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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

吾妻鏡第4巻「奥州合戦」を読んで

2008-11-15 20:21:27 | Weblog


照る日曇る日第187回


我が国に初めて武家政権を樹ち立てた二品頼朝に対する評価は高いようだが、吾妻鏡を読み進むとこの武士の人間性がだんだん厭になるような気がするのは、後に源家を簒奪した悪辣非道な北条氏がこの歴史書を編纂したからだろう。

しかし平家追討、殲滅に多大の貢献をした弟の伊予守義経や、それほどの武勲はなかったが義理の兄の代理として西国を連戦した範頼への冷酷極まりない処遇には、冷徹非情な政治家の決断を褒めそやす以前に、大いなる違和を覚える。

所詮この男は老獪な北条時政や梶原景時などの側近に目を眩まされ、己の真の敵と味方とを弁別できず、己の内部に異端や外様や取り込んで清濁併せ呑むことができなかった悲劇の将軍ではなかっただろうか。

とりわけ平家掃討戦に軍の矢面に立たなかったくせに、伊予守の殺戮を命じてやむを得ず実行した藤原泰衡の追討には中央軍の陣頭指揮を取っており、なにもそこまでしなくとも、という気がするのである。

藤原氏征討直後の文治五年一一月一七日、二品は藤沢市の大庭御厨の近くで一匹の狐に遭遇する。数十騎で取り囲み、頼朝が弓矢を番えてヒョウと射たところ、彼の矢は当たらず、傍から射た弓矢の名人篠山丹三の矢が狐の腰に当たった。頼朝はそのことを知りながら、「命中した!」と声を発した。

すると丹三は忽ち馬より降りるや頼朝の矢を己の矢と入れ替えて狐に立て、これを掲げて二品に奉った。翌日御所に帰還した頼朝は、丹三を召し出して側近く使えるように命じたというのであるが、これほど嫌な話もない。

頼朝という人のほんとうは、結局この程度の者であったと思わないわけにはいかない。


♪亡き人の胸に塞がる菊の花 茫洋


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雑賀恵子著「空腹について」を読む

2008-11-14 17:41:51 | Weblog


照る日曇る日第186回

新進気鋭の科学者にして社会思想家による構想雄大、真率にして繊細、知情兼ね備えた詩人哲学者の清々しいエセーである。

「あらゆる人間の営為は、物質の動きによって表現される。
たとえば、愛。触れ合う唇の湿り具合。絡み合う指の温度。鼓動の響き。肌の触感。あどけない笑顔からこぼれる生えかけの小さな歯。抱いた時の心地よい重み。日向くさい頬に透ける血管。留守番電話に残された「お休み、いい夢を」という囁きを反芻するせつなさ。熱で苦しんでいると、ひたとも動かず凝っと見守り、時々冷たい手の肉球を唇や頬にあててくれて鼻先を近づけそっと嘗める猫の潤んだ瞳。
そういうものの積み重ねであり、個別の他者の持つ個別の記憶に支えられている」

という文章に接した人は、もうどうあってもこのあまりにも魅力的な詩文ファンタジーの世界の扉を押さないわけにはいかないだろう。

まず「なぜお腹が空くのか?」と考え始めた著者の夢想と空想は、次いで「なにが美味しいのか?」という考察に向かい、ここで突如「残飯をめぐる歴史的研究」に転身し、最低辺の貧民や女工がどのように悲惨な食生活を強いられていたかを一瞥し、さらに軍隊における軍用食の問題に潜入すると、ついに脚気と食物の因果関係を認めようとしなかった頑迷な陸軍軍医鴎外森林太郎が日露戦争で多くの脚気羅病者を出してしまったこと、「戦争をするために軍隊があるのではなく、膨れ上がり自国内部でもてあました空腹が他者を食いつぶすために戦争がある」と喝破するに至る。

