車が参ります。次は高座渋谷に止まります。危険ですから、白線の内側迄下がってお待ちください。

お客様にお願い致します。発車間際の駆け込み乗車は危険です。無理なご乗車はなさらないようお願い致します。

二番ホーム、電車が参ります。二番ホーム、電車が参ります。次は大和に止まります。危険ですから、白線の内側迄下がってお待ちください。

お客様にお願い致します。発車間際の駆け込み乗車は危険です。無理なご乗車はなさらないようお願い致します。

二番線、ご注意ください。二番線、ご注意ください。電車が通過します。危険ですから、白線の内側迄下がってお待ちください。

一番線、ご注意ください。一番線、ご注意ください。電車が通過します。危険ですから、白線の内側迄下がってお待ちください。


はまぐりの実を捨てたなと息子を怒る 茫洋

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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第40回

2010-04-27 08:56:51 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


みんなが笑うので、僕も笑いました。ギャハハと笑ってしまいました。お父さんが真面目くさった顔をするといつも笑いだしてしまうのです。

きっと脳のせいです。頭の中がそういう風になっているのに誰も分かってくれません。周りが緊張した雰囲気になってくるとかえって駄目。なんとかその雰囲気をやわらげようと思って、自分から笑い出してしまうのです。

今日もお父さんを見て、思わず笑ってしまいました。

ワハハハハハ、ワハハハハハ、ギャハハ、ギャハハ、ギャハハ ワハハハハハ
御免、御免なさい。

でもいつもと違ってお父さんは怒りませんでした。いつものように
「こらあ馬鹿あ、静かにしろ!岳黙ってろ! 笑うと自閉症になるぞ!」
と怒鳴るかと思ったけれど、今夜はなにも言いませんでした。

なにも言わないで、黙って僕の顔を見ました。悲しい目でした。



腹立ちて息子を怒鳴りつけたれば1日パソコン動かざりけり 茫洋
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川西政明著「新・日本文壇史第1巻」を読んで

2010-04-24 16:44:42 | Weblog


照る日曇る日第339回

伊藤整の日本文壇史を引き継いで川西版の第1弾が、大正5年12月の「漱石の死」のシーンから始まりました。冒頭の「明治という時代を生きた文豪夏目漱石は、今、死の床についていた」という格調高い1行は、大正の作家たちや昭和文壇の形成、昭和モダンと転向、文士の戦争へと続く全10冊への期待をいやがうえにも高めてくれます。

著者によれば漱石の死の遠因は、彼が20歳の時に患った虫垂炎の治療法の間違いにあるそうで、わずか49歳でこの世を去った偉大な文学者の「夭折」が、今更ながら惜しまれます。この章では師匠の枕辺に集う小宮豊隆などの高弟と、芥川・久米・松岡などの若い弟子たちの周章狼狽ぶりと漱石の長女筆子をめぐる久米と松岡の争奪戦が興味深く描かれます。
漱石の妻鏡子の信頼を集め当初大きくリードしていた久米が、油断大敵伏兵の恋敵松岡の逆転を許してしまうくだりなどは文字通り巻を措くあたわざる面白さです。

もっと面白いのは第3章で紹介される芥川龍之介の不倫の恋です。最晩年の漱石によって後継者に擬せられていた芥川の「月光の女」野々口豊、「愁人」秀しげ子との姦通の現場を、著者はまるでシャーロック・ホームズのように天眼鏡片手に執拗に追跡しています。

芥川よりもっと面白いのは、佐藤春夫と谷崎潤一郎の谷崎の妻千代をめぐる愛の争奪戦です。14歳の時千代の姉初子の娘小林せいを強姦した谷崎は、彼女を自分好みの悪魔的な女ナオミに育て上げ、「痴人の愛」の泥沼に沈みます。千代を離縁してせいと結婚しようとする谷崎は、当時人気絶頂のイケメン俳優岡田時彦(岡田茉莉子の父)の童貞を奪い、谷崎の元を逃れようとします。

苦悩する谷崎にないがしろにされ、VDの憂き目に遭っていた千代を救ったのは、純情詩人佐藤春夫の純愛でした。昭和5年8月18日、幾多の変転を経てついに千代は晴れて谷崎を離縁して佐藤の妻となったのです。万歳!

