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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「続続々なにゆえに」~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-03-31 10:27:46 | Weblog


ある晴れた日に第212回


なにゆえにたやすくデジカメは故障する消費税前に7900円のを買おう

なにゆえに中韓の悪口ばかりいう隣の国とは仲良くするべし

なにゆえにせっせと大根を栽培する市民のための十二所果樹園なのに

なにゆえに人は地獄に落ちるのか天国に這い上がれるとあかすため

なにゆえに軍艦の色は灰色か人を殺すは憂鬱なるゆえ

なにゆえにあの暴漢ヤクザを放置したのかわれに一丁の凶器拳銃ありせば

なにゆえに女流ヴァオリニストは谷間も売るのか見せつけるのは音楽だけにせよ

何故紅旗征戎非吾事笑而不答天地水明

なにゆえに集団自衛権を容認すそは憲法擁護義務を定めた99条違反なるを

なにゆえに貴女なる言葉が死語となった貴い女性がいなくなったから

なにゆえに国はどんどん右傾化するのか「ま、そのおー」左脳が衰えているので

なにゆえに朝口臭が噴き上げる私も世界も腐りかけているから

なにゆえに見つからないのか幻のオレッグ・カガンのバッハ無伴奏ソナタCD

なにゆえに渾身のワンカットが生まれるのか深紅のカーディガンと細字の手帳より

なにゆえに世紀の大発見に影が差す話題の理系女が非常識だから

なにゆえに日経歌壇から身を引くや戦後短歌史最後の巨塔岡井隆 

なにゆえに梅が散っても桜が咲かぬ下手な鶯お稽古するため

なにゆえに葉書を52円に上げるのか歌壇への投稿をやめさせるため

なにゆえにラファエル前派モデルが美女なのか欝陶しい根暗女ばかりなのに

なにゆえに左を向いて眠れば夢見がよいのか右は鬼門か

なにゆえにせっせと買い集めたビデオがユーチューブでただで見られるのか著作権の侵害なり

なにゆえに横を向いて眠るのか天界が落ちてくるのが怖いので

なにゆえに若手のバリバリコンサートに行かないのかコルトー、カザルス、シゲティがあればそれでいいから 

なにゆえにモンゴル人ばかり横綱になる日本人が弱すぎるから

なにゆえに今日が当地の開花記念日なの亀田さんチの桜がいま咲いたから

なにゆえに夜の室内でもサングラスなの別に眼が悪いわけでもないのに

なにゆえに北条は鎌倉を制覇したか宿敵をあの手この手で屠りしゆえ

なにゆえに200円を210円に上げるのか鎌倉駅まで歩いて体重減らせと 


  三月は別れの季節いざさらば歌の恩師よ真幸くあれかし 蝶人
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「アルフレッド・コルトー・アニヴァーサリー・エディション40CD」を聴いて

2014-03-30 10:50:22 | Weblog


音楽千夜一夜第326回

アルフレッド・コルトー(1877-1962)はサンソン・フランソワ、ディヌ・リパッティ、クララ・ハスキル、遠山慶子、エリク・ハイドシェックなどの素晴らしい名ピアニストを育てましたが、彼自身の演奏は彼の弟子たちのいずれにも似ていないように思われます。


いまや世界の若手ピアニストたちは、聴衆の迷惑を顧みることなくともかく超絶テクニックで弾きに弾きまくる、という味もそっけもない無味乾燥で不毛の荒野に突入し迷走するようになってしまいました。

コルトーは現在の水準からみればテクニクはないし、時々指がもつれて弾き損なったりしていますが、そのかわりに音楽への愛の心がみなぎっています。

ここには彼が1919年から1959年までに遺した40枚のCDが集められていますが、それらのどの録音を聴いていても、(私がてんで評価しないショパンの作品でさえも)、ピアノの音が鳴っているのではなくて、死にゆく老人が星空の森の中でひとり歌っているように思えてくるのです。

コルトーの前にコルトーなく、コルトーのあとにコルトーはなかったのです。

けれどもコルトー弧ならず。カザルスやシゲティの朴訥なバッハを、指のよく回るロストロやマ、スターンなどと比べてみると、後者がチェロやバイオリンの音を上手に鳴らしているのに対して、前者は「それ以上の音楽」を上手下手とは無関係に心の奥底から歌っているようです。


なにゆえに若手のバリバリコンサートに行かないのかコルトー、カザルス、シゲティがあればそれでいいから 蝶人


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夢は第2の人生である 第10回

2014-03-29 10:42:57 | Weblog

西暦2013年神無月蝶人酔生夢死幾百夜


同盟国アメリカの戦闘機のパイロットとの共同作戦が続いていた。私は射撃手に実弾の代わりにプラスティックの弾を渡したのだが、彼はそれに気付かないで撃ちまくっていた。13/10/31

ブルーノ・ガンツに良く似たフィンランド人が、日本からやって来た私たちを歓迎してくれた。ガンツは手招きしながら細長い通路の奥にどんどん入ってゆく。羊腸のごとく細長いレストランで彼は何を食べますかと聞いてくれたが、私は既に済ませていたのでコーヒーを飲みながら商談に乗り出した。13/10/31

広報室長の今井さんのところで打ち合わせをするんだという4人の女性を逃れ、私は市ヶ谷駅の辺でランチを取ろうと商業施設の中をうろついたが、ろくなものがなかったので、電車を待ったがいつのまにかプラットフォームがなくなっていた。13/10/30

新宿での講習会が終わった。Aさんが私とBさんを御馳走してくれる約束があったので2人でビルの外に出たが、足元を見ると私は裸足だ。仕方がないので近所で靴を買ってから合流する旨Aさんに電話しようとしたが、なぜかAさんの携帯を私が持っているのだった。13/10/29

友人が柳橋の料亭で、「皇太子のビオラソロを聴いたんだが、この人も苦労しているんだなあと思うと涙が出た」と語っていると、それまで陽気に騒いでいた女将の鹿のように大きな瞳が突然曇ったのだが、タクシーに乗ってから雅子妃だったと気付いた。13/10/29

行きはアマチュアとして人知れず乗り物に座っていたのだが、帰りはもう立派なミュジシャンとして認知されていたので、座席指定券を貰って座っていました。13/10/28

「樹冠の日」という映画を製作するために、私たちは何年間も世界中の樹木の映像を撮影していた。10/27

米国の外資系企業に勤めている昔の恋人が久しぶりに帰国して同じ部署に配属になったので、私はまた彼女と自然に情を通じるようになってしまったのだが、それがあまりにも自然なので、これは本当に同じ女性なのだろうかと何度もいぶかしんだのであった。10/26

