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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ジェシカ・ウォルトン作マクファーソン絵「くまのトーマスはおんなのこ」を読んで

2020-10-31 12:58:28 | Weblog

照る日曇る日第1489回


「ジェンダーと友情についてのやさしいお話」という副題がついているがその通りの絵本。

幼いころからこういう書物に馴染んだ子供たちは、きっと我々の知らない明るい未来を作りあげることでしょう。

監訳を敬愛する前田和男氏が担当しているずら。


 「なにゆえに総合的俯瞰的なの?」「個別具体的には言えないからよ」 蝶人
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聖書協会2018年版新約聖書で「ガラテヤの信徒への手紙」を読んで

2020-10-30 22:51:19 | Weblog

照る日曇る日第1488回

大布教家パウロが語るイエスの教えとの出会いからはじまり「割礼」に話が及ぶ。
ユダヤ教徒として生まれた男子は、旧約聖書で定められているとおりにペニスの亀頭を覆う皮皮を切断しているから問題ないが、パウロが伝道した広大なヘレニズム世界の住民は、そんな儀式などてんでお呼びではない。
それでも彼らに無理矢理割礼すべきか否か大問題になったようだ。
結局パウロは、あれやこれやの預言者の発言を引用したり、彼独自の見解をフューチャーしたりして大童で「信仰さえあれば割礼の有無は問題ではない」という結論に辿りつく。
この苦し紛れの折衷案によって、初期キリスト教は爆発的な入信者を獲得することができたが、しかし「創世記」17章10節の「男子はみな割礼を受けよ」とする契約条件からの大きな逸脱、違反であることは間違いない。


「なーんもかもぜーんぶ嫌になっちゃった」「そういう時は死んだふりだよ」蝶人
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西暦2020年長月花鳥風月狂歌三昧その2

2020-10-29 17:37:58 | Weblog

ある晴れた日に第624回


書を捨てて街へ出よと妻は説く寺山修司を知ってか知らずか
激痛で2夜寝られぬ妻の眼の痛みよ去れと我も祈りき
期せずして賀状をやめた君と僕これを称して阿吽の呼吸
経哲草稿読む我を褒めたたえつつ自死したり革マルのフランケンシュタイン
革マルに入りし美女が半年後狐のようなブスになりゆく
ほぼ10年で壊れるように作られた最新型のテレビを買うた
もう一度ひまわりが輝くようなあの笑顔を見たいと
毎日毎日いろんな人が死んでゆくが新聞社ではどうして分かるのだろう
ゴーンさんが東京拘置所を出た後はぜひ安倍夫妻に入ってほしい
虐待や統計不正の話が賑わう我らがニッポン
地震なく火事なく怪我なく風もなく何事もなく終わりしこの日佳き日
コラボとはナチ協力者のことですよコラボコラボと気安く言うな
仏蘭西のナチ協力者が化けて出るコラボコラボとあんまり言うので
後藤美代子は大好きだったが山田美也子は大嫌いだった
八幡宮で籤引けばまたしても凶階段をりて引き直せば吉
今年から年賀状を出さなくなった友からはやはり来なかった
8年の歳月を超えそそり立つ今そこにある福島原発
震災の生き証人としてそそり立つ東京電力福島原発 
原発の金に塗れた守銭奴は蜜にたかれる蟻の如し
大震災が震災となる八年目
天青の音符が奏でる朝の歌


 「どんどんと新しい家が建ってるね」「コロナの前もコロナの後も」 蝶人
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古井由吉著「われもまた天に」を読んで

2020-10-28 13:34:22 | Weblog

照る日曇る日第1487回


今年2020年の2月に82歳で他界した、本邦を代表する作家の最後の短編集である。

この「内向」の作家のとても知的な文章は、まさしく本邦特産の正統的な私小説のそれなのだが、ちょうどブルブル震えながらも辛うじて平衡を保っていた秤の一方に、どこからともなく現れた魔物がちょいと圧を加えた途端、それまでの平和な話柄が、突如時空をぶっ飛んで異界に消えるシュルレアリスムを18番とする。

そんな、この作家独自の行き方は、本書に収められた未完に終わった「遺作」を除く「雛の春」「われもまた天に」「雨上がりの出立」の三作にもいろんな形で示され、安心してその文章世界に身を委ねることができる、プロ中のプロの消失地点を、哀しく確かめることができる。