谷崎よりもっともっと面白いのは、第5章の「北原白秋の姦通罪事件」ですが、残念ながら本日の字数が尽きました。どうぞ書店へ駆けつけて、この世にも奇怪な姦通事件のおどろおどろの大団円を、川西名探偵とともに追跡してください。

ただ白秋が「ソフィー」と呼んだ運命のファム・ファタール松下俊子に一目ぼれしたのは、私が長く勤務していた原宿の会社のすぐ傍であり、かつまた現在岡田茉莉子氏の自宅のすぐ傍、さらに白秋の2度目の不倫相手江口章子が、白秋と別れて流れ着いたのは、私の郷里の街にある郡是製糸の教育係であった、とはまことに不思議なこともあるものです。その章子が、熱烈なキリスト者波多野鶴吉翁が設立した製糸工場の、女工の生活改善のために戦ったとは、本書を読んではじめて知りました。

さて一言にして小説より面白いこの本の感想をつくせば、作家はいちじるしく色を好み、また色に翻弄され尽くすということでしょうか。男の肉は女の肉より薄いのです。


♪哀れまた美女に食われし文士かな 茫洋 
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演劇集団円公演「ホームカミング」を見て

2010-04-23 15:55:11 | Weblog


茫洋物見遊山記第22回


わいらあこないだ「ホームカミング」ちゅう芝居見ましたんや。ハロルド・ピンターはんが原作、翻訳は小田島雄志、演出・脚色大島也寸の格調高い英国芝居や。出演は山口眞司、石田登星、石住昭彦、吉見一豊、吉澤宙彦、朴王路美はんたち。
ほとんど全編大阪弁でしゃべくりおったさかい、わいも関西弁風に書かせてもらいまっせ。

舞台はロンドンの下町のオンボロの1軒家。そこは長男の父親と叔父、2人の弟が男同士でみじめったらしい生活をしとる。元肉屋の父親は死んだ母親代わりのハウスキーパー、叔父はタクシーの運転手、3男はボクサー志望の日雇い労働者やが、次男はしがないリーマンやろか、実際はなにをしとるんかわからん。

みな心のどこかに傷があり、父は次男をののしり次男は父に「はよくたばれ」と抜かす。人間とゆーよりは動物園の檻の中の野獣のよう吠えたける。「清く正しく美しく」じゃのうて「暗く貧しくエゲツなく」生きておる。夢も希望もない毎日や。

そこへ突然ふらりと舞い込んだのがとっくの昔に故郷を捨てて苦学奮闘、太陽の光もまぶしいサンフランシスコ大学の哲学教授となっておったインテリゲンチャンの長男。すでに2人の子持ちやが容姿端麗色香芬々の妻を同伴してのホームカミングちゅうわけや。ちなみにこの2人だけは標準語でしゃべりよります。

掃きダメに鶴というも愚かな紅一点。腐りきった陋屋にたちまち渦巻くは野卑な男どもの性の蠢き、欲望の嵐。良識ある長男の理性の制止も聞かばこそ、朝な夕なによってたかって美女の美脚・美乳にむしゃぶりつけば、嫌だ嫌だも好きの裡、あろうことか淑徳貞潔が謳い文句やったはずの教授夫人は、全身下半身のあらくれ男どもの前に婀娜な姿をみずからさらし、美脚をひらいて太腿の奥にあるモノをばえいやっと見せつける。

あっと息をのむ野郎ども。思いもかけぬ展開にぐっと生唾を飲み込む観客たち。毒をもって毒を制するみだらな毒婦の本領発揮でございます。
ほれ、よう魚心あれば水ごころありというやんか。かくて放恣な教授夫人の肉体の疼きの奥の奥に秘められた肉欲の花は、1点突破・全面展開とあやしく放恣な悪の華をビシバシ咲かせ、ついに単細胞な下半身男どもをあざやかに牛耳ります。

「あほんだらなにしてけつかんねん!」と鶴の一声に、あらくれ男どもがギョット身を引くところが本公演のハイライト。

想定外の成り行きに泣く泣くサンフランシスコに帰るやさぐれ長男、あまりの不条理ドラマツルギーの進行についていけず心臓麻痺でどうと倒れ伏す叔父、「あなうれしや義父のわれにも接吻くりゃれ」と哀願する父親をしり目に、女王蜂クールビューティは足元にひれ伏す奴隷どもを満足げに見下ろすんやった。