 餓島ガダルカナルにおける悲惨な戦闘と絶望的捕食に触れた著者は、さらに「食人」の問題に言及進み、我が国で古来幾多の大飢饉に際して食人が珍しくなかったにもかかわらず、わたしたちの現在の社会で食人が起こるとは想定されず、それを禁じる法律すらないという異常さを指摘する。そして「現在の地球人口と資源および生産形態から見れば、いずれ人体を食料資源として考慮に入れなければならないとする議論が確実に出てくる」とカッサンドラのように不吉な予言をするのである。

 かつて学生時代のある時期に、動物実験で毎日のようにマウスやラットを数匹以上殺していたという著者は、養鶏場の近代的な工場で機械製品を作るように大量生産されるブロイラーや霜降り肉を生み出すために飼育されている大量の牛たちに対して、人間はいったいどのように向き合うべきか? 資本の論理に貫徹された食肉生産の現場において、人間が動物に対する優しさや残酷さとはいったい何か? と自問する。

 最後に、飢餓をはじめとする「世界の貧困」について、その歴史的政治経済的分析を終えたあとで、著者は次のように述べる。

「慎ましくも必要とされるのは、道徳ではなく、倫理である。正義の軸を設定し神殿に納め、それに礼拝跪して異教審問の過程で排除項を生み出していくのではなく、不快さを不快であると叫び続けること。システム内に繋留された倫理=道徳から身をひきはがし、個人の身体感覚から不快を問い続ける倫理から想像を他者に投げかけること。そうしたエロスの投げる網によって他者の苦痛を新しく見出す営みを持続させること。それが知るということである。他者を理解することはできない。しかし他者を理解しようとするその試みこそが、人間の営為なのである」

 このようにおぞましさと嘔吐と矛盾と困難と悲喜劇にみちあふれた、この毎日が世紀末の人の世を、著者は「生命体としてのわたし、身体をもつわたしに根ざしたこの倫理」をひしと抱きかかえ、冷酷非情の法-規範、道徳との狭間に立ちすくみながらも、「いま何をなすべきか?」とレーニンやハムレットのように胸に問いつつ、愛描綱吉と共に今日もけなげに前進しているのである。


♪人の世はさはさりながら愛ありて 茫洋
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佐々木健“Score”展を見る

2008-11-12 23:17:18 | Weblog


照る日曇る日第185回

曇天を冒して2つの展覧会を見た。ひとつは東京新宿区西落合の「ギャラリー・カウンタック」で今月15日土曜日まで開催されている佐々木健“Score”展である。

スコアというからすべて音楽や音符にちなんだコレクションかと思ったのだが、さにあらず。芽吹いたジャガイモやらカラフルな毛糸のセーターを着せられた可愛いブルドックなどもそこここに配置され、作者のたくまざるヒューモアをさりげなく体感させてくれる。

もちろんドラムス、ベース、アンプなどの楽器やドライバーなどの道具や機材もたくさん描かれていて、それらはほんらいは無機的な物たちなのだが、じっと見つめているとあたかも生命あるもののごとく陰微におののきはじめるような気がしてくるから不思議であり、やや不気味でもある。

私たちの日常にありふれたモノを凝視する作者のまなざしがそのモノをくしざしにするとき、モノはモノならざるものに変容し、なにやらなつかしい言葉を発しているようにも思える。作者はかつて無機を有機と化そうとしたアール・ヌーボーをば、この平成の御代に再来させようと試みたのであろうか。

http://gallery-countach.com/contents/exhibition/exhibition_frame.htm

なお今回の作品の一部は11月28(金)、29(土)日の2日間横浜市西区のみなとみらいで開催される「横浜アート&ホームコレクション」の三菱地所ホーム×Gallery Countachのコーナーでも見ることができる。

http://www.yaf.or.jp/yahc/#wrapper

もうひとつは閉幕間際の「大琳派展」。琳派関連は最近ものすごく増えたので、あまり期待しないで行ったのだが、質量とも最大規模の素晴らしいコレクション。光悦、宗達、光琳、乾山、抱一、其一ときて、やはり図抜けて、神がかって、偉大なのは俵屋宗達。その作品をこんなにどっさり見せてくれるなんて、ありがたや、ありがたや。これで死に土産ができました。