皆で浴衣を着てシャネルの盆踊り大会に出かけたら、女医Xのなんとか嬢や作家の川上なんとか嬢が下半身を激しくくねらせながら踊りまくっていた。あらえっさっさあ!10/25

いつのまにか私たち3人はお馴染みのパリのカンブラン広場にやって来ていて、お腹が空いたのでどこかレストランにでも入ろう、ということになった。先頭の女性が狭い横長の日本料理屋に入っていったので後を追おうとするのだが、それには先客の一列になった食膳の隙間の上を歩かねばならなかった。13/10/25

家が完成したというので現地へ行くと、業者が「やっと1階が出来ました。2階と3階はこれから見積もってお金を頂戴してから工事にかかります」というので驚いた。こんな話は聞いたことが無い。そもそも私は発注すらしたことがない。13/10/24

大学で晴れて「てなもんや文化論」を講ずることになったのだが、英米文学の専門莫迦講座を持つ先輩たちが私の教室に押し掛けてきて悪さや嫌がらせをするので、私はノイローゼになり、奥歯と顎が痛むようになってしまった。13/10/23

私のお陰で、暴力団の急襲から1度のみならず2度まで危ういところで助かった女は、そのお礼をするつもりかバスの後部座席に私を押し付け、両腕でしっかり抱きしめて接唇したが、その蛇のような冷たさに私は慄いた。13/10/22

夢の中で夢を見ていると、脳内に「1時脳」「2時脳」「3時脳」というふうにその時間が来ると点灯する枠があって、その枠内に自分が見ている夢の内容が同時再生されているのだった。13/10/21

社内の派閥抗争にいつのまにか巻き込まれていた私。副社長の娘とも、専務の娘とも情を交わしあっていたために、にっちもさっちもいかない雪隠詰めの状態となり、しばらく会社に出ないで町をうろついていた。13/10/20

軍隊で「行軍中に脱糞した奴のパンツを貰い下げてこい」と上等兵に命じられ、新兵の私が洗濯場に行くと、そこは広大な糞尿の池になっていて、猛烈な悪臭が漂う水面に無数のパンツが浮かんでいるのだった。13/10/19

岸本歯科へ行って奥歯が痛いからもうブリッジを全部はずしてくださいと頼み、その通りにしてもらったら嘘のように痛みが消えた。13/10/18

北朝鮮国籍を偽らず本邦で活躍してきたデザイナーのA氏が、古希を契機に現役引退すると宣言したので、彼のラストショーをコンベンションセンターに観に行ったら、同年齢の日本人女性デザイナーのBさんが、「じゃあ私はどうししたらいいの?」と聞くので、「そのまま行ける所まで行けば」と助言した。13/10/17

かつて私の恋人だった女性が、文机の奥に全裸でその身を隠しているのは、よほど酷い目にあわされたのだろう。私がそっと両腕を差し伸べ、ゆっくり体を引き寄せるとはじめは抵抗していた彼女も抵抗するのを諦めたように私の胸に飛び込んできて、まるで蛸のように両手両足でしがみついてきた。13/10/16

いつも高論卓説をSNSで書き飛ばしている男とたまたま知り合いになったが、その文章と同じかそれ以上に高慢ちきな人物だったので、「なんのおのれが櫻かな」というメッセージを送って絶縁したつもりでいたのに、彼奴はその意味も分からず、ひたすら未練がましいメールを寄越すのだった。13/10/15

頃は明治。バイエルンからやって来た男が日本滞在の最後の夜に、私が貸した弾でイノシシを猟銃で撃ったが斃れなかったので、彼は別の弾を私に返して横浜から帰国した。10/14

女社長の甘言に騙されて巨大な玩具の競技場に無理矢理連れ込まれた私は、その販売促進政策を下問されたので、早速答えようとして彼女の顔を見たら、自民党の超右翼の政調会長そっくりだったので、急激なめまいと嘔吐に襲われてその場でしゃがみこんでしまった。10/14

謎の美貌の女性によって完全なMに仕立て上げられた私は、彼女の奴隷となって日夜奉仕を続けていたのだが、その女があろうことか私の宿敵のマッチョな男に犯されてSからМに変身したことを知り、なんとかその屈辱的な豚のような日常から逃れる機会を窺っていた。10/14

ある日彼らの性愛の決定的瞬間を盗撮することに成功した私は、その卑猥な動画を武器に女を恐喝して暴力で意の儘にし、逆に女を隷属させただけでなく、彼女に命じてそのマッチョな男を罠にかけ、完全なSだったはずの男を完全なM奴隷に転換させたのだった。10/14

ワンマン社長の命令で全社員がバス借り切りのゴルフ旅行にでかけた。私はゴルフなんてできないのだが、みんなが楽しそうにしているので見物していたら、突然暴風雨がやって来てゴルフ大会は中止になったのだが、ホテルで食事をしているうちにまた快晴となった。10/13

横須賀線があまりにも混雑しているため、ドアから潜り込めなくなった私は、思い切って最後尾に両手でぶら下がり、少年時代に帰った気分で楽しく鎌倉駅に到着することができた。13/10/12

市長になった私は側近の勧めるがままに「売上3割拡大計画」の先頭に立って毎日駅前に置いたみかん箱の上から声を嗄らして「もう1品買い上げ運動」の旗を振ったのだが、誰も見向きもしなかった。13/10/10

大学の老朽校舎の中でトイレを探しているのだが、なかなか見つからない。「こっちです」という学生の後を追うと、彼が壁の中に潜りこんだのでその後から潜ったとたん、私は黄金いろの魚に変身して水の中を泳いでいるのだった。

私はこのたびの世界ダンス選手権では、絶対優勝してやろうとひそかに猛練習を続けていた。どのコーチも私を指導などしてくれなかったが、私は見事に栄冠を勝ち取ることに成功したのだった。13/10/8

マガジンハウスが、ライター志望者に対して朝3時に銀座の本社に来るように命じたので、その時間に行ってみると、何百人もの若者たちが押すな押すなの盛況だったので、ロートルの私は、首をうなだれてとぼとぼ元来た道を引き返したのだった。13/10/7

上司の川村さんの依頼で私が押さえている会議室に、誰かが勝手に入ってお茶や煙草をのんだりしている。私は頭に来たが、そこでずっと見張っているわけにもいかないので、終日仕事が手につかなかった。13/10/6