やっぱ男はクールビューティにはかなわんちゅうこっちゃ。


♪眼の前で大口開けて寝る男理由なく憎く思う電車の内かな 茫洋

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日経広告研究所編「基礎から学べる広告の総合講座」を読んで

2010-04-22 22:14:59 | Weblog


照る日曇る日第338回バガテルop126

毎年この本でわが国の広告と広告業界のお勉強をさせてもらっています。2010年版の特色は、1に不況どん底時代の業界の嘆き節と絶望の苦悶。2にインターネットメデアとの阿鼻狂乱風のお付き合いというあたりでしょうか。

政権党が何をしようがしようまいが、経済学者がどのように世界を解釈しようが不況のあとにくるものは好況に決まっているので、景気は順調に回復するでしょう。すでにその兆し=「広告モエ」現象はあちこちにほの見えているようで、またしても軽佻浮薄なちょいと出ました広告野郎がのさばる世の中が、ほれ本町3丁目の角のてらこ履物屋までやって来ているのさ。


ネットは08年の「君中部」に続くすいすいすだらかツイッター旋風の出現で、またまた一種異様な猫じゃ招き猫じゃええじゃないかの狂騒状態に突入し、私のように多少とも品性のある低級遊民&古典守旧派の顰蹙を買っていますが、民主党の断末魔崩壊と同様もはや誰ひとりとどめることができない「時代の流れ」となるでせう。

これまでのブロガーの言説にかろうじて三段論法があったとするなら、ツイッターはあほばか感傷的一段論法いたちの最後っ屁あるのみ。正反合あれども弁証法は皆無也。

で、なにが変わるって? なあんも変わりやしないのさ。「携帯の進化?」とおんなじことで、機械は進歩すれども人間はげしく強行劣化・腐敗堕落して無限地獄に転落、カンダタ同様やたらめったら忙しくなるだけのこってす。

それじゃあ、また。(吉田秀和翁の声音を真似して……)

♪厳めしき教授の顔をよく見れば丹波の洟垂れ小僧なり 茫洋

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文化学園服装博物館で「ヨーロピアン・モード展」を見る

2010-04-20 17:39:40 | Weblog


茫洋物見遊山記第21回&ふぁっちょん幻論第59回

18世紀のマリー・アントワネットの時代から1970年代のポスト・シャネルの時代まで、200年の時系列をいっきに通覧する欧州モードのコレクション・ア・ラ・カルトです。

これを一瞥していると、それぞれの時代の社会経済政治文化の流れを、いかに当時の女性の衣服がストレートに反映していたかが、あちこちで読みとれてなかなかに興味深いものがあります。
とりわけ私が細い狐目をお皿のように丸くして、食い入るように眺めたのが1920年代のドレスとバッグでした。

不自由なコルセットから解放され、過剰な装飾についに別れを告げ、のびのびと美脚を街頭に向かって突き出したミニドレスたちのなんと簡素で美しいことよ!

大胆なフォルムと目の覚めるような色、柄、デザイン、そして選び抜かれた最高級の素材と繊細な意匠の数々。なかんずく溜息が出るような藝術的な完成度を誇るのは、あまりにも小さな、そしてあまりにも華奢な布製のバッグ。これぞアールデコの極致、人類文化史上の最高傑作といっても過言ではないでしょう。

1920年代が現代ファッションの原点であるとよくいわれますが、それどころかここにこそ近未来のトレンドの源流が凝集していると確信できた垂涎の展覧会でした。


♪ガンクロの娘美白になりて娘と歩いてる  茫洋

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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第39回

2010-04-18 17:47:21 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


10月16日 晴れたり曇ったり

ハッピー・バースデイ、お父さん。ハッピー・バースデイ、お父さん。
と歌いました。

みんなで夜ケーキを食べました。鎌倉ベーカリーのショートケーキを食べました。

お父さんはすごくうれしそうでした。
いきなり「おめでとう」なんて言われても、もう歳だからなあ、とお父さんが笑うと、でもまだまだ若いじゃない。私の方がさきに死ぬわ、とお母さんがいいました。

だいじょうぶ、俺たちが生きている間はちゃんと守ってやるからな。安心しろ、岳。
とお父さんはえらそうに言いました。

お母さんと弟の純ちゃんが、エヘヘと笑いました。


♪歯磨きの代わりに入歯接着剤で磨きたる息子の口を急いで漱ぐ 茫洋
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デッカ盤「ヴァイオリン・マスターワークス」を聴いて