「おばあさんどうして杖で歩いているんですか?」「ベッドから転がり落ちて足を折ったの」蝶人
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聖書協会2018年版新約聖書で「コリントの信徒への手紙二」を読んで

2020-10-27 11:41:48 | Weblog

照る日曇る日第1486回

使徒パウロが、ギリシアのコリント地方の信者たちに送ったメッセージであるが、別にどうとうこともない。

命懸けで布教を続けた大宣教師には悪いが、君の大説教はどうもマンネリだし、退屈だし、私がもしその場に居合わせたとしても、心を動かされて入信したりすることはなかっただろう。

12弟子に語ったイエスの言葉とは、なんという違いだろう。


「ヤマダさんこの頃さっぱり見かけないね」「あらあの人半年前に亡くなったのよ」蝶人
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神奈川新聞取材班編「やまゆ神奈川新聞取材班編「やまゆり園事件」を読んで

2020-10-26 14:10:02 | Weblog

照る日曇る日第1485回


社会的有用性、生産性無き障害者は要らない。障害者は殺せ。と犯人は叫ぶ。

しかし健常者よ驕るなかれ。「最初は4つ足、次に2足、最後に3足」が人間。
2足でガンガン働くどんな健常者も、赤ん坊と老年時代はまるで無力な障害者に過ぎない。おのれのライフスタイルの内部に長期にわたる障害者時代を内蔵している健常者が、なんで障害者を間扱いにできよう。

せんじ詰めればあらゆる健常者が、「生まれながらにして織り込み済みの障害者」なのである。

健常者は自分自身が障害者なので、いくら障害者を区別し、差別し、あまさえ殺したりしても、ついに「純粋な健常者」にはなれない。おのれの内なる障害者と平和的に共存するしか人世を全うできないのである。


 「三匹のメダカが一匹になりました」「でも元気よくジャンプしてるよ」 蝶人
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聖書協会2018年版新約聖書で「コリントの信徒への手紙一」を読んで

2020-10-25 11:13:24 | Weblog

照る日曇る日第1484回


はるばる希臘のコリント地方まで宣教の足を延ばしたパウロは、詰めかけた民衆に向かって主の言葉を意気揚々と語りかけ、異邦人の地で大勢の信者を獲得した。

しかし中には、今読んで納得できないと思われる個所もある。それが仏教、イスラム教のみならずこの宗教にも共通する女性蔑視の思想だ。

そもそも旧約の「創世記」2章では「男のあばら骨から女を作り上げた」と書かれているように、男性優位の姿勢は新約になっても変わらないが、本「コリント前書」の14章の34節では「女は教会では黙っていなさい。女には語ることが許されません。律法も言っているように服従しなさい。」と威圧的に語られている。

そして「何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねなさい。(中略)それとも神の言葉からはあなたがたから出て来たのでしょうか。あるいはあなたがただけに来たのでしょうか。」と畳みかけるのだが、当時もこれに反発する女性は大勢いたに違いない。

    この国の宝は憲法9条と国民年金国民保険 蝶人
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聖書協会2018年版新約聖書で「ローマの信徒への手紙」を読んで

2020-10-24 14:11:59 | Weblog

照る日曇る日第1483回


輝ける預言者パウロ選手による3次に及ぶ大伝道ツアーは、シリア、カパドキア、ガラテヤ、リキア、リデイア、アジア、ミシア、アカイア、イタリアを経てついにローマ帝国の首都にまで達する。

その得意や思うべしであるが、パウロによって説かれる神の義、信仰の義、霊による命、神の愛などの話は、それまでの共観福音書やヨハネ伝におけるイエスの言葉と違って妙に理屈っぽく、論争的で上意下達の威圧もあり、読んでいて不愉快である。

パウロは元がパリサイ派の論客だったから、ギリシアの哲学者たちと好んで議論を戦わせたりしたのだろう。中世スコラ派の宗教哲学問答の端緒は、すでにここにある。


「なにゆえに6名除外に黙っている」「俺は除外されない学者なんだ」 蝶人
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吼えろライオン

2020-10-23 14:58:09 | Weblog

これでも詩かよ第290回


横須賀は大滝町のキシモト歯科へ行ったら、エレベーターや階段で上昇することを拒否して、ひたすら下降するのが趣味だという、ヨシモトなんとかいう老人が、おらっちの隣で治療を受けながら、
「歯垢が試行だ!」
とかなんとか、訳の分からないことを言いながら、おらっちを挑発してくるのよ。
ほんでもって頭に来たおらっちが、
「あんたはんは、チェコの国民的英雄でもある詩人、パブロ・ネルーダみたく、直喩より隠喩を使いこなせる詩人の方が高級だ、と主張しとるようやね。
しゃあけんど「雨が降る」を「空が泣く」、「ライオン」の代わりに「百獣の王」、タンポポを「ライオンの歯=dent de lion」と言い換えて、鼻高々になるのが、ほんまもんの詩人なんかいな?」
と啖呵を切ると、この時点からヨシモト翁に転向したヨシモト老人は、不機嫌そうな顔で私を睨みつけて、
「それはわしの『詩学叙説』の誤読じゃ。
若造め、お前はマチュウ書を読んだことはないのか、マチュウ書を。
その13章35節には、詩篇78章2節から引用されたイエスの言葉が、次のように記されているのじゃ」と、苦虫を吐きだすようにのたもうた。
『私は口を開いてたとえを語り、
 天地創造の時から隠されていたことを告げよう。』
すると、いつの間にか傍で我々の話を聞いていたムラカミなんとかいう男が、口を出した。
「いまあなたが心の中で言った、苦虫を吐きだすように、というのは直喩ですね。
僕は直喩が大好きなので、小説の中でよく使います。使えば使うほど直喩は喜んでくれる」
「愚か者め、それは直喩法じゃなくて擬人法じゃ」
「なるほど、あなたこそは詩人の鏡、じゃなくて幻像、いやさ原像でしたからね。でも僕だって、もちろん隠喩も使いますよ。ちょっと聞いてくださいな。
『スワローズの中堅手
 ジョン・スコットのお尻は
 すべての基準を超えて美しい。
 とてつもなく足が長く、お尻はまるで
 宙に浮かんでいるように見える。
 心躍る大胆な隠喩みたいに。』(村上春樹『一人称単数』「ヤクルトスワローズ詩集」より)
「愚か者め、それは隠喩という言葉を用いた直喩じゃないか!」
頑固な老人は、まるで赤色巨星と化した最晩年の太陽のように激しく燃え盛っているので、思案に暮れたおらっちは、彼を日本橋三越のライオン像の前に連れていった、と思いねえ。
するとコロナ、コロナで退屈し切っていた2匹のライオンは、
かの偉大なるMGM映画のはじまりのように、
「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」
「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」
「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」
と、喉も潰れよとばかり都合3回ステレオで吠えてみせたので、さすがのヨシモト翁も、
「やっぱ隠喩より直喩、直喩より、命の叫びだあな」と、なにやら切実な悟りを開いたようだった。
そこでおらっちは、マチュウ書ならぬヨハネ伝の冒頭の聖句を引喩して、長かった一日に終わりを告げると、老人は、
「こりゃまた失礼しましたああ」
と、植木等の真似をしながら、ようやっと大川方面に退散したのでした。
『初めに言があった。
 言は神と共にあった。
 言は神であった。
 万物は言によって成った。
 言の内に成ったものは、命であった。
 この命は人の光であった。
 光は闇の中で輝いている。
 闇は光に勝たなかった。』(聖書協会共同訳聖書「ヨハネによる福音書」より)


横須賀の大滝町のラーメン屋店閉じてすぐブルトーザー入れり 蝶人
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聖書協会2018年版新約聖書で「使徒言行録」を読んで

2020-10-22 14:01:24 | Weblog

照る日曇る日第1482回


私の少年時代には「使徒行伝」であったが、今は「使徒言行録」と読みならわすらしい。いずれにしても、イエス昇天後、地上に残された弟子たちの言行と布教活動を、詳しく今に伝えている。

12弟子たちが最初にやったことは、裏切り者ユダの欠員を埋めることだった。ヨセフとマテイアの2人の候補者の中から籤引きで!後者が当選したというが、前者はその後どうなったのか気になる。

この時期の12弟子たちは、どうも団体生活をしながら布教していたようだが、その代表選手がペトロである。ガリラヤ湖で漁師だった人が精霊の助けを借りてではあろうが、雄弁に主の教えを語り、イエス直伝の数々の「奇跡」までやってのけ、あまつさえユダヤの外部のアジア州にまで宣教の足を延ばしていくのでるので驚いてしまう。