夢の中で私は「天の松原」で終わる和歌を読みあげながら、おや、この歌には3つも掛け言葉があるぞ、と気付いたので、夢から覚めたら「逆引き広辞苑」でよく調べてみようと思って、すやすや寝りこけてしまったのだった。13/10/5

偏執狂の女に追われた私は、高橋君が運転するオート三輪に乗り込んだが、そこには彼の細君や娘や情婦もぎゅうぎゅう詰めに詰め込まれたうえに、高橋君の運転が滅茶苦茶なので、その間ぐっと噛みしめていた私の歯は6本がかけおち、うち4本は炭になっていた。13/10/4

撮影を任された新米マネージャーの私は、カメラを持った男に話しかけて細部の打ち合わせを始めたが、どうも要領を得ない。モデルもクライアントもやってきて、「いよいよ撮影だ」という段になって、初めて私が打ち合わせしていた男が、ただカメラを持って現場にいた人物だとわかった。

久しぶりに渋谷のデパートでぶらついていると、突然猪八戒のような男が出てきて、そこいらの客を恫喝しながら金品を強奪している。これはヤバイと思った私は、全速力でフロアを駆け抜けて外へ出ようとした。13/10/2


なにゆえに葉書を52円に上げるのか歌壇への投稿をやめさせるため 蝶人


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国立劇場で「菅原伝授手習鑑」「處女翫浮名横櫛」をみて

2014-03-28 13:21:06 | Weblog

茫洋物見遊山記第147回


竹田出雲作の「菅原伝授手習鑑」では車引、黙阿弥・松浴・千柳作の「處女翫浮名横櫛」では「切られお富」をダイジェストで公演していましたが、私は幸いその千秋楽を鑑賞することができました。

「菅原伝授手習鑑」では桜王丸を中村萬太郎、梅王丸を中村隼人、松王丸を中村錦之助がつとめていましたが、桜王丸の萬太郎はセリフが弱弱しく一人前の役者としてはまだ非力を感じるのでさらに勉強に励んで頂きたいと思います。

「處女翫浮名横櫛」(むすめごよみうきなのよこぐし)では、全身をナマスのごとく切り刻まれるのが「浮名横櫛」における与三郎ではなくお富であり、たおやかな女役の彼女が復讐の鬼に一転して、かつての主であった赤間源左衛門をねちねちいびって二百両を奪い、それを横取りしようとした相棒のこうもり安を派手な立ち回りの末にあやめてしまう悪婆ぶりが見どころで、中村時蔵が好演していました。


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クレールの膝~「これでも詩かよ」第72番

2014-03-27 10:08:35 | Weblog


ある晴れた日に第211回


安西水丸さんが亡くなった。71歳というのはだいたいそれくらいの年だろうと思っていたので驚かなかったが、それでも死ぬにはまだまだ早すぎたのではないだろうか。

新聞の報道では、西暦2014年3月17日午後2時ごろ鎌倉市内で執筆中に脳出血で倒れ、病院で治療を受けていたが19日午後9時7分に亡くなられたそうだ。

おそらく小説かイラストをかいている最中に身中になにかが起こったのだろうが、私はその記事を読んで、これは戦闘中の戦士の戦死だと思った。

ちょうどその頃、私は同じ鎌倉の芸術館で予約したチケットの代金を支払ってからヤマダ電機で3穴の接続コードを買うために田園通りを歩いており、遥か遠くのクリミア半島では、ウクライナからロシアへの帰属を決める国民投票が行われていた。

安西水丸さんの本名が渡辺昇さんで、彼が東京から鎌倉に越していたということもその訃報ではじめて知ったことだったが、私にとっては渡辺昇よりも安西水丸が水丸的だし、鎌倉のどこかに住んで湘南鎌倉病院なんかで死ぬより、仕事場が南青山で自宅が原宿の安西水丸の方が水丸的なのだった。

80年代のリーマン時代にイラストを使うテレビCMを製作したおり、私は水丸さんの原宿の自宅に伺ったことがある。

桑原茂一さんが開店した伝説のクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」が地下にある古いマンションの一室に氏は優雅に暮らしており、当時私が勤務していた会社のビルヂングはその隣に建っていた。

「このマンションの真下に赤いポストがあるでしょう。あそこにね、一日に何回かあなたの会社のミニスカートのOLが、郵便物を投函しにくるんですよ。ところが彼女の身長よりもポストの口が低いので、彼女は微妙に膝をクの字に折りながら封筒の束を入れるんですよ。ボクはここからその膝を眺めるのが楽しみでねえ。いやあ、たまんないなあ。じつにいい。いいんですよお」

と水丸氏は、あの屈託のない笑顔で顔中をくしゃくしゃにしながら、彼の秘められた心中の嗜好を遠慮なく晒け出す。ちょうどその頃公開されていたエリク・ロメール監督の「クレールの膝」を2人とも高く評価していたのである。

で、私もよせばいいのについ調子に乗って、
「そうなんですか。それじゃあそのクレール嬢を紹介しましょうか」
と気をひいてみると、水丸先生はすっかりその気になって、

「もし佐々木さんが会社のクレール嬢を紹介してくれたら、僕はいまお気に入りのカレー屋さんがあるので、彼女をそこへ連れてゆきます。絶対連れてゆきます。あそこのカレーは最高です。いやあ愉しいだろうなあ」

と、勝手に想像をたくましく膨らませているのである。

それからどうなったかって。
どうにもなりゃしないさ。

会社に戻った私は、総務や営業や広報などで郵便物を例のポストに投函しているクレール嬢たちを相手に、いかに安西水丸選手のイラストエッセイや絵本や小説や漫画がお洒落でチャーミングかつ深淵な芸術であるかについて滔々と語り、

そんな素晴らしいクリエーターと原宿一、いな東京で一番美味なカレーライスを一緒に食するデートの悦楽について言葉を尽くして論じ立てたのだったが、その努力が報われる日はついに来なかった。

いや、たったひとりだけ広報のK嬢だけがつとに水丸氏の真価を熟知しており、熱烈なファンであるとも告白してくれたのであるが、

「えっ、カレーライス? 嘘でしょ!?」

の一声と共に、すべては終わったのである。

今では原宿のマンションのその部屋も、「ピテカントロプス・エレクトス」も、私の会社のビルヂングも、その入口の赤いポストも、ポストの前でちょっと膝を折ったOLも、それをカーテンの陰からこっそり見下ろしていた当の水丸さんも、どこか遠い遠いところへ行ってしまった。