2010-04-17 17:35:53 | Weblog


♪音楽千夜一夜第129回

これはデッカが総力を挙げて取り組んだヴァイオリン演奏CD35枚組のコンピレーションです。
アッカルド、アモワイヤル、ジョシュア・ベル、キョン・チョン・ファ、アルチュール・グリュミオー、ヘンリク・シェリング、ルジェロ・リッチ、ギドン・クレーメル、諏訪内晶子などがバッハからベートーヴェン、モーツアルト、ブラームス、チャイコフスキー、ヴィヴァルディなど古今の名曲を1枚当たり197円で弾き比べるという楽しい趣向ですが、かつて蘭フィリップスレーベルから発売されていたCDの柔らかく温かな音色がみなデッカの硬質のサウンドに変わっているところにの一抹の寂しさを感じます。

それはさておき、演奏でまず興味深いのはギドン・クレーメルのバッハの無伴奏全曲。さながら鋭利に研ぎ澄ましたる正宗の妖刀で、バッハをバッタバッタと切り倒しながら進んでいく異貌の青眼剣士のごとし。その都度青白い燐光が見え隠れして物凄い。
ヨーヨーマやスターンのようにはどうしても弓馬鹿になり切れない世界浪人インテリゲンチャンの懶惰な悲しみが随所に放散されていて、これは若くして死んだオレグ・カガンの奇跡の名演奏には惜しくも一籌を輸するとはいえ、グリュミオーの超甘美な演奏と並ぶ好演ではないでしょうか。

次はそのグリュミオーによるCD2枚分のアンコール小曲集。この手のものではクライスラーが絶品で、宇宙の神秘と音楽の美の精華を数分の演奏に込めた珠玉の出来栄えにはかないませんが、下手なヴァイオリニストの大曲演奏よりも楽しませてくれます。

聴きごたえがあったのは、シェリングとイングリッド・ヘブラーのモーツアルトのソナタ全曲。モノラルを感じさせない2人の音色は美しさの極み。ハスキルだけがモーツアルトではありません。

圧倒的なオーラで迫るのは、やはり韓国の烈女キョン・チョンファ。サンサーンス、ヴュータン、ショーソンの代表曲を希代の色男シャルル・デュトワと奏でます。チョンファの後窯として同じすけこまし野郎に抱かれ、密かに子をなしたというわが諏訪内晶子チャンも、黒い噂にめげずにブルッフ、サラサーテ、ドボルザークで意外な?好演。
濃厚なチョン・ファとは対極にある清冽無比な大和撫子の恋の嘆かいを嫋々と歌い上げています。

それにつけても東洋の美女を両手に花とものにした元N響音楽監督が、羨ましくも憎たらしい。

♪昔のあんたはすごかったうれしがらせて泣かせて消えた 茫洋

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ハルモニア・ムンディ盤「宗教音楽選集」を聞き流しながら

2010-04-16 17:20:15 | Weblog


♪音楽千夜一夜第128回

独仏ハルモニア・ムンディレーベルが集めた「宗教音楽コレクション」を仕事の合間に聴きました。(最近どういう風の吹きまわしか春一番とともに突然仕事が舞い込んできてブログ書きこみどころではなくなったのです)

ルネ・ヤーコブ指揮のバッハの「クリスマス・オラトリオ」、メンデルスゾーンの「聖パウロス」をはじめウイリアム・クリスティー指揮のヘンデル「メサイア」、フィリップ・ヘレべッヘ指揮のモンテヴェルデイ各種、ケント・ナガノ指揮のバーンスタインの「ミサ曲」など中世から現代までの全70曲を29枚のCDで時系列に刻んだ記念碑的なアーカイヴです。

中ではやはりヘレべッヘ指揮シャンゼリゼ管のモーツアルトの「レクイエム」が聴かせてくれました。どうしようもなく凡庸なケント・ナガノのバーンスタインは、彼の数少ない銘盤のひとつとなるでしょう。

あとの曲や演奏は猛烈に仕事をしていたのでいまとなっては全然覚えていません。ひどいものです。しかしどれも演奏の水準は高く録音も優秀。こんなCDが1枚わずか207円で買えるとはものすごい時代になったものです。