「風神雷神図屏風」もさることながら「源氏物語図」、「伊勢物語図」、そしてきわめつけは若冲をはるかに凌駕するシュールな「白象図・唐獅子図杉戸」(京都・養源院蔵)。神韻縹渺とはこの人のためにある言葉だろう。
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龍口寺に向かう

2008-11-10 21:24:49 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語148


江の島には行かずに、今日は龍口寺に向かう。ここは鎌倉時代に日蓮が蒙古来襲の折に北条政権に逆らったために平頼綱(1285年の霜月騒動で御家人筆頭の安達泰盛一族を皆殺しにし、1293年に自害した筆頭御内人)によって斬首されようとした場所である。

ところが一天にわかにかき曇り、天地がぱっと夏の白昼のように明るくなり、介錯の男がよろけて刀を取り落としてしまった。江ノ島の上空に闇を裂いて巨大な光ものが出現したためである。時に文永八年九月一二日夕刻、世に日蓮「瀧ノ口の法難」と称せられる。

一大宗教者の処刑を救うため天が奇跡を起こされたのであろうか。日蓮宗の創始者はからくも一命を取り留めたのであった。

本堂にはこのとき日蓮が敷いていた敷き皮が、境内には当時日蓮が幽閉されていた御霊屈が現存している。

龍口寺の創建は鎌倉時代ではない。1337年になって日蓮の弟子日法が粗末なお堂を作ったが、今日のような完成をみたのは江戸時代の初期に入ってからだから、比較的新しい建築だ。


♪鎌倉の松葉が谷の道の辺に法を説きたる日蓮大聖人 子規

新橋のヘラルド映画の試写室でよく顔合わせし人昨日死にけり 茫洋

今日TBSは死にましたと言いながらTBSに出続けし人死す 茫洋

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江ノ島遠望

2008-11-09 20:02:32 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語147

江の島は、片瀬との間をつながれたり海で切断されたりして長い歳月を送ってきた。

明治時代の江の島は、小泉八雲が「日本瞥見記」で記したように、夢のようにのどかな浅葱色の海だった。

「江の島の、ちょうど対岸にあたる片瀬という小さなで、われわれは人力車を乗り捨てて、そこから徒歩で出かける。村と浜のあいだに小路は、砂が深くて、くるまを引くことができないのだ。われわれよりも一足先に来ている参詣者の人力車も、幾台か村の狭い往来で待ち合わしていた。もっとも、この日、弁天の社に参詣した西洋人は、わたくしひとりだそうだ」

同時代の正岡子規は、あの短かすぎた悲壮な生涯で、2度も江ノ島を訪れているが、最初はたしか文科大学の一年生の頃で、当時落語と漢詩に打ち込んでいた漱石と一緒だったと記憶している。彼らは暴風雨を冒して八幡宮、大塔宮この景勝の地に渡ったのであった。

だから次ののどかな短歌は、その時ではなく二回目に病床にあった鎌倉の友人を見舞った折の歌に違いない。

   江の島へ通ふ海原路絶えてみちくる春の汐の上の雨

寄せては返す波のうねりに乗って繰り広げられる美しく古式豊かな日本の歌の調べは、
中原中也が口ずさんだチャイコフスキーの「四季」の舟歌のメロディを思い出させる。

そしてその細やかで抒情的な音律は、3代将軍実朝による好一対の春秋の歌

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に浪のよるみゆ

にもどこか遠いところで通底しているようだ。

*資料提供は鎌倉文学館

♪生温し地震来るやうな風が吹く 茫洋

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保坂和志著「小説、世界の奏でる音楽」を読んで

2008-11-07 17:17:44 | Weblog


照る日曇る日第184回

とりあえずは大仰なタイトルといかにもな表紙の写真に辟易させられるが、本編に入るとこの人独特の小説とも評論ともつかぬ小説に対する思索やら随想がまるで牛の反芻のようにしつこく繰り返され、牛の唾液のように夥しく垂れ流される。