さようなら水丸さん。そこでしばらく遊んでいてくださいな。また一緒にクレールの膝を探しませう。


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カリン・クサマ監督の「イーオン・フラックス」をみて

2014-03-26 08:16:54 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.634


悪性のウイルスによって絶滅寸前に陥った人類を救済しようとするグッドチャイルド兄弟とその兄の元妻であったヒロインを巡る愛と争闘のSF物語です。

物語なんてどうでも良く、日系のカリン・クサマ監督の指示による奇妙なジャパネスク・インテリアが気色悪いが、ともかくヒロインのイーオン・フレックス役のシャリーズ・セロンのルックスと姿態にほれぼれする一本。

この節のSF映画はハイテク・デジタル技術が進化して物凄いことになっているが、終わりそうで終わらないこの映画のエンドタイトルの果てしなき長さを眺めていると、結局デジタル・エフェクトのみなもとは膨大なアナログ人間労働であることがよく分かる。



なにゆえに貴女なる言葉が死語となった貴い女性がいなくなったから 蝶人

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無料引き取り~「これでも詩かよ」第71番

2014-03-25 11:31:34 | Weblog


ある晴れた日に第210回


セールスの電話ほど嫌なものはない。それもこちらが忙しい時ほど掛ってくるので迷惑だ。そいつが非通知だとなおさら頭にくる。

西暦2014年2月1日、曇天の土曜日の午後2時7分にまたしてもそんな電話がかかって来て、中年の女性の声で「御不要のものがあれば買い取りを致しますが、なにかないでしょうか?」

と尋ねるので、私は「うちの耕君をただで引き取ってくれないか」と言ってみた。

むかし原宿の木下歯科に通っていたとき、木下先生が隣に座っていた顔見知りの患者に麻酔注射をしようとしたら、彼が「先生すみません。その注射、お隣の佐々木さんに進呈してくれませんか」と冗談を言ったことを、突然思い出したからである。

すると女は驚いて、「耕君とおっしゃるのは?」と尋ねたので、得たりやおうとわたくしは
「うちの息子です。自閉症なんですが、アラフォーでも可愛いんですよ」と応じた。

「自閉症って?」

「よく間違う人がいるんですがね、これは自閉的引きこもりとは違う。また風邪やガンのような病気でもありません。生まれながらの脳の器質障がいなんです。まあ交通事故で脳味噌に傷がついたようなもんだ。その結果、周りの人とのコミュニケーションがうまく取れなかったり、強いこだわりがあったり、知的な障がいを抱えていたりしますが、天使のように無垢な心の持ち主ですよ」

「まあ! 天使のように無垢なんですか?」

「あくまでも比喩ですけどね、比喩。天使も無垢もいいけれど40年も続くとちょっと飽きちゃってね」

「でも、天使のように無垢なんて素敵ですわ!」

「そうですか。気に入って頂けましたか。ちなみに彼はいま月曜日から金曜日は大和市の施設に通って月給500円で働いて、夜は同じ市内のケアホームで寝泊まりし、金曜から土日はこの自宅に戻ってくるのですが、最近どうも落ち着きがなくて施設から1日40本も電話がかかってくることがあって、妻も私も参っているんですよ」

「でも私なんか、1日100本以上電話していますよ」

「そりゃ当り前。それがあなたの仕事なんでしょ。それでどうですかねえ、せっかくなんでも無料で引取るとわざわざ選りによってあたしんチに電話していただいたんだ。この際、おたくで丸ごと無料で引き取ってもらえないでしょうかね、うちの耕君を」

「私、いままで長いことこういうセールスをやってきたんですが、こういうケースは初めてなので即答できませんわ」

「そうでしょうね。私だってほんのちょっとした思いつきで言ってみただけですから、すぐにOKの返事が返ってくるとは思っていませんよ。ここはひとつあなたの上司ともじっくり相談してから、また電話をください。待ってますよ、いついつまでも。障がい児はいいですよ。癒されますよおお」

「は、はい、分かりました。よーく上司と相談してみます!」

今日は3月3日の節句の日だが、あれ以来返事の電話はかかってこない。
きっと彼女とその上司は、耕君をどうしようかとまだ考えこんでいるのだろう。


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池広一夫監督の「沓掛時次郎」をみて

2014-03-24 17:12:53 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.633


原作は長谷川伸の原作による同名の映画は、何回も何回も映画化されているようだが、私は1961年製作のこの1本だけでもうたくさんだ。

美男子の市川雷蔵が主人公の沓掛時次郎を演じているのだが、さかんに橋幸夫のど演歌がインサートされるので迷惑する。じつに下らない音楽だ。

それにしてもヒロインの新珠三千代の美しいこと。そしてちょい役の杉村春子のうまいこと。役者は美しいか演技がうまいかのどちらかがあればいいのだが、この節そういう女優は少なくなった。




   なにゆえにモンゴル人ばかり横綱になる日本人が弱すぎるから 蝶人

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五味文彦編現代語訳「吾妻鏡14得宗時頼」を読んで

2014-03-23 10:16:34 | Weblog


照る日曇る日第665回&鎌倉ちょっと不思議な物語第314回


中世鎌倉は確かに当初は源氏の武家政治の拠点であったが、頼朝、頼家、実朝亡きあとは忽ち北条氏の天下となってしまった。彼らが深謀遠慮で源家を乗っ取り、頼朝の有力な御家人を剥き出しのゲバルトで圧殺してきたことを忘れてはならない。

鎌倉は死都である。げんざい観光客がうろついている有名な寺社仏閣や町の辻々、はたまた海水浴場こそは、悪辣非道な彼奴等の讐敵殺戮の現場であり、それは例えば由比ヶ浜の砂を1メートルも掘ってみれば、不本意な戦に斃れた畠山一族の若き侍が残念無念と噛みしめた大臼歯が、時折相模湾の朝日に恨みをこめてキラリと輝いていることからも伺い知れよう。

私は、ここで伊豆の地方豪族の血が源氏直系の高貴の血にDNA的に劣るなどという愚かなことを言いたいのではないが、いくら彼らが建立した鎌倉五山などの寺社仏閣が立派で、彼らが実質的に本邦初の武家文化を担い、あまつさえかの蒙古来襲を2度に亘って撃退した国家的功労者であったとしても、主君を出しぬいて覇権をかすめ取った家臣の下劣な振る舞いは、けっして許されるものではない、とあえて主張したいのである。