ついでに思い出したのですが、こういう歴史的一大回顧の傑作は、ドイツグラモフォンが2000年に出した「グレゴリアン聖歌から現代音楽まで1000-2000」という壮大なタイトルのコンピレーション(廃盤)で、この12枚組を聴くだけで西洋音楽の歩みがすべてわかった気になれる見事な出来映えです。


ねくねと走るキャメラはわが腸の白きポリープを探り当てたり 茫洋
うねうねと突き進んだる内視鏡わが白きポリープをズキンとちょんぎる
下腹にズンとくる衝撃と共に断ち切られたるわが白きポリープ
目の前のモニター画面の真ん中で断ち切られたり10ミリのポリープ

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ボーザール・トリオの「ハイドンのピアノトリオ全集」を聴いて

2010-04-12 21:54:28 | Weblog


♪音楽千夜一夜第127回&バガテルop125

ピアノがメナハイム・プレスラー、ヴァイオリンがイシドール・コーエン、チエロがベルナール・グリーンハウスの3人による演奏は、むかしLPで一枚ずつ揃えて大切に聴いた覚えがあるけれど、その後ずっと長い間忘れていて、1か月前に吉田秀和翁の「名曲の楽しみ」でホーボーケン番号の35番だか6番だかを聞かされて、それがこの節はやりのギンギンのクールな音色とは遠く離れた人肌の温みを思わせる優婉な味わいの音楽だったので、こないだネットで買って仕事の合間にBGMのように聴きながら、それでも耳だけは懐かしい旧友の声に耳を奪われるようにして昨日とうとう聴き終わったのですが、ああ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、冥途の土産に聞いておいて本当に良かった。やはりベートーベンもよい、モーツアルトもよい、シューベルトもシューマンも結構毛だらけ猫灰だらけお前のかあちゃん糞だらけですけれど、ハイドンの音楽は、やっぱなんというか大人の音楽で、若書きの曲すらも相当年季が入っていて、かの小林秀雄がモーツアルトやらバルトークを、中原中也がシューベルトに入れ込んだのに対して、大岡昇平がハイドンに一家言を持った(がほとんど書かなかった)というのは、いかにも昇平らしくていいなあと雨がジャブジャブ降る春の宵にひとり静かに想うのでしたが、それにつけてもこの名盤やハスキルやグリュミオー、シェリング、ネビル・マリナーやらコリン・デービス、クラウディオ・アラウやブレンデルやシュライヤーやらメンゲルベルグの歴史的銘盤を和蘭を本拠地に続々送り出してくれたフィリップス・レーベルの死滅とロンドン・レーベルへの吸収合併はいかにM&Aばやりの昨今とはいえそぞろ身にしむ寂しさであるわいなあ、そういえば木挽町の歌舞伎座もあんなに反対運動を繰り広げたのに今月いっぱいで閉幕になるという、さすれば帝都一を誇った最高の音響も永遠に失われる、3階立ち見席にあざやかに聞き取れた清元志寿太夫の破天荒の唸り声も中村歌右衛門の艶冶な衣擦れの音ももはやわがなれ親しみし空間ともども悠久の彼方に消え去ってゆくかと思えばあな悲しあなうらめし夢も希望もあるものかいなと涙涙にかき暮れし卯月壬辰の宵なりき。


次々にわれらの夢が消えてゆく大きな夢も小さな夢も 茫洋
どこか夢を売っているところを知りませんか 

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ガ行の時代に

2010-04-11 21:15:50 | Weblog


ある晴れた日に第74回&茫洋広告戯評第11回


ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ。

ガツン、ガッツ、ガンガンメール。

ギンギラ、ギッチョン、銀色ナツオ

グングン、グリコ、グーグル、グー。

ゲンチャン、ゲンキ、ゲンキン、ゲロゲロ。

ゴー、ゴー、ゴー、箪笥にゴン。


時代ガタガタ 国家ギタギタ、人心グラグラ ゲリラ ゴキゲン

ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ。

ガ-、ギー、グー、ゲー、ゴー。

今日も明日もガ行の時代だ。


♪歌っても歌わなくてもいずれは沈黙 茫洋

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前田和男著「男はなぜ化粧をしたがるのか」を読んで

2010-04-10 21:08:39 | Weblog


照る日曇る日第337回


黄昏迫る平成の御代にあっては、「男のくせに化粧なんて」、と部厚い眉をついついひそめてしまう私ですが、今を去る何十年も若かりし日には自分でヘレンカーチス第2液を美容院から買ってきて会社をずる休みしてパーマをかけたことがありました。