それらはところどころ抜群に面白く、確かに一定の意味があり、新たな発見もあり、私たちが小説や思想や哲学や絵画や音楽や、さらには人の世や人生などについてそれほどきちんと理解していないことをだんだん解き明かしてくれるのだが、それにしても先月号の「ソトコト」で田中選手だったか浅田選手だったかが、そのどっちがそう発言していたのかはもう忘れてしまったが、この本の著者が暇にあかしてどうでもいいことどもを日がな一日微分積分してよろこんでいる、だったかな、それともうつつを抜かしている、だったかな、ともかくそういう風にバッサリと斬って捨てていたけれど、まただからといってこのおふた方による気宇壮大な天下国家憂国談義の空論が、この本の著者によるいわば深く静かで音楽的かつミニマリズム的洞察よりもいちだんと高尚でハイセンスだというつもりなぞ毛頭ないのだけれど、いくら連載の締め切りが迫っているからと言って己の頭の奥底に仕舞っておいて発酵するのをじっくりと待っていたほうがモアベターな思藻の断片を無理やり記事にすることもないのではと思わないわけにはゆかなかった。

けれども、そのなかでもやはり著者が突如というべきか、それとも予定調和的にというべきか、死んだ小島信夫に成り替わって、というか憑依して、いかにもありそうであらぬことどもを「小説霊」にしゃべらせているくだり、それから次に紹介する長嶋茂雄がスランプに陥った掛布を電話で激励する逸話などは出色の出来栄えだった。

 「掛布くーん、いまちょっとスランプみたいですねー。ちょっと素振りしてみてくれる?」
「え?いまですか?」
「そうですよー。いまです」
で、掛布が受話器を置いて何回か素振りをして電話に戻ると、長嶋は
「3回目のがよかったねー。もう一度思い出してやってみてくれる?」
 と言ったという。

 著者は、「私はこの話を信じるし、長嶋茂雄という人はそれくらいの人であったと思いたい。その夜を境に掛布がスランプを脱出したのは言うまでもない(きっと)」と書いているが、どうして掛布もなかなかの者ではないか。

朝比奈の峠に斃れし土竜かな 茫洋
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バガテルop73

2008-11-05 19:26:23 | Weblog



オバマがマケインを下したというので、抱き合って涙を流している民主党支持者の熱狂を眺めていると、それがそんなにうれしいことなのかよ、と興ざめするとともに大いなる違和感を覚える。

かつて手前勝手な自国の利害だけで世界中を振り回し、パックス・アマリカーナを謳歌していた唯我独尊帝国は、政治的にはイスラム教国や無手勝流北朝鮮との闘争、経済的には中国、ロシアなどBRICsやEU諸国との闘争に一負地にまみれ、あまつさえサブプライム・ローンに端を発する世界金融危機の元凶として聖金曜日にクンドリから致命傷を負ってしまったために、もはや長期的には歴史の花舞台から徐々に退場するほかはないだろう。

いつも陽気なヤンキーたちは、あのように何ヶ月間も「チエンジ!チエンジ!」と馬鹿のひとつ覚えのやうに絶叫していたわけだが、現在のブッシュにできなかったことが、オバマやマケインやヒラリー・クリントンにできるとはとうてい思えないのである。
帝国の沈没はもはや時間の問題となった。

しかしそれではわが最愛のヤマトンチュウ帝国はどうであろうかと一瞥すれば、口先のひんまがった炭焼き炭坑節男が、長らくのお待ちどう。近々ようやっと解散総選挙に打って出るそうな。
それというのも聖なる日蓮上人の非嫡子の末裔たちの悪知恵で、一人あたり二万円也の公金ばらまき作戦を思いついたから。しかも飴玉くれてやる代わりに、三年後にショウヒゼイ取るぜ、とどすの利いただみ声でおしきせがましく駄目を押す。これって脅迫じゃあないの。

おいおいそこの出目金、その金は誰の金だと思っているのだ。国民の血税をエサにして奇跡の衆院逆転勝利返り咲き、返す刀で恐怖の増税たあ、コムロテツヤも真っ青な悪辣詐欺よ。そんな幼稚な手練手管でわれら陛下の忠良なる臣民が騙されると思ったら大間違いだぜ。

(いや、ころっとだまされちゃうのかな?)