そしてそんな彼らの正史であるこの「吾妻鏡」という胡散臭い書物を眉に唾しつつ紐解く陰微な愉しみは、彼らがいたるところでうまくオブラートにくるんで歴史的事実を捏造したつもりの特定秘密箇所を鵜の目鷹の目の直観リサーチで探り当てることくらいだろう。




    なにゆえに北条は鎌倉を制覇したか宿敵をあの手この手で屠りしゆえ 蝶人

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半藤一利著「日露戦争史3」を読んで

2014-03-22 09:59:12 | Weblog

照る日曇る日第664回


クリミアを軍事力行使してまで自国領土に編入したロシアの帝国主義的領土拡張欲は、何世紀を経ても変わらないようである。

開戦に消極的だった元老伊藤博文の反対を押し切って、その狂暴な「北方の熊」に文字通り総力を挙げて歯向かった明治ニッポンが、どう考えても「奇跡的な」勝利を収めたことが果たして良かったのか、そうでなかったのか、この本を読むと複雑な感慨にとらわれる。

明治ニッポンは20億円の軍事費とおよそ8万人の血の犠牲の見返りとして、戦争の当初の目的であった「韓国の自由処分」「ロシア軍の満州からの撤退」「遼東半島租借権と東支鉄道の権利」に加えて南樺太を手に入れ、世界の自称「一等国」に成り上がった。

 どうせ植民地利権を放棄せざるを得なくなったにせよ、これに満足して軍事増強に走らず、ひたすら通商貿易に徹する「小国主義」を貫き通していたらまだしもであったろうが、明治40(1907)年に山県有朋がロシア、アメリカ、清国に伍して大兵力を蓄える帝国国防方針を打ち出した瞬間に、本邦は大東亜戦争に直通する「大国主義」への道を一瀉千里に走り続けることになったのである。

 歴史に「もしも」はないかもしれないが、もしこの時に我らの父祖たちがおのれの身の程をわきまえて、もう少し謙虚かつ賢明に身を処すことができたなら、と長嘆息せずにはいられない。


     なにゆえに牛に負けぢと膨れあがる身の程知らずの日帝パンク 蝶人

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「鎌倉文学館文学散歩」で北鎌倉を歩いて

2014-03-21 10:43:26 | Weblog


茫洋物見遊山記第146回 &鎌倉ちょっと不思議な物語第313回


春は名のみの3月中旬に北鎌倉周辺をツアーしました。

まずは円覚寺ですが、私はここへ来るといつも同じ禅宗で塔頭がずらずら立ち並ぶ鎌倉五山の建長寺と見間違えてしまいます。建長寺には私の伯父のお墓があるのです。

今回のハイライトは生誕110年を迎えた映画監督小津安二郎のお墓と、夏目漱石が参禅した帰源院です。名監督のささやかな墓所は、国宝の梵鐘を見上げる場所にあって墓碑には「無」と刻まれ、墓石の前には彼の好物だったお酒や洋酒が並んでいました。

ちょっと驚いたのは、彼の墓所の向かいには同じ映画監督の木下恵介が眠っていたこと。偶然の一致にしてはちょっと出来過ぎのようでした。

急な坂を登った上にある帰源院はもちろん非公開で入れませんでしたが、漱石が参禅した当時の面影をいまにお伝えるような簡素で閑雅な佇まいを見せていました。

次は江戸時代の縁切り寺の東慶寺ですが、ここは以前はもっと鄙びた感じだったのに、入口の右側にモダンなギャラリーだか土産物屋だかが出来てしまってじつに嫌な感じになりました。この近所に小津監督が住んでいたそうですが、個人情報秘匿のためにその場所はもちろん教えてもらえませんでした。

最後はこれまた久しぶりの浄智寺でしたが、ここは鎌倉十井の甘露ノ井から流れ出る池には鯉も泳いでいるし、石段も風情があるし、寺域が広いのでぶらぶらそぞろ歩くにはぴったりです。

文学館のガイドさんに引率されての半日散歩が終わってちょうどお昼になったので、駅前の門前(看板の字は川端康成)で昼食をとろうと思ったら、いつのまにやらデイケアセンターに変身していたのには驚きました。



なにゆえにせっせと大根を栽培する市民のための十二所果樹園なのに 蝶人
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2001年~2014年のファッション・トレンドを振り返る その6

2014-03-20 18:46:17 | Weblog


ふぁっちょん幻論 第86回


08春夏ミラノコレ=07/9/29開催、環境意識と夢が幸せな共存。

08春夏パリコレ=7日まで。世界への危機感深く反映。

08春夏ミラノ・パリコレ=花、果物、星、カラフルな百花繚乱。春の装い色柄で遊ぶ。サンローラン、バレンシアガ、プッチなど軽やかな幸福感。

08秋冬東コレ=強い幻想性、ロマンへ導く、エコ志向、素材にゴミも。

08秋冬パリ・オートクチュール(6月30日)=中東、ロシア、インド好況で新富裕層相手に好調。上品でシンプルなディオール、アルマーニ、ヴァレンチノ、ジバンシー、シャネル。しかし半年後に世界経済転落。

08年モード全体=米映画「セックス・アンド・ザ・シティ」などリアルクローズ追及。重苦しさに反発。2月パリコレでシャネル、ディオールも無難。ミラノのドルガバも心地よさややすらぎテーマ。ミュウミュウ、ジュンヤ・ワタナベは質素。町では自然派のボヘミアンスタイル。反面色・素材・柄軽快。ショートパンツのメンズスーツ登場。

安くておしゃれなファスト・ファッション流行=スウェーデンのH&M(ヘネス&モーリッツ)は世界32カ国1600店に毎日新製品投入。英国のトップショップ/トップマン(運営はティーズ、3年で10店以上展開予定)、スペインZARA、GAP、ユニクロのヒートテック。

秋以降外資系値下げ。グッチ社長交代、ジル・サンダー樫山が買収。イヴ・サンローラン、ミラ・ショーン死去、ヴァレンチノ引退。



なにゆえに世紀の大発見に影が差す話題のリケジョが非常識だから 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第6回