頭は茶髪のナチュラルウエーブで、ベルボトムのパンタロン姿で颯爽と神田鎌倉河岸の汀にあった小さな会社に入っていきましたら、受付嬢が一斉にのけぞって引いていく姿がおぼろに知覚されました。その当時私は、別にオシャレしようと思ったわけではありません。なにやら前途茫洋の憂い深く、ちょいとおのれの身体外観をギタギタにしてやりたかったのに違いないのです。

「男はなぜ化粧をしたがるのか」というタイトルを持つこの本も、私と同様化粧せざるを得なくなった孤独な生の実存の根っこを鋭くえぐってくれるのかと予想していましたら、案に相違してああ堂々の「男性化粧&時代相関説」の開陳でした。
日本史にはわが国に統一国家が誕生した上古、初めて国風文化が成立した平安、武士の時代に転換した中世、戦国を経て幕藩体制が確立した江戸時代、近代国家が成立した明治大正、敗戦と戦後レジームの昭和、という6つのメルクマールがあると唱える著者は、それぞれのエポックにおいて男性の化粧がどのように変遷してきたのかを、1)メークアップ、2)整身(髭そり・脱毛など)、3)整髪の3つの視点から詳細に比較対照しました。
そしてついに化粧は時代のバロメーターであり、歴史は「戦時モード」と「平時モード」を繰り返してきたことを実証するに至るのです。
ここで著者がいう「戦時モード」とは神話時代、中世鎌倉、戦国・江戸初期、明治維新から昭和初期の「常在戦場」の時代であり、「平時モード」とは平安、室町、江戸後期、昭和~現在を指していますが、まあ平たくいえば平和であればマッチョな男らしさが忌避され、猫も杓子も全身化粧に憂き身をやつし、戦争になれば男はよりマッチョになりはてて化粧どころの騒ぎではないということでありましょう。
魏志倭人伝から古事記、万葉、源氏はもとよりルイス・フロイス、森銑三、石井研堂、ドナルド・キーン、杉浦日向子に至るまでまるで打出の小槌のごとく自由自在に博引傍証しながら上記の命題を執拗に証明し続ける著者の研鑚努力と異様なまでの執念に激しく打たれた一冊でした。

♪町内の怪しき者は通報せよとパトカーが喚いている恐るべき警察国家ニッポン 茫洋

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06ザルツブルク音楽祭ダニエル・ハーディング指揮「ドンジョバンニ」を視聴する

2010-04-09 17:44:38 | Weblog



♪音楽千夜一夜第126回

モーツアルトイヤーの記念すべき演奏なのにどうしてこんな技術も経験もない若僧にこの名曲の演奏をゆだねるのかその真意がわかりません。

冒頭の序曲の最初の和音のうすっぺらで軽薄な鳴り方を耳にしただけで悪い予感が走り、それは最後のドンジョバンニの地獄落ちで最終的に確認されました。

題名役に巧者のトマス・ハンプソン、ドンナ・アンナにクリスティーネ・シェーファー、レポレロにイルデブランド・ダルカンジェロ、ドンナ・アンアにメラニー・ディーナー、ドン・オッタヴィオにピヨートル・ベチャーラなどという布陣はそれほど見劣りするものではなく、それどころか他のヴェテラン指揮者ならかなりの好演が期待できたと思うのですが、ともかくこのチンピラあんちゃんの程度がひどすぎる。短距離競走の選手のようにむやみやたらに猛烈に飛ばすのです。モーツアルトの音楽の意味や美しさをぜんぶ棚に上げて……。

こんな乱暴で浅はかな指揮者に付き合わされているウイーンフィルもいい迷惑です。演出はマルチン・クシュイという人ですが特にどうということもなし。モーツアルトが見たらきっと落ち込むだろうという世紀の凡演でした。

ところが最近FMで聞いた彼のヴェルディ「レクイエム」の出来映えの素晴らしかったこと! この人はたまたまモーツアルトが下手くそであっただけなのかもしれません。


♪久しぶりにどんべえ食べたら吐き気を覚えたよ 茫洋

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