やっぱり信じる者は、山をも海に移すことが、できるのだろうか。

当然弾圧も加速したが、初期キリスト教徒たちの活動は目覚ましく、各地で大きな成果を上げたようで、12弟子以外にステファノなど7名の優秀な使徒たちが新たに選別される。

大車輪の活躍を続けていたそのステファノの殺害に加わったのがサウロであるが、その凶悪な元テント職人が、アショーカ王さながらに劇的に回心するや、昨日の敵に対する熱烈な支持者に転向し、ローマ帝国を含めたヘレニズム世界に住む無数の異教徒たちに対して、旧12弟子を凌駕するインターナショナルな宣教活動を繰り広げていくのである。

古代精神世界の一大驚異とは、このことだろう。


「死ぬほどのことがあったのでしょうか?」「あったのだろう結子さんには」 蝶人
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主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集NO.32」

2020-10-21 14:07:59 | Weblog

西暦2020年蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話第348回

○同業者懇談会/幹事のあいさつ

本日は全国百貨店協議会秋季ミーティングにご参集頂きましてまことにありがとうございます。今回の幹事をつとめさせて頂きます丸大百貨店常務の角田でございます。*1
さて早速ですが、昨今のわが国の構造改革と同様、われわれの業界におきましても緊急に対応すべき問題が幾つかあるのではないかと考えられます。*2
その第1は、メーカーとの取引条件の合理化と透明化であります。従来われわれ日本の百貨店は、小売り先進国のアメリカと違って、メーカーとの取引に際して契約書を交さず、衣料品などを自分の都合で勝手にメーカーに返品したり、とかく取引条件をあいまいにする例が往々にしてあったのではないかと思います。特定の商品を買取にするのか、委託販売にするのか、その場合の掛け率はいくらで返品はどこまで認めるのか認めないのか。そうした問題を明確にしなければ小売業の主体性は永久に確立できないと思います。*3
第2は、百貨店の自主マーチャンダイジングの確立強化です。そもそも百貨店は有名海外ブランドの出店場所ではありません。自社品揃えの独創性とアイデンティティあるオリジナル商品の企画販売こそが最重要課題であるべきなのです。
第3は、共同仕入れ、共同配送システムの業際的構築の問題です。個々の企業の枠を超えていかに業界全体として仕入れコスト、流通コスト、販売コストを軽減できるか。大きくはSCMサプライチエーンマネジメントの一環としての取組みですが、これが経営の根幹を握っています。
第4は、衣料品と食品のリサイクル問題への対応です。21世紀は持続可能な社会、資源循環型社会の創生紀であります。商品を販売するだけではなく、不要で過剰な商品を効率良く回収し、リユースし、リサイクルするためにいま百貨店はなにができるのかが厳しく問われていると思います。*4
本日はただいま私なりに問題提起いたしました4点につきまして、ご出席の皆々様より貴重なご意見をいただければ幸甚でございます。

○ アドバイス
*1同業者のミーティングは、出席者同士が顔見知りの場合が多く、討議内容が具体的に絞られているケースが多い。通り一遍のあいさつや形式よりは実務内容本位のスピーチが肝要である。
*2以下の4ポイントは当該業界の重要問題である。これらのスピーチに関しては、当然事前の準備や練習が必要である。
*3ふつうの場面のあいさつと違い、学術研究会や専門性が高い企業研究集団でのスピーチではメモを用意しながらしゃべったほうが安心である。
*4幹事の問題提起をきっかけとして討論が始まる。懇談会といっても各自のスピーチが中心で議事が進行してゆくのである。

  スカ線のすべての客がマスクする10月13日の朝と夕方 蝶人
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レオン・フライシャー全集23枚組CDを聴いて

2020-10-20 13:35:07 | Weblog

音楽千夜一夜第457回


レオン・フライシャー(1928-2020)はアメリカのピアニストで、今年の8月に90歳で癌で亡くなった。

若くしてデビューした彼は、セル指揮クリーブランド管弦楽団と組んだ数々の協奏曲の演奏で名声を博したが、1960年代に病を得て右手の自由を失い、その後はわが舘野泉氏のように左手だけで演奏を続けていたが、2000年代の治療で見事に復活し、多くのファンを喜ばせてくれた。

この23枚の廉価盤を次々に聴いていると、そんな多事多難だった演奏家の汗と涙の長い軌跡がおのずから浮かんでくるようでまっこと感慨深い。

全コンピレーションの中では、やはりセルと録れたベートーヴェンとブラームスが名演であるが、もっとも感動的なのは、癒えた左と長き労苦に耐えた右手を自在に駆使して、2003年3月31日に喜びに満ちて弾き振りしたモザールの23番の協奏曲だろう。


  美枝子さんが蜜入りのお水を飲ませたら死にかけの玉虫が甦った 蝶人
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新潮日本古典集成新装版・伊藤博之校注「歎異抄 三帖和讃」を読んで

2020-10-19 15:16:46 | Weblog

照る日曇る日第1481回

「歎異抄」で有名なのは「善人なほもつて往生を遂ぐ。いはんや、悪人をや」という「悪人正機説」だが、どうもここでいう悪人とは、悪い奴というより、頭がいいので考えすぎる迷えるインテリゲンチャン、善人とは、善良な人間というより、我々と同じようなあんまり頭の良くない、悩み多き一般人ということらしい。

親鸞の考えでは、人間は誰でも「南無阿弥陀仏」と唱えれば阿弥陀如来の計らいのお陰であんじょう往生できることになっている(他力本願)のだが、そこへ頭のいい連中がしゃしゃり出てきて、妙に自力で悟りを開こうなどとあがけば、「下手な考え休むに似たり」というわけで、地獄に落とされることはなくても、一等地ではない2等、3等の極楽地帯にしか到着できない、ということになる。

要するに主義主張、貴賎、富貴、階級、男女の区別なく平等に昇天できるという有難くて便利な宗教観である。

この説の源泉は、親鸞法然源信以前の浄土論を唱えた天親、曇鸞、善導などの浄土思想にあるが、それを否定し、憎悪する既存の他宗の反対運動のお陰で親鸞は師の法然共々4年間の島流しという法難に耐えねばならなかった。
しかし親鸞の浄土真宗は、「命終」してからの極楽往生というよりも、この生きる死ぬかの地獄のような現世で「称名」すれば、その瞬間に確実に往生できるとするリアルな幻想によって、過酷な「現実を生き抜く力」を民に与えることができたのである。


 これからの教育はAIに勝てる競争力を身につけることだと某僧ほざけり 蝶人
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夏は逝く

2020-10-18 14:28:18 | Weblog

これでも詩かよ第289回


数十年に一度の
これまでに経験したことのないような
生命の危険をともなう台風ピーターが
窓の外を
通り過ぎていった
北朝鮮の独裁者めがけて
すると突然
私の口の中に
一匹の蚊が
飛び込んできたので
私は口を閉じて
はてさてどうしてくれようかと考えている

 ベルリンのオケなら顔も名も見知れるがウィーンなんてだーれも知らない 蝶人
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石井妙子著「女帝 小池百合子」を読んで

2020-10-17 15:44:19 | Weblog

照る日曇る日第1480回


父親に似たのか果ても無い上昇志向に取りつかれ、恥も外聞もなく嘘を撒き散らし、思想も信条も定見も教養もなく、おのれの立身出世に役立ちそうな人々、とりわけ権力金力政治力のある男性を本能的に取り込み、おのが欲望を満たすために徹底的に利用し尽くし、もはや役立たないと見透かすや、躊躇なく切って捨てる、血も涙も無い、まるで男のような女?、それが小池百合子。というのが本書を読んでの「女帝」の正体というところ。かな。

彼女が現在のような「虚」大な存在に成り上がるきっかけが、「カイロ大学を首席で卒業」という「神話」であるが、本書を読む限り、それはまったくのでっちあげという他は無い。

もしそうなら、誰だって著者や版元を訴えるだろうが、それを今に至るもしない、できない、ということは、この「女帝」は、経歴詐欺で公職選挙法違反に問われてしかるべき犯罪者なのだろう。そんな狸女が東京都の頂上で威張り腐っているのである。

幸か不幸か、またしてもコロナと五輪で息を吹き返した「女帝」が、これまでの政治的離合集散、「緑の党」スキャンダルや築地の清州移転問題で、どのように出鱈目な対応をしたきたのか、都民をはじめ多くの愚かな民草は、もうすっかり忘れているようだ。

「要するに見ないようにしているわけね」「コロナの前で目を瞑るスガ」 蝶人
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