2014-03-19 10:20:46 | Weblog


西暦2013年霜月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.177


お前の大好きなその国家が、肝心かなめの国民を殺し、返す刀で他国の国民も殺してしまうだろう。12/30

西暦2014年正月。瞬きしかできない身の上になってもなお悪事を働こうとする人の心についておもう。12/30

この頃のオケはどうしてあんなにもやかましくティンパニーを叩くのだろう? 音楽をもっとどぎつく目立たせたいと願う指揮者の指示なのだろうか?12/18

無垢だとよ。あきれけえっちまうぜ。「ダルス」アリス・マンロー

無洗米よりも普通の米の方が美味ように感じられる。

バレンボイム指揮の恒例ニューイヤコンサート。こんなものはウイーンでもなければワルツでもない、なんか質の悪い雑多音楽という印象。去年のメスト同様詰まらなかった。

最晩年になって宗教の道に入ってゆく人の気持ちはよく分かるが、それはほんとうに神仏が存在すると確信したからではなく、迫りくる死への不安と恐怖からそれに縋る人が多いのではないだろうか。12/23

最近村上春樹の文名はグングン上がり、次期ノーベル賞の呼び声も高まって来ているが、むかし両村上と称されたもう片方の村上龍はいまどんな小説を書いているのか? あんまりアホ莫迦テレビにばかり出ていると作家生命なんて終わってしまうぞ。

詩歌で政治をうたうことを避けるというのも、ある種の政治的立場の表明であることは言うを待たない。12/16

なんど視聴してもドダメル/スカラ座のヴェルディはほんとうに酷い、ぬるい演奏だ。彼は管弦楽も無個性だし、ましてオペラなんて百年早い。これくらいの指揮者ならわが国にも掃いて捨てるほどいるだろう。さよなら公演と思えば我慢もできようが、もはや声が出ないヌッチの「リゴレット」は学芸会のようだった。12/30

生来音痴の人は短歌を詠んでもあかんだろう。

田んぼのあぜ道の傍の流れに足をひたし、網で小鮒を追う楽しさに勝るものなし。

戦死した兵士たちが真っ先に帰りたいところがあるとすれば、それは、国家が用意した神社でもなければ、共に闘った仲間のところでもなく、生まれ故郷であり、生家であり、肉親たちのもとであることは当然であり、そしてかれらの思いは、戦争なんぞに参加すべきではなかったということで共通している。 by丸山健二

とどのつまり国家も民族も正義も理想も善悪もへったくれも関係ない。たとえ俘虜やとなろうとも一匹の動物のごとく生きてあればよろしいのだ。「我が骸骨人世」より

かつて国家神道の拠点となり、無数の若者を死地へ追いやった曰く因縁札付きの神社を、私人ではなく首相の肩書で参拝することは、宗教的ではなく政治的デモンストレーションであり、到底み霊を安んじることになるとは思えない。本当にその気持ちがあるのなら、毎朝奥さんと近所の神社や教会に行くとか、ひとり静かに仏壇の前で手を合わせればいいのです。12/26

今朝のNHKの「あさイチ」で黒柳徹子が出演した。有働アナが「また出て下さいね」と声をかけると、黒柳が「いつでもOKですよ」と答え、誰かが「毎年年末の恒例にしませんか?」と呼びかけると「いいとも」という返事であっという間に事実上の出演が決まったが、こういう軽いノリこそ往年のフジの強みだったはず。12/26

前を行く夫婦が両手にそれぞれを引き、あわせて4匹の犬を道いっぱいになって散歩させている。過ぎたるはなお及ばざるがごとし。車なら夫婦で1台、犬猫ならそれぞれ1匹で充分と考えるのが文明国の大人の良識、世界の常識だと思うのだが、そう考えなくなった瞬間から、この国の驕慢と退廃が始まったのである。12/19

もとより紅旗征戎非吾事ではある。しかし昨今の目に余る事態に対して、したり顔で金色の沈黙とやらを守っていることは、ある意味では反倫理的だ。物を言えば吐き気がするし、唇からは血が出るが、見るべきほどのことを見た者は、言うべきことをきちんと言うてから瞑目したいものである。

あれほど多くの疑惑と欺瞞のどつぼにはまって職務を全うできるはずのない知事をリコールしようともしない都民の心は不可解だ。12/18

尖閣諸島問題で無用の対中軋轢を噴出させた前知事に続いて、五輪音頭と借用金に狂奔する美容整形済知事を恭しく戴いてきた東京都民には、その叡智と先見の明に脱帽せざるをえない。これが我々の半歩先の無間地獄世界の象徴なのだ。12/18

大本教では教祖の出口なおが変性男子、王仁三郎が変性女子ということになっているが、女子なのに男子の気持ちを歌うあゆなどは変性男子、男子なのに女子の声で歌う徳永英明は変性女子ではないだろうか。

お前はなにゆえに「愛国心」やら「郷党心」やらを我々に押しつけるのか。それは市民自身の知性と悟性と感性の内部で自発的に生まれ、お前たち権力者が我々市民に強制することによって直ちに死滅する、きわめて繊細で微妙に揺れ動く心的傾向なのだ。12/12

「積極的戦争主義者」が鎧の下の刀を隠そうと「積極的平和主義」を呼号するなんてまるで漫画だな。でも「積極的平和主義」だったら「武器輸出三原則」を見直す必要はさらさらないし、「集団的自衛権」も必要ないはずだ。12/17

世界中の観光客がわが国を訪れて一等感激するのは、名峰富士ではなくお尻めがけて温水が出るウオシュレットであることは間違いない。西欧の超一流ホテルでも珍しいというのに、本邦ではほとんどあらゆる宿泊施設にこれが常備されている。12/13

「なんだ、つまらない。」森鴎外の最期の言葉。
私も今のうちに言っておこう。
「なんだ、つまらない。」12/10

政治も経済も社会もなにもかも天理天命にまかせ、時流にぷかぷか乗って誰かに言われるがままに世界の果ての戦場に連れて行かれ、見知らぬ人間を殺したり、殺されたりするのが、昔も今も変わらない我々の姿ではないだろうか。12/8

世界平和への最短距離は健常者が障がい者になってしまうことにある。徳洲会の元理事長を除いて、もし世界中の人間が重度の心身障がい児者なら、新たなトロイ戦争は起こらないだろう。ところで現在でも世界の人々の大半が障がいを持っているのだが。12/9

♪国家国家国家が大事と莫迦の一つ覚えのように喚いているが、特定の右翼政党と冨者の利益にのみ奉仕する国家ならかつての偽国家満州のようなもので、国家の名前にすら値しない。ただちに解体廃棄処分にするべし。12/9

歌をうたうという心と、その歌を上手に修飾せんとする心とは、まるで次元の違う2つの心であり、「壇」やら「学び」の場所において、あとの心が、前の心の純真を損なうことが多いということを、君はよく知っているはずだ。12/11