おまけに今頃になって旧帝国軍人の生き残りが、フィリピンならぬ市ヶ谷界隈から黒タヌキのように飛び出して、悪いのは米帝だった、日帝はちいとも悪くない。あんときゃ鬼畜米英に強いられて、いやいやアジアに鷹狩りに行ったのだ。南京、上海、満州、韓国、台湾のお友達に無上の幸せを運んでやったのだ。五族協和、亜細亜解放ツアーにちょっくら行ってきただけよ。それがあんまり嬉しくて楽しくて、お礼の花束までもらったので、近いうちにまた行きたいな、などとぬかしやがるのだ。

タヌキ親爺は百叩きのうえ市中引き回しのうえ縛り首の刑も受けず、なんと退職金をたんまりもらって浅草の奥山辺りに逃げ込んだそうだが、もしかして市ヶ谷村にはこんなタヌキ親爺がほかにもワンサと棲息しているのではあるまいなあ。



♪市ヶ谷のタヌキ屋敷を訪ぬれば帝国軍人健在なりき 茫洋

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2つのコント

2008-11-03 17:13:03 | Weblog


バガテルop72

その1 父子の2人で朝比奈峠を登りながら…

父 ではここで問題です。あなたがいちばん好きな人は、つぎの3つのうち、何番でしょう?
1番 お父さん
2番 お母さん
3番 弟

息子 (しばらく考えてから)両方ですお。


その2 3人で食事をしながら…

息子 お父さん、自閉症って何?

父 (一瞬ギョッとしながらも冷静に)つまり君のことだよ。自分のことなんだから、自分が一番わかるでしょ。

息子 (しばらく考えてから)わかんないお。

ちなみに、自分で自分が自閉症だとわかっている人が高度自閉症、わかんないひとが普通の自閉症。どっちも脳障碍者なのに、いかにも前者が賢そうに思えるのはあほばかネーミングのせいだろうか。

ややこしい人間が目の前に現れると、「発達障害」などという安易なレッテルをペタペタ貼って、なにかがわかったような気になっている学者や専門家もとんでもない食わせ者だ。


♪黄色い顔に白き嘴ピラカンサ啄ばみてピーと鳴きし細身の鳥の名をば知りたし 茫洋

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水本邦彦著「徳川の国家デザイン」を読んで

2008-11-02 19:57:16 | Weblog


照る日曇る日第183回&ふあっちょん幻論第23回 

徳川時代の日本は、中国などの海外から生糸、絹織物、砂糖などを輸入し、その見返りとして銀、銅、俵物などを輸出していた。「俵物」とは初めて聞く言葉だが、岩波の広辞苑を引くと、なんと煎り海鼠、乾し鮑の2品のことで、のちに鱶鰭が加わった、とある。

いずれも海産物であるから、これらを本邦の海民たちが俵に包んで港から搬出したのだろうが、当時の代表的な輸出商品が珍奇な海の幸であったことに意外の感を受けた。ナマコもアワビもフカヒレも日本というよりは中国、東南アジアの特産物かと思っていたが、当時はそれらの国では収穫する海人や技術がなかったのであろうか。

かのマルコ・ポーロが「黄金の島」と紹介した我が国では、黄金はともかく大量の銀、そして銀の産出が尽きてからは銅を海外に放出していたようだ。本書によれば、17世紀の全世界の銀産出量年間60万キログラムのうち日本銀は最盛期にはその3割から4割を輸出していたというからあきれてしまう。きっと明治の不平等条約のひな型のようにポルトガル、オランダ、中国などの諸外国から大いにぼられていたに違いない。

