あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

蝶人卯月洋画劇場5

2020-04-30 14:24:27 | Weblog


闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2075~2084


1)2)ジョージ・ミラー監督の「マッドマックス」「マッドマックス2」をみて
オーストラリアの荒野と道路を存分に活かした79年製作のアクション映画。1作目では現代なのに2作目では昔の話になっている。メル・ギブソンが主人公になるのはようやく1作目の後半からであるが、2作目からはエンジン全開の暴走アクション物として定着した。

3)リチャード・ブックス監督の「雨の朝巴里に死す」
フィッツジェラルドの原作を改編したものだが、題名が気になる。確かに旦那のヴァン・ジョンソンに酷い目にあわされたヒロインのエリザベス・テーラーがずぶ濡れになって死んでしまう。凡作ではあるが、パリが巴里だった時代は良かったろうなあ、と思わせてくれるところだけは良い。

4)マーヴィン・ルロイ監督の「哀愁」
原題の「ウォータールー橋」で最後死を決意したヴィヴィアン・リーが舗道から自動車に近寄っていくシーンが印象的だが、いくら娼婦に身を落とした不幸な過去があっても、なんとか2人でやっていけなかったのか、と思わせる残念な映画ずら。

5)ウィリアム・ディターレ監督の「旅愁」
ひょんなことからピアニスト役の江戸っ子女優、ジョーン・フォンテインとジョゼフ・コットンが一目ぼれして、飛行機事故死の誤報を利用して、そのままイタリアで愛の巣を営もうとするが、結局うまくいかないで別れてしまうという1950年製の悲恋物語ずら。

6)エドワード・グリフィス監督の「青空に踊る」
ゼロ戦撃墜王のフレッド・アステアが、短い休暇中にジョーン・レスリーと愛し合い、見事な踊りを披露する。1943年にこんな青春映画を作っていたアメリカには驚嘆の他はない。

7)ロバート・ウェッブ監督の「12哩の暗礁の下に」
高価な海綿採りを巡って争うギリシアと英国の漁夫たちだが、国籍を超えて愛し合う恋人が出現したことで、様相が変わっていく。ナタリー・ウッドを殺したのではないかと疑われているロバート・ワグナーが、嫌みな役で出演。

8)ウィリアム・ワイラー監督の「嵐が丘」
1939年の最初の映画化作品。原作を大幅にはしょっているが、そのエッセンスを見事に映像化したワイラーの手腕クを、わいらあ高く評価するぜ。ヒースクリフ役のローレンス・オリヴィエがカッコイイずら。

9)ピーター・ジャクソン監督の「キング・コング」
2005年ハリウッド製のSF大活劇映画。美女が怪獣を滅ぼしたとかいうてはるが、美女も怪獣に惚れてるずら。いくら怪獣でも飛行機の機銃には敵わないのが悲しい。

10)ヒッチコック監督の「見知らぬ乗客」
脚本に無理あり。交換殺人とは思い切った企てだが、なぜか片方だけに留まってしまうのが不可解。いちおうハッピーエンドという形だが、あまり幸せなカップルの誕生とはいえないだろうな。


 もしシャバに出てきたならば「心失者」を殺しまくるだろう植松聖は 蝶人

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柿本幸造著・香山美子作「ろばさんのかわいいバッグ」を読んで

2020-04-29 13:04:10 | Weblog


照る日曇る日 第1394回

ろばさんが素敵なバッグを作ってあげたのでみんな大喜び。ピクニックのお弁当もみんあが分けてくれました。

この絵本のハイライトはロバさんが持って行った洗濯物を干すロープで、みんなで縄跳びをするところ。

ここだけは挟み込みの大画面になていて大迫力。ロバさんもどんくまさんも楽しそうにジャンプしています。


三密も自粛とやらにも縁なくていつも通りに陋屋で閑居す 蝶人
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蝶人卯月洋画劇場4

2020-04-28 14:42:34 | Weblog


闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2065~74

1)森田芳光監督の「の・ようなもの」
森田芳光の監督処女作がこれ。才能あり、だなあ。ソープ嬢エリザベスに扮した秋吉久美子が最高。この頃の佐藤克信、尾藤イサオも良かったなあ。

2)森田芳光監督の「それから」
藤谷美和子と松田優作をはじめ役者がみな適役で、筒井ともみの優れた脚本を森田芳光が見事に絵にしてゆく。これなら漱石も喜んだろうが、ラストの真っ赤な職探しを映像化しなかった、出来なかったのは何故?

3)森田芳光監督の「失楽園」
いくら心身共に熱愛するようになったからというて、性器までも合体させ男女同時に死ななきゃいかんもんだろうか。そんな問題をはらむ原作を、森田は粛々と映像にしていくのであったああ。

4)森田芳光監督の「間宮兄弟」
このような兄弟はいそうでなかなかいないものである。森田選手には生きてもっと多くの映画を撮ってほしかったずら。

5)ジェームズ・フォーリー監督の「フィフティ・シェイズ・フリード」
新婚夫婦の旦那が悪戯でちょっとSMごっこをやるので若妻、くだらなさもここに極まる。
2018年のハリウッド映画ずら。

6)五社英雄監督の「極道の妻たち」
極道も大変だが極道の妻も大変だということが分かる映画ずら。大胆な性交らしきシーンがあるが、よく見ると下着を取らないのに喘いでいるので興ざめ。最近は撮影中に頼まれもしないのに若い役者が実際に性交するそうだが、そうゆうのを見てみたいずら。

7)ウィリアム・ウェルマン監督の「ボー・ジェスト」
ゲイリー・クーパー主演の1939年の英国製白黒映画。アフリカ外人部隊に参加した3兄弟の悲しい物語。クーパーが「麗しき献身」をするが武運拙く戦死してしまう。

8)スコット・マン監督の「タイム・トゥ・ラン」
またしてもよせばいいのにデ・ニーロが出てきて仕切る2015年ハリウッド製の3流サスペンスドラマ。脚本に無理がありすぎずら。

9)ウィリアム・ワイラー監督の「我等が生涯の最良の日」
大戦は終わったものの、その後には長い灰色の日々が待っていた。3人の復員兵の悲喜こもごもの身の上話はいかにもそうだろうと引きずりこまれ、最後の婚礼の場の2つの喜びのキャメラワークに泣かされる。

10)ブライアン・グッドマン監督の「ブラック・バタフライ」
書けない作家の独り芝居とうことなんだろうが、あまりにもプロットが飛躍するので結局何がなんだか分からなくなっている。

  コジュケイの「ちょっと来い」の声に励まされ雨戸を開けるコロナ禍の朝 蝶人

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柿本幸造著・こわせたまみ編「ツッピンとびうお」を読んで

2020-04-27 11:32:01 | Weblog
照る日曇る日 第1393回

亡き義父が亡き著者から贈呈された柿本幸造さんの絵本で、1994年10月3日の直筆のサインが遺されています。黒のマジックですらすら書いていますが、作者の人柄が表れているようなとても味のある筆跡です。

当たり前のことだが、このときには二人とも元気で、向こう三軒両隣のお付き合いをしていたのでしょうね。

内容は中村千栄子の表題作をはじめ、関根栄一の「おつかいありさん」、名村宏の「ちかてつ」、まど・みちおの「ぞうさん」、相田裕美の「アイアイ」などに絵をつけたもの。

海から元気いっぱい飛び出すとびうおの目が大きい!


トイレまであと一歩というところでパンツにぶちまけられたビチビチうんこ 蝶人
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柿本幸造著「おさなごころの風景」を読んで

2020-04-26 13:40:00 | Weblog


照る日曇る日 第1392回

鎌倉十二所に長く住んで数々の童話の絵を描き続け、1998年に83歳で逝去した柿本さんの四季折々の心の風景画です。

山川草木朝夕町村どれも童心に触れ、童心に帰してくれる抒情的なスケッチばかりですが、一枚だけ近所の光触寺の門前の絵が出てきました。

コロナの前に、この階段の上でタンタンタヌキのタヌサブロウに出会いましたが、いまごろどこでどうしているのでしょうか?

 「観光の方はお帰り下さい」と必死に叫ぶ鎌倉市長 蝶人
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ドナルド・キーン著作集別巻「日本を訳す」を読んで

2020-04-25 15:23:23 | Weblog


照る日曇る日 第1391回

2012年に日本国籍を取得して晴れて「日本人、鬼怒鳴門」となり、2019年2月に96歳で逝去したドナルド・キーンの著作集の最後の本を読みました。

「日本を訳す」という総合タイトルの元、15本の講演や折りに触れての短い随想が「右開き」で並んでいますが、それが終わると、234頁に及ぶ膨大な年譜、著作目録、15巻の著作集の総目次、総索引が「左開き」で控えており、これは世にも珍しい左右開きの日本ならではの書物なのです。

そもそもキーン氏がなぜ日本に帰化したかというと、彼が2011年の東日本大震災と福一原発事故に衝撃を受け、「自分の中の日本人」に突き動かされたからというのですが、この人ほど日本と日本人を愛した人は、今の日本人にはいないかも知れませんね。

「日本を訳す」の最後には、鎌倉時代の未曽有の天災に遭遇しながら、単身粗末な方丈で耐えた鴨長明について触れ、次のような力強い言葉で結んでいます。

「絶望することはありません。『方丈記』に記されているような災難はいつの世にも起こりますが、常に日本は蘇り、新たな文化が生まれました。日本人にはそれができます」


 死ぬる時には死ぬるがよいと良寛はいうがコロナなんかで死にたくはない 蝶人
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蝶人卯月洋画劇場

2020-04-24 12:57:28 | Weblog


闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2060~64


1)ジョン・カラン監督の「ストーン」
定年間近な朴念仁の刑務官のデ・ニーロがえろっぽい人妻の魅力に陥落していくあたりが見どころでしょうか。

2)フランク・ダラボン監督の「ショーシャンクの空に」
無実の銀行員ティム・ロビンスの脱獄物語だが、最後にハッピーエンドになるところが素晴らしい。タイトルは原題の「刑務所のリタ・ヘイワース」に戻してほしい。

3)ロバート・ロレンツ監督の「人生の特等席」
大リーグのスカウトマンを長年にわたって務めてきたクリント・イーストウッドと娘の人情講談噺ずら。

4)テレンス・マリック監督の「ボヤージュ・オブ・タイム」
宇宙の誕生と死をテーマに40年以上の歳月をかけて完成されたそうだが、きわめて冗長にして退屈なドキュメンタリー映画なり。かのキューブリックの「2001年宇宙の旅」の猿が出てくる冒頭の短い映像にも遠く及ばない駄作ずら。

5)陳凱歌監督の「キリング・ミー・ソフトリー」
陳凱歌とも思えない下らない映画ずら。ジョセフ・ファインズも、ヘザー・グラハムも好きになれない。


「自粛せよ食べられなくて窮する者は死んでしまえ」と君は言うなり 蝶人
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ALMOST YELLOW~雲古蘊蓄譚

2020-04-23 11:25:05 | Weblog

これでも詩かよ 第282回


その1 ウンチを我慢する

宇治拾遺物語の第76段に「仮名暦誂えたる事」という短いコラムがある。

そこには3日連続で「雲古すべからず」と書き込まれた偽カレンダーを信じた生女房が、
「左右の手して、尻をかかへて、いかにせん、いかにせん、と、よぢりすじりするほどに、物も覚えず、してありけるとか。」
団鬼六のロマンポルノではないけれど、我慢に我慢した挙句に、とうとうしてしまったんだあ。
可哀想に。


その2 ウンチを見る

むかしむかし、京の北白川にあった重度の障害児(者)施設で、黄色い風呂を見たことがある。
黄色と映ったものは利用者が排泄した雲古で、それは冷めた風呂水と上から下まで完全に混ざり合って、微動だにせず午前10時の太陽に浮かんでいた。

そのとき私は、福祉の仕事というのは、このウンチがいっぱい浮かんだ風呂に飛び込んで、障害者の体を洗ってあげることなんだ、と思った。


その3 ウンチを踏む

私はうっかりしていて、(恐らく石ころの上にとまっている小型の茶色いチョウがテングチョウかヒメアカタテハかを確認しようとしていて)道端のウンチを、ムギュっと踏んだことがある。

運動靴がズヌっとぬめって、明後日の方角にずれてしまって、相当不気味だった。

義姉のエイコさんは、蛇を何回か踏んだことがある、そうだ(今度会ったら確かめてみよう)。

私はまだ蛇を踏んだことはないが、あの明後日の方角にズヌっとぬめっていく感じは、限りなくそれに近いのではないかと、密かに考えている次第である。

ウンチを踏んだズックは、洗っても、洗っても、臭かった。


その4 ウンチを掴む

むかしむかしのそのむかし、丹波の綾部の上野の丘に小学校があって、私は放課後に、同級生と便所掃除をしなければならなかった。

便所は汚れている時と、そうでない時があったが、汚れている時には、おおかたでぶでぶのオオツキマサト君が、率先してキレイにしてくれるので、僕らは、ほとんど何もする必要がなかった。

するとある日、突然そのことに気づいたように、オオツキマサト君が「お前らあ、いっつも、いっつも、ずるいやないか。わいらあ、今日はなんもせえへんさかい、お前らあで、しっかりやらんかいな」と怒鳴って、ぷいと校庭に出ていった。

オオツキマサト君が去ったあと、便器の傍には、プリプリの巨大なウンチが、ぐんにゃりと横たわっていて、微かに湯気が立ち上っていた。ついさっき誰かがやらかした出来たてのホヤホヤ、ちゅうやっちゃ。

アカオ君やキタハラ君やカワギタ君と一緒に、僕はしばらくその黄色いプリプリの巨大なウンチを眺めていたが、いつまでたっても誰も手を出さないので、これはもう僕がやるしかないと思って、僕は恐る恐る、その臭い立つ巨大なやつに両手を伸ばして、ぐウンとつかんだ。

えいやっと、つかみとって持ち上げたら、そいつは結構重くて生温かで、「これはいったい、どこのどいつが垂れたんだろう」と、不思議な気がした。

その日、僕はこの世の「実在」という奴に、初めて触れたのだった。


その5 ウンチを垂れる*

毎日トイレで便器に跨るたびに、私は遠い親戚の言葉を思い浮かべる。

「人間はトイレに入る時には生まれたままの姿で、本音も建前もない。これこそ人間の真の姿である」

「大事なのは、ウンコを垂れるあの気持ちだ。堅からず、柔らかからず、ロクロの廻るにまかせて、なんの技巧もなく生まれてくるのが、ほんとうの茶碗だな」

この「ウンコ哲学」を唱えたのが、ほかならぬ私の伯祖父、上口作次郎(1892-1970)である。

彼は明治25年に谷中に生まれ、小学卆業後、宮内省御用の大谷洋服店に弟子入りし、大正末期に「超流行上口中等洋服店」を開店した。

最高級オーダーメイドスーツでしこたま儲けた金で、江戸時代の大名時計や長谷川利行の作品を収集したり、東京の土を捏ねて陶器を焼いたり、ぐるぐる廻る茶室「眩暈庵」や樹上の茶室「巣寝る庵」を作ったり、「雲谷斎愚朗」と称して、いつも裸で過ごしたこの破天荒の野人を、私は好きである。


その6 ウンチを忘れる

それからおよそ半世紀の歳月が流れた。と思いねえ。

私は今ではそんじょそこらの三等リーマンになりおおせていて、ある日大阪支店に出張して取引先の営業マンに会って名刺を交換したら、すっかり「難波のアキンド」になった、でも昔と同じようにでぶでぶの、オオツキマサト君だった。

私は彼の顔を見た瞬間、黄色いウンチのことを思い出し、2人だけの密かな西田哲学的な体験!?について語り合いたいと思ったのだが、彼はそんな私の胸中をいささかも忖度することなく、破顔一笑うれしそうに叫んだ。

「おやまあ、綾部のてらこのマコちゃんやないか! これはこれは、粗末に扱う訳にはいきまへんな。あんじょう勉強させてもらいまっせ!」

 *参考文献 片山和男編・「闘う茶碗~野人・上口愚朗ものがたり」


ホカホカのウンチを入れたマッチ箱振り回しつつ学校へ行く 蝶人

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古川真人著「背高泡立草」を読んで

2020-04-22 13:52:05 | Weblog


照る日曇る日 第1390回

第162回芥川賞の受賞作を読みましたが。なんか長崎の平戸の小島を舞台にした中上健次ばりの「サーガ」を目指しているようだが、いったい作者が何を言いたいのかさっぱり分からない。ただただ訳も分からず暗い脳内の羊腸の小径を迷走するような奇妙な文章を、くねらせつづけているのである。

芥川賞の選考委員は宮本輝以下、奥泉光、小川洋子、川上弘美、松浦寿輝、島田雅彦、堀江敏幸、吉田修一の9名であるが、第1回の投票では、この作品を含めて当選該当作はなかったという。

普通なら「該当作なしの判定」である。それなのにメンバーたちが話し合っているうちに、どういう風の吹きまわしか、今回を最後に引退する宮本輝、あるいはスポンサーである文芸春秋への忖度であるかはいざ知らね、この下らない作品が浮上して当選してしまったというから、なんともおかしな話である。

最近の芥川賞の受賞作の大半を私は読んできたが、その輝かしい実績と名誉に値しないいくつかの駄作も鳴り物入りで世に送ってきたこともあったように思う。

しかしなんというても芥川賞は新人作家の登竜門であるし、これまでに優良な作家を多数輩出してきたから、該当作がないよりはあったほうがいいと個人的には考えるが、しかし選考委員の絶対多数が「これぞ芥川賞!」と二重丸をつけない程度の凡作に無理やり賞を与えるのは、皆の衆、いかがなもんじゃろうのう。

んで、以下は私の提案であるが、この際規定を変更して「アカデミー特別賞」にならって「芥川特別賞」を設けてはどうだろう。

全員一致の推薦が集まらない時は、過去の幾多の選考で惜しくも受賞を逃した太宰治、島田雅彦、高橋源一郎、夫馬基彦などの「超残念だった優秀作」に改めて授与すれば、例年に勝る話題を呼ぶに違いない。

 「へーつと」と声に出してみる亡き父の口癖なりしその一言を 蝶人
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巻上公一詩集「至高の妄想」を読んで

2020-04-21 14:02:34 | Weblog


照る日曇る日 第1389回

「ヒカシュー」のリーダーが編んだ初の自作詩華集だが、選び抜かれた言葉の思いの深さに打たれ、なぜかボブ・ディランのそれを思い出したぜよ。

いつもそうするように、まず「あとがき」から読んでみよう。するてえと、いきなり、

「夏は詩ですよね。涼しい。誰かがテレビでそう言っていて、中国の詩人・北島(ペイタオ)の「生活」という詩を取り上げていた。その死は、二文字のタイトルよりも短く、たった一字<網>と書かれているだけだった。」

と書き出されていて、この出だしも凄いけど、たった一字でもすでに詩であるという考え方は私が長く試みている「世界最短詩」とまったく同じなので、思わず「おおわが同志よ!」と叫びたくなったずら。

まあそういう成り行きなので、作品の中からすごく短いのを2つ引用しておこう。

「かたつむりが急いでいる 少しはなうたまじり」(はなうたまじり)

「美しいな 幼虫が死ぬなんて 美しいな 昆虫も死ぬなんて
 楽しいな 動物が死ぬなんて 楽しいな 人間も死ぬなんて」(幼虫の危機)

なおこの詩集は大岡信賞を受賞し、その授賞式の際に「ヒカシュー」のライヴが行われたのだが、やはり詩単独よりは音楽付きのほうがうんと楽しめるようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=K24R6_XBvmw

 いつどこで叙情に逃げるか詩も歌もそれがいちばん問題なのさ 蝶人
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VENIAS盤「ハンス・クナパーツブッシュ・ザ・コレクション2 ニーベルングの指輪録音集」をきいて

2020-04-20 12:56:21 | Weblog


音楽千夜一夜第447回

1956年、57年、58年のバイロイト音楽祭における「リング」の実況録音を立て続けに聞いた。幕末ではそれなりに燃え上がるが、終始冷静であり、3年とも基本的には同じパターンの演奏である。

それにつけてもおやつはカールではないが、VENIAS盤のモノラル録音のありようは、まるで人工知能によるクナの再生を聞かされているようで、その安直な聞きやすさがかえって演奏の真実味を削ぐという逆効果をもたらしているようだ。

私としては自分が推薦できないCDについて記事にするのは精神衛生上もよくないのだが、なんせ敬愛する指揮者の決定版と信じたそれなりに高価な「箱買い」だったし、それだけにどたまに来て口惜しいので、いわゆるひとつの「反面教師」的録音としてあえて言及しておきたいのずら。

世間では「どうしようもない子」と言われてるその「どうしようもなさ」を抱きしめてやる 蝶人
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蝶人卯月洋画劇場「アラン・ロブ=グリエ特集」

2020-04-19 12:55:02 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2054~59


1)アラン・ロブ=グリエ監督の「不滅の女」
アラン・ロブ=グリエの1963年初監督作品。イスタンブールを舞台に謎の美女と邂逅した男の幻影を追う。彼はこのあと数本の映画を演出したがなかでは本作の出来栄えが一番ではなかろうか。

2)アラン・ロブ=グリエ監督の「ヨーロッパ横断特急」
ジャン=ルイ・トランティニャンが主演するサスペンスごっこ映画。いわゆる「メタ映画」だが、それほどメタメタなわけではない。1966年の製作。

3)アラン・ロブ=グリエ監督の「嘘をつく男」
1968年。ジャン=ルイ・トランティニャン主演のロブ=グリエの悪戯映画。親友のパルチザンの闘士を巡る物語だが、前作よりも女優が劣り、ポルノとしてもさっぱり面白くない。

4)アラン・ロブ=グリエ監督の「エデン、その後」
1970年。ロブ=グリエは「新文学」の開拓者としてバカダ大学の阿呆莫迦仏文学者が鳴り物入り提灯をぶら下げて紹介したが、あっという間に姿を消した。が、当時ロブ=グリエが「新映画」と思う存分戯れていたとは知らなんだ。昔から「新」を銘打った代物はすぐに廃れる。

5)アラン・ロブ=グリエ監督の「快楽の漸進的横滑り」
1974年。タイトルと断片的映像はかっこいいのだが、中身は相変わらずの疑似サドマゾごっこ大会。でも美女(オラッチの趣味には合わないが)のすっぽんぽんが拝めるからまあいいか。

6)アラン・ロブ=グリエ監督の「囚われの美女」
ルネ・マルグリットの同名の作品にちなんだヌーボーロマンの作家の脚本・演出作品であるが、なんちゅうかほんちゅうかな奇妙奇天烈なお遊びおふざけ映画ずら。1983年の製作。


「新しい」と銘打ちしものはすぐに廃れる古今東西森羅万象 蝶人

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角田光代訳「源氏物語下」を読んで

2020-04-18 11:16:26 | Weblog

照る日曇る日 第1388回

翻訳を読むことと原作を原文で読むこととは、絶対的に別物である。原典を本当の意味で「読んでいる」のは当の翻訳者だけであって、翻訳文の読者ではないことを、私たちは知っておかなければならない。

だから日本語であるといえ、平安時代の古語で書かれた「源氏」を本当に読むなら、直接原文に当たって、しこうして砕けるしかない。岩波文庫版や新潮日本古典集成本はそのための心強い導き手である。

源氏の翻訳はいろいろあって、どれにしようかと大いに迷うが、「与謝野」も「谷崎」も「橋本」も上に述べた事情でみな別物。みんな違ってみんないい、のであるから、題名は同じでも中身は別の本だと思って、楽しみながら各個撃破、じゃなかった読破するしかない。

河出版日本文学全集の掉尾を飾る本書の特徴は、基本的にこれまでの翻訳に散見された疑古文を一切使用せず、本邦の現代作家が自分の小説を書くときに使う現代の正統的な口語文で最初から最後まで叙述している点にある。

私たちが「与謝野」や「谷崎」の翻訳を読むときは彼らの擬古文を自分の脳内で口語に翻訳せざるを得ないであるが、その2度手間が省けて好都合だし、角田選手の文章は彼女の他の小説と同様朗読するにふさわしい見事な音律を保っている。

「宇治十帖」は源氏亡きあとの冗長な蛇足と考えてきたが、このたびの翻訳を音読しているうちに、大君、中の君、そして最後のヒロイン浮舟の存在感が、三蜜濃厚接触空間にくっきりと浮かび上がり、ポスト光源氏のリアルが、本篇以上に、現代人間界に直結連動していることがよく分かったのである。

 植松を死刑にしても生き残る我らが裡なる植松聖 蝶人
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福田和也著「総理の女」を読んで

2020-04-17 11:05:47 | Weblog


照る日曇る日 第1387回

伊藤博文、大隈重信、原敬、山縣有朋、桂太郎、高橋是清、犬養毅、山本権兵衛、近衛文麿、東條英機の10名の宰相の妻妾を論じて、その人間性の探求に及ぶという下世話にして興味津々たる大企画ずら。

されどいくら探しても「安倍蚤糞の女」が出てこないのが、まことに残念。

しかし山縣とか東條とか、ほんとどうしようもない政治家でも、じつは妻とか情人を溺愛した、なんていわれてもなあ。それにしても近衛って、本当に最低の政治家だったなあ、とそこは共感。

   障害者より自分は偉いと思う人みな植松聖の仲間なり 蝶人
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関川夏央&谷口ジロー作「『坊っちゃん』の時代第5部 不機嫌漱石」を読んで

2020-04-16 13:55:14 | Weblog


照る日曇る日 第1387回

本邦漫画史の記念碑的傑作の最終巻は、夏目漱石をフューチャーした明治終焉の大回顧絵巻である。それにしても、修善寺大患で「30分間死んでいた!」漱石の大喀血を描く谷口ジローの絵の物凄いこと!

そして関川選手が、漱石の愛読書W・ジェイムズの「多元的宇宙」観を引用しつつ、修善寺の「忘れるべからざる二十四日」を死地でさ迷う漱石の胸裏に、子規、虚子、四迷、啄木、三山、一葉、楠緒子、美禰子、那美、井上眼科の女、嫂登世等々、父母未生以前より現在に至る男女の俤を続々登場させて、彼らとの懐かしき邂逅の幻影を、夢のように放出投影してみせるシーンは、全5巻の白眉という他は無い。

それにしても、本書で暗示する漱石が楠緒子に振られたショックでやけくそになって松山くんだりまで都落ちしたという話は本当だろうか? 私はむしろ徴兵逃れで北海道に転籍したおのれの卑怯を恥じて西下したという丸谷才一氏の「漱石自己処罰説」に左袒したい者なのだが。

   「自分には障害者以上の価値がある」そう思う人植松の友 蝶人
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