正岡子規はもとより秀歌秀句の類を作ったが、その何百倍もの箸にも棒にもかからないつまらない作もたくさん詠んで、恥じらいもなく後世に残したことがなにより素晴らしい。妙な話だが、秀句より凡句が価値があることも多いのである。12/14

上手に作ることがアホらしくなってくると、むしろ下手な歌に良さが見えてくる。1席も選外もある意味では「同じようなもの」ではないかと疑ってみるところから、新しい詩歌の価値観が誕生するのだろう。

奴隷となって屈辱的な生を全うするか、共同体の正義や理想のために潔く自己を滅却するかという選択では、私は悩んだ末に前者を選ぶ。

たとえ殺されても共同体の正義や理想のためにいさぎよく散華するか、たとえ奴隷となっても戦いを放棄して屈辱の生を選ぶか。私はかっこ悪くともたぶん後者の生き方を選ぶだろう。国家よりおのれのいのちのほうが遥かに大事だから。12/8

自国の秘密情報を完璧にスパイされている宗主国アメリカから、「お前にも時々秘密情報を教えてやるから、そいつを絶対にバラサないよう厳重に取り締まれよ」といわれて、突如「特定秘密保護法案」に気違いのように取り組み始めた哀れな忠犬安倍公。12/6

西欧が、中国が、国益が、世界が、経済成長がどうのこうの、とおよそ145年前から無闇に威張っているが、我々は数多くのアジアの国々の中の、極東の一隅の小さな島々に住んでいるささやかな一員であることを忘れないようにしたい。12/6

私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。大江健三郎「晩年様式集」より。12/6

「こうして私はひとりの体で幾人もの人間を演じ、どれにも満足することがない」シェークスピア「リチャード2世」より12/1


なにゆえにせっせと買い集めたビデオがユーチューブでただで見られるのか著作権の侵害なり 蝶人
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山本周五郎著「風流太平記」を読んで

2014-03-18 10:10:49 | Weblog


照る日曇る日第663回


毎年思うことですが、梅が散って桜が咲くまでの時間はそうとう長い。

この長編小説は昭和27年に四国新聞の夕刊に連載されたらしいが、題名も内容もその媒体にふさわしくのんびりしていていわば春風駘蕩としており、朝寝して宵寝するまで昼寝して、時々起きて居眠りしたくなる、そんな長閑な季節に読むのにふさわしい時代ものでした。

作者が解説しているとおり、これは徳川時代の末期に御三家のひとつがイスパニアと提携して政権の転覆と乗っ取りをたくらもうとしているのに気付いた5人の正義感が立ち向かうというお話です。

こういう東映の旗本退屈男風のロマンチックと弓なりのスローカーブ、考証や傍証を抜きにした荒唐無稽さは、何事につけてもせちがらい当節ではもはやユネスコ文化遺産並みに貴重なものと申せましょう。



    なにゆえに梅が散っても桜が咲かぬ下手な鶯お稽古するため 蝶人

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夢は第2の人生である 第9回

2014-03-17 09:31:48 | Weblog


西暦2013年長月蝶人酔生夢死幾百夜


詩人の鈴木志郎康さんから、「君の詩はポッドがあるね」と言われたので私は喜んだが、よく考えてみるとポッドの意味が分からない。Podを辞書で引いてみると、「(エンドウなどの)さや」と出ていたので、なるほど俺は突然ポット弾ける「枝豆系」の人間なのだと得心がいった。9/30

私は5m走の世界チャンピオンだったが、ある大会で100mの世界チャンピオンが私を見ながら嘲笑っているような気がしたので、彼の所まで行って「フライ級でもヘビー級でもチャンピオンに違いはないよ。なんなら君と5m競争してみようか」と言うと黙って向こうへ行ってしまった。13/9/29

デザイナーのオネちゃんが、またぼやいている。「封筒を制作したが規格より大きすぎたうえに、料金別納と印刷しなかったので、失敗だった。どうしたものか、困った困った」とぼやいている。どうしようもないじゃないか。13/9/29

久しぶりに乗った満員電車の中で、私のまん前にいたのはブロンドの若い娘だった。どんどん混雑してくる電車の中で、彼女は恐らく意図的に私の身体の中心部に自分の下半身を擦りこむように身を寄せてくるので、私はもうどうにも我慢できずなくなってしまった。13/9/28

京都の株屋に勤めていたおじいちゃんが、僕を新京極の鰻屋さんに連れて行ってくれました。僕の顔を見ると、おじいちゃんは大喜びして僕の手を両手で握りしめ、「おお、ようきたなあ」とうれしそうに笑いました。そのとき僕は、ああこの人が僕の本当のおじいちゃんなんだ、と分かりました。9/27

朝ポストをみると、頼んだ覚えもないのに「大日本短歌新聞」が入っていた。ニューヨークタイムズの日曜版と同じくらいの分量で恐らく100頁近くあるだろう。どんどん読んで行くと読むはじから文字が消えて行くので、私はもう必死になって読んで読んで読みまくったが、何も覚えていない。後には真っ白な紙だけが残った。9/27

ともかく雑誌がまるで売れないので、われわれはソホロやカルカ剤の販売で食いつないだ。そのうちにやけくそになった男たちが、大酒をくらって、「くそたれ女でも買いに行こう」と叫んで部屋を飛び出して行ったが、私はカルカ剤の製造に勤しんでいた。

トイレから出て左側に歩いて行くと、いつも夢に出てくるお馴染みの場所に出た。ここは町と丘と駅と人と樹木と民家が混然一体になっている懐かしい場所だが、いきなり神話の中の神社の神体がむきだしで飾ってあったので驚いた。9/26

劇場を出てから外を歩いていると知り合いが、「佐々木という映画評論家が死んだそうだ」という。佐々木って誰だと不審に思って彼の後についていくとトイレに入ったので、並んで小便をしようとしたが、便器のすぐそばが民家になっていて眠っている人の顔が見えたんでおしっこはやめた。9/26

久しぶりに試写会に招待されて銀座の大劇場に行き、1階の空いた席に座っていると、いきなりそのフロア全体が客を乗せたまま猛烈な勢いで高速回転しながら上へ上へと螺旋状に舞い上がる。私は振り落とされないように、懸命に座席にしがみついていた。9/26

妹は生まれながらにして治療不可能な難病に侵されていたが、この世のものとも思えないほど美しかった。男たちは彼女が若くして死ぬことが運命づけられていると知りつつさながら、炎の周囲に集まる蛾のように狂ったように飛び回りながら、激しく身を焦がすのだった。9/24

沖合からやってきたダフニスとクロエが、波打ち際で足を取られて何度も転んだ。彼らなりに雰囲気づくりに貢献してくれたのに、朝ごはんも出ないとは気の毒だ。誰かにクレームをつけようと思うのだが、私にはその誰かが分からない。9/22

小学館の梅沢さんが児童教育についての素晴らしいペスタロッチ的箴言を吐いておられると知って、私も負けじと自分流の名言を吐こうと唸っているうちに、朝日が差してきたのだった。9/21

さる有名編集者の集いになぜか招かれた私は、家を慌てて出てきたためにズボンをはかず、次男の健君から父の日に贈られた真っ赤なパンツいっちょうで駆けつけた。周囲の射るような視線を浴びて赤面し、立ち往生していると、いつのまにか飛蝶のように現れた健君が私をひょいと横抱きにして裏山に隠してくれた。9/21

いつものように新宿にある学校へ行こうと家を出たが、その途中、法政大学の近所の商業施設の中で道が分からなくなってしまった。階段を息せき切って上り下りしているうちに時間がどんどん過ぎてゆく。ピザ屋のおやじに時間を聞いたら3時前という。それならもう授業は終わるころだ。13/9/20

私はアフリカ戦線の女性指揮官が運転するサイドカーに添乗して、猛スピードで走りまわっていた。黒衣のレザーに身を包み細身の鞭を握りしめた彼女は、時々私に戦況報告を求めるのだが、返事を聞いても上の空である。私は、彼女と過ごすであろう夜がだんだん怖くなってきた。9/20

東京の中央駅の近くではあるがそこだけは開発から取り残されている旧野分町電停付近はなぜだか世界中からやって来た観光客がたむろしていた。若いバックパッカーたちが数多く見受けられたので、もしかすると彼等はそこで野宿するのかもしれない。9/19

上野の黒門のあたりから本郷台を眺めていると、遥か彼方に富士の白根が望まれた。私は敵が攻めてくるまでここでゆっくり花見をしてやろうと決め込んでいた。9/18

就活用のパンフレットの製作を依頼されたので、撮影の準備をして学校に行ったのだが、約束の時間になっても人事の担当者もモデルになるはずの学生も一人も現れない。やがて夕陽が学園の校舎を真っ赤に染めると舟木一夫が現れたので驚いた。9/17

長らく企業内デザイナーとして活躍してきた人が、私に相談があるというので、岡の麓にある彼の家まで自転車を転がしながら歩いていった。独立する意思を持っているようなのでさぐりを入れたが、なかなか言い出さない。仕方なく「じゃあまたね」と言って別れたが、自転車を忘れたので戻ろうとしたが、彼の家は見つからなかった。9/15

鍵を無くしてしまった私は、仕方なく共通の鍵を持っている人たちの傍にくっついているほかなかった。その鍵が無ければ部屋にも入れず、全財産が入った荷物も開けることができないのだ。しかし彼等は芝生に座りこんだままいつまで経ってもその場を動こうとはしない。9/14

電通の杉山恒太郎氏に、「所詮僕はマーチャンダイザーにはなれてもデザイナーにはなれない人間なんだよ」と話してから建物の外に出て並木道を歩いていると、歩く傍から両側の樹木が黄色い不思議な光を放ってゆくのだった。9/14

誰か知らない人が私がfacebookに書いた記事にコメントしてくれたのだが、あまりにも文字が小さく、しかも文字列が下の罫の下に潜り込んでいるので読みとれないので、私は必死になってそこにポインターをあてて潜り込もうとしていた。

以前仲間と3人で録音した原盤の演奏が下手くそだったので、そいつを取り返して廃棄しようと保管されている蔵の前までやって来たのだが、仲間の1人が「いやあれが良かった。廃棄したくない」と言うので、争っているうちに火事で燃えてしまった。9/11

アフリカの2人の王に迎えられ、やむなく仕えた私だったが、最初の王は何者かに殺され、次の王はおのれの権力を有効に使うすべを知らない無能な人物だったので、傷心を抱えながら私は帰国の途についたのだった。9/10

友人のY君は軽井沢の山荘で隠遁生活を送っているはずだのに、だいぶ前に亡くなってしまったという。しかし最近彼から私のところには小説や詩の原稿が届いたばかりだ。もしかするとこれは霊界からの便りなのだろうか、と私は頭を抱えた。13/9/9

日曜日だけ取っている日経の歌壇を開いたら白紙だった。他の頁はちゃんと見出しも記事も写真も広告も掲載されているのに、そこだけはまっ白けのけでなにも書いてない。もしかして私の短歌が載っていたかもしれないのに。13/9/8

業績不振でリストラが相次いでいる会社の中で、「超優秀」という評価でたった一人だけ残留した私の元の上司が、殺到する業務となり響く電話の嵐のただなかで、さながら生ける聖徳太子のように鮮やかに対応しているのだった。13/9/7

超短い詩歌の形式を考えようと2晩続きで悪戦苦闘していたので殆んど眠ることができなかった。短歌俳句より短いスタイルなら5語、6語、8語もありだが、いっそ1語、2語、3語、4語という器を考えるべきなのだろう。13/9/6

燃え盛る鋼鉄製の箱に乗って宇宙から帰還した私は、予定された着陸地点から大きく逸れたマリアナ海溝の奥深く沈んで行ったにもかかわらず、奇蹟的に脱出することに成功して元の職場に戻ったのだが、周囲の連中の態度は冷たかった。13/9/5

美貌のサディストである日本ファシスト党女性党首の甘美な拷問を受けた私は、一夜にして転向してその手下となり。この国の全左翼を血祭りにあげたあとで革命的な「百貫デブ粛清作戦」の先兵となった。13/9/3

私はどういうわけかさる同僚の女性と共にカラヤンの秘書を務めていたのだが、最近マエストロが彼女に冷たくあたるので気になっていた。意地悪な彼は、重要な情報を私だけに漏らして、私よりも遥かに有能な彼女には伝えないので、いろいろな障碍が生じていた。13/9/2

新築したばかりの家に行って見ると、大勢の中国人や韓国人がリビングに座り込んでいるので、業者に文句を言ってからしばらくしてまた現地を訪れると、今度は大勢の日本人がリビングに座り込んでいる。13/9/1



         なにゆえに朝口臭が噴き上げる私も世界も腐りかけているから 蝶人

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