しかし石見銀山などからの貴金属大出血放出の見返りとして我が国にもたらされたものは、膨大な中国製生糸であった。16世紀後半の生糸輸入量は、年間六万から十五万キロ、1930年代には18万から24万に達し、我が国のアパレル業者たちはこれらすべてを原料にして、せっせせっせとおよそ13万から18万着の絢爛豪華な絹織物に変身させたのだという。(同書第6章P287~289)

15世紀末ごろから栽培が始まった木綿が、麻布に代わって庶民の日常着の主役に変わり、今度は最高級の絹の着物が陸続と登場すると、ホップ、ステップ、ジャンプ、男も女も少女も娘も、50歳を越した人妻も狂ったように絹の薄衣を身にまとったのだった。ああ、なんと贅沢の素敵なことよ!

絢爛豪華な桃山文化も、後水尾院を中心に花開いた寛永文化も、地中奥深くから最貧労働者共が血まみれになって掘り出した貴重な鉱物資源と引き換えにもたらされた、と著者は言いたげである。その後歴史は何度となく繰り返されたが、織豊政権の昔から、わが国の得意技はバブリーな蕩尽だったのである。


♪さあ働け、働けば天国の門は開かれると誰かがささやいている 茫洋

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鎌倉交響楽団の「マーラー5番」を聴く

2008-11-01 20:59:19 | Weblog


♪音楽千夜一夜第49回&鎌倉ちょっと不思議な物語146回


秋晴れの土曜日のマチネーで第92回の定期演奏会が開かれ、鎌響がマーラーの嬰ハ短調の交響曲を取り上げました。全5楽章、演奏時間およそ80分の大曲です。

こんな難曲をつつがなく終えられるのかと案じていた私でしたが、第1楽章のはじまりのトランペットの正確で、厳格な、荘重なファンファーレの吹奏を耳にして、今日の演奏の成功を確信しました。

この曲では金管楽器がその能力の極限まで試されますが、鎌響の各パートは見事にその試練に耐え、とりわけホルンの美しい音色は満場の観客を完全に魅了したのでした。

第二、そして第三楽章のブラスの咆哮とパーカッションの雷電、それらを下支えする弦の重層低音は、指揮者の横島勝人の知と情を兼ね備えた情熱的な棒さばきによって透明に溶解し、マーラーの精神分裂症気味の錯綜したスコアの尽きせぬ魅力を、まるで手に取るように、隈なく白日の下に暴きだしました。

 音を割った金管の舞踏がようやく終わると、それは弦楽器とハープによって奏でられるまことに甘美なアダージェエットの総奏です。きわめてゆっくりと13挺ヴィオラから開始された夢見るような旋律は、9挺のチエロと、おなじく9挺のコントラバス、それからおよそ30挺の第1、第2ヴァイオリンに受け渡され、まるで初夏の相模湾の青い海を渡るアサビマダラのように高く、低く飛翔してゆきます。これほど美しいため息の出るような音楽を聴いたのは久しぶりのことでした。

 曲はそのままアレグロのロンド・フィナーレに突入し、またふたたびの管と弦の狂想的輪舞が開始されましたが、よほど練習を重ねたのでしょう、われらが手だれの鎌響の演奏はますます熱と光と輝きを増し、とうとう歓喜あふれる大団円になだれこんだのでした。

 これほど素晴らしいマーラーの演奏を地方の一ローカルオーケストラがやってのけるとは! 音楽のよろこびに満たされ、このささやかな幸せを抱きしめながら夕べの家路をたどる私の胸には、マーラーの5番がまたしても高らかに鳴り響くのでした。

♪いま聴きしグラン・フィナーレが高鳴るよ 鎌響定期のマーラー5番 茫洋

♪マーラーのアダージェエット聞けばわれは蝶 海の彼方に一人旅立つ 茫